2013年1月31日木曜日

確かに密度は濃かったような


イキオイというのは恐ろしいもので、本が脱稿したイキオイでセミナーテキストも一気に作ってしまった。まあこれまでのテキストや本の原稿、今回の原稿などを寄せ集めて編集したので早かったのだが。
おかげで今日は一気に楽になり、レッツノートではなくバイオを持って福井へ行けるようになった。
今日は木材利用研究会である。マニュアル編纂がずいぶん進んでから、ほとんど原稿作成に寄与していなかった人間がのこのこと出席するのは気が引けるのだが、どうかお許しを。
とりあえず今日は「原稿書き」は休んで、APEC-semi出願講座の添削をして、合間に本でも読んで行こうという気楽な旅だ。
自転車で駅まで行き、相変わらずガラガラ(なのに3両編成?)の電車で向い合せ席に足を投げ出してリラックスして出発。

いい天気なのだが、どうも遠くがかすんでいる。今朝は放射冷却だったから、陽射しで雪がいっせいに湯気を上げているのだろうか。まさかまだ黄砂ではないだろうし。
そういえば北京の大気汚染は気になるところだ。このままいくと「黄砂に見えるけど実は硫酸エアロゾル」が飛んできて、また名古屋あたりで光化学スモッグというパターンが再来するかもしれない。(数年前、「なぜいまどき光化学スモッグ?」と話題になったものだ)


敦賀を過ぎ、北陸トンネルを越えると、さすがの雪景色。
途中、セミナーテキストに使った経歴票フォーマットが要修正であることに気づいて駅のホームでばたばたと修正して受講生にメールしたり、福井手前で急遽NPO関係の打ち合わせが入ったり、結局「のんびり読書」タイムは取れないままに福井駅に到着。
すぐに県民活動センターで打合せ、終了後駅に戻って立ち食いソバをかきこんで木材利用研究会へ。時間もないし歩道に雪もあって危ないしということで、結局レンタサイクルではなくタクシーで移動した。

1時半から5時半までみっちりマニュアル編集会議。改めて福井県の土木技術はUmさんが支えていることを痛感した。みつこごっこをしていたUmさんは別のUmさんなのだ。
会議終了後、迎えに来てくれていたよっしーに乗せてもらって再び県民活動センターのあるビルへ。NPOのMさんとおちあって、食事をしつつファンドレイジングについてあれこれ話す。
これからのNPOのあり方などについて、酔った頭ながらおおいに元気が出た。

小浜に帰れるリミットの電車で福井発。しかし夜8時半に県庁所在地の駅のホームの光景として、これってどうよ。

敦賀駅で小浜線の最終電車に乗り換え。発車時刻30分前だが、1両だけの電車がホームにちょこんと止まっていた。
最初は木材利用研究会の会議だけのために出発したのだが、電車が進むほどに次々と用ができて、密度の濃い1日になったことは、やはり喜ばしいのだと思う。
小浜に向かう車中で、11年前にPTA会長をしたときに委員長をしてくれたIさんとばったり。小浜駅までずっと四方山話をしながら帰った。やはりいい1日だったのだと思う。

2013年1月30日水曜日

ワクワクはむずかしい

ようやく本の原稿が1つ終わった。しかし息つく間もなくSUKIYAKI塾大阪のセミナーテキスト、そしてもう1冊の本の原稿が待っている。もちろんAPEC-semi受講生の添削もあるしHPの更新もしないといけない…ToT

アメリカのアタリが連邦破産法11条の適用申請をしたらしい。

栄者必衰。時代は流れる。パームトップPC、カッコよかったんだけどな。
あのマイクロソフトさえ苦戦している。Windows8もどうなることか。PCからスマホやタブレットへの変化に乗り遅れたのが痛かったな。
そのスマホやタブレットへの変化を作り出し、今は隆盛を極めるアップルもどうも先行き怪しい。最近の新製品は7インチ台タブレットとか4インチスマホとか、Android陣営の後追いばかりだ。

先頭を切って新しい地平を切り開き、我々の想像以上のものを出してきそうなワクワク感がなくなってしまった。初代iPadを出したころの(ほんの数年前だが)アップルは、ウォークマンを出した後のソニーのようなワクワクする会社だったのだが。

