2011年3月31日木曜日

すごろくさん来訪記(2)

朝、宿まですごろくさん達を迎えに行き、魚センター(卸売市場)でショッピング・・・・なのだが、魚を見る目が海産物を見る目じゃなく生物を見る目の人たちなので、やはり行動が妙。トロ箱の魚や貝をどアップで写真撮ってたりするし。^o^;
その後、食文化館でみつこにお願いしてガイドしてもらう。ここでも海藻などに妙に反応していたらしい。^^;
これは昨日の写真。阿納の遊歩道で。
磯の海藻に激しく反応する2人でした。笑。
道の駅でOBAMAグッズなどを買い再び海岸道路へ。一昨年に勘介さん・バイアリータークさんを車で送っていった道だ。
若狭町に入ってすぐの食見(しきみ)というところに海洋センターがあって、タッチプールその他いろんなものが展示してある。今度は美ら海水族館のYさんにストライクのようで、階段のデザインまで写真を・・・・^^

世久見海岸で漂着物を見てまわる3人。観光客の行動ではない。^^;
さらに食見のとなりの世久見という集落の海岸で漂着物を見て回る。ロシアから漂着した白樺樹皮の浮きをいくつかお持ち帰り。って、どんな観光客やねん。
三方五湖沿いで梅干を買ったあと、うなぎで昼食。そして縄文博物館へ。
1時間ほどいて車で敦賀へ。さらに「日本海さかな街」に立ち寄り、敦賀駅で別れた。これから特急で新大阪、さらに関空へ、そこから那覇までひとっ飛びで22時すぎには着けるのだという。
なんというかサカナをたっぷり食べてもらったとは思うが、それ以外はひたすら博物館と海岸めぐりみたいな旅だったのだが、こんなのでよかったのかな。まあそれなりに楽しんでくれているみたいだからいいかぁと思った私なのでした。

5月にはまた沖縄に行きます。すごろくさん、よろしくね。

2011年3月30日水曜日

すごろくさん来訪記(1)

沖縄からすごろくさん、同じ職場のIさん、水族館のYさんの3人が小浜に来てくれた。
昼前に小浜駅に到着、すぐに「濱の四季」に食事に・・・・って休みやんか。「五右衛門」も休み。うーむと悩んだ末に「かねまつ」へ行き、焼鯖定食を食べてもらった。小浜らしいといえば小浜らしい。

ビールを飲んでいるのではありません。イサザ(白魚)の踊り食い中。
うっかりしていたのだが、今日は水曜日なので食文化館も休み。うーむ・・・・
そこで、先ほど「踊り食い」を食べてもらったイサザを取っている現場→鯖街道起点(いずみ町)→歴史民俗資料館→明通寺(ちょうど本堂の葺き替えをしている)と見学して、今日泊まってもらう阿納の「ひこそう」へ。荷物をおいて近くの遊歩道を散策。
岩場の海藻観察に夢中になる2人。

遊歩道の先の砂浜。プライベートビーチ状態。
いやはや、お寺に連れて行って、寺院そっちのけでヒノキと竹に感動する知床世界遺産さんにも「うーむ」と思ったけれど、そのヒノキについた苔にかぶりつきで観察する今回の3人にも「うーむ」と思った。生き物屋さんを連れてくると面白いなあ。

てっさを食べてます。
夕食は必殺必死のふぐコース。てっさ、刺身、煮魚、茶碗蒸し、殻付き牡蠣蒸し、ふぐの唐揚げ、てっちり、仕上げに雑炊。ボリューム満点なのだけれど、見事完食!
ひれ酒も美味しくいただきました。^o^

2011年3月29日火曜日

アーク

Xperia arcが24日に発売され、予約してあったので発売日に届いていたのだが、四国ツアーに出ていたので、購入は今日になった。
新しもの好きでポンポン買うように思われるかもしれないが、これは「仕事に絶対必要なもの」なのである。
GmailやEvernote、オンラインストレージなどのクラウドツールで仕事をしている私にとって、もはやスマホは欠かせないツールなのだが、Xperiaは時に異常にもっさりするので、買い替え必至の状態だったのだ。Androidのバージョンアップあたりから異常にもっさりすることが多くなり、電話などは呼び出しを始めるのに何十秒もかかることさえあったのだ。
Xperia arcは強力なプロセッサとAndroid2.3で初代Xperiaとは月とスッポンの快速、さすがである。

