2016年3月31日木曜日

とどのつまり

年度末最終日である。いろんな人のおかげで、とりあえずNPO方面の年度末〆はほぼ終わり、まあこれならピューンと旅に出てしまってもいいかなという感じになったので、夜は添削やSkypeの傍ら、荷造りをした。
といってもちょっと大ぶりなだけのワンショルダーだから、大した容量はない。

本体収納部分には、ウルトラダウン(コートサイズ)、折りたたみ傘、着替え(カッターシャツ・下着・靴下1セット)の入ったA4サイズの、ソフトケース、パソコン(レッツノート)、タブレット、セミナーテキストや切符などが入った4ポケットクリアファイル。
ポケットにマウス、名刺入れ、ポケットティッシュ。インナーポケットに替えバッテリーとマスク。
サブ収納にはポケットパーカ、サイフと小物入れケース3つ。
1つ目の小物入れには生活用品で、ポケットドルツと薬、バンドエイド、小さなビニールケース、分割できる箸、綿棒にツマヨウジなど。
2つ目にはレッツノートのACアダプタ。
3つ目にはUSBチャージャーやスマホスタンド、Bluetoothヘッドセットなどなどの電子小物やペン。
さらにフロントポケットにメモ帳、サイドポケットに目薬やフリスクなど。
とにかくオールインワンにしたい人なので、このバッグ意外に身につけるのはお気に入りの「薄いサイフ」とスマホくらいだ。
何年もの旅人生を通して少しずつ揃えてきた厳選グッズである。
旅はこういう荷造りをしている時がまた楽しいね。

夜、退職される大谷先生に挨拶。15年前のPTAの頃から、ずっとお世話になった。
これからもどうかお元気でお過ごしください。
最後の感謝の挨拶をできなかった人がたくさんいるけれど、本当にありがとうございました。

4月1日に旅に出るというのは、すごく区切りがついていいものなのかもしれないな。

2016年3月30日水曜日

どんづまり

ユニクロのポケッタブルパーカをどうしてもツアーに携行したくて、敦賀まで行ってきた。
年度末ラスト2日なのに、アホや。
補助事業の報告資料作りがどっさりあって、目標だった3月中の合格答案実例集完成&100本ノック更新は風前の灯。沖縄のホテルに篭もるのだけは嫌だから、明日なんとかがんばろう。

あれこれ用事があって何度も市役所に行くのだが、退職されるお世話になった方々、異動してしまう人、異動してきてこれからお付き合いしていく人、これまで通りお世話になる人、多くの職員さんと顔見知りなんだなあと再認識。こういう人たちに助けてもらわなかったら何もできない。ありがとう。
私がNPOでやっていることは、まあ自分なりには世のため人のためと思ってやっているけれど、絶対にやらなければならないことでもないので、「遊びでしょ」と言われれば否定できないから、一生懸命やってくれるとありがたさ半分、申し訳なさ半分なのであります。

まあともかく、今年もギリギリの追い込みになったなあ。いつもそうなのだが。

2016年3月29日火曜日

年に数回の背広

新警察署長に挨拶に行ったが、こういった警察協助員としてのセレモニーのときだけは背広を着る。あと総会もあるから、年に2~3回着るわけですな。それ以外はまずもって背広は着ない。
そんなだから背広はあまりない。さらに白カッターシャツもなくて、「背広を着る時用に買っておかないとな」と思いつつ買わないものだから、いつも「ああ、一着だけなんとかあった。よかったあ」と思って着ている。
今日はネクタイの結び方を忘れかけていることに気づいた。
背広を着るときは背広だけじゃなくて、白カッターシャツや黒いベルト、黒靴下、黒い靴といった黒シリーズでまとめないといけないのだが、いつもはだいたい茶~ベージュ系統だから、背広を着るとなるとパンツ(下着パンツ)以外は全部着替えないといけなくなってしまう。
だから挨拶がすんで帰宅し、いつもの格好に着替えるときはまたもやパンツ一丁にならないといけない。今日はイキオイがついて昼風呂に入ってしまった。

次回は5月のGW明けに協助員会の総会があるから、そのときまで背広は着なくていい。
というか、ほぼずっと旅の空だから、おんなじおんなじ格好で過ごすんだけどね。^^;

2016年3月28日月曜日

ふんわりにこにこと

次の旅に出るまでの間の4日間だけの小浜。
さあ今日は時間を楽しみながら過ごそう…と思っていたのは朝風呂に入っている間だけ。
結局バタバタと走り回って過ごした。
まあこれも4月になった途端に勝手気ままに旅に出る自分のなせる業というもの、なんとか笑ってすごそう。

