2011年4月30日土曜日

ちょっとだけ一息

5月7日のセミナーまであと1週間、セミナーテキストをとにかく仕上げて配信しなくてはいけない。
朝から気ばかり焦っている。箸と茶碗で食べるのではなくハンバーガーかサンドイッチでもかじりながらテキスト作成がしたいくらいである。
結局1日がかりでようやく夜になってフィニッシュ。ただちにDocuworksで参考資料とくっつけてページを打ち、PDFにしてみたら83ページ8.4MBあった。
これを受講生に配信して、ようやく一息・・・・などつけるはずもなく、総監のテキストも作らないといけないし、出願期限前田から前倒しして経歴票の添削もしないといけない。

まったく忙しいGWだが、それでも夕食は両親・女房と4人で「がじゅまろ」で食事。ここはハンバーグがうまいのだが、今日は私はメンチカツ。もうお腹いっぱいになった。
母はオムライスが好きなので頼んでいたが、オムライスとエビフライを完食していた。父もハンバーグとクリームコロッケを完食。2人とも歳の割によく食うなあ。
今年は6月に計画していた仙台・松島旅行がだめになったのだけれど、秋にでもどこかへ連れて行ってやりたいと思う。

午後、仕事部屋にいたら天窓でバラバラとすごい音がしたのでベランダへ出てみると、でっかいアラレが降っていた。夜にはバリバリと雷。うーむ、あさっての祭りはどうなるのであろうか。

2011年4月29日金曜日

稽古上げ

名古屋→米原と新幹線、そこから敦賀まで特急「しらさぎ」に乗って帰ろうと思っていたのだが、GW帰省の人手に重なってしまったらしく、「しらさぎ」の特急の指定席が取れないので、新幹線はあきらめて、名古屋から「しらさぎ」の自由席に乗っていくことにした。名古屋なら始発だしね。
で、発車45分前にホームに出てみると、すでに列ができはじめているではないですか。あわてて並び、おかげで自由席に座れたが、久々に体験する国民大移動満員列車であった。

昼前に小浜に戻り、食事をしてから「若狭の語り部」総会に出席。ここで聞いたところでは、昨日からいきなり観光客が増えたとのこと。GW入りしたからだろうけれど、まるでそれは大震災以後の「自粛」から脱却しようとしているように感じられたという。これまでのGWで小浜の国道があんなに渋滞したことはなかったし。

その後、いったん自宅に戻りジャージに着替えて区の会館へ。今日は祭りの稽古上げ。
今年の祭りはほとんど練習にも行けず、また段取りなども担えず、本当に申し訳ない。
少子化と価値観多様性というか地域帰属意識の希薄化というか、そういったもののために子どもの数が激減し、祭りをもうあと何年続けられるか本当に先が見えない状態になった。まあ地域起こしというか、地区の老若男女が一緒に何かをするといったことで一定の地域貢献はしてきたと思うのだが、やはりなくなってしまうのは寂しい気がする。

夜はまさに老若男女で懇親会。途中、子どもたちと一緒にマーケットに買出しに行って、ギョーザの皮ととろけるチーズ、ピザソースで作る一口ピザを作った。
子どもたちと一緒の楽しい時を、これからも過ごせますように。
酔っ払って子どもを拉致るオヤジ。

2011年4月28日木曜日

渋谷とんぼ帰りの技

いつもよりちょっとだけ寝坊して、午前中に会議1件と家の用を1件。
会議では安直な「エコイベント」に久々にちょこっとアドレナリン分泌。職業意識とか自分が世の中に何ができるのかと考えるとか、感覚的であってもいいのだけれどそういうものが欠落している人とは、私はやっぱり付き合いたくないのだなと改めて思った。
会議が終わってマクド(関西だからこういう。マックなんて言わない)のドライブスルーでハンバーガーを買って、先の東北ツアーでJALに乗ったときにゲットしたコーヒータダ券を素早く消費し、ハンバーガーにかぶりつきつつ女房の実家へ。用事が終わって、そのまま小浜駅へ。予定より1時間早い電車に滑り込めた。
電車の中ではひたすらに筆記試験セミナーのテキスト作り。今年は例年「筆記試験対策マニュアル」として配信しているものをセミナーテキストと兼ねることにしたので、なかなかボリュームがあり、また東日本大震災を踏まえた記載などもまだまとまりきっていないので、ちょっと進みが悪いのだ。受講生への配信期限が迫り、ちょっとやばいかなと思いつつ、呻吟しつつ敦賀へ。

