2015年6月30日火曜日

マイブームは温泉?

今日は諸事情あって1日自宅にいたのだが、新幹線は焼身自殺だわ、ギリシャは混乱するわ、箱根は噴火するわ、騒々しい1日だった。新幹線で巻き込まれて亡くなられた女性に合掌。
用事をこなす合間にテレビのニュースも見つつ添削を進めた。

技術士筆記試験まで20日となり、遅まきながらエンジンがかかってきた人たちもいる。
この時期になると、けっこうはっきり差がついてくる。答案の書き方やいろんな施策等の理解がかなり進んで、安心感のあるしっかりした答案を書ける人もいれば、答案の書き方も問題のポイントも施策等の理解もぜんぜんまだまだで、残り日数を考えると絶望的だなと思わざるをえない人もいる。
でも、それでもがんばってほしい。本気モード全開になれば、人間かなりのことができるはずなのだから。

自宅にずっといると気分転換がすごく大事になってくる。
今日は風呂には行ってマンガを読むことがいい気分転換になって、3回も風呂に入ってしまった。どうやら温泉ブームが自分の中で続いているようだ。^o^

2015年6月29日月曜日

スバヤク帰ってきました

昨夜、「朝は大浴場は入れないんでしたっけ」と聞いただけだったのに、わざわざ朝風呂が入れるように大浴場を準備してくれていた。申し訳ない。

朝風呂を楽しみ、たっぷりの朝ごはんを食べて腹一杯になった。出されたものは残しちゃいけない世代なのでがんばって食べた。でもゴハンを3杯食べて、さすがにもう入らない。

旅館の前から路線バスに乗った。いい天気の朝だけど、交通量は少ない。温泉街としてはちょっと寂しい朝だ。
路線バスがやってきたので乗ったが、乗客は私一人。川治温泉街の中を走るうちに2人増えて、でもそれから鬼怒川温泉駅までそのまま増えず。

鬼怒川温泉駅に到着。やはり温泉街も駅も川治とは比べ物にならない。本当は少しまちをぶらぶらしたいところだが、電車まで時間が10分もない。駅前風景をちょっと写すのが精一杯。
東武鉄道のスペーシア「きぬ」で春日部まで(終点は浅草だが方向が違うので途中下車)、そこから「アーバンパークライン」で大宮へ、さらにJR東北本線の上野東京ラインで東京へ。予定より1時間速い新幹線に変更して、12:33に東京駅を発った。米原から「しらさぎ」で敦賀へ、そして小浜線で小浜へ。16:49到着。
道中ずっと添削をしていたが、1/3くらいはイネムリしていたように思う。^^;
駅に止めてあった自転車で帰宅。書類整理等をして、ベッドに寝転がって少しマンガを読んで息抜き。

夕食を食べて再び自転車で外へ。夏休みの街頭パトロールの会議。ちょうど夕暮れ時だった。明日もいい天気のようだ。仙台のあの天気は何だったんだろう。
9時過ぎに会議を終えて帰宅して、10時からSkype。いやー、旅から帰宅した当日からハードですわ。

でも川治での一晩はいい息抜きになった。よし、添削の日々が一段落したらまた息抜きに行こう。

2015年6月28日日曜日

栃木県に泊りたかったのよ

秋保温泉で頭がボーッとしつつ朝を迎えた。睡眠1時間程度だったらしいたずへい・クレヨンの2人をはじめ、皆さん昨夜の疲れを全身にみなぎらせ、仙台駅に向かうバスの中は静かったらありゃしない。
仙台駅で再度の解散。名残を惜しんで握手したりしているみんなを、ちょっと離れて眺めるワタシであった。握手して別れる必要はないほどしょっちゅう会う人たちばかりだからねえ。^^

新幹線待合室で少し添削してから「やまびこ」で郡山へ。そこから磐越西線で会津若松へ。磐越東線はいわきへ行き始めたころ2度ほど乗った(そのうち慣れてきてバスを使うようになった)のだが、磐越西線は初めてである。

