2019年6月24日月曜日

電車de添削

頼まれ役職の会議のために福井へ。福井まで程度の距離だったら迷わず電車だ。
小浜駅まであいあいバスで行こうかとも思ったのだが、帰りのことを考えて(あいあいバスは最終が19時前なのだ)クルマで行った。
敦賀駅~福井駅間も普通電車。ずっとスマホで添削しながら行った。ひそひそ口述添削はかなり怪しかったかもしれない。

昼過ぎに着いたので、駅ビルの中の「越前」で越前おろしそばとソースカツ丼。めったに福井に来ないので、たま~に来るとやっぱりこれを食べるよねえ。
会場まで2kmちょっとだから歩こうかなとも思ったのだが、ちょっと時間がないので、福井駅の東口にあるえちぜん鉄道のカウンターでレンタサイクルを借りた。広告だらけの小型のママチャリだが、電動アシストなので楽だ。これですいーっと会場へ。

会議は13:30開始、14:40終了。実質的な会議は40分かそこらだったように思う。
このために1日かけて往復するのか…とも思うが、まあいいのだ。気が散らずに仕事ができるからむしろありがたいと思うようにしている。

帰りに県庁に寄って上根来が関係するかもしれないプロジェクトの話を聞いて、福井駅に戻ったらまだ3時半を少し回ったところだった。
自転車を返し、福井駅に行ったら、予定より2時間早い電車があと5分で発車というタイミング。ラッキーとばかりに乗り込み、結局予定より2時間早く午後6時前に小浜駅着。
大急ぎでバローに寄って食材を買い、帰宅してばばっと夕食作り。
今日は行き帰りの電車それぞれ2時間ちょっとを添削に集中できたので、ずいぶんと進んだ。
その代わり帰宅したらもう添削するのにげんなりしていて、夕食を食べたらまたしても2時間あまり寝てしまった。^^;

2019年6月23日日曜日

風夢お話会

午前中デスクワークのあと、「やまと庵」で早めの昼食。

最近、3回連続でメニューも見ずに「カツ丼」と注文している。ここはカツがうまいんだ。

12時に市立図書館へ。風夢さんの「大人が楽しむお話会」のお手伝い。
12時からリハーサルして、14時開演。40分ほどで滞りなく終了。短いように思うかもしれないが、いわゆる読み聞かせ会としてはかなり構成も練られているし、本の選び方から人の動きその他まで念入りに構成されていて、完成度がすごく高い濃密な時間だと思う。
私も楽しくお手伝いさせていただきました。ありがとうございました。

終了後、カフェメルカードミサキさんで打ち上げ。といっても我々のようにまずは生ビールから始まって…というようなものではなく、サンドイッチとコーヒーである。
ちなみにコーヒーは雪室コーヒーを選んでいただいた。酸味のないまろやかな口当たりのコーヒーで、好評であった。なかなか売れ行きもいいようで、大変嬉しい。

夕飯の食材を買って帰宅したらもう6時近かった。バタバタと夕食を作って母のところに持っていき、ほっとしたらなんだか眠くなって、ちょっとソファで横になったら9時過ぎまで寝てしまった。最近このパターンが多いなあ。^^;

2019年6月22日土曜日

グダグダ土曜日

午前中はデスクワークなどやって、午後からは風夢さんの「大人が楽しむお話会」のセッティングとリハ。ヴォーカルアンプ2台と小型ミキサー、マイク4本とプロジェクターにPCおよび接続ケーブル類など。なぜか全部私物だったりする。^^;
帰宅して、夕食を作り、なんだかとても疲れたので仕事部屋のソファで横になったら3時間近く経過していた。*o*
女房は初孫の顔を見に茨城に行っているので、てきとーに夕食を食べててきとーに風呂に入った。
変な時間にたっぷり寝てしまったから、今からちょっと添削がんばろうかな。

2019年6月21日金曜日

今年もおえおえ

年に1回の成人病検診、朝いかに早く病院に行って順番取りをするかで検診時間がぜんぜん違うので、珍しくがんばって早起きして8時過ぎに到着するも、番号札は18番。さらに今日は胃カメラなので、待たされること待たされること。
結局全部終了したら11時半を回っており、もう残っている受診者は2~3人だった。ToT
胃カメラは相変わらず涙とヨダレにまみれつつおえおえ状態であったが、幸い異常なしのようだった。
まだ喉の麻酔が半分効いている状態で小浜に戻り、まちの駅で天丼を食って帰宅。
昨夜が寝不足なのでヒルネをしたら2時間以上眠ってしまったようだ。^^;

