2020年3月31日火曜日

かつてない年度末

今日で年度末である。
我が家では女房殿が38年間の教員生活にピリオドを打つ。COVIDの中で離任式も送別会もなく、なにやらバタバタの中でこの日を迎えてしまったけれど、まあとにかくご苦労様でした。女房の友達も含めて、夜中にささやかにワインを飲んだ。

市内の桜もほぼ満開のものもあって、暖かい春の日差しの中で華やかに桜色を広げている。しかしシートを広げて花見に興じる人はいない。まあ平日だしねというのもあるけれど、やはり世の中が「何もしない・何もしちゃいけない」みたいになっているからなあ。「正しく恐れる」のであれば、たとえば桜の木の下で草の上に座って、一人でビールを飲んでいたって全く問題はないはずなのだけれど、浮かれること自体が禁忌であるかのような空気になっている。
私は生来ちょっと天邪鬼なところもあるようで、合理的でないそういう「空気」はどうも好きになれず、あえてその逆のことをやってみたりよくしていたものだ。今はわざわざそういうことをすること自体が面倒なのでやらないが。

そんな中、明日からはちょっとだけ旅に出る。当初は4月後半まで出ずっぱりの予定だったのだが、今週から来週にかけて、数回程度日帰りや1~2泊程度の小さな旅に出るだけになった。
それでも今の空気からみたら、大変なこと、もしかしたら暴挙なのかもしれない。
もちろん私も何の用心もしないわけではないけれど、私のようなタイプはじっとしていると何だか別のビョーキになってしまいそうな気がするので、やはり少しでも旅に出られるのは嬉しい。

2020年3月30日月曜日

月は照る波の上

COVIDはいよいよ我が国の上にも覆い被さってきたようで、首都圏を中心に感染者数が指数関数的な伸びを示し始めている。
その一方で北海道などはピークアウトしたようで、名古屋もクラスターを封じ込めたと言われている。
世界をみてもピークアウトした中国を欧米各国が次々に抜いて行っており、やがてピークアウトしたアジアに欧米から逆輸入されたりするんだろうな。簡単に変異するだろうから免疫も役に立たなかったりするんだろう。やっぱり薬が必要だよね。

母がようやく退院した一方で、4月末の同窓会は中止(1年延期かな)になった。
とにかくいろんなことが不安定で流動的な春だ。

あれやこれやとやらねばならないことがあって1日を過ごし、夜になってようやくノルマを果たしたので気晴らしに浜まで歩いてみると、眉月がかかっていた。スマホのカメラでは満月みたいだが、三日月である。歩いて5分もかからないところに、波の音を聞きながら月を眺められる環境があることに改めて感謝である。

2020年3月29日日曜日

ダイコン国盗り物語

今日はまた一段と寒い。雨はもう降らないようだが、風が冷たく冬のようだ。

それでも桜はがんばっている。小浜小学校の校庭の桜も五分から七分咲きというところだ。来週末は満開の桜が散っていく中で花見をして、盃に桜の花びらが…などと柄にもなく風流を楽しむことができるだろう。例年ならね。
たとえば満開の桜の下でゴザを敷いて一人で飲んでいたとして、感染する危険も感染させる危険もないわけだが、やはりそれは軽く反社会的行動と映るのだろうな。いや、万が一悪友どもが集まってきて、2~3人でおだを上げるなんてことをすれば、それはもはや通報寸前の反社会的行為、軽くテロになってしまうかもしれない。^^;

土手は菜の花とダイコンの花の競演の風情となっていた。
15年か20年ほど前は、菜の花が圧倒的優勢で、ダイコンの花は法尻あたりに「すんまへんな」的にひっそりと咲いていたものだが、徐々に幅をきかせるようになってきて、今は逆に菜の花が法肩あたりに「すんまへんな」と咲いている。法尻から徐々に上がってきて法肩に迫るダイコンの花、まさに「下剋上」だなあと笑ってしまった。

2020年3月28日土曜日

桜はまだかいな

春休みの真ん中の週末、例年であれば気の早い花見なども行われ(小浜は一応北陸の端っこなので、3月はまだ桜が満開まで行かない)、春だなあと暢気な気持ちで過ごすのだが(私はセミナーツアーでバタバタしているので、暢気な気持ちになどなれないところなのだが)、今年はまったく違う。