雪室の後始末に市役所に行くと、異動になった人たちがばたばたと歩き回っている。
家に帰れば女房が送別会だと言ってばたばたと出かけていった。そうそう、4月から彼女も校長だ。子どものころ、コーチョーセンセーなどといえば年配も年配、完全におじーさんだったから、我々もそういうトシになったということなのだなあ。

あだっちゃんに本をもらった。ちらちらっとは見たことがある仏様の絵とエッセイだが、なんともなんとも優しい空気が流れているなあ。
私もなんとか、ふんわりにこにこしながらバタバタと走り回りたいと思っているのだけれど、なかなかむずかしい。

2016年3月27日日曜日

大阪回りで小浜へ

福井からサンダーバードで大阪へ。昼前に到着。新大阪ではなく大阪に来たのは久しぶりだ。

駅前第2ビルに直行し、近畿青年技術士懇談会の皆さんと合流して、地下2階の食堂でトンテキをかっ食らう。うーん、大阪の味やなあ。

午後は同じ駅前第2ビルの4階で青技懇の例会。大したもので、毎月例会をやっているとのこと。今日は40人ほどの参加だとか。年度末に大したものだ。
まずはカチナノリさんの講演。高知市役所職員最後の仕事か。
その後は私の番で、上根来里山再生&しがら組みの話。去年からあちこちで何度もやっている話だが、雪室などいろんな活動が現実に進むほど、「やっぱ、そうだよなあ」と自分で納得しつつ話をしている。

終了後、再び駅前第2ビル地下2階に降りて、中華料理屋で懇親会。連日の飲み会だが、ビールと紹興酒で大変にいい気分です。

8時過ぎのサンダーバードで帰路につく。今日はなんとグリーン車である。なぜって指定席が満席だったのだ。福井も大阪もとにかく人手がすごい。インバウンドだけでこうなっているわけではなさそうだ。
コーヒーを飲みつつ、酔いも徐々に醒めてきたのでPC仕事をしていると、京都の手前から速度が落ちて、あれれと思っていたら、神戸線で人身事故があってダイヤが乱れているかららしい。まあ敦賀で小浜線への乗り換えは30分近くあるから余裕だけど。
…と思っていたら、敦賀駅まであと一歩というところで止まってしまった。あれれと思っていたら、
「前を走っている電車がシカと衝突しました」
おいおい…結局、小浜線発車10分前に何とか敦賀駅に到着。

ホームに行くと、1両だけの小浜行き終電ぽつんと止まっていた。
23時すぎ小浜駅到着。結局、福井で補助事業報告、金沢で試験対策講習、大阪でNPO活動の紹介講演と回ったのだけれど、宿泊は福井2泊という不思議な旅であった。

2016年3月26日土曜日

ちょっと金沢へ

10時すぎの普通電車で福井から金沢へ。土木学会講習会の講師を務めるのだが、とにかく金沢ではホテルが取れないので、福井のホテルに2泊して、金沢に日帰りするという、まずもってこれまでにはない旅程になった。

会場は金沢工業大学。なんだかよくわからないのだが、金沢駅ではなく西金沢駅で降りて、さらに北陸鉄道に乗り換える。「新西金沢駅」とあったのでさぞかし新しい駅だろうと思っていたら、どこが新やねんというホームである。

波板で囲まれたホームには、思いっきり年代物のベンチやら鏡など。うーむ、これはこれは。

いわゆるチンチン電車に乗って工大前駅に到着。これもまた無人駅であった。
夕方、講義は無事終了。同じルートで福井に戻ったが、普通電車なのに満員。弁当を食っている家族はいるわ、金沢が観光客で溢れ、ホテルが取れなかった人が福井にも溢れているという話は本当らしい。

初めまして、Tomさん。Umさん、かんたろさんと4人で懇親会。楽しく飲んでいる姿をおつさんにも送って、喜ばれた。^^;

2016年3月25日金曜日

ちょっと福井へ

結局4時間ちょっとしか寝られなかった。これからしばらくこんな日が続くと思う。四捨五入して60歳になってしまうおじさんとしては、さすがに辛いのですよ。
がじゅまろから持ち帰ったドギーバッグ、じゃなくて折りのハンバーグ寿しを食って、朝風呂に入って何とか頭を起動して、ちょぼちょぼとキーボードを叩いていたら市役所のDぐまが来てくれたので、車に乗せてもらって福井へ。

きっと寝てしまうだろうなあ、ごめんなでぐまと思いつつ助手席の背もたれを思いっきり倒してタブレットで添削を始めたら、これが以外と眠くならない。またでぐまがいいタイミングで話しかけてくる。生かさぬよう殺さぬよう、おぬしやるなと思いつつ福井に到着。
たまに福井に来るとソースカツ丼とおろしそばを食べる。これが美味い。2日続くととたんに食べられなくなるが、たまに食べると実に美味い。このあたりはB級グルメなんだろうな。