出かけるときにスマホのウェザーニュースで調べたら東京は20度以上になるということでちょっと薄手の服で来たのだが、敦賀駅は妙に寒い。おかしいなあと思ってもう一度んウェザーニュースを見ると、敦賀は13度。東京都10度違う。どうもちょっとした冬型のようだ。
敦賀から米原、さらに新幹線で品川へ、いずれも1本(1時間)早い電車に乗れた。GW前の人の動きと逆方向なので、自由席でもガラガラである。

富士山はちょっと雲をかぶっているが、とにかく明るい静岡の風景である。
が、窓の外をのんびり眺める余裕などなく、ひたすらにテキスト作りと合間にメールチェック、そして添削。

16時すぎに品川に到着。写真では少々わかりづらいが、構内が薄暗い。節電で電気をかなり消しているのだ。エスカレーターも下りは休止。
なんというか、気持ちが沈んでくる。必要以上に明るかったのかもしれないし、この程度薄暗くでも不都合はないのだろうけれど、気持ちが浮き立たなくなるのも確かなような気がする。節電とは無縁な西日本からやってきた男が10分くらいでそうなってしまうのだから、ここに住んでいる人はなおのことではなかろうか。それとも慣れてしまって、また気持ちが浮き立つようになっているのだろうか。
気持ちが浮き立たないと、消費もふるわなくだろうなと、実感として思う。首都圏のこの沈鬱な風景は・・・・

などと考える時間もあればこそ、急ぎ足で山手線で渋谷へ。ここも薄暗いなあと思いつつ、しばらくカフェ・ミヤマでメール処理・添削などで過ごしたあと、打ち合わせ場所へ。やはり東京は暑い。
18時から打合せがあり、20時過ぎに中座させていただく。もう動かないと間に合わないのだ。
またバタバタと品川へ戻り、ホームに降りて最初に来た「のぞみ」にとにかく乗る。
今度はGWに向かって帰省する人たちの群れの中で自由席は満員。座れただけ感謝だなあと思いつつ、蒸し暑い中で再びメール&添削を進めつつ名古屋へ。

名古屋駅を出て横断歩道を渡り、ふと振り返ったときになぜかどっと披露。ホテルまでの道すがらにある居酒屋に入ってしまいたくなる。疲れたときは飲みたくなるよね。
なんとか我慢しつつ、それでも風呂上りのチューハイだけ買おうとローソンに立ち寄ったら、いきなりチラガー(豚の顔面)が目に飛び込んできてびっくり。なぜかこの店は沖縄物産販売の店で、酒もつまみもお菓子もとにかく沖縄ものがずらり。


思わずふらふらと泡盛と島らっきょうを買ってしまいそうになり、待て待て落ち着けと思いとどまり、琉球ハイボールのみ購入にて逃げるように店を出る。でも面白そうな店を発見なのだ。

お気に入りのドーミーインにチェックインし、何はともあれ風呂に入り、メールチェック&添削&ブログの3点セットを終え、さあ今からセミナーテキストの続きであるが、おそらく1時間ももつまい。^o^;

2011年4月27日水曜日

落ち着けよという話である

小浜で少しは落ち着いて過ごそうと思っていたのだが、結局毎日バタバタしている。
せめて今日からは祭りの準備と本番で雑念なく過ごそうと思っていたら、急な東京出張になってしまった。
①明日の午前中は小浜におらねばならない。
②明日の18時には渋谷にいなければならない。
③明後日の午後には小浜にいなければならない。
これらを満たすのはなかなかにむずかしいことなのです。
ということで、東京には滞在3時間弱の予定で、それでも明日中に小浜に帰って来られないので、名古屋に泊まり、翌朝小浜に戻ることにした。
いつもなら「さあ、誰と飲もうか」という話になるのだが、そんな時間的余裕はゼロである。
そのうえセミナーテキストがまだできていないから、明日の車中で書かねばならない。うーん、厳しい。
・・・・結局落ち着けないなあ。

もしかすると、一番落ち着いて集中できるのは電車の中なのかもしれない。他にすることがないからね。
そういえば今日も一番はかどったのは、JRの切符手配をかねて昼食に出たときに立ち寄ったCOCO'sだった。(もはや店員さんは私の顔を見ると私の「定位置」の席に迷わず誘導してくれるようになった^^;)
明日は小浜~敦賀約1時間、敦賀~米原約30分、米原~品川約2時間の計3時間30分に待ち合わせ時間合計30分ほどの行程である。ちょっと細切れでせわしないけれど、新幹線は少し集中できそうだ。