夜、しこしこと添削をしていたら、たくくから電話。彼は沖縄に居るときには電話してこないから、電話にでるなり「どこにいるのー?」と聞いてみたら、案の定東京であった。

池袋であった。それも私が口頭試験模擬面接のときにいつも泊まっている東急ステイの前だという。本当だ、以前行って気に入った「すだや」の前にいる。ちなみにたくくが話している相手が私だ。
いいね楽しそうで。こっちはしこしこ添削しているときに。悔しいからチューハイ飲んだ。^^;

2019年6月20日木曜日

前日に飲むなって

午後、文化財保存活用基本計画の第2回委員会。第1回委員会はちょうど3月21日からの出願セミナーツアー初日の前日で、朝一番に博多に向かった日で欠席していたので、私にとっては初回だ。
そんな経緯でちょっと張り切りすぎて発言が多すぎたかな。
終了後、いったん帰宅してバタバタと夕食準備をして、あいあいバスで小浜駅へ。駅から歩いて懇親会場へ。

明日は成人病検診なので、夜9時以降は絶食厳守である。したがって、9時までと定めて飲み食いしたが、けっこう酔っ払ってしまった。ダメだなあ。^^;
帰宅後、コーヒーを飲んで風呂に入ってシャキンとして仕事を…と思ったのだが、飲み食い禁止だったよなあと思ってコーヒーのほうはあきらめ、風呂上がりに水だけ飲んで夜中までデスクワークして死に寝した。

2019年6月19日水曜日

懐かしのWin Phone

そろそろ上根来に行こうかなと思って、「上根来用ファブレット」を見て驚愕。なんと液晶パネルが浮き上がってしまっているではないか。さらによく見ると液晶が割れている。
どうやらバッテリーが膨らんでしまって液晶を押し割り、接着を剥がしてしまったようだ。
あまり使わず、ずっと充電台に置きっぱなしにしていたのがいけなかったようだ。このファブレットはASUS製だが、どうも海外製品はこういうことが起こる。
日常使いしていない端末は電源を切っておいたほうがいいな。

で、急遽代わりの端末が必要になったのだが、Y!MobileのSIMなので、SIMフリー端末じゃないと具合が悪い。で、もう使っていない端末をひっくり返してみたら出てきたのがWindows Phoneであった。VaioのVaio Phone Bizである。

懐かしいなあ。これを買ったのは3年ほど前だろうか。
Continuumという仕掛けでHDMI端子付のテレビにキャストして、パソコンのように使えるという話を聞いて、「おお、これからはスマホだけでいいのか」などとトキメキ、これはすごい、もしかするとWindows Phoneがモバイル業界を席巻するかと思ったものだが、もくろみは見事に外れ、Windows Phone事業自体が消滅してしまった。
まあ実際使ってみても、Googleアプリがまったく使えないのには困ったし、何より私のメインアプリであるEvernoteが使えないのは(使い物にならないのは)非常に困った。
まあ通話以外はテザリングしたAndroidタブレットを使えばいいやと思いつつも、おそらく近いうちにまたSIMフリースマホを買うんだろうな。自分でも分かってるんだけど。^o^;

2019年6月18日火曜日

地震御見舞

ちょうど入浴中に地震があったようだ。山形県、新潟県とも知り合いが多くいるので、ちょっと心配になったが、大きな被害はないようでよかった。
「知り合いが多くいる」と書いたが、考えてみれば、知り合いがいない都道府県はない。もっとも「知り合い」といっても肉親から友人、さらにSUKIYAKI塾の仲間、さらにはセミナー依頼を受けて行った所の方々、そしてAPEC-semi受講生にいたるまで含めての話だけど。
でも、酒席をともにして何時間か一緒の時間を過ごすと、もう「知り合い」(というか友人に近い)だと私なんぞは考えてしまう。