午後、エネおこし(正式な名称は忘れた)事業の協議会で、あわただしくパワポで報告など。
いろんな切り口の話が聞けて、やっぱりいろんな場に出かけなくちゃならない、おのれ一人のちっちゃな脳みそだけでモノを考えちゃいけないと、改めて認識。
このトシになると、とにかく腰が重くなりがちなので、いかにして立ち上がり出かけていくか、イスにちんまりと座り続けたくなる怠惰な自分を打ち負かすか、この戦いになってしまうのですよ。

終了後、でぐまと別れてホテルにチェックインし、あとはもう食事以外はずっとこもって添削仕事。
22時過ぎに一段落して、自分に小さなご褒美。
それは、タブレットでエンジニアリングとは無関係の気楽な本を読みつつ長風呂して、風呂上がりにビールをきゅーっとやって、イキオイのままにチューハイにながれこんで、ふわぁーといい気分になって寝るという、もーどーしよーもないやんけこのおっさん的な時間である。これがシアワセのカタチなのであります。

福井駅は新幹線開業に向かってリニューアルの真っ最中。金沢の盛況ぶりが波及していて、金沢でホテルが取れない人たちが福井になだれこみ、週末など常に満室らしい。
工事用の重機や囲いの向こうの駅舎が、来たるべき新幹線開業の日を夢見ているように見えた。

2016年3月24日木曜日

今日も自撮り

昨日からイキオイがついていて、今日は総監の自撮り。
総監の場合、総監とは何かということの理解が大事なので、ここをみっちり話したら、2時間30分ほどになった。SUKIYAKI塾セミナーでもそれくらい話しているので、こんなものかな。
「みっちり話す」と言いながら、あまりみっちりとは話していないような気がするセミナーと同じというのも腑に落ちないが、まあとにかく動画はできた。

夜、木曜会。
雪室酒の最後のふるまいだが、年度末のこととて集まり悪く、さらに車で来たので酒は飲まないという人もいて、結局私とみつこの2人で飲んでいた。^o^;
がじゅまろさんの雪室野菜のフライが実にうまかった。

酔って帰宅後、コーヒーと風呂で酒を抜いて(セミナーツアーでよくやる手ですな)、動画の編集とアップロード。これもマンツーマンAコース限定のスペシャル動画です。
さらにその合間に明日のプレゼン用パワポ資料を整える。明日は福井で県の再生可能エネルギー補助事業の報告会で、そのまま私は福井に泊まって、あさって金沢へ向かう。

なかなか睡眠時間が厳しいが、4月に晴れ晴れとしてセミナーツアーに出られるように、あとひとがんばりだ。

2016年3月23日水曜日

自撮り

1年ぶりの「自撮り講義」。
誰もいない部屋で一人でビデオカメラ(じゃなくてデジカメの動画モード)に向かって講義をする。
何ともムナシイ作業だが、受講生のいる会場での講義に比べて、ちょっと丁寧に話して書いている自分に気づく。

夜は女房のアンサンブルの練習、終了後帰宅して動画の編集とアップロード。
これはマンツーマン講座Aコース受講生専用の動画となるが、まあまあの出来かなと自画自賛。
いつもよりちょっと丁寧に、いくぶん密度も濃く話したつもりが、トータル講義時間は2時間弱。
SUKIYAKI塾セミナーではこれにワークを入れて2時間30分なので、結局いつもと同じくらいの時間だ。
何とか明日、総監も撮ってしまいたいが…

2016年3月22日火曜日

たまには歴史も

「小浜市の歴史と文化を守る市民の会」の総会&講演会。


最近歴史モノからちょっと離れているのだけれど、久々に幕末期の話なんぞを聞くとなかなかに面白い。
その道を突き進む人たちが国を作った時代だったのだなあと改めて思う。
そしてそういう話を聞きに、この小さなまちから多くの人が集まってきた。語り部さんのメンバーの多さといい、歴史文化のまちの面目躍如といったところか。

夜は年度末のバタバタの合間にSkype面談などもこなし、やっぱりハードになってきたなあと思いつつ、今後のスケジュールを見てやや焦る。4月に入るとセミナーツアーだが、いっぱい仕事を引きずっていきそうだなあ…

2016年3月21日月曜日

出町柳へ

先日の雪室パーティーに続いて今日は京都へ繰り出す。

やってきたのは出町柳駅の近く。何といっても上根来は鯖街道(針畑越)の中継地点、その終点は出町柳である。

駅からほど近いカフェレストラン「かぜのね」の集会スペースを借りて、口コミで来てくれた人たちに雪室食材を試飲試食してもらおうというものだ。

最初は数人くらいしか来ないだろうと思っていたけれど、結果的にはけっこう多くの人が来てくれて、雪室食材だけでなく上根来のこととか、里山再生のことなど、あれこれと話ができて、実に楽しい時間だった。