ところがこの磐越西線の鈍行、ぎっしり満員である。なんで?と思ったがともかく立って乗車。

やがて会津熱海という駅で 大部分が降りた。ほとんどがおじさんで遊びに来た格好ではないけれど服も気配もバラバラ。何かの学会でもあるのだろう。
いきなり車中はガラガラに。1両に10人程度しか乗っていない、小浜線と大差ない状態になった。安心して添削を再開。本当は今日はなにもせずに風景を眺めていこうと思っていたのだけれど、あいにく雨とガスで何も見えやしない。おかげで添削は進んだけれど。

会津若松駅に着くとなにやら騒がしい。駅前にテントが並んでいる。天守閣再建50周年とあるけれど、そんなことでここまでと思っていたら、どうやら福島県あげての観光キャンペーンのようなものをやっていて、その最終日のようなものらしい。

ちょっと引くほどずらりとゆるキャラが並んでいる。我が小浜市もご多分に漏れないが、全国津々浦々いったいどれだけのゆるキャラがいるのか、想像もつかない。

子どもの1日駅長もいて、そのうち会津若松市長のあいさつが始まった。いっそのこと屋台テントで何か食べようかと思っていたのだが、しばらくセレモニーが続きそうなので近くの店で当たり前のラーメンを掻き込んで、再び駅へ。

今度はホームで和太鼓を叩いていた。この和太鼓もゆるキャラと同じくらい全国津々浦々にあって、違いがわからないことがほとんどだ。

めざすホームのほうへ進むと、今度はカメラを構えて目のすわったオヤジ軍団がいる。見ると「ファイナルDC」とある。最後のディーゼル車走行か何かか?とにかく被写体しか見ずに動き回るものだから人にどんどんぶつかって危ない。私は撮り鉄じゃないし、鉄ですらないからさっさとその場を離れた。とにかく騒がしい駅であった。
ようやく目的の列車に到着。JRから会津鉄道に乗り入れる「お座トロ展望列車会津浪漫星号」である。ものすごい名前だなあ。

まあつまりトロッコ展望列車なのだが、行き先が温泉エリアということで、団体用お座敷車両もあるらしいのだ。これに乗って宴会で騒いでいる間に温泉に着くという仕掛けらしい。すげえなあ。
しかし今日は団体利用はなし、一般の展望客車も10人ほどの客のみ。

この列車は観光列車らしく鉄橋の上で停車する。ここはなんとかいうダム湖の上だ。

なんとか川である。女性の案内係のような人が放送で説明してくれるのだが、おじさん覚えられないのよ。

「芦ノ牧温泉」という駅は茅葺き屋根。ねんでも猫の駅長が売りらしい。猫の駅長もずいぶん増えたよなあ。

駅舎にはいろりがあって、薪のニオイがうっすらとする。ここは確かにいい風情。

渓流の上でまた停車。見ると何やら浸食によると思われる塔状の岩が。特に紹介はなかった。

終点の会津田島に近づき、家が多くなってきた。このあたりの家は瓦屋根が見当たらない。またこんな北海道的な屋根もあったりする。

目を引くのがトタン葺きの入母屋造りで、こういう家はだいたいトタン屋根がよく光っている。

会津田島で乗り換え。向かい合わせ席ののんびりしたローカル鉄道だが、行き先は浅草となっている。東武鬼怒川線からずっと走り、最後は浅草に到着するらしいのだが、いったいどれだけかかるのだろうと思ってしまう。発車は16時なのだが、浅草到着は21時ごろらしい。ひええ。でもこれで北千住前帰るという親子連れがいた。