小浜公園の桜は三分咲きにもなっていないだろうか。天気が悪いだけでなく、そもそも公園に提灯もぶら下がっていない。日がな一日、ここで酒を食らってぐだぐだやっていた記憶がウソのようだ。
まあこれで天気がよければ、そして暖かければ、気の置けない友人達と少人数で飲むのも一興だと思うが、さすがにこの天気じゃあな。

本当にLike a rolling stoneという感じで世の中が底なしの谷に落ちて行っているかのような日々だ。
その割に小浜はのんきで、モーニングを食べにコメダ珈琲に行っても、ちょっと飲みたくなって居酒屋に行っても(行く私も私だが)、いつもと何一つ変わらない人たちが賑やかにしている。
今日はこのご時世なのに区の総会があった。これもまたのんきなものだ。

2020年3月27日金曜日

Tomorrow never knows

何やら東京方面、あるいは大阪方面がやばい感じである。
ふと前回日本橋でラガーマン親方&バイア親方と飲んだ日を思いだしてみると12日前、潜伏期間満了まであと一歩である。
などと気楽なことを言っているが、実際わが小浜でも経済的ダメージはじわりと深く、みんな何とか今をしのごうとしている状態である。問題はスケジューリングしようがないことなんだよな。

曇りと雨が半々くらいの今日だが、上着を着ればやや暑く、脱げば少し寒いという中途半端なぬめっとした気温だ。心なしか海までがどろりと見える。
女房が本来ならば送別会だった今日、その代わりにひっそりとディナーの時間をもった。多くの人が人生の区切りの年度末をバタバタの中で終わらせてしまっていることだろう。
「明日はどうなるかわからない」って怖いものなんだなと、今さらながら思い知ることになった3月だ。

2020年3月26日木曜日

私は夜型

今日は驚愕の20度越え、もうさすがに上着はもちろん、ヒートテックを着ていることを後悔する暖かさ、いや暑さであった。
昼間がこんなだから、夜になっても暖かい。
こうなると嬉しくなってしまうのが私である。

本当に夜型なんだろうなあ、夜になるとどこかに出かけたくて仕方がなくなる。
もう時効だけれど、高校生のころ深夜徘徊をよくやっていた。自転車にラジカセを積んで、あてどもなく真夜中のまちをさまよっていた。

今でも(実は今日も)夜の10時過ぎにふらふらと歩くことがある。
今日は9時過ぎから10時前までうろうろしながら一応添削していたのだが、田舎町の真っ暗な道を歩くことと、立ち止まってスマホ画面でブツブツと口述添削するのを繰り返すと、スマホの明るい画面で目がくらんで道がよく見えずに危ない。
そこで数日前から新兵器の首から下げるライトを買って使っている。
そこまでして徘徊添削して効率が上がるのかというと、間違いなく自宅の仕事部屋で大きなモニタ2台を並べてGoogleドキュメントの音声入力を使って添削した方が断然効率はいい。
でもそこは気分なんだよな。
まして添削は、いかに的確なコメントをするかが命なんだけど、そのためには頭が冴えていなければならない。
頭の中のハードディスクがしゅんしゅんと快適に回るか、ぎしぎしと止まりそうになるかでぜんぜん違うのである。
そのノリノリの自分を作るために、ある時は歩き、ある時は上根来の空気の中に身を置き、ある時は大した用もないのに電車に乗ったりする。今日はサザンオールスターズを聞きながら歩いて、我ながらなかなかいいフレーズ(音楽じゃなくて添削の言い回しね)をいくつか吐き出して、ちょっとご満悦である。^o^

2020年3月25日水曜日

花は咲く

オリンピックですら延期になったのだから当然といえば当然なのだけれど、5月のお城祭りも中止になった。毎年祭り準備とセミナーツアーが重なり、体が2つほしいと思い続けていた4月、両方ともなくなって私は何をすればいいのでしょう状態になる日が増えそうだ。

