2015年10月31日土曜日

やはり飲んでしまう

福井県主催の「旅づくり塾」ワークショップ2回目。
たけしの車に乗せてもらって福井へ。午後、ワークショップのあと、懇親会。
明日の準備もあるし、RCCM添削に口頭試験対策が重なってきたからのんびり飲んでいるヒマはなく、あまり飲まないようにしてそこそこに退散しようと言っていたのだが、案の定しっかり飲んでわいわいと語らって楽しく楽しく過ごしてしまった。^o^;
酔っ払ってたけしの車で帰宅。
それでも熱めの風呂に入り、濃いめのコーヒーを飲んでちょっとしゃきんとしてあれこれデスクワーク。

そんなことをしている間にも、口頭模擬面接の応募がどんどん入ってくる。
今年は特に総監がすごい。何があったのか?
ともかく満杯になった会場を時間延長レンタルしたり、別日程でまたレンタルしたり、「時間に余裕のあるツアーをやりたい」という望みはやはりゼータクというものなのだろうか。そんなものは筆記合格発表の2日後にしてすでに今年も吹っ飛びつつある。

2015年10月30日金曜日

ふと秋の風景

筆記発表から一夜明け、少し落ち着いてきた。
毎年のことだけど、「うわー、よくぞ合格してくれた。嬉しいなあ」と「ああ、ダメだったのか。申し訳ないなあ」が入り乱れた1日だった。
昼間は上根来で動き回り、夜は木曜会で、それから午前3時過ぎまで作業したものだから、かなり眠い1日になってしまった。それでも鯖街道ワークショップの準備その他で今日もバタバタと過ごし、夜は会議もあって、ちょっと寝不足が積み重なっている。
ああ、そういえば今日は「い~ざぁえぇDay」の放映日だった。ゴールデンタイムに我が汚い髭面をさらしてしまって申し訳ない。

そんな中、ふと秋の風景。南川の土手に、斜面にセイタカアワダチソウの黄色、河原にススキの白色が棲み分けていた。春は斜面に菜の花、河原近くにダイコンの花が黄色と白色のコントラストを見せるので、そうか春と秋で同じ色分けになるのだなあと気づき、しばしぼんやり見入っていた。

口頭試験模擬面接の受け入れ枠がどんどん埋まっていく。特に総監の埋まり方が早い。
また、実施日が限定されている名古屋と福岡も埋まるのが早い。
どちらにせよ、今年も頭フル回転で模擬面接を繰り返し、頭からケムリが出たような状態でふらふらとホテルに戻るおのが姿が目に浮かぶ。数年前は夜だけ働いて昼間はうろうろ気楽に過ごしたり、受講希望者のないオフ日すらあったような気がするのだが。
小浜にいる残り2日も予定びっしりである。

2015年10月29日木曜日

しがら組み2015

筆記試験合格発表の朝、どっさり来るメールも掲示板も悲喜こもごも。ひとつひとつ丁寧に見てメッセージを送りたいのだが、いかんせん今日はしがら組みの1日で、ケータイの飛ばない世界に行かないといけない。後ろ髪が引きちぎられる思いで上根来へ。

西田先生にお越しいただいて作業内容説明。毎年ありがとうございます。

まずはナタで竹を割き始め、途中からバールでバリバリと割く。

さらに両側から引っ張って、せーので一気に引き裂く。

ここで私はゲストハウスに向かい、必殺「上根来鍋」を調理。
作り方はいたって簡単である。
(1) 大鍋に湯を沸かし、ゴボウ、ダイコン、ニンジンといった根菜をゆでる。
(2) そこにキノコ類を大量に投入する。
(3) 根菜が軟らかくなってきたら、酒とみりんと等量ぶちこむ。写真の大鍋だと小瓶1本ずつ。
(4) 豚肉(猪肉があればそのほうがいい)をぶちこむ。豚汁と同様にバラ肉でよい
(5) 葉野菜(白菜やネギ)を投入。
(6) 味噌で豚汁程度の濃さに味付ける。
実はボタン鍋の味付けなんだけどね。みりんと酒で濃厚甘味噌仕立てになって美味いよ。

昼前に鍋ができたので現場に行ってみると、見事にしがら組みは完成していた。今年は柵の段数も多く、見栄えがする。

上根来鍋で元気をつけて、午後はアブラギリ拾い。今年は豊作だ。

子どもたちが帰り、後片付けをして、さらにちょうどやってきた市役所のみんなを林道に案内したりしていたら、すっかり暗くなってしまった。
帰り道、猪一家に遭遇。子猪もずいぶん大きくなっていた。

