2022年12月31日土曜日

今年もありがとうございました

今年も1年お世話になりました。

【1月】

久々の全開ひこそう。コロナ禍の中でもそれなりに開催はしていたのだが、やはり皆さん遠慮あるいは警戒して不参加が続いていたのだが、今年はどかんと。
今年も雪室をやりました。小浜市としては大雪ではないのだけれど上根来だけしっかり雪があるという理想的な状況。
そして月末には恒例の旭川~札幌ツアー。そしてまたもや恒例のアコースティックタイム。いやあ、楽しかった。
そして伊織と鈴が我が家にやってきて5ヶ月が過ぎた。生後7ヶ月ほどになり、ずいぶん大きくなりました。

【2月】

例年に比べて積雪量は必ずしも多くはないのだが、降雪直後に雨が降ったからか、ともかく重い雪で、あちこちで倒木発生。
そんな中、お猫様はぬくぬくと過ごす。今見れば、キャットタワーのこのポケットに2匹一緒に入るなんて、今では考えられないな。
下旬、大阪と金沢、そして初めて宇部に行った。宇部では飲み会もあったのだが写真を撮るのを忘れた。

【3月】

中旬から出願セミナーツアー。まずは松山~徳島。しかし松山は前夜祭もなければ打ち上げもなく、一人さみしく徳島に流れてようやく懇親会。

しかしその後は金沢、博多、沖縄と、若干人数は限られつつもセミナーと懇親会。

【4月】

1日から11日まで東北→名古屋→富山→大阪→島根→鳥取とツアー。しかし懇親会は2回だけでありました。まあSUKIYAKI塾のセミナーは仙台だけだったからしかたないのだけれど。そんな中、秋田ではいつもの4人と楽しく会食。写真には一緒に写ってほしい2人のみが写っている。

仙台では、一人だけブレブレ写真になってしまうよろよろもんども含めて、楽しく飲めた。

早く平穏な世の中が戻ってきますようにと宍道湖に祈った私なのでありました。

猫たちはまた一段と成長し、私の簡易ベッドを占領してテトリスみたいに寝ていた。

【5月】

GW明け、松山から徳島の旅。松山は久々の飲み会(嬉しくで写真を撮り忘れた)、徳島も楽しく過ごした。

そして中旬、知床~札幌~帯広~釧路の旅。東京や沖縄からの派遣講師を迎えて本当に久々の知床だったが、それを祝ってくれたのか、奇跡が起こって知床連山が姿を現した。

札幌では青Tシャツ軍団で恥ずかしげもなく大挙して飲み会。女房も参加。

金沢でも久々の懇親会。数年ぶりにおつさんが復帰したのは、やはりあーみん効果か。

そして月末は青森~仙台~東京の旅。青森では五所川原で実に楽しい一時。仙台はもちろん東京でも久々の懇親会で、徐々に活動レベルが戻ってきたことが嬉しい。

【6月】

派遣講師を迎えての那覇~宮古~石垣ツアー。大勢で賑やかに過ごせて元気が出るねえ。

3年ぶりの宮古を仲間達と一緒に巡れたことも本当に嬉しかった。

猫たちも一歳を迎えて、すっかり大きくなった。鈴にいたってはすでにシンガプーラの平均体重を超えていると思われる。

【7月】

盛夏。猫たちも寝てばかりである。

そんな中、雪室酒を並べて悦に入るバカな私でありました。

そして長年慣れ親しんできた西津橋が掛け替えのため通行止めになった。これから5年間、歩行者自転車以外は迂回しなければならない。

そして月末、急逝したラガーマンさん宅弔問。最初の出会いから数えれば15年以上になろうか、本当にいろいろ助けてもらった。多くのご恩を思い返し、もう一度献杯。

【8月】

久しぶりに夏休み科学教室開催。化石教室は事情で開催しなくなったので、望遠鏡キットを作って月面観察。この催しはずっと続けていきたいなあ。

お盆明け、那覇~宮古~石垣のRCCMツアー。石垣では旭川もかくやはと思われるライブバー発見。うーん、これから二次会定番か?