そんなこと知ったことではないと言わんばかりにいい天気である。

なんとまだ3月なのにタラの芽が出ていた。他人の家の前だから採りはしないけれど、明後日くらいにはもう食べられなくなるだろうと思うと、気が気でなくなってしまった。^o^;

土手には菜の花が咲き誇っている。これも、例年4月下旬に行われる「菜の花マラソン」こと若狭マラソンの時期にはもう散っているだろう。てか、若狭マラソン自体が今年は散ってしまったけれど。

添削で疲れた目を休めに、漁港に行って夕日を眺めていた。人間界に何が起ころうとも、自然界の営みはびくともせず続いていく。ほんの9年前に私たちが経験した災厄、さらには75年前に経験した災厄に比べれば、本当に「ちょっとしたこと」レベルなのだなあと再認識。もしかすると我々の社会が脆くなっているだけなのかもしれない。
まあ、ひとつだけ確かに言えることは、おそらく今年は我が人生の中で、一番手がきれいだということである。^o^

2020年3月24日火曜日

Take it easy

まあ、これだけ外堀が埋まれば当然なのだけれど、オリンピックは延期となった。
さてと、今年はいろいろと大変な年になるな。というか、仮に来年オリンピックがあるとして、この3年ほどが、そしてその後が大変だろうな。まさかコロナ不況とオリンピック不況が立て続けに来るとは。
でもまあ、不況にせよ疫病にせよ、もっとひどいのがあったけれど、それで人類が死滅したわけではないのだから、全体としてはどうにかなるものなのですよ。
まずは明るくいこう。

今日はちょっと冬に逆戻り的に寒かったけれど、浜に出てみてよかったなと思ったのは、ハマダイコンの花をいっぱい見られたことだった。

2020年3月23日月曜日

春は別れの季節か

いい天気である。徘徊するのにダウンを着ていた既設はとうに過ぎ、パーカーを着るようになったし、ニット帽も手袋もいらなくなった。
気候がよくなってくると、土手などを歩く人が増えてきて、油断してスマホ片手に口述添削などしていると、いつ近くを人が歩いていて胡乱な目で見られないとも限らないので気が気でない。このあたり、街中でヘッドセットに大声でしゃべりながら歩いていても別に誰も気に留めない東京って気楽だなあと思うのである。

河原のヨシが枯れているから春だとわかるけれど、空だけ見ていたらどんだけあったかいのと思うような光景である。

小浜でずっと営業していたがじゅまろさんが店を閉めるというので夕食を食べに行ってきた。今となってはなつかしい木曜会を開催したり、ひこそう全国大会の前に昼食をみんなで食べたり、息子の結婚の時には我が家まで出張シェフをしてくれたり、本当にお世話になった。感謝感謝である。これからもお元気で。ありがとうございました。

2020年3月22日日曜日

雪室は元気です

世の中は今日まで連休なのだが、きっと人手は少ないのだろうな。
それでも今月初めの学校が一斉に休校になったころに比べると落ち着いてきたのか、それとも緊迫感が緩んできたのか、外に出ている人は多いように思う。

久々に雪室に行ってみると、やはり春の暖かさの中、雪が解けた水がしみ出している。

それでもブルーシートの下には堅そうな雪が顔をのぞかせている。6月くらいまで持てばいいなあ。

与左衛門と助太郎をざっと掃除して、助太郎で少し添削。NextMobileのルーターはソフトバンクの電波なので、上根来でしっかり受信できる。オンラインだとグーグルドキュメント+音声入力ができるので、添削がはかどることと言ったらない。
もっと暖かくなったら、ここで半日過ごすのもいいな。

2020年3月21日土曜日

いつかは島めぐり

寝不足だなあと思いながら目覚まし時計に起こされた。もぞもぞと起きて着替え、朝食抜きでとにかくホテルをチェックアウト。

眠気覚ましをかねて奥武山公園まで歩いた。三連休の2日目、公園にはフツーに休日を楽しむ人たちがいた。沖縄は2月以来感染者が出ていないためか、あまり切迫感は感じない。

