2011年2月28日月曜日

技術士チャンネルへ

久々の現地踏査を含めて机に座る時間のない、バタバタの1日を過ごした。
NPOとしての活動にしても、歴史文化に関する活動にしても、それはそれで自分の内側からウキウキ感とともにやる気が湧き上がってくるのだけれど、しかしそれでも技術者としてプロの仕事を求められ、自分の観察眼を頼りに現場やデータと向き合うときの、張り詰めた静かなパッションは、やはり別格だなあと再認識した。やはり私は技術者なんだなあと思う。

今日で2月は終わり。明日はRCCMの合格発表だ。そして4日は技術士の合格発表。1年間の総決算であるのと同時に、次年度が始まる時でもある。
APEC-semiマンツーマン講座と出願・筆記試験セミナーも受付開始。またたくさんの人たちとのお付き合いが始まる。それが楽しみでもある時期だ。

自分の中の技術者・技術士のチャンネルが活性化してくるのを感じる日だった。

2011年2月27日日曜日

カタい話をしますが

私のPCは全部トップページがiGoogleなのだが、ふと見るとGoogleNewsガジェットのニュースが全部海外ニュースだった。
ニュージーランド地震以外は全部人間社会の争いごと。
アフガン爆発と北朝鮮が米韓演習に反発したという記事以外は直接的に(前二者も間接的には関係するが)、ジャスミン革命に始まる様々な変革の波。

私は意識して政治・歴史(現代史)には触れないようにしているのだが(だって、すぐに客観的・論理的な議論が望めなくなっちゃうからね)、まるで飽和溶液が一気に結晶するような変化の早さに驚くばかりだ。
科学技術の進歩もそうだけど、何かヒントになるものとかちょっとしたきっかけで、一気に、またいっせいにぐわーっと前に進むときというのがあるように思う。
もちろんそのためにはそれまでの積み重ね、政治なら不満の鬱積とか意識の高まりとかコミュニケーション手段の確保とか、科学技術なら検証ツール・メソッドの充実とかデータの蓄積とか、あるいはアイデアを提案する人の中での勉強や考察、情報などの蓄積とかいったものが必要で、それがあってこそ機が熟するとちょっとしたきっかけで過飽和溶液から結晶が晶出するように一気にうわーっと広がって全体の押しとどめられない流れになるのだと思うけれど。

世の中は本当に変わりつつある。
日本はいい方向には変わっていっていないように見えるが、どちらにしろ急激には変わっていない。政権交代はマイナスもすごく多いけれど、政権交代しなければ実現しなかっただろう変化も数多くあった。しかしそれでも変化は緩やかだ。
これからも緩やかな変化なのか、何かが蓄積されていてどこかで飽和するのか、それはわからないけれど、少なくとも世界は急激に変化しているし、しばらくは大きな変化がまだまだ起こるだろう。

そういう中で、個人としては変化を味方につけられる力を身に着けないといけないなあと思う。
それって何?というと、いろんな情報を「知っている」知識と、それらが字面だけの死んだ知識ではなく、活性化した情報であること、つまりそこから全体がイメージできたり、自分の地域や自分の組織と結びついたり、動いていく(そして自分の進んでいくべき)先が予測できたりするような形で、アクティブな形で情報を溜め込めることではないかなと思う。
自分自身も、自分の組織も、自分のまちも、世界も、「明日も今日と何ら変わらず同じ」だと決め付けちゃあいけないということですな。

・・・・なんか久々に(本当に久々に)カタい話をしちゃったなあ。^^;
明日からはまた浮世離れしよっと。

2011年2月26日土曜日

読書してないぞ

帰宅してから夜の会議に出るまでに少しだけ時間があったので、読みかけの本を読もうと思ってリーダーを取り出してみると、電源オフになっていた。
リーダーは、電源スイッチをスライドするとオフになるのではなくスリープになって、画面には待ち受け画像が表示されたままになる。電子インクなので画像を表示したままでも電気を食わないからそれでいいのだが、それでも数日程度触らないと電源が本当にオフになる。
つまり、数日間リーダーを触っていなかったのだ。これはちょっとだけショックだった。

それで気がついたのだが、SUKIYAKI塾・APEC-semi的にはオフシーズンのはずなのだが、なぜか読書時間がセミナーツアーの時より少ない。
セミナーツアーに出ると、確かにセミナーなり模擬面接の時間はハードなのだが、ホテルや電車では「何もしなくてもいい時間」がそれなりに取れる。しかし小浜にいると、NPOのことをはじめ、どうもこの「何もしなくてもいい」隙間時間が埋まっているようなのだ。
これはよくないなあと思うのだ。
頭がフル回転している時間と、頭がぽかんとしている時間、これがそれなりに入れ替わり立ち代りやってくるからこそ、長旅も元気に過ごせているのではないかなあと思う。

明日は日曜日でもあるから、久しぶりにまちウォッチをしてこよう。

2011年2月25日金曜日

気になる存在

世の中にはいろんな製品が溢れているけれど、誰にも「気になる存在」があるものだ。
それは車だったり、カバンだったり、万年筆だったり、ともかく新製品が出たとか本屋で特集号があるとかいうと気になって仕方がないもので、経済的な制限さえなければどんどん買ってしまうだろうというものだ。
「買いたい」のスイッチは「情動」が押す。「欲しい!」という強い情動があれば、理性的(経済的)判断は押しのけられてしまうこともしばしばだから、「なんでこんなに買っちゃったんだろう」と思うほどコレクション並みに集まってしまうこともある。

困ったことに、私にも「気になる存在」がいくつかある。ひとつだけではないのも困ったことだが、さらに結構安物買いをしたりするので、経済的ハードルも低くなってついつい買ってしまって増えていくばかり、「一生モノ」がなかなか持てないタイプの人間でもあるのはさらに困ったことだ。

5年前の写真。奥からキーボード、ドコモバ、
カシオペア、HP200LX。そしてムーバの携帯。
ずっと「気になる存在」だったのはモバイルPCである。
最初にハマったのは、1995年に香港で買ったHP200LX。これは伝説の名機で、単3電池2本で駆動する。OSはMS-DOSなのだが、本当にいろんなことができた。現場に持っていって、Lotus1-2-3で原位置試験のグラフをその場で書いたりしたものだ。今ならノートPCで当たり前のようにやるんだろうけど、当時は画期的だった。
その次にハマったのはWindowsCEマシンで、NECのモバイルギアをDocomoがパソコン通信対応にした通称「ドコモバ」はキーボードも打ちやすく、テキスト入力にはもってこいだった。
カシオペアやシグマリオンといったマシンも買った。シグマリオンにいたっては、シグマリオン、シグマリオンⅡ、シグマリオンⅢとシリーズ全部買ってしまった。これらWindowsCEマシンは全部ヤフオクだったので、トータルで10万円も使っていないと思う。
レッツノートR8と以前使っていたFOMAカード。
その後、レットノートを買うようになる。ビジネスマンぽくてカッコいいのと、本を出すようになったので、Wordで長い文章がきちんと打てるモバイルマシンが必要になったのだ。
レッツノートはR2、R4、R8と3台買った。今ではR2は娘が、R4は女房が持っており、私はR8を使っている。R2とR4はヤフオクで購入したのだが、R8は新品。女房が研修で2週間イギリスに行くときにモバイルPCが必要だというので、R4を持たせて自分は堂々とR8を買ったのだ。^o^
このR8は現在のメインマシンで、B5サイズのバッグに入れて毎日持ち歩き、喫茶店その他でのノマドを実践している。写真ではFOMAカードでネット接続しているが、今はWiFiルータを使っている。
最新のJ9もジャケットがカッコよくていいなあと思うのだが、少しだけ大きいこととWindows7なのがハードルになって、またR8が不満なく使えているので、何とか「買ってしまう」のを逃れている。^^;