そういえば新潟・山形だから、基本的に地質は新第三系以降になるので緩みやすい。雨が降ればなおさらだ。お気を付けて。

バイアさんから釣果のニジマス燻製とスモークチーズをいただいた。ニジマスは週末の楽しみにとっておくことにして、早速スモークチーズをいただいた。うまいなあ。

今日の午前中に娘が退院した。昔はもっと入院していたように思うが、今は5日程度で退院するんだなあ。女房は週末にも会いに行こうとしているようだ。

2019年6月17日月曜日

抜歯

抜歯した。
経過を少し説明せねばなるまい。
3月末からセミナーツアーに出たんだけど、ちょっと体に異変を覚えていた。

  1. なんだか喉の奥の方から咳がでるなあと思っていた。
  2. セミナーツアーを始めて間もなく、舌の裏側が痛いことに気がついた。
  3. そして喉が痛い。なんだか腫れているようだ。
これはナニカオソロシイ病気に違いない。えらいことだ。どうしようどうしよう。
とビビりつつ、間もなく舌の裏側が痛いのは、歯に当たっているからだとわかった。
右下一番奥の歯の角っこが少々とんがっていて、ここに当たって痛いのだ。
これまでこんなことはなかったけどなあ…と思いつつ、喉も痛いから、やっぱりヤバいんじゃ…とも思いつつ、できるだけ気をつけていた。

やがてセミナーツアーも終わり、小浜に戻って、祭りに出て、GW明けから筆記セミナーツアーに出た。
舌の痛さと喉の痛さが戻ってきた。
セミナー動画を撮った沖縄でのセミナーでは、舌が痛くて滑舌が悪くなっていることが自分でもわかった。まずいなあ…
まあなんとかだましだまし旅を続け、5月24日に1日だけ小浜に戻り、また旅に出た。

そしてあれは大分か福岡でのことだったと思う。徳島セミナーのあと、隠岐と小倉でセミナーなしの3日を過ごし、喉の調子はかなりよくなっていた。舌の痛さも和らいだ。
ホテルで鏡にむかって口を大きく開けたとき、驚愕した。
歯が横を向いている。口の内側を向いて倒れている。舌に当たるはずだ。その上どうも盛り上がっているというか、飛び出てきているようだ。
一瞬、オレってこんな歯並びだっけと思ったが、そんなわけない。
指で触ってみてさらに驚愕。折れている。奥歯が途中から折れて傾いているのだ。
なんだこりゃ。でも痛くも何ともないぞ。折れたような記憶もない。
ナゾだ。

で、今日、いつも行く藤田先生に見てもらったら、一瞥して
「抜こう」
と言われた。え、抜いちゃうの?
「歯が飛び出して折れてる。ぐらぐらだからこのままだと腫れる」
と言われ、わずか10分後には歯は抜かれていた。

歯が飛び出して折れているという状況に気づくまで2ヶ月以上かかるって、オレ何を考えているのだろうか。大丈夫かオレ。

2019年6月16日日曜日

引きこもり週末②

今日はとうとう一歩も外に出なかった。私が自宅にいるときは、平日は私、休日は女房がメシを作るので、今日はメシも作らず、家事を一切せず、ほぼ仕事部屋に籠もっていた。
昼食(ブランチ)と夕食時間が唯一の息抜きかな。
あ、あと夕方に娘とLINEのテレビ電話をしたな。生まれてまだ3日なのに、孫はずいぶん人間らしくなっていた。娘の体調もよさそうで、一安心である。

どうやら総監100本ノックの更新が終わった。
練習問題も、無理せず主要問題だけに絞ったので、4科目ほどできた。明日か明後日には建設部門の全科目終わるだろう。20日ごろまでに、と受講生には約束してあるのだが、約束は守れそうだ。

上根来にも行きたいのだが、ちょっと今は無理かな。
あと2日ほどがんばればきっと楽になるだろうから、久々に上根来で添削しようかな。口述添削ができるようになったから、集落を散策しながらの添削もまたいいかもしれない。

2019年6月15日土曜日

引きこもり週末①

この週末は添削だけでなく、滞っていた総監100本ノックの更新と、今年度版練習問題を片付けねばならないので、基本的に家に籠もることにした。
といっても、本島に籠もっていると息が詰まるので、買物やなんかにかこつけて気晴らしに出る。
今日は午後に買物その他で女房と1時間ちょっと出て、夜に3時間ほど風夢さんのお話し会練習に付き合った。…けっこうな時間外に出てるじゃないか。
寄る年波には勝てず、長時間PCを見ていると目がかすんでくるので、ヒルネを1時間。
…うーむ、いよいよ実労働時間はたいしたことなくなってきたぞ。
まあでもいいのだ。きっと乗り切れる。