これで今日は終わりかというとそうではない。ちょうど今日は木曜会なのである。
明通寺で一心君が腕を振るった料理に舌鼓。
口頭試験セミナー対応があるから、今日はあまり飲むわけにはいかない。そうだ、飲んじゃ行けないんだ…と言いつつ、いつものようにしっかり飲んでしまったワタシなのでありました。^o^;

2015年10月28日水曜日

他人の受験は祈るしかない

いよいよ明日は筆記試験結果の発表である。自分自身は受験していないけれど、毎年けっこう祈るような気持ちでこの日を迎える。
考えてみれば、自分が受けていたときの筆記発表はそりゃあドキドキはしたけれど祈るような気持ちにはならなかった。所詮はてめえの始末じゃないかというやつである。
でも他人の合否は自分ではどうにもならないから、やはり祈るような気持ちになるものだ。

午後から防犯ナントカ県民会議に出席。「にぎやかしに」と頼まれてのものなので、文化会館の隅っこで、タブレットで内職でもしてりゃあいいやと思って座っていた。

警察音楽隊の演奏は面白く、タブレットを閉じて聞き入っていた。
そのあとセレモニー。恐怖の挨拶4連発と祝辞3連発。ラリホーの呪文をかけられた私はタブレットを開いたままずぶずぶと生暖かい眠りの園へ引き込まれていったのでありました。
セレモニーが終了し、義理は果たせたので速やかに脱出。そのまま上根来へ一直線。11/1のワークショップの中での山歩きに備えてちょっと補修しておきたいところがあったのだ。
池の平と呼ぶ標高700m近いところで、急な降り口に角材と細い杭で階段を作る作業を5時前まで。

さすがにここからは見晴らしがよい。左端のピークが多田ヶ岳、その右、遠くに霞んでいるのが久須夜ヶ岳。あと、真ん中やや右に遠く島がぽつんと見える。常神の御神島ではないかと思う。そのさらに右にうっすらと常神半島らしきものも見えているし。
作業を終えて山を下りる間に一気に暗くなった。夜は鹿と衝突するのが怖いのだ。
明日の鍋の材料を買い込んで、いったん帰宅して夕飯をかきこみ、今度は自転車ではまかぜプラザへ。気心の知れた連中との会議は気持ちがいい。ばたやん、またご苦労様だけどよろしくね。
このまま飲みに流れたいという気持ちとぐっと押えて帰宅し、明日からの口頭試験セミナー募集に備えたHP更新とRCCM添削。みんな、合格しててくれよ!

2015年10月27日火曜日

模擬面接はアバンギャルドに

私は多色ボールペンが大好きで、というかボールペンといえば多色しかほぼ使わないのだが、もう20年にも及ぶ放浪の末、ここ数年はジェットストリーム一本になっている。

普通にどこでも売っているのは一番上のもので、これは黒・赤・青の三色ペン。これに緑が加わってもっと太くなったのもある。また芯は0.5、0.7、1,0とある。私はもっぱら0.7だ。

2番目の細いペンは回転式の三色ペン(黒・赤・青)。本来の芯は0.5だが0.7に替えて使っている。

そして3番目は2,000円ほどする高級志向のものでやはり三色ペン。リフィルが上2本とは違う金属製の細いリフィルだ。ネットで買ったが、最近は小浜市内のホームセンターでも売っている。
ちょっと重くてバランスがよく書きやすい。

一番下は、先日みつけたステッドラーの多色ペン「アバンギャルド」。リフィルが3番目の高級型と互換だというのが気に入って、これも2,000円くらいするけれど即決購入した。回転式で黒・赤・青プラスシャーペンという多機能ぶり。ノックの分だけ長いけれど、書きやすくて気に入っている。
あまり紙に字を書くことはしないのだが、会議のメモや模擬面接のメモはさらさらと(しかし汚く)書きたいので、重みのある多機能ペンはありがたいのだ。
これ持ってセミナーツアーに行きますからね。

2015年10月26日月曜日

草紅葉の中をバタバタと

若狭東高校との実習第3回、しがら組み用の竹の伐採。

現場は口名田公民館向かいの川沿いの竹林なんだが、河原が赤くなっている。いわゆる草紅葉(タデか?)ではないかなと思うのだが、女房の実家近くであるにもかかわらず、恥ずかしながら初めて見た。

高校生と一緒に竹林で伐採作業。元気な子、静かな子、いろんな子がいるが、誰もが初々しい。

夏におかちゃんから教わったとおり、受け口をしっかり作ってから切っていく。教えはちゃんと守られている。おかちゃんも草葉の陰で喜んでいることだろう。あ、おかちゃん普通に元気か。^^;
午前中ギリギリで終了し、解散。バタバタと昼食を食べ、四季菜館へ移動。駐車場であわただしく着替えた。