2011年4月26日火曜日

腰を軽く

会議の連チャンの1日、NPOというのは億劫がらずにとにかく腰を軽くしていなければならないものだということを痛感した。
自分が「こうなったらいいな」と思うものがあって、それと現実との乖離が大きいなと感じたとき、誰に言うよりも誰に頼るよりも、まず自分の腰をあげること、たとえ先行きがぼんやりとしてしかいなくても、そしていろんな人を巻き込んでしまう迷惑をかけるかもしれないということがあろうとも、とにもかくにも自分の腰を軽くして腰をあげること。
これがとにかく大事で、それがなかったら何も始まらないということをこれまで10年以上かけて学んできたわけだが、平日の昼間だというのに町の中を(それもいい年をこいて)自転車でバタバタと走り回りながら、改めて痛感した日だった。
訳知り顔で高いところからのたまっていても、「あー、はいはい」で終わってしまうものね。

ということで、結局毎日飲んでしまっているのだけれど、小浜にいれば小浜にいる楽しさが毎日やってくるのはいいことだという話なのでありました。^o^

2011年4月25日月曜日

マラウィ近況

マラウィのカリラ地域開発プログラムの近況報告がきた。

これは住民による地域開発委員会が中心となり、地方政府スタッフを技術指導者として、5年計画で進められている活動で、スポンサーシップ・マネジメント(スポンサーとチャイルドを結び、またトレーニングをする)、経済開発、教育、農業というプログラムで構成されている。

原資はスポンサーの寄付で、46,700千円ほど。おそらくスポンサーの数は何百人といるのだろう。だからその人たちにいろんなものを郵送したり、手紙を翻訳したりするだけで大変な作業のはずだ。経費の4割近くがスポンサーシップマネジメントに割かれるのは当然なんだろうな。

農業プロジェクト。指導員の地道で献身的な努力が伝わってくるような内容だ。食物が安定供給できること、それが産業の基盤なんだと本当に理解できる。

教育。中学校入試を受ける子どもが4割前後。貧困からの脱却に教育は絶対に欠かせない。

保健衛生と経済開発(貯蓄)。我々が当たり前のように享受しているものが、これから始まろうとしている。

井戸ができ、病気の発生が激減したという記事。こんな記事や農業開発の記事を読んでいると、自分自身が現地に行って体を動かして汗を流したい気持ちがむらむらとわいてくる。

田舎に暮らしていると視野がどうしても狭くなってしまい、発想や想像の果てが、少々がんばっても日本の範囲内にとどまってしまいそうになる。「いろんなところで、いろんな人ががんばっている」と思うときの「いろんな」の範囲が狭く固まってしまいがちだ。
でも、世界で行われている、センセーショナルではないけれど地道で着実で情熱のこもったこういう取り組みにほんの少しでもかかわっていると、狭く固まってしまいがちな視野をまた広げてくれる。
日常的な活動はごくごく狭い範囲内のことに限定されるだけに、そういったことがありがたい。

2011年4月24日日曜日

Galaxyがお気に入り

ようやくセンキョが終わり静かになった日曜日、いつもより2時間ほど寝坊して、女房と朝マックに行って(私はGalaxyTabとノートという最近の軽いおでかけ携行セットで添削していた)、電器店で買い物をして(私はXperiaのアクセサリ類が欲しかったのだが無く、結局女房が美容なんとかを買った^^;)、ホームセンターで祭りの笛用のペンキなんかを買って、服屋さんで5月のツアー用のジャケットを買って、選挙の投票をして帰宅した。午前中いっぱいかかってしまった。

これが最近の定番、GalaxyTabとA5サイズノートのセット。Galaxyで経歴票ワークシートを見ながらノートにコメントをメモる。私のセミナーを受講した人はみんなご存知だと思うが私は字が汚い。それでもまだ人様に見てもらうセミナーではきれいな字を書くほうで、自分だけが見るコメントのメモとか打ち合わせメモはすさまじく汚く、字というより記号で、少し日数をおいてしまうと自分でも読めなくなるので、内容が頭に残っているうちにEvernoteできちんと書くようにしている。まあメモというより備忘録の記号みたいなものだ。^o^;
しかしこのGalaxyTabは予想以上のヒットだった。Androidバージョンが古い(2.2)というかタブレットに最適化された3.0ではないというのが気になっていたのだけれど、スマホと同じ使い方というのがかえってよく、また何といっても片手でひょいと持てる7インチというのが実にいい。これを買うときに、これにするかAndroid3.0のオプティマスタブにするか少し迷ったのだが、オプティマスを持ったときの重量感がすべてを決めた。
おかげで4月の中国近畿ツアーでも東北ツアーでも、いつも携行するLooxUは持っていかず、レッツノートとGalaxyTabの組み合わせで車中やホテルでの添削を進めた。今のところこの組み合わせがベストかなと思っている。