昨日の雪室パーティーもそうだけれど、なかなかにいい感触だった。あとはこれをちゃんと商売に結びつけなければね。

2016年3月20日日曜日

雪室パーティー2016

朝5時過ぎに起床。寝てないよぉ。

薄暗い中を高知駅まで歩き、6時発の空港連絡バスで高知空港へ。

高知空港で朝食を食べ、眠いなあと思いつつも添削をがんばって7:50発のプロペラ機で伊丹空港へ。

朝靄の四国山地を見下ろしつつ、40分ほどのフライトで伊丹空港へ到着。ラウンジで添削ほかPC仕事をして、9:22発の高速バスで小浜へ。3連休の中日のこととて渋滞していたが、まあ7割くらいは寝ていたかな。あとの3割はタブレット添削。
12時半ごろ小浜に到着し、帰宅。寝ている時間もなく再び添削を少しして、3時からはイベント準備のため外へ。

夕方からは雪室パーティー2016と銘打って雪室貯蔵酒と食材、低塩へしこのお披露目を兼ねた食事会。福井県内で同じく雪室に取り組んでいる勝山市、大野市で雪室に取り組んでおられる事業者さん、地元各会の方々、雪室協議会や百里会の皆さん40人が集まり、経過説明や試食試飲、そして意見交換・交流を楽しんだ。

会場のホテルアーバンポートさんによる雪室野菜サラダや低塩へしこなどが並ぶ。

日本酒、酢、醤醢などの比較コーナー。
ほとんど飲み食いする間もなく各テーブルを回ったりしてめまぐるしく時間は過ぎ、8時終了。片付け撤収をして、私と市役所2人で遅い夕食。本当にお疲れ様でした。
帰宅して風呂に入ってから少しPC仕事を…と思ったが、風呂の中で寝てしまいそうになったので、これはいかんと寝ることにする。明日も雪室イベントは続くのだ。

2016年3月19日土曜日

高知ルーチンワーク

今日も雨だから傘を持っていかなけりゃ…と思っていたら、高知の朝は晴れていた。

ホテルから中央公園まで歩き、そこから「とさでん」に乗る。ここまでの道はもう完全に覚えている。
中央公園に人が集まってテントが立っているから「おお、おきゃくか?」と思ったのだがフリマだった。

とさでんに乗って、旭町三丁目へ。200円である。歴史も軌道の長さも日本一らしい。
いつもの「ソーレ」で出願セミナー。午前中一般部門、午後総監部門。どちらもビデオ取りしたので、今年はSUKIYAKI塾四国が販売担当になってもうすぐ売り出されると思うよ。

終了後、これがなければ高知じゃないというひろめ市場へ。三連休初日とて5時過ぎにはもう満員。

カツオのタタキをはじめとした高知の海の幸の数々に舌鼓を打ち、土佐鶴を飲み、やがていつものようにべく杯までやって、気持ちよく酔いました。

カンパイしてるのに一人だけ日本酒飲んでます。いやあ、久々なので遠慮なく酔いました。
素晴らしき四国の仲間達にカンパイ。そしてカチナノリさんの前途にカンパイ。

締めは、これもいつもの安兵衛。ただし川沿いから移転していました。これも超満員で列を作って待った。

美味くて美味くて味が忘れられなくてというラーメンではないのだけれど、飲んだあとに美味いのです。
かなり酔ったけれど、とにかくメール処理だけはなんとかやって、少し寝た後にがんばって(がんばらばいといけないことか?)風呂にも入って、ギリギリその日のうちに就寝。明日はむっちゃ早いんだもの。

2016年3月18日金曜日

なぜか高知は雨

久々の高知。SUKIYAKI塾四国は高知と松山で交互にセミナーを開催しているのだが、今年は高知の番だ。
9時発の高速バスで伊丹空港へ。夜は酔っ払って仕事にならないことがわかっているから、バスの中でもがしがし添削。PCでやると酔うのでタブレットで。

伊丹~高知便はいつもプロペラ機。ターミナルビルから徒歩で飛行機へ。

いつも離陸直後に見えるこの池は何だろう。今度調べてみよう。行ってもみたいなあ。
伊丹~高知間のフライトは40分ほどしかない、水平飛行に移りシートベルトサインが消えたらバタバタとジュースやお茶を配り、一息つくまもなく着陸態勢に入る。そんな中でもがしがし添削。飛行機ではPCで。
高知空港は雨。連絡バスで高知駅へ。バスの中でもタブレットでがしがし添削…のはずが、大半イネムリ。とほほ。