奥武山公園から空港まではモノレール。Suicaが使えるようになっていてビックリ。
空港でブランチに沖縄そばを食べ、搭乗手続へ。
今回の帰路はピーチである。本来は那覇から松山に移動する予定だったのだが中止になったためキャンセルし、かわりに伊丹空港直行便を探したのだが早割期間はもう終わっていたため高く、松山便のキャンセル料のショックもあって(もっとギリギリまで待っていればタダだったのだToT)、LCCに変更した。

定刻通り離陸。また5月に来るからね。次回は世の中でもう少し平穏になっていて、マスクなしで講義ができるといいな。

与論島上空を通過。沖縄本島の隣の島だが、かつて琉球王国から薩摩藩がぶんどった島である。考えてみると薩摩藩は琉球の島だけでなく、結局日本そのものを征服したわけだから、力が強かったのだなあ。

沖永良部島。いつかはこういった島々を巡ってみたいものだ。

徳之島を過ぎた。これくらい北に来ると鹿児島県という感じがしてくる。

加計呂麻島と奄美大島。沈水海岸的な地形が興味深い。

屋久島が見えた。ここにもいつかは行ってみたいなあと思う。

九州の東海岸を経て四国上空を通過し、鳴門大橋上空を通過するころには高度を落とし始めた。

淡路島を横に見ながら高度を下げる。津名港が間近に見える。

神戸空港の真横を通過して関西空港に到着。LCCは第2ターミナルビルなので、ここからバスで延々と走って第1ターミナルへ。ハンバーガーでおやつタイム。

関空はなにせインバウンドが多いからと思って、大阪行きの関空特急「はるか」はグリーン車を取っておいたのだが、そのインバウンドがぜーんぜん来ないという状態になったため、グリーン車は無人君と化していた。誰もいないのをいいことに、OneMix+グーグルドキュメント+音声入力で添削。
新大阪でサンダーバードに乗り換え。これもガラガラ。最後に乗った小浜線が1両あたり乗客数は一番多かった。
19時前に小浜駅に到着し、そのまま浜照で食事。結局毎晩飲んでいる。^o^;

2020年3月20日金曜日

マスク講義は息苦しい

おそらくSUKIYAKI塾の中で唯一フツーに開催した沖縄出願セミナー。

講師も受講生も全員マスクの講義。
あのね、マスクして講義していると酸欠気味になってくるんだよ。^^;

午後は個人指導。SUKIYAKI塾沖縄のメンバーも全員マスク。

そして懇親会。国際通りは以前に比べれば人出は少ないが、居酒屋はそれなりに人がいる。刺身盛り放題で盛り上がる。このあたりから(酔っ払ってから)はもはや誰もマスクなどしない。
さらに二次会へ行ったあたりからいっちーがエンジン全開になってきて、そのままライブバーへ。

いっちーがドラムを叩いて、ビートルズをやりました。最後は夜中の2時でした。
最後に歌ったのは「Rock'n Roll All Nite」でした。よもやKISSをカラオケでやるとは。
飛沫飛ばしまくって歌いました。^o^;

2020年3月19日木曜日

那覇は雨だった

例年であれば、旅に出ている日数の方が小浜にいる日数よりずっと多いのだが、今年はさすがに小浜にいる日数の方が多くなりそうで、毎日のようにどこかのセミナー予定がキャンセルになる。
そんな中、今日から沖縄、3月最後のセミナー旅である。これも当初予定は、沖縄→松山→東京→福岡という10日間の旅だったのだが、結局沖縄だけになった。

ここはどこだろうと思うくらいにガラッガラの伊丹空港。お店の人たちも暇そうだ。

カードラウンジもガラッガラ。まあおかげで仕事ははかどったが…

とにもかくにも、20度近い、暑いくらいに好天の伊丹空港を定刻通り出発。

神戸のまちを見下ろしながら飛行するも、間もなく雲がどんどん増えてきた。

機内の飲み物サービスも紙パックのお茶という味気なさ。

那覇空港に到着。さっそく沖縄そば。これを食うとき、最初に出汁を一口すするとき、ああ沖縄に来たなあと思う。

今回のホテルはここである。ってドンキじゃないかと思うかも知れないが、ドンキ壺川店の上がホテルなのである。
私の到着を祝って、那覇も好天だった。路面が濡れているように思うかも知れないが、気のせいである。ToT