午後はインバウンド対応の観光セミナー。1時間ちょっとの講義のあとワークショップだが、寝不足+午前中の肉体労働+昼飯で腹一杯というスリープラトン攻撃を受けて意識モーローの中で受講。
ワークショップはまあいつもそれなりに楽しんでいるし、自分の知識とか考え方の再整理になるのでけっこう好きなのだが、さすがに最近は倦んできた。模造紙と付箋紙を使う以外のワークショップを誰かやってくれい。

終了後、午前中に切った竹を上根来へ運搬。ついでに29日のしがら組み本番用の水タンクを取りにゲストハウスへ。そのついでにギターを弾いて大声で歌ってすっきりした。
最近あまり大きな声で歌ったことがないので、高い声が出にくくなっていたのだが、面白いことに声が枯れようが高音が出なかろうがかまわず歌い続けていると、1時間もしないうちにノドの通りがよくなってくる。
昔、矢沢永吉がライブツアーの前になると、声が出にくくてもとにかく毎日歌い続け、「一週間くらいですごい声が出るようになるんだよ」とどこかのインタビューで話していたが、ノドはやっぱり使わないといかんのだなあと思った。まあ一週間も歌い続けるのは素人には無茶としても、1時間もわあわあと大声で歌い続けていると、なんだかするりと音が出るようになってくるものだ。

夜、ふと外へ出ると満月が雲を照らし出していた。そういえばオリオン座流星群、見そびれてるなあ。

2015年10月25日日曜日

上根来の人たちと一緒に

今冬の上根来雪室プロジェクトが始動した。昨年の経験から学んだ様々なことを活かして、貯蔵庫の改良に着手した。
WACおばまの活動ではない。百里会の奉仕作業として地区民(というか、元地区民)の皆さんが中心になって、しがら組み施工予定地の整地と、貯蔵庫の向きを変えて入り口を切り離し、雪留め壁を作った。大工さんの実力を思い知るとともに、地元の方がこれだけ積極的に取り組んでくれることが嬉しくてならない。

秋が深まる上根来集落に午前8時過ぎに到着。よおし、今日もがんばるぞ。

今日の作業の打合せ。集落を出た人たちが年に2回の奉仕作業で集まってくる。素晴らしいことだと思う。

貯蔵庫入り口の切り離し作業中。とにかくこういう仕事は上根来大工軍団に任せておくのが一番だ。

雪室貯蔵庫を90°回転させ、少し隙間を空けて入り口を配置し、雪留め壁を立ち上げた。午前中でここまで作業してしまうのはやはりすごい。

昼食はバーベキュー。我々もお相伴にあずかる。思えば去年からこういう場に招いてもらえるようになった。

午後は11/1鯖街道ワークショップに備えて下見。林道から降りて、丸太橋を渡る。

その先には不動の滝。日本遺産認定を経て、これから多くの人たちが根来坂を訪れるようになるわけだが、そこでこういう数多い地域資源を丁寧に紹介していかねばならない。

林道を上ると、視界が開けてくる。丹波高原の幾重にも重なった山々が美しい。

ズームすれば、上根来集落が見える。昔、といってもほんの20年か30年前までは、杉が今ほど育っていなかったので、もっとよく見えたという。

鯖街道は4つのルートがあるが、そのうちこの針畑越えルートは、昔のみちがそのまま残されているところが多い。道がいつしか掘り下げられてできた「深掘れ」。

池の地蔵。峠に近いところに井戸があって水が湧いている。かつては鯖を運ぶ人たちの喉を潤した井戸なのだろう。そのほとりにお地蔵様があり、上根来集落の人がお世話をしている。
雪室のある牛舎跡に戻り、焚き火を囲みみんなでこれからのことやら四方山話を楽しみ、4時前、本日の作業終了。
山を降りて、煙臭いままで森の水PR館のカフェでコーヒーをのみながらちょっとだけ添削。日常に戻った。

2015年10月24日土曜日

シイの実拾った

小浜第二中学校の「ふるさとウォーク」が行われ、ボランティアとして中継ポイントでの整理やら写真係をやらせてもらった。
全校生徒が42.195kmを踏破するイベントで、小浜中学校と二中が同じ行事を同時にやっているのだが、二中はルートが複雑なため、父兄や地域の人たちなどからボランティアを募り、多くの人がこれに応えている。私は浜中校下民なのだが、浜中はボランティアを募っていないので、警察協助員の縁で二中のお手伝いをしているというわけだ。
朝7時過ぎに多田寺へ。7時40分過ぎ、まだまだ元気な中学生が到着。

