2012年4月30日月曜日

またもススキ取りの鬼と化す

数少ない予定のない1日、添削とセミナーテキスト作りに精を出す。筆記試験セミナー開始まであと一週間なのだが…うー、まずい。あ、でも一番手の札幌セミナーまでは2週間か。いやいや甘えてはいけない。
1日机にかじりついてごりごりやっていたが、やはり気晴らしもしたい。
ということで、またも天気のいいうちに昭和枯れススキ作戦。先日「コレハ」という空き地を見つけたのだが、それは明日行けると踏んで、今日は別のススキ野原を探すも、なかなか見つからない。
とうとうあきらめて、土手のススキを取ることにした。南川右岸、かつてテニスコートがあったあたりである。
ご覧のとおり、なかなかの密度でススキが生えている。向こうに見える竹原橋のたもとには、3月から4月にかけて春の風物詩であるイサザ漁をする足場があったのだが、今はもう跡形もなく、菜の花ももうポツポツとしか見られない。
しかしそんなものに見とれている時間は私にはない。堤防道路を通るクルマや自転車から丸見えなので恥ずかしいのだが、いったん始めたからにはもはやススキ刈りの鬼となって脇目もふらずにがしがしとススキの穂を刈り取っていく。
こういう道路沿いでススキ取りをすると、いろんな人に好奇の目で見られるのも恥ずかしいのだが、そのうち知り合いが通りかかったりして
「何しとるん?」
などと聞いてくるのが面倒くさいのだ。
「火起こし体験に使うススキの穂を集めている」
というのが正確な答えなのだが、真正面からそんなこと言うと
「????」
となるので説明がさらに面倒くさくなる。そして散々説明したあげく、困惑の薄ら笑いを浮かべて
「じゃあ、まあ、がんばりや」
などと去っていく知り合いを見送るのは寒いものがある。中には
「こいつとの付き合い方を考え直そうかな」
という表情を浮かべるのもいる。くそぉっ。
でまあ、今日は幸いにも知り合いには合わなかった。かわりに散歩中のおじいさんが
「何しとるん?」
と堤防道路の向こうから聞いてきた。さあ困った、おじいさんに火起こし体験などと口走ろうものなら説明にどれだけ時間がかかるかわからんぞ。
「えーと、子どもたちといろいろ体験するのに集めてます」
「ああ、ふくろう作るんか」
「は?…あ、そ、そうです」
ああ思い出した。ススキでフクロウとかミミズクの人形を作れるんだった。上根来で仙人が作っていた。
フクロウなんぞ何十羽作れるかわからないくらい集めているわけだが、まあ余計なことは話さないでおこう。
「そうか、ええことやな」
「は、ありがとうございます」
「誰かがこういうことはやらんとな」
「は?あ、そ、そうですね」
「ほな、がんばりや」
「ありがとうございます」
いいおじいさんだったなあ。フクロウ作りは別に誰かがやらなくてもいいだろうけれど、そういう体験をさせるのはいいことだと褒めてもらったと考えよう。

堤防斜面を上り下りしつつがしがしとススキの穂を刈り取るのは意外と労働量があって、うっすらと汗どころか汗が落ちてきた。1時間弱やって終了。大きなごみ袋2つが満杯になった。これで3活動か4活動分くらいになるだろう。予想以上の収穫だった。
きれいに穂がなくなったススキの軸が並んでいるのを見るとなにやら達成感が。本当はもっと時間をかけてのんびりとラジオでも聞きながら作業したかったけれど、まあ密度の濃いいい時間だった。

2012年4月29日日曜日

クラフトナイフ

なんだか最近、スマホで写真を撮る「習慣」がなくなったようで、こうやってブログを書く段になって「あ、忘れてた」と思いだすことが多くなった。ボケ…違いますって!

