2015年1月31日土曜日

山の天気は

アブラギリを一緒にやっている若狭東高校の課題研究発表会があった。ほとんど生徒と父兄だけど、その中に紛れ込んで見させてもらった。

生活科学科は薬膳料理に取り組んだ。限られた時間の中でがんばったなあと感心。

産業技術課の生産コースはLEDと栄養液で土を使わず屋内で野菜を栽培する「野菜工場」。先進的な取組で、すっごく興味をひかれた。

そしてアブラギリに取り組んだ産業技術科建設コース。今年付き合ってよく知っている顔が壇上で発表しているのを見るのはやはり感慨深い。

里山シンポジウム。こうして生徒、あるいは学校の視点で見ると、もっとこうしたほうがいい、これもやったらどうかみたいなことが頭の中にいっぱいわいてくる。
まだ他の発表も続くけど、休憩時間になったのをしおに退出。明日の雪室作業の準備のためにコンテナ運搬などバタバタしたあと、いったん帰宅して昼食。

上根来でちょっと作業しておこうと思って前を見ると、なんか雪が舞い踊る向こうに多田ヶ岳がほとんど見えなくなっていたり…大丈夫かなあ。

下根来を過ぎたあたり、杉の横面にだけ雪がへばりついている。まあそれだけ風が強かったということだな。

畜産団地手前の道には雪がけっこう積もっていた。まあ新雪じゃなくて轍があるから大丈夫だが。

畜産団地は寒々しい山奥の光景の中でひっそりしていた。

雪室は半月前のまま。それでも壁際などはクレパス状に融けていた。やはり断熱が課題だ。

入り口に鍵をつけた。明日からは食料を入れるわけだからね。これだけの作業なのだが、指がかじかむ寒さの中なのでずいぶん時間がかかってしまった。

酒ケースも使うので、ゲストハウスに取りに行った。スノーシューズを履いて行ってみると、玄関付近がいよいよ雪に埋もれていた。ゲストハウスの看板はもうボロボロ。

わずかに雪囲いの波板が見える奥に玄関の戸がのぞく。ここに体を無理矢理ねじ込んで中に入る。あこちゃんだとするりと入れるんだろうが、私はギシギシと入った。

いろんなものを持ち出すのに30分ほどかかったろうか。その間に雪景色というか吹雪景色に一変していた。

山の杉林が何とも幽玄な…なんて眺めている場合ではない。早く仕事を終えて帰らねば。
大急ぎで畜産団地まで荷物を運び、これまた大急ぎで山を下りる。

瞬く間に道路に新雪が積もって、どこが道路なのかわからない。ケータイも飛ばないし、ここでスタックしたり脱輪したりしたらオレどうなるんだろう…

なんとか山を下り、今度は明日真空パックで貯蔵する食材のパッキング。今回は鯛カツ、あじ醤油漬け、鯖醤油漬けの3品目をそれぞれ3パック作る。

鯛カツは最近合格祈願食材として売り出している。ぜっ鯛カツ!…って。^^;

真空パックした鯛カツと鯖醤油漬け。雪室に放り込んでどう変化するか観察する。野菜のように生きているものは糖度が増したり変化するけど、こういった加工食品はいつまで持つだろうか。

あじ醤油漬け。朝飯なんかはこれがあれば何もいらないよねえ。これもどうなるだろう。

いやあ、よく動いたなあと疲れながらも満足して帰宅。まだ早い時間だけどビールなど飲んでまったりしたいたら、なんと京都のおじさん(女房の亡父の弟)が亡くなったとの知らせが。
明日は雪室作業を早めに切り上げて京都に走らないといけない。まったく落ち着きのない人生である。

2015年1月30日金曜日

冬はマージャン

今週はずっと寒く、晴れ間はたまにしか見られない。だいたい1月はこんな感じの天気が続き、節分を過ぎると寒さが緩む。そして3月初旬に戻り寒波が一度やってきて春になるというパターンだ。