2019年6月14日金曜日

添削漬の日々

いよいよ試験まで1ヶ月あまりとなって、初孫誕生を喜ぶ余裕もなくなってきた。
毎年の恒例行事なのだけれど、睡眠時間が取れなくなってくる。
だから起きている時間は全部試験対策対応に充てたいくらいなのだが、そういうわけにもいかない。いかないのだが、それが全部睡眠時間に響くのはツライ。

それでも自宅での添削は楽だ。2つのディスプレイに答案や資料等を映しつつ、アームスタンドに取り付けたタブレットで音声入力するので、ずいぶんと効率がいい。旅先のホテルでもレッツノートに答案を映してスマホやタブレットで音声入力していたから似たようなものなのだが、それでも大きなディスプレイとアームスタンドはありがたい。参照資料などあるときは特に。
あ、あとホテルと違って声を潜めなくてもいいのはありがたいね。女房は怪しんでいるかもしれないが。

2019年6月13日木曜日

じーじになった

今日、娘が無事出産した。男の子である。
実は予定日が11日で、きっかりその日に破水して入院していたのだが、なんとかがんばって普通分娩となった。

11日は朝、ホテルで破水と入院の連絡を受けたものの、一次試験講義中に明日出産かなとの連絡がLINEに入り、若干やきもきしつつ帰宅したらまだ明日以降との話。
12日は動きなく、今日はどうかなあと思いつつ散髪がてら舞鶴まで出かけて帰ってきたら、ちょうどそのタイミングで15時ごろ生まれたと連絡があった。

夜、風呂上がりに夫婦で乾杯!…と思ったら女房は仕事疲れかソファでウタタネしているので、一人で乾杯。
まずは何といってもがんばった娘に乾杯。
そして見守ってくれ、産休を取って面倒を見てくれる娘のダンナに乾杯。
美味い酒だ。

ふと思ったこと。
「じじいになりました」
「じーじになりました」
は何ともないのだけど、
「祖父になりました」
はみぞおちあたりにズシンときますな。^^;

2019年6月12日水曜日

雪室健在

起きたら9時だった。やはり我が家は朝寝坊ができる。若い頃はベッドが変っても平気で何時間でも寝られたが、やはりトシなのだろう。
朝風呂に入りつつ添削。これは旅先でもやっているのだが、今回のツアーでは最後のほうが時間的余裕がない中で、風呂は本当に「風呂に入る」だけだったので、これも我が家ならではの贅沢かなあと思う。

午後、雪室の品を出すため、1ヶ月半ぶりに上根来へ。与左衛門のまわりも緑濃くなってきた。

ちょうどアブラギリの開花期で、あちこちで花が咲き、そして散っていた。

小さな綺麗な花である。ただ、木によって開花期が違うのか、あるいは雌雄がはっきりしているのか、この花で群生地が彩られるというところまではいかない。

雪室は、驚いたことにまだまだ雪がある。丸太壁より上に出ている分は基本的に雪なので、まだかなり残っているようだ。

中に入ってみると驚愕の5.7℃。ボツリヌス菌の繁殖開始温度である3.3℃は超えているから生鮮食料品は保存できないが、酒やコーヒーならまだまだ入れておける。
やはり重機でしっかり締め固めたのが効いたようだ。いつまでこの冷却レベルが保てるか興味があるところだ。

お酒とコーヒーを蔵出しし、これであとはもう個人的貯蔵物だけになった。
これで雪室は一段落だ。
山を下り、遅い昼食をかき込んだあと、あれこれ雑用で駆け巡り、夕方帰宅。
さあ、今日からは腰を落ち着けて、添削だけでなく、練習問題作成やHP更新などをやっていかねば。試験本番まで残り1ヶ月で申し訳ないのだけれど…

2019年6月11日火曜日

ようやく帰宅

そこそこに起きて、久々にホテル朝食を食べて、高知会館へ。歩いて1.5kmほどだが、余裕をたっぷり持って出発し、口述添削しながらぷらぷらと歩いて行った。

今日は一次試験講習会である。受講生は50人以上。すごい受験意欲だなあと思うかもしれないが、おそらくかなりの割合が測量設計業協会のCPD目当てで、一次試験なんぞきっと受けないであろう測量屋さんがかなり混じっているようだ。
こうなると私のモチベーションははっきりと下がる。合格したいと思って受験する人だけ聞いていてくださいと明言して淡々と講義を続けた。
さらに午後は演習問題。いくらCPD目当てとはいえ、こういう1日を無駄に過ごすのはけってツライだろうなあと逆に同情。
講義終了後、直ちに空港までタクシーで。午後5時過ぎの便で、6時前に伊丹空港到着。