【9月】

西津橋の撤去作業が徐々に進み、歩道橋は橋脚を残して撤去済み、本橋も桁の一部が撤去され、高欄や舗装が消えた。
私はというと、こっそり(でもないが)RCCMを受験し、また一次試験対策で少しだけツアーなどして初秋を過ごした。

【10月】

セミナーツアーはゼロで、甥っ子の結婚式で奈良へ、単なる旅行で伊勢へ(多摩ちゃん、お世話になりました)、父の納骨で京都へというプライベート旅ばかりだった。

【11月】

11月は自宅で寝たのは11日だった。何年ぶりかのセミナーツアー三昧。
そしてなんといっても3年ぶりのSUKIYAKI塾全国大会in北陸。SUKIYAKI塾の醍醐味を味わいました。ありがとね、みんな。

そして18日から29日までの11泊12日の旅へ。最初は札幌から。

札幌→仙台と異動したあと、松山までちょっとオフ日が取れたので、念願だった花巻に行って宮沢賢治ワールドを満喫した。

松山、高知、大分、博多と充実した旅が続いた。やっぱりこうじゃなくちゃね。

〆は沖縄。というか、最初が札幌で最後が沖縄って、何を着ていけというのだという世界である。でも今回は花巻も行けたし、やんばるでゆっくり過ごすこともできたし、何よりSUKIYAKI塾のみんなとフルで会えて、いい旅だった。

【12月】

月初めの金沢口頭セミナーをもってセミナー旅は終わり、あとはひたすらZoom模擬面接の日々。

与左衛門の冬支度も終え、今年は終わる。まちづくり活動のほうはコロナ禍でまだまだ低調だし、来年はボラセンの移転もあるけれど、できることをやっていきたい。

猫たちとの生活は1年半近くになった。この子達に癒された1年でもあった。
そして何より、SUKIYAKI塾のみなさん、小浜のボランティアのみなさん、本当に今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

2022年12月30日金曜日

子と孫のために働くじいじ

2日続けて子供一家のお迎え。今日は息子一家を迎えに米原まで。片道2時間かからない楽勝コース…と思いきや。

日差しの注ぐ小浜を出発して間もなく曇天に、さらに敦賀JCTから北陸道に入ると間もなく雨、さらに雪が混じるようになり、路面が白くなってきたではないか。
早めに出発していたので余裕を持って間に合ったが、やはり冬はこっちの方には来るもんじゃないなと再認識。

息子一家を出迎えて小浜に帰ると、我が家の上には青空が見えていた。
夜、息子・娘夫婦に「孫の面倒は見ててやるからたまにはゆっくり美味いものでも食ってこい」と浜照まで送ってやり、女房と2人で孫2人の夕食から入浴まで面倒を見た。
小さい子と一緒に風呂に入るなんてどれだけぶりだろう。子どもたちと風呂に入っていたのは、少なくとももう25年以上前のことだと思う。勝手がわからずオタオタするじいじなのでありました。
半ばのぼせながらも何とか入浴ノルマを終え、やれやれビールの一杯でも…と思ったら、息子・娘夫婦を迎えに行かなきゃなので飲めず。
迎えに行ったときは、酒の飲めない息子に運転して家まで帰れと言い放って自分が浜照に入っていこうとどれだけ思ったことやら。

2022年12月29日木曜日

朝の神戸徘徊

神戸の朝、62歳になったじいじは朝風呂のあと朝食を食べ、徘徊に出た。

ほど近いメリケンパークへ。朝っぱらから観光バスが乗り付けているなあと思ったら中国人の団体だった。

阪神大震災で被災した岸壁の遺構。メリケンパークには観光客もいるが、朝の散歩やランニングを楽しむ市民も多い。

カモメがずらりと並んでいた。風は冷たいがいい天気で気持ちがいい。

雲一つない快晴である。今日は六甲おろしも吹かず穏やかな日のようだ。
10時前に娘一家を神戸空港で迎えて、一路我が家へ。

夕食はたくくが送ってくれた沖縄そば。技術士沖縄そば部門だけに間違いない美味さである。ありがとうね。
久々に我が家が賑やかになり、猫は驚きディスプレイの後ろに逃げ込んだ。

