2024年3月14日木曜日

そして那覇へ

ゆっくり起きて10時前にチェックアウト。本町から梅田へふらふらと歩きつつ徘徊添削。

途中こんなのいました。大阪市役所前ね。
昼過ぎに梅田駅到着。阪急で蛍池まで移動して、そこからモノレールには乗らずに歩いて伊丹空港へ。
3時前の飛行機で那覇空港へ。とりあえず空港でお土産を少し買ったのだが、観光客が多くてレジに並ぶのが嫌で途中で切り上げて、ゆいレールで壺川へ。ホテルにチェックインして、近くのどこかで晩御飯を食べようと外に出た。

結局ホテルからほど近い家庭料理の店というところに入ってみたら、メニューはないので、こちらで作った小鉢を食べてくださいという店だった。ブロッコリーともずくと大根煮とてびち。てびちが実に美味しかった。

やっぱり沖縄そばで〆たいので、少し移動して居酒屋に入り、沖縄そばだけくださいと言った。
ネギがたっぷり乗った珍しい沖縄そばだが美味しかった。やっぱりこのだしだね。

ホテルに帰るのはまだちょっと惜しいので、奥武山公園に渡る遊歩道の辺りをふらふら。国道58号方面を望む。

遊歩道は市民がちらほらと散歩していた。気温が20°c弱くらいだろうか、気持ちよく散歩できる気温だ。
ちなみに今朝はシェルジャケットの下にジャケット、その下にカッターシャツ、その下にヒートテックだったが、伊丹空港のトイレでヒートテックを脱いでT シャツに変え、那覇空港に着いてからはシェルジャケットもジャケットも着ていない。これくらいの軽装で暑くも寒くもなく気持ちよく歩けるっていいな。
昨日もらった薬が早速効いて、蓄膿の痛みはどっかに飛んで行った。

2024年3月13日水曜日

痛いわ眠いわ

今日は金沢から大阪に移動。午前中に行けばいいので、ゆっくり行くつもりだったのだが、ちょっと蓄膿が悪化して目の上が痛い。膿が溜まっているんだろうな。
こういう時はとにかく薬だ。思いっきり早く大阪に行って、駅の近くの耳鼻科に飛び込むことにした。

朝6時過ぎの金沢駅。とにかく寒い。冬より寒いんじゃないかと思うくらい寒い。
予定より3時間近く。早いサンダーバードで大阪駅に直行して、診察開始間もない耳鼻科に突入し、とにかく薬をもらう。薬を飲めば1日か2日で症状は治るので、今のところは一応安心している。
それはいいのだが、講義は午後からなので時間がある上に眠くて仕方がない。

そこで梅田駅近くのネカフェに突入。鍵付きの個室で2時間爆睡。それでも1000円だった。
午後は企業セミナー。考えてみれば、今回は大阪と沖縄と東京で講義をするのだが、全部出願限定の講義である。

夜は梅田でウルトラマリンさんおすすめのなんともはや雅なお店でシャレオツな食事。
ちょっと酒が進みすぎたか、あまり食べずに終わった。最近ちょっとお酒のペースが早いと何も食べなくても平気になってきた。これはいかんな。不健康な酒の飲み方だ。
ちょっと飲み過ぎたかなと思いつつ本町へ。いつもの東急ステイで部屋の洗濯機に一式放り込んで洗濯しつつ、電子ブックを読みながらちょっと長風呂していたら洗濯も終わっていた。
明日はもっと午前中ゆっくりできるので、タイマーをかけずに就寝。

2024年3月12日火曜日

まずは金沢へ

今日から一週間ほどの旅である。
まずは金沢へ。セミナーではなくWACおばまとして北陸農政局主催の「中山間地×ICT」というちょっと方向性がよくわからないと言うか、実はこっちの方向に持って行って欲しいという行政の意向はひしひしと感じるのだが、それはいくらなんでも無理でしょうという、何ともケツの座りの悪いフォーラムに参加した。
まあ、でもそれなりに役目は果たしたかなと思う。

終了後ホテルにチェックインして近くの居酒屋へ。コンビニで買い込んで部屋飲みをしようかなとも思ったのだが、ちょっと気持ちが疲れたのか、今日は1人居酒屋がしたかった。
なぜか納豆卵焼きを食べながらビール。

