2017年9月21日木曜日

ポケットPCだよ~

また「小さなガジェット」を買ってしまった。まったくもって体に似合った小さなモノが好きな私なのである。

じゃじゃーん。GPD pocketという、極小パソコンである。画面は7インチで、タブレットではなく、ノートパソコンである。

手の大きさとキーボードの大きさが何ともはや。^^;
キーボードの配置がかなり特殊なので慣れるのに時間がかかる(というか、絶対慣れない気がする)ものの、打ちやすい大きさ・タッチだ。

女房のパソコン(テンキー付きの15インチ)と比べるとその小ささがよくわかる。

ファブレット(6.8インチ)と並べてみると、ほとんど同じフットプリントである。
でも、こんなに小さくてもメモリ8ギガ、ストレージ128ギガのパワフルスペックで、画面もそれなりに拡大表示されていて見やすい。もちろんタッチパネルだし、USBもフルサイズとTypeCの2つ、さらにHDMI端子もある。

上根来ゲストハウスに荷物を運んだついでにちょっとデスクワークをしてみた。特殊キーの位置が特殊なのでその点とまどうが、文字についてはそれなりのスピードでタイプできる。小さなボディバッグに本体と充電ケーブル類、ファブレット、マウスなど一式が入るので、ちょっとした外出には使えそうだ。
なお、机の向こうにはこっそりとギターが見えるが、久々に「どんなに大きな音を出しても誰にも迷惑かけない」環境で思いっきり歌って気分良く山を下りた。^o^

2017年9月20日水曜日

鈍行列車の旅

福井県測量設計業協会主催のRCCM講習会の講師を務めに福井へ。
高速道路が直通となり、1時間ちょっとあれば福井まで行けるようになったのだが、あえて電車、それも鈍行で行くことにした。
自宅から200mほど歩いてバス停へ、コミュニティバス「あいあいバス」に乗って小浜駅へ。運賃は100円。

小浜駅から鈍行で(というか、小浜線には鈍行以外走っていない^^;)敦賀へ。
いつものようにガラガラでいつものように両足投げだし添削。
敦賀駅でうどんとおにぎりを食って早めの昼食にして、北陸線の鈍行で越前花堂へ。「えちぜんはなんどう」と読む。福井駅のひとつ手前の駅で、無人駅である。
駅の待合室で少し添削をして、歩いて会場へ。
13:30~16:30の3時間、間に10分休憩を挟んで講義(パワポ使用)。これだけ時間があると、しっかり話せる。

終了後、再び歩いて越前花堂から鈍行で敦賀へ、さらに鈍行で小浜へ。1時間ちょっとで行ける距離を2~3時間かけて移動したわけだが、移動中ずっとPC仕事ができるので、やはり私には電車移動が合っている。
久々に講義をすると、終わった後無性に飲みたくなる(あれ?昨日も同じこと言ってなかったか?)のだが、今日は家飲みすることにした。
小浜駅から「あいあいバス」の最終便(19時が最終便なのだToT)で自宅近くまで行き、近くのマーケットで半額になったお総菜などを購入し、ビールをキンキンに冷やしている間に風呂に入ってたっぷり汗を流しつつ風呂添削。そして風呂上がりにビールをギューッと。たまりまへんなあ。^o^
イキオイがついて泡盛の古酒も飲んで、今日も今日とてへべれけなワタシでありました。

2017年9月19日火曜日

美味い魚には美味い酒

何やら巨大な中古の冷蔵庫を運んだり、骨董品というよりガラクタばかりの中でうごめいたり、まあともかく、たまたまの巡り合わせで、「中古」「古いモノ」をいろんなところでやたらと運んだ日だった。
特にアンティーク家具とか古民家の黒光りする柱なんぞは、私もちょっとだけ「いいな」と思うのだけれど、じゃあそれに囲まれて暮らしたいかというと、そこまでではない。

夜、「大人の林間学校」の会議。参加者が少なくさみしい限りだが、やる以上はしっかりした内容のものをやりたいと思う。
会議終了後、無性に飲みたくなったので、アイザワちゃんと飲んだ。

新鮮そのもののサンマの刺身など食べながら、日本酒を何銘柄のんだだろうか。久々に実にうまい酒だった。
やっぱり美味い魚に美味い日本酒、これに勝るものはないね。

2017年9月18日月曜日

台風一過

結局台風による出水は、氾濫注意水位手前で集束し、事なきを得た。

昼前の北川は、濁流が速く流れるものの、高水敷も顔を出し、順調に水が引きつつあった。

同じく南川は低水敷が顔を見せようかという状態で、濁りも北川に比べると少ないように思われる。南川は森林が深いから、雨が降っても一気には出水しないし、濁りもなかなかひどくはならない。
まあともかく、何事もなく終わってよかった。
大分や宮崎のほうでは大変だったようで、九州はなんだかこの数年間、災害続きだなあと思う。地震に火山に台風・大雨、およそ災害のオンパレードだ。土木関係者は官民ともに大変だろう。彼らの努力はもっと称えられていいと思う。
土木関係者以外にも、たとえば小浜市職員は避難所開設その他で、私のようにだらしなく飲んで寝ていればいい状態ではなかったはずで、まあ立場上彼らはそんなことを声高に言ったりはしないけれど、もっと労われてしかるべきだと思う。

2017年9月17日日曜日

今夜が山場です

昨日は雨で放生会のほとんどの出し物が中止になった。今日は台風いよいよ接近なので、雨どころが雨風で祭りなど論外…と思われていたのだが、日中はほとんど雨が降らなかった。
祭礼巡行2日目はしっかり回れたことと思う。2日がかりで巡行する予定が2日目の1日だけになった経験は私ももう15年以上前に一度だけあるが、もう早朝から夜までフルタイムで、移動も小走りだった。放生会の皆さんも大変だったと思う。