19時から面談1件、そのまま近くの居酒屋でケチャップとマヨネーズまみれのポーク卵なんぞ食べながらオリオンビールぐいぐい。これも沖縄である。

部屋からの夜景。これは壺川方面から那覇港のほうを見ているわけですね。
このホテル(東急ステイ沖縄那覇)はオープンしたばかりでタクシーの運ちゃんもまだ知らなかったホテルだが、例によって部屋に洗濯機があるので、毎日洗濯乾燥できるから、今回は着替えを持ってきていない。旅は身軽なのが一番だ。

2020年3月18日水曜日

一日だけ小浜

一日だけの小浜滞在。母のリハビリその他の手続、歯医者(悲しいことに歯を1本失ってしまった)、与左衛門の掃除などなど、バタバタと走り回って過ごした。

明日から沖縄である。
沖縄県は2月に感染者が出たもののその後は平穏で、すでに学校は再開、離島にいたってはそもそも休校もしていないという。そんなだからセミナー開催もできるんだろうな。
福井県も平穏無事だったのだが、今日ついに第一号が出たようだ。といってもまだ一人だし、リスクが極めて低いことには変わりはない。
明日も大阪までのバスや伊丹空港の中のほうがよほどリスクが高く、そして往路の飛行機の中がきっとリスク最大だろう。^^;

まったくこういう事態になってみると、飛行機というのはろくな乗り物じゃないなという気がしてくる。
感染リスクはまだしも、キャンセルすると半額ぶんどられるのである。
すでに今年は飛行機キャンセル料だけで数万円になってしまっていて、非常にイタイ。
さらに業腹なのは、キャンセルして半額ぶんどられた後に「手数料はいただきません」対応になったことである。行かないことが決まっていても、ギリギリまでキャンセルせずにおけばよかった…ToT

そんな中、東京で模擬面接(総監デー)を受講していただいた方からメールが届いた。
3人受講されたのだが、どうもその後連絡を取り合っておられたようで、合格祝いの食事をされたのだそうだ。
3人揃っての写真をみて、本当に嬉しかった。
合格を一緒に喜び、不合格を一緒に悔いる、この気持ちだけは忘れたくないよなあと改めて思った。
こういう気持ちが、よし明日からもがんばろう、いや明日といわず今からがんばろうという気持ちにさせてくれるのです。
感謝。

2020年3月17日火曜日

ガラガラ新幹線で帰る

今日は地下鉄東西線沿いで企業セミナー。ホテルから茅場町駅まで歩いて地下鉄を使った。朝7時半で船橋方面だったので空いていた。

正午でセミナー終了。天気もいいし、時間に余裕もあるので、東京駅まで歩いた。なかなか気持ちがいいものだ。

春のうららの、というにはちょっと早いが隅田川。歩いているうちに体が火照ってきて、ジャンバーも脱いでざくざく歩いた。

13:33発の新幹線で帰路についた。昼メシに買った駅弁を、ソーダ水を飲みながら食った。

感染リスク低減とゆったり仕事環境のためにフンパツしてグリーン車に乗ったのだが、ガラッガラである。米原で私が降りるまでに乗ってきたのは10人もいなかった。
米原からの特急しらさぎもガラッガラ。さらに小浜線もガラッガラだが、これはいつものことである。
6時前に小浜に到着。母の入院している小浜病院に直行して女房と合流して帰宅。
とたんにガクッと疲れが出た。あり合わせのもので夕食を食べて、もう何をするのも面倒になって、フロにだけ入って寝てやろう…と思ったのだけれど、やっぱりやることがいっぱいあるので寝るわけにもいかないのですよ。^^;

2020年3月16日月曜日

上野も閑散

企業セミナーのため京浜東北線沿線へ移動。早めの時間に移動したのと、主な移動方向と逆方向だったので余裕で座れたが、駅に降りたら東京方面行きの電車は満員だった。この時期にあれはイヤだろうなあ。

午後は、当初は別の企業セミナーの予定だったのだがCOVIDで中止。時間があったので徘徊添削しつつ上野公園へ。いい天気で桜も咲き出しているのだが、誰も宴会をしていない。なんでも大人数での花見は禁止らしい。まあヨーロッパでは外出もならぬということだから、ところどころで少人数でひっそり飲んでいる人たちがいるだけまだいいか。