人間は情動を揺り動かされると理屈抜きにほしくなる。
情動が動かない買い物は、予算とか使い道とか置き場所とかいろいろ理屈で考えるけれど、情動が動かされて「ほしい!」と思ったら、ローンを組んででも買ってしまう。
こういった理屈抜きの魅力、「小遣いはたいてでも買いたい」と思うような情動を喚起する魅力、それを「わかっていて、いつでもすっと出せる」ようになったら、そりゃあ儲かるんだろうな。
というか、そういうコンテンツをいつでも組み込めたら、「まちづくり」だろうが「観光のまち」だろうがお手のものだろうに。

2013年1月29日火曜日

またやりたいことが

観光局市民幹事会の飲み会 in 秀。
会話が盛り上がり、楽しくて写真を撮る間もなし。

来年度やりたいことがまた増えてしまった。海に関することだ。海の近くで育ったし、これはもうとめどもなくワクワクするのだが、悲しいかな暖かくなってさあ活動だ!という時期にいつも旅の空の私である。
もちろん旅も楽しい。必死だけれど、出会いが楽しく緊張感が楽しい。
両方欲張ることができないことが一番悲しいわけですね。

まあ7月になったら小浜に居つけるだろうから、そのときに思いっきりやろう。
5ヶ月も先なんだけどね。^o^;


2013年1月28日月曜日

糸巻きは時に凶器となる

このところ本の原稿書きで机にはりついていることが多い。添削と違って資料もいるからなかなかノマドに向いていない。クラウド上の資料を使うにしても、情報量の多いデスクトップがいいのだ。


NPOの用事で遅い午後に外出。一昨日から昨日にかけて降った雪がしっかり積もり、寒々しい光景。でもこういう厳しい風景は好きだ。

机に張り付いているときはなかなか気分転換できないので、時々YouTubeで動画を見ている。
で、昨日はクイーンのドキュメント(デイズ・オブ・アワー・ライブス)を見ていた。ブライアンもロジャーも年取ったなあ…と思いながら2時間近く見入ってしまっていた。^o^;
クイーンは私が中学2年のときに音楽にハマった最初のアーティストで、以後、ディープパープル→ビートルズとわけのわからない遍歴を経る。

クイーンは、ウィキペディアによれば「現在の認定セールスでは、アルバムとシングルのセールスで世界第5位の3億枚を超え、「世界で最も売れたアーティスト」にも名を連ねている」ということで、今さら「へぇ、そうなんだ」なのだが、その他にもまあいろいろあったようで、「へぇ」の連発だった。

100年使った暖炉の木を使ってオリジナルギターを作ったというブライアン・メイ(ギター:彼はインペリアル・カレッジ・ロンドンで学び、大学院では宇宙工学を研究していた天文物理学博士)、そのギターをつなぐアンプを自作して独特の音を作り出すことを可能にしたジョン・ディーコン(ベース:ロンドン大学分校・チェルシーカレッジ電子工学科を首席で卒業)という、なんともエンジニアはバンドであった。

私は中学の2年間音楽を聴きまくり、高校生になったら今度は自分で演奏したくて安いエレキギターを買ったのだが、生来(?)の「自分で作りたい」病が出て、このギターを分解してピックアップとネックを別の自作ボディーにつけるという行動を取った。
作ったボディはコンパネを切って重ね合わせたもので、フライングVの形だった。
これは自作機じゃないからね
直線的だったのでコンパネが切りやすかったのもあるが、変わった形を作りたかったのですよ。ウィッシュボーン・アッシュが使っていてかっこいいなあと思ってたし。
で、ピックアップを取り付けて配線し(ボディが大きいことを利用してディストーションエフェクターも分解して本体に内蔵した)、ネックを取り付けて弦を張り、しっかり音が出ることを確認して、よおしとばかりに立ち上がってストラップを肩にかけ、さあ弾こうと思った瞬間、ヘッドの糸巻きが即頭部に激突してこめかみを痛打。頭がくら~としてしばし座り込んだ。ボディが重過ぎてバランスが悪かったのですね。「地獄へ道連れ」になるかと思った。
今思えば3枚重ねにした真ん中のコンパネをもっとくりぬくか、いっそ板にして全体を空洞にすればよかったんだけど、高校生だった私はすぐに元のボディに戻して、にっくきフライングVボディは廃棄、それっきりギターというものは自作しなくなったのでした。
…アホな話やなあ。