右からレッツノートR8、LooxU、PM。

ところが2001LXやシグマリオンを使ってきたせいか、レッツノートをメインマシンとしつつも、もっと携帯性に優れる、セカンドバッグやウェストポーチにひょいと入れて持ち歩けるようなサブマシンも欲しくなってきた。
そのタイミングで出たんですねえ、パームトップサイズのモバイルノート。シャープのネットウォーカーと同時期に出た工人舎のPMシリーズをフラフラと購入。これは最初に北海道や沖縄に行ったときに携行していたし、一度はセミナーツアー中にホテルでskype面接に使ったりもした。
このマシン、悪くはないんだけどやはり非力で、また無線LANがすぐ切れたりして実用性はいまいちだった。
そういうときに出たのが富士通のLooxU。これは大き目のウェストバッグなら楽に入る大きさなので、自転車で町に出るときにいつも携える。
LooxU。喫茶店あたりでいろんなことをちょこ
ちょこっとするのにちょうどいい大きさなのだ。
少々パワー不足で、skypeでも時々コマ落ちするのが辛いところなのだが、普通にネットをやっている分には問題ないし、キーボードも普通にタイピングできなくはないので、去年はこれでずいぶん添削をした。
受講生から送られてきた答案をDocuworksファイルにしてZumoDrive上に保存し、これを閲覧してEvernoteでコメントを書き、終わるとGmail本文中にコピペしてそのまま送るという形だが、喫茶店でも公園のベンチでも、ちょっとした空き時間に作業ができるので気持ちがよかった。
自転車での移動が辛い真夏や真冬は自動車移動なのでB5サイズのバッグに入れたレッツノートを持ち歩くが、また季節がよくなったら自転車で出歩くだろうからLooxUの出番だ。
問題は老眼かな。買ったころはまったくな何の不都合も感じなかったが、最近はちょっと辛くなってきた。細かい画面を2時間も見ていると、その後世界がぼんやりしてしまうのだ。年だなあ。^^;

左:Xperia、右:XperiaArc。
モバイルPCに負けず劣らず「気になる存在」なのがスマートフォンとタブレット。
スマホは去年の4月に買ったXperiaを使っているが、もう手放せず、普通のケータイには100%戻れない。
Gmail、Evernote、DropBox、ZumoDriveといった私の主要ツールが全部入っているので、メールやスケジュールチェックも含めてかなりのことができる。
さらに通常のネットやニュースの閲覧(新聞がほぼ不要)、移動中のナビ、写真・動画・音声記録、電車確認等、かなり万能ツール状態になっている。
ただ、バージョンアップを繰り返してXperiaの動作がかなりもっさりしてきた。さくさく動くマシンに替えたいのだが、とりあえず1年は使わないと違約金が高くつくので4月までガマン・・・・と思っている。
XperiaArcを買う気になっていたのだけれど、NECカシオから出たMEDIASも薄くていいなあ。正直ちょっと迷っている。
aPad。Andoroid2.1、静電方式タッチパネル。
タブレットはずっと模様眺めである。
試しに中華パッドを買ったけれど、メール、簡単なブラウズ、PDFファイルビューはまあOKなものの、それ以上のことはムリ。フロントカメラがついているのでskypeができるじゃん!と思ったのだけれど、インストールで何度もコケ、なんとかインストールできたものの、今度はサインインから先に進まない(すぐマシン自体がリセットする)ので、まあ使えない。DropBoxもファイルがまともに表示されず、Evernoteも不安定。
まあ実用レベルを期待して買っていないし、去年の模擬面接でさんざんPDFビュアーとして使ったから、次のタブレットを買ったら即ヤフオク行きだろう。
Smartiaには心動くが、タッチパネルが抵抗膜なのが気に入らない。それにAndroid2.1だし。
Life Touch Note。2番機に期待かな。
やっぱりWiFiのみ、7インチのAndroid2.3か3.0のタブレットが出るのを待とう・・・・と思っていたところへ、モバイルギアの流れを汲むスマートブック「LifeTouch NOTE」が発表された。これにはぐらぐらっときましたね。
ソニーのバイオPに近いサイズらしいが、私にとっては「ネオ・モバイルギア」という感じだ。
もうこうなったらノートPCとどこが違うの?という感じなのだけれど、現実問題、タブレットって手で持って使うことってどれだけあるんだろうと考えてしまった。徒歩と電車が常の移動手段であれば、立ったまま操作してメールを見たりブラウズしたりするだろうけれど、地方在住の私は、タブレットを手で持って使うのは電子書籍を読むときくらいではなかろうか?という気もする。
ということで、この「スマートノート」は気になる存在だ。これでskypeもできたら買うかも。
こうしてみると、タブレットが一番心騒ぐ、心穏やかならぬ「気になる存在」なのだろうなと思う。

Readerポケットエディション。気軽に読書できる。
電子モノとしてはブックリーダーも「気になる存在」である。
ソニーのReaderは実にごきげんだ。今は読書場所がベッドやコタツの中に限定されている(喫茶店ではもっぱらレッツノートの出番になっている。つまり喫茶店タイムを雑事を片付けたりするのに使っているのだ)が、ツアーに出たら手放せないものになるだろう。
雑誌の扱いが今の「どんどん購入、パラ読みしてどんどんストック、時々裁断スキャンして廃棄」である限り、Readerだけでも特に問題はないのだが、雑誌がほとんど電子出版されるようになってくると、それ用のリーダーも必要になってくるかもしれない。ただ、雑誌は電子書籍リーダー向きなのかなあという気もするけど。
ということで、電子書籍リーダーについては目下のところReaderが「トドメの存在」なので、心穏やかにすごせている。

尾道で買った帆布のビジネスバッグ。
春からのセミナーツアーに携行します。
カバンもずっと「気になる存在」だったのだが、尾道帆布のビジネスバッグを買ったので、ちょっと「燃え尽き」感がある。やっぱりある程度値の張るものを買うと、それが「トドメの存在」になって、以後はブレーキがかかるね。
でもA3サイズ超のバッグが2つ、B4くらいのものが5つ、もっと小さなのが3つくらいあるから、まあたくさん買ったものだ。それも安物ばかり。^^;
今はB5サイズのバッグがお気に入りで、これにレッツノートその他を入れて動いているのだが、ツアーに出るとなると着替えも入れないといけないから、帆布バッグの出番となる。
これにレッツノートと最小限の着替えを入れて、LooxUや小物を入れたウェストバッグと併せ持ってツアーを敢行しようと思っている。