機種変更の時に自分でも感心したのは、メールは100%Gmailなので、電話帳などのデータのコピーという手間がいっさいかからないこと。メール、カレンダーともGoogleアカウントを入れるだけで同期がはじまり、ものの20分ほどで全部使えるようになった。
データもDropbox、Zumodrive、Evernoteをそれぞれインストールしてアカウントを入れるだけで同期してくれるので実に楽だ。Evernoteのサムネイルだけ少し時間がかかったが、環境移行に何時間もかかっていた時代を思うと隔世の感がある。


ただちょっと悲しかったのは、バッテリーの型が変わっていて、せっかく買った予備バッテリーが流用できず、また買わないといけないことである。初代からそのまま使えるのは充電器だけ。ToT
その初代はSIMカードなしでWiFi接続だけという使い方はできるので、一応部屋に置いている。あまり意味のある使い方はできないと思うので、そのうち使わなくなるんだろうけど。

2011年3月28日月曜日

列車から電車へ

朝ゆっくり起きて、中村駅で朝食を取り、11時過ぎの「南風」で帰路についた。
列車は大歩危峡を越えていく。いずれここにも来たいと思う。今回そうしたように、セミナーを開催したまちの近くの自然や文化が見られる土地に1日余分に行ってみるという旅をまたしたい。
・・・・などというと呑気な旅のようだが(それは否定しないが)、中村駅でも列車の中でもずっと添削を続けていた。おかげでずいぶん進んだ。

列車はさらに瀬戸内海を渡っていく。岡山で新幹線に乗り換え、ここから「列車」ではなく「電車」になる。そう、四国は「電車」ではなく「列車」の島なのですよ。
新大阪で「サンダーバード」に乗り換え、さらに敦賀で小浜線に乗り換え、8時前に小浜駅に着いた。さすがに9時間近くの列車と電車の旅はキツイわあ。
駅前の食堂で親子丼を食べ、自転車で帰宅。娘もボランティア活動から帰ってきていた。

四国での2回のセミナーでは東日本大震災の話をしたし、飲み会でもその話で持ちきりだったのだけれど、話しながら自分の中でだんだんイメージが整理されていくとともに、自分のやりたいこと・やるべきことも固まってきた。
原発の「フクシマ・シンドローム」が収束に向かって動き出し、被災地も復興への動きが始まってきたら、何か「我々にできること」を提案していきたいと思っている。

ああそうだ、来年はぜひぜひSUKIYAKI塾高知セミナーを実施したい。外部講師は・・・・知床世界遺産&ゆめたくかなあ。2人とも受かったらね。^o^

2011年3月27日日曜日

川の風に吹かれて

若干寝不足気味の朝を迎え、午前中は高知でセミナー。またもや何事かほざき、早々に昼食へ。
昨夜うどんを並んですすったみんなでラーメンを食べ、高知駅まで送ってもらった。
6月にまたセミナーだが、できれば来年はぜひSUKIYAKI塾高知セミナーを開催したいなあ。

ホームに上がるとアンパンマン列車。高知はやなせたかしの故郷なのだ。
って、オレこれに乗るのかあ?と一瞬びびったが、反対側にある極めてオーソドックスというか鈍行と見紛うばかりの地味な列車が私の乗る「あしずり3号」だった。

寝不足がたたったか、添削2本で力尽きて爆睡しているうちに、中村駅に着いた。
駅からすぐのホテルにチェックインし、すぐさまレンタサイクルを借りて四万十川を観に行く。
河原が広々としている。

赤鉄橋。車道と歩道。

川の音がからからと聞こえる。

河川敷に菜の花がいっぱいだった。
川の音と鳥のさえずりの中を自転車をこいでいるとなかなかに気持ちがいい。
市内に入り、小京都といわれるまちなかを自転車でうろうろし、山の上にある中村城址までひいひいいいながら自転車を押して上がり、中村城址といいつつ天守閣を模したRCの郷土資料館があったのにずっこけて、自転車でひゅう~といいながら山道を走り降り、再び市街地を通り抜けてホテルに戻った。アップダウンの多い行程で尻が痛くなった。今度からレンタサイクルは電動アシストにしよう。

ホテルでしばらく添削し、まわりに食事ができるところがないので、ホテルの食堂で夕飯。ひとりで日本酒を飲みつつ、鮎の塩焼き、ごりの佃煮、川エビ、青のり、鰻の肝焼き、烏賊のぬたを堪能して、仕上げに歩いてラーメン屋「支那虎」へ。
夜の9時過ぎ、通る人もなく換算とした通りに支那虎だけが明々と浮かび上がっていた。