夜、用があって外出したついでに旧小浜市街の路地に入ってみたが、路面に筋がついていた。山車が通った跡だ。
しばらくしたら雨が降り出し、9時過ぎから本格的な雨風になってきた。しかし今夜から明日の朝にかけて足早に通り過ぎる予報だ。

放生会2日目の夜に台風が襲来して水害になった4年前と同じにだけはなってくれるなよ…と思いつつ、小浜市内を貫流する一級河川・北川の水位を見ると、22時前から一気に上昇し、水防団待機水位を越えた。具体的には高水敷高さを越えた。うーむ、これは心配である。

…という時に、東京では中間報告会と銘打って飲み会をやっているではないか。

うーむ、楽しそうだ…東京も雨が降っているはずなのだが。(--;)

会長ご満悦。てっきり会長の古希のお祝い会かと思ったが、そうでもないらしい。
まあ小浜も放生会の後だから飲み屋はどこもいっぱいらしいけどね。
明日の朝は無事に台風一過が迎えられますように。

2017年9月16日土曜日

放生会はけっこう複雑

先日も書いた放生会が始まった…はずだったのだが、さすがは雨番、台風の影響でほぼ中止状態。

出店は例年に比べるべくもないがともかく出てはいて、中高生を中心にまあ例年に比べるべくもないがそれなりの人出。

神社では浦安の舞が演じられてはいるものの、まあやはり例年に比べればさみしい祭りとなった。

ということで、今年はほぼ中止になってしまった放生会(ほうじょうえ)だが、若狭地方最大の祭礼である。
ところがこの祭り、実はけっこう複雑である。

名前からもわかるようにこの祭りは生き物供養の祭礼で、江戸時代は八幡神社というところで相撲やらやっていた、まあのどかな村祭りのようなものであったらしい。
一方、江戸時代には祇園祭という若狭地方最大の祭りが行われていた。広峯神社という当時の地域で一番格上の神社の祭りで、竹原地区の祭礼だったのだが、時の藩主・酒井忠勝の肝いりで大規模化した。祭りというのはそもそも神様が神輿に乗って遊びに出るのだが、かつては船旅をしていたところ難破しかかって以降、陸路でくだんの八幡神社に遊びに行くことになったらしい。このときに神様の乗った神輿の行列を彩る出し物があるのだが、これが酒井の殿様の肝いりでおおがかりになったらしい。

やせ(夜叉)がキュウリを腰に下げてでっかい支木を持って先頭に立ち、その後に「通り長屋」という足軽長屋に住む足軽が「棒振り大太鼓」というものを演ずる。これは漁師の神様である弁天様を祀った宗像神社の氏子たちの芸能で、この宗像神社の別当を務めた松福寺(曹洞宗。元の名前は海蔵院)の坊さんが豊漁祈願のために作った太鼓曲で、僧兵の棒術をアレンジした棒振り演技を伴っていたという。

そして祇園祭の氏子である下竹原の神楽、酒井の殿様が前任地である埼玉県川越から連れてきた足軽が演ずる獅子舞が続いたという。
広峯神社から八幡神社までの往路はこうして足軽が演技をして巡幸したようだが、帰路は小浜町の町民が送ったようで、おそらく往路の足軽演技を真似たのだろう、棒振り大太鼓などの演技がかなり早い時期に記録に出てくる。特に江戸時代後期になると商人はカネを持っているから行列はド派手になり、その様子が絵巻として記録に残っている。

江戸時代後期に流行った唐子衣装が登場しているが、赤熊をかぶり唐子意匠を着ているのが「棒振り」である。なかなかおもしろいのがこの棒振りの演技で、発祥の地・西津地区では棒術の型の演技だけあって、目突き・金的・向こうずね払いといった急所攻撃が随所に出てきて、武道だけに棒を振り回したりせず最小の動きでシャープに攻撃するのだが、これが町民に伝わると武道ではなく踊りになるのだろう、小浜地区の棒振りでは棒を大きく振り回して先端ではないところ(つまり刃先ではないところ)を打ち付け合ったりするようになる。

まあそれはともかく、往路は足軽、帰路は町民がにぎやかにもり立てて若狭地方最大の祭りであった祇園祭だが、明治維新とともにこれらの出し物がなくなってしまう。氏子制度が徹底されて、氏子でないものが祭礼に参加することができなくなったのだ。
こうして足軽は本来の地元の祭りに戻り、西津地区の七年祭り・西津祭りに棒振り大太鼓演技を出すことになり、川越から来た獅子舞の「関東組」は、お城の二の丸三の丸西の丸などに住み着いた元足軽たちと一緒に酒井の殿様を祀った「小浜神社」の祭礼に棒振り大太古と獅子舞を奉納するようになった。もともと氏子だった下竹原地区は、祇園祭で神楽を奉納するのかと思いきや、地元の七年祭りで神楽を演ずるようになった。
こうして祇園祭は出し物を失い、武者行列だけが残るこじんまりした祭りになり、小浜町民の出し物は奉納先がなくなり、廃れてしまった。