2013年1月27日日曜日

ザ・ホテル

セミナーツアーに出ると、当然ながらホテル暮らしの毎日になる。
一昨年は泊まったことのないホテルや思いっきり安いホテルにチャレンジしてみたりしていたのだが、昨年は「慣れたホテル」を優先するようになってきた。
私の場合、ホテル選びの条件は
  1. ランドリーがあること
    これは最優先の条件だ。基本的に着替えは1セットしか持ち歩かないので、ランドリーは必須だ。
    この点で一番嬉しいのはドーミーイン。脱衣所もしくはその近くに無料のセルフランドリーがあるので、風呂に入っている間に洗える。特にたいていの場合コースも選べるので、「スピーディー」にしておくと20分で洗えてしまうから、入浴中に洗濯が終わる。冬は暖房をかけて寝るようにすると朝には乾いているから脱水も不要。
    大阪・江坂のサニーストンホテルは6台の洗濯機があって非常にありがたいのだが、すぐ近くのスーパーホテルは100円ポッキリで洗剤常備、さらにプリン体オフビールも常備と条件が非常にいいので、大阪での定宿がこちらにシフトしつつある状態だ。
    その点で悩ましいのは沖縄。ランドリーのないホテルが多い。そこで筆記セミナーのときはあらかじめ数着の下着&かりゆしとズボンを送っておき、最後にまとめて洗濯物として自宅に送ることにしている。求む!国際通りに近くランドリーのあるホテル!
  2. 交通の便がいいこと
    基本的に公共交通を利用するので、駅などから近いほうがありがたい。
  3. ネットができること
    以前はこれがダントツの1位だったのだが、今はWiFiルータを持ち歩いているので、特にこだわらなくなった。でもskypeをやるときは有線LANが必須だ。
  4. 安いこと
    貧乏性なのか、価値観なのか、だいたい6,000円以上の宿泊料は「高い!」と感じる。まあ6,500円あたりが天井かな。7,000円はもうよほどのことがない限り乗り越えられない壁だ。
    東日本大震災のあと、ホテル代がどーんと安くなった時期があって、いまだに全体に安い状態が続いているのでありがたい。だいたい5,000円前後のホテルに泊まることが多くなっている。ネットでは14日以前予約などだとそれくらいの値段で朝食までついてきたりする。
  5. 自転車があるといい
    これがあると、筆記試験セミナーのシーズンはまちなか散策&気分を変えて添削ができるし、会場へも自転車で行ける。名古屋のドーミーイン、松山のニューグランドホテルや高知のタウン駅前など。
とまあ、こんなものだ。大浴場がないとイヤとか、朝食が…とかいう希望はない。風呂は入れればそれでいい。どうせ飲んで帰ってからさっと入るだけか、深酒したときは翌朝入るだけだから。
サニーストンホテルのランドリーは強力無比。
朝食はそもそもホテルで食べることが少ない。一昨年、「基本的に朝食はホテル」の旅をしたら、どこでもおんなじおんなじのバイキングに完全に飽きてしまって、それ以来たまに食べる程度にしている。とはいえ、地方都市ではホテル以外でなかなか朝食にありつけなくてセミナーに遅れそうになることもあるので、そういうときは朝食付きにしている。
最近の朝食はもっぱら「やよい軒」の目玉焼き朝食。
全国チェーンなのでどこででも食べられ、何が嬉しい
といって、巣鴨にも江坂にも駅の近くにあるのだ。^o^
まあ、一番気に入っているのはドーミーインかな。稚内、北見、釧路、帯広、旭川、札幌、函館、弘前、秋田、仙台、新潟、富山、金沢、名古屋、大阪、広島、高松、福岡、熊本、鹿児島のドーミーインに泊まったことがある。こうしてみるとお得意さんだなあ。
一昨年泊まったドーミーイン新潟。半分和室でビックリ。
ずっと前、まだホテル選びのスキル(笑)が低かったころはトンデモ経験もある。
2001年に東京・五反田のカプセルホテルに泊まったときは、隣のカプセルに酔っ払いが入ってきて、「うー」などと唸りまくったあげく…ああ、思い出したくもない。
同じく2003年に泊まった東京・新大久保では、共同浴場の和室だったのだが、風呂上りにパンツ一丁で暑いなあと思って窓を開けたら、10mほどの距離に山手線の電車があって乗客と目が合ってしまった。
これらの経験はいずれも口頭試験のための宿泊であった。なんでそんな大事なときにそんな所へ…と思わないでもない。^o^;