午後、祭りの打ち合わせとタイヤ交換、夕方から少し昼寝と、合間にメール処理や添削を続けながら、極めて平和な日曜日を過ごした。
先週の日曜日は弘前にいた。先々週は広島から大阪、さらに名古屋と移動していたし、5月8日は東京、その次は沖縄、その次は大分、その次は北海道、その次は東北にいる予定だから、今日と来週の日曜日は、数少ない貴重な平和な日曜日なのだ。

2011年4月23日土曜日

センキョ

前回セミナーツアーの間ずっと風邪気味だったのだが、せきがちょっとまだ収まらないので、昨夜から思いっきり睡眠をとった。午後7時過ぎに就寝、夜中2時間ほど起きてメール処理・添削結果送付・ブログ更新の3点セットをすませて入浴もせず再び就寝。結局午前10時過ぎまで寝ていたので、通算12時間以上寝たことになる。
おかげで体調はいいのだが、選挙カーのがなり声で起こされたことが面白くない。

今月の上旬に中国近畿を回っている間に知事・県議センキョは終わっていてほっとしたのだが、今度は市議センキョのまっただなかに帰ってきてしまって、これがまた明日が投票日なものだからどんどん盛り上がってきて困ったものだ。

朝、自宅から会社に来るまでの間に、何組もの候補陣営の人間が頭を下げている。そこには政見もビジョンもなく、ただただ「お願いします。票をください」なのだ。物乞いのようでみっともないったらありゃしない。
こういうものに嫌悪感があるので、思わず通勤ルートを変更したりするのだが、変更した先にまた別の候補者がいて頭を下げている。なんなのだこのまちは。
今回は定数18人に対して19人が立候補という状況なので必死なのはわかるが、選挙は大事だと思うけれどセンキョは大嫌いな私としては、本当にうっとおしい。

それもようやく今日が最終日なのでほっとしているのだが、あの街頭でわあわあわめきちらすセンキョをなくすことはできないものだろうか。カネもかかっていると思うのだけど。
TVやCATV、ネットでの政見放送とチラシ・ポスター程度にして、有権者はそれをじっくり見比べて投票すればそれでいいのではなかろうか。

でも、あのセンキョが大好きな人もやはりいるのですねえ。選挙の年になると何かうきうきしはじめて、自分が立候補するわけでもないのに張り切ってああだこうだと言い始め、あげくセンキョ期間中は大張り切りで選挙運動に精を出す人。
まあこれは趣味の世界、嗜好の世界だからとやかくいう問題ではないのだけれど、いろんな人がいるものだなあと感心したりする。

今日の新聞を見ると、小浜市議選の欄に「明確な争点がなく、候補者間で言うことに差がないから、人情に訴える」と書いてあった。馬鹿じゃなかろか。争点がなく言うことに差がないのなら、これまで積み上げてきた実績とか人格とかビジョンで選んでもらうべきだろう。それを人情とは。このまちの議員はこんなのしかいないのかと情けなくなる。

2011年4月22日金曜日

風力発電は有望?

環境省の試算では原発40基分を風力で発電することが可能だという結果が出たらしい。
本当ならすごいことである。
もちろん実現までにはクリアーしないといけないハードルは多い。送電の問題、よく言われる低周波空気振動の問題などいろいろあるし、建設維持コストの問題も大きいように思う。(ただこの試算は採算確保を条件にしているらしいので、それはクリアできるのかもしれない)
しかし、そもそも荒唐無稽なのか、技術的問題をクリアすれば長期的には実現可能なのかという区別は重要で、風力発電が実現性において太陽光より水力より上であるとした試算は大変注目される。

原発は発電効率がよく、また発電量あたりの建設維持コストが抜群だから、この防災力やリスク管理を大幅にアップする(コストパフォーマンスがいいのだから、それにかけられるコストはまだ余裕があるはずだ)というのもまた技術の選択肢としてはあるだろう。
そうなったらなったで、この大事故を経て大幅な技術改善を実現し、科学技術大国としての底力をみせるというビジョンを持ってやるべきだろう。

一方で、日本にもともとあったつつましやかな文化、自然から生えてきたような文化への回帰と、ガラケー技術に代表されるような生活に密着した丁寧な利便性をもたらす科学技術を融合させた、なんというか利便性の確保されたルーラル・ライフみたいなものを、マイナスをどこかの電源立地地域に押し付けることなく構築するという選択肢もある。
そうなったらなったで、今度は科学技術力をもってエコ大国、ルーラル・ライフの国への転換・脱皮というビジョンもあるだろう。