今日は祭りの足ぞろえ(稽古上げとも言う)。太鼓を飾りつけ、本陣を設営し、夕方から町内を一回りして太鼓演技を披露し、夜は打ち上げ。
昨日からの体調不良がまだ続いているので、今日はおとなしくしていた。太鼓を叩くときに腹に力を込めて万が一の事故があったら大変だもの。^o^;

かつて会館にあふれかえっていた小さな子どもたちは中学生や高校生、さらには社会人に成長し、小学生は本当に少なくなってしまった。
それがさびしくはあるのだけれど、そういった小学生から高校生までの子どもたちと夜の浜に散歩に行ったのはしみじみと嬉しかった。

本陣を設営するときに竹を山から取ってくるのだが、端材が出る。それを見て、よおしこれで竹トンボを作ろう!と思って自転車で自宅に戻ってクラフトナイフを何本がポケットにねじ込み、嬉々として会館に戻ったら、端材はすでに処分されていた。
私は人知れずポケットのクラフトナイフを、着物を持ってきていた紙袋の中にしまった。(泣)
そして夜の浜で、子どもたちと一緒にいくつかクルミを拾った。秋に山で落ちたクルミ(の種)が川から海に流れ出て、冬の波浪で浜に打ち上げられたものが春に拾えるのだ。
会館い戻ってホットプレートで焼いた。種の継ぎ目が少し開くので、ここにナイフの刃を押し込んで力任せに割るのだ。
おお、今こそクラフトナイフの出番ではないか。
会館の隅っこに置いてあった紙袋から、嬉しそうにクラフトナイフを出してくるアヤシイおじさん51歳なのであった。(喜)

2012年4月28日土曜日

たまには早く寝よう

困ったことに腹の調子が悪い。昨夜ちょっと怪しいものを食べたのだが、やはりちょっと悪くなっていたのか…
いずれも軽度ではあるけれど、腹痛、下痢、体のだるさ、微熱。これってやはりそうでしょう。


それでもきちんと昼食を食べ、夕方から警察協助員会の総会に出てそのあとの懇親会も出席したので、それほど深刻な状態ではないということだと思う。さすがに一次会で勘弁いただいて帰宅したのだが。
というかこれで3夜連続タクシー代行で酔ってご帰宅、というあたり、いい年のおっさんがすることではないなあ。

セミナーテキスト3種類(筆記建設、筆記総監、RCCM)と産学官研究のマニュアル原稿分担がどさっとのしかかっているので、腹がどうのと言っている場合にではないのだが、困ったことだ…

ということで、今日はもう寝ます。

2012年4月27日金曜日

MEEC

MEECという組織がある。「みんなのエネルギー・環境会議」のことで、Mだけ日本語なのがまあ微笑ましいのだが、これを若狭の地で開催しようというのである。
金のない若者たちが無謀とも思えるチャレンジ、そして何より素晴らしいのが原発がいいの悪いのと一面的な視点、「俺の考えが正しい、それに反対するお前は馬鹿」的な救いようのない視点ではない、まっすぐで真摯な姿勢に感銘を受けた。

私は私で個人としての考え方があるけれど、そういうことは関係なく、若い人たちがこういう姿勢で動き出していることが嬉しい。
他人の主張や行動を目にしたとき、それが自分の考えと合っているかどうかだけで是非を判断するのは愚か者のすることだということを、彼らは知っているのだ。
自分の考えと合っている書物やネットのコンテンツは「ほら、こんなことを言っている」とどんどん紹介し、自分の考えと合わないコンテンツは「あいつは馬鹿だ」で片づける、つまりは議論などしようもない質の低い輩のいがみ合いが氾濫する中で、「どちらの意見もしっかり聞こう」という、言葉にするのは簡単だけど実行はなかなかむずかしいことを実行しようという賢明で行動力のある若者が若狭の地にいることが嬉しい。

2012年4月26日木曜日

わたしのノマド

夜、会議にひとつ出たあと郊外に新しくできた串焼きの店で木曜会。
3月に「木曜会に参加したい」と聞いていたNさんのことを、木曜会主宰のたまさんに伝えるのを忘れていたのだが、Nさんは無事参加しておられた。ホントに申し訳ない。ツアーに出る前には覚えていたんだけど…m(_ _)m
小浜に帰ってきて、みんなに会うと、いろんなことが動いていたことがわかる。次のツアーは1か月以上あるので、帰ってきたら浦島太郎か?