ところが、日露戦争の戦勝記念とかでこれが復活した。かつては村社だった八幡神社が県社に格上げされたものだから、この祭礼である放生会を盛り上げようということになって、かつて祇園祭に出していた出し物を復活させ、今度は放生会に出るようになったのである。
廃れてしまった演技を思い出すのは大変だったとみえて、住吉地区などは西津地区から棒振り大太鼓を習い直している。
当初は仮装行列なみの面白い出し物もあったようでバリエーションに富んでいたが、高度経済成長期を経て、素朴な仮想ものなどは廃れていき、出し物を変更する地区が続出、昭和30年代後半には、棒振り大太鼓、山車、神楽、獅子舞の4つにほぼ収斂したようである。
もともと神様が巡幸するような祭りではなかったせいか、祭りなのに神輿もご神体も神社から出ず、さらには出し物も宮出しがなく宮入りだけあり、神様が神社から外に出ていないにも関わらず「仮宮」があるという、祭礼としてみるとまことに珍妙な祭りになっているのだが、まあ現代ではそこまでこだわる人もいない(というか、もともとそんな決まり事もない)のだろう。
そういう意味でいうと宗教行事としての祭礼というよりフェスティバルなのだが、それでも日露戦争後のリニューアル後100年ほど続いているのだから、歴史はそこそこにあるし、なにより小浜地区の氏子の皆さんの思い入れが素晴らしい。今では文化財指定されているが、これも努力の賜なのだろうなと思う。

2017年9月15日金曜日

久々の土笛

口名田地区で「土笛作り」をやった。
思えば私はあれこれやってきたアウトドア体験ものの最初のころにのめり込んだのがこの土笛作りだった。
PTA活動の一環で竹を使った楽器作りなどをやったのが、息子が小学校4年のとき、つまり10才になるときで、その息子は今年29才になるから、19年前の話だ。土笛作りを始めたのもその年だ。

そのころ作った土笛。縄文式土笛は吹き口が1つで指穴も1つだ。粘土は上中の末野というところに取りに行って、野焼きで焼き上げた。

これは土鈴で穴がない。素焼きの粘土のカラカラと乾いた音で、かすかだがきれいな音がする。
考えてみればこれらの作品はもう今は1つもない。どこかにいったか割れたかしたのだと思う。

やがて土笛作りから焚き火そのもののほうに興味が移り火起こしや焚き火料理がイベントになっていって、それは今でも続いている。
土笛のほうは3年前に口名田地区の地域担い手育成事業の一環で本当に久々にやったが、野焼きのほうが短時間でバタバタとやったのであまりうまくいかなかったのが心残りだった。だから今回はリベンジだと思って気合いが入っている。

今日は、粘土は市販の教材用テラコッタ粘土を使い、対象者は子どもではなく地区の大人の皆さんだった。さすがは大人で、1時間半ほどの間に徐々にコツをつかんで最後はかなり面白い作品を多く作ってくださった。

これから乾燥させ、野焼きは10月22日の予定。野焼きだけでなく焚き火も楽しむつもりだ。かっぽ酒やっちゃおうっと。^^

2017年9月14日木曜日

オタマトーン

洒落でちょっと面白いトイ楽器を買った。

「オタマトーン」という。名前とフォルムがすでにかなりアヤシイ。
そしてこの楽器の販売元は、ヤマハなどではもちろんなく、さりとてカシオなどでもなく、明和電機という会社である。まあつまり電気屋さんの楽器だ。

ケースの裏面に使い方がプリントされている。モデルは社長さん。髪型がアヤシイが、いかにもエンジニア的な制服を着て、なにやら下町ロケット的な雰囲気を醸し出す。

「押す」とある。 まあつまり圧力センサーが仕込んであるわけだな。押すと電子音が鳴るのだが、押した位置によって音程が変わる。まあつまり周波数が変わるのだな。

指をスライドさせて奏でるらしい。まあグリッサンドというかポルタメントというか。
社長さん、何やらゲージュツ家みたいな表情で真剣に弾いてらっしゃる。

いや、この説明いるのか?てか、いやいやシャチョー、って感じで、好きだなあこの人。電機屋さんがこういうトイ楽器を作って売り出すっていうのはいいなあと思う。会社のエンジニア作業服のままで説明するってのもいい。
まあ本業が苦しいというのが本当のところなのかもしれないけれど、それでも私はいいなあと思う。本当の最先端の研究開発をしている人は別として、とにかく世間と隔絶したエンジニアはダメだと思うから。

2017年9月13日水曜日

恐るべし雨番

何やら台風18号が挙動不審である。

先島諸島に向かって北上し、そのまま大陸方面に進むかと思っていたら、こっきーんと90度(いや、それ以上?)曲がって本州直撃の気配である。
もちろん合理的な理由はある。天気の世界にはこういうことを言うとすぐに天気図だのなんだのを持ち出して「ほーらほらこうなるのが当然なんだよ」と小鼻ふくらませるのがいるのだが、そんな小賢しいことはどうでもよろしい。
何が面白いといって、東シナ海に出た当たりで急に思い出したように曲がって、まっすぐこっちにやってくるのである。それも小浜への影響が最大になるのは日曜日の夕方から夜のあたりらしい。
「面白い」と言ってはいけないのだが、4年前にも9月第3日曜の夜に台風の影響が最大になったことがある。2013年嶺南水害だ。9月15日の夕方ごろから雨が強くなり、夜半に避難勧告が出た。

video
これは一夜明けた16日午前6時の北川の風景だが、上流の野木で堤防が決壊したからこれで済んだという印象を今でも持っている。

この後災害ボランティアセンターを開所し、非常に貴重な経験をさせてもらったのだ。

話は突然変わるが(変わったと見せかけて後でつながるが)、9月第3土曜日・日曜日は放生会(ほうじょうえ)という祭りがある。
小浜地区(江戸時代の町民街)の祭りなのだが、全体を2つに分けて、交代で出し物を出している。だから2グループが交代で「出番」になるのだが、この2グループには「雨番」と「晴れ番」がある。「雨番」が出番の年は不思議と雨が多い。きっと誰か雨男がいるのだ。ちなみに私は小浜地区の住民ではないから関係ない。
そして2013年の嶺南水害のときは、まさにこの「雨番」が出番だったのだ。祭礼2日目はまったく巡行などできず、そのまま大雨から水害へとなだれこんでいった。タチが悪いのは、この「雨番」地区はどこも被災せず、被災したのは全部小浜地区以外であったことだ。