ちょっと贅沢にのどぐろ。胃袋が小さくなったなと思いつつ、氷見うどんを食べてさっさとホテルへ。
ちょっと添削をサボっていたので、時間に余裕のない自転車操業状態になっている。

2024年3月11日月曜日

与左衛門オープン

与左衛門の給湯器が治ったようなので上根来へ。

あれ?けっこう雪があるじゃないか。こりゃあまずいかも。

いやいや、10cm 以上積もっている。ズック履いてきちゃったんだけど。

仕方ないのでゴミ袋を長靴代わりに。これで大丈夫だと思っていたけれど、これがまた滑るんだよね。
与左衛門の軒先にはまた雪がどっさり。
まぁとにかく何とか与左衛門はオープンしました。

2024年3月10日日曜日

久々の海岸通り

今日も一日机にかじりついていた。
おかげで夕方には一段落したので、久しぶりに海岸通りを徘徊。

いつも見ているもの光景だけど、久しぶりに見たなあとなんだか少し感動。

少しだけ歩くつもりが甲ケ崎の船着き場まで歩いてしまった。音楽を聴きながら、また添削をしながら。

折り返した頃にはもう日没、帰宅した頃にはとっぷりと暗くなっていた。

2024年3月9日土曜日

机にかじりついて

久々に予定のない土曜日。
ならばゆっくり休んで…とは行かない。マンツーマン講座の事務処理はもちろん、過去問題を整理しないといけないし、その合間に添削もある。

結局どこにも行かずに過ごし、夜ソファーベッドで猫と一緒に寝たのが唯一の慰め¯⁠\⁠_⁠༼⁠ᴼ⁠ل͜⁠ᴼ⁠༽⁠_⁠/⁠¯

2024年3月8日金曜日

合格おめでとう!

今日は技術士第二次試験の最終発表日。昨夜就寝が遅かったものだから7時ぐらいに目覚めたが、すでにメールがどっさり。
嬉しいメールの中に残念なメールも少し。毎年ながらの悲喜こもごもである。
ずっとこの人頑張っているよなと思う人の吉報は特に嬉しい。私は講義の中ではちゃんとやれば2〜3年で合格する試験だということを言っているけれど、本当にちゃんとやっているのだけれど、なかなか合格しない人も実際にはいるわけで、話をするたびにそういう人たちに申し訳ないなという気持ちになる。だったら話をしなければいいのだけれど、これから挑戦していく人たちのためには長い道のりではないのですよということも伝えたい。

正午からマンツーマン講座の2次募集開始。予想通り最初の2分ほどで定員超え、5分ほどで2倍くらいになったので終了。もう少しなんとかなりませんかという声をいただいているのだけれど、本当に何ともならない。申し訳ない。
抽選をしなければならないのだけれど、やらないといけないことが山ほどあるので、どうしても後回し。

昼飯を食いがてら予約しておいた切符を出しに駅に行ったら、待合室が新しくなっていた。テーブルもあってコンセントもついているので、ちょっと早めに行って、ここで仕事しながら電車を待つというのもいいな。

2024年3月7日木曜日

力をもらえました

今日は朝から夕方まで企業セミナーonWeb。
いや、もう心から疲れましたというか、脳がうまく動かない。

なのだが、気力を振り絞って災害ボランティアの報告会。
県や市の行政や社協が能登半島に行って色々なことをしてきた報告である。何かがしたいと思っている人はいっぱいいるけれど、現地がそれを受け入れる状態になっていない。そんな中で寝袋で寝泊まりしながら頑張った人たちの話を聞くと本当に刺激になると言うか、頑張ろうという気になる。
もちろんボランティア活動もそうなのだけれどSUKIYAKI塾やマンツーマン講座など、とにかくどんなことにも頑張ろうという気持ちになれる。

2024年3月6日水曜日

与左衛門オープン?