その後、ホテル選びもやや上達したものの、相変わらず時々一風変わったホテルに泊まったりしている。まあたいていは「安いから」という理由で選んだ結果なのだが…

これは2008年の口頭試験模擬面接のために上京して泊まった品川に近い某ホテル。
当時は週末だけしか動けなかったため、旅費がもろに受講料に跳ね返っていた。これを何とかしたいと少しでも安いホテルに泊まっていたのだが、このホテルは「○○荘」と名のつく、まあつまりは旅館というか宿泊所的ホテルで、風呂もトイレも共有、ランドリーというよりフツーの洗濯機を共有し、なんだか部活動の合宿に来たような気分になった。部屋の机もどこかの学校から持ってきたのか?みたいな机だった。

これは2009年によく泊まっていた東京・大井町の某ホテル。
今どきタイル張りで洗い場付き。洗い場には「ケロリン」と書いてある黄色い洗面器があった。バスタブは真四角。体育館座りでしか入れない大きさだった。懐かしいなあ。また泊まってみようかな。

2010年に泊まった名古屋のホテル。一見何の変哲もない廊下の風景に見えるでしょう。ところがこれが全体に小さいのである。部屋のドアはたぶん身長185cmくらいあると頭が当たるのではあるまいか。天井も2mちょっとしかないように思う。とにかく全体がビミョーに小さい、変なホテルであった。ああそうだ、面談のあと、受講生だったクレヨンさんに誘われて飲みに行った日だ。面談が終わったあとで「飲みに行きませんか」と誘ってきた受講生はクレヨンさんだけだった。お酒が好きなんだなあ。なんたってヒレ酒20杯だからなあ。

変り種といえば夜行列車。これまで、新潟→敦賀を「急行きたぐに」(今はもうない)、高松→東京を「特急サンライズ」に乗って過ごした。
「きたぐに」車内。これはA寝台。

「きたぐに」のベッド。B寝台は通常3段ベッドで、上体を
起こせないほど上下空間が狭いのだが、パンタグラフ下
はいくぶん天井が下がっているため3段目を置けない。
その結果中段がA寝台なみに空間があり安くて快適だ。
これを「パン下中段」という。わはは、鉄みたいだなあ^o^
サンライズにはシャワーがあった。
またハプニングにも時々遭遇する。最たるものは巣鴨の青パンツ事件だが、これについては多くを語りたくはない。

2013年1月26日土曜日

丸太コンロ

本の原稿に飽きてきたなあと思ったら「丸太コンロ実験しましょ~」と悪魔の誘いが…
吹雪気味になってきた雪もなんのその、嬉々として出かけた。

丸太にチェーンソーで切れ目を入れただけのものの真ん中に火種を投入する。火種は松。松脂があるのでよく燃えるのだ。

やがて(というかまたたくまに)火が燃え広がり、季節風にあおられてごうごうと燃え始める。ちょっとびっくりするくらいの勢いである。

切れ目から入った空気が真ん中で上昇気流になって燃えるのだが、風が強くなるともう全体がぼうぼうと燃える。こりゃあすごい。

試しに空き缶に水を入れて乗せてみると、ものの5分で沸騰。火力もすごい。燃料とコンロ台が兼用になっていて、切れ目を入れる以外に何の加工もいらないという、これは面白い。