そして今年、またこの「雨番」の出番である。
奇しくもその祭礼2日目に向かって台風がやってくる。
先島諸島を通り過ぎたあたりで、
「あっ、そうだった。放生会があるんだった。雨番の年だった」
と思い出してこっちにやってくるような気がしてならない。^o^;

2017年9月12日火曜日

忠孝まつりだ^o^

面白い偶然というのはあるものだ。
沖縄でかれこれ一週間泡盛ばかり飲んでいたせいか、帰ってきてからも泡盛がほしくて、でも小浜に唯一あったちゃんとした泡盛を売っている店がいつのまにか閉まっていて、困ったものだからアマゾンで1本注文した。

忠孝の3年古酒である。何年か前に店に行って、試飲しているうちにあらく味が気に入って、またすごくアグレッシブな経営も気に入って、一番好きな蔵元になっているのだが、その古酒を買った。注文2日後に届き、やっぱり美味いなあと3杯飲んで気持ちよく酔ったのが昨夜。

なんとその翌日に、忠孝の13年古酒が届いた。娘の結婚でお父さんさみしいでしょうとたくくとてってぃが送ってくれたのだ。別にさみしくはないのだが、どんな理由であれ13年古酒などいただけるのであれば、あと何人か娘を作っておいて次々と結婚させるんだったと思うほど嬉しい。^o^

ともかく、私もたくく・てってぃも同じ忠孝の古酒をセレクトしたというのはなんたる偶然、というより感性の相似。おぞましいことに我々の心はつながっているのであろうか…などとたわけたことを言いながら、今宵もまたねっとりと酔うのでありました。^^

2017年9月11日月曜日

山とラーメン

いよいよ涼しくなってきた。他の用事もあって午後は上根来で仕事をしていたが、25度くらいだったんじゃないかな。すごく快適に仕事が進んだ。
IT系の会社で、SEをこういうド田舎に放り込んで仕事をさせるという話を聞いたことがあるが、都会のホテルかどこかでカンヅメになるよりずっといいなあと思った。

小腹がすいたので、「金ちゃんヌードル」を食った。私はカップ麺の中でもこれがけっこう好きなのだが、なぜか自宅や都会の中で食べるより、こういう人里離れたような山の中で食べるほうがずっと美味い。まあトシのせいで、こういった食い物がほしくなるのは一週間に1回くらいになったけどね。
そういえば、山の上でガスストーブとコッヘルで作るインスタントラーメン(袋ラーメン)も実にうまい。ラーメンはコダワリスープとかいったしゃらくさいものではなく、サッポロ一番とか安くて濃い味のものがいい。具はなくていい。というか、ラーメン屋で出てくる具だくさんのラーメンより、素ラーメンのほうが山に合う気がする。
インスタントラーメンというと「自然」の対局にあるようなイメージがあるかもしれないけど、自然とかそういったことに妙な(ねじくれた)コダワリを持っている人ならともかく、手軽でうまくて力が出そうなものなら別にいいのである。そしてなぜか「合う」のである。

上根来に通うようになって気がついたのだが、里山の風景というか山の風景を見ながらの食事にマッチするものがいくつかある。
代表的なものがコーヒーである。よく登山して山のてっぺんでわざわざお湯を沸かして飲んでたりするでしょう。あの色とか香り、味などがなぜか山に合うのである。絵面的にも合うし、味や香りも確かに合う。特に広々としたビューイングに合うようだ。
ただしこちらはインスタントは合わない。ドリップコーヒーに限る。

食べ物のほうは、あまり手の込んだ料理は合わない。お皿にキレイに盛り付けられた料理などは都会にはあうけれど田舎には合わず、山はもっと合わない。ごった煮鍋のようなものが合う。
おにぎりはけっこう合うが、サンドイッチは合わない。「合うぞ!」という人もいるかもしれないが、なんか力が出なさそうというか、洒落者なだけで実力はなさそうというか。

山→自然→自然食材という安易な発想があるが、そういったもののもたいてい合わない。というか、そんなことは関係ない。山で有機栽培とかなんとか、そんなしゃらくさいこと言うまえに何でもがっつり食えよお前、みたいな感じですね。まあこれはあくまで私個人の感性なのだが。
そして、しゃらくさくなくてがっつり系の代表例がインスタントラーメンなのである。
これからどんどん涼しくなっていくと、こういったものがいよいよ美味くなってくる。
金ちゃんヌードルをすすって、スープまで全部飲んで、そのあとブラックコーヒーをドリップで入れるってのがいいねえ。

2017年9月10日日曜日

段取りぼろぼろです

上根来ゲストハウスの営繕を午前中ちょっとやって、久々にココスで昼食をゆったりと取りつつ添削をして…と計画して上根来へ。
古くなって天井裏のものがぼろぼろ落ちてくる壁をベニヤ板で覆うという、ただそれだけのことなのだが、寸法をとって切って打ち付けるというだけのことなのだが、まあ出っ張り部分の処理とかいろいろあって、やたらと時間がかかってしまった。
こういうことはやっぱり慣れてないとダメだなあ。日曜大工レベルであっても、ちょっとブランクがあるともう段取りが悪くなって、やたらと時間がかかってしまう。その割にできばえはよくなくて、それなのになんでオレはこんなに汗をかいてるんだと思うとちょっと悔しい。