どちらにせよ、それは国民が決めていくことと思うが、そのためにはインンフォームド・コンセントはしっかりしてほしいなあと、それは本当に願っている。

2011年4月21日木曜日

地に足をつけて

久々の小浜での1日、当然ながらバタバタ。^o^;
そんな中の忙中閑あり、今日は月に1度の木曜会。地元で気のおけない連中とわいわい飲むのに勝るものはない。

今回の会場は「ふじや」といって、知床世界遺産さんやすごろくさんご一行をお連れした三重塔のある明通寺の奥にある旅館だ。
庭先がそのまま杉林に連なっており、ライトアップされた杉林が荘厳。

美味いものも多数並ぶ中で、一心君(すごろくさん達をサイドしてくれた若いお坊さん)の最近の試作品、へしこを使った食べるラー油をサラダにまぶして食べるとこれががなかなかの優れもの。
リラックスして楽しい飲み食いの時間を過ごした。
さて、2週間ほどではあるが、地元で足を地に付けて過ごそう。

2011年4月20日水曜日

冬の名残り

今日はもう帰るだけである。あ、途中福井に寄って会議するんだった。でもまあ講義に比べたら何もしないようなものだからいいや。
ちょっと早めに新潟駅に行って、土産をざっと買って不要な荷物とともに送り、コーヒーを飲みながらちょっとメールチェックしたりして静かな時間を過ごしたあと10:11発の特急北越で新潟を後にした。

車窓から見れば、山には雪がどっさり残っている。桜もまだ咲いておらず、やはり北陸の春は遅い。

富山まで来た。線路脇にはちょっとびっくりするくらいの雪が残っているところもある。

福井に到着して会議に出席し、7時過ぎの特急「サンダーバード」で敦賀へ。
もう沿線に雪はなく、菜の花や桜が咲いているけれど、遠くの山には雪が残っている。
東北から北陸へ、冬の名残りを見て回ったような気がした。

そういえば今回の旅は天気がいまいちだったなあ。
初日は秋田に着いたころから曇りだして、夜に露天風呂に入ろうとしたころには雨。翌日はコチタロさんに「秋田に入ったとたんに雨になった」と言われてしまった。弘前では本当にいい天気だったけれど、翌日東京に行ったころからまた怪しくなって、新潟についてkuniさんに会うなり「本当に雨が降るんですね」と真顔で言われてしまった。
いわれのない汚名を着せられるというのは辛いものだ・・・・

通学帰りの学生でいつになくごった返す小浜線に乗り、ごとごとと小浜駅へ。小浜も肌寒い。
予定外に早く着いたので帰宅しても夕飯はないから、そのへんでメシでも食おうと自転車で探すもこれといった店がなく、仕方なく過日すごろくさんご一行をお連れした「かねまつ」へ。
普通に定食を・・・・と思っていたのに、ふと気がつくと目の前には刺身の盛り合わせとブリのあら煮と熱燗2合が置いてあった。^o^;

2011年4月19日火曜日

長~~~~~いトンネル

8時過ぎにホテルを出て移動開始。まんまと通勤時間帯で、満員電車で池袋へ。いつも小浜線で向かい合わせ席に足を投げ出して独占しているので、こういう電車はとにかく弱い。1駅だけの移動で辟易してしまった。

池袋に着くと、今度は埼京線ダイヤが混乱しているようでホームでずいぶん待ってから新宿湘南ラインで大宮駅へ。新幹線までまだ1時間ほどあるので朝食を食べようと西口に出たらペデストリアンデッキになっていてよくわからない。
東口に回って吉野家を見つけ、牛鍋丼でやくざな朝食をすませた。ふと見るとマクドナルドがあるので、ここでコーヒーを飲みつつ添削を少し進めて時間をつぶした。なら最初からマクドナルドで朝食もまとめてすませろよと思うかもしれないが、どうも私はパンの朝食は苦手で、お腹に収まりが悪いのだ。

新潟までの電車はMaxとき。おお、前から2階席に乗りたかったのだ。(^o^)
発車してすぐにPCを取り出し添削をしていると、やがて山岳地帯へ入った。そこから長~~~~~いトンネル。

やがて新潟県に入ると、そこは雪国だった。4月の後半とは到底思えない光景に驚く。越後湯沢は冷たい雨が降っていた。
駅を出るとまもなくまた長~~~~~いトンネル。東海道以外の新幹線はトンネルが多いが、上越は「多い」のではなく「長い」。