小浜を離れると、SUKIYAKI塾/APEC-semiもNPOも会社の仕事も、全部クラウド活用で作業をするノマドワークになる。
旅先でのノマドワーク場所は、①電車・飛行機、②まちなか(駅や公園のベンチなど)、③喫茶店など、④ホテルの部屋 といったところ。添削やテキスト作成といった書類作業、メール処理による連絡作業、さらにはskypeによる会議もありだ。

①の移動中のうち、私に会っているのは電車。特に新幹線は700系のぞみを使うと電源があるのでありがたい。前のテーブルに乗せると酔うので、膝の上において使う。こうすると体とPCが一緒に揺れるので酔わない。このときのPCはレッツノートを使う。とにかくけっこう集中できる。
4月の北海道、エアポート車内にて。
狭苦しそうに見えるけどそれなりに快適。
飛行機は電波発信できないし電車もトンネル等あるのでネット接続はしない。書類仕事、それも添削にほぼ限定である。飛行機のテーブルは狭いので使うPCはバイオだ。空を飛んでいるせいか、気持ちがゆったりして、添削したり窓の外を見たり本を読んだりして過ごすことが多い。
飛行機の中ではやっぱりバイオP。
②の「まちなか」ではギャラタブが活躍する。とにかくサッと出して隙間時間にサッと添削できる。
Evernoteに入れたPDFを表示してメモ帳にコメントをメモしていく。つまりPDビュアーだ。
タブレットは文章入力には向いていないので、無理に入力マシンとしては使わない。文字入力はよほど簡単な返信で済ませられるメール処理くらいかな。
超隙間時間でできるので、まちなかを散歩したりハイキングしたりしつつ、気持ちよく座れそうな場所を探しては一休みしつつ添削。さらに御堂筋線で江坂から新大阪に移動する間に、とか。極端なときは信号待ちの間にさっと読んで、歩きながら考えて、立ち止まってちょっとコメント書いて…ということもある。
ギャラタブをカバーに入れ、メモ帳とセットで使います。
この時はA6サイズのメモ帳。今はB6サイズを使っている。
③の喫茶店やファミレスでは机があるのでPCを使う。
喫茶店の場合、電源の有無と無線LANの有無が重要だが、通信速度が必要な処理をしないのでWiFiルーターさえ持っていれば無線LANは特に必要ではない。それより重要なのが電源だ。
よく行くまちは電源のある店を覚えているが、たいていはスマホを取り出してモバイラーズオアシスで検索する。
ルノアールで電源を確保し、バイオとギャラタブで添削中。
WiFiルーターやマウス、ACアダプタも含めて一式をボディ
バッグに入れ、徒歩か自転車でまちを移動するのが好きだ。
④のホテルは電源は無論、有線/無線LANがあるのでおおいに店開きできる。通信速度が確保できれば、skype会議やskype模擬面接も可能だ。
PC2台とギャラタブを全部使って作業中。
まあたいていは2台までで十分だけど。
ノマドワークを支えるのはやはりクラウド環境。うつでもどこでもつながらないと意味がない。「光の道」が整備されればいいのだろうけれど、そんなことはまだまだ先だろうから、私は一昨年の末に買ったWiFiルーター(ドコモ)を使っている。何といってもエリアが広い。
ドコモといえばXiでLTE対応している。
そろそろ買い換えたいなあと思っている。
オンラインストレージはDropBox。以前はPCのストレージを節約したくてZumoDriveを使っていたが使い勝手がすごく悪い(同期に難があった)ので、PCのSSDに比較的余裕ができたことからDropBoxに移行した。不満はないので変えるつもりは今のところない。

ソフト(今はアプリか)類はGメール、Evernote、Word、Excel。
メールはGメール以外使っていない。会社と自宅のデスクトップのメール(OutlookExpressあるいはWindowsLiveメール)も全部Gメールで吸い上げている。これによってメール記録がすべてクラウドに上がるので、どこでもどのマシンでも同じメールが読める。
Gメールはスマホの電話帳とも同期しているし、その電話番号はskypeも拾ってくれるから楽だ。
Evernoteはもはやメインツールになっていて、添削はすべてこれでやる。受け取った添削書類はすべてPDFにして本文とともにEvernoteにペーストする。そしてコメントをEvernoteで書き込んでコピーしてGメールの本文にペーストする。Evernoteはノートのマージで、Gメールは返信の繰り返しで、それぞれスレッドとしてどんどん追加されていくので、1人あるいは1つの案件に1スレッドという形で過去のやりとりも含めてすっきり整理できるのだ。
そうそう、紙の資料などはスキャンして全部Evernoteに入れている。名刺も同じ。ツアーから帰ってくるとまとめてスキャンするし、スマホで写真を撮って名刺アプリでエバーノートにアップすることもある。(免許証や保険証、資格登録証なんかも全部Evernoteに入っている)
Wordはセミナーテキストなどの文書作成にしか使っていない。Excelはもっぱら台帳に使っている。これらは全部DropBoxにしか保存しない。
写真は全部Picasaにアップしている。Evernoteで写真撮影機能もあるのだが、いちいちタイトルなどつけるのは面倒なので、カメラアプリで撮影し、時々まとめてアップする。過去の写真は全部クラウド上にあるから、スマホ・タブレット・PCどれででも閲覧できる。落としてくるのにすこし時間がかかるけどね。
こういう使い方だから、PCのストレージに保存されているデータはDropBoxの中にあるものだけだし、スマホもGメールしか使っていないから電話帳は空。だからPCもスマホもタブレットも買い換えてもデータの移し替えは不要だ。