高知駅は本降りの雨。ホテルまでタクシーのお世話になる軟弱者であった。
再びホテルでがしがし添削し、セミナーテキストも少し書いて、5時過ぎに夕食へ。近くの居酒屋でこれも久々の一人居酒屋を楽しみホテルに戻り、あとは部屋から一歩も出ずに過ごした。

2016年3月17日木曜日

タスクにまみれて

あれやこれやで1日バタバタと過ごしたのだが、どうも頭がシングルタスク化しているようで、何かをやっているときに別のことを考えたり電話がかかってきたりすると、何をやっていたかわからなくなったりする。
結構マルチタスク的であることが自負するところだったので、やっぱトシかなあと落ち込みつつも、そういうことになってきたのをITで補ってるんだなあと再認識した。

私は基本的にグーグル先生のサポートなしでは暮らしていけない状態になっている。
スケジュール管理は全部グーグルカレンダー(スマホ・タブレットはジョルテだがグーグルカレンダー同期)、メールは全てをGメールに統合、このブログもグーグルブロガーだ。写真もグーグルフォトである。
もっともクラウドのストレージはグーグルドライブではなくワンドライブで、これとエバーノートを組み合わせているけどね。
まあともかくスケジュールは全部クラウド化してあるので、スマホでもPCでも同じスケジュールを見ることができる。
19日は高知でSUKIYAKI塾四国のセミナー、20日は小浜に戻って雪室酒パーティー、21日は京都で雪室食材試食会だけど、どれもメールで送られてきたタイムスケジュールをそのままグーグルカレンダーのメモ欄にコピペしてある。
電車や飛行機での移動は、駅すぱあとの出力をコピペしてあるし、ホテルは楽天トラベルで予約したときの確認メールの内容をコピペしてある。
グーグルカレンダー上でホテル名をタップすると地図に出るから駅から迷うこともないし、内容欄を表示して電話番号のところをタップすれば電話がかかる。
旅先での予定やらセミナーのレジュメ、個人指導する相手の出願書類なんかもエバーノートに放り込んであるからすぐ見られるし、いやあ、便利なもんじゃのう。

でまあ、そんなふうに自分のスケジュールがいつでもぱっと確認できるもんだから、すぐに「隙間を埋めてしまう」んですねえ。「あ、1時からこれだ。これはきっと1時間で終わるから、その次の4時の予定までもう一つ入れられるな」なんて考えてしまって、結局タスクからタスクへとバタッバタ走り回る羽目になるわけなんですね。
うーん、工程管理がいつまでたっても上手にならないなあ。

2016年3月16日水曜日

転機のとき

夜、警察協助員会の送別会。異動ではなく退職される補導員さんを送り出す。
笑いあり、涙あり。年齢幅がすごくあるけれど、そんなこと関係ない本当にいい仲間達である。
二次会でカラオケ。本当に久しぶりだ。散々騒いで帰宅したら真夜中だった。添削結果送信が遅れてごめんなさい。

いろんな人が退職される。
もう15年ほど前にPTA活動をやっていたころに教務主任だったような方が校長先生として提案をお迎えになる。まあ定年60歳であれば私だってあと5年なんだから当然か。でも幾星霜という感じだ。
あちこちで人生の転機を迎える方々がいる。退職だったり転職だったり卒業だったり。
居心地のいいところにずっといられれば人間幸せなんだろうけれど、それでは成長もないのもまた確かだ。
とにかく、みんながんばれ。

送別会の前に近くを歩いていたら、旭座が出来上がりつつあった。
真新しい旭マークをつけて、オープンも間近である。こけら落としはお城祭りと重なるためまったく出られないが、まあそれもお役御免の印なんだろうなと、少しだけさみしく、しかし肩の荷が下りた。
これもまた転機だ。

2016年3月15日火曜日

春の雪室

雪室に貯蔵するものがあったので上根来に運んだ。

暖かな春の気配に包まれる上根来。よもや3月にこんな光景を見ようとは。


ゲストハウスも柔らかな光に包まれている。例年なら少なくとも長靴、下手をするとスノーシューズがないと玄関まで行けないのだが…

もう軒下の雪はほとんど残っていない。こりゃあ、せっかく来たこの機会にと雪囲いを片付けた。

見ると、雪の重みでビスが飛んでしまっているところがけっこうある。雪が少なかったとはいえ、さすがだ。

畜産団地跡も、向こうの山も、寒々しさはかけらもない。

でも雪室の中は雪がしっかり残っている。湿度が100%なので外より暖かいくらいに感じるけれど、室内温度は1.4~1.7度。

酒や酢もじっくりと熟成されつつあります。20日のパーティー、21日の京都行き、楽しみである。

2016年3月14日月曜日

ひとまず帰宅

たぶん8時間以上寝たと思う。なのにいつまででも寝ていられそうな気分だ。
朝風呂に入って少ししゃきんとし、デスクワークを少ししてから東京駅へ。女房殿お気に入りのマカロンを駅地下で買って送り、ハヤシライスの朝食をとって、10時半の新幹線で帰路についた。
さすがに睡眠を取っていると頭がちゃんと動く。…のだが、今度は悲しいかな目がしょぼついてきて長くは続けられない。寄る年波には勝てんのう。げほげほ。などと言っている間にまた寝てしまった。困ったおじさんである。