午後から与左衛門のオープンのため、雪囲いの撤去と水回りの準備。

まだ雪が残っているのはちょっと驚き。
板を外して波板を外し、最後に柱を撤去して雪囲いの撤去は完了。
給水バルブを開けてタンクに水を入れ、ブレーカーを上げて電源を復旧。これでオープンできるはずなのだが、給湯器への給水がうまくいっていないような気がするので、業者に相談。春オープンがいつになるのかはその結果次第だな。

2024年3月5日火曜日

遊馬大好き自販機

先日、新山口から徳山に移動した時のこと。

新山口駅の自販機で、カニ雑炊のスープや博多水炊きのスープが売られていた。販売はもちろん伊藤園である。
どれか買おうかなと思ったが、さすがに思いとどまった。
遊馬ならソッコーで2〜3本買うだろうけれど。^⁠_⁠^;⁠)

2024年3月4日月曜日

今日は技術から離れて

今日は午前中に小浜神社誌の編集委員会。
こういう技術と全然関係ない話はいい刺激になる。
それでも疲れたのか、午後はたっぷり昼寝してしまった。

スノーダンプとスノープッシャーを片付けた。もういくら何でも雪は降るまい。また来年まで倉庫の中で出番を待つ。

今日もちょっと肌寒いなと思ったら、ニャンズがくっついて昼寝していた。

2024年3月3日日曜日

今日はしっかりと帰宅

今日はもう帰宅するのみである。
朝、早めに大街道からバスに乗って松山空港へ。眠気覚ましのコーヒーを飲みつつ、少し検索し保安検査場へ。

松山空港は寒いが快晴である。プロペラ機で中部空港へ。

快適なフライトの後、中部空港から名古屋へ、米原まで新幹線で移動してしらさぎで敦賀へ。女房とおちあって車で帰宅した。
ちょっと疲れたかなと思って仕事部屋の簡易ベッドで横になったらなんてことだそのまま夕方まで寝てしまった。
ともかく今日はひたすら休む。

2024年3月2日土曜日

出願セミナー第1号

今日はSUKIYAKI塾四国の出願セミナー。さあ今日から出願セミナーが始まるわけだ。
午前中は一般部門、午後は総監部門の講義。一般部門は、2月から結構講義しているので例年に比べて口が滑らかに動いたように思う。でも総監部門はまだまだだな。

終了後、いつもの艶吉で打ち上げ。初めてメガジョッキにチャレンジしたものの、少しだけ残してしまった。昼食に結構をお腹が膨れるものを食べてしまったので、物理的にこれだけの量が腹に入らない。なので、ツマミも結構残してしまった。やっぱり年なのかな。

お店の前で集合写真。皆さん今日はありがとうございました。また来月よろしくお願いします。
ホテルに戻って洗濯しながら大浴場。今日はさすがにお腹が空いていないので、夜鳴きそばはやめて、昼間撮影した動画の編集とアップロードをして、さっさと寝た。

2024年3月1日金曜日

再び四国の旅

ホテルを10時ギリギリにチェックアウトして歩き添削をしながらゆっくりと岡山駅へ。

ホームへ降りてみたら、予想通りのアンパンマン列車であった。
「皆さんこんにちは!僕アンパンマンです!」
セミナーなんかの後に、疲れた体で夜にこれを聞くと結構こたえるのだが、朝のまだ元気いっぱいの中なので、ダメージはない。

多度津で予讃線に乗り換え、高瀬駅下車。製麺所のセルフうどんでうまい昼食を食べて企業セミナー。

セミナー終了後、再び予讃線で観音寺へ、特急しおかぜに乗り換えて松山へ。
あまり腹は減っていないのだが、とにかく居酒屋へ。ビールを飲みつつ、地元の食材に舌鼓を打った。
いやあ、1人居酒屋は久しぶりである。

ドーミーイン松山にチェックインしてすぐに大浴場で温まりつつ洗濯。
終了後はドーミーインのあっさり醤油ラーメン。大満足してぐっすり眠りましたとさ。

2024年2月29日木曜日

回天

今日は移動日である。宿は岡山に取った。
山口湯田温泉から新山口へ、そこから岡山に直行すると、当たり前の話だが午前中に余裕でついてしまう。
こりゃどこかに寄って行かなきゃなということで、選んだのは徳山の回天記念館である。
そう、あの人間魚雷・回天である。

徳山駅から船で大津島へ。船着場から10分か15分くらい歩いて山を少し登ると回天記念館がある。
玄関口に続く石畳の両脇には戦死あるいは殉職した若者たちの名を刻んだプレートが埋め込まれている。