ようやく終了して、やれやれと道具類を車に片付けていると、ゲストハウス横のドラム缶風呂広場のダンドボロギクが盛んに胞子を飛ばしていた。
今日は妙に暑かったが、これからどんどん涼しくなっていくだろう。
久々に助太郎に入って少し掃除して、自宅から持ってきた冷蔵庫をセット。ホテルに置いてあるような小さな冷蔵庫を使っていたのだが、やはりちょっと小さすぎたので、一人暮らしアパートに置くようなサイズの冷蔵庫に買い換えたのだ。で、余った冷蔵庫を助太郎に持ってきたというわけだ。これからお茶などを冷やしておけまっせ。
少しPC仕事をするつもりでPCを持って行っていたのだが、営繕でなんとも疲れてしまってすぐに帰宅してしまった。帰りがけに買ったコンビニ弁当を自宅でかっくらって、そのままぐーすか昼寝。段取りボロボロ、ダンドボロギクですわ。
まあこういうのんびりした休日もあっていいかなと。^^;

2017年9月9日土曜日

火起こし15年

毎年恒例の小浜小学校「レッツゴーのちせチャンジ隊」での火起こし体験。
モミギリ式の火起こしで火種を作り、がまの穂→ススキ→杉葉→柴(焚き付け。小枝や建築端材)→薪(広葉樹)とたき火を作り、熾きにして焼きバナナ、その後もう一度たき火に戻してマシュマロを焼く。
毎年やっているのだが、いったいいつからやっているのかなと記憶をたどると、おそらく平成14~15年ごろからやっている。RCCM試験の前日にやった記憶があるから、そのあたりだろう。
ということは、もうかれこれ15年ほどやっている。最初の頃は私はまだ40台前半だったのだ。当時はパワーがあって、10秒台で火種を作ったこともあった。今はとても無理だ。

そういえば今月は土笛作りの予定もあるが、これに至ってはおそらく平成10年ごろからやっている。というか、平成10年ごろから14年ごろまでわーっとやっていて、その後はあまりやっていない。火起こし体験のほうにメインが移り、野焼きで何か作ることをあまりしなくなった。野焼きで土笛や土鈴を焼くかたわら、竹ご飯を炊いたり、石を焼いて地獄汁を作ったりもした。そうだ、今度の野焼きではそれらも復活させてやろうかな。

今日は写真はなし。火起こしの時は大忙しで写真なんぞ撮っているヒマはないのである。
午前中で活動は終了し、帰宅して道具類を片付け、風呂に入って汗を流して少し昼寝をした。これがまた気持ちいいんだ。

2017年9月8日金曜日

秋の気配は濃厚に

旅の後始末をざっと終え、明日予定している小浜小学校での火起こし体験用に、薪だの柴だのを取りに上根来へ。
旅に出る前が35度超えの猛暑で、つい昨日まで沖縄のアチアチの世界にいたので、何の疑いもなくTシャツにハーフパンツ、裸足につっかけで出かけた。
遠敷に入り、忠野を過ぎたあたりで急にひやっとしたので、車のエアコンを切って窓を開けてみると、涼しいではないか。いや、涼しすぎてちょっと肌寒いくらいではないか。
窓の外にはミンミンゼミがやかましく鳴いているが、よく見ればアブラギリの葉は黄色みをおび、いつの間にやら秋が夏に混じっていた。

上根来はダンドボロギクの綿毛がいたるところに飛ぶ時期になっていた。ああ、やっぱり秋に入っているんだ。

ナツメもたわわに実っている。今年もいっぱい食べられそうだ。
もう冷風機も扇風機もいらない、次はポロシャツと普通のズボンで来ればいいな。

auの中継アンテナも完成していた。秘境・上根来は今やドコモ以外はケータイ飛びまっせ状態になった。うーむ。

山を下りて帰宅したが、結局エアコンを入れずに窓を開けて走っていれば十分だった。
一週間いなかった間に、秋は一気にやってきていたのだ。その一週間の半分以上を八重山で過ごしていただけに、秋の気配に驚くばかりの私なのでありました。

夜、秋田で地震があった。熊本もそうだったが、知り合いが多くいる所の地震は心配になる。深度5強だと、耐震性の低い家屋や構造物は損壊する可能性があるし、条件次第では斜面崩壊もあるだろう。たぶん秋田はグリーンタフ地域だから地すべりなどよくない地質もあるはずで、気になるところだ。
秋田といえば私が新潟にいたときに日本海中部地震が思い出される。男鹿半島で津波にのまれた小学生が大勢いた。今回は内陸部だから津波の心配がないことが救いだ。
NHKのニュースを見ていて思ったが、最近は地震のニュースと必ずセットで近隣の原発への影響の有無が報じられる。まあ当然だろう。多くの技術者が関わっているのだろうな。原発の是非とは別の話として、現に原発が稼働していようがいまいが存在している以上、技術者のがんばりが必要なのだ。がんばれ。

2017年9月7日木曜日

もう1杯で10杯だったのに

昨夜は実によく飲んだ。結局ホテルに戻って風呂に入ったら2時を過ぎていた。

久々に酒が残っているなあと思いながらのそのそと起き出し、昨夜社長さんからいただいたグアバを皮ごとかじる。これ、飲んだ朝にうまいじゃないか。
「庭(だったかな?)のグアバをもいできた」とおっしゃっていたが、それって最高のプレゼントだし、ただの観光客で来た人には体験できないことだよね。
少し胃がすっきりしたのでホテルの朝食は食べずにチェックアウト。最小限の荷物だけバッグに入れて、後は宅急便で送ってしまった。