今日はわが雲浜一丁目区でオバマージャン。わが区ながらすごく元気で、他所と比べてツモってから切るまでも早いし、洗牌もみんなで大きく動いてぐわーっとかきまぜる。とにかく元気なのだ。いいことだ。

ゲームもかなり真剣で、だからだろうけれど、飲み込みが早く、途中からはあまりアドバイスしなくてよくなった。次は牌を貸すだけで自分たちでやってしまうんじゃないだろうか。いいことだ。

3月以降のセミナーツアーの予定を立て始めたが、なんだか今年は例年以上に大移動というか、早朝からヒコーキに乗って…とか、日本列島縦断とか、キツイ移動が多いような気がする。
なんかみんな、「ご苦労様です」と一言いえば、早朝深夜でも動かして大丈夫だぜ、みたいになっているような気がするんだけど…気のせい?

2015年1月29日木曜日

あなたの夢は何ですか

今日は第4木曜(あれ?第5木曜だ。でもまあいいや^^;)なので木曜会である。
毎月第4木曜に集まって飲む。以上!という会である。
ここ数年、1月は濱亭で開催している。濱の湯であったまってから、風呂上がりのビールをぎゅーっとやろうぜ会である。
7時スタートなのだが、「6時から準備運動してます」という若狭坊のメールにだまされて6時過ぎに来たら、誰もいない。

仕方がないから、一人で焼酎飲みながらPC開いて練習をしていた。
それでも予定時間を遅れること20分ほどで無事開宴。というかずるずるとスタート。

まあこんな感じで、人もまばらな一角に集まって異様な光景を醸し出しつつ和気藹々と飲んでます。

若杯者と地元の「わかさ」の飲み比べ。甘口のわかさと飲み比べると、白ワインのような若杯者の風味がいっそう際立ちますな。雪室熟成させると面白くなりそうだ。
気持ちいい酔いの中で、新しい動きがどんどん話に上り、「やろうぜ」という話になったり、日程まで決まったりする。この辺も木曜会の面白いところだ。こういうノリの中からいろんなものが生まれるのだと思う。これってSUKIYAKI塾と同じ楽しさ・ワクワク感で、「夢が広がっている」感じがするのですよ。
「あなたの夢は何ですか」と聞かれて「こういうことです」と迷わず答えられることの喜びと言ってもいいのかな。だってそれの答えがなくなったら人生店じまいだものね。

まあとにかく「次にやること・やりたいこと」がいっぱいできた夜でした。問題は、明日になってもそれを覚えているかどうかだな。^o^;

2015年1月28日水曜日

7年前のスライド

何か発表とか執筆といった機会があると、これまでやってきたことを整理できて、「ああ、そうだったんだ」と再認識できることがよくある。そういう点でいろんな発表とかプレゼンはありがたいなあと思っているのだが、24日の技術士会社会貢献事例の発表もそういう機会になった。

以下の4枚のスライドは、2007年10月に技術士全国大会が福井であったときに作ったものだからもう7年以上前になるのだが、それをほとんどそのまま今回使った。

これはつまり、行政や住民、企業などが互いに「重なり合った部分」を持たず、主従関係とか要望・お願いとか、まあつまり互いに利害関係があって、命令とか要望とかお願いなんかはしても協働はしていなかったよねというイメージ図である。
そしてその中で技術者は、企業の(行政の、でも同じ)奥の方に引っ込んで、「オレの持ち場は専門技術だけだかんね」みたいにしていればよかった。というかそういう引きこもり技術者みたいなものでよかった。

今は、互いの立場を理解しつつ協働することが求められているし、その「重なり合い」部分を担う組織も生まれている。
そして技術者は組織の奥に引きこもっていないで、異なる立場の人たちが協働する場でこそ活躍すべきではないかという主張を表したスライドだ。技術者が真ん中にいるけれど、これは決して「オレが中心だ」みたいな意味ではなく、公共、市民、法人のいずれもに係わる(いずれも理解している)という意味だ。