玄関脇には回天のレプリカ。酸素魚雷を改造して人間が操縦できるようにしたものだが、なにせ魚雷の改造型なので、停止も後退もできない。ただひたすら前進して体当たりするのみの兵器である。
館内の写真はない。亡くなっていった若者たちの写真と戦争の中での兵器が生まれ使われていた経緯などが展示されているのだが、一生に一度だけでも来れて良かったと思う。

研修室を覗いたら千羽鶴がたくさん模様をなして飾られていた。こういうところで子供達が平和教育を受けるのは本当にいいことだと思う。

訓練のために回天を整備工場から訓練基地まで運ぶトンネル跡。トロッコレールの跡が残っている。

訓練基地跡。おりしも雨が降り続き冷たい風が吹いてくる中、徐々に普及していくばかりの戦争遺産が物悲しすぎる。
天気が良ければ島内散策をするところなのだが、とにかく風雨が強くまた寒いので、船着場で1時間以上待って、ようやく帰りのフェリーに乗船。
とにかく寒く腹も減ったので、徳山港に着いてすぐにラーメンを食って、再び新幹線こだまで岡山へ。
駅で土産を買うついでに駅弁と酒を買ってホテルへ。コンビニ飯よりは少しはマシな部屋駅弁飲みでありました。

2024年2月28日水曜日

山口へ

朝7時半の電車で出発。さすがに学生だらけである。
敦賀駅からサンダーバード、新大阪駅からさくらで新山口駅へ。ここで降りるのは初めてだ。
午後、企業セミナー。終了後は美味しい居酒屋で懇親会、さらに落ち着いた素敵なバーでボウモアを飲みながら二次会。楽しい時間を過ごさせていただいた。ありがとうございました。

油断したなぁと思ったのは写真を撮ってなかったこと。懇親会場に向かう途中で町風景を少し取っただけで、後になって見直してみると温泉街風景でもなんでもない。^⁠_⁠^;⁠)

2024年2月27日火曜日

再び我が家で一泊

今日はいったん小浜に戻る。最初の予定では金沢から大阪まで移動して一泊し、明日の朝ゆっくり出て山口に向かう予定だったのだが、急遽小浜で会議が入ったため、いったん戻ることにした。
会議は「おばま環境市民推進委員会」といって、小浜市の環境政策について市民の意見を反映させるためのものである。その会長が、これまで衛生工学部門の技術士の人が務めていたのだが、ちょっと健康を損ねられて高齢でもあることからやめたいということになり、環境部門の技術士だからということで私にお鉢が回ってきたわけである。
この手の市民会議ものは、私はいつも NPO として参加していたし、最近は歴史と文化を守る市民の会の会長を務めたりして、エンジニアの側面が全くなかったのだが、今回初めて「学識経験者」などというごつい肩書きをもらって、ケツの当たりがこそばゆいなと思いながら椅子に座っていた。参加者も知り合いが多いわけだが「あいつが?学識経験者?」みたいな顔をしているものも…ねえ。^⁠_⁠^;⁠)
まぁともかく最近はやたらとそういう会長というような役が回ってくるのだが、やっぱりそれは年の功というものなのだろうな。そういう役回りが来るような年になったということだ。だったら年相応で生まれ育ったふるさとに恩返しをせねばなるまい。

また明日しても我が家で一泊したらまた旅が始まるんだなと思って帰宅すると、仕事部屋に伊織と鈴がいて、なんとなくご苦労さんと言ってくれたような気がした。絶対そんなことないのは分かっているけれど。

2024年2月26日月曜日

脱・コンビニ飯

今日は午後から金沢市役所でセミナー。午前中は時間に余裕があるので、ちょっと遅くまで寝ていて、さらにデスクワークをしていたら、もう10時近くなった。

ホテルの窓から外を覗けばいい天気である。ではどこかの喫茶店ででも軽く朝食をを食べて、金沢城方面に歩きに行こうか。

あいにく金沢城はほとんど公開エリアがない状態で、雪吊りが目を楽しませてくれるだけにちょっと残念。

実は能登地震で石垣があちこちで崩れていることが原因らしい。これなどはちょうど隅石のところが崩れていて、熊本地震では逆に隅石だけが崩れずに残ったりしていて、小浜城などもとにかく隅石はしっかりしていて、崩れるとすると野面積みのところだろうなと思っていたので、これはちょっと以外。
聞くところによると明治以降に結構積み直していて、そこで、石積みの技術継承がなされていなかったという話である。そういえばこの崩れている隅石も結構小さな石が使ってあるし、しっかりと算木積みされているわけでもなさそうに思う。