階段下からではあるけれど、多田寺にお参り。これから辛いウォークだけどがんばれよ。
多田寺の役目が終わったらすぐに神宮寺へ。ボランティアの人手が厳しいので掛け持ちだ。
9時半ごろいったん終了。女房とおちあって朝モスして帰宅すればもう11時前。2時前に再び同じ所へ行かなければならない(逆回りルートの子どもたちが神宮寺と多田寺にまたやってくるのだ)から、あまりのんびりもしていられない。
PC仕事を少しやって、明日の上根来の作業準備をしたらもう時間だ。再び神宮寺へ。
午後は、子どもたちの歩くスピードにも差が出て、1班来たと思ったらずいぶん待って2班目を出迎えるというパターンで、時間が有り余る。
午前中、参道にいっぱい落ちているシイの実を拾って食べたのを思い出して、30分ほど集めてみたら、ポケットいっぱいになった。

シイの見事な巨木が群生する社叢の中にいると、ぱさり、ぱさりと実が落ちる音がする。私はこの森の中で実の落ちる音するひとときが大好きだ。森が生きているのがよくわかる、本当に豊かな音だ。
しばらくして多田寺へ移動。それから2時間もいただろうか、遅れている班ほど子どもたちは疲れ切り、笑顔も消えていた。でもきっといい経験になると思うし、何より自分の体や心に無理をかけないようなことばかりしていたのでは、心身はたいして鍛えられない。私はもう無理の利かないトシになってきたなあと実感する最近なのだけれど、中高生のころの部活を中心とした鍛錬をやっていなかったら、もっともっと無理が利かなかっただろうなと思う。
シイの実を持ち帰り、水を張ったボウルに開けて虫食いを取り除いた。女房が炒って学校に持っていくようだ。シイの実を拾ってポケットに入れて、取り出しては食べながら遊ぶような子が今の時代にいるのかどうかわからないが、ほの甘い味は秋の真っ赤な夕日の中で遊んだ記憶としっかり結びついている。

2015年10月23日金曜日

清水を見つめ続けた蔵

大野市で地下水学会の公開シンポジウムがあり、主役が大野市と小浜市ということで、小浜市から大型バスで30人以上が大野市へ乗り込んだ。
大野市に到着後、会場に行く前に「イトヨの里」へ。イトヨはトゲウオの一種で、水温の低い大野市の湧水池という特殊な環境下で生息している。世界の分布南限にあたるそうだ。

イトヨの里は市内の2大湧水のひとつである本願清水(ほんがんしょうず)のほとりにあり、3億円余りを投じて作られたきれいな建物である。イトヨの資料展示と清水文化のPRをしている。

建物の中から清水の中がガラス越しに覗ける。石が2つ並んだ右の方の石の前にイトヨが泳いでいる。フナの子どもくらいの大きさかな。

本願清水はかつては子どもが泳ぎ、お母さん達が洗い物をした生活の場であったようだが、その後昭和時代には一度枯れたりもして、それから保全活動が始まり、天然記念物に指定され、イトヨの里ができて、今では大野市の重要な地下水保全のシンボルとして、また観光資源として大切に守られている。
気持ちの良い陽光の下で大野の里芋に舌鼓を打ちつつ弁当を食べ、清水をぼんやり眺めていたら、向こうのほうにある蔵が目にとまった。

もう20年以上、いやもしかしたら30年近く前、まだ今のようにきれいになる前の本願清水を訪れたときにも、この蔵を見上げた。壁から突き出たつっかえ棒が屋根を支えているのが珍しいなあと見入ったことをはっきりと覚えているので、間違いない。
相当に古い蔵のようで、実際イトヨの里にあった昔の写真にも写っていたから、この蔵は清水で子どもたちが泳ぎ、お母さん達が洗い物をしているのを眺めていたのだろう。
そして高度経済成長の中で清水が顧みられなくなり、いつの間にか枯れてしまうのを見続け、それに気づいた市民が保全活動に乗り出し、ついに見事なイトヨの里を完成させ、生活の場ではなくなったけれど、大野市のシンボルとして清水が生まれ変わるのも見届けてきたのだなと思った。

公開シンポは小浜市と大野市から3人ずつが発表してパネルディスカッション。2時間30分以上を休憩なしで突っ走った。頭がへとへとになった。
小浜市からはやんもが一番手に発表した。あんなヨソイキのやんも初めて見た。でもよかったよ。
その後の海底湧水の話は感動した。本当に最初のとっかかりのころに少しだけ話を聞いていたのだけれど、素晴らしい成果が出つつあるのだなと思い、市民の一人として心からの感謝を送りたいと思った。
4時前、へとへとの頭で帰路につく。途中SAで休憩してバスに戻ると、甘いものを食べている人の多いこと。やはり人間、頭には糖分が必要なのだ。私もチョコレート食べました。^^;