こうしてみるとほとんどがデジタルガジェットだが、私は「服」「家具」「車」「バイク」「オーディオビデオ」などにはあまり興味がないようで、値の張るものといえばパソコンくらいという、非常にエコな存在になっている。服はともかく、車やバイクなんぞに懲りだすとそのために働くような人生を送ってしまいかねないのからね。
オーディオビデオも行くところに行くとすごいし。私の「気になる存在」で行くところに行くとすごいのはカバンくらいのものでしょう。
果てしないのには「骨董」「絵画」なんてのもあるな。果てしない上に家庭的にも大変リスクの高いジャンルだ。
実は「自転車」にも若干の興味があるのだが、のめりこむ年ではないので、あまり心配はしていない。むしろ年齢・体力的な理由で電動アシスト自転車に手を出すくらいだろう。^o^;
民族楽器各種。
あ、「楽器」というのもあった。
ギターを何本も持っているけどマーチンなんてものはなく、一番高くでも数万円。
変り種としては民族楽器のコレクションがある。中国、東南アジア、中東、アフリカ、南アメリカなどの楽器がごろごろしているのだが、これらは全部ヤフオクで買い集めたもので、高いものでも2万円程度。実は2尺2寸(直径66cm)の大太鼓なんてのもあるのだが、これとて4万円ちょっと。この金額を高いと思うか安いと思うかは価値観次第だけれど、おそらくコレクション全部で20万円もかけていないだろうと思うから、かなり安物買いなのだ。
これを集めていたのはもう7~8年も前ではないかと思う。今はすっかり熱も冷めてしまった。凝り性な上、すぐに熱が冷めては次の対象に興味が移ってしまうのも困ったところで、結果として家の中がガラクタだらけになってくるのだ。^^;
楽器はもう腹いっぱい、モバイルPCもレッツノートでそこそこ満腹感、カバンも尾道帆布で一段落、ということで、次はきっとタブレットPCを買ってしまって、嬉々としてセミナーツアーなんかに持ち歩くようになると思うよ。

2011年2月24日木曜日

ソーダサイフォン、デビュー^^

2月の木曜会。今日はオープンして1ヶ月もたっていないハンバーグの店で。
相変わらずワイワイと気の置けない連中と楽しい夜を過ごしたのだけれど、今回は泣く子も黙る必殺必死のソーダサイフォンを持っていきました。写真の真ん中に写っております。
今日の中身は水ではなくワイン。これに炭酸ガスをぶちこめばスパークリングワインになるんじゃないかという実験をやってみたのです。
うーん、微妙にスパークリング。栓を抜いて冷蔵庫で2晩おいたあとのスパークリングっぽい。
でも、飲み会のネタ、パーティーグッズとしては申し分なし。それがわかっただけで非常にハッピーな私でありました。

今日は昨日からの続きでグランドデザイン関係でちょっと根をつめた1日だったこともあって、頭のリフレッシュが欲しかったところだったので、本当に頭を揉み解してもらっている感じで、ありがたかった。
酒でブドウ糖も補充できたし(できるかっ!)、明日からまたやったろかい的パワーをもらいました。

2011年2月23日水曜日

ブドウ糖をくれ

NPO関係で1日バタバタと過ごした。午前中、近くの小学校でイベントに関して打ち合わせ。

終わってから土手を走っていると、本当にぽかぽかと暖かく、コートを脱ぎ、さらに窓を少し開けて走ってちょうどいいほどだ。見渡す田んぼから山にかけても雪が消え、春の陽気だ。
しかしこういう2月が暖かい年は3月初旬に「寒の戻り」が来る。それも3月2日の「お水送り」に絡むと相場が決まっているから始末が悪い。でもそれが終わったら春だ。

あわただしく昼食をとり、自宅に戻って書類整理をしていたらもう時間がない。市役所でボランティアセンター引越しのちょっとした段取りをして、観光局へ。それから午後10時までず~~~~っと観光局。
グランドデザインについてあれこれ考え、KJをやり、それをまとめていたのだが、「長時間頭を動かしすぎてブドウ糖が欠乏気味」という状態をセミナー以外で味わったのは久しぶりだ。
だけどここががんばりどころ。市役所職員もNPOも民間も関係なく一緒に一生懸命考え、意見をぶつけ合う密度の濃い時間が過ごせたのは、疲れがいがあるというものだ。
終わってから居酒屋へ。ってもう午後10時過ぎなんだけど。50歳のおっさんの食生活としてはありえないんだけど。
なーんて言いながら、今日もうまい魚を日本酒で楽しんだ幸せな私でありました。^^

2011年2月22日火曜日

ソーダサイフォンだそーだ

へへへ、ちょっといいものを買っちゃったよ~ん。(「よ~ん」って、50すぎたオッサンが使うか?と自分でも少しあきれる)

ソーダサイフォンである。容量1リットルである。ふふふ、何をするものかわかるかな?

 まず冷水を注ぐ。水は冷えていたほうがよい。4度程度が一番よいらしい。1リットルたっぷり注ぐ。

 次に炭酸バルブをホルダーにセットする。ホルダーを本体にねじ込むと、「ぶしゅっ」と音がして、圧縮された炭酸ガスがタンクの中に充満する。そしてタンクを数回振る。

こうしてノズルのレバーを押すと、炭酸水が出てくるのですよ。これでハイボールが作れるわけですね。えへへ、嬉しいなあ。(って、ただのうわばみおやじか?)
炭酸バルブは1個100円以下、私が買ったのは1個75円ほど。これでソーダ水1リットルが作れるわけなので、これはおトク。
ちょっと弱めの炭酸だけれど、それだけで美味くなるものですねえ。嬉しさのあまり、1/3ほど残っていた角瓶を空けてしまったCEPAでした。ひっく。(#^o^)ゞ

2011年2月21日月曜日

SUKIYAKI民族大移動

5月に予定している沖縄セミナーと北海道セミナーの、SUKIYAKI塾派遣講師の陣容と往路帰路行程を一気に詰めた。
沖縄へは、北海道から3名(うち1名自費)、東京から2名(うち1名自費)、高知から2名(うち1名自費)、そして私の合計8名が「押し寄せる」。でいごの会のみんな、大勢ですまん。
北海道へは、沖縄から2名、東京から1名、高知から1名、そして私の5名。全員女満別空港に集結。知床さん、よろしくお願いね。

いやあ、大人数ですなあ。民族大移動って感じだ。・・・・ちょっと誰?知床世界遺産さんの「ひとり民族大移動」って言ってるのは?
ともかく講師の皆さんには密度の濃い分野別セミナーをやってほしいと思うし、講師の皆さん自身もぜひ「違う土地」を大いに見聞して大いに感じていただきたい。

私は、今回の沖縄では1日余裕を取った。ゆめたくさんの配慮で、これまでよりもう少し深く文化に触れてみたいと思ったのだ。
北海道のほうは、小浜シカ牧場軍団を連れて行きたいと思っている。1年半前には「知床行ってこんなん見てきた」という「話の種」程度に思われていたのが、あと一歩で実現というところにきている。ここが大事だ。
実は北海道セミナーのあと、電車で青函トンネルを通り、津軽・下北を見て「はやぶさ」で仙台へ、みたいな企みも持っていたのだが、警察ボランティアの絡みで北海道のあと四国に飛ぶことにしたので、その楽しみは来年に回すことにした。

ともかく久々に飛行機の予約をいっぱいしたら疲れた。
ホテルもいっぱい予約した。
ふと見ると、楽天トラベルの私の予約件数は39件だった。この中には派遣講師一人一人の分も入っているのだけれど、それにしてもアホや。^^;