朝8時半の市役所前。すでにしっかり、じりじりと暑い。朝買ったさんぴん茶がすでにカラだ。街路樹の影に入って日差しを避けながらバスを待つ。

路線バスで空港へ。昨日からこれで3回目だが、宮古島の路線バスはすごい。
何がすごいといって、ワンマンバスなのに停留所案内のアナウンスがいっさいない。音声案内も流れなければ電光掲示もない。運転手も何も言わない。
乗客が島内の人ばかりだったり、観光客でも行き先はだいたい決まっていて、さらに乗車したときに運転手に聞いたり、逆に運転手が行き先を聞いたりして、乗客の降りるところを運転手が知っているんだろうね。私も「このバス、空港に行きますか」と聞いたもの。
そして運賃表示がないし、そもそも両替機も運賃箱もない。というか、両替機付き運賃箱はちゃんと運転席の横にあるのだが、ガムテープで封印されていて使えない。
運賃は運転手に直接現金で払う。運転手はどこから乗ったからいくら、などとは言わずいくらとだけ言う。お金を渡すとビニールの小銭袋の中からお釣り出してきて渡してくれる。だから降りるのに時間がかかるけど、そもそも数人しか乗ってないし、たぶん島民は定期か何かだろうからお金のやりとりなど不要なのだろう。
市役所前から乗ってみれば、乗客は私一人だった。
平良港から公設市場前を経由して空港方面へ。途中で高校生らしい女の子が1人乗ってきただけで、乗客2人のバスは一路空港方面へ。
空港の手前の「空港入口」停留所で下車。空港ターミナル停留所は目と鼻の先だが、このバスはそこには行かず、南のほうの集落をぐるっと回った後で戻ってきて空港ターミナルに停まるらしい。でもそれだと出発時間まで余裕がなくなるため、手前で下車してあとは歩いて行くことにしたのだ。
運転手に運賃を聞いて払い、お釣りをもらって降りた。いやあ、ほのぼのというかのんびりバスだなあ。てくてく歩いて5分ほどで空港。

空港に着き、まずは朝飯を食った。またしてもそば。
何回食ったかなあ…と思ったので数えてみた。
9月1日の夜に那覇に着いてハイウェイ食堂で1杯目。
翌日の昼食にセミナー会場近くで2杯目。
3日目、石垣島に移動する前の朝食にハイウェイ食堂で3杯目。
さらに石垣島の「一休」で昼食に牛そばを食って4杯目。
4日目、石垣島空港で昼食に5杯目、宮古島に移動して夕食に居酒屋で6杯目。
5日目の夕食にホテルの居酒屋で7杯目。
6日目、来間島大橋近くの食堂で昼食に8杯目。
そして今日7日目、朝食に9杯目。
…うーむ、バカだ。^^;

むくむくと雲が盛り上がり、飛行機の窓の向こうからじりじりと熱が入り込んでくる。

やがて離陸。眼下に広がる緑と茶色のパッチワークを、水のことをぼんやり考えながら眺めていた。

島の北部を雲のすき間に見ながら、飛行機は海の上に出た。来年また来るからな~。

30分ちょっとのフライトで沖縄本島に着いた。こちらもいい天気だ。
那覇空港で40分ほどのトランジットで伊丹空港行きに乗り換え。思えばここでもう1杯そばを食えば10杯の記録達成だった。惜しい。実に惜しい。って、何の記録やねん。

那覇空港が過密で離陸待ちが長引いたものの、10分かそこらの遅れだけで無事離陸。
沖縄本島の東海岸をなぞるように飛び(いずれ国頭村のほうにも行ってみたいものだ)、やがて奄美大島から種子島を見て、足摺岬を遠く眺め、徳島あたりから眼下に雲が広がる中を飛行機は降下を始めた。

大阪のまちを見下ろしながら降下。宮古島は緑と茶色のパッチワークだったが、ここはビルのパッチワークだ。

空港からバスで小雨の梅田へ。梅田で遅い昼食。面白いもので、大阪に戻ってくるともう沖縄のそばを食いたい!とは思わなくなっている。空気が違うんだろうな。
大阪からサンダーバードで敦賀へ。7時過ぎに着いて、さて小浜線に乗り換えだと思っていたら、何と大雨で小浜線は運休してるという。ずっと毎日ギンギラ晴れていた沖縄から帰ってきて大雨運休と言われても実感がぜんぜんわかない。
7時までは動かないという説明だったので、女房に電話して迎えに来てもらった。
帰りは女房の車を私が運転して、9日ぶりに帰宅。とたんに体がぐだっとして、夕食のあとソファで寝てしまった。

2017年9月6日水曜日

神様、水をください

今日はオフ日。宮古島に行くのが2回目で、前回(6月)は伊良部島・下地島・池間島と島尻に行ったにとどまったので、今回は島の南の方に行こうと思ってオフ日を取ったのだ。
結果的に旧盆明けの日になったので、今日の夜に皆さんと飲み会をすることになった。オフ日を取っておいてよかった。

朝9時。今日もぎんぎら太陽である。外に出ると早速じりじりと暑い。

平良港ターミナルまで歩いて移動。すでに汗がにじむ。朝9時すぎのターミナルは閑散としていた。ここから路線バスで空港近くのレンタカー屋さんへ。レンタカーを借りていざ出発である。

