2010年10月31日日曜日

私馬鹿よね

午前中は地元の小学校で体験活動。
ストロー笛、虫笛、ガムテープ太鼓、ペットボトルギターを作ったのだが、まあ久々に楽しかった。ペットボトルギターのネックを竹を割るところから始めたので少々時間がかかった&木屑で汚くなったことが反省点かな。でもこういう活動は楽しいのだ。


午後は片付けと明日の活動の準備。眠くてたまらず少し昼寝。最近睡眠必要時間が長くなってきたような気がする。

夕方から再び活動開始。
そんな中で、夜にかけてあれこれ考えた末に、11月末に考えていた大分での口頭試験セミナー(模擬面接)を中止して高知に行くことにした。
地方都市にセミナーで行くことについては、私がSUKIYAKI塾を始めたとき、いやもっと以前の「技術士受験を応援するページ」を立ち上げたときからの思いがあった。
私自身もそうだったが、地方にいると技術士試験に合格するためのいろんなノウハウがなかなか得られない。それだけではなく、いろんな面で、技術士試験に限らず、いやもっといえば技術というジャンルに限らず、地方にいるとなにかと不利だ。
それは小泉改革から顕著になった。今では子供を生むことも、いざというときの安心感をもって老後を過ごすことも、地方はままならないし、経済なんて疲弊しきっている。ビルの新築工事なんて東京でしか見られないといっても過言ではないと思う。そういう日本になったのだ。
だからずっと地方在住の技術者を特に応援したいという思いがあった。インターネットはまさにそういう地域間格差を乗り越えるツールでもあったと思う。
セミナーもそうだった。東京と大阪でしかセミナーをやっていなかったとき、地方都市から受講に出てくる人たちがいた。特に口頭試験はみんな必死になるから、北海道から東京へ、あるいは沖縄から大阪へ受講するためだけに来た人も多かった。これだったら受講料が少々安くても同じじゃないかと思った。
それなら自分が地方に出向こうと思ってツアーを始めた。自分自身も旅ができて、またいろんな人と友達になれて楽しかったし、旅費の負担なしにセミナーを受けてもらえるならうれしいとも思っていた。

でも違うんだね。
そうやって喜んでもらえる場合もあるけど、地元で支援する体制がある場合には、そこへ割り込むような形になって、かえって地域でがんばっている人たちの活動を妨げることになる場合もあることがわかった。念のため言っておくけど、特定の地域のことを言っているわけではない。いろんな所で感じたことだ。
結局地方の受験生にとって一番の力となるのは、身近なところで彼らをいつも応援してくれる地元の人たちなのだ。その人たちの活動を邪魔してしまうことは、私の思い・願いから大きく外れてしまって完全に正反対のことになってしまう。
だからこれからは、地域でがんばっている人たちから請われたときに、その人たちが主催するセミナー講師として出向くことにして、自分で会場を確保して主催してセミナーを開くことは、大都市以外ではやらないことにした。
「大都市」といってもなかなか定義がむずかしいけれど、まあ政令指定都市くらいかな。

で、現時点で申し込みがない大分と帯広のうち、「こりゃどうも行くと言い出したことで迷惑をかけてるかな」と思っている大分のほうを中止して、今年怒涛の合格者を出しそうな高知にシフトすることにした。
村りんさんには本当に申し訳ない。あんなに歓迎してもらったのに、恩をあだで返してしまった。今までのんきにKYで「喜んでもらえることをしている」気分になっていた自分が本当に情けない。馬鹿だなあ・・・・帯広もOPさんに迷惑をかけることにならなければいいけど・・・・

2010年10月30日土曜日

暇中忙有

午前中は「小浜ウェスト物語」の一環として公開されている「蓬嶋楼」の店番。
ここはいわゆる茶屋(遊郭ですね)で、当時の趣がそのまま残っていていい風情である。遊郭というと生臭い印象あるいは反社会的な印象を持つ人もいるかもしれないが、ここには間違いなくひとつの文化があったと思う。

ご主人に見せてもらった、通常は公開していない四畳半の一間が印象的だった。こじんまりとした部屋ながら小さな趣味のよい床の間もあり、北前船で栄えた土地柄か、窓から見える小さな庭には弁財天が祀ってあり、さながら茶室のような趣だった。

訪問者は土曜日であることもあって、観光客の方ばかりで、名古屋、東京、八戸の方々だった。


店番をしている最中にも、Xperiaが「カーン」と鳴ってメール着信を知らせる。その多くが口頭試験セミナー応募だ。
なかなか落ち着かない気持ちで時間を過ごしてようやく店番終了。
近くの喫茶店に移動して昼食をとりながらメール処理。エッグサンドにレモンティー。似合わね~!と思うなかれ、仕事をしながら食べられるのはサンドイッチが一番なのですよ。