3時過ぎに小浜に到着。帰宅してまたデスクワークをして、夜は雪室協議会。
活動を始めて3年目だが、他のいろんな活動と比べて、よく進んだほうだなと思う。
あれこれ活動をしてきたけれど、やはり時流に乗っているかどうかというのは重要で、乗っていればあれよあれよと話が進むが、乗っていなかったらベタ凪のヨットのごとく進まない、というか動かない。そればかりか誰もついてこなくなってやがて沈没なんてことになったりする。
この活動がうまく経済活動に乗って引き継がれていくといいのだが。

さあ、今日から4日間は小浜にいるので、その間にあれこれやっておかねば。年度末はあれやこれやあるのですよ。

2016年3月13日日曜日

SUKIYAKI塾東京、元気です

今日はSUKIYAKI塾東京の出願セミナー。SUKIYAKI塾の中では出願セミナー第1号だ。
神田から八重洲まで歩き、午前中は一般部門、午後は近くの別会場で総監の講義。
どちらも初受験が多く、熱心さが伝わってきた。がんばってください。

で、いきなりこの写真に飛ぶわけだが、合格者祝賀会。すごい人数ですねえ。SUKIYAKI塾東京は、セミナーも懇親会も、行くたびに幹事が変って、みんなで分担してしんどくならないようにしていて、「できるときに、できる人が、できることを」を実践してくれていて、何とも嬉しい限りだ。
4月には「男塾」を箱根でやるそうで、今度の仕掛け人は最前列でアヤシイ格好をしているMomoさんらしい。とにかく人材豊かである。
午後4時半から飲み始め、何だか昨日のデジャブみたいだなあと飲み続け、さらに二次会にも行って、終わってから神田まで歩いて帰ったものの、昨夜にもまして酔っ払ってしまった。困ったものだ。
なんとかホテルにたどり着くも、風呂にも入らずそのまま寝てしまいましたとさ。

2016年3月12日土曜日

SUKIYAKI塾大阪、元気です

9時発の高速バスで大阪へ。久々の大阪だし、出番まではちょっと時間があるからでんでんタウンに行ってみようと地下鉄堺筋線に乗っていたら、阪急の人身事故のあおりで止まってしまって、中央線経由で御堂筋線へ、大国町から歩いてでんでんタウンへ行った。
特にこれといって面白いものはなく、今興味があるWindows10Mobileのスマホをちょっと触ってから新大阪へ。

いい天気である。今日はSUKIYAKI塾大阪の総会で、その後で講師講習会。これは初の試みとのことで、いいなあと思う。

身内相手の講習だけど、みんな真剣に聞いてくれて本当に嬉しい。

終了後、合格者祝賀会。SUKIYAKI塾大阪、ますますパワーアップである。いやあ、楽しく飲みました。皆さん、今年もよろしくね。

締めはいつもの皇蘭ラーメン。2テーブル占拠して騒がしいおじさん集団であった。
20時すぎの新幹線で東京へ。さすがに酔っ払っていたので、気がついたら名古屋を過ぎていた。

22:30過ぎに東京着。酔い醒ましをかねて東京駅から神田まで歩いた。冷たい空気が気持ちいい。

2016年3月11日金曜日

5年目のこの日

5年たった。
人がどんどん死んでいくに違いない光景を呆然とテレビで見ていた当日。
何かできることはないだろうかと呆然としていた翌日。
考えた末に自分ができることを探して、「APEC-semi東北支援」を始めたこと。
とにかく東北を回って東京に帰ってきたら駅が薄暗かったこと。
SUKIYAKI塾東北が立ち上がったこと。
郡山の居酒屋で、地魚を出せるようになったら必ず来るからと約束して、やたらと飲んだこと。
いわきの観光物産センターでウニ貝焼きを食べたこと。
合格した人たちと夜中まで飲んだこと。
仙台にSUKIYAKI塾のみんなが集まったこと。
そしていつ行ってもホヤが美味かったこと。
そして、福島の海で取れた美味い魚で美味い酒を飲みたいと思い続けていること。