つまり、そういう立ち位置にいる技術者、なかんずく技術士の役割は、公共・市民・法人(企業)全部の感覚を兼ね備え、なおかつ専門技術者なのだから専門技術者にこそできるアドバイスをすることではないかということだ。

とまあ、こういうことを7年ほど前に話したのだが、それをそのまま使えるということは、それを否定するような現象が起こらず、また自分の考えも変わらなかったということだ。
もちろん「予想ピッタリ」みたいなことではない。7年前、市民と法人の重なり部分に「NPO」と書いたけれど(それは市民感覚を持った、しかし法人としての経営感覚も持った組織であるべき、という気持ちだった)、公共と市民の重なり部分、「新しい公共」もNPOが担い始めている。
そういう中で、NPOに対する経営感覚はより強く求められるようになってきて、我々も法人会計講座なんてものを主催したりした。
まあつまり社会的責任ですな。「いつなんどき放り出すかわからない」ような、遊び・趣味みたいなNPOには社会の中での活躍の場は与えられなくなってきているわけだ。
私もそのことはひしひしと感じていて、また反面教師的ないいかげんなNPO運営もいくつか見てきたりしているので、日常的に強く思うようになった。
言い換えると、「社会的責任を果たせるNPO」であれば、活躍の場は7年前に思っていた以上に広くなっているということだ。

また、引きこもり技術者であってはいけないという思いも、より強くなっている。
高度な専門技術はもちろん必要だから「専門バカ」はもういらないなどと言うつもりはないけれど、社会の相互依存・相互連携がこれだけ強くなってくると、やはり専門バカでは活躍の場はどんどん少なくなってくる。
そりゃあ技術者なんだから複雑高度な解析計算がうまくいけば嬉しいのは当然だし、それが技術者マインドでもあるわけだけれど、それはあくまで技術者マインドであって、世の中の人と共有するなんてのは無理な話だ。
そこで「共有できないのなら付き合わなくてもいい」と引きこもっていくのではなく、自分の専門性は専門性で置いておいて、その前に行政責任・市民感覚・経営感覚の意識共有をすることで、自分という人間を信頼してもらう、つまり人間関係の基礎を作ることをすべきだ。そのうえで初めて専門技術者である自分の話ができるのではないだろうか。最初から「専門家ですよ」から入っていったのでは、胸襟開いてはくれないから3つのマルの真ん中ポジションには立てないだろう。つまり協働は担えない。(手伝うことはできるだろうけど)
我々技術者は、そしてその先頭に立つべき我々技術士は、引きこもり専門バカにだけはならず、社会と一緒に考え協働できる人間になるべきではないかと思うのだ。

そしてこれ。前半3つはSUKIYAKI塾でいつも言っていることだ。この3つそれぞれの後には、「やればいい」が続く。つまり無理はしなくていいよということだ。
でも「やればいい」には「やったらいいじゃないか」という意味もある。やれるのなら、何を遠慮することがあるものか、どんどんやんなさいということだ。横並び社会なんて気にするなということだ。
そして後半2つ。「右手にスコップ」は「汗をかこう」という意味で、でもそれだけだと求道者みたいになってしまって潤いがなくなるから、「左手にビール」、つまり楽しもうよということだ。まあ私は通風があるのでビールじゃなく焼酎になったり、「(プリン体オフ)」がくっついたりするけれど。^o^;

そして今回は新しい発見もあった。それをまとめたのが今回新しく作ったこのスライド。

ボランティア活動において技術者はプロボノになる。ボランティアというのは当然だが無償であることで、それはこれも当然だが無料ということではないのだが、その話はここではややこしくなるから横に置いて、無料だろうが無償だろうが、あるいは有償だろうが、単純労務を提供するものとスキルを提供するものは異なってくる。「自分ならでは」の高度な専門技術力は当然だが後者に活かされる。
ではそれができる人間、つまり専門家は、そのスキルを提供するだけが出番なのだろうか。「アドバイスお願いします」と言われたときだけが出番なのだろうか。
「重なり合う3つのマル」の真ん中にいられるということは、公共・市民・法人それぞれを理解しているファシリテーターたりえるということだ。
そして技術者がその役割を果たせるとすれば、それは「専門家の側面も持ったファシリテーター」だということになる。技術士の社会的役割のひとつになるのかもしれないなあと思うのだ。
「新しい発見」と書いたが、これはまったく新しい発見ではなく、「まとめ」みたいなものかもしれない、7年前に思っていたことは、今になって整理してみるとこういうことだったのかな、という感じだ。