今日はもう一つ試してみた。薪を束ねてツルで縛っただけのもの。真ん中に出来た空間に火種を落とす。

火種は薪の内側に燃え移り、丸太コンロと同じ原理で燃料券コンロ台になる。

季節風にあおられてごうごうと燃える。固定していたツルも切れてしまったが、薪の束は意外と安定している。

空き缶を乗せてみると、これも10分もかからず沸騰した。丸太コンロより熱効率は悪いが、丸太やチェンソーがなくてもできる簡易コンロとしてこれも実に面白い。

いやあ遊んだ遊んだと満足して帰宅すると、すぐに時間がやってきた。
夕方から「若狭くらしに水舎」の設立総会である。NPO法人に申請し、小水力発電を中心に自然エネルギーのことをいろいろとやっていこうというNPOだ。

みんなマジメに真剣に議論していて、日頃NPO運営をテキトーにやっている私としては赤面するくらいのひと時でありました。^^;

終了後は飲み会。^o^;
座卓の上にダンボールとブロックを置いてガスコンロと大鍋でキムチ鍋。

飲み会4日目、外は凍てつく寒さの中、楽しく真夜中まで過ごしましたとさ。

2013年1月25日金曜日

よくわからない日帰りの旅

寒波が来襲しているようでぐっと冷え込んだ。
昼前から県警察協助員連合会の役員会のため福井へ。
いい天気なので、自転車で小浜駅へ。確かに風は強いし寒いけれど、本当に寒波が来ているのか?

敦賀駅で乗り換えて北陸トンネルを抜けると、やはり白い世界であった。うーむ、やはりシベリア寒気団御一行様は来訪中のようだ。

ところが福井駅を降りると拍子抜けするくらいいい天気で、雪もない。防寒シューズをはいている自分が馬鹿のように思える。
県協助員会の役員会は「誰を表彰するか」を決めるもので、終了後は新年会。バタバタと日々を過ごしているので、こういうのもまたいいものだ。
終了後、また普通電車で帰路に着く。

敦賀に戻ってくると、なんてことだ真っ白じゃないか。駅のホームも屋根があるのだが吹き込んだ雪で白くなっている。

例によって無人の電車に乗ると、これがまたびっくりするくらい暑い。ここは北海道か。
ダウンを脱ぎ、ジャケットを脱ぎ、ベストを脱ぎ、カッターシャツの袖をまくろうかという温度である。
やがて少しずつ乗客が乗ってきた。携帯ゲームをしている青白い顔の若者が乗ってきた。なんだかわからないがアブクがポコッ、ポコッと大きな音でしている。やれやれと思っていたらおっさんが乗ってきてケータイでワンセグを見始めた。数人しか乗っていない車両が妙に音に溢れた。やれやれ。

蒸し暑い中、本の原稿書きと出願添削に集中している間にいつの間にか小浜駅が近くなった。
レッツノートをカバンにしまって立ち上がると、いつの間にか車両内の乗客はまた私1人になっていた。
小浜は幸いにも雪なし。自転車で家路を急ぐと、ちらちらと雪が舞ってきた。明日は雪かな?


テロの犠牲になった日揮技術者の皆さんのご冥福をお祈りします。
現地スタッフを育成して困難な条件の中でしっかり仕事を成し遂げている日本企業。そのスタイルの見本のような会社がこういうことになるのは本当に悔しいが、こういうときこそPDCAサイクルを回してがんばってください。

2013年1月24日木曜日

風呂上りに飲み会

冬はほとんど太陽を見ない日が普通にあるが、今日は月に1回あるかないかというような好天。

山の雪もずいぶん融けたように見えたので、もしかすると上根来にバーベキューコンロを取りに行けるかもしれない!と考え、昼休みに突撃してみた。
中間地点の下根来を過ぎるとはっきり雪が増えてきて…

ゲストハウスのあたり。積雪10~20cmくらいか。屋根雪が落ちたところは1m以上積もっているけれど。

集落を過ぎたあたりからは、やはり除雪していない。なんとか突入を試みるも、100mもいかない間に断念。このわだちが途切れているところまで行きました。
うーん、この先はもっとパワーのある車じゃないと無理だ…

上根来小学校跡をちょっとのぞいてきた。今年の冬は乗り切れるだろうか…

夜は連続飲み会第2弾、木曜会。今回は私が幹事で、年に1回の恒例「濱亭」で。
1時間ほど前に行き、濱の湯でゆっくりあたたまって、湯上りのビール…は危険だからチューハイをぐいーっと。う、うまい。