今日の夕食は再びふきのとうの天ぷら。我が家の裏庭に生えていたのを母が積んできて天ぷらにしてくれた。美味い。

2011年2月20日日曜日

遥かなる技術

小浜城のパンフレット編集をしている時に、近所に住む郵便関連を中心に骨董品のコレクションをしている人と知り合いになったので、小浜市の文化遺産担当者達と一緒に、コレクションを見せてもらいに行った。
個人コレクションなので写真を掲載したりはできないが、とにかく圧巻であった。
特に、郵便事業のはじまりに関する話を聞き、欧米列強に囲まれた中で国の体制を変え、貧しい中で急速なインフラ整備を整えた明治の官僚の仕事にも大いに感じ入るところがあった。「省益」なんぞを最優先にする現代官僚(もちろんそんな輩は一部にすぎないだろうが)との圧倒的な違いは何なのだろう。
また人力車の松葉ばねや鉄の輪をはめこんだ車輪などの職人技術、現代工学にもできない高度な技術・スキルにまた驚く。
「人の力」は現代において低下してしまっているのだろうか、あるいは能力が発揮される分野が変化しただけなのだろうか。プロとしての「研ぎ澄まされた感性」などというものは、今のエンジニアには不要なものなのだろうか。だとするとちょっと寂しいけれど。


夕食はフキノトウの天ぷら、カレイの煮つけと高野豆腐、ネギと豆腐の味噌汁、ご飯。
天ぷらに塩をつけてサクッと食べると春の息吹が鼻腔いっぱいに広がってもう最高。カレイの煮付けも最高。味噌汁もネギと豆腐の味噌汁が一番好きだ。

2011年2月19日土曜日

海に近い村

午後、阿納という集落の民宿で警察協助員会の研修会。

若狭地方の(おそらく若狭地方だけでないと思うが)漁村は、集落内からいくつかの道が海に向かって伸び、それぞれが浜に出て終わる、櫛の歯のような道路配置になっている。
ところが漁村というのは海沿いの狭い平野にひしめきあって立地しているため、近代的な道路を通そうと思っても土地がない。
結果、集落と海の間に海岸道路みたいなものを通すことになって、それは漁港の物流にもプラスになるし、海水浴客も便利がよくなるので、いいことずくめ・・・・のはずなのだが、結果として人々の生活圏と海が分断されることにもなったりする。
そんな中でこの阿納集落は、その両隣に他の集落があるのではなく、行き止まりの場所にあることなどの立地条件から、海岸道路が作られずに集落からそのまま浜に出られる残り少ない集落である。
さらにこの集落はほとんどの家が民宿を営んでいてサラリーマンが少ないので、みんなの生活リズムが同じだ。だから神社祭礼を平日でも行うことができる、残り少ない集落でもある。

民宿が海沿いに立ち並び、その軒先はすぐに浜、そして海。
こういうところで美味いふぐなど食べながらゆったりと酒を酌み交わす。道路がないから音がしない。聞こえるのは打ち寄せる波の音だけ。
このゼイタクを知っているのは、SUKIYAKI塾では勘介さん、バイアさん、ラガーマンさんご夫婦、知床世界遺産さん。同じところで今度はすごろくさんに味わってもらいます。

今日は研修会の後で懇親会。
不覚にも写真を撮るのを忘れたが、コリコリした刺身が絶妙。他の土地に行くと、本当に美味しいものがいっぱいあるのだけれど、腹いっぱいになってもまだ美味しいと思いながら食べ続けられるのは、やはり私が食べて育った地元の食だからだろう。
9時前にお開きとなったので、少し酔い覚ましに浜を散歩しようか・・・・と思ったけど、さすがに寒いのでやめた。
3月くらいになると気持ちよく散歩できるだろうな。楽しみだ。

2011年2月18日金曜日

小浜湾の風景

16日はすごくいい天気だったので、午前中いろんな用事を片付ける合間に、ちょっと海のほうへ行ってみた。
海に直接落ち込む急斜面にへばりつくように道路が走っていて、市街地の西の端からこの道路を少し行くと通称「高成寺裏」(「浦」かな?)という小さな浜が岩磯の間にあるところに出る。高成寺という大きなお寺があって、その裏山を越えたところの海岸だ。

この浜を見下ろせ、小浜湾が一望できる高台は展望台みたいになっていて、車で直接やって来れて数台程度止められる駐車スペースもあるので、ここで気持ちよく昼寝している人もいる。
岩磯の間に小さな浜が3つある。中学生のころ、夏休みには毎日のように泳ぎに来ていた浜だ。
手前から一の浜、二の浜、三の浜と呼んでいた。
一の浜は粗い砂~砂利。道路から降りてすぐの浜なので人が多く、浜茶屋が出ていたこともあった。コーラが1本200円のバカ高値だったが、喉の渇きに負けて買い、敗北感の中で飲んだものだ。写真真ん中の右下に小さな岩が2つ海から顔を出しているが、ここが飛び込み台になっていた。
二の浜は一番狭く、砂利浜。写真では岩の出っ張りの陰に隠れて見えない。なぜかここは波が荒く、水も冷たかった。
奥のほうに見えているのが三の浜。一番砂が細かく、一番広いのだが当時は遊歩道もなくてここまで来る人はあまりおらず、浜を独占している気分になれて一番好きな浜だった。
浜を見下ろしていると、当時のいろんな風景、友達の顔、波に揺られる感覚や潜っているときのカンカンと頭に直接響いているような水の中の音がよみがえってくる。
またこの浜には、真冬になると激しい波が打ち寄せる。それを眺めているのも好きで、よく一人で来てずっと眺めていた。
そういえば、荒れ狂う海を一人で眺めていると、一度ならず「馬鹿なことはやめなさい」と言われた。そんな悲壮感が漂っていたのだろうか。

この高台にはお地蔵様があるのだが、市街地から毎日歩いてきて掃除し花を供えて帰る人(人たち?)がいる。冬には写真のように菰を巻いてお地蔵様が寒くないようにしている。
小浜の人たちはお地蔵様を大事にしていて、まちなかにもたくさんお地蔵様があるが、当番を決めたりしてきちんとお世話をしている。こういう素敵さはもっといろんな人に伝えたいなあと思うのだ。
実はこのお地蔵様のすぐ横から、かつて北朝鮮に拉致された地村さん達が海まで引きずりおろされている。人の善意だけが感じられるような平和そのものの風景と、とんでもない邪悪な人の行いを、同じ場所に重ね合わせてイメージすることは本当にむずかしい。

視点を上げて見渡せば、小浜市街から小浜湾が一望できる。
市街地のほうをみると、海のすぐ後ろに山が控える。海から山まで1kmもない、狭く横に伸びた平地に集まって暮らしている。
ちなみに古い市街地は海岸砂州の上に成立しており、砂州と山の間がラグーンみたいな入り江になって、ここに港を擁して若狭国がずっと栄えてきた。
古くは中国・朝鮮半島から日本の朝廷に向かう人々が入港し、近世では千石船がやってきた。
川が流入するため水深が浅い小浜湾は、明治以降の船舶大型化の中で港湾価値を減じ、やがて歴史の中心から外れていく。しかしそれが古いまちなみと素朴な人々の暮らしを守ってきたともいえる。

市街地から左へぐるっと見渡すと小浜湾を一望できる。
小浜湾は、東から内外海半島、西から大島半島という、いずれも長さ10kmに満たない小さな2つの半島がハの字を描くように張り出して、包み込むようにして小浜湾を囲んでいる。
このため小浜湾は入り口が狭く奥に広がる袋状の波静かな湾になっている。日本海から津波がやってきても安心なのだ。
内外海半島の主峰・久須夜岳は標高620mほど。これでも若狭地方では高いほうだ。この裏側に名勝・蘇洞門がある。市街地にいると、この山がだいたい北の方角の目印になる。また冬には雪が降る前にまずこの山に雪雲がかかる。「久須夜が見えないから雪が降る」というわけだ。

