2011年12月31日土曜日

一年間お世話になりました

大晦日だが、まだ机まわりが片付かぬ。どうも昨日から不急不要のものまで自炊作業に明け暮れていたのがいけなかったようだ。笑。
そのうえ、バイオ購入で余ったLooxUを息子に譲ろうと思ってOfficeを本来プリインストールされていた2007に戻そうとするのだが、これが見つからない。さんざん探しまわっている間に「ああ、これももういらないなあ」というものがいっぱい出てきてそれも処分している間に日が暮れてしまった。

ともあれ、今年も多くの人達と交わった。
小浜においてはボランティアセンターが移動して市民協働課ができ、新しいいろんな関係ができた。
市政60周年であったこと、観光局が道の駅に移り上根来プロジェクトなどの活動も動き出したこと、「新しい公共」のサポネットふくいの活動が始まったことなど、NPOのいろんな新しい動きがあり、そのためいろんな仲間がまたできた。
SUKIYAKI塾は北海道と沖縄の会としての活動が継続し、また筆記試験時期の北海道・沖縄でのセミナーや口頭試験時期の北海道・東京・名古屋・大阪・広島・沖縄のセミナーが開催されて派遣講師が行き交う中で、交流がいっそう活発になってきて、新しいSUKIYAKI塾地域拠点の動きも出てきた。
とにかく「人と人とのつながり」なんだなあと思う。
SUKIYAKI塾の中の技術士交流はもちろんだし、NPOの交流ももちろんなのだけれど、それらを横断した交流も実現している。
知床世界遺産さんとの交流から始まったシカプロジェクトは実現眼の前になったし、カチナノリさんとの交流は上根来プロジェクトメンバー高知視察につながった。
友人が日本中にいて、機会があったら飲める(飲むだけじゃないけれど^^;)というのは本当に素敵なことだと思う。

一年間本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。

2011年12月30日金曜日

シュレッドの午後

朝から仕事部屋の掃除。たまりにたまった書類の整理がメインである。
以前はA4封筒に入れては棚に整理するという、山根式袋ファイルというのをやっていた。とにかく何でも(定形外でも)放り込めるので「楽で始末がいい」と大喜びで始めたのがもう20年以上前。それからずっと続けてきた。
その結果、封筒で棚がいっぱいになった。それも大部分がデッドストックである。
そもそも、しょっちゅう出し入れする情報などそれほど多くない。会社ならともかく、個人の自宅になるとなおさらである。大部分はストックになってしまう。つまり場所ふさぎである。
何でオレは使いもしない紙に埋もれて生活しているのだろうと思った。

そこでペーパーレス化を考えた。片っ端からスキャンして元の紙は捨ててしまえばいいじゃないかというわけである。
ところがフラットヘッドスキャナでそんなことしていたら時間がどれだけあっても足りない。スキャンした情報もJpegファイルが溜まっていく一方で、それをフォルダの中に貯めこんでも閲覧性が悪くて使いものにならない。

それを解決してくれたのがオートシートフィーダ付きのスキャナとEvernoteである。
スキャナはScanSnapで、自宅ではS1500を使っている。
スキャナーS1500。処理が早いので快適。

そしてスキャンしたデータはOCRしたPDFファイルになってEvernoteに放り込まれる。
仕事の書類、NPOの書類、プライベート、自炊本などどんどん放り込んでいけばいいので大変楽だし、Evernoteを立ち上げさえすればそこでも閲覧できるので便利だ。スマホやギャラタブで見ることができるから、PCも不要である。
自炊用にはカッターも使う。文庫本なら厚めのものでないかぎり一発カットできる。

スキャンした後の紙はどんどんシュレッダーにかける。
このとき大切なのは、
「これ、紙のまま残しておいたほうがいいかも」
なんて思わないことである。そんなことをしていると結局片付かない。
「後で必要になったら買うなり誰かにもらうなりしよう」
と割りきって、あとはひたすらスキャンしてはシュレッダーにかける。もちろんシュレッダーもパワフルでないといけないので、個人書斎には普通置かない大きさのものを使ってがしがし裁断している。
アイリス・オーヤマのP8HM。たしか18,000円くらいした。

膨大な紙ゴミが出るが、やっているとだんだん気分が高まってきて、なんだかシュレッドした紙ゴミを生産するためにスキャンして裁断しているような気になってくる。
かくして1日の成果をふりかえるとき、Evernoteに作成されたファイル群ではなく、積まれた紙ゴミを満足気に見るという、ちょっとアブナイ状態になる。^o^

半日がんばった成果で、この半年間ほどの間に受け取った書類はほぼすべてスキャナ経由スレッダー行きとなった。
文庫本類も20冊弱処分できた。こちらのほうは購入ペースにはるかに及ばないので困ったものなのだけれど。