不時着したのではない。伊丹空港では極めて珍しく、飛行機からターミナルビルまで歩いて移動。

伊丹空港で1時間ほど口述添削をして過ごし、7時過ぎのバスで小浜へ。
実はタクシーに乗って高知会館を出たあとに気がついたのだが、飛行機もバスも予約を取ってなかったのである。日程変更があったときに、混乱の中で予約を忘れてしまったらしい。幸いにして飛行機が当日便が取れたし、バスは平日のこととて予約なしでも余裕で乗れたが、恐ろしいことだった。
とにもかくにも、帰宅。今日こそはゆっくり寝られそうだ。

2019年6月10日月曜日

ひろめ大好きです

8時半起床。もっと寝ていたいのだが、出発時間から逆算するともう起きなければ。
カチナノリさんの車で高知へ。後でわかったのだが、高速バスを使えばあと2時間近く寝られた。うーん、それは悔しい。でもなんとか6時間半ほど寝られたので、ずいぶん元気になってきた。

高知に着いてから、講義まで3時間ほど空き時間。帯屋町をふらふら歩きながらところどころのベンチで口述添削。アヤシイ。いよいよもって高速バスにすればよかったと後悔。

夜はお元気タイム。ひろめ市場でカツオのたたき。これを食べなきゃ高知じゃない。

相席していた大学生と盛り上がってしまった。というか大学生のほうが一方的に盛り上がっていたようにも思う。

全国大会で行きそびれた安兵衛。月曜日の夜9時半ということで、まだまだガラガラ。

ラーメンだけ食べて避けも飲まず、ギョーザも食わずに終了して、カチナノリさんと別れてホテルへ。今日は寝られる…と思っていたのだが、結局その日のうちには寝られなかった。

2019年6月9日日曜日

寝不足行程2日目

またしても6時前起きで博多→松山の移動。
朝、起床後に軽いメニエルが出た。私はメニエル持ちで、疲れるとヤバイのである。特に寝不足が効く。今度からこういった強行軍になったら、講師辞退することにしよう。もうトシなんだし、これで倒れたらシャレにならん。

7時過ぎに福岡空港を離陸。今日もPMに覆われている。
地下鉄や空港構内ではスマホで、機中ではPCで添削をがんばるのだが、頭が動かん。睡眠時間が取れないととたんにこうなるのである。困ったものだ。
というか、だったら夜の飲み会を早々に切り上げればいいのである。でもそれはできないのだ。困ったものだ。
体調に余裕がないので、講義中や個人指導などの写真はいっさいなし。

例によって夕方から元気になる。沖縄悲劇のコンビ。仕事で行けなかった人と自爆テロで行けなかった人。^^;
ホテルに戻り、最後の洗濯。今日がんばって洗濯しておけば、もう帰宅するまで洗濯は必要ない。
明日は人並みの時間に起きられるのでありがたい。

2019年6月8日土曜日

寝不足行程1日目

5時台に起きて博多へ。この週末は、当初は松山→博多→大分の予定で、松山→博多はセミナー後の夜の時間帯で移動し、博多→大分はゆっくり移動すればいいので、かなり楽な予定だったのだが、事情で順序が変り、途端に毎日早朝移動になってしまった。
私は典型的な夜型なので、これはすごくツライ。
写真を撮る気になどまったくなれず、博多へのソニック車中ではずっと爆睡。博多駅で車内清掃員に起こされるありさまである。
頭がぼーっとしたまま地下鉄で移動して、いまいちだなあと思いつつ講義と個人指導。頭の回転が悪くなっているのが自分でもわかる。

ところが困ったことに夜になると元気になってきて、飲み会はすこぶる快調。
でかい兜煮が出てきて、酒を焼酎に替え、さらにくじらさんの友人のペルー人の店に行き、さすがにそのあたりで油が切れてきた。

〆のラーメンは290円。博多とんこつラーメンは好物なので、博多に来たら食べないといけないのである。

何やら大阪方面では、SUKIYAKI塾交流を人一倍楽しんでいるこの2人が飲んでいた。
どうやらすごろくさんはすでにすーろく化しているようである。無事ホテルに帰れたことを祈る。