2011年3月26日土曜日

高知の幸は美味し

今日は徳島で出願筆記試験セミナー。例によって3時間ほどなにごとかほざいてきた。今回は東北関東大震災のことを、試験テクニック的なことにとどまらずけっこう話した。
「この大災害を、あれほどの防災インフラの惨状を、技術者としてあなたはどう考え、これからこの国の技術はどうあるべきだと思うのか」
この問に対する答えを持たぬ者は帰れというような、かつてないような強い意思をもって試験が行われるような気がしてならない。

セミナー後、「阿波踊り会館」に連れて行っていただいた。徳島にもう何度も来ていて、行ったことがないというのはイカンだろうと思っていたのだが、今回ようやく行くことができた。
実は初めて間近で見るのだが、女性の艶やかさにキュンとなってしまった。いやほんと。
踊りの変遷も非常に面白かった。「踊る」ということをただ無垢に楽しんでいた純朴な時代から、いろんな位置づけの中での変遷を許容する、ちょっと驚くほどのこだわりのなさというかおおらかさに驚いた。

3:45の高速バスで高知へ移動。車中はほとんど爆睡。
6時半ごろ高知駅に到着。高知駅の駅舎とロータリーは好きな光景のひとつだ。
駅からほど近いホテルにチェックインして、すぐに懇親会場へ。「まこと」という居酒屋だが、高知の海の幸を堪能した。
貝や近海魚などを網焼きにする。
貝はジューシー、干物は香ばしく。美味い!

カツオのたたき。塩味。ニンニクが絶妙に合う。


異様に手の太いテナガエビ、うつぼの唐揚げ、青海苔。

デザートの・・・・えーとなんだっけ。
美味しく楽しい時間を過ごして外へ。仕上げはまたビニールシート屋台のラーメンか?と思いきや
うどん。これがまた美味い。全員無心にすすりこむ。

宿に帰り、コインランドリーへ。夜中までかかって乾燥まで終え、忘れ物も余計な物もないことを確認して回収する、黒いコートに身を包んだ怪しげなおじさんなのでありました。^o^;

2011年3月25日金曜日

沼島行

津名の明るい朝、若干寝不足気味ながら、とにかく添削を続けないといけないので、朝から脇目もふらず添削。
やっていて思ったのだけれど、これくらい広い部屋だと息が詰まりにくくて効率が上がる。ビジネスホテルのシングルルームだと、少しデスクワークをするとすぐに息が詰まってしまうのだ。
かといって分不相応に豪華な部屋も落ち着かないので、私にはこういった国民宿舎的な宿があっているような気がした。今度書籍執筆が苦しくなってきたらこういう宿にこもろうかな。

アクアスキームさんの車に載せてもらって、土生(はぶ)の港に到着。ここから連絡船で沼島(ぬしま)に渡る。
沼島は意外なほど近くに見える、沖合4.6kmに浮かぶ周囲10kmほど、人口600人弱の小島で、古事記にある「オノコロ島」(イザナギとイザナミが鉾で海をぐるぐるかき回したら、その先から滴り落ちた塩水が固まってできた島で、2人はそこに降りて柱を左右から回って「おお、なんと麗しき姫君」「まあ、なんて凛々しい殿方」という、現代的にはええかげんにせえよ的なことをして夫婦の契りを結んだという、日本のはじまり神話の島だといわれるところである。

で、まあそれなりの意気込みをもって渡ったわけであるが、この連絡船というのがほぼ漁船と変わらない大きさでばんばん波を蹴立てて突っ走る。

ものの10分で沼島に到着。海岸通り以外には車が走れるような幅の道があまりない、静かな漁村であった。

まずは腹ごしらえ、鱧料理で有名らしい「木村屋旅館」で蛸天うどん定食をいただく。蛸の天ぷらは絶品、うどんも美味く、鯛の刺身はコリコリ。腹一杯で大満足。

まずは「おのころ神社」に行かないと沼島に来た意味がない。海岸沿いに少し行くと、倉庫の横に倒れそうな「おのこ神社」の小さな看板。うーむ、このコンクリート製の狭い階段を登っていくのか?




高齢者は絶対無理!という感じの山道を登って行くと、急な階段の上におのころ神社はひっそりとあった。なんだかでかい神社ではなくて逆にほっとした。


山を降り、沼島小中学校の横を通って上立神岩へ。岩も絶景だが、黒色片岩がごろごろした荒々しい岩磯も素晴らしく、できるならば1時間程度ここで海を眺めていたい光景だった。
集落へ戻り、街の中をうろうろ歩く。いろんなものが目に新しく、楽しい時間だった。
八幡宮では盛大な祭りが行われ、だんじりが出る。

八幡宮。階段を登る気力すでになし。^^;

沼島にも神宮寺があったのだ!