2011年12月29日木曜日

年末はいずこも

年末の行動など毎年同じようなものだ。日頃は手を付けない部分を掃除し、神棚の供え物を新しくする。お節を作り、餅をつく。そしてその行程は毎年ほぼ一定しており、我が家では掃除は29日から30日、神棚の供え物交換は30日、餅つきも30日である。お節は30日から31日にかけて作る。
年末年始の行事や食べ物は、なぜか時代の流れの中でも生き残り続けているようで、お節の黒豆や栗きんとんなどはあまり誰も箸を付けないけれど頑固に残っている。
先日も書いたが、お雑煮も地方色が色あせることなく残っていて、ほんの10kmか20km移動しただけで変化する。

今年は日本にとってお盆も彼岸も年末年始も特別なものになった。お正月のグダグダバラエティは相変わらず続くのかもしれないが。
私は口頭試験模擬面接の中で「東日本大震災を踏まえ、今後の我が国の方向と、それに対するあなたの技術貢献について」聞くことにしているが、実際の口頭試験でもそういったたぐいの質問が多いようだ。

…などなど雑感していると女房に叱られるのでとにかく体を動かす。
我が家と女房の実家の掃除をして回った。
女房の実家の離れと庭。今年はじめてスノーダンプを使った。

夜はskype3名。年末にもかかわらずまだやっているのですよ。^o^
明日は屋内の掃除と、そして毎年中途半端に終わっている仕事部屋の掃除である。

2011年12月28日水曜日

笑・整理術

今日は仕事納めである。仕事はなく、大掃除のみ。どよんと曇り、時々冷たい雨が細かく降る天気。雪が降らないだけましというものだ。
霊峰・多田ヶ岳も低い雲の中

大掃除を終えて自分の机の整理にとりかかる。今年はちょっと時間があるので長年の懸案の小物整理を…と思うのだが、結局できない。整理しようがないものが多すぎるのである。

たとえばこれ。字消し板、折りたたみ定規ボールペン(笑)、ペン型の望遠鏡&顕微鏡。
もう絶対使わないなら捨てるが、そうとも限らないので、そのままにしている。まあ引き出しの中がいっぱいだとか必要なものが見つからないなら何としても捨てないといけないだろうが、別に余裕もあって日常不都合がなければわざわざ捨てる必要もないわなとそのままになっている。
私は小物好きなので、こんなものが引き出しの中にごちゃごちゃと溜まっている。これを整理するのはいつになるやら。

いろんな書類についてはEvernoteにスキャンして保存するようにしているのでかなり捨てている。これもセミナーツアーに出たりしてバタバタしている期間のものはたまっているが、スキャンしてしまえばゴミ箱行きであるから、これは問題ない。

困るのは本である。
とにかく溜まっていく。電子ブックにすればいいと思っていたが、肝心の電子ブックになっている本が少なすぎる。
一度読んだら裁断してスキャンして捨てる「自炊」も購入速度に追いついていない。うーむ困ったものだ。

明日と明後日でどこまで整理(=嵩を減らす)ができるか…って、毎年同じ事を言っているなあ。

2011年12月27日火曜日

いやはやなんとも

「福井県の長年の悲願」だった北陸新幹線の敦賀までの延伸が決まったようで、新聞では手放しの喜びようである。

開業は14年後の2025年、建設費は延伸分で1兆円強。
これで敦賀から北陸回りで東京まで2時間55分で行けるようになるらしい。
現行では、敦賀から米原まで北陸本線の特急しらさぎで行き、そこから新幹線「ひかり」で東京まで行くが、所要時間は3時間であるから、5分の短縮である。
-。-

まあ、現行では福井→敦賀→東京だから、逆周りになると福井のほうが近づくわけだが、その福井駅では現行の3時間30分が2時間40分になんと50分も短くなる!…らしい。

-。-  マア、ノリカエモナクナルシ

2011年12月26日月曜日

ぬくぬくと

今日も冬ネタ。昨夜からずっと雪が断続的に降り続いている。小浜の積雪は昨日は9cmだったが本日午前9時現在18cmになった。
雪雲の下の出勤路。除雪は追いつかない。
雪の風景。でもまだ山の木々が白くなっていない。
気温は2度をきり、雪も細かくなってきた。北海道の「吹き飛ばせる雪」には及ばないが、ぐっと冷え込んできた。
こうなってくるとエアコンより床暖房がほしくなってくる。足元が寒いのよ。自宅では足元カーペットを使っているのだが、会社ではそうもいかない。
そこで昼食を食べに出たついでに「しまむら」に寄って、買ってきました防寒グッズ。