こんな感じで、風呂上りで食事をしたりくつろいだりしている人たちを尻目に、わあわあと宴会をやっている不思議な一角でした。^o^;

今日の〆は富山ブラックラーメン。この濱亭はたいていいつも地方メニューを何かやっている。今日は金沢カレーとこのブラックラーメンだった。
明日は福井への旅である。電車の中でどこまで本の原稿が書けるか…

2013年1月23日水曜日

いろいろと進行形で

ここのところ毎夜3時近くの就寝なので朝が辛い。そのうえ寒いし。
今日は午前中警察協助員の活動が市内の保育園であったのだが、お巡りさん(あだ名:おかわり君)と子どもたちのやりとりがナイスだった。

おかわり君:「知らない人の車に乗っちゃだめですよ」
子どもたち:「はーい」
おかわり君:「もし友達が車に乗せられるのを見たら、すぐに家に帰りましょう。さあ、家に帰ったらまず何をしますか?」
子どもたち:「うがいをして手を洗う」
おかわり君:「そ、そうですね。じゃあ手を洗ったら次にお家の人に知らせてね」

いや、おかわり、そうですねじゃねーし。手を洗った次にでもねーし。いやあ、なかなか笑えるやりとりでした。

海岸へ出ると、人気のない冬の浜。それでも今日は穏やかな天気だ。散歩をしてもいいかなと思ったけれど、そんなに余裕のある生活をしていない今のワタシであった。
そのままココスに行ってブランチを食いながら本の執筆と出願講座の添削に精を出し、そして夜はまちづくり委員会の懇親会。(というか新年会だなこりゃ)
「久しぶり」の人ばかりで、地元中の地元で落ち着いていない自分を恥じ入るばかりだが、地元中の地元だけにまた甘えているのだろうな。

帰宅すると、女房のアンサンブル仲間のUさんから手紙が届いていた。ある鉛筆画家の方が昨年8月に小浜に来られ、ミニ個展を開き、多くのスケッチを描かれていたというのだ。
なんてもったいないことをしたんだオレは、当時いったい何をしてたんだオレはとカレンダーを見れば、女房と北海道に行っていたのだ。うーむ…
著作権があるのでここに掲載はできないが、旭座も見事に描いてくださっていた。みんなで掃除と補修をする前の、格子が欠けて「菊正宗」の看板がでんとかかっている旭座だ。けいこの描いてくれた暖簾もしっかりと描かれていた。
この方を小浜に招きたいなと思った。それをどんな動きにどうつなげていくか、また考えよう。とにかく何かのきっかけをいただいたのかもしれないから。

さあ原稿を少しでも進めようと仕事部屋へ行きPCをつけたら、懇親会で飲んだくれていたときに、なかちゃんから「チャンネルO見たよ~」とメールがあったのを思い出した。
ひええ、この間の取材、今日だったんだあと怖いもの見たさでテレビをつけてみたら、ちょうどモロにご尊顔が…BGMまでついてるじゃないか。女房に見つかってしまう前にあわててテレビを消して風呂に逃げ込んだ。

ともあれ、いろんなものが積みあがってきて絡み合って、そこにまた新しい何かがつながってきて…というのはワクワクするし楽しいものだ。
まあその前に本の原稿だけは仕上げないと。ToT

2013年1月22日火曜日

いつでもどこでもメモ

来年度技術士試験に向けて、サイトの更新と本の執筆を同時進行で進めているのだが、時間があまりないので、考えをまとめてから書くというよりも、考えながら書き、書きながら考えている。
イメージは頭の中にある程度あるので、それを具体的な作業の中で具体化させていけばいいのだ。イメージがぼんやり頭の中にあるときに、それを誰かに話したり、絵やマインドマップなんかに描いてみたり、要は言葉や絵などに形式知化するわけだけれど、そうするとぼんやりしていたイメージがずいぶん具体化することってあるでしょう。あれですね。

こういう作業を始めると、頭がそういうモードに入るのだろう。フレーズとかアイデアとかいったものがふわふわと沸いてきやすくなってくる。
まったくイメージとかフレーズ、アイデアというやつらは、考えているときには浮かばないくせに別のことをやり始めたとたんにふっと浮かんでくることが多い。そのうえ浮かんだときにそれを形にしないと、すぐに消えたり沈んだりする、まったくもって泡のようなバブルなやつらなのである。
だから浮かんだらすぐに形にしなくてはならない。「いつでもどこでもメモ」が必要になってくるのだ。