帰宅して、明日の「うんぴんフェスティバル」の準備。
日用品で楽器ぽいものを作る体験コーナーで、ストローで縦笛を、フィルムケース(もはや懐かしい!)で振り回すと「ピロピロピロ」と鳴る「虫笛」を、ポリバケツとガムテープで太鼓を、ペットボトルと棒とタコ糸で一弦ギターを作る。
それらの材料や道具を車に積み込む。私の愛車はカルディナだが、後部座席を倒すとフラットになってどっさり詰めるので重宝する。

夕方からはずっと口頭試験セミナーの処理などをして過ごした。
とにかく今日からは筆記試験を突破した人たちを力いっぱい応援しないと。

9時過ぎになってようやく一息。女房と「濱の湯」へ。寒くなってくると大きなお風呂が恋しくなるのですよ。^.^#
久々にゆったりと入浴。でも風呂上りに女房を待っている間、ずっとLooxUで添削していた。
11時前に帰ってみると、その間にメールが18通。うむむむ。
なんとか処理して12時ごろには寝よう。明日があるし。

写真だけ見ると、風情のある建物やおしゃれな昼食でゆったり過ごしたように見えるけど、なんだかゆったりした中に常に忙しさを感じる気ぜわしい1日だった。だからこそティーを飲んだり風呂にゆったり入ったりしたくなるのかもしれない。

ささやかに祝杯を

日が短くなったなあ。6時前でもう真っ暗、車はヘッドライトなしでは走れない。寒くなってフロントガラスも少し曇るようになってきた。

夜になっていろんな電話が入る。それこそ北海道から沖縄まで。
日本中に思いを共有できて心配しあえる仲間がいるというのは素晴らしいことだ。
ささやかに角瓶で祝杯。あ、もう残り少なくなっているけど、今日飲んだんじゃないからね。^o^;

明日はウェスト物語の店番、明後日は地元小学校の体験活動「うんぴんフェスティバル」、月曜日は自然体験活動のお手伝いと相変わらずだが、その合間にセミナー事務処理や体験論文添削をこなさないといけない。
けっこうバタバタしているけれど、やりがいを感じる日々だ。

2010年10月29日金曜日

悲喜こもごも

筆記試験合格から一夜明け、朝起きてみるとメールがどっさり。例年と同じく悲喜こもごも。
合格されたマンツーマン講座受講生には体験論文提出依頼。もう論文はほぼ完成している人が多いのだけれど、最後の詰めだ。添削が全部終わって弛緩していた気持ちにもう一度発破をかける。

11月からのセミナーツアーの内容をもう一度見直し、派遣講師の切符やホテルの手配。
今年も東京に居座って毎夜面談の予定だ。去年は巣鴨だったか今年は神田。昼間に古書街あたりに出かけるのも楽しみに。

しかし19日に沖縄セミナーに乗り込む講師3名(私、バイアさん、知床さん)が揃って討ち死にというのもまたなんというか・・・・^^;

わーお、早っ!

技術士筆記試験合格発表が早くもなされていた。

http://www.engineer.or.jp/c_news/001/attached/attach_1141_1.pdf

なんか例年になく早い。
これから合格した人の支援に全力投入だ!
あと一歩、がんばれ!

あ、私?もちろん撃沈です。^o^;

2010年10月28日木曜日

北の焼そば

北見にお邪魔したとき、市役所のIさんと小浜市の食の取り組みについていろいろとお話させていただいていたのだが、そのときのノリで「北見塩やきそば」の話が出て、「じゃあ、ぜひ小浜食のまつりのB-1グルメコーナーに出店を」と無茶ぶりをしたところ、なんと今日、「日清北の焼きそば オホーツク北見塩やきそば」のカップ焼きそばがどーんと箱で届いた。
感謝感激雨あられ、実際の出店については採算等ハードルは数多いが、この縁を大事に、なんとか交流を実現したいものだと思う。
さっそく一杯作っていただきました。美味かった。

いくつか写真アップしてみます

ブログ試用中。Picasaウェブアルバムからダイレクトに写真がアップできるので、ウェブアルバムをごそごそしていたら面白い写真がけっこう出てきた。
これは淡路の野島断層記念館でみかけた「断層ドッグ」。淡路牛、淡路たまねぎ、こだわりパンの一品。


 これは6月に沖縄の「あっぱりしゃん」で、例の「品川庄司の品川が溺れかけた顔で歌う店長」の歌にあわせて踊る面々。

同じく沖縄・国際通り中央市場で飾られていた豚君。「女の一生」が笑うけれど、なかなかシュールな図である。

高知で食ったカツオのたたき。うまかったなあ。高知は絶対また行くぞ!