あったかスリッパと防寒ソックスである。スリッパとソックス2足で1,060円。安いのだ。
さっそく履いてみると、いやあぬくぬくではありませんか。冬の間は手放せなくなりそうだ。

そうそう、ふと思い出したのだが「ほっこり」という言葉を東京でよく見かけた。
あれってどんな意味で使っているのだろう。なんだかぽかぽかあったかいという意味のような気がするのだが、小浜弁では「ほっこり」は「疲れる」という意味だ。「あー、ほっこりした」は「あー疲れた」ということになる。まあ京言葉に近い小浜ならではのほんわかした方言だとは思うのだが、だから「ほっこり」という言葉を異なる意味で使っているのをみると違和感を感じるわけですね。

今日はskype模擬面接がない。口頭試験を終わった人は「まだやってるの?」と思うかもしれないが、27日、28日、29日、さらに30日もskype模擬面接をやるのだ。
そんななかで、今日だけ予定がない。これはとても嬉しい。嬉しくて帰宅してすぐにコタツに潜り込んでミカンを食べながら「一刀斎夢禄」を読んだ。本の執筆などもあるからあまりグダグダしてはいられないのだが、このコタツでぬくぬくするひとときがたまらないのですよ。

2011年12月25日日曜日

片付けの邪魔者たち

福井県内は大雪警報・注意報が発令されて、各地ともなかなかスルドイ状況になっている。
我が家の裏。ぼとぼと雪が落ちてきます。

そろそろ「二次試験合格法」の来年度版の執筆をしないといけない。今度はリニューアルしたいと思っているのだが、ぐずぐずとなかなかとりかかれずにいる。遅筆なのである。書くのが遅いのではなく、掻き出すのが遅いのだから始末に終えない。
我がデスクの上も散らかり放題で、デスク周りの床にさえ書類が積まれるようになってしまった。これも片付けないといけない。その片付け先である物置もかなり雑然としている。整理しないとなあ…とまあ、毎年これの繰り返しですね。年末というのは大自然から見たら冬の一時期に過ぎないのだけれど、人間から見たら活動の一区切りなので、やはり片付けないといけないよなあと思ってしまうのだ。

で、そういう時に限って片付けとは無関係の(むしろ片付けの邪魔になる)ことをしたくなるのが人間というもので、2つも余計なことをしてしまった。

1つは、パソコンを新調した。レッツノートのCF-R8からCF-J10に買い換えたのだ。CF-R8で十分と思っていたのだが、アプリケーションをいっぱい立ち上げたりエクセルブックをいっぱい読み込んだりするときにパワー不足を感じるようになってきた。バイオなどのおかげでWindows7にもようやく慣れてきたので、思い切ってWindows7のCF-J10を買うことにしたのだ。

そういえば知床世界遺産さんも同じのを持っているから「おそろい」になるなあ。クレヨンしんのすけさんもたしかCF-J9を持っているから、黒ジャケットレッツノート3人組を結成できる。だから何ということはないけど。揃いの黒のレザーコートにレッツノート持ってさっそうと登場するというのはどうだろう。ただし3人それぞれに弱点があって、山羊汁と納豆とビールを出されると泣くのである。
バカな妄想はともかく、新しいマシンを導入するとセットアップに時間がかかる。私は使うアプリケーションは限られているのでこちらのインストールはたいしたことないのだが、データはクラウド主体なので、EvernoteとDropboxの同期に時間がやたらとかかるのである。

もう1つは、買ってからずっと開けずにいた「一刀斎夢録」を読み始めてしまった。もう止まらないもんね。本当は中断なくずっと読み続けたいのだが、そんなことをしようと思うとそれこそ旅に出ないといけなくなるから、まあ空き時間に少しずつ。

2011年12月24日土曜日

Do they know it's Christmas?

朝起きて寒いと思ったら雪がうっすらと積もっていた。ついに冬来たりぬ。

こんな日は家から一歩も出ずにいたいのだが、こういう日に限って出勤日である。
我社は29日が年末最終出勤日なのだが、いつもこの日を休みにして28日に大掃除と忘年会をする。そのかわりに23日ごろに振替出勤をするのだが、今年は3連休になったので23~25日の好きな日に出勤するということになったのだ。
で、私はよりによってクリスマスイブの24日を選んだのである。だって子どもたちはまだ帰省せず、女房は職場の旅行で名古屋泊である(山ちゃんに行くと言っていた^o^;)から、家にいる必要はないのだ。まあ彼らが家にいたからといって何をするわけでもないのだが。
案の定ほとんど出勤者はおらず、イブに仕事に出ているというのも少し寂しいものの、
おかげで心静かに過ごせた。