やがてトンネルをぬけるとまもなく浦佐。雪が田んぼを覆っている。それでも家々は雪をかぶってはいない。雪国の春の風景なのだろう。
浦佐駅を出るとすぐにまた長~~~~~いトンネル。トンネル→駅→トンネル→駅→トンネルというシンプルな繰り返しだ。こういうところに新幹線を通すのはまさに力技で、田中角栄恐るべしというところだろう。しかしこのようなどかんとしたプロジェクトがなければ技術力の進歩も難しくなるということも確かだろう。

ようやくトンネルをぬけると、雪は消え、広い平野が広がっていた。長岡だ。しかし相変わらず空は雪雲とも雨雲ともつかない重たそうな雲に覆われ、冷たそうな雨が降っている。
長岡の市街地は広い。高い建物は駅周辺に集中して、それ以外はあまり高い建物がないせいか、やたらと広く感じる。


トンネルと駅の繰り返しはこれでおしまい。あとはひたすら広い越後平野を進む。広い広い田んぼの向こうに地平線がかすみ、重たい空とくっついている。

新潟大学にいたころ、雪の積もった吹雪の北陸道を、スパイクタイヤ+チェーンという多重装備でごとごとと50キロくらいでもがき進んでいたら、吹雪などなにするものぞというイキオイでばひゅーんと新幹線が突っ走っていくのをみてボーゼンとしたことがある。
レールに熱線が入っているので雪は平気なんだと誰かが教えてくれた。やっぱり力技だ。
そういえばあのころは「こだま」相当のものが「とき」で、「ひかり」相当のものが「おけさ」といったと思う(駅が近くなると「佐渡おけさ」が流れていた記憶がある)けれど、今は「とき」だけなのだろうか。

新潟にいた2年間をぼんやり思い出していると、だんだん田んぼから街に風景が変わり、やがて新潟駅に着いた。
駅ビルの中で、なつかしいタレカツ丼を食べた。福井は「ソースカツ丼」が地元の味だが、新潟は醤油ダレを使ったタレカツ丼。記憶の中でソースカツ丼とごっちゃになっていたのだが、福井のソースカツ丼ほど味がしつこくなかった記憶があったので、なんでだろうとずっと思っていたのだが、今日になってわかった。

午後、新潟のkuniさんの会社で講義。これで出願筆記試験セミナーは最後の講義となる。
ツアー最後の講義が終わる瞬間は、なんともいえない安堵感があって好きだ。
終了後、いったんホテルへ。ほっとしたせいか、疲れが出たのかベッドで少し寝てしまい、kuniさん&kuniさんの会社の方との会食に5分遅れてしまった。
技術屋同士の会食は技術の話に終始する。これもまた愉しからずや。
9時前にホテルに戻り、洗濯や入浴の合間にメール処理・添削結果送信・ブログの3点セット。
明日はようやく帰宅だ。

2011年4月18日月曜日

新品の椎名誠なのに

今日は少しゆっくり起きて、バスで青森空港へ。

道路脇にこういうものがずっと続いていたのだが、これは何なのだろうか。巻きあげられるようなメカがついていたので、冬になると立ち上がって地吹雪よけに使うとか。知っている人いたら教えてください。

昼過ぎの飛行機で羽田へ。すぐにモノレールとJRで移動して大塚駅からほど近いホテルへ。
少し休んで池袋に移動。セミナーは18:30からだが、Xperia arc用のアクセサリを買ったりして少しうろうろ。

セミナー会場近くのジュンク堂に寄ってみたら、入り口の横に「震災・原発コーナー」があって驚いた。見ると、いろんな本がある。特に原発は視点や思想もいろいろだ。
確かに情報は溢れている。やはり情報を取り入れて咀嚼して判断する、その力が社会人として本当に必要なのだと痛感した。
椎名誠の文庫本を2冊買って出た。この人の文庫本はずいぶん買ったが、もしかすると新品を買ったのは初めてかもしれない。^o^;

セミナーを終え、例によって複雑なルノアールの支払いを終えて外に出るともう10時近かった。
何を思ったのか大塚まで歩こうと思い立ち、夜のサンシャインシティを回りこむルートでわっせわっせと歩いた。
大塚駅近くでかなり疲れてきた。考えてみたらセミナーの間ずっと立ったままで、そのまま歩いてきたからそりゃあ疲れるわなあ。
日高屋でタンメンとギョーザで、こんな時間にどうしましょう的夕食。椎名誠をぼんやり読みながらぼんやりギョーザを取ろうとしたら箸がすべって、ギョーザのタレが新品の椎名誠に飛び散ってしまった。せっかくの(たぶん初めての)新品の椎名誠がギョーザのタレ臭くなってしまった。