まあともかく、7年前のスライドが色あせていないということは、自分が迷っていないということなんだろうなと思って嬉しかった。

2015年1月27日火曜日

じわじわと前へ

雪室シリーズが続いていて、まずは若狭坊にお世話になって、JA若狭で生味噌の提供やコンテナボックス借用の協力をいただいた。さらに若狭坊のほうから別のコンテナも借用段取りをしてもらった。若狭坊、ありがとね。木曜会でいっぱい注いであげるからね。
そこでエンジンがかかってしまって、発酵食品つながりということで、とば屋酢店へ飛び込み営業。
ここは伝統製法で酢の醸造をしている(こちら)ので、何か付加価値製品ができるかもしれないという期待があったのだが、専務がノリノリで協力というか参加してくれることになった。四六時中、どうやって付加価値をつけて商品を売るかということを考えている人だということがよくわかった。
さらに勢いづいて地元マーケット・ママーストアーさんで野菜・果物その他の貯蔵品の内容や受け渡し方法などの詰めの打ち合わせをして午前中は終了。ずっとつきあってくれたA君、ありがとう。
ちょうど昼飯どきなので、もりけんへ。ここは同級生(かつ同じ町内)がやっている蕎麦屋なのだが、越前そばに必須の辛味大根や蕎麦を雪室に入れてみようというわけだ。辛味大根の提供と、蕎麦の入手先を教えてもらいつつ、旨い蕎麦で昼飯とした。
これで貯蔵食品はだいたいそろったし、コンテナも確保できた。いろんな方々に協力してもらってすごく嬉しいとともに、いよいよ期待を裏切るわけにはいかん、いいかげんにやれないぞと気を引き締めた。

午後、オバマージャン。11月に一度やった地区が「面白かったからもう一度」と声を掛けてくれたもので、さらに帰りがけに「また5月か6月にお願い」と言ってもらった。いやあ、嬉しいなあ。今回も写真は撮り忘れたけど。^^;
オバマージャンもけっこう人気が出てきて、来月にはボランティアサポーターさんに対する講習もすることになった。
こうして成果が出てくるのもまた嬉しいものだ。

帰宅後、福井放送ラジオの電話出演。祭りや雪室などでもう何回が出ているのだけれど、今回は「究極のへしこ講座」について。主催者は観光局なんだけど、担当者出張につき対応できず、主役のへしこ博士は勤務時間中に出演などできず、私にお鉢が回ってきたというわけだ。

3時45分過ぎから10分間弱だけ出演。これまでと同じように対応したつもりだけれど、心なしか「前に出た感」が強かったような。あれもこれもと動き回ったイキオイがまだあって、若干ハイになっていたのかもしれない。

…などと考えながら、コーヒーを飲んで一息ついていると、A木君から電話。コンテナボックスをさっそく運んできてくれたのだという。我が家の軒下に搬入。上根来の現場にもいくつかコンテナはあるから、これでとりあえず足りるだろう(と思うが…^^;)

隙間時間があったらちょっとでも添削を進めようと思ってパソコンやタブレットを持ち歩いていたけれど、結局見る暇もなかった。
いろんなことが前に進んでいるのが実感できるということは幸せなんだろうなと思う。