神宮寺。

瓦、屋根の形、どれもが珍しい。

がったりがある。

がったり。
再びカッ飛び連絡船で淡路島に戻り、アクアスキームさんと徳島へ。
もはや気安い間柄になった(と私が勝手に思っている)徳島県技術士会の皆さんと楽しく会食。
添削がちょっと滞り気味だなあと思いつつも、気持よく酔ってホテルに戻った。

2011年3月24日木曜日

淡路へ

今日から淡路→徳島→高知と移動する。セミナーも開催するが、いろんな人と会い、合格祝いをしたりするのも目的だ。震災の後だけに多少気後れするところもあるが、我々西日本の人間が元気に活動しなければ!という思いも胸に出発。

いつものように小浜駅まで自転車で行き、小浜線に乗る。敦賀駅で乗り換えてサンダーバードで大阪へ。
敦賀駅で「試運転」と書いた見慣れぬ列車を発見。誰かわかる人いますか?

大阪からバスに乗り、淡路市へ。小浜駅で電車に乗ってからずっとひたすら経歴票添削していたので、さすがに目が疲れて一眠り。
淡路市でアクアスキームさんと会い、ご一家と一緒に食事。御食国・あわじの旬の食材を堪能。メバルをワカメと炊いたものの美味いこと。
なんとアクアスキームさん、GalaxyTabを購入し、WiFiで使っているとのこと。え?WiFiだけで買えるのか?こりゃあいいことを聞いた。小浜に帰ったらすぐ・・・・と思ったのだが、Android3.0を載せたタブレットのほうがいいかなあ・・・・なんて考えたり。
宿泊は津名ハイツ。ちょっと(かなり?)古い施設だが、とにかく安い。
この部屋で5,000円弱ですよ。LANはないけどWiFiルーターがあるから何ら問題なく、季節外れで大浴場も独り占め。大満足のツアー1泊目でありました。

2011年3月23日水曜日

Just Begin

今日はボランティアセンターの引越し。午前中かかっていろんなものを新しいセンター(といっても中央公民館の一室だけだが)に運び込んだ。


新しい空間、ここから何が生まれるだろう。
というより、ここから何を生み出せるだろう。
最初にボランティアセンターができたのは平成16年。あのころも厳しい情勢だとか言われていたけれど、今になって思えば、昨今の比ではない。
ある中学校の卒業式で、卒業生が「未来が見えません。しかし先生方、両親に受けた恩、温かい心だけは信じていきたい」と言ったらしいが、本当にそういう時代だ。

そういう中で「ボランティアなんて遊びにうつつを抜かして」と言われる。
それに反発し、どこまでも市民の立場で世の中づくりに挑戦したい、「ここまでできる」と言ってやりたいと思って今に至る。
人間50年というけれど、確かに残りは多くないと実感している。

そういう中で、自分という人間が世の中にどのように働きかけたりできるのだろうか、自分には何ができるのだろうかと、特にこういう大災害が起こった後では考えざるをえない。
それは結局、自分にとって大切に思うもの、譲れないものは何なのだろうかという問いでもあるかもしれない。


いい年をして「熱い思い」でもないもんだけど、何か気持ちが高ぶってこの場所を離れることができずに、午後の時間をずっとここで過ごした。


2011年3月22日火曜日

つくしんぼ

今日もバタバタで過ごしたが、明後日から淡路~四国と回るために目処をつけておかねばならない、目の前のいろんなことはひととおりできた。
福井新聞を見ると福井県出身のつくば大学生が福井大学生と共同で福井市内で募金活動を始めたとのことで、明日から娘も泊り込みで福井市にいくらしい。つくばから娘を乗せて帰ってきてくれた彼らには感謝感謝だ。

明後日からの行程を考えると、一番ピンチなのは経歴票添削なので、今日もあちこち動きまわる途中で食事時間や待ち時間を利用してノマドワークでちょこちょこ進めた。
マクドナルドが思いのほか作業効率が上がることを発見。こんなことはちょっとした相性なので、いろいろやってみることが大事だ。

夕方帰宅したら、我が家の裏でつくし発見。知らぬ間にもうずいぶん伸びていた。
ちゃんと春はやってきていて、いろんなところで芽吹きがどんどん進んでいる。今年は幸い母が家の裏でふきのとう(えらく育ったでっかいの^^;)を採ってきてくれたので少し味わうことができたが、本格的な山菜になるともうずいぶんご無沙汰だ。
山の中や原っぱをうろうろして春の芽を探し、これを摘んできて食べるということがすごく贅沢に思えてくる近年だ。