2011年4月17日日曜日

けの汁はうまかった

起床後、すばやく用意をしてホテルの朝食を食べて(きりたんぽが美味しかった)、秋田駅から特急「いなほ」で弘前に向けて出発。
秋田駅にて。いなほ1号。

車内はガラッガラ。結局弘前までこんな状態。
添削を続けつつ時々車窓から眺めると、八郎潟付近の広ーい田んぼが見渡せたり、落葉樹ばかりで丸裸状態の山が見えたり(常緑樹が多い小浜の人間には見慣れぬ光景なのだ)している間に弘前に着いた。
とにかく広い。

山全体が枯れている光景。
「あおもり技塾」のM橋さんが駅に迎えに来てくれており、そのまま弘前城へ。さらに周辺観光。GWごろには花見で人がいっぱいになるとのこと。
まだ桜はつぼみだが、すでに花見をする人たちも。

弘前城の堀。石垣でなく土羽。珍しいなあ。

弘前城本丸天守閣を望む。

本丸天守閣。明治期に火災のあと再築したとか。

本丸の中にあった城郭の模型。堀が幅広いお城だ。
お城の公園から望む岩木山。この地方のシンボルだ。

じょっぱり大太鼓。直径4.5mで実働するものでは日本最大。

ねぷた。青森市では「ねぶた」、こちらでは「ねぷた」。
昼食は「けの汁定食」。これは美味い!
昼食に食べた「けの汁」はうまかった。ダイコン、ニンジン、コンニャクその他の野菜類を細かく切って味噌で味つけた汁なのだが、こういう地域料理は本当にうまいなあ。
昼食後、例によって漫談セミナーを3時間ぶっこいて、5時前に早々と懇親会。あおもり技塾のみなさん、そして今は沖縄在住のみんな頑張れさん。みんな頑張れさんが地元の中でくつろいでおられたのがなんとも印象的。

ホタテの殻に貝柱とタマゴを入れてコンロで焼く。美味。

海の幸、山の幸。どれもいい味だ。

津軽三味線ライブ。いやあよかった。
7時まで飲み食いしてあれこれ話し、一次会お開きとなったところで、いろいろ抱えているので謝って退散させてもらった。
ホテルに入って、洗濯しながら入浴し、添削とメール処理に精を出す。

いやあ、弘前、いいところです。来年の花見のシーズンあたりにまた来たいなあ。
津軽三味線も初めて生でみられた。あの奏法は大変面白い。左手はトリルというかハンマー奏法で右手は基本ダウンストロークで音符の数の半分も弾いていない。一種のスローハンドだなあ。

明日は東京へ!

2011年4月16日土曜日

秋田はなぜか雨ToT

昨夜から雨模様。ここ一週間はいい天気だったらしいのだが、不思議なこともあるものだ。
秋田県技術士会主催の勉強会で、午前中は一般部門、午後は総監部門の講義。今年は3月の東京セミナーが中止になったため、結局今日が唯一の総監出願筆記セミナーとなった。
例によって漫談ぶっぱなしたものの、どうも風邪が残っていてセキが出ていけない。

終了後、秋田県技術士会の合格祝賀会にお招きいただいた。何から何まで本当に申し訳ない。
コチタロさんも来られており、久々に再会。元気そうで本当に安心した。みんなたくましい。
6月の東北ツアーについて少し話した。今のところ仙台に行くことしか決まっていないのだが、岩手県・福島県の東北支援講座受講者もいるので、時期を見て連絡を取って行程を決めたい。第1条件は人様に迷惑をかけないこと。これに尽きる。
盛会のうちに終了し、二次会にちょこっとだけ参加させていただき、申し訳ないのだけれど先にお暇した。

ホテルに戻ってランドリーに一式突っ込んで洗濯している間に入浴、乾燥機に突っ込んで乾くまでの間にメール処理、明日の荷造りをしつつなんとかひととおり終えて今に至る。今は実は0:40だ。
バタバタの1日だったせいか、しゃべるのに忙しかったせいか、写真を1枚も撮ってなかった。ToT

明日は朝から弘前に移動である。
おやすみ。

2011年4月15日金曜日

秋田へ

今日から秋田→弘前→東京→新潟と回る。
朝、小浜から高速バスで伊丹空港へ。



やはり飛行機は4列掛けの小さな飛行機で、歩いて搭乗。秋田が近くなると驚くほど広い範囲に雪が残っているのがわかる。


秋田西口のデッキとアーケード街。私が好きなところだ。ここのベンチでのんびり添削したいと思ったりもしたけれど、明日からはセミナー&飲み会で添削は進まなくなるから、今日のうちにできるだけやっとかないといけない。
結局ホテルにこもって、夕食以外はずっと添削やメール処理をしていた。秋田のWさんにせっかく教えてもらった美味い店があるのに・・・・次回は絶対行こう。