やはりキーワードは「同期」ですね。ストレージもメールもテキストも写真も、全部クラウドにあげることで同期できる。少し時間を置かなければいけないけれど、PCで作業していたものをタブレットで続きをやったり、ホテルに置きっぱなしのレッツノートでの作業の続きを、外に出てバイオでやったり。
だからUSBメモリやらSDカードは一応持ってはいるけれど、他人とのデータの受け渡し以外にはまずもって使わない。

持ち歩いている電子デバイスの中で、唯一これらと切り離されているのがリーダー。
PCとマイクロUSBで接続してデータをやりとりし、日ごろはスタンドアロン。だから不便といえば不便だけれど、これはもっぱら文庫本を読むのにしか使っていない。
暗いところではちゃんと(?)読みにくくなる紙の本のような電子ペーパーで文庫を読みながら一人居酒屋というひとときも欲しいわけです。
リーダーで文庫本を読みながらの日本酒タイム。
つまみはホタルイカの沖漬け。至福のひとときです。
ネット配信で購入するとすれば、それは雑誌や新聞だろうけれど、それだったらタブレットで十分。そうなるとカラーである程度大きな画面がほしくなるが、それはたとえばLG電子が量産に入ったという「折りたためる有機液晶」を使った、極薄の2つ折りにできるiPadみたいなものが現れたらそれを買えばいいなと思っている。それまでは今のギャラタブで十分。

2012年4月25日水曜日

いいえ世間に負けた

今日は久々のオフ。ゆっくり起きて朝食はブランチにしてしまうことにしてコーヒーを飲みながら机に向かう。ツアーの後は事務処理がたまっているからね。
そのまま添削やセミナーテキスト編集などに移行してずっとデスクワーク。いいかげん飽きてきたのと暖かい穏やかな天気なので、久々に車を運転して出かけた。
少し買い物をして頼んであったジャケットを取りに行って、いい気分で走っていたら、
「げ、今年の活動用のススキを採ってない」
と気がついた。
火起こし体験にはガマの穂とススキの穂が欠かせない。ガマは一度に使う量がたかがしれているからいいのだが、ススキは1回の活動で大袋1つ分くらい使ってしまう。今年の穂が出てくると去年の穂はなくなってしまうから、今のうちに採っておかないとまずいのだ。
あちこち走って穂が残るススキが群生しているところを探して、剪定用ハサミで穂を刈取り、大きなごみ袋に入れていく。
はた目には実にアヤシイ。まして山菜シーズンだけに。写真の場所はすぐ横に竹林があり、ちょうど頭を出したばかりのタケノコがいっぱいあって、これはもう実に目の毒である。
しかし今日は時間がたっぷりあるわけではないから(早く帰って添削をしないといけないのだ)、もうルーチンワークで手早くずんずん作業を進めた。
こういう穏やかな暖かい日に、ふわんとした気持ちで無心で外作業をするというのは楽しいものなのだが、それができないのがちょっと残念。やはり1日24時間では足りない。

それでも気持ちよく1時間ちょっと作業をして、うっすらと、いやもう少しはっきりと汗をかいて帰宅。
こういう季節がずんずん進んでいく時期に、それに目もくれずに電車や飛行機で移動しまくって、部屋の中で講義とか添削をしている日々というのは、やりがいはあるけれど豊かとはいえないのかもしれないなあと感じる。
おそらく今の時期に毎日外に出ていると、季節の移り変わりがはっきりわかるのだろう。風の肌触りとか緑の色合いとか水のぬるみとか、いろんな季節の現れを発見する喜びもまた格別なのだろうな。
そういうものに寄り添いながら地に足をつけて日々を送る生活もまた憧れるのだけれど、それはきっと「ないものねだり」なところもあって、そうなったらなったで日々ぐいぐいと日本中を移動していく生活に憧れたりもするのだろう。