2019年6月7日金曜日

だんご汁が大好物です

朝、思い切りゆっくり起きて、小倉駅の喫茶店で添削などして、昼前のソニックで大分へ。こういう時間的余裕がある日は本当にありがたい。

JR九州管内は(かな?)G20を前にしてゴミ箱が全部塞がれている。ペットボトルなどの処理に大変困った。

1時前に大分駅に到着。改めて見ると立派になったものだ。駅前のバスターミナルをぐるりと取り囲んで広い駅前広場が作ってあって、それをお店やホテルが囲んで、まさに交通結節点と街のにぎわい創出が同居していて、いい作りだなあと感心。

セミナーは夜6時半からだからまだ時間がたっぷりあり、ホテルのチェックインまでも時間があるので、駅から近いコインランドリーで洗濯した。宿泊予定のホテルの洗濯事情を考え、できるだけ少ない回数で効率的に洗濯をしていこうと思うと、今日は何としても洗濯をしたい。でも夜9時半にセミナーを終えてから懇親会だから、ホテルに戻ると真夜中で、さらに明日は6時前に起床しなければならない。そう思うと、多少高くとも今こそ洗濯のタイミング!と決断したのだ。
…なーんて重々しいことを言っているが、たかが洗濯なんだけどね。
洗濯している間、ずっとコインランドリーの椅子に座って口述添削。かなりアヤシイ。
洗濯が終わり、ちょっと早めにホテルにチェックインできたのでじっくり添削の続きをしてから再び大分駅へ。今日は駅から200m以上離れていない気がする。

夜9時半までの講義なので、ちょっと腹ごしらえ。大分に来たら必ずといっていいほど食べている「だんご汁」。大分での一番の好物だと思う。

時間がきたのでホルトホールへ。何やらラグビーワールドカップ絡みのイベント準備中。
ここで時間を30分間違えていたことが判明し、30分ほどの空きができたので、道ばたのベンチで口述添削。アヤシイのだけれど、パソコンを膝の上に広げているよりはアヤシクないように思う。
6時半から9時半まで講義。例年より受講生が多いような気がする。まあ今年はどこでもそうなのだけれど。

終了後、懇親会。なんでこの写真だけ撮ってあるのかよくわからない。そういえば集合写真は撮ってないなあ。
ホテルに戻り、コーヒーを淹れて飲んで(グリーンリッチホテルはドリップコーヒーのパックを自由に部屋に持って行けるので、いちいちコンビニなんかでコーヒーを買わずにすんでありがたい)風呂に入ったものの、明日の起床時間を考えるとデスクワークなんぞほとんどできない。昼間のうちに洗濯を済ませておいて本当によかった。

2019年6月6日木曜日

回顧の日々終了

昨日の体験にまだちょっと呆けていて、だけど何だかすっきりしてホテルをチェックアウトした。

 隠岐空港は平屋のこじんまりした空港で、飛行機は1日に到着2便、出発2便。伊丹空港から飛んできてまた伊丹空港に戻る便(一昨日、私はそれで来た)と、出雲空港から飛んできてまた出雲空港に戻る便(今日、それに乗る)だけだ。

一昨日はジェットだったが、今日はプロペラ機。3×11列の小さな飛行機だ。歩いて塔乗する。
来るときもそうだったのだが、帰りも島が見下ろせない方向に離陸した。それもいいのかもしれない。
離陸前、霞の向こうに大満寺山がちらりと見えた。あの山の左側が私のフィールドだった。21歳の私が今日も山を登っているような気が一瞬して、ちょっとうるっと来たが、それは37年前の話で、私は今ここにいる。あの山を登っていたころから37年の様々な経験を経て、今ここにいて、ちゃんと(でもないかもしれないけど)生きている。
さよなら隠岐。本当にありがとう。

本土と隠岐は70km程度しか離れていないので、すぐに島根半島が見えてきた。大きく旋回して、宍道湖の上を滑るようにして出雲空港に到着。
トランジットは30分もない。すぐに福岡便の改札となった。

また歩いて福岡便に搭乗…って、さっきの飛行機と似てないか?てか、止まっている位置から、さっきの飛行機そのものじゃないか?
機内に入ると、まさしくさっきの飛行機だった、CAさんが同一人物。私の席はさっきと同じ番号なので、さっきと同じ席にまた座ることになった。^^;