ついでにアメ横にも寄ってみたが、これがアメ横か?というほど閑散としていた。まあ月曜日なのだが、それでもこれはちょっとひどい。
ホテルに戻って少し添削し、疲れたのでヒルネして、夕方ちょっと早いけれど食事に出た。

ホテルのすぐ近くに中華料理屋さんがあったので、ここで必殺レバニラ&ギョーザ&ビール。やくざな晩メシを食べたいと思うと、なぜかこの組合せになるんだよね。
店はガラガラ。私が食べている間に入店したのは仕事帰りのおじさん一人。飲食店は大変だろうなあと思う。
この中華料理屋さんの隣が馬刺しを出す店なんだけど、若い兄ちゃんが歩道を走り回って客引きをしていた。もう必死なんだろうなと思った。「今ならガラガラだからコロナ伝染らないですよ」って、いやいやいや。^^;

ホテルに戻って洗濯。東急ステイは部屋に洗濯機があるのが最高に助かる。
このホテルには3泊したが、毎日洗濯した。1日目はズボン(今はこういう言い方はしないのか?パンツ?それって下着だろうがよ。ボトムス?なんだそりゃ。昭和の還暦目前のじいじはズボンでいいんだよ)も洗ったが、2日目からはカッターシャツと下着と靴下だけ。
毎日洗うから着替えはいらないので、今回の旅は着替えがない分だけ荷物が少ない。
正確に言えば、初日の金沢だけ着替えを持っていって、洗濯物はプロジェクターなんかと一緒に段ボールに入れておつさんに持ってかえってもらった。
…「洗濯物をおつさんに持ってかえってもらった」ってアヤシイ表現だな。まるでおつさんが私の洗濯物を…やめておこう。書きかけてキモチワルクなってしまった。^^;

2020年3月15日日曜日

閑散としたアキバ

今日はオフ日である。本来ならSUKIYAKI塾東京のセミナーなのだが、CIVIDで中止なので、一日ぽかっと空きが出たのだ。
さすがに用心して午前中はホテルで添削をしていたが、ほしい買物もあるので秋葉原に行ってみることにした。

さすが東京、寒いがいい天気である。せっかくなので、日本橋から秋葉原まで徘徊添削をしながら歩いた。

日曜日なので秋葉原はホコテンである。…てか、なんなのだこの閑散としたアキバは。
こういうのを目の当たりにすると、これは社会として保つのか?と心配になってくる。
感染力は強いが重篤化率は低いという典型的な確率大・被害小のリスクなのだから、あとは重篤化した人が死にはしないようにする薬ができれば、慌てず共存できる病気になるのだろう。
でも今はもし感染したら&もし重篤化したらという、確率的にはすごく低いのだけれど、万一の場合にはえらいことになるという、もっともバイアスが働きやすい状態だから、仕方がないんだろうな…と思いつつ、自分もマスクをして歩いた。

アキバでほしかったのはUSBに接続できるマイクである。これがあれば、Googleドキュメントの音声入力ツールを使って、極めて効率的に添削ができる。2年ほど前から音声入力は積極的に使っているのだけれど、これが最も効率が高い。
マイクを持っていそいそとホテルに戻り(30分もかからずに帰れる)、さっそくマイクを使って快適に添削。
ちょっと疲れたころ、食事の時間が近づいてきた。
やっぱり東京に来て一人居酒屋はさみしすぎるっしょ!ということで、今日はラガーマンさん、バイアさんと食事をすることにしたのだ。

三越前のそこそこお高い店の中でSUKIYAKI塾Tシャツ姿になり、
「あぶらぼうず」を持ってSUKIYAKI塾北海道気分で喜ぶバイア。^^;
いや、おかげで気分が軽くなりました。ちょうどSUKIYAKI塾大阪のかもめさんの急逝のあとだったし、アキバの様子をみてちょっと気持ちが沈んでたんで。ありがとうね。
気持ちよく酔って、骨伝導ヘッドセットでKiSSのALIVE!を聴きながら、うきうきとホテルに戻りました。^^