その左側、小浜湾の入り口。
幅は2kmほどしかなく、ここからしか外海は見えない。ぱっと見ると湖のような小浜湾の光景なのだ。ちなみに小浜湾の奥のほうでは幅10km以上になる。
小浜湾の外側には若狭湾があって、その先に日本海が広がる。つまり小浜は二重の湾の奥にいるわけだ。
若狭湾は本州のまんなかあたりにあるので、寒流の魚も暖流の魚もやってくる。いろんな魚が獲れる豊かな海だが、同時に四季を通じて食を提供してもくれる。小浜が「御食国」(みけつくに)として朝廷・都に食材を提供し続けてこれた所以だ。そしてそれは、飢饉になったことがない気前のよい自然のもとで、おだやかな住民気質を育ててきたともいえるし、文化を守ってきたともいえるのではないだろうか。

さらに左には大島半島。この先端(写真では右端)に関西電力大飯原子力発電所がある。
かつては船でしか渡れない陸の孤島だったが、この原発建設に伴って橋と道路が作られ、住民はすごく豊かになった。大飯町は全国有数の豊かな(補助金などへの財政依存の少ない)自治体になり、独居老人も含めた全世帯にCATVとともにブロードバンドが無料で敷設された。
地質学的にも面白い半島で、大部分が超塩基性岩からなり、オフィオライト、つまり地球の地殻がめくれ上がって地表に飛び出したものだと言われている(と思う。最近地質学に疎いので・・・・^^;)。この大島半島には、「ニソの森」も多く残されている。常緑樹の森の中に小さな祠がひっそりと祀られ、禁足の地が保たれていたのだが、近年激減しているという。

いつも見慣れた光景だけれど、ほんの数分の時間をとって時間の動きを緩やかにし、心をなだらかにしてゆったり見渡してみると、様々なことが思い浮かんでくる。
きっとどんな土地にもこういう光景と物語があるのだろう。旅に出るとそういうものの片鱗に出会うのが楽しみでもある。

2011年2月17日木曜日

鹿肉うますぎ

先月に引き続き、またまた「鹿肉を食する会」を開催。前回「猪鹿蝶」を上回る16名参加。
ピッコロ王子渾身の作を見ていただこう。

「さばくんピザ」。小浜グルメフェスタ優勝作。
鹿肉じゃが。前回よりどんと美味い。
前回も絶賛だったステーキ。今回も絶賛。
甘鯛(ぐじ)の若狭焼き風カラスミソース。
パスタ。鹿肉の生ハムと地元トマトのソースが絶妙。
スズキのパスタ。そろそろ腹いっぱい。
鹿肉のしぐれにトマトソースを加えて。これも美味い。
いやあ、大満足です。ワインもいっぱいいただいた。
自信を持って誰にでもお勧めできる鹿肉料理です。^o^/

で、食事の途中で
「お、そうだ知床世界遺産さんにskypeアクセスしなくっちゃ」
と思ってスマホを取り出しskype起動・・・・って、Xperiaフロントカメラなんかねーし!skype無理だし!
知床世界遺産さんのLYNXもフロントカメラねーし!skype無理だし!
ということで、第1回小浜~斜里skype交流は無残にも中止となったのでした。ToT

2011年2月16日水曜日

きったないオッサン

知床世界遺産さんのブログで、私が去年10月に北見でオホーツク技術士会にお招きいただいたときの写真が掲載されていると紹介されていた。
そこに、「きったないオッサン」と書かれているので、
「えー、どんな顔で写ってるんだろ。この紅顔の美少年が」
と気になっていたのだが、北海道のたずへいさんがメールで送ってくれた。

ああ本当に「きったないオッサン」だなあと思ってよく見たら知床世界遺産さんだった。
記事を読むと、ほとんどブログのノリである。
しかし残念なことにあの必殺のダジャレがない。うーん、ヘンだなあ。きっと食べ過ぎて執筆時におなかが痛かったに違いない。

で、まあこれが真正「きったないオッサン」である。ほっといてんか。
まあ写真はともかくとして、私の講演内容を紹介した記事を書いていてくださっているのだが、これを読むと、とてつもなく高尚な講演のように書いてあるので驚いた。
ただの漫談をここまで書かれると本人としては果てしなくテレてしまうのだが・・・・

懇親会の写真もあった。手前にぼうずさんのうしろあたま。その横にあつ@都市計画さん。その向こうに実物は大きく写真では小さく知床世界遺産さん。真ん中やや左に小さく私。
懐かしく北見の夜が思い出されてきた。
雄武町、北見市と回ったのだけれど、今思うと心残りだったのは、昼間にぶらぶらまち歩きをする時間がなかったことかな。まちの空気というか、暮らしのにおいみたいなものを感じながら歩くのが好きなのだ。
旅人の時間を過ごすゆったりしたツアーをしたいと思いつつ、いつも何かをスケジュールの隙間に押し込んでしまうマグロ男なのでした。

2011年2月15日火曜日

なんか違うような

昨日はバレンタインデーだった。
帰宅して夕飯を食べ、コタツでうたたねしていると、遅く帰ってきた女房が
「食べる?」
というので、「お、チョコか?」と思って少し弾んだ高めの声で「ありがと」と言って起き上がってみると、一口サイズのスポンジケーキだった。
「ん?」
と思いつつスポンジケーキをもそもそ食べる私の横で、女房は私がもらってきて置いてあったチョコを食べていた。
・・・・なんだかわけがわからんのですが。(ーー;)

2011年2月14日月曜日

いろんなところで雪が

今日はえらく冷え込んだなあと思っていたら、夕方近くになってどわーっと雪が降ってきた。

といっても積もるほどじゃないんだけど。
だけど今日は冬型だったかなあと思って天気図を見るとヘンな気圧配置だ。
ちょっといろんなところをライブカメラを見て回ったら、なんだか今日はとんでもないところで雪が降っているようだ。

徳島県阿南市

愛媛県松山市(三坂峠付近)

三重県鈴鹿峠。なんじゃこりゃ。

岡山県四十曲峠

広島県奥の迫

山口県徳地IC
どうも気圧配置は冬型ではないんだけれど、寒気がどーんと下がってきているため、太平洋の低気圧が悪さをして雪を降らせているらしい。どんな冬型やねん。
夕方、合格答案実例集の仮完成版のアップロードと提供者への配布。さらに夜、小浜城パンフの念稿があがってきたので最終チェック。
これでまあ一段落なので、サイトへの過去問題アップロードをできるだけ早くやろう。いつもこの過去問題アップロードが後手に回ってしまうので、今年はできるだけ早めに。

寒いので早めに風呂に入り、今日は久々にベッドでぬくぬくとリーダーを読むことにする。ウィスキーをちびちびやりながら読書タイムが持てるというのは、それはそれでシアワセなものなのだなあと思う。

2011年2月13日日曜日

私は鮪

午後から出勤し、仕事のほうが一段落。(だといいけど(^^;)。自分自身が実務をやる立場ではなくなると、なんとももどかしいものだ)
小浜城パンフレットも最終稿訂正が終わり、あとは科学教育補助の申請のみになった。やれやれである。