2015年1月26日月曜日

大いに刺激を受けました

雪室のことで勝山まで行ってきた。福井県外の人にはわかりにくいと思うが、小浜市と勝山市は件の両端にある感じで、すごく遠い感じがするのだが、高速道路の力で2時間かからずに着いてしまった。
勝山市は奥越といって福井県内では中山間地、豪雪地帯になるのだが、ここも雪室に取組んでいる。その協議会からお誘いを受けたので行ってみたのだ。
10月に新潟に先進地視察に行ったときにいろいろと教えてくださった伊藤さんが学識者として出席しておられた。去年説明を受けたときはまだ全体像がつかめないというか、頭がおなかいっぱい状態になって、ただただ聞いているしかできなかったのだが、あれからいろいろ経験したり考えたりした今、改めてお話を聞くと、こちらの理解度も上がっているのだろう、すごく参考になった。
会議終了後、寒いロビーで1時間以上も我々の相談に乗ってくれた伊藤さんに心から感謝。
いろんな科学的・技術的アプローチをしておられるすごい人なのだが、お話を聞いていると、目の前も、ずっと先も見ておられるのだなということがおよくわかる。
目の前のことしか見ていないと、夢は生まれないし語れない、つまらない活動になってしまう。
ずっと先しか見ていないと、非現実的な夢の話ばかりになって、現実に何の成果も残せず誰もついて行けなくなってしまう。
まあどちらもNPOとしては致命的であり、両方見ることができるというのは、本当に必要なことなのだなあと学んだ。
そして伊藤さんは、自分の後に続く我々のような者のことも、全部見てくれている。伊藤さんからみたら、基礎の基礎みたいなところ、自分がとうの昔に通り過ぎてきたところで未だにウロウロと試行錯誤している我々のような者は、さぞかしもどかしいに違いないのだけれど、決して怒ったり馬鹿にしたりせず、我々のよちよち歩きを見守ってくれる。
ありがたいなあと思うとともに、がんばらなきゃ!というエネルギーが沸いてきた。

帰路、福井駅近くで車から下ろしてもらってAPEC-semi受講生の面談。つまり今度はアドバイスする側だ。
思えばこの活動を始めた当初は、「そんなこともわからないのか」みたいにイラッとして厳しいコメントを出したりしたこともずいぶんあったように思う。まあそれだけ張り切りすぎていたという面もあるのだけれど、申し訳ないことをしたなあと今更ながら反省しきりだ。
もちろん甘くすること、甘やかすこととは違うから、言うべきことは言わないといけないけれど、それこそ子育ての「叱ってもいいが怒ってはいけない」と同じで、憂さ晴らしみたいになってしまっては絶対にいけない。いい論文や答案を書いてもらうことが目的で、凹ませることが目的じゃないし。

ところで、もう一週間ほど前の話になるけれど、今月18日に大津まで研修に行ってこられた学校図書ボランティアの皆さんのアンケートをIさんが送ってくれた。
その中に、もう涙が出そうになるような文章があった。

長年続けてきたことでなぁなぁに陥りかけていた読みに対する姿勢に喝を入れてもらったことが何よりでした。絵本作家さんの作品に込めた想いを直に伺い、それを実践として伝えるためのコツを伝授してもらい、新しい気持ちで読みに向き合えるような気がしています。特に技術に関しては、自己流で通してきたせいでこびりつきかけていた悪癖を自覚することができ、反省することしきりでした。手にすることのできたたくさんの絵本リストも活用して、小浜の子どもたちにこの講習会で得たものを還元できるよう、また頑張っていきたいと決意を新たにしました。

図書ボランティアの人たちは手当も謝金もなく、さらには学校まで行くためのガソリン代すらなく、子どもたちの笑顔や目の輝きや耳を澄ませて読み聞かせを聞く一生懸命さといったものだけを代償として活動している。今回の研修だって、参加費や交通費の一部は自腹だ。
そのうえで「なぁなぁに陥りかけていた読みに対する姿勢に喝を入れてもらった」、「反省することしきり」、「また頑張っていきたい」と考える。
本当にこの人達は地域の宝なんだなあと再認識した。この人達を粗末にしては地域に住む者として申し訳なさ過ぎる。
我んにん負きらん。またがんばろう!
図書ボランティアの皆さん、ありがとうございました。