2012年4月24日火曜日

ボロボロじゃなくて

9時過ぎの琴電で屋島へ。(高松以外の人にはわからんか?)
琴電屋島駅から歩いてほどなく四国民家博物館があるのだが、今日は午前中が空いているので、ここを見学してみようと思ったのである。
1時間くらいですむだろうと思ったら、なんのなんのじっくり見るには半日近く必要なボリュームだ。
文化財登録されている民家が集められているのだが、実に興味深い。とりあえず写真だけいっぱい撮ったものの、これはぜひ日を改めてじっくり行きたいところだ。
琴電に乗って出発。ちなみに私は鉄ではない。

屋島。安山岩だか玄武岩だか、典型的な溶岩台地。

案内カンバンその1。

案内カンバンその2。いっぱいあるのだ。

入口のかずら橋。踏み板が隙間だらけで、踏み外すと足くらい出てしまう。
これってけっこう怖いのである。というか高齢者は無理だと思います。

階段は木製。おそらく枕木流用と思われる。

能部会はそのまま観客席を備えて活用している。

民家の中にはかまどなど詳細に復元。

床を竹でふき、上にゴザを敷く形式の民家。
こういうのは実に興味深いなあと思わず見入る。

さすがは讃岐、砂糖絞りの小屋というのがある。

小屋の内部。これを使って砂糖を絞ったらしい。

イノシシ・シカよけの石積みの壁。所々に隙間を作ってあるが、
その先には落とし穴が掘ってあり、生け捕りにして食べたらしい。
いや~、こういうの実に実に興味深いなあ。

今年は筍の「なり年」とのことで、筍だらけ。
そういえば今年は全然取りに行ってない。ToT

昼食を食べたうどん屋さん。有形文化財登録の屋敷を
そのまま使ってうどん屋をしているとのこと。すごい!
午後は 企業依頼の講義。夕方終了後すぐに高松駅へ。あとは一路小浜へ。

「うどん駅」になったと聞いたが、以前と何も変わらない高松駅。
岡山までマリンライナー、岡山から新幹線、新大阪からサンダーバードと乗り継いでいく。
10日ちょっとのツアーだったけど、なんだか芯から疲れて、もうぐだーっとしたくなったので、酒類を購入。

もうこんな感じでボロボロで帰りました。
あ、ボロボロじゃなくてヘロヘロか。
あ、ヘロヘロじゃなくてベロベロか。

敦賀駅で小浜線の終電に乗る。
1両だけのワンマンカーがひっそりと止まっていた。

中には誰もいなかった。「え、これって本当に無人?」
と不安になって見に行ったら、幸いにも運転手がいた。
それでも発車時には5分の入りになっていたけどね。
いやあ、10日程度のツアーなんてめじゃないと思ってたけど、疲れました。

2012年4月23日月曜日

うどん県だが牛丼

通勤ラッシュ直後くらいの御堂筋線とJRを乗り継いで茨木へ。夕方まで講義のあと、今度は帰りの通勤ラッシュ直前のJR快速で舞子へ。案の定、大阪あたりから通勤ラッシュ。
そんな中、ひたすらに添削を続けていく。出願期間も終盤に差し掛かり、添削依頼もラッシュなのだ。
舞子駅で降り、高速舞子からバスに乗る。
考えてみたら高速バス停というところからバスに乗るのは生まれて初めてだ。淡路島方面へのバスはずらっと列ができ、どのバスも満員。生活の足になっているのだろうか。

やがてやってきた高松駅行きバスに乗車。9時前高松に到着。すぐホテルにチェックインして、とりあえず腹ペコなので外へ。
瓦町に近いので、よほど一人居酒屋を、とも思ったが、それなりに疲れてもいるので吉野家で牛鍋丼を食べておとなしくホテルに戻った。^o^