なおもうろうろしていると、改めて電線地中化が進んだまち並みが多いことに驚かされる。新幹線開業を見据えてまちづくりを進めてきた金沢市の取り組みが今のにぎわいを産んでいることを痛感する。新幹線開業時にまだまち並みが整っていないようなところが同じような美味しい思いをしようと思うのはちょっと都合が良すぎる。

午後、金沢市セミナー。
そして終了後、懇親会。7日目にして、ついにコンビニ飯以外の夕食を食べた。コンビニ飯と居酒屋飯とどちらが健康的かなどという議論もあるかもしれないけれど、結構バランスよく食べた気がする。その上深夜までお付き合いいただき、金沢市の皆さんには感謝感謝である。
そして結構酔っ払って帰っても、部屋の洗濯機に一式放り込めば寝ることができるのもまたありがたい。

2024年2月25日日曜日

脅威、コンビニ飯男

今日は高松から金沢へ一気に移動する。というか、山形に行って高松に行って金沢に行くって、順番としてもう少しうまくできなかったかなという気もする。^⁠_⁠^;⁠)

高松駅からマリンライナーで岡山へ。この櫛形ホームはいつもなんだか心が浮き立つ。別に私は鉄ではないのだが。

雨模様の中、瀬戸大橋を渡る。結構音が大きいのをこれ幸いと、車中では口述添削に精を出す。

岡山から新幹線で京都へ、京都からサンダーバードで金沢へ。金沢駅は相変わらず混んでいる。
まだ時間は早いから金沢の街をブラブラしようかと思ったのだが、寒くて天気も良くないので早めにホテルにチェックイン。
そしてそして、なんと6夜連続のコンビニ飯となった。今日は東急ステイに泊まるから、洗濯も部屋でできてしまうのでチェックインしたが最後、部屋から一歩も出なかった。

2024年2月24日土曜日

高松でもコンビニ飯

今日は香川県建設技術センター主催のセミナー。今回の旅は官公庁ばかりだ。

「ことでん]で会場に向かう。瓦町駅は駅ビルに多くのテナントが入って賑わっていて、市電の駅とは思えない規模だった。

今日のセミナーは1日がかりで、昼食はさすがは高松、近くのセルフのうどん屋さんである。
このダシの効いた薄い色のスープが抜群にうまいんだよな。あと半熟ゆで卵の天ぷらがうまい。
セミナー終了後、ホテルに戻り、どうしようかなとかなり迷ったのだけれど、結局またしてもコンビニ飯。
これで5夜連続である。何かの病気にならなければいいが。

2024年2月23日金曜日

色とりどりの城

昨日に続いて今日は移動日。名古屋から新幹線で岡山へ。岡山からマリンライナーで高松へ。

高松に来たらやっぱりこれだろうということでうどん。ただ、本当は製麺所のセルフのうどんがうまいのだけれど。
ホテルまで歩いて行きがてら。高松城址(玉藻公園)に寄っていくことにした。多分10年ぶりくらいじゃないかな。

この城は一方を海に面し、残り3歩を海から海水を引き入れた。堀で囲んでいる日本三大水城の1つである。ちなみにあと2つは今治城と中津城で残念ながら小浜城は入っていない。お堀では黒鯛が釣れることもあるそうだ。

しかし、私が興味深いのは石垣である。野面積みで隅石はしっかり算木積み。それはいいのだが、目を引くのは石材のバリエーションが色々あって、色も色々あるところだ。隅石は花崗岩類(花崗岩盤というより花崗閃緑岩かな)を使ってあることが多いようだが、他に香川県らしい。玄武岩類や変成岩かなと思うものも混じっていて、色とりどりなこともあって、なんとなく寄せ集め感もある。

石材のサイズも面白い。大中小ではなく、大と小だけみたいな感じ。
そしてどの石も丸い。隅石はさすがにノミが入っているが、後は海に近い周辺からある程度円磨された石を集めたのだろうか。

かと思うといきなり切込接的なところもあって、本当に同時期に作ったのかと思うような石垣だった。
ということで、珍しいものを見たなと満足してホテルへ。
今日でとうとう四夜連続のコンビニ飯夕食になった。