宮古島の南西にある来間島を対岸にみる前浜ビーチ。朝からジェットスキーなどでにぎわっていた。

来間大橋を渡って来間島へ。集落の中を通り過ぎると竜宮城展望台という、もうなんともリアルな展望台があった。名前の由来は知らない。

前浜ビーチが対岸に見える。そして海がとてつもなくきれいだ。これといった川がない宮古島は海が汚れないからだろうか、何種類もの青が重なり合った、ため息の出る美しい海だ。

そして琉球石灰岩の海食崖?と思われる斜面下に、石灰岩に浸透した雨水がわき出すところがあって、かつての島民の貴重な水源になっていた。湧水も井戸もまとめて「ガー」と呼ぶ。これは「来間ガー」で、写真右の最上流の湧水が「一番ガー」、飲み水などに使ったらしい。そしてこの下流にあるのが「二番ガー」で体を洗ったりしたようだ。

狭い石積みの通路を挟んで「三番ガー」。洗い物用だったらしい。宮古島は基本的に琉球石灰岩に覆われ、それが風化した「島尻マージ」という赤褐色の透水性のいい土壌によって覆われる。だから雨水はどんどん地下に浸透してしまい、表流水つまり川として海に流れる水はわずか。そのため、地下に浸透した水が顔を出す崖下の湧水や井戸は貴重な水源だったわけだ。

 島の西に小さな人気のないビーチがあった。GoogleMapでは「来間島プライベートビーチ」とあるが、まあプライベートビーチのような穴場の小さなビーチだということだろう。濃い青の海と白砂のコントラストがきれいで、しばしぼーっと過ごす。

朝飯を食い損ねたのですごく腹が減ってきた。来間大橋渡って宮古島に戻ってすぐのところに食堂があった。レンタカーは1台も停まっておらず、島の人たちが使う食堂のようだ。

宮古ソバを注文。なんだかオレ、毎日1回か2回はソバを食ってるなあと思いつつ、それでもぜんぜん飽きないんだよなあと自分でも感心しつつ食った。もちろんレンゲなんてついてこない。

少し行くと、陸の方に深く切れ込んだ小さな入り江を渡った。「入江湾」という、固有名詞とは思えない名前がついていた。車から降りて近づくと、ものすごい光景が。
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どうどうと流れる早瀬…ってこれは川ではない。ちょうど干潮で、入り江の中の水が海に流れ出ていく光景なのだ。干満の差がほとんどない日本海側に済んでいる私には驚愕の光景。

島の南岸沿いはリゾート地みたいになっているようなのだが、そのせいか無意味に広い歩道が作ってあった。車道よりよっぽど広いし。アダンが街路樹になっていて、実をつけていた。これ、何に使うんだ?

途中の展望台から太平洋側の海を眺める。さすがは太平洋で、リーフの端に打ち寄せる波が高い。

アナ井(アナガー)。文字通り穴の底に湧水がある。洞穴に降りていく感じで石段が地上から続いている。島ぞうりで恐る恐る降りていく。

穴の底に石組みがあって湧水が溜まるようになっている。地区の人たちが入れ替わりここに降りて水を汲んで上に上がって行っていたわけだ。大変な暮らしだったろうし、何より水は本当に大事にされたことだろう。

沖縄県指定の有形民俗文化財である「ウイピャームトゥの斎場」を見に行こうと車を走らせたが、満足に案内はないし、そのうちこんな山道を登る羽目に。他に観光客もおらず、人があまり行かないのだろう、びっくりするような蜘蛛の巣があったりして、本当にここでいいのかびびりつつ、汗をふきふき上る。

石灰岩の石積みに茅葺きの家屋があって、「ウイウスムトゥ」と説明がある。ウイピャームトゥもウイウスムトゥもさっぱりわからんが、ここに籠もって儀礼をしていたらしい。
ともかく島ぞうりで一人で来るようなところではないと思った。^^;

インギャービーチ。いやもう声を失う美しさである。
ともかく島の南岸エリアはリゾート系の施設が多くあるのだが、私はそっちにはぜんぜん興味がなくて、こういう美しい自然を眺めたり、ガーにせよウイウスムトゥにせよ、かつての生活を思わせる史跡を見たりするのが好きだ。

さらに東に行くと、ムイガーがあった。海食崖の断崖の下に湧水があって、100段以上の海岸を上り下りして水を確保していたというすさまじい所だ。
行ってみると、下ではなく上に上る階段がある。汗をふきふき上ると…

突然コンクリートが終わり、アダンを伐採した踏み跡にもなっていない空間が伸びる。ちょっと行ってみると真新しい杭が。どうやら遊歩道を延ばすために測量した後らしい。こんなところに島ぞうりで行くものではない。

駐車場に戻ると、今度は下に降りる狭い土道が目に入った。少しだけと思って降りていくと、たちまち草を手で払いのけないと進めなくなり、そのうち何かに捕まらないと降りられない傾斜になって、最後は海岸の転石ごろごろの上に出た。コンクリートの貯水タンクがあったから、昔は本当に水場だったのだろうが、今は誰も行かなくなったのだろう。

こーんな断崖である。結局ガーには到達できなかった。というか、島ぞうりで無理だって。いよいよもって汗だく、足もくたびれてきた。ほとんど現場みたいな1日になってきたぞ。