昼食を食べたりいろいろと用事を済ませに市内へ出たが、やはりクリスマス、様々なクリスマス・ソングが町に流れる。
宗教歌やホワイト・クリスマスほかオールドスタンダードは無論、ポップ系ではジョン・レノン、ワム、山下達郎あたりがメジャーどころか。クイーンやイーグルスも時々流れる。
私はジョン・レノン命なのでHappy Christmasが一番、あとはジャズ系にアレンジされたオールディーズが好きなのだが、なんといっても忘れられないのはDo they know it's Christmasである。

1984年にボブ・ゲルドフらが作ったチャリティースーパーバンドであるBand Aidがリリースしたチャリティーソングで、これに触発されてアメリカでUSA for Africaが結成されWe are the worldをヒットさせた。
このチャリティーの流れは1985年にも続き、イギリスとアメリカで同時開催されたチャリティーライブ・Live Aidは忘れられない感動的なイベントだった。

イギリスでDo they know it's Christmasが歌われ、アップテンポ部分に差し掛かると、アーティスト達が飛び跳ね始め、それにあわせて観客も飛び跳ねて、野外ライブ会場の人の波がぐわんぐわんと上下に揺れていた。
あのシーンはYouTubeでいつでも見ることができるが、いま見ても涙がこみあげる。こういう「一体になっている」的なものに弱いのですよ。

Do they know it's ChristmasといいWe are the worldといい、自分たちの常識や文化を平気で他人にも重ねて良いの悪いのカワイソーだのと言うアングロサクソンの独善性がプンプンしているのだけれど、それでもDo they know it's Christmasが500万ドルを集めることに成功したのは確かだし、それは「言うだけ番長」の輩には真似のできないことだ。
Live Aidのぐわんぐわんと揺れる人の波を見て「自分にも何かできないか」と抑え切れない気持ちが湧き上がったのを思い出す。そしてクリスマスにDo they know it's ChristmasのLive Aid映像を見ると、あの時の「熱」が体感的によみがえって、「アントキノジブン」に帰れる気がする。原点のひとつなんだろうな。

2011年12月23日金曜日

オシンコ

最近はボディバッグにバイオPやギャラタブ入れて身軽に行動しているわけだが、文庫本も1冊しのばせるようになってきた。
たいていは椎名誠か東海林さだお。このご両人、文体は実によく似ている。一方がゴーストライターではないかと思うほどだ。
まあそんなことはどうでもよくて、空き時間に気楽に読める人畜無害エッセイとして大変ありがたいのだが、ご両名とも東京人らしく漬物のことを「お新香」という。
…いまGoogle日本語入力で「おしんこう」と入れたら変換できず、「おしんこ」と入れたら変換できた。正式名称が「おしんこ」だったのか!知らなかった。というか、お新香って、漬物のうち一部だけ、浅漬みたいなやつだけをいうのかと漠然と思っていたくらいだ。

事程左様に、東京の(江戸の?)食文化が自分のそれと大きく違っていることを再認識することが最近多い。東京滞在日数が多くなったからね。
とにかく醤油をばんばん使う。お吸い物など醤油をお湯で薄めた汁にしか思えず、なかなか飲めないし、カツ丼の卵が黄土色になっていることもある。
麺類についてはいまさら語るまでもあるまい。うどんは茶色くなっているし、そばもかけそばはしょっぱくて食べられない。ラーメンならOKだが、驚いたことにラーメンに海苔が刺さっている。

面白いのはお雑煮だ。小浜周辺ではお雑煮といえば丸餅を味噌味で煮て食べる。しかし東京は角餅を焼いてすまし汁で食べる。共通点は「餅を食べる」ことだけである。さらには小浜では餅以外入れないのだが、東京では餅以外にも鶏肉だのかまぼこだのといっぱい入れる。あれにも驚きましたね。お正月はお節があんだから、あっちでいろいろ食べればいいじゃない、なんで雑煮にまでごてごて入れるの、江戸っ子のくせに野暮なんじゃないの…なんて思ったりするわけですね。悪口を言っているように聞こえるかもしれないけれど、素直に驚いているのですから誤解のないように。