添削していると沖縄から電話。打合せ会で盛り上がってるようだ。いいなぁ。

2011年4月14日木曜日

講師が20人を超えた

東北支援講座は、講師が20人を超えた。本当にありがたい。ちゃんと温かいハートを持った技術者がたくさんいて、応援してくれることのうれしさといったらない。
いっぽう受講生はまだ6人で、まあじっくり待っていようと思う。

明日から秋田→弘前→東京→新潟→福井と回る。よくわからんルートだが、秋田ではコチタロさん、弘前ではみんな頑張れさんにお会いできる予定だ。
ちょっと疲れているのか風邪気味なので、今日は早く寝よう。
おやすみ。

2011年4月13日水曜日

感涙

無謀なのか何なのかよくわからないのだけれど、いつ一歩を踏み出そうかとずっと思っていたことを、今日実行してみた。
岩手・宮城・福島3県の受験生を対象に、完全無料の受験支援講座を開設した。
実はSUKIYAKI塾とAPEC-semiでかなりいっぱいいっぱいである。だけどどうにも我慢がならず、「ええい、ままよ」状態で前に踏み出した。

一人でもやる覚悟ではあるけれど、やはり自分にはSUKIYAKI塾の仲間がいると思い、サイトで呼びかけてみたところ、来るは来るは、12時間で私を入れて14人の講師陣ができあがった。

感涙。
嬉し涙を流せることの幸せを味わうことのまた幸せよ。

ラフカディオ・ハーンは明治初期の貧しき日本人を見て、「日本人は天使の子孫に違いない」と言ったらしい。
これほどまでに純朴な、そして優しき心を持ち、笑顔の素敵な民族は天使の子孫に違いないと。
そして彼はこう言った。

いま、日本人は欧米に追いつけとがんばっている。
勤勉な日本人のことだ、きっと100年もすれば彼らは欧米に追いつき、追い越しているだろう。
しかしそのときには、私の愛する日本人はもういない。
そこにいるのは、日本人の顔をした欧米人なのだ。

それは私の心にずーんと響いたのだが、今なら言える。

日本人は確かに欧米人のようになったかもしれない。
豊かさを手に入れた代償として多くのものを失ったかもしれない。
だけど心優しき笑顔の素敵な日本人は、今もちゃんとここにいるよ。

2011年4月12日火曜日

I'm just a stranger

京都にて目覚め、なにかしら雅な気分で(うそ)京都府庁にて仕事の納品。


京都府庁はちょうど桜がみごろで、しだれ桜が府庁の旧館の建物とよく似合う。
ベンチにゆったりと腰掛け、ゆっくりと桜を観ている人たちの中に入りたいと思いつつ、一路小浜へ。
帰宅してセンキョが終わって選挙も終わっていることを知る。ツアーに出る前に期日前投票を済ませた瞬間に見事に忘れていた。^o^

久々に会社で雑事を済ませ、久々に帰宅して、観光局の市民幹事会に出て軽く飲んで(またかい!)再度帰宅して、久々に女房に会った。

2011年4月11日月曜日

はんなりできしまへんえ

セミナー最終日、名古屋で比較的ゆっくり起きて・・・・のはずだったが、やはり事務処理と添削に追われているので早起きして、無料コーヒーサービスを浴びながら添削。
今回のツアーではレッツノート&LooxUという組み合わせではなく、レッツノート&GalaxyTabの組み合わせて、Tabで添削対象のExcelやWord、PDFファイルを表示しつつ、レッツノートのEvernoteでコメント入力という体制なのだけれど、これはかなりいい感じである。

チェックアウトぎりぎりまで粘ってホテルを出て、さらに地下街の喫茶店で続きをやり、昼前に今日の講習会の会場へ。今日は土木学会主催の講習会である。
自前のセミナーとは段違いの立派な会場で過分な紹介に恐縮しつつも例によって何ごとかほざき、早々に逃亡。
名古屋から京都に移動して、京都府庁の近くのホテルに投宿。明日、仕事で府庁に行くので一旦小浜に帰るのが面倒で宿泊することにしたのだ。

風が強くなって、肌寒いけれど京都御所のあたりも春の気配に包まれている。ここはひとつ桜が満開の京都を散策・・・・なんてできるわけもなく、ホテルで添削に明け暮れてセミナーツアーは幕を閉じたのであった。