2015年10月22日木曜日

車の話

先日、落花生から始まって車の話をしたので、今日は車の話である。

現在、我が愛車は三菱ランサーだが、これは7台目である。
これまでに乗ってきた車を思い出してみると、最初にサニーを3台乗った。別にサニーが好きだったわけではないが、たまたまこうなった。2台目は父のお下がりであった。
あ、その間に一度スターレットに乗っていたなあ。
そのあとレガシーに乗った。これは我が人生一度きりの新車であった。あとは全て中古である。
そのあとは一瞬だけど父のお下がりのクラウンに乗って、そのあとカルディナ、そして今のランサーとなる。8台目になるわけだ。
私は車をあまり大事に扱わない。小さなキズなどまったく気にしないし、今のランサーも鹿にぶつかったときのヘコミはそのままである。
さらに近年はNPO活動の都合上、あれやこれやと道具が乗っている。

わがランサーのハッチバックをあけると、トランクはぎっしり一杯である。
前面に工具箱が2つ。その後ろに黄色く見えているのはコンテナボックスで、実は2段になっていて4箱ある。電動工具、各種ビス、手袋や結束バンド、ロープやいろんな小物が入っている。
その他、延長コード類を入れた箱、ノコギリやナタなどを入れたダンボール箱、工具類をあれやこれやと入れたダンボール箱、充電式インパクトドライバドリルといったものが入っている。長靴や作業靴も入っていて、もうほとんど業者の車に近い。
なお、コンテナボックスの後ろにはゴミ袋やブルーシートなどが隠してあり、座席回りには500Wのインバーターやらスマホスタンドなどを取り付けて、何かの合間にノマドができるようにしてある。
さらに後部座席を倒すと、さらに荷物を載せられる。折りたたみ自転車やら火起こし道具やらを乗せる。
またこれらの荷物を全部下ろし、後部座席も倒してブルーシートを敷き詰めると、かなりのモノが積める。雪室食材一式であったり、山から切り出したアブラギリであったり、まあとにかく普通は軽トラに積むようなものを乗せることもできる。
だから当然だが車の中は汚い。床にもいろんなものがおいてあるし、シートはホコリだけでなく草のかけらなんかも落ちている。一度は車内でクモやトカゲを発見したことがある。
何かの間違いで背広を着て乗ったりするときは、ちゃんとシートを拭くようにしている。あるいは父の車を借りるようにしている。

こんな私なので、一度だけクラウンに乗ったのだが、あのときの違和感といったらなかった。
ジャージにサンダル履きでは乗ってはイケナイような気分になった。乗ろうと思ってドアを開けたものの、こんな格好じゃイケナイような気がして着替えに戻ったこともある。
林道をごとごとと走り、トランクからスコップと長靴を出したときには「俺は土建屋の社長か」と思った。別に土建屋さんを馬鹿にしているわけではないから念のため。
で、まあ俺にはクラウンは合わない!ということがわかったので、すぐに車屋さんに
「ハッチバックの車を用立ててくれ。クラウンと交換できるヤツ」
と注文した。
「どんな車がいいですか」
と聞くので、
「林道に行って小枝で擦っても平気なヤツ」
と答えたら、沈黙されてしまった。
まあともかくクラウンは引き取られていき、私はカルディナを手に入れて喜々として長靴やら工具類やらを放り込んでは上根来などに出かけていくようになったというわけである。

今、私の中では車を購入するときに払っていい金額は60万から70万、マックス80万というところである。100万を越えるなんてトンデモナイことだ。
我がランサーもこんな使い方をされるなんて思ってなかっただろうなあ。