1時間ほど乗って、川治湯元駅に到着。トンネルを出てすぐの橋上駅。ちなみに1つ手前の駅はトンネル駅。なかなか面白い路線である。

駅前にはまたもゆるキャラ。「川じい」という。川治だからなあ。モチーフが動物とかじゃなくて人間のおじいさんというあたり、沖縄のなんじいとダブって面白い。

川じいの後ろには手作り感満載のうるおいゾーンが。旅館の迎えが来るまで駅前広場にいたが、人っ子一人来なかったというか、車の1台も通らなかった。

今回はなぜ川治温泉に来たかというと、全国大会のあと直帰するのはちょっと惜しいし、たまには無目的に(というか骨休めに)温泉でも行こうと思い立ったのがまず最初である。
ならば会津に行こうと最初は思っていたのだけれど、せっかくだから我が生涯でまだ泊まったことがない県に行ってみようと思って、ついでに会津にも行きたかったので栃木県を選んだという次第。私はまだ泊まったことがない県が3つ残っていて、栃木県、群馬県、山口県である。このうち山口県は泊まっていないというだけで数年前には秋芳洞にも行ったし、群馬県は駅のホームだけだけど降り立ったことはある。栃木県だけが新幹線で通過する以外に行ったことがなかったので、今回は栃木県で泊まることにしたわけだ。
西日本の人は、茨城・栃木・群馬の並び順をいえない人が多いし、だいたい埼玉県のまわりがぼーっとしている。(対して東日本には鳥取県と島根県の並び順がわからない人が多いし、奈良県のまわりがぼーっとしている)
まあ私は小学生のとき地図小僧だったのでそんなことはないのだけれど、「栃木県には何があるか」と聞かれると、餃子以外即答できない。日光=栃木というイメージもなかった。これは群馬も同じで、何があると言われると困ってしまう。(茨城県は納豆と鹿島コンビナートと鹿島アントラーズが答えられる。3つも答えられれば十分だろう)
県の形(凹凸のない卵形という印象。南のほうがちょっと狭くなって、滴形を逆にしたような形かな?)はまあいいのだが、どこに何があるのかも知らない。宇都宮は南のほうだったような気がするけれど、他に市町村は知らない。
これほどに知らない県なので、まあ一度は泊まってみようと思ったわけだが、調べてみると会津鉄道沿いだと鬼怒川温泉がメジャーのようだ。これとて「きどがわ」と読むのだと思っていたのだけれど、天邪鬼の私としてはメジャーでは面白くない。
そこでひとつ手前の川治温泉を選んだ。さらに宿も、メシは美味いけど古いという宿を選んだ。古いだけあって安いのもいいね。
宿は昭和レトロな古さ。増築の後にさびれたのだろう、複雑怪奇な廊下と、複雑に枝分かれした先の暗い空間がなかなかソソる。

テーブルの上に何やら紙が置いてあるなと思ったら、カメムシが大発生しているので、お客様のほうでガムテープで対処してくれとある。

ちゃんとガムテープも置いてあった。うーん、いいなあ面白いなあと大浴場へ。湯温は40℃で、ややぬるいが、湯上がりにどんどん汗が出る。うーん、本物だ。

部屋からみると、渓流釣りをやっている人がいて、なにやら岩風呂ぽいものもあったりする。

夕食は部屋で。自分一人でお膳メシというのも変な感じだなあ。鮎とキノコ汁が美味かった。

夜、露天風呂へ。宿から川沿いを5分ほど歩くと、外から丸見えの露天風呂と、囲いのある露天風呂があった。宿と同じ湯らしく、ぬるめだが後からほてりがくる。
さらに宿の大浴場にもう1回行き、温泉を満喫して、今日ばかりは何もせずに寝た…のはウソで、のんびりテレビを見たりするのではなく、やはり添削とメール処理をして、結局昨夜と大差ない時刻に寝た。