その合間、5月のセミナー行程をあれこれいじっていた。沖縄から帰ってきてからの数日と、5月末から6月5日の仙台セミナーの間の数日がまだ余裕があるのだ。
とりあえず「まだ行ったことのない県」に行こうと思い、鹿児島にセミナーをひとつ入れてみた。
別に日程を全部詰めなくてもいいのだけれど、小浜に帰ってきてもすぐにまた出発なので、それなら出先での移動距離を抑えつつオフ日など入れたほうがずっと楽なのだ。
札幌が終わったあと、電車で青函トンネルを通って津軽下北と回ったりするのも素敵だなあ・・・・とかなんとか言いながら、「希望があれば行きますよ」みたいなことを書いた私はやっぱり泳ぎ続けるマグロなんだろうなあ。

しかし、考えてみれば3ヶ月以上先の予定なんだなあと、ふとわれに返って呆れる。
年末にちらほら予定が入りだし、1月末には4月の予定は決定し、2月上旬には5月もほぼ詰まるという状態で、これは何よりもまずありがたいのだけれど、何ともせわしい気もする。
そういえば、昨年も岩手県の某協会のほうからオファーがあり、もう予定が詰まっていると返事したら「じゃあ、来年5月ならいいですね」と言われた。だから今年5月の予定が詰まりだしたときにその協会にメールしたのだが返事がないまま今に至ってしまった。「もういらねーよ」ということなのだろうけれど、まあちゃんと覚えててメールだけは出したということで勘弁してもらおう。
地元福井県からも昨年3月下旬に5月のオファーをもらったけれど、それはもう到底無理だったので申し訳なくもお断りした。「2ヶ月前に企画する」のは決して遅くはなくて、こっちがヘンなのかもしれないけれど・・・・

今日はちょっと早く寝よう。

2011年2月12日土曜日

レグザホンにクラッ

晴れたり曇ったり、まずまずの天気だったのだが、ほぼ1日自宅でオンライン出版(合格答案実例集)の編集。まったくいい天気の日に家にこもって仕事をするほどもったいない気持ちになることはない。

夜、みつこ・えつこと食事。2人にはいろいろと世話になっているので、たまにはお礼を。
みつこはいつの間にやら知床世界遺産さんになにやらお願いをしているみたいで、抜け目のないやつである。
みそ焼きピザなるものに舌鼓を打っている最中に広島のM委員長よりTEL。なにやら騒がしくてよくわからないうちに、「★○♪※さんにかわります」と言って、何やらアヤシゲな人物に代わった。
バイアさんであった。おお、前回の四国に続いてついに広島にも進出したか。きっと各地のうまい酒とうまい食い物を楽しんでいるのであろう。いいなぁ。
広島には今のところ4月にバタバタと半日だけ立ち寄ってセミナーをする予定だが、できたら6月にまた行きたいものだ。

みつこが新しいスマホを買っていて、しきりに見せびらかす。レグザホンだ。防水、おサイフ、ワンセグなどのガラケー機能満載だが、何より新しいだけあって動きがサクサクしている。私のXperiaと同じアンドロイド2.1なのだが、レスポンスがぜんぜん違う。
XperiaはもともとTimeScapeなどのソフトがネックでもっさりしていると言われていたが、何よりアンドロイド1.6でチューンしたマシンを無理に2.1で使い、さらにマルチタッチにまで無理無理対応しているのが効いているのだと思う。少なくとも私のXperiaは、2.1にバージョンアップしたころから明らかに動きが遅くなった。
うーん、いいなあ。それでなくても、今日は女房につきあってドコモショップに行き、改めてゆっくりGalaxyTabを触って、わがaPadとのレスポンスの違いに愕然としていたのだ。
いいなあと思うが、そうそう買い換えてばかりいられないので、せめてアンドロイド2.3が出るまで、もうちょっとだけガマンしよう。

11時前に帰宅し、風呂に入って再び編集の続き。総監を残してひととおり何とか終わった。
今回は膨大な事例が集まった。建設一般に至っては100事例を超えたし、鋼構造コンクリートや施工計画、建設環境などは30事例かそれ以上、道路は50事例以上の答案が集まった。
数が多ければいいというものではないが、記述式試験というのは「唯一の正解」があるものではないから、やはり多くの答案例(それも合格実例)は役に立つのではないかと思う。
そしてこの収益がSUKIYAKI塾の講師派遣事業の原資になると思うと、やはりインセンティブはでかい。
もう少し、なんとかこの3連休の間に仕上げて、答案提供者に最終確認、月末か3月初旬には刊行したいものだ。

2011年2月11日金曜日

楽あれば

雪が降るようなことを言っていたのだが陽光あふれる天気となった。

雪もずいぶんとけて、地面が見えるようになってきた。このまま春になってくれると言うことなしなのだが、そうはいくまい。
今日は仕事で出社していたのだが、冬の間にこういういういい天気はあまりないので、合間をみてちょこっとだけドライブ。本当は自転車でうろうろしたいのだが・・・・

この3連休は、
①仕事
②小浜城パンフレット仕上げ
③科学教育補助申請書類
④オンライン書籍(筆記試験合格答案実例集)編集
の優先順位で仕上げなくてはならない。デッドラインの迫っている順なのだが、一番気乗りするのが③、一番気乗りしないのが①だ。^o^;

③はなんといってもワクワクするし夢がある。
今年の目玉は、水産高校の実習船(約500トン)に乗って日本海に出て、さえぎるものも町の光もない海の上で溢れる星空を眺め、LED工作した仕掛けでイカを釣って食べ、船の中で寝て翌日帰ってくるというものだ。子ども以上に自分が乗って体験したくでウズウズするのだが、残念無念なことにセミナーツアーで佐賀~大分と移動する日しか船が空いていないので、今年は他のスタッフに任せることにした。うーん、乗りたかったよぉ~。
あと、ロケット発射体験もたくらんでいる。金額的に補助金の枠内に入れば、子どもたちと一緒にドカーンと200mほどロケットを打ち上げたい。
・・・・なんて楽しいことを考えつつ目の前の仕事をとにかく片付けている。なんだか、夏休みの間おもいっきり遊ぶために7月のうちにまとめて宿題をやっている子どものような気分なのだ。^^;

2011年2月10日木曜日

火起こしとナイフ


今日はちょっと長くなります。
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宮崎駿が「テレビ、ゲーム、携帯が子供たちから力を奪っている。火のおこし方、ナイフの使い方を教えるべき」という主旨のことを語っている記事があった。(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1595701.html

私はGoogleリーダーでニュースを拾っているが、その中に「痛いニュース」というのも登録してあって、ニュースに対する突込みが何とも笑えるので息抜き代わりに見ている。その中にあった記事だ。
この記事に対するコメントがいっぱい付いているのだが、いかにもだなあと思う「匿名性の影から放つ不必要に罵倒するコメント」が並ぶ中を透かして見ると、「火起こしなんて何の役に立つんだ」「戦前の人でもできんぞ」「ナイフなんか持ち歩いたら捕まるわ」みたいなものが案の定多い中に、「同意」というコメントも目に付く。また、「デジタルを嫌わなければ同意」みたいなコメントもあった。

まあこういう議論を見ていると「火起こし」「ナイフ」という「例えば」が「例えば」だと理解できない人が多いんだなあと改めて認識するのだけれど、まあそういう「外で自分の力で何かができる能力」とか「自然を体で理解していること」みたいな能力は確かに必要だと思う。
「テレビ、ゲーム、携帯が子供たちから力を奪っている」というのが、デジタルと野生力みたいなものを相容れないものとして前者を否定しているのか、デジタルに時間を費やす分だけ野生力が減っているという意味なのか、これは記事からは読み取れないのだけれど、私は両者は相容れないものだとは思わない。