2012年4月22日日曜日

添削して洗濯

10時から17時までいつもの新大阪丸ビルでセミナー。10時~13時と一般部門、久々のパリワールでカレー・ナン・サフランライス・チキンの昼食を食べ、14時~17時と総監部門。
16時すぎの最後の休憩時間、かなり疲れているのがわかった。ここにフトンを敷いて寝たい!と思った。もしかしたら講義の内容がやや乱れてしまったかもしれない。精一杯やったつもりだが、もしそうだったらごめんなさい。

終わってからマンツーマン講座受講生の方と個別相談、そのあと出版でずっと以前からお世話になっているH社長と会食。いろいろ気を使ってくださって申し訳なし。
思ったより早い時間にホテルに帰れた。
さっそく部屋で添削を続ける。合間をみて洗濯。うーむおんなじおんなじの生活になっている。

ということで、今日も写真なし。こういうときはいっぱいいっぱいで余裕がないのです。
気持ちに余裕があるときは忙しいさなかでも写真をとるものだから。

2012年4月21日土曜日

洗濯して添削

佐賀大学にて午前中総監、午後一般部門の講義。午後は70以上の人が来たらしい。APEC-semi主催の受付もろくにしないセミナーに比べると、NPO技術交流フォーラムのセミナー運営のきちんとしていること、スタッフの皆さんの真剣な取り組み、若手への継承など、いつも感心することばかりだ。

終了後、忘れた上着を届けてもらうなど相変わらず迷惑をかけっぱなしの末、特急や新幹線をこまめに乗り継いで大阪へ。
快適な「さくら」車内で添削を進めるも、広島あたりで落ちた。
新神戸のあたりで復活するももはや手遅れ、間もなく新大阪へ到着した。
皇蘭でラーメンを食って(ここのラーメンは妙に私に合うのだ。小浜でいうと「ラーメン藤」と似た味だ)御堂筋線で江坂へ、いつものサニーストンホテルにチェックイン。
ランドリーで洗濯しつつ添削して風呂で買ったばかりの文春を読んで…と、ツアー先ホテルでの行動ももはやワンパターンとなってしまった悲しき私でありました。

今日はバタバタしてたので写真なし!
うーむ、福岡に行ったのに写真が1枚もないわ、佐賀の写真は飲み会の写真だけだわ、これっていったいどうなんだろう。^o^;

2012年4月20日金曜日

全員酔ってます^o^

福岡で目覚め、バタバタと用意して地下鉄で天神へ。すき家で卵かけごはんと鮭の朝飯を書き込んでセミナーへ。
16時に終了して、すぐに博多駅へ向かい、特急かもめで佐賀へ。なんだか福岡はあっという間に通り過ぎて行った感じだ。
佐賀に到着してチェックインしてすぐに駅へ。技術交流フォーラムのMさん(M委員長ではない!)が笑顔いっぱいで待っていてくれた。ひさしぶりーとこちらも笑顔になる。嬉しいなあ。
昨年ギョロッケを食べた同じ店で懇親会。もう何度も来て、何度も一緒に飲んでいるので、もはや何の硬さもなく、冗談をいいあってわいわいと楽しく飲んだ。幸せいっぱいです。

12月に札幌で飲みましょう!という約束をした。木材利用シンポジウムが一昨年は佐賀、昨年は福井、そして今年は札幌なのだ。よし!模擬面接か何かにひっかけて行くぞ!と暖かな九州の気候の中であたたかくなってしまった脳みそで誓ったワタシなのでありました。
…こういう飲んだ時のノリで決めてしまった約束がどんどんたまっていくような気が…

2012年4月19日木曜日

ありがとう

沖縄3日目、10時半にゆっくりとチェックアウトして国際通りへ。
パーキングに車を止め、市場通りをゆっくり見物しながら公設市場へ。

平日の午前中でまだあまり人はいないが、それでもあいかわらずの活気。両親は?とみると入口近くの店のおばあと談笑しつつ試食し、なんだかいっぱい買っている。うーむ、思うつぼ…^^;
再び国際通りに戻り、いつも行く「ミージャ」でお菓子などを買う。ここは数少ないカード決済対応の店なので、私はいつもここである。
泡盛、ランチョンミート、麩など、昨年11月のデジャブかと思うような買い物をして、両親もちょっと理解を超えるほどサーターアンダギーを買っていた。またも店のおばあの思うつぼ…^^;
車を取りに歩いていると、ゆめたくさんが車で手を振りながら通り過ぎて行った。またもデジャブか?