いろんな人から刺激をいただいて、おじさんはまたがんばります。

2015年1月25日日曜日

妙に早起きした朝

昨夜は技術士会の懇親会のあと8時前には神田に着いた。
駅前の「富士そば」でもりそばをさっと食べてホテルに戻り、風呂に入ってから添削をやったりブログを書いたりしていたのだが、とてつもなく眠くなったのでごろりとベッドに横になり、そのまま寝入ってしまったようだ。翌朝は早い新幹線で帰るつもりだったから、このまま本格的に寝てしまっても別にいいやと思っていたのだろうな。

廊下で騒ぐ声がして目が覚めた。暗がりで時計をすかし見たら12時頃だったと思う。1時間か2時間くらい寝たのかな?と思いつつ、また寝てしまった。
もう一度目が覚めて、しばらくうとうとしていたがどうも脳が覚醒方向に向かっているみたいであれこれ頭に浮かんでくる。今度はライトを付けて時計を見ると午前2時。試しにパソコンで最後に保全したと思しきファイルを見るとタイムスタンプは21:40ごろ。4時間は寝たわけだ。
まあもう一寝入りしようと思ってもう一度ベッドにもぐりこんだが、寝付かれない。
目はしょぼしょして「まだ眠いよ-」と言っているのだが、頭はしっかり覚醒してしまったみたいで思考が止まらない。
私の睡眠時間最低ラインは4時間~5時間で、4時間を切るとやばい。まあ最低ラインは確保しているし、昨夜はたっぷり8時間くらい寝たからいいかと思って起きることにした。
部屋を出て大浴場へ。今回のホテルは大浴場が24時間入れるのでありがたい。タオルも浴場に備え付け、24時間使えるランドリーも3台あるし、各階の廊下にはお茶や水が自由に飲める給水器(高速道路のSAなんかによくあるやつね)があって、気に入った。
10年以上前はよく泊まっていたホテルなのだが、部屋に風呂がないので最近は敬遠していた。でもトシを取って大浴場が好きになり、「考えてみたらドーミーインと同じじゃないか」ということに気がついて久々に泊まってみたら、実によかったというわけだ。

風呂から上がり部屋に戻ると午前4時。
少しパソコンに向かっていたら、なんてことだ今ごろになって眠くなってきたが、ここまで来て眠るわけにはいかない。5時半すぎ、もう一度風呂に入り、少しパソコン仕事をして身支度をし、6:30にホテルの朝食を食べてチェックアウト。神田駅から山手線で東京駅へ。

日曜朝7時の神田駅は山手線とは思えないほどガラガラ。
東京駅では、7:33発の「ひかり」に乗ることにした。指定席予約がしてある列車はもっと後のものだが、東京駅始発だし、時間が時間だからきっと自由席に乗れるだろうと思い、ホームに出た。

案の定、東京駅とは思えないほどガラガラ。ほとんど誰も並んでいないままに「ひかり」がやってきて乗車。

まさか新幹線まで無人君になるとは思わなかった。やがて発車したが、結局私の乗っている4号車には3人乗っているだけだった。

朝の光に照らされる品川のまち。こういう景色もいいなあ…と思っていたら、再び睡魔がやってきて、新横浜に停車した記憶すらなく寝入っていた。

起きたら浜名湖。ひえええ。…富士山見たかったのになあ。
その後は何とか寝ずに米原駅で乗り換え、さらに敦賀駅で乗り換えて、昼前に小浜に到着。女房に迎えに来てもらって、ついでにココスで昼食を食べて、いったん帰宅。すぐに(荷物もほぼそのままで)自転車で文化会館へ。

「ボランティアコーディネーター養成研修」なる小浜市教育委員会主催の行事があったので出席。
最初はもっとゆっくり帰路につき、敦賀でいったん下車して駅前の「うおさき」でイッパイひっかけて帰ろうと思っていたのだが、起きたら早朝だったので気が変わったのだ。
17時前終了。帰宅して、敦賀で飲み損ねた代わりに自宅で清酒「わかさ」をレンチンで燗酒にして飲んだ。どのみちどこかで飲まないと収まりがつかない困ったおじさんなのでした。^o^;