少なくとも私は火起こしもできるしナイフの使い方もけっこう自信がある。これはあくまで「たとえば」なのだけれど、野生力みたいなロビンソンクルーソー的な状況で生きる力としては、釣りを除いて平均以上に持っているという自負がある。(子どものころ、護岸をごみだらけにする傍若無人な釣り人を見てきたからだろうか、どうも釣りが好きになれない)
でも、そのためにデジタルと相反的選択をしたかというと、そんなことはない。実感として、デジタルとアナログが共存している。

火起こしもナイフも体で覚えなければならないものだけれど、そこにはやはりロジックがある。火起こしは、回す棒とそれを受ける板の硬さが重要で、柔らかい材質の板に対して、やや硬い棒を回す。棒は芯の部分が柔らかいほうがいい。
棒と板をこすりあわせて摩擦が激しくなると、板も棒も削られて焦げた木くずが出る。この焦げた木くずが、板に切り込んだV字状の溝にたまって熱がこもり、やがて火種ができるのだが、板のほうが柔らかくないと木くずがうまく出ない。また棒が硬すぎると板との接触面が円滑になりすぎて摩擦があまり起こらなくなる。さらに棒の芯が硬いと、棒が鉛筆をけずったみたいにとんがってきて、板の中にもぐりこんでしまって木くずがうまく溝に落ちない。
だから私は板には杉を、棒には篠竹を使うのだが、これは経験とロジックが合わさって到達した結論だ。
火種を炎にするためにはガマの穂とススキの穂を使うが、火種を大きくするために使うガマの穂は、要は脂のしみこんだ細かい繊維があればいいので、脱脂前の綿でもいい。火種を炎にするのに使うススキの穂は、今度は脂のない、ガマの穂より少し粗い繊維がいいので、麻ヒモをほぐしたものなどでもいい。こういう「応用」はロジックがあればこそだと思う。ロジックなしの経験だけだと、代用品は思いつかないからね。
さらにいえば、カリウムの触媒作用を利用するとさらに簡単に火がつくから、たとえばガマの穂でもススキの穂でも麻でも脱脂綿でもティッシュでもいいから、カリウム溶液をしみこませて乾かせば、最初の火種から一気に炎に持っていけるはずだ。カリウム溶液の代表例は灰汁だし、これを応用したのが江戸時代の火打石だ。(ガマの穂を灰汁で煮ることで、カリウムがたっぷり付くので、ひとつまみのガマの穂に、石と鉄を打ち合わせて出る火花を落とすだけで火種となる。リンを使うとさらに効果的で、摩擦だけで一気に炎になる。つまりマッチだ)
もちろん本当に火を起こすためには棒の回し方や息の吹きかけ方など、理屈抜きに身に着けないといけないものがある。経験というかトレーニングが必要なわけだが、これが「いかにたくさん外で遊んだか」みたいなものになるわけですね。
ナイフだって、てこの原理を理解していると早くうまく使えるようになる。もちろん力のかけかたや上手な研ぎ方を会得するためにはトレーニングが必要だ。

いっぽうデジタルもロジックだけの世界ではない。
ゲームでもアニメでも、心を打つ魅力がないと受け入れられない。それはテレビドラマもそうだし、本もそうだ。心が感動し、想像力やら歓喜やら憐憫やら怒りやら、とにかく心のいろんなスイッチを次々と押してくれるコンテンツは多くの人に受け入れられる。つまりヒットする。
違いがあるとすれば、メディアの違いだけではなかろうか。
ゲームの中毒性がいわれることがあるが、それは「本の虫」とどう違うのか。パソコンやネットにハマりすぎると「廃人」になる、つまり社会不適合を起こすというけれど、ナイフにハマりすぎるとどうか。サバイバル生活にハマりすぎると社会不適合を起こさないのか。
それはバランスのよい生活をするという基本的な教育を親ができていないというだけのことではないのか。
リセットできるゲームに逃避するというけれど、それは「実生活は辛く悲しいけれど、本の中では私は王女様」というメルメンとどう違うのか。

ケータイという手軽なコミュニケーションツールを使って延々とおしゃべりしているのは、道端で延々とおしゃべりするオバサンや娘たちとどう違うのか。
目にもとまらぬ速さでソロバンの玉を弾いて脳みそフル回転で計算を解いていく人と、「どんな計算処理をしたらいいのか」というイメージをアルゴリズムにするりと置き換えながら、考えていることを言葉にするようにしてキーボードからソースコードを打ち込んでいく人と、どう違うのか。(わかりにくいか^^;)


もちろん違いはあると思う。程度の差とか刺激量の差とか、「テレビは部屋を明るくして離れて見てね」とか。でもそれは本質的な違いだろうか。メディアの特性の違いだけではないだろうか。
まあつまり何が言いたいかというと、デジタルを楽しんだり活用したりすることも、火起こしやナイフ加工みたいな思いっきりアナログなツールを使いこなすことも、全部人間がやっていることで、そこにはロジックとトレーニング(形式知と暗黙知といってもいいかな)が必要なんだから、それらは相容れないものではないんじゃないかということだ。パソコンもナイフも生身の人間にはできないことを実現してくれるツールである点は同じだとうことだ。

なんか
「デジタルは便利だけどあまりのめり込んじゃいけないよ、アナログは不便だけど使えなきゃいけないよ」
「デジタルは人間の能力を低下させてアナログは強化するよ」
みたいな価値観が蔓延しているようであまり面白くないのである。
私は今こうやって文章を書いているが、デジタルゆえの良さも間違いなくある。紙と鉛筆だと修正や切り張りが簡単にはできないから、「考えながら書く」のではなく「考えて文章にしてから書く」ほうに流れるけれど、パソコンだと考えると同時に打ち込んで、また考えながら修正して切り張りして・・・・ということができるから、「考えること」に関してはずっと自由になったと思う。
アウトドア活動にしても、ネットでいろんな情報が手に入るから、最初のハードルが低くなって、いろんなことに挑戦できるようになったと思う。

プログラミングするときは、「何をしたいのか」という目的をいかにして実現するかが命題なのだが、最初に「こうしたらいいんじゃね?」という「見通し」がなんとなく見える。カンといってもいいかもしれないし洞察力といってもいいかもしれない。
この「こうしたらいいんじゃね?」ということをまず考えること、そしてそれが的を射ていること、瞬間的にズバリ見通すことは、仕事でもプライベートでも、どんなときでも必要な能力だろうなと思う。
こういう人間の芯のところにある能力、デジタル・アナログ関係なく鍛えるべき能力というのは確かにあって、そのためにパソコンのようなデジタルツールも、ナイフのようなアナログツールも使いこなすべきなんじゃないかなあと思うのである。

で、私は火起こしもナイフも得意で、デジタルも不得意ではないのだけれど、じゃあ私が「まともな、ちゃんとした人間」なのか?と言われるとこれが一番自信がない。^o^;
でも面白い人生だなあとは思う。

2011年2月9日水曜日

赤ひも

昨夜はちょっと飲みすぎた。
モーレツに段取りが悪く行きつ戻りつしている仕事があって、気晴らし(うっぷん晴らし?)にベネフィーカ・Tと飲みに行ったのだが、「やっぱ寒い季節には日本酒でしょ」的にいきなり熱燗から始めた。