2016年3月10日木曜日

カーステ復活

最近、車の中で音楽を聴くようになった。
前に乗っていたランサーは、カーナビが純正のものしか使えなくて、それはCDを聴きたくなったらカーナビのDVDを取り出して(カーナビをOFFにして)音楽を聴くしかないという、なかなかにスルドイものだったので、面倒くさくなってずっと音楽を聴いていなかったのだ。
で、テリオスになって前に使っていたカーナビを取り付けたのだが、今さら気がついたことには、これってCDを再生すると勝手にハードディスク(かな?)に録音されて、後でどんどんアルバムを切り替えていろいろ聴けるんだね。何年も使っていて知らなかった。^o^;

でまあ、せっせとCDを入れては録音しているのだが、そうすると「今聴きたいCD」ではなく「まだ録音していないCD」をかけることになる。
そうすると、思わぬ懐かしい曲と再会したり、忘れかけていた感性が活性化されたり、なかなか面白いのである。
最近はフォークソングを中心とした懐メロCDをかけていて、今日の1曲目は「さらば青春」だった。あのイントロがなんともいえずいい。

ただ困るのは、これで何かイキオイがついてしまって、そのまま「ちょっとギターでも弾こうかな」と思ってしまうと、全然ちょっとじゃなくなってしまうことだな。
年度末の1日が36時間も48時間もほしいときに何やってんだか。

2016年3月9日水曜日

スイッチ切り替えは大変

やっぱり3月は年度末、師走の比ではない。3月に入ったとたんに年度末から来年度当初のスケジュールを考え始める人が多いこと多いこと。職場でも地域でもそういうことが積み重なって、巡り合わせの悪い人のところにいきなり仕事が山積みになったりするのである。
まあ昔から同じである。お役所の「2~3日余裕を見て持ってきてちょうだいね」が多重的に積み重なってしまった結果、直接の担当者からいきなり「明日持ってきてもらえませんか」と言われて上を下への大騒ぎとなり徹夜したこと、幾度か。

まあともかく、年度末は飛び込みスケジュールが多いのでいつも以上に予定通りにことが進まない。
同業者というかひとつの業界の中だけのつきあいだったころに比べ、今はNPOやら技術士試験関係やら、様々なチャンネルがあるだけになおさらだ。
業界が違うと感性が違う。だから私もモードを切り替えているというかスイッチを切り替えている面があるのだが、「技術士スイッチ」がONになっているときに「NPOモード」の電話がかかってくると、とっさに頭が切り替わらなくてしばらく調子が出なかったりする。
さらに困ったことには、電話を切って技術士モードになろうとすると、一度切ったスイッチがうまくONにならない。これ、疲れます。
でもイライラせずに過ごしたい。トシを取るとなおさらそう思う。

2016年3月8日火曜日

里山商会の夢を見る

夕飯の支度も終わって食卓につき、テレビをつけたらいきなり自分の顔が出てきてびっくりした。
先日の雪室蔵出しのことがNHK福井で流れていたのだ。
当日の夜にはCATVでも流れていて、福井新聞にも掲載されていたから、けっこうメディアに取り上げていただいたようだ。汚い顔をそこいら中にさらして申し訳ない。^^;

そうしたおかげもあるのだが、雪室に入れていた日本酒や低塩へしこが販売に向けて動いている。
すでに付加価値製品として売っている酢と合わせて、これで3品が雪室ブランドで売られることになる。
たけしの米もその予定だし、先日予想外の好結果が出た醤醢も可能性が出てきて、ワクワクするとともに、「ここまで来たなあ」という思いと「もっとがんばらなきゃ」という思いが交錯している。

上根来百里会のKさんのお父さんが、今年は炭を焼かれるそうだ。たけしはじめ炭焼きを覚えたいと希望しているメンバーもおり、行政からの応援打診もあって、こちらも進みそうな気配。
とち餅継承プロジェクトも百里会や若狭東高校が絡んで進む可能性があるし、若狭坊ががんばってくれている日本遺産の休憩所作りも新年度は何らかの形で進むだろう。
思えば最初に上根来小学校跡に寝袋で泊まったのが2011年、もう5年前だ。あれから試行錯誤しつつあれやこれやとやってきて、ようやく花開く時期にさしかかったか?

毎年のように官民様々な補助金をもらってやってきたけれど、思えばいつも市役所のどこか、誰かが助けてくれていた。まあこれは上根来に限らないのだけれどね。WACおばまも私も、本当に助けられてきた。感謝感謝です。
恩返しのためには、やっぱり自立しないといけないよね。これまでやってきたいろんなものを束ねて、これを市場の中で回るようにして、継続していく組織を作らないといけないなあと思い始めている。
WACおばまは地域でのそういった自立的な活動をサポートする組織だと思っているから、軌道に乗ってからも主導するべきではない。だから何か新しい組織だね。
NPOでもLLPでもいいけれど、たとえば上根来の雪室やアブラギリ、炭焼き、グリーンツーリズムなどなどをひとまとめにして市場につなげて、百里会の皆さんと一緒に里山維持をしていくような組織、「里山商会」みたいな組織を作りたいなあ。
あれ、これって六次化ってやつかな。