2015年10月21日水曜日

古い木造校舎の中で

今年度の「地域の担い手育成事業」では、阿納尻(あのじり)小学校跡が活動の舞台となる予定だ。今日はその使用に関する打合せと現場視察。

こういう佇まいの古い木造校舎って本当にいいよね。ほとんどの人が同意見だと思う。

木の廊下、木の壁、そして木枠の窓。昭和の子ども達が走ってきそうな空間である。
これまで協働したことがない人たちとの協働。仕事と違ってNPO・ボランティア活動は物質的インセンティブがないから、気持ちが後ろ向きになったり通じ合わなくなったらおしまいである。活動への取りかかり時期というのは、そういったことの不安とワクワク感が溢れてくるのでたまらない。
そういう中、小浜市職員のみんなには本当に助けてもらっている。私が先行きの不確実性に不安を感じる以上に、職員はプロジェクトを私に任せざるをえない分だけ不安が大きいだろう。でも付き合ってくれるし、こういう学校視察みたいなのにも付き合ってくれる。
私はNPO・ボランティア活動を一緒にやっている人たちは、NPOであれ市職員であれ地元の人たちであれ、同志だと思っている。同志という言葉が適切でないなら仲間といってもいい。
だからプロジェクトがうまくいくことも大事だけど、大切な同志・仲間がやってよかったと思ってくれることが同じくらい大事だと思う。私にとって大切な仲間なのである。
そんな大事な仲間の一人が病魔と闘う。がんばれ。本当にがんばれ。

2015年10月20日火曜日

落花生

ラガーマンさんから栗と落花生をいただいた。なんと言っても千葉県の落花生であるから、早速いただいた。

甘いのである。ふっくらしているのである。これまで食べてきたピーナッツなんぞというものとはぜーんぜん違うのである。
ラガーマンさんのことだ、私のような貧乏舌ではないから、きっと選りすぐりの逸品なのであろう。それにしてもこれまでの人生で食ってきたのは何だったのだろうと思わせる美味さだ。ビールを飲みつつ、鼻血が心配されるくらい食ってしまった。
栗も母が栗ご飯にしてくれ、夕食に食べた。うまいんだこれが。

いったいに私は食い物にせよ何にせよ、「どうせなら一流品を一度くらい」という価値観が欠けている。食い物と服とホテルと車に関しては特にそうで、そりゃああまりみすぼらしかったり使いにくいのはイヤだけど、そこそこであれば十分満足してしまう。
じゃあできれば一流品を、と思っているのは何かというと、たぶんない。金を掛けることに逡巡しないのはパソコンくらいだが、これは一流も何もないだろう。単なるツールである。その証拠に、今のメインマシンであるレッツノートは、そのままワンショルダーに放り込んでどこにでも行くので、すでに細かい擦り傷だらけである。

落花生ひとつからえらい話になってきたが、何でもいいものはそりゃあいい。落花生ひとつにしてこれだし、食べるものも着るものも、高いものは高いだけのことはある。ただ私が求めているものはそこじゃないんだろうな。美味さにせよ快適さにせよ、それはそれで大事だけれど、もっと重視することがあるのだろう。
ホテルだったら何よりもランドリー環境である。次に通信環境である。ドアボーイのいるようなホテルは、この点でビジネスホテルよりずっと下である。
車だったらどっさり工具やらアウトドア用品を積んで、林道だろうが何だろうががしがし入っていける車が一番で、この点ではこれまでの生涯で乗った最悪の役立たず車はクラウンであった。
服も靴もメンテナンスを要するようなものは大嫌いである。針金ハンガーにテキトーにかけて放っておける服が一番だし、靴を磨くなんて行為は車をタオルで拭き洗いするのと同じくらい忌むべき行為である。

まあつまり、粗野なのだね。
でもここ10年ほどは、すり切れたジャージに突っかけでひょこひょこ出歩かなくなっただけ進歩したと思っているのだが。
しかしそれにしてもこの落花生は美味い。ブッ(鼻血が出た音)

2015年10月19日月曜日

肩幅に股を開いて

苦難の3日間であったが、9時過ぎから2時間半ほどかけて扉の調整やフック付け、残った柵の設置などを経て、ようやく加斗小学校のしがら組みが完成した。

トータル60m以上の柵延長だったので、竹の伐採から加工までの工程が大変だった。でも楽な加工法をいろいろ覚えたことは収穫だった。
そういえば今日、さだやんが竹を割くときは時々裏返してやるといいよと教えてくれた。ありがたや。今度上根来で試してみます。
筋肉痛を押して体を動かしていると、筋肉がほぐれてきて痛くなくなってくる…のは若いころの話で、筋肉痛の上に筋肉痛が重なってくるのだということも思い知った。
特に内股が痛くて、股を肩幅くらいに広げたままで、足を前に出すのではなく体を斜めに向けて足を踏み出す歩行スタイルになってしまった。なんだかのっしのっしと歩いている感じになる。

夜、小浜二中のふるさとウォークのボランティア会議。全校生徒が校下42.195kmの踏破に挑む行事で、ポイントごとに保護者や校下民などがボランティア支援するのだ。私は保護者でも校下民でもないが、警察協助員としてのお手伝いだ。
それはいいのだが、体育館に敷いたゴザの上にあぐらをかこうとすると股が痛く、さらに腰にもずしんと来て、かといってまさかこの髭面でおネエ座りをするわけにもいかず、大変辛かった。