真冬の網走の海と、その向こうに見える知床連山。ホントにきれいだった。

2010年10月27日水曜日

木枯らし

寒かった昨夜、風呂に入りながらのんびりと岸本葉子さんの本を読んでいたら、2月末になって「庭の霜柱がいつの間にか消えていた」とあった。
びっくりしましたね。岸本さんのお住まいは東京で23区近郊だったと思うのだが、冬の間、庭にずっと霜柱があったわけか?
霜柱なんて一生のうちで数回しか見たことないぞ。


小浜は行政的には北陸だが気候的には山陰なので、北陸の中では暖かいのだが、それよりも関東は暖かい。
冬の東京にこちらの冬の格好で行ったりすると、もう暑くて暑くてだめなのである。地下鉄とか乗るともう蒸し風呂のようである。コートの厚さも東京の人の着ているのはぜんぜん薄いし。
とにかく東京の冬は暖かい。・・・・ものだと思っていた。


ところが東京の冬は寒いのである。天気がいいので日差しがあるところは暖かい。下手をすると暑い。
ところが日陰の寒いこと。そのうえ風でも吹こうものならもう大変である。
そのことを痛感したのは、もう何年前になるだろうか、はじめてバイア○ラさんと・・・・あれ、違うな。パラグアイさんと・・・・離れちゃったな。バイナリーファイル・・・・お、ちょっと近づいたぞ。バイアリータークさん、ああそうだった。
・・・・何の話だったか。
ああそうだ、はじめてバイア○ラさんと飲んだときの話だ。そのときは確か1月で、仕事で八王子に何泊かしたのだが、レンタカーの中に一晩置いたままにしておいたペットボトルのお茶を朝飲んだときの冷たさといったら、人生初体験だった。
日野市の高台にある公園で見た霜柱のでかさといったら、霜柱だと思わなかったくらいでかかった。
それより2週間ほど前、打ち合わせのために上京して現場を見に歩いていったのだが、風の冷たさといったら。コートの中で震えている私の横を背広だけでフツーに歩いていくサラリーマンを見て、東京の人の耐寒性にも驚いた。


2月の知床はきーんと冷えていたし、気温はマイナス10度くらいだったけれど、東京の冬の日陰と対して違う気がしなかった。
結局日向と日陰の温度差がすごいんだろうな。日向でも日陰でもそんなに気温が変わらないところに住んでいると、あの気温と乾燥は脅威だ。冬は新幹線で帰ってきて敦賀まで来ると、何よりも空気の湿り気で「ああ、帰ってきたな」と感じるもの。


関東でも近畿でも昨日は「木枯らし1号」が吹いたらしい。
「へえ、そんなの定義があるのか?」と思って調べてみると、「東京では西高東低の気圧配置のときに、西北西~北の強い風(風速が8m/s以上)が吹くことを「木枯らし1号」の発表条件としています」とあった。(http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-2678.html
ふうん、要は冬型の強風か。
これは確かに冷たいと思う。きっと冬型の日の裏日本の北風よりはるかに冷たい。「耳が千切れそうな」冷たさはこちらでは感じない。ぜんぜん質の違う風なんだろうなと思う。きっと日野で耐えられない寒さと感じていたあの冷たい風なんだろう。
こちらの季節風は「寒い」けれど木枯らしは「冷たい」。

こっちでもブログを

最近メールもカレンダーも全部Googleに移し始めているのだが、ブログもあるようなのでこちらでも作ってみることにした。
これで調子がよければ今やっているLivedoorブログから移行しよう。
試しに写真をアップしてみました。
7月29日の「七福神大笑い祭り」の総踊りのときに、やぐらの上で太鼓を叩いているところ。このときは10分以上叩いていたと思う。
この叩いている太鼓、ネットで4万ほどで売っていた中国製だ。太鼓台は自作。

もう1枚いってみよう。2009年2月ということで、まだヒゲをはやしていません。
これはどこだったかなあ。公園の裏山?

雄武町で食べたほっき貝のしゃぶしゃぶ。お湯に入れると赤く染まって、貝のうまみが溢れて実にうまかった。これ、また食べたい。
そうそう、このときは久々にホヤも食べた。こういう味は好きだ。
ちなみに写っているビールは私のではありません。こんなの飲んだらえらい騒ぎだ。

デザイン、どうかな?