「何それ?」というナゾの食べ物も多い。
まずは「もんじゃ」。どうやらお好み焼き方面の食べ物らしいということは知っていたが、見たことも食べたこともなかった。昨年ついに念願かなってもんじゃを食べることができたが、不思議な食べ物だなあと思った。
「どら焼き」もナゾの食べ物だった。「ドラえもん」があるから「どら焼き」という食べ物があるのは知っていたけれど、そんなものどこにも売ってなかったから(今はそうでもないけど)、ずっとナゾだったのだ。
甘味処といえば「スアマ」というものがあるらしい。東海林さだおさんのエッセイに出てくるのだが、これなどもう味も形も材料も何もわからない、ナゾ中のナゾである。
そうそう、「麦とろ」もナゾの食べ物だ。むかし「どっちの料理ショー」という番組があって、そこで何かと麦とろの対決となった。いつもは「あー、これ美味いよね。でもこっちも美味い。どっちが勝つかなあ」なんて感じなのだが、このときは「…何それ?」であった。山芋のとろろが飯にぶっかけてあるらしいが、じゃあ「麦」って何だ?麦飯なのか?といまだにナゾのままである。もちろん食ったことはない。
佃煮もナゾであった。そういうものは売っていなかった。今ではスーパーに普通にあるけど。
こうしてみると、本当に「この食べ物がなんでこうなるの?」とかナゾの食べ物が本当に多い。日本人は「島国根性」があるから、自分のまわりの常識が日本国中の常識だと思ってしまいがちだけど、生活の根底にある食文化にこれだけ違いがあるのは本当に面白い。

しかし「お新香」かあ…私のボキャブラリーの中にはなかったなあ。あ、味噌汁のこと「おみおつけ」というのもない。

2011年12月22日木曜日

もうアップデートされています

朝、福井を発ち小浜へ。3日間ご苦労さまでした。>よしき
おかげで予定より早く帰ってこれたので、久しぶりのココスでカフェと早めのランチ。やっぱなごむ(というか馴染む)なあ。
外へ出るとまだ11:30。よおしと意を決してドコモショップへ。テザリング対応のスマホに機種変しようと決めたのだ。モバイルWiFiルーターを持ち歩いているのだが、自宅やホテルに置いたまま出てきてしまって、大変不便な思いをすることがときどきあるのだ。
スマホ自身がテザリングによりWiFiルーターになれば、そんな苦労はしなくてすむというわけだ。
きっぱりとした決意をみなぎらせてドコモショップに入る。対応してくれたお兄ちゃん(実は知っている人の息子)に、
「テザリングのできるスマホに変えたい」
と告げる。頭の中ではXperia rayかGalaxyにしようと考えている。すると、
「え、お客さんのXperia arcだったらソフトのアップデートでテザリングできるようになりますよ」
と言うではないか。
「へ?そうなの?」
「ちょっと見せていただけますか?」
「あ、はい」
「えーと…ああ、もうアップデートされていますから、テザリングできますよ」
「へ?」
「ほら」
確かに設定メニューの中にテザリングの文字が。SSIDとセキュリティ、パスワードを決めれば本日只今よりテザリングができるのだという。
「あ、そーなんだ。わーった、わーった。じゃ、ありがとね~」
恥ずかしいのでそそくさと店を出ようとする私を、ただ笑って見送る店員さんであった。

車の中でただちに設定。あっというまにテザリングONになり、バイオで接続完了。
「テザリングできるスマホがほしいなあ」とずっと考えていたあれは何だったんだ?アップデートは確か口頭試験セミナーツアーの最中にしたと記憶している。じゃああの時点でもうテザリングできたんだ…なんだか悔しい。

まあ一銭もかけずにテザリング環境が手に入ってよかったよかったと市役所へ行き、協働市民会議に出席、さらに新しい公共に関する打合せなどをしていったん帰宅。
身支度を整えて今年最後の木曜会へ。

羽賀寺でわいわいと鍋パーティー。ああ小浜に帰ってきたなあと思う時でもある。
11時過ぎに帰宅。これで飛び回りの日々に一段落である。明日からは少し落ち着いて日々を送ろうと思う。

2011年12月21日水曜日

そんな時代もあったねと

「新しい公共」の行事のため福井へ。敦賀駅で北陸本線に乗り換え、北陸トンネルを越えると雪の中であった。

南今庄駅。ホームの後ろは雪景色。その中に柿が熟れていた。
今日は小浜から風夢の皆さんが来てくれた。1日つぶして福井まで、本当にありがたい。
今年は多くの方から恩をいただいた。少しでも返していかないと。
なかなかに忙しい数日だったけれど、いろんな経験をさせていただいた。いろんなNPOがいて、みんなそれぞれに思いがあったりして、行政にもいろんな人がいて。
終了後、ホテルの下の居酒屋で反省会。久々にマッコリを飲んでいい気持ちである。

今日は一次試験の合格発表だった。だからといって特にメールがくるわけでもなく、また掲示板での喜びの声も少なく、本当に静かな試験になったなあと思う。臨時掲示板も問題手提供がなかったので立ち上げなかった。おそらく一次試験対策のコンテンツは、特に更新することもなくなるのだろう。少し寂しいようなほっとしたような。
合格者は4,000人を切っているのだという。JABEE認定プログラム修了による一次試験免除者のほうがはるかに多くなった。
思えば一次試験をきっかけとしたお付き合いもなくなった。
それらもまた時代の流れなのだろうか。