2015年1月24日土曜日

社会貢献事例発表

技術士会社会貢献委員会の事例発表会。
神谷町の駅から技術士会のある田中山ビル、会議室のある葺手第2ビルに向かうのは、記憶に間違いがなければ2009年以来、6年ぶりである。

けっこう会場は人が来ていた。私の隣にはおじこさん、前には足が治ったらしいおじさん。

私の発表は2番目。勘介さん撮影。技術の話とはかなりかけ離れたNPOの話を何事かほざいた。

4番目は広島とWeb中継で広島土砂災害の話。これだけでなく、どの話も面白かった。

東京のSさんがくれた、芭蕉の葉で作ったバッッタ。すごいなあと感心。上根来の話をしたからくれたのかな?てか、葉っぱ持ち歩いてるの?

終了後、懇親会。さすが技術士会、プリン体ゼロビールがちゃんと用意してあった。
連夜の飲み会で気分良く帰ったワタシでありました。
ホテルに戻り、大浴場にのびのび入って、実に爽快。明日は朝早く小浜に帰らないと。

2015年1月23日金曜日

波の上のイチゴ

東京へ2泊3日のプチ旅。今回は試験ではなく、技術士会の社会貢献事例発表のためだ。

小浜線を行く。冬の寂しげな田園風紀の向こうには重たそうな灰色の空。毎日の風景だけど。

敦賀も同じ灰色の空の下、遠くの山には雪がどっさりと。冬の風が吹きすさぶホームはじーんと寒い。

滋賀県に入ると、青空がちょっと見えてくるが、雪景色。

米原が近くなり、伊吹山が見えるとかなり明るくなってきた。

新幹線で関ヶ原を越えたとたんに、なんじゃこりゃ的のほほん青空。まあこの季節はいつもこうなんだけど。

富士山がきれいに見えた。この冬の空気の透明感はすごいね。

秋葉原もピーカン天気。今回はコレハという掘り出し物はなかった。

今回のホテルは神田だが、昔懐かしい「ミルクホール」に感激。何のことかわからない人も多いだろうなあ。
ホテルにチェックインして、せっかくの大浴場を楽しみ、一息入れてから電車で新木場へ。駅でγにゃんぱいさんと合流して高架下の飲み屋で早速予行練習。途中から中々さんも合流し、そろそろ行こうかと店を出るとkikuchiさんがいるという、ここは集合場所かい状態。

駅からシャトルバスに乗って、着いた先はアヤシゲな倉庫。寒気の中待っていると、「どうぞこちらへ」の声。

桟橋に出ると屋形船が待っていた。今日はSUKIYAKI塾東京の新年会on屋形船なのである。
この屋形船は飲み放題&もんじゃ食べ放題。もんじゃ食べ放題って…^^;

乗船するや否や、もんじゃのことはワシにまかせとかんかい!的にひたすら鉄板奉行と化するラガーマン会長。

窓の外には東京の夜景が一望できる。ブレてるけど。

しかしそんなことには目もくれず、ひたすら焼いて焼いて焼きまくるSUKIYAKI塾東京のメンバーであった。

おお、しぶきのかかった窓の外に見えるあれはレインボーブリッジではないか。

しかしそんなことには目もくれず、ひたすら焼いて焼いて焼きまくるSUKIYAKI塾東京のメンバーであった。

最後にはイチゴクリームが登場。デザートかな?と思いきや…

いやアンタ、そんなん焼いたらアカンやろ。鉄板の上にイチゴとクリームてあんた…

これ明らかにスイーツの色じゃないよね的なものができました。以外と美味かったりするけど。

まあそれはともかく、今日も飲んで食って満足したSUKIYAKI塾東京の面々でした。
上陸後、なお飲みましょ-!と元気なγ、中々、Omochの3人に引っ張られ、私とジョブズ夫妻は23時過ぎまで新木場で飲んでいたのでありました。^o^;