「こんな季節に何が「とりあえずビール」やねん。寒いときに冷たいもん飲んであほちゃうか。ぐびっ」
「APECさん通風で飲めないだけでしょ」
「やかましいわい。ぐびっ」
「あー、この苦味がうまいわ」
「あーもう、黙って飲まんかい。ぐびっ」

てな調子でぐびぐび飲んで、また小浜の魚が日本酒に合うので嬉しくなってさらに飲んでいたら、結局お調子を5本か6本空けたような気がする。
幸いにして二日酔いにはならなかったが、翌朝はちょっと辛かった。

冬の魚はどれもうまいが、日本酒にあうのはやはり「赤ひも」だろう。
長さ7~8センチくらいの赤い小魚で、金魚のようにも見える。この干物を焼いて食べるのだが、塩加減が日本酒によく合うのですよ。
そういえば、この冬はまだふぐを食べていない。去年の冬は、勘介さん&バイアさん、ラガーマンさんご夫妻、そして春先に知床世界遺産さん&ラーメンマンさんが小浜に来てくれて、みんな「ひこそう」でふぐを食べてもらったのだが、この冬は一度も食べないままにもう2月になってしまったではないか。
どうも「ひこそう」でふぐを食べてひれ酒を飲まないと冬らしくなくていけない。来月末にはすごろくさんご一行が沖縄から来られるので、そのときはぜひ食べてもらわねば。そして私も食べねば。

・・・・うーむ、完全にのんべの親父のブログになっているぞ。^^;

2011年2月8日火曜日

高齢者ケア

今年に入って女房の両親が相次いで「あんしんマンション」という高齢者施設に入ったのだが、今の高齢者ケア施設・設備というのはすごくなっているなあと感心した。
介護ベッドなどのハードも大変よくなっているが、それよりも高齢者の様々な状態に応じた介護認定からケアに至るシステムやそれに対応した様々な設備・コンテンツの完成度と豊富さに驚いたのだ。
高齢者だからといって特段何らかの施設があるわけではなかった時代から、「老人ホーム」を経て、今のシステムに至っている。もちろんまだまだ改善の余地はあるのかもしれないけれど、こういうところに社会の成熟度を見る思いだ。政治力・経済力・軍事力といった国の強さを支えるものが非常に脆弱になってしまった感の強いこの国だけれど、ひ弱なりにも安定を長く保ってきたからいろいろな制度・システムが発達したのだろう。

こういった高齢者ケアの様々なコンテンツは確かに「付加価値商品」として海外に売ったり、観光資源にさえなったりするのだろう。
もう6年前になるが、小浜市から第1回市民交流使節団が西安に行ったときのこと。私は国際教育協会の副会長の立場で、あちらの担当者と高校生交換留学の打合せをしていたのだが、話が一段落したあとに、あちらの担当者がぼそっと「小浜には新しいいい病院ができたし、看護学校もあると聞いた。高校生だけでなく、看護学校に留学させ、小浜病院で看護を身に付けることはできないだろうか」と言ってきた。
私は答えられるような立場ではないし、制度の問題もあるので、その話はその場限りになったが、なるほどなあと思ったものだ。
一人っ子政策の中国はやがて猛烈な高齢者社会に突入する。高齢者医療や高齢者ケアのノウハウに関するニーズは非常に高いのだろう。

2011年2月7日月曜日

技術士会の台所

技術士会から臨時総会の案内が来た。毎年臨時総会をやっているのだが、議案は入会金免除と次年度予算。

入会金免除は技術士会創立60周年祈念特別事業として1年間限りの特典で入会金を免除しようというものだ。これにより10百万円の減収が見込まれるが、それは技術士全国大会の参加費・広告料収入13百万円を一般会計計上することで補った形になっている。
・・・・あれ?創立は昭和26年(1951年)ということだけれど、技術士法ができたのが昭和32年(1957年)だよなあ。その6年前から技術士会というのはあったのか?ふうむ、よくわからん。

次年度予算は特別会計(指定事業)が相変わらず試験事業(&登録事業)収入852百万円を支出910百万円が上回り、58百万円の赤字で、これを試験運営積立預金取崩収入72百万円で埋めている。
二次試験の受験料だけで5億2千万の収入見込みだからまあ大きいお金なんだけど、毎年数千万の赤字でこれを預金取り崩しで埋めていて大丈夫なんだろうか。
受験生の見込み数(一次試験25,900人、二次試験37,200人)からみて、受験料を一次・二次とも1,000円アップすれば赤字はなくなるけど、まあ受験料アップよりは取り崩しということなんだろうか。この不況、受験生としては1,000円でもありがたいけどね。

こういうことを書くと「あら探し」みたいに思われるかもしれないけれど、こういう総会資料というのは、どこへ出してもかまわないものでなければならないから、あえて書いてみた。がんばれ技術士会。

2011年2月6日日曜日

風はまだ寒いぞ

先週末から寒波が一転して暖かい。あまり暖かいので自転車でふらっと出かけた。

北川の川面は寒々としていて、風がまだまだ冷たい。もう1枚羽織ってきたらよかったぁと後悔しつつ走っていたが、やはり寒いのでともしの店に避難。そういえば夏に自転車で出かけたもののあまりに暑くてともしの店に避難したんだった。
遅い昼食にナシゴレンを食べ、コーヒーを飲み、リーダーを見せびらかしてスマホの話を少しして、50歳の大台に乗ると時間が過ぎるのがびっくりするくらい早くなるという話をして、もう「コーヒーを飲みながらリーダーで読書をする静かな日曜日の午後」とは真逆な時間を過ごして店を出た。
少し土手道を走るも、やはり寒いので早々に帰宅。智楽さんのブログで見る陽光溢れる光景とずいぶん違う。知床世界遺産さんのところは流氷だし、まあ日本は広いものだ。
結局なんだかなあのぐーたら日曜日を過ごしたのでした。^^;

それでも何とか本の校正は終了。今年こそ3月に発刊できそうだ。
セミナーツアーも3月からの予定はどんどん具体化しつつある。
3月末に四国行。今回は少し日程に余裕があるので、高知に行ったついでに中村まで足を伸ばして四万十川を見に行くことにした。
4月は前半に島根~広島~大阪~名古屋、後半に秋田~弘前~東京~新潟。特に広島から大阪、名古屋の移動はけっこうタイト。
5月はGW明けに名古屋~東京、少しおいて沖縄~九州~四国~北海道。
そして6月初旬に仙台に行こうと思う。家族旅行をかねて松島へ。
日程が年々前のほうに移ってきているせいか、6月以降は逆にけっこう白紙。まあこれから詰めていこう。

2011年2月5日土曜日

ポケットに本いっぱい

自炊を続けている。気分によって読みたいジャンルが変わるから、できるだけカバーしておこうと考え、今日だけで10冊くらい裁断→スキャン→リーダーにコピーを繰り返した。

とにかくスキャンであります
人畜無害の軽いエッセイといえば椎名誠。

コミックもいれてみた。諸星大二郎。

古典落語集。笑。

SFはスタートレックと小松左京を入れてみた。

 「読み散らかし」になるかな?という懸念もなきにしもあらずだが、いろんな本がどっさりポケットの中に入っているというのは、「実はオレ、読もうと思えばどんな本だって今すぐ読めるんだぜ」的な心の余裕というか、ちょっとした貯金的なものを持っているみたいで嬉しいものなのだ。^^