この「いつでもどこでもメモ」は、わが人生でこれまでいろいろと試みては失敗し続けているものだ。
日常生活のいろいろな場面で、いろんなアイデア、忘れるべきではない言葉などに出会う。そのときは「よおし、しっかり覚えておいて、後でメモするかPCに入力しよう」と思うのだけれど、ほとんどの場合それは実現しない。
それは「いつでもどこでもメモ」ツールを手にすることにずっと失敗し続けているからで、いやはや本当に多くのものを試し、累々たる屍の山を築いてきた。

専用のメモ帳とかシステムノートといった紙ツール。システムノートは5年ほども使っただろうか。「いつでもどこでも携帯」をかなりよく守っていたので、それなりに使ったと思う。しかしそれ以外のメモ帳の類、ポケットなどに入れる小さなメモ帳とか風呂の中でも書けるメモ帳とか、まあそういったものはすぐに使わなくなった。
マイクロカセットレコーダー(今でいうボイスレコーダー)。テレビドラマ「ツインピークス」を見て「こりゃあいい」と思ったものの、録音しても聞き返したりしないので、意味のないメモにしかならなかった。
電子手帳。一時期はビジネスマン必携ツールみたいにもてはやされたけど、入力しにくさ、入力手間の惜しさもさることながら、当時はせっかく電子化してもPCに取り込むこともできなかったので意味がなかった。
モバイルPCのHP200LXはPCカード経由でパソコンにデータを取り込めたが、いかんせんスピーディーな入力には限界があった。その後はモバイルギアとかシグマリオンも試したが、結局紙のメモ以外は定着することがなかった。

今は電子ツールもスマホ、タブレット、モバイルPCとそれなりに持ち運び、さらには「スキャンしてEvernote」という必殺技もあるので、紙メモも気楽に取れるようになったので、ずいぶん進歩したなあという気はする。
特にスマホの「CamScanner」は、スマホカメラで撮影したモノを四隅グリッドを決めてやると変形してコントラスト調整もして、あたかもスキャンしたように画像調整し、さらにはそれをEvernoteに転送してくれるというスグレモノのアプリである。これのおかげでとにかく何でも撮影してEvernoteへ、という気楽で安心なことができるようになっている。

たとえばこれは沖縄へ行く飛行機の中で読んだ機内誌である。持ち帰ってもいいのだが、荷物は増やしたくない。

ここに干支占いの記事が載っていた。これは面白そうなのでコピーしておきたいと思った。
そこでCamScannerを起動して、この記事の部分を撮影する。できる範囲で紙がでこぼこにならないように注意する。

これを処理すると、スキャンしたような画像になる。これを着陸後の電子通信が可能になってからEvernoteに転送すると、PDFファイルとしてEvernoteの中に保存される。これでスマホ・タブレット・PCのどれからでも参照できるようになる。
アイデアなどのメモであれば、紙の切れ端にメモしてもOKだ。
ショットノートなど、Evernoteを前提としたメモ帳なども売っていて、私も軽薄にも購入したけれど、テキスト認識しないのであれば画像記録で十分であり、だったら紙切れに汚い字で書いたメモを撮影しただけの画像でもいいじゃないかということになる。
まあ今後もこれまでと同じように、また別のツールにふらふらと移っていくのかもしれないけれど、現時点ではこのスマホアプリは重宝している。…宣伝みたいになってしまったなあ。^^;

2013年1月21日月曜日

元気にいこう!

夜、3月の自然とエコイベントの実行委員会。いろんな思いを持った人、いろんな期待を持った人が、互いの気遣いも忘れずにプラス志向で集うと、実に楽しい会議になる。

終わった後のホワイトボードが、何にもとらわれずに自由な(少々散漫な^^;)会議であったことを示す。
昼間ちょっとうんざりすることがあったので、なおさら嬉しく、終わってからまた飲んでしまった。
年度最後を締めくくるいいイベントにしたい。

北海道も飲んでたみたいだ。
うーむ、重装備だ。今度こそこの人たちと飲むんだ!って、ちゃんと時間作ってね住職。

ともかくいろんなことが前に進んでいる。元気出していこう!