宍道湖に向かって離陸し、大きく旋回して島根半島を眼下に見下ろしながら日本海へ。
今度は1時間ほどのフライトで福岡空港に到着。すぐに地下鉄で博多駅に移動。

ちょっと遅い昼食に博多ラーメンを。1日2杯食べても大丈夫な好きなラーメンである。
博多駅から新幹線1駅乗車で小倉へ。

小倉駅のステーションホテルにチェックイン。
実は、大分セミナーが明日なので、今日は移動日というかオフ日なのである。隠岐に3泊する必要もないし、大分に前乗りしてもなあ…と思って、小倉にいる「へびねえちゃん」に会いに来たのである。彼女は島根大学の同級生で、隠岐で一緒にオリビンノジュールじゃなかったマントルゼノリスを採取した。その思い出の品を携えて、隠岐の思い出話で飲もうということなのだ。
やはり同級生との話は尽きず、4時間以上あれこれ話した。
なんともはやノスタルジックな3日間だった。
でも昔のいろんな思い出が今の活力になるっていいことなんだろうなと思う。

2019年6月5日水曜日

21歳の自分

朝、レンタカーを借りて西郷から大久→布施→中村→五箇→都万と島を反時計回りに一周することにした。

確かこれが隠岐で最初に見たグリーンタフの露頭だったと思う。恩師の島田先生が「ペイルグリーンというのはこの色だ」と教えてくれた。

細かなラミナの入った凝灰岩。私はこれを「美人」という表現で表していた。愛おしくてなで回したこともあったように思う。今思うと変態ぽいが、それだけのめり込んでいたのだろう。

続いてすぐ近くの久保呂海岸へ。ここは私のフィールドではないが、一緒に卒論をやっていた「へびねえさん」と一緒にサンプルを取りに来た場所だ。

このように、玄武岩の中にかんらん石や輝石がカタマリで入っている。マントルゼノリスといって、マグマが上昇してくる途中でマントル物質を取り込んで上がってきた非常に珍しいものだ。当時は「オリビンノジュール」なんて呼んでいた。

布施の浄土ヶ浦海岸。ここにも何度となく来たと思う。私のやっていたフィールドに分布する下部中新統をひととおり見ることができるので、ここをタイプロカリティーにして「浄土ヶ浦層」という名前を付けようとしていたことがあったなあ。カッコイイじゃないか。

ここの凝灰岩には「火山豆石」が入っている。同心円状の模様が見える。ジオパークの案内には使われていなかったが、「ピソライト」と呼んでいた。

中村から五箇に回り、かなり腹が減ったので「五箇創生館」にて遅い昼食。隠岐そば(さばだしでいただくそば粉のみのそば)と「ばくだん」(丸いおにぎり)など。隠岐は海藻料理がいろいろある。

福浦トンネル。海岸沿いの昔の道の途中にある手掘りのトンネル。

こんな感じで、海岸沿いに狭い通路を穿ち、地形的にそれができないところはノミでトンネルを掘っている。軟らかい流紋岩質凝灰岩だからできることだ。

島の南西端にある那久崎。すぐ近くに隠岐島前の島々が見える。ガスってて見えないが、私はそういうことに慣れているので心の目で見る。ToT

大津久の礫岩。ペンキで塗ったか?というほど鮮やかな青緑色だが、これはセラドナイトという鉱物の色。それで思い出したが、ユニの色鉛筆の「セラドン」という色が好きで、そればかり何本も買ったなあ。一番大事なデイサイト質凝灰岩の色に使っていた。
西郷に戻ってきたら午後4時を過ぎていた。一周はしたし、もう夕方になるから、買物をしてホテルに戻ろうと思っていた。買物というのは靴で、今日1日でかなりくたびれてしまったのと、本来は冬用の靴を履いてきてしまっていたので、ここで取り替えようと思ったのだ。ホテルからいろいろ送るものもあるから、ちょうどいい。

運良く気に入った靴が見つかったので購入し、店の前に出た。
店の前の道をホテルと反対方向に行けば、もう一度中村に行ける。その途中に、実は一番気になっているところがあるのだ。
林道東谷線という。
私が卒論に入ったとき、最初に行ったところだ。ここをフィールドを選ぼうと決めた大学3年の時の島田先生の隠岐行で来た沢だ。それから卒論、さらに修論と進む、私にとっての「隠岐の地質」はここから始まったと言ってもいい。
ものすごく気になっていたのだけれど、GoogleMapで調べてみると、もう入口の県道そのものが新しくなっていて、旧道から入っていかねばならない。それもかなりの距離、旧道を走らねばならない。きっと草ぼうぼうで、林道ももう車で入っていける状態じゃないだろう。だから気後れしていたのだが、「いや、もう一生来ないだろうから、これが人生ラストチャンスだ」と思って、ダメ元で行ってみることにした。