2015年6月27日土曜日

秋保温泉の夜は終わらない

SUKIYAKI塾全国大会in東北当日であります。昨夜でもう終わってしまったような気がしていたけれど。雨の中を会場へ。

全国大会というのはまあ会議である。午前中、受講生に模擬試験を受けてもらっている間に会議。
これまでは午前中が講義で私はそちら担当だったので、会議のほうに初めて出た。
各会の活動報告と協議なのだが、どうしたらいい活動ができるかという一点での情報交換である。熱意あふれる会議で、予定をオーバーして正午を回ってしまうほど。
私は「SUKIYAKI塾主宰」なのだけれど、会議の輪からは外れて、請われれば発言するだけ。
SUKIYAKI塾はお互いに情報交換もするし連携もするけれど、活動は完全に各会が独立してやっている。だから内容も様々だ。地域それぞれの事情や特性があるから、それでいいと思うし、そもそも私が仕切ったり統率したりするつもりなんてさらさらない。最初からそうだったし、今後もそのつもりだ。

真剣な会議の後ろでは、窓際に持ち寄ったお酒(の一部だけ)が並んでいた。

そして全国から持ち寄ったお菓子。日本地図の形に並べてみました。^o^

午後は個別指導。午前中模擬試験をやってもらって、その答案を見てのコメント指導。私も少し担当させてもらったけれど、こういう即座のコメント指導みたいなのは好きだ。
16時に終了し、バスで秋保温泉へ。ここからはひたすら懇親である。昨夜もやったような気がするけれど。^^;

ホテルのロビーでおねえさんの説明を受けるアヤシイ集団総勢24人である。

秋保温泉は湯煙にかすんでいた。ウソです。雨でかすんでいた。

夕食。SUKIYAKI塾の看板がかかっていて、なんだか社員旅行みたいな風情である。

牛タンをはじめとした美味そうな膳。座敷で浴衣で懇親会なんて久しぶりだなあ。
乾杯の後、各自の自己紹介的なものがあり、その間もひたすら飲んで食って語り合う。
あ、いや「語る」なんて表現はおかしいな。飲んでわあわあ楽しくやっていた。

もはや全国大会のマストアイテムとなった高知の「べく杯」。SUKIYAKI塾四国の備品である。「べろべろの~」が去年は札幌市電の中に響き、今年は秋保温泉に響き渡った。

騒ぐだけ騒いで、記念撮影。俺たちは全国に仲間がいるんだぞ!というのは無上の喜びだ。

もちろんこれで解散となるわけがなく、部屋呑み。最初は幹事部屋で始めかけたのだが、隣が一般の方の部屋だということで、一番遠い部屋で飲むことにした。オレが寝る部屋なんだけど…ToT
ますます元気で乾杯。このときまだ9時すぎ。懇親会場から持ってきた酒と、全国から持ち寄った酒で二次会開始。

なぜかドジョウ掬いの芸人もしくはキャディさんが紛れ込んでいる。

いつの間にか天気は回復し、雨上がりの夜空に輝くジンライムのようなお月様。

部屋飲みは延々と続く。やめりゃいいのにたくくがオトーリを始め、それが終わってもまだまだ延々と続く。

やがて戦死者が出始める。日本技術士会修習技術者支援実行委員長が爆沈。介護されながら退場した。

なでしこジャパンキックオフまで起きていて応援するんだと豪語していたたずへい爆沈。

住職の兄弟か?いいえ、カツラをかぶるとアンガールズ田中と謎のアフリカ人になる2人です。

23:30、大浴場へ。だ~~~れもいない大浴場でゆったり。風呂上がりにどんどん汗が出てくる、さすがは温泉だ。
0時過ぎに部屋へ戻ると、さらに数名爆沈退場したようだが、あいかわらず皆さん元気。
メール処理だけして…と思ったがこれが予想以上に手間取って、目がしょぼしょぼしてくる。うー眠い。でもここではゼッタイ寝られないしなあ…と思っていたら、まさかのたずへい復活。風呂に入ったらばっちり目が覚めたらしい。またもやなでしこジャパンがどーのこーのとほざく。
だめだこりゃと別の部屋に避難して寝ることにする。
空いているフトンを探して潜り込むと、横でベッコ王子さんの動物園的寝息が。知床世界遺産さんが参加不可となったため、代わりにがんばっているようだ。がんばらなくていいのに。
こりゃだめだと隣の部屋に逃げ込むと、空いているフトンになかば覆い被さるように介勘が寝ているではないか。
なんということだ。ここへきて究極の選択になってしまった。
結局肌を合わせるよりは鼾のほうがリスク値は小さいと判断して動物園部屋で寝た。