山のような買い物は全部送ってしまい、身軽になってレンタカーを返して空港へ。本当はゆめたくさんに教えてもらった食堂で昼食にしたかったのだが駐車場が満車だったので断念したのだ。
空港で簡単に昼食をとり、14時の飛行機で大阪へ。
16時に到着し、それから2時間半も空港で時間をつぶし、ようやくやってきた高速バスに両親を乗せた。これでバスに乗っていれば小浜に到着し、そこには女房が待っていてくれる。
ほっとして再び大阪空港に戻り、さらに1時間半待って福岡行きの便に乗った。
なんだか1日中空港にいたような気がする。添削は進んだけど。

昨日の首里城でちょっとだけぱらっと雨が来たけど、あとはなんとか持ちこたえてくれた。
すごろくさんによると今日は思いっきり雨らしい。私がいなくなったので抑えがきかなくなったんだな。笑。
1年越しで実現した大事な大事な両親との旅行、いくつかのミッションが失敗に終わったけど、大過なく終わって本当によかった。いろんなものに感謝します。

2012年4月18日水曜日

わっせわっせと強行軍

朝ゆっくり起きて朝食をとり、9時半にホテル出発。
まずは那覇埠頭から出るグラスボート「オルカ号」で海中遊覧。
本日のコンディションは「やや揺れます」&「あまり見えません」だったのだが、まあまあの内容で、両親も楽しんでくれたようだった。

サンゴ礁だが、ひとつのあまり大きくないリーフをぐるぐる
回っていたようでもあった。まあ那覇近海だから。^o^;

ベラか?けっこうたくさん泳いでいた。

こんな感じで皆さん窓に釘付けです。
今回の乗客は大半が中国人。沖縄にもかなり観光に来ているようで、これは実にいいことだと思う。
昼にはまだちょっと早いので近くの漫湖へ。

環境省の漫湖水鳥・湿地センター。ここは最初に沖縄セミナーに来た時、セミナー翌日にシゲさんとスッパイマンさんが連れてきてくれたところだ。本当にありがたかった。1日使っていろいろと連れて行ってくれたお二人の心遣いは一生忘れない。
ここで木道を通ってマングローブの見学。小さなハゼやシオマネキを見て両親も喜んでくれた。

昨日の失敗ミッションをカバーするため、今日こそ守礼そばで昼食。二人とも初めて食べる沖縄そばだったが、好評だったようだ。
車の中で両親が一休みする間に首里城へ移動。それなりに高低差もあるし段差や階段もあるのだが、なんとか一回りした。


正殿は見事に復元されていた。

琉球王朝のお菓子体験をやっていた。
いいなあと思う。ずっと継続的にやってほしい。
ここでさすがに両親ギブアップ。まだ3時だがホテルに戻って休むことにした。
夕食は必殺「海のちんぼらぁ」。1階で我々が夕食を食べ、2階ででいごの会のみんなが総会をやっているというわけのわからない構図。
両親をタクシーでホテルに送り出し、でいごの会に合流。

密度の濃い、まとまったんだかどうだかわからない会議をして、楽しく飲みました。もはや久しぶり感があまりない面々。いいねえ。
もちろん最後は沖縄そばで締めましたとさ。
技術士の入った名刺をみせびらかすたくく。笑。

2012年4月17日火曜日

ちょっと力入りすぎ?

9時前に大阪空港に移動し、9:30に両親の乗ったバスを迎え、3人で沖縄へ。
両親ももう80歳をこえ、これから何かしてやれる機会がどれだけあるかわからないということに愚かにも去年やっと気が付いた。
そこで6月の仙台セミナーの時に両親と女房、うまくすると子供も一緒に松島へ行こうと思っていたのだが、東日本大震災でこれを断念。
かわりに7月に釧路に行こうと思ったが、親戚に不幸があり断念。
そこで今回の沖縄となった。これも本当は5月のセミナーに合わせて…と思っていたのだが、考えてみればその時期は沖縄は梅雨。道理で青い空と青い海をほとんど見られていないはずだ。私のせいではなく、時期が悪いのだ!!!
…いかん、興奮してしまった。えーと、なんだっけ。ああそうそう、そういうことで4月に沖縄行を計画したわけでした。
せっかくだから出願書類作成のセミナーみたいなものを…とも思ったのだが、ド平日なので断念。今回はただ観光のためだけに沖縄行となったのである。
3度目の正直、今度こそは…と思っていたら北朝鮮のミサイルで今回も危ういか?とヒヤリとしたものの、幸いに決行とあいなった。