2011年3月21日月曜日

コメント入力ツール

いろんなことの年末処理が重なり、またAPEC-semiの出願書類作成講座が早くもピーク気味で、SUKIYAKI塾のコーディネートが遅れていて申し訳ない限りだ。

毎年、APEC-semiとSUKIYAKI塾で200人近い受験生と1年間付き合う。
提出された経歴票や筆記答案、体験論文を添削するわけだが、この添削記録をどうやって作るかは長年の課題で試行錯誤の繰り返しだ。

当初はWordでコメントを書き、メールに添付していた。添削での指摘内容は、よくあるパターンというのがあるから、テンプレート集みたいなWord文書を作っておき、これからそのつどコピペして加筆修正して作ると効率的だった。
そのうち添付という作業が面倒になってきた。メールのサイズも大きくなるので、1年分のやりとりを全部保存するとたいした量になってしまうのも気になるところだ。

そこで2009年度(APEC-semi開始1年目)は、3月に購入したポメラを使ってコメント入力を始めた。ウェストポーチに楽々入るコンパクトボディを開くと打ちやすいキーボードが出てきて、起動も2秒。ずっと「テキスト入力さえできればいいモバイル機器」を追い求めていた私にはまさにピッタリだった。
欠点は、一度に開けるファイルが1つだけでテンプレートからのコピペができない点。しかたないのでテンプレートを開いて加筆修正する形でコメントを作り、これをリネーム保存していた。そしてUSB経由でPCに送り、メール本文に貼り付けて送るようにした。
でもこの方法だと過去のコメント履歴が読めないので、結局PCも開いて参照しながら入力したりして、それなりの不便さはあった。またポメラ自身はネットにつなげないので、クラウドを使っている今はもう活躍の機会はなくなっている。

2010年度はLooxUが活躍。ポメラほど打ちやすくはないが、タッチタイピングはできるし、レッツノートより小さいので大きめのウェストポーチなら入る。なんといっても無線LANつきWindowsマシンなのでポメラの欠点は全部カバーできる。
同時にGメールを使い始めたので、メモ帳でコメント入力して、これをGメール本文に貼り付けて送信。
そしてその記録や送られてきた経歴票や答案・論文、これまでのコメント履歴(Gメール本文)は、全部Docuworksに「印刷」してバインドし、クラウド(Zumodrive)にまとめて置くというパターンになった。
これでレッツノートとLooxUでファイルを共有してどちらでも同じ仕事ができるようになった。
自宅やホテル、電車の中ではもっぱらレッツノート、ちょっとした外出とか飛行機の中、隙間時間などはウェストポーチからLooxUを取り出して、Docuworksにしてバインドした提出物や既存コメントを見ながら、メモ帳でコメントを入力というスタイルだ。
そして2010年度後半はEvernoteを導入。HTML形式でのテキスト入力ができるので、アウトライン化したコメントを入力し、これをGメールにコピペしてHTML形式メールとして送信という、さらに効率的なスタイルになった。
喫茶店や電車でひょいとLooxUを開き、隙間時間に1人分だけ、といったようなコメント入力をしていたものだ。

そして2011年度、すでにAPEC-semi出願講座の添削はどんどん進んでいるのだが、DocuworksではなくEvernoteに全部放り込むようになっている。
受講生から送られてきたメールに添付されているExcelやWordといったファイルをそのままEvernoteに「送る」として放り込み、メール本文もコピペすれば受信内容がそのまま記録できる。そしてコメントはEvernote上でHTMLテキストとしてテンプレートをベースに作成し、書けたらGメール本文にコピペして送信。
Evernote上ではこれらのノートを、マージ機能を使ってどんどんバインドしていけば、受講生人1人1冊つのノートに全部記録が残っていくというわけである。
こうなるとデータは送られてきたメールと送ったコメントだけになり、作業の過程でGメールとEvernoteに両方とも蓄積されていくことになる。いずれもデータはクラウド上にあるのでPCのストレージを消費しない。(グーグルやエバーノートがサービスをやめたら悪夢になってしまうが、両方が同時にサービスをやめない限り大丈夫だから、リスク保有してもいいだろう)

Evernoteにデータを置いているということはスマホでも閲覧できるということなので、こちらで書類を見ながらPCでコメント入力もできるわけだが、さすがにスマホの4インチちょっとの画面では50歳老眼には辛い。^o^;
やっぱ7インチタブレットだなあ。はやくいいのが出ないかなあ。