旧道は意外に走りやすく、時々伸びた草がちょっとかかってくる程度だった。
そして驚くべきことに林道東谷線はちゃんとあった。記憶に残る橋がちゃんと残っていた。

車を止め、歩いて橋を渡ると、ちゃんと「東谷線」の文字が。

歩いて行くと、驚いたことに草ぼうぼうどころか舗装されている。私が卒論をやっていたころには未舗装だった。

想像より2倍以上歩いて、安山岩の露頭が出てきた。このあと、順次下位を見ていくことになる。凝灰岩、そして頁岩、そしてまた凝灰岩、凝灰角礫岩と続き、そこで林道は終わる。さらに奥に行くと基板の隠岐片麻岩が出てくる。

予想以上に安山岩が続き、ちょっと不安になりかけたころ、凝灰岩らしい露頭姿になってきた。

その奥に頁岩があった。この頁岩は私のフィールドの層序を考えるうえでとても大事な層で、またここで半日岩を叩いて、メタセコイアの化石を出したこともある。
当時のことが一気に思い出されて、胸がいっぱいになってしまった。
思わず露頭の下をみると、落ちてきた頁岩がいくつかあった。

拾って握ると、手で簡単に砕くことができた。何の変哲もない頁岩だ。
「この程度のもんに、なんであんだけ必死になっとったんやろ」
口に出した途端に涙が溢れた。
あの頃の自分がすぐ横にいるような気がした。
今思えば笑ってしまうくらい未熟で、生意気で、まだ何も持っておらず、何も成し遂げておらず、だけど思いだけはあって、だけど不安で、それをカラ元気で押さえ込んで、このフィールドに足を踏み入れたばかりの自分だ。よれよれの服を着て安全靴を履き、ズタ袋のようなリュックを背負って1kgハンマーとクリノメータをベルトに付けた自分だ。
卒論を始めたばかりだからまだ21歳、自分一人でやり遂げるという思いばかりが空回り気味だった。臨海実験場で一人で暮らし、毎日とにかく山に入っていた。
そういう時期だったからだろうか、いつの時代の自分よりも、この時の自分が一番愛おしい。できることなら呼び止めて抱きしめ、「大丈夫だからがんばれ」と言ってやりたいと思った。
しばらくそこを動けなかった。でもさすがに暗くなってきたから帰らねばと歩き始めた。完全に呆けていたのだろう、びっくりするくらい早く車に戻った。西郷に戻り、ホテルに車を置いて、今度は歩いて西郷のまちまで出た。

もう7時過ぎだが、西日本の日は長い。大満寺山が私を見下ろしている。
夕食を食べながらも、心はまだ東谷線にあった。あんなにものの見事に21歳の自分に出会ってしまうとは思わなかった。
私は凝り性なので、昔から何にでも必死になってしまう。「そのために生きています」と言わんばかりになってしまう。
でもその中で、隠岐での卒論は別格だ。自宅からも大学からも離れて、知り合いもいないこの島で、手探りで地質図を書いていった。今思うと要領が悪い話だが、毎日とにかく山に行った。
その中で、その後の自分の人生を支えていると言ってもいいほど多くのことを身につけた。あれがなかったら今の自分はなかったと思う。あれ以降、何があっても「オレはあれをやりきったんだから大丈夫」と思えるようになった。
東谷線で出会ったのは、そうなる前の、不安でいっぱいだけど思いだけはあって、とにかく前へ進むだけだった自分だ。

ホテルに戻る途中、もう8時を過ぎているというのに、そして眉月しかない新月同様の夜だというのに、まだ大満寺山が見えた。
ちょっと無理をしてでも東谷線に行ってよかった。このために隠岐に来たとさえいえる体験だった。
これでもうこの島には来なくていい。観光か何かでくることはあっても、昔の自分に出会いに来る必要はもうない。

東谷線で出会った21歳の自分のことを思って、もう一度涙が出た。
頁岩をにぎったまま年甲斐もなくおろおろと泣いている私の横で、21歳の私は露頭観察を終え、マップと野帳をふところにしまい、顎をぐっと上げて沢の奥の方へ進んでいった。
あのときの自分に恥ずかしくないように生きていこう。
私の残りの人生が、あのときの自分の年齢ほどもあるかどうかは甚だ怪しいが、それでも今日死んでもいいと思って日々をやり抜き、死など訪れないと思って夢を見よう。