幸いなことに日曜日の上根来雪室作業までは肉体労働の予定はないので、ゆっくり筋肉を休めようと思う。
本当は温泉にでも行きたいなあ。

2015年10月18日日曜日

痛い体を引きずって

案の定、腰を初め全身が筋肉痛であるが、だからといってのんびり寝てもいられない。加斗小学校のしがら組みはまだできていないのだ。
午前10時すぎまで添削などのデスクワークをしたあと、扉を作る材料を買いだしに行き、いったん帰宅して昼食を取ったあと、サウンドスケープに関する講習会。といってもサウンドスケープを設計するとか音のあるまちづくりとかいうものではなく、祭りの音の公園と、よくわからない風景音サンプリングアプリだのシステムだのの話で、祭りの話は楽しく聞かせてもらったし勉強にもなったのだが、後半はちょっと期待外れかな。いい音が聞けたのはよかったけど。

終了後、すぐに加斗小学校へ。たけしと加斗クLOVEの若手1名で竹の加工はすでに終えており、しらが組みをどんどん組み込んでいた。私は買ってきた材料で扉作りをし、真っ暗になってからなんとか一段落。

闇夜に浮かぶアヤシゲなしがら組み(杭しか見えないけど)と扉。あと少しだけ作業が残っているので、明日は月曜日だけど午前中に仕上げることにした。
腰とフトモモが痛いのでそろそろと歩く一日だったが、明日はどうなりますやら。

2015年10月17日土曜日

竹と汗にまみれて

加斗小学校のしがら組み第2日。9月29日に伐採した竹を学校まで運び、しがら組みを作る。今日は完成させるぞと思っていたのだ。朝のうちは。ちなみに今日もメンバーはたけしと私の2人。

笹谷に行ってみると養鯉業者が池の水を抜いており、すっからかん。びっくり。まあこれh本論に関係ないのだが、まあそういうことがあったということで。
先月切り倒しておいた竹を引きずり出し、ナタとハンマーとバールで縦に2つ割にする。ナタをハンマーでたたき込み、割れてきたらバールをツッコミ、これを竹の根元に向かって両腕で引っ張って割れ目をバリバリと広げる。真ん中くらいまでこうしたら、2人で力任せに両側に引っ張って竹を真っ二つに割く。

これを延々と繰り返して、ごらんの状態になった。人力で2人だけでやった量とはとても思えぬ。
ここで昼食。午後はけっこう余裕かなと思っていた。このときは。

地区の業者さんに協力いただき、トラックで学校へ運搬。荷台で竹がぎしぎしいってる。

学校に到着した竹と、これをどうするんだとボーゼンと見守るたけし。
で、まあこのあとの作業であるが、
①竹をさらに竹に2つ割りにする。つまり1/4に割くわけですね。
②竹の節を取る。
③すでに打ち込み済みの杭に竹を編み込んでしがら組みとする。
という3ステップである。
まずは①に取りかかるが、どうにもうまく割けない。高校生と一緒にやるときはナタをカケヤで叩きながら2つ割りにするのだが、面倒なので(2人でそれをやっているといつ終わるかわからないので)、午前中と同じく、途中までナタで割いて、2人で左右に引っ張って割いてみるのだが、なかなか等分できず、どちらかが使えないくらいに細くなってしまう。
これではイカンと丸ノコを使ってみるが、どうにも時間がかかる。
結局ナタでちょっとずつ割っていくようにしたのだが、どうにも時間がかかり、ついに今日中に割き終わるのはあきらめて、とりあえず割いたものの節抜きを始めた。
これがまた時間がかかる。一節ずつハンマーで割っていくのだが、なにせ数が数である。
結局5時すぎに時間切れ中断。竹を所定のところに運搬して、散らかった学校前を掃除し(これらにも30分以上かかった)、今日は終了。①と②の半分くらい終わったかなあ。
こんなに時間がかかるとは思っていなかった。やはり数が膨大なのである。対して人数は2人だけ。
日数=工数÷リソースという工程管理の基本式に当てはめれば明らかなように、とてもとても簡単に終わるような作業ではなかったということを痛感した。

朝の9時から夕方の5時半までひたすら肉体労働をして、腰はぎしぎしいうのは無論、左手の肘が痛い。うーむ筋肉痛ではないぞこれは。
ビール飲みたいビール飲みたいビール飲みたいとうわごとのように繰り返しながら帰宅。とるものもとりあえずノンアルビールを一気のみして風呂へ。電子ブックを読みつつじんわりと暖まり腰が楽になってきたので上がり、今度はホンモノのビール(ただしプリン体オフの第三のビール)を飲みつつ夕食。
疲れた体にビールがモーレツに効いて、ソファでうたたね。極楽といえば極楽なのだが、傷ついた男が体を横たえ、静かに回復を待っている図でもあった。
明日は午後から研修会(今度は受講)があるのだが、その前後にしがら組みをまたやらないといけない。
55歳目前のこの体は持つのだろうか。