2011年12月20日火曜日

里雪

朝8時前に福井を出発し、高速道路をひたすら南下する。
福井県の形は象の横顔に似ている。右から見た象の横顔で、Evernoteの逆ですね。頭の部分が「嶺北」と呼ばれる旧越前の国、鼻の部分が「嶺南」と呼ばれる旧若狭の国(実際は旧国境と少しずれているけど)。
で、嶺北にある福井市から嶺南に行こうとすると、象の目のあたりから牙のあたりに行くので上から下に移動、つまり南下することになる。一方嶺南の小浜市あたりから福井市に行こうとすると、左下に伸びた鼻の中程から鼻の付け根に東北東に進む、つまりどちらかというと東進することになる。
だから私はずっと「嶺北」「嶺南」という呼び名に疑問をもっていて、「嶺東」「嶺西」じゃないのかと思っていたのだけれど、福井市から見たらたしかに南北だわと気がついた。

福井市を出るときは寒くて空は鉛色であるものの雪はなく、山も高いところしか白くなっていなかったのだけれど、なんと小浜市の隣にある若狭町に来たらすごい雪である。

里雪型といって、冬型があまり強くないというか、天気図で等圧線があまり立っていないときはむしろ山陰に近い気候の嶺南に雪がふって、北陸に近い嶺北には雪がふらないのである。

9時半に帰宅。ちょっと片付けものをして、10時過ぎに両親を乗せて舞鶴市へ。父親が月に1回病院に行かないといけないのである。
時間待の間に近くのショッピングセンターをぶらぶらして週刊誌など買い、病院の待合室で文庫本を読んでぼんやり過ごした。つかの間の「ぼんやり」はいいなあ。
小浜まで帰ってきて「丸亀製麺」でうどんを食べ、用事を済ませて帰宅。あれこれ事務処理をしていたら夜になった。
skype模擬面接を3件やって風呂で本を読み、風呂上りに梅酒を飲んで今に至る。
今日は自動車でかれこれ200kmくらい走ったように思う。最近では突出した走行距離である。

2011年12月19日月曜日

久々にクルマで福井へ

ひこそうへみんなを迎えに行き、8:40ごろ魚センターへご案内。そして私はなんてことだ客人を放っておいて会議のため市役所へ。こういったトレードオフというかダブルブッキングが増えているのが悩みの種だ。でも小浜でやれることは大事にしたいので、どうかお許しください。

11時過ぎに終わって合流。みつこがいろいろ世話してくれていたみたいでありがたい。
三丁町~常高寺と西組を案内して若狭町へ。「淡水」でうなぎを食す。すごろくさんをお連れして以来で、私もお客さんが来たときしかこういう店には行かない。
敦賀駅でみんなと別れてNPO行事のため福井へ。

ともともさん、クレヨンしんのすけさん、また山ちゃんで飲もう。SUKIYAKI塾名古屋、楽しみにしてるよ~。
ベッコ王子さん、今回は運転本当にありがとうございました。小浜はもう庭みたいなもんですね。また小浜で飲みましょう。
NHさん、朝早くからお仕事ご苦労様です。今度は舞鶴でぜひ!
そしてゆめたくさん、本当にみんなに囲まれた口頭試験でしたね。沖縄の皆さんとの交流はあなたが開いてくれたのです。感謝してますよ。

4時過ぎに福井に到着。すぐにホテルにチェックインして雑用を片付け、AOSSA(アオッサ)へ。ここはいわゆるコンパクトシティ化に伴う複合ビルで、御多分にもれずなかなかに苦労しているようだ。「あおっさ」というのは「会おうよ」の越前なまりである。

18時から「新しい公共」に伴う交流会。写真はワークショップ中の光景である。まあNPOにもいろんな人がいるんだなあと、日頃他のNPOとの付き合いがあまりない田舎者として感心した次第である。
そういえば今日、久々に車で福井に来た。以前は移動の自由が制限された鉄道よりも好きなときに走って好きなときに休めるクルマが一番だと思っていたが、クルマって運転することしかできないから、なんだかすごく時間を無駄にしたような気がするようになった。
添削やらで忙しいときは特にそう思ったものだが、比較的移動中の時間的余裕ができて、本などをぼんやり読むことが多い時期になっても、やはり「いろんなことに時間を使える鉄道での移動時間」はけっこう大切なものになってきているなあと再認識した。