2016年3月7日月曜日

セオリー通りじゃ面白くない

技術士試験の添削シーズンに入るといつも感じるのが、正解はひとつじゃないよなあということである。
ここでいう「正解」は結論・提案ではなく、方法・道筋のことである。

たとえば小論文は課題→しかしボトルネック→そこで解決の方向性→具体的には具体策というロジック構成で書くことを進めている。骨子法ですね。
骨子法のいいところは、たいていの業務がこの構成で組み立てるとうまくまとまることである。そして短所はブレイクスルーするような業務にはそぐわないことである。つまり発明型というのか、跳躍的に進展するような提案にはそぐわず、あくまで課題をじっくり着実に解決するという、ある意味地味な技術提案でないと向かない方法だということだ。

総監は最重要管理目標を設定して、それの非達成リスクを5管理で考えるという手順を小論文では進めている。
この方法のいいところは、総監の理解度が低い段階であっても、そこそこのものが書けることだ。
短所は、たとえば組織管理や長期間にわたるプロジェクト管理には向かない、というかそういったものが矮小化されてしまうことだ。つまりは短期的なワンプロジェクト管理にしか向かないということだ。

まあつまりどちらも最大公約数的な方法を提案しているものの、それしかないわけではないですよということだね。
添削していると、たまに「私が提案している方法とは全然違うけれど、それでいいと思いますよ」としかコメントしようがない論文・答案が出てくる。
このあたりが面白いところだなあと思う。
何もかもセオリー通りじゃ面白くもなんともない。型破りな(しかし無茶苦茶ではない)ものがあってもいいと思うんだよね。
王貞治のフラミンゴ打法はそうであるし、景浦安武は禁振と言われたゴルフスイングでホームランを量産したのだから。

2016年3月6日日曜日

懐かしの旭座

バタバタと日曜日を過ごした。
というか、先週からずっとバタバタしているので、いろんな事務処理が放ったらかしになっている。
合格答案例やいろんな書類がなかなか手がつけられず、そろそろ焦り始めているのだが、考えてみたら毎年同じようなことをしている。懲りないというか成長がないというか。

去年の6月の全国町並みゼミの報告書が送られてきた。もう完全に記憶の彼方という感じで、一緒にパネラーを務めた人たちの顔がなかなか思い出せないくらいだ。

でも自分の顔もほざいたことの記録も残っているから、確かに出たんだよなあ。当時は移築のために一度解体した段階だった旭座が、4月には完成する。なんとも実感のわかない話だけれど。
旭座がしんどい時期に、それなりに支えたという自負はあるけれど、再生移築が成った今、地元の人たちが前のめりになっていろいろイベント企画などしてくれているようだから、なんというか引き継げたような嬉しい気持ちになっている。
そもそもWACおばまは「誰かを支援する」ことがテーマみたいなものだから、その人達が自分自身でやれるようになって、我々が引き下がれるのが一番いいのですよ。
そしてこけら落としの時に裏方に回って一働きできればいいなあ。

2016年3月5日土曜日

美味しくなあれ

雪室の第1回蔵出し。今年はチャンネルOの番組を組んでもらっているので、それ用という面が大きい。

さすがは上根来で、まだ雪が残っている。といっても、例年とは比較にならない量だ。例年ならここには2m近い除雪の雪山があって、屋根にもどっさり雪があるのだから。

ゲストハウスの雪囲いにはまだまだ雪が残っているけれど、もうスノーシューズも長靴もなしに出入りできる。

雪室のあたりにももう雪はないけれど、雪山はまだまだ元気である。

貯蔵食材のうち、野菜の一部と酒など、そしてへしこを取り出した。

食文化館にて糖度測定と試食試飲。糖度はジャガイモ以外は期待外れ。野菜もカビが目立ち、なんだか今年は例年よりも水分が抜けたりもしていて、出来がいまいち。外気温が高いせいか、雪室の保温や断熱構造がちょっと違うのか。でも貯蔵庫内の温度は1~2度で順当。

特筆すべきは醤醢。鯛醤醢はナニモノカが凝固してオリのようになって沈殿している。醤醢自体も大変まろやかになって、醤油というよりお出汁に近い。とんがった味がなくなった分だけ旨味成分が目立っている。
この刺激成分がなくなってまろやかになるのは、酒でも酢でもコーヒーでも同じなのだが、実に面白い。

夜、母が入院。熱が出たり吐き気がしたりしていたのだが、急性腎盂腎炎との診断で、食べられないので入院して点滴とのこと。まあ大事ないそうで数日の入院ですむとのことだったから一安心なのだが、数日程度はバタバタしそうだ。