2022年12月28日水曜日

誕生日は神戸で

今日は誕生日。62歳である。60歳を過ぎたらもう年齢などどうでもよくなってきた。^o^;

今日から年末モードで、まず今日は神戸に行く。明日の午前の便で娘一家が帰省してくるのだが、朝こちらを出ていたら雪で間に合わない可能性があるので前泊することにしたのだ。

…のだが、朝から晴れて暖かい一日になった。暖かいと言っても10度以下なのだが日差しが暖かいので少しの間だけ猫をベランダに出してやった。
午後から神戸に向けて出発。舞鶴若狭自動車道から中国道、山陽道、阪神高速などを経て2時間程度で神戸へ。

まずは最近オープンしたというアートと水族館がセットになった「アトア」というところに行ってみた。こじんまりしたところで、取組みは面白いのだが、水槽が狭くてウミガメなんかはちょっと気の毒だった。

アトアの屋上からポートアイランド方面を望む。いい時簡になったのでホテルにチェックイン。若干デスクワークのあと、食事のため外へ。

ホテルは南京町のすぐ横であった。南京町はけっこうな人通りである。

夕食はフレンチ。それもこーんなテーブルセッティングの食事。何年に一回、いやもしかするともっと稀な頻度の食事である。もともとは前泊せざるを得なかったのだが、ならばとヤケクソ気味に誕生日ディナーを敢行したわけだが、実に美味かった。美味かったのだが、我が貧乏胃腸はビックリしてしまったとみえて、夜、ちょっと調子が悪かった。^^;

2022年12月27日火曜日

定年退職

明日は私の62歳の誕生日である。私の会社の定年は62歳の誕生日なので、今日をもって私は定年退職である。
定年退職は誰も一度しか訪れないから、現実味のあまりない言葉なのだけれど、それが自分に来てみると感慨深いものがある。
私はすでに会社での仕事より自分の仕事(というか、どこまでが仕事でどこからが第三極的な活動なのかわからないのだけれど)が主なので定年退職になったからといって何もやることがなくなってしまうわけでも「心にぽっかり穴が開く」わけではなく、まして引き続きの再雇用なので、ほぼ何も変わらない生活が続くだけなのだけれど、それでもやはり感慨深いものがある。

私が入社したのは1985年4月。小浜の高校を卒業して島根大学の理学部地質学科に進み、大学院がなかったものだから新潟大学大学院の地質学鉱物学専攻に進んでマスターコースで2年を過ごし、その後で地元に戻って就職した。これからバブルだという時期であったが、就職したときに「これからはこんぴゅーたーだ」と思って親に借金をしてパソコンを買った。30万円した。フロッピーディスク駆動で、日本語入力は単文節変換で、というかワープロソフトなどなかったし、WindowsどころかMS-DOSすら動いていなかったからN88-BASICで自分でプログラムを組むしかなかったのだが、とにかく平仮名を打って変換すると「かったん」とフロッピードライブから音がして単文節変換されるという、今思えばとてつもないのんびりした環境であった。
それが今ではハードディスクどころかSSDドライブ、当時は影も形もなかったWindows、さらに当時は影も形もなかったインターネットなんだからなあ。そりゃ年取るはずだわ。

…などということを徒然なるままに考えながら北川の土手を歩く。雨が降らないかなと心配になるような空の色だが、今の季節はこれでも十分明るい。
気温も今日は7度もある。なのでダウンではなくフリースで歩く。

枯れ田の向こうに霊峰多田ヶ岳。以前にも書いたことがあるが、福井市のPTAでお世話になった先生がALT(だったかな)を連れて遊びに来たとき、この山を一目見て「あの山は何か違う」と言っていたのが凄く印象的だった。

その多田ヶ岳は雪が積もっている。上根来も雪が積もって静寂と寒さの中にあるのだろう。