9時過ぎにホテルに戻ってskype2件。まあ忙しいというか落ち着きのない生活をしているけれど、充実はしてます。

2011年12月18日日曜日

またもひこそう

福井を10時過ぎに出発。雪は振り続いており、特に北陸トンネル近くはもはやしんしんと降っている。

福井を出てすぐはこの程度。

やがてこんな状態になり、

北陸トンネルの手前はこんな状態。

敦賀でベッコ王子さんと合流。この悪天候の中を神戸からノーマルタイヤでやってきたど根性である。
やがてともともさん合流。さらにゆめたくさん、クレヨンしんのすけさんも合流。
ベッコ王子さんの車に乗せてもらって一路小浜へ。
途中、すごろくさんご一行もお連れしたうなぎ屋に寄ろうと思っていたのだが、ものの見事に忘れてスルーしてしまった。^^;
結局小浜まで来て、「濱の四季」で昼食。
その後我が家で一休みいただき、明通寺へ。
ここは三重塔と本堂が国宝なのだが、土質基礎メンバーは三重塔の基礎をしげしげと観察。まったく知床さんは竹を見て感動するわ、すごろくさんは杉に生えているコケに食いつくわ、フツーに文化財を見てくれるまともな人がなかなか来ない。ToT
とっぷりと日も暮れたので、「ひこそう」へ。SUKIYAKI塾では小浜に来たらここに行くのがしきたりなのである。

ふぐ三昧でとことん楽しみ、クレヨンさんはひれ酒にハマリまくって追加の追加を重ねる。そういえばカチナノリさんも同じ行動をとっていた。クレヨンさんは高知出身、カチナノリさんは言わずと知れた高知、どうも高知の人にはひれ酒がストライクなような?

ベッコ王子さん&ゆめたく&ともとも足。
いやあ、飲みました。女房までご一緒しちゃって。^^

途中、知床世界遺産さんやバイアさんにTEL入れて、ともかくわいわいと。
知床さん、「たくくをダシに飲んでるだけじゃね?」…慧眼恐れ入ります。^o^
こうやっていろんな人が小浜に来てくれて、小浜の文化やら食を楽しんでくれるのは最高ですね。

2011年12月17日土曜日

冬、来たりぬ

朝起きると、敦賀のまちはうっすらと雪をまとっていた。12月の積雪は珍しいのではなかろうか。

敦賀市男女共同参画センターに行き、「新しい公共」の行事をこなす。やむをえない経緯はあるが、ニーズとシーズが噛み合っておらず、忸怩たる思いがある。
あまり軽くない心持ちで今度は福井に向かう電車に乗った。


福井到着は5時過ぎ。夕闇が深くなる福井駅前はアーケードの軒下に雪が少し積り、いよいよ冬の光景になりつつあった。足元はいつもべちゃべちゃで、長靴が日頃の履物になる時期である。
今日はおつさんとshunさんの模擬面接である。Umさん、かんたろさんも来てくれた。
いつものように本番より少ーしだけ厳しいくらいの模擬面接を終え、駅ビルの「八兆屋」で食事。やっぱり毎晩飲んでいる。^o^;
ホテルに入って風呂に入ったら、他愛もなく寝てしまった。

2011年12月16日金曜日

廃校活用もいろいろ

ほっと平山にて気持よく起床。ぴしっと冷えて気持ちの良い朝である。
平山で採れた食材を使った朝食。ご飯も棚田米。田芋はじめ地元食材が並ぶ。会話の中から、つったんさん・カチナノリさんはじめ高知の皆さんの取り組む棚田事業が平山の地にしっかりと根付いているのがわかり、嬉しくなった。継続は力なりだなあ。
平山を辞して帰路につく。今日は高松周りで明石海峡大橋方面へ。
途中善通寺ICで降りて讃岐うどんを食し(今回のツアーは麺類ばかりだ^o^;)、淡路島へ。
淡路島では「ノマド村」を見学。ここも廃校利用だが、アート活動の場になっていた。

校舎はRC造。入り口に竹のアート。

「ノマド・カフェ」として営業しているようだ。
土日営業なのでこの日はあいにく休み。
天井を外してコンクリートむき出しにし、壁は
コンクリートの上にモルタルと土壁を塗っている。
夕方5時過ぎに小浜到着。雪が降り出していた。
いったん帰宅して着替えその他を持って、よしきとともに敦賀に向かう。雪は降り続き、うっすらと積りはじめていた。
敦賀でまた飲んでホテルで寝る。一人旅にならない限り毎日飲んでるな。^^;

「廃校活用ツアー」は実に面白い体験だったが、平山のようなところにああいった場があるのが素敵だなあと思う。
上根来は今回見たいずれの廃校とも違って、本来活用をはじめるべき時期から10年以上たち、もしかするともう手遅れかもしれないと思うほど老朽化が進んでいる。老朽化というより朽ち果てているといったほうがいいのかもしれない。
そのいっぽうで、携帯も飛ばない奥地という、利便性がないがゆえのポテンシャルもある。平山のように合宿したり何日も逗留したりするのは無理だろうが、世間と隔絶されたひとときという空間は提供できる。それはそれでまた魅力に感じてくれる人がいることだろう。
やはり「似たようなものを見に行く」ことは大事なことだと再認識した次第。