2013年1月20日日曜日

今日はきりたんぽ

今日も1日原稿書き。
午後、新しい洗濯機が届いた。電気屋さんに壊れた前の洗濯機を持って帰ってもらうとともに、乾燥機を女房の実家に運んでもらい、ついでに家の前の雪かきをしていたら電話が鳴った。
SUKIYAKI塾東京の総会?新年会?をやっているようで、3月のセミナーの打診であった。
なんだかよくわからないけれど毎週東京に行く話になったのだが、それはそれとしてこの人たち、この後きっと飲み会に突入するんだろうな~と思いつつ帰宅して、またシコシコと原稿書きをしていると、東京のバイアさんから写メ。

SUKIYAKI塾東京の会長にラガーマンさんが再選されたとの報であったが、会場居酒屋だし、勘介さんが「これからがんがん飲みまっせ」的オーラを出しまくっているし、これってどう見ても乾杯の後の拍手だよねえ。^^
やっぱり飲み会に突入したか、この人たち。歌舞伎町の近くらしいし、腹がいたらエンドレスだな。

負けてなるものかと我が家はきりたんぽ鍋。一昨日の蟹鍋、昨日の蟹鍋に続き、鍋の毎日である。メンバーは両親と女房と私の4人だけど。
秋田で食べた美味さを唐突に思い出し、ネットで「お取り寄せ」しちゃったんだよね。きりたんぽだけでなく、肉や野菜、さらにスープも全部セットになっているので大変お手軽。比内地鶏うまうま。
やっぱり冬は鍋に限る。ビール(プリン体オフ)がうまい。がんばって原稿書きしたからちょっとご褒美だあ…って、毎日ご褒美だなあ。^^;

2013年1月19日土曜日

富山の置き薬


午前中、警察協助員の方のお母様の告別式があるので出かけようとしたら、ちょうど「富山の置き薬」が玄関先に来ていた。富山は明治以前の昔からこの「置き薬」で有名で、今でもそういう会社がある。
風邪薬とか胃腸薬、塗り薬などを箱に入れて一般家庭においておき、定期的に補充と使用した分の集金をして回っているのだ。薬は市販薬と変わらないのだけれど、風邪を引いたり腹が痛くなったりといったときに押入れを開けるとそこに薬があるのは助かる。定期的に更新されるから古くなってしまうこともないし、まあありがたいシステムである。
試しに「富山の置き薬」でググってみたらたくさん出てきた。これってどのあたりの地域までを商圏にしているのだろう。
A4サイズくらいのそんなに大きくない箱1つ。

中には各種の薬と説明書が入っている。

葬儀は「セレモニーホールわかさ」という建物で行われた。かつては真夏や真冬の葬儀は大変だったのだが、近年はセレモニーホールでの葬儀が多くなったので大変ありがたい。
昨年、義父の葬儀もここでやって痛感したのだが、葬儀を行う場所の確保、いろんなモノの用意などなど、「業者任せで設備の整った屋内で」を経験してしまうと、もう昔ながらの自宅やお寺での葬儀には戻れなくなってしまう。たまに「自宅で通夜」なんてのがあると、失礼ながらあまり嬉しくない気分になるものなあ。

2時間ほどで帰宅して、それからずっと家にこもって本の原稿と格闘していた。
APEC-semiの出願講座が始まっているので、そろそろ経歴票添削以来も入ってきている。
うーむ、厳しいががんばるのみだ。
夕食は蟹鍋。って昨日と同じじゃん!なんでも母が蟹をもらったらしいのだが、しかしまた…^^;
夜になって気温がぐっと下がってきて、冷たい雨が降り始めた。こういうとき冬はいやだなあと思う。

知床さんのブログから拝借したウトロ港の写真。ここに比べたら、めったに零下にならない小浜の冬なんぞたかがしれているのだが…
こういう寒い夜は長湯に限る。熱めの湯に入って文庫本をゆっくり読む。風呂上りに軽くイッパイひっかけて(たいてい「1杯」じゃなく「たくさん」のイッパイになってしまうのだが^o^;)寝るのが一番だ