2015年6月26日金曜日

前夜祭にしてバーンアウトか

朝起きたら大阪は雨であった。まあ梅雨だから仕方がないよねと思いつつ空港へ。

伊丹空港のカードラウンジは3階に移転していた。添削しつつ朝のコーヒータイム。
9時30分すぎの飛行機で仙台へ。離陸の瞬間も着陸の瞬間も添削していた。もはや特技か?

仙台空港に全国から集合したSUKIYAKI塾のアヤシイ面々。合計18名。
レンタカーに分譲して、NHさんの先導で被災地復興現場見学へ。

防潮堤施工現場。ボリュームがすごいと思うし、天端から裏法までびっしり張りコンだものな。

昼食はホタテ飯。ホタテの味がご飯に染み込んでうまいのなんの。

相馬の現場。なんというか、これは気の長い話だなあとしか感想が出ない大変な工事だ。

まだ震災当時からあまり変わっていない現場。福島県の復興の遅れを目の当たりにした。
これ以外はとても写真を掲載できないけれど、4年たって…という思いばかりだった。

南相馬の道の駅で、bakuさんお勧めのアイスまんじゅうを買った。てか、こんなに売らなくても。
アンコがもっちりしていてなかなかに美味。
見学を終えて仙台市内に戻り、ホテルに各自チェックインして5月と同じ「舟山」に集合。

全国大会ならではの壮観の乾杯。思えば6年前、自分のホームグラウンドから遠く離れた地を見聞し、それもその土地の技術士に案内や説明をしてもらって、さらにその土地の技術者仲間と飲み語らうことの素晴らしさを体感して、技術者交流を考えた。
その原資とするために合格答案例をオンライン販売し(ありがたいことに当初目標に年々近づきつつあるのだが)、余所の地に行ってみないかという呼びかけにみんなが呼応してくれ、さらには全国に9つのSUKIYAKI塾の会ができ、会員数は正確には知らないが100人では収まらない。
さらにSUKIYAKI塾以外との交流も始まり、ともかく年々友人が増えているという実感が本当に嬉しい。

旬のホヤ。今年は特に育ちがいいようで、それは私のような貧乏舌にも実感できる。本当にうまい。

…なんだか訳のわからないグッズを広島から持ってきたらしいsonnyさんでした。

で、それをつけて、ピオーネさんと一緒にはじける笑顔をみせる我らがラガーマン会長。

さらに気がつけば、広島の良心・浩然之気さんまでが。まあイノッチはいいとして。

そして米子で撮ったロシアの写真を見て、「いつでも沖縄に来なさーい」と言うゆめたく。(でも店員さんにしか見えない)

てなわけで、腹いっぱい食って飲み語らい、大満足の一堂。普通はここで帰るものだが。

二次会はカラオケに突入。どんどん変身するsonny、もはや制御不能のヴォルク、そしてそれを介護するやえもんの各氏。

なぜかアフリカ人にしか見えないlocal土木屋、おばさんにしか見えない浩然之気、変なフォークシンガーにしか見えないbakuの各氏。

アンガールズの田中が歌っていると思ってよく見るとヴォルクさんであった。

広島カープ応援歌で飛び抜けるsonny、浩然之気の広島軍団。

とうとうおぼっちゃマンも歌っていると思って見るとベッコ王子さんであった。

散々騒いで、いやーおじさんもうダメだと思って外に出ると、なんてことだ土砂降りである。
聞けば本日をもって東北地方は梅雨入りしたらしい。なぜかは知らないけれど。

〆はやはり仙台っ子ラーメンの海苔ラーメン。海藻専門家のすごろくさんをして驚愕せしめた一品である。
まあともかく大満足でホテルに戻り、洗濯をしつつメール処理だけして入浴し、死に寝したのでありました。