とまあ、今回は観光とはいえ、私としてはそれなりに力が入っているのである。
まず力を入れたのが飛行機。狭いエコノミーでは辛かろうとプレミアムチケットを取った。清水の舞台から飛び降りる思いである。
やはり快適だなあと思いつつバイオを取り出し、さてさて、いつものようにコーヒーでも飲みながら添削を…と思っていたらCAさんが「お食事はどうなさいますか?」と怪訝な顔で尋ねるではないか。
うーむ、エコノミー一筋男にはそういう発想がなかった。
これがまたきれいな京料理のお弁当でおいしい。しかしこれで満腹になってしまい、<ミッションA:那覇空港に着いたらすぐに守礼そばで沖縄そば!>はあえなく消え去ってしまったのであった。^o^;

那覇空港でレンタカーを調達。はじめて運転する沖縄の道。自分で運転してはじめて琉球石灰岩の入った白っぽいアスファルトを実感した。グアムのときもそうだったが、自分で運転しないと気がつかないものなのだ。

まずは母のリクエストでもあるひめゆりの塔へ。ちょうど修学旅行とバッティング。若狭高校も修学旅行は沖縄だけれど、平和教育は絶対になくしてはいかんなと再認識。

がじゅまるに囲まれて立つ慰霊碑の横にはきれいな資料館。
平和祈念資料館でもそうだったけれど、沖縄のこういった資料館はしばしば明確な「相手」に対する明確な「NO」を感じさせる。ひめゆり資料館入口の「私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません」という言葉は強烈に突き刺さった。
ここで早くも両親に疲れが出てきたので平和祈念資料館を断念して知念岬公園へ。


どーだどーだ見たか見たか。青い海と青い(ちょっと雲が多いけど)空。やはり4月に来て正解だったのだ。というか今回のツアーは私は完全に晴れ男と化しているのだ。
両親の存在を忘れてしばし見入る。
自然であること、それが広いこと、絶えず動いていること(今回は波ですね)、複雑な(フラクタルな)ものがあること(今回はサンゴ礁の中の入り組んだ色、つまり水深分布)、これらが揃うと私は見入ってしまうらしい。知床一湖もそうだった。

近くのトイレに行こうとしてふとみると、生活リズムを守ろうという啓発カンバンがあった。「帰宅はおとな午前0時までに」って…「望ましい生活リズムを」って…沖縄の人はやっぱおおらかなのか?

夕方ホテルにチェックイン。「ナハテラス」というリゾートホテルで、まあはっきりと分不相応だが今回はいいのだ。
ホテルの窓から市街を臨む。
夕方5時だがまだまだ昼間。
夕食はゆめたくさんのお勧めの「料亭那覇」。「沖縄の料理」ではなかったものの美味しかった。…のだが、両親とも腹いっぱいになってしまって、もうどこにもよらずにホテルに帰ろうということになった。かくて<ミッションB:腹ごなしをかねて国際通りをちょっとブラつく>はあえなく消え去ってしまったのあった。^o^;
うーむ、全般に力入りすぎか?
まあタクシーの窓から国際通りのにぎわいは楽しんでもらったと思っているのだが…

明日も沖縄観光は続く…のだが、添削ちょっとヤバイんだけど…ーー;

2012年4月16日月曜日

みんなおんなじおんなじ

午前中ホテルと喫茶店で添削しつつ過ごし、午後から市内で講義。
終了後名古屋駅に向かい、ともともさん、クレヨンしんのすけさんといつもの「山ちゃん」で夕食。いつもながらハイペースでホッピーを飲んだのでいつもより酔ってしまい、名古屋に向かう新幹線の中では添削を断念してずっと寝ていた。^^;

新大阪駅から地下鉄で千里中央へ、さらにモノレールで大阪空港へ。
新大阪駅にて御堂筋線地下鉄待ちのホーム。
みんなおんなじかっこうでケータイやスマホを
見ていたのがおかしくて1枚撮ってしまった。

夜の大阪空港。がらんと静まり返っていた。疲れた…
ホテルに電話して送迎バスに来てもらい、チェックインしてランドリーで洗濯しつつ風呂に入り、添削やメールチェック。ところ変われど同じことをやっているなあ…