2011年12月15日木曜日

ほっと平山

11月30日に行ったばかりの高知にまた出かけた。
今回は技術士とは関係なく、上根来プロジェクトの「先進地視察」で「ほっと平山」に行ってきたのだ。
メンバーは知床にも一緒に行ったさとる、上根来プロジェクトのエンジンであるあこちゃん、そしてもしかしたらカツオが食いたくて来たのかもしれないよしき、そして私の4人である。
さとるの車で朝8時に出発。この時点では「遅くとも2時には着くっしょ~」と余裕であった。
四国に渡ったあたりで、「せっかく四国に来たし時間に余裕もあるから徳島ラーメンでも食べるか」と余計な色気を出した。これが失敗でしたね。

まずは鳴門市の三八ラーメン黒崎店にて軽く一杯。久々の徳島ラーメンが美味い。

いっそラーメンのはしごをするかという馬鹿なノリになってしまい、続いて徳島市の麺王。味付け玉子がまた合うのだ。
まだ目的地に着いてもいないのにすでに腹いっぱいになってしまったお馬鹿カルテットは、結局予定より1時間遅れて「ほっと平山」に到着したのでありました。

そしてその以前から一度行ってみたいとおもっていた「ほっと平山」は、上根来とは比べるべくもない立派な施設でありました。

近代的な校舎。右側に見えるのは体育館、
左側の木の影に隠れているが校舎はRC。
新しく清潔な校舎の内部。

たたみマットを敷いた客室。新しくて清潔。

玄関。真新しい建物のようで、廃校校舎とは思えない。

食堂。テーブルは地域の方が木工工芸室で作られたらしい。
ほっと平山の山崎会長さんから話をうかがう。平成5年に校舎をリニューアルし、12年使った後に生徒減少に伴い廃校にして「ほっと平山」として再スタートしたという。
上根来、小浜市から見ればまさに垂涎の的としかいいようがない境遇である。昭和30年代築の、昭和末に廃校になったまま活用されていない、今まさに朽ち果てようとしている木造校舎で何かやろうとしている我々にとって、あまりに土台が違いすぎてもうボーゼンである。
それはともかく、山崎会長さんと話が弾む。地域づくりにじっくり取り組む人と過ごす時間は本当に楽しい。

ガブさんがわざわざ迎えに来てくれていた。本当にありがたい。
ガブさんの案内で棚田へ。
ぱーっと思いつきで派手に事を始めて、興味が移ったらさっさ手を引くような無責任なNPOが多い中で、地道に活動を続け、地域の人達の信頼を勝ち取った棚田再生事業は、本当に素晴らしいと思う。
校舎の隣には陶芸館と木工工芸室。陶芸館では山形から来られた五十嵐さんから話をうかがう。みんな福井からやってきた闖入者に対して本当に丁寧に応対してくださって、ありがたい限りだ。
作業室にはマキストーブが燃えていた。羨ましい素敵な時間を過ごしておられるのだなあと感動。

ガブさんの車にありがたく乗せてもらって高知市へ。高知駅前で下ろしてもらって、少しぶらぶらすることにした。
駅前に屹立する3先生の像。

龍馬先生、少し顔がむくんでおられるのでは。
高知に来たならやはりこれ。はりまや橋である。^o^;
中央公園はイルミネーション中。
そして18時となり、お待ちかねの夕食会であります。
ガブさん、カチナノリさん、Ryoさんの高知3名と、小浜4名、さらに途中からよしきの元同僚という方も加わって腹一杯になるまで飲んで食った。
高知に伝わる剛性な皿鉢料理。

寿司。酢飯にゴマを混ぜたしめ鯖巻が美味い!

カツオのたたきはやはり絶品!

カツオのトロ部分を焼いた「はらんぼ」。

長太郎貝。これまた美味い。

私は最近これが一番好き。どろめ。

店の前で記念撮影するも完全な逆光でだれが誰やら。笑。
そしてやはり仕上げはここ、安兵衛。腹いっぱいだったはずなのにギョーザとラーメンがまだ入る。
揚げ焼きみたいになった具沢山の餃子は絶品。

あっさり味が深いラーメン。今日ラーメン3杯目だ。^o^;
今度こそもう食えないというくらいになって、平山の人が運転するタクシーで激走してほっと平山へ。同じ名前の平山さんが宿直としていてくださった。もう恐縮するほどである。
風呂にゆっくり入り、温かいふとんでゆっくり寝た。
いろんな人との素敵な出会いのあった、素晴らしい日だった。