2016年10月29日土曜日

ダム

今年発足した「ふくい技術士交流会」の現場見学会として建設中の河内川ダムに行ってきた。隣町である。
平成になってすぐのころ、この付替県道の地質調査でここに日参していた。
今は瀟洒なホテルになった「やまびこ」がまだ木造の旅館だか民宿だかわからなかったころ、ここにボーリング屋さんに泊まってもらって、現場状況を聞きに行ったついでに飲んだりしていた。深夜まで飲むと空き部屋に泊まっていけと言っていただいたりしたこともあった。こんなに素晴らしい自然に囲まれた村がダムに沈むことが悲しくて夜明けに涙したこともあった。
それから数年して、いよいよ工事が(といってもダム本体工ではなく付替道路が)始まり、仕事で「やまびこ」に行ったとき、女将さんが「とりいさぁん、とうとう始まったぁ~」と悲しそうに言っていたのが忘れられない。その女将さんも今は亡い。

建設JV事務所でまずは説明を聴く。プレミアがついているというダムカードをいただいた。なんとも不思議なブームがあるようだが、ここのT所長がそうであるように、全国津々浦々のダムで、やってきたヲタク相手に少しでもダム事業というものを理解してもらおうと涙ぐましい努力をしている技術者がいるのだろうなと思う。

福井県で3番目になるというダム本堤はコンクリート打設が続いていた。こういうスケールのでっかい土木工事を見ると、やはり血湧き肉躍る。

半径80m超のタワークレーンが河内のそらにそびえ立つ。その背景、山の植生の色が途中で変わっているのがおわかりだろうか。下の方は薄い色であまり高い木がない。これはサーチャージ水位より下で、20年ほど前に一度伐採されている範囲だ。そしてそこに生えてきたのは大部分がアブラギリで、今ちょうど葉っぱが黄色くなりかけているので黄緑色に見えたりするのだ。

このダムの計画は昭和50年代に持ち上がったのだという。「やまびこ」の女将さんが嫁に来たころにはもうその話があったのだけれど、私が仕事で日参していたころに娘さんが結婚し、その時点ではまだ調査設計段階だった。福井県の事務所も「建設準備事務所」だった。
それから5~6年たったころか、涙の閉村式があって「やまびこ」も移転して鉄筋コンクリート造のピンクのビルになり、それでもずっと付替県道さえ中途半端に部分開通状態が続き、ダム湖畔のホテルになるはずだった「やまびこ」も山の中にぽつんと建つホテルであり続けた。
そして女将さんはとうとうダムどころか本堤コンクリートの一部すら見ることなく逝き、これまでの帳尻を合わせようとするかのように急ピッチで工事は進んでいる。
そうなった理由はいろいろあるし、それが人間社会でもあるのだけれど、日に日に高くなっていくダム本堤を女将さんは空から見ているのかなあと思った。

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