宮古島といえば世界最大級の地下ダム。その資料館があったので行ってみた。他には誰もいない。

宮古島の地質解説の模型。これはすごくすごく勉強になった。宮古島の地質は下から島尻泥岩(不透水層)、琉球石灰岩および島尻マージ(いずれも透水層)。そして島には北西~南東方向の断層が雁行していて、西に緩く傾斜しつつ、断層部分で東側がどーんと落ちている(正断層だったら)。まあつまり島尻泥岩の上面は北東に緩やかに上がっていき、断層のところでどーんと 落ち込むというのを繰り返している。その結果、北西~南東に伸びる、不透水層の「谷」が幾条もあるわけだ。
そして琉球石灰岩の中を浸透してきた雨水はこの「谷」を海に向かって流れるので、この「谷」をせき止める地下のダムを作れば水が貯められるというわけだ。
この地下ダムによって、広大なさとうきび畑のかんがいが可能になった。

もともと台風もあって降水量はある一方で、多くの雨水は川ではなく地下に浸透しているから地下水は豊富だ。地下ダムから井戸ポンプでくみ上げられた地下水はファームポンドと呼ばれる高台のでっかいタンクにためられ、ここからパイプラインであちこちのスプリンクラーに送られている。
展示資料を見ていると、本当に水で苦労してきたんだなあということがわかる。深い穴の底の井戸や断崖絶壁の下まで何度も上り下りして水を運んだり、干ばつで作物がほとんど取れなかったり。宮古島の民謡&踊りのクイチャーの起源を雨乞いに求める説もあるそうだが、実際雨乞いはしょっちゅうされていただろう。「神様、水をください」と資料の章タイトルにあった。そうだろうなあと、ガーを見てきたあとだけに実感で思う。

いやあ勉強になったわいと車を走らせていると、ちょうど近くのさとうきび畑で勢いよくスプリンクラーで散水していた。地下ダムは本当に島の人々の暮らしと生産に大きく寄与したんだなあとまた実感。これこそがインフラ整備のあるべき姿だと思う。

さらに行くと、今度は宮古島メガソーラー実証研究整備があって、派練りが並んでいた。その向こうには風力発電。
頭に桶を乗せて100段以上の階段を上り下りして水を汲んでいたムイガーがあって、その近くに地下ダムがあって、その近くに自然エネルギー施設があって…なんだか頭がくらっとした。

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竹中山展望台からの眺望。海のほうではなく背後の島のほうをぐるっと撮影。いかに宮古島が平坦な島なのかがわかる。

島の東の端、東平安名崎に向かう。交差点にまもる君がいた。

東平安名崎灯台。手前の駐車場はバスにタクシー、レンタカーが並び、かき氷やジュースの店が並び、中国語がバクハツしていた。^^;

東平安名崎の左側は東シナ海、右側は太平洋である。東シナ海側にはリーフが広がる。

太平洋側はうねりが押し寄せ、波が白く泡立っている。やっぱり太平洋だなあ。

島の東岸を走ると、ところどころに展望台やビーチが点在している。こんな息をのむ美しい海をどんどん見慣れてきてしまう自分が申し訳ない。
まだ見に行きたいところはあるけれど、それは次回のお楽しみということにして車を返し、近くのドンキホーテ(宮古島にドンキがあることに驚いたが、予想どおりここも中国語があふれていた^^;)のカフェで一休みし、ちょっとPC仕事もして、再びバスでホテルの近くに戻った。

汗になった服を部屋の洗濯乾燥機で洗っている間に部屋風呂で汗を流し、さらにPC仕事をして、7時前になったのでホテル2階の居酒屋へ。7時前でまだこの風景である。
大協企画の社長さんはじめ社員の皆さん、たまたま仕事で宮古島に来ていたアグリさんと八島建設の方々総勢11人で飲み会。
最初はビールで始まって、じゃあ次は泡盛で、ということで一升瓶が出てきた。水割りだからコップに氷を入れて泡盛を入れて水を入れて…なんてことはしない。2リットルか3リットルくらいのピッチャーに泡盛をどぼどぼ入れて水をどぼどぼ入れて最初から水割りにしておいて、氷を入れたコップにこれをどくどくと注ぐ。
やがてオトーリ(御通り)が始まる。
最初に誰かが「親」となる。いつも社長が最初の親になっているようだから、おそらくその場の最も上座というか長となる人がなるのだろう。親はコップを水割り済み泡盛で満たし、口上を述べて杯を干す。そして隣の人にコップを渡して泡盛で満たす。隣の人はこれを一気に飲み、親に空のコップを返す。親はまたコップを満たして次の人に渡す。次の人はこれを一気に飲み…してどんどん回していき、親の所に戻ってきたら親は口上の補足をしてもう一度杯を干す。そして次の親を指名する。指名された親②は親①と同じように口上を述べて…と延々と親が回っていき、全員が親を務めて終わる。
だから参加者は参加人数に等しい回数+1回(自分が親の時は2回飲む)だけコップ泡盛を一気飲みする。今日は12杯一気飲みをしたわけだ。
石垣島でもオトーリ的なことは少しやったが、本場のオトーリは6月に初めて宮古島に来て初体験した。今回は2回目だったが、さすがに人数が多いぶんだけよく飲んだ。
宮古島ではオトーリ用にあらかじめ水割りにした泡盛も売っているらしい。アルコール度数は10%くらいだという。日本酒より薄いわけだが、何杯も一気飲みするわけだから、すげえなあと思う。
さらに二次会に突入。さらに飲み、カラオケで盛り上がり、ホテルに戻ったらとっくに日を越えていた。いやー飲んだ飲んだ。
宮古島の照りつける日差しの中、美しい海をいくつも見て、大汗をかきながらガーを巡り、宮古島の水のドラマを実感し、そして宮古島の酒文化も実感した。全部が「水」に関係した、実に幸福な1日だった。