2015年10月16日金曜日

ツナマヨかいくらか

先日、上根来でローカルTVのロケがあった日、昼食用にコンビニおにぎりを持って行った。

税込み190円の三陸いくら&魚沼コシヒカリのおにぎりと、税込み110円の和風ツナマヨおにぎり。
さあ、どちらから食べたものか。もちろんメインのお楽しみは三陸いくらであるが、これを先に食べるか、後の楽しみにとっておくかが問題である。
私はいつも「とっておく」派である。弁当を食べるときも好きなオカズは最後に残しておく。
ところがこの日は三陸いくらから食べた。なぜなら、和風ツナマヨは味が濃いだろうと思ったからである。この組み立ても大事なんだよね。

いやまあ、それだけの話なんだけど。

2015年10月15日木曜日

さらばパワポの日々よ

パワポ講演続き4部作の最後、「あすの福井県を創る協会」の研修会講演のため、朝8時過ぎの電車で福井へ。

昨日に勝るとも劣らぬ好天の中、しかしPCをずっと膝の上においての行程である。
南今庄駅の柿も盛りを過ぎたかと思う秋まっただ中である。
福井駅到着11時前、すぐに「フレンドリーバス」で会場の生活学習館へ。
公民館関係者を主とした聴講の皆さんを前に、例のごとく漫談をぶちかまして、すばやく逃げる。

帰りのバスまでちょっと時間があったので、秋晴れの田んぼの中を県立図書館まで歩いた。
昨日は秋晴れを無駄にしてしまったようで悔しかったのだけれど、今日は気持ちよかった。
さすがはクルマ社会福井、県立図書館までの1kmほどの道のりで歩行者はずっと私1人だった。

帰りのフレンドリーバス。
このフレンドリーバスは、コンパクトシティを目指すといいながら郊外に県立図書館を移転したものだから代替措置として運行を始めた無料バスである。(だから写真にも料金箱がない)
このあたり実に面白いのだ。

福井駅に到着してまっすぐ帰るのかというと、そんなことは当然なく、一緒にサポネットふくいをやってきたコラボNPOふくいのまきのさんとイッパイ。いろんな縁の中で、いろんな土地に一緒に飲める人がいるのはやはりシアワセだ。
いい気分でイネムリなんぞもしながら、それでも合間に仕事もしつつ、普通列車で小浜へ。

バタバタしている毎日、小さなシアワセを見つけながら何とかやっているわけだが、今日もちょっとしたシアワセがあった。それが何かはヒミツである。

2015年10月14日水曜日

陽光の下のPC仕事

所用で舞鶴まで電車で行った。電車の中ではRCCMの100本ノック問題作成に忙殺されていたが、小さなPC画面を見続けていると目がしょぼしょぼしてくる。
用が済んで駅のホームでまた一仕事。シベリア抑留の世界記憶遺産登録で引揚記念館は大賑わいというが、駅にはそれ目当ての観光客が多くいて、観光案内のおっちゃんが対応していた。

目が辛いなあと思いつつ駅のホームに上がると、PC仕事などしているのがばからしいような天気だ。
帰りの電車でも目をしょぼしょぼさせつつPC仕事をしていると、青葉山登山をしたらしきグループがわいわいと乗り込んできた。
いい気持ちだったねーなんていいながらプシュップシュツと音がして「かんぱーい」なんて行ってビールを飲み始める。午後3時前だが、私が同じことをやったときのようないけない感、退廃感はみじんもなく、いい天気の下で汗かいてビールがうまいねーというさわやか感いっぱいである。
楽しそうな会話の合間に海が見えたりすると「わーきれい」なんて言って写真を撮っている。
その少し後ろの席では、おじさんが目をしょぼしょぼさせながら小さなPCを叩いている。あろうことか、降り注ぐ陽光が画面を見づらくするのでブラインドまで下ろしている。
わーん、悔しいよう。

小浜駅に到着して、あんまり悔しいから上根来にでも行って思うさま歩き回ってやろうかとも思ったが、仕事がいっぱい溜まっているのでそうもいかない。
来月になってセミナーツアーに出たら自由時間がたっぷりあるだろうから、そこでリベンジしてやろうと心に決め、まじめに1日を過ごしたのでありました。