2023年2月25日土曜日

ド・ロ様

今日は女房も合流して世界遺産「潜伏キリシタン」のバスツアーである。こうれは沖縄の久高島でも思ったことだが、「気軽に入れるわけではない場所に入る」とか「ワンランク上の理解」ためには、自分一人での旅ではやはり限界があるのだよね。

で、最初はいきなり1LDKサイズの小屋みたいなところに行ったら、「これ、もっとセキュリティのしっかりした博物館に展示しなくちゃ」と思えるような貴重なものがずらりと並び、世界遺産登録の時に中心的な活躍をしたであろう人の口から潜伏キリシタンの歴史をそれはそれはわかりやすく教えていただいた。何このツアー、すごいんじゃない?

黒崎教会。林道秀作の「沈黙」の舞台ともなった、ド・ロ神父監修建築の教会である。ステンドグラスが見事。

ふと見ると、「町ぐるみ博物館」の看板が。「エコミュゼ」とは「エコミュージアム」、「ある一定の文化圏を構成する地域の人びとの生活と、その自然、文化および社会環境の発展過程を史的に研究し、それらの遺産を現地において保存、育成、展示することによって、当該地域社会の発展に寄与することを目的とする野外博物館」と定義づけられている。
ああ、これって小浜市で本当にやるべきことじゃないのか。

潜在キリシタンの聖地・枯松神社。日本に三つしかないキリシタン神社である。

この岩陰で寒さに震えながらオラショを唱えて、200年以上にわたり、神父も聖書もない中で信教を守り通し、開国後の「信徒発見」につながったのだ。
1865年3月17日の正午過ぎ、大浦天主堂を訪れた外海(そとめ)の一団が、自分たちはキリシタンであると信仰を告白した出来事で、世界のキリスト教の歴史においても奇跡と称されている。
そりゃそうだろう。200年以上の長きにわたって、教会も神父も聖書もなくキリシタンであり続けるなど誰が想像できようか。教会どころかこんな岩陰で信教を続けてきたのである。私はキリシタンではないが、それでも人の心の強さ、信じることの強さに圧倒されたのだから、キリシタンにとっては奇跡以外の何者でもなかろう。

そして横を見ればエコミュゼ。高齢者にはちょっとキツイ坂を上らねば枯松神社に行けないので、篠竹(細い真竹かな?)で作った杖が置いてある。小浜に戻ったら、愛宕神社の登り口にこれを作ったらどうかななどと考えていた。

ここからは、ひたすらド・ロ神父に圧倒される時間。明治維新の年(まだキリスト教は解禁されていない)に、おそらく布教のために意気高く世界の端っこの極東にやってきたのだと思うが、あまりに貧しい暮らしを目の当たりにして、社会福祉を強力に推し進めた神父である。貴族の次男で、今の価値にして10億円くらい持ってきたらしいが、それをことごとく地域のために使っている。
漁師町で夫を海難事故で亡くした未亡人が一番生活が苦しいことから、紡績やパスタ・そうめんといった地場産業を創出し、あまつさえそのための工作機械などを自ら設計したりヨーロッパから質の良い機械類を取り寄せたりしたらしい。
宗教に全てを捧げるとそうなるのかもしれないが(私にはそのあたりのメンタリティは理解できないが)、自分のためにではなく他人のためを優先したのだろうなと思うと、さらにそれを真っ先に一番弱い未亡人のためにやったのだと思うと心が震えた。
「弱いものが泣くような世の中はだめだ」と「あなたが喜んでくれて私は嬉しい」の二つが私の行動原則なので(そのことを最近数年ではっきり意識したので)、ものすごく共鳴してしまったのだ。

出津教会堂。これもド・ロ神父の監修。貴族なのに建築も土木も、さらに織布・製麺などなど、何でもできるスーパーマンだったようだ。これも憧れるなあ。私は「ワイズマン」になりたいとずっと思ってきたので。ただの物知りじゃなく、「知恵」のある、世の中で役に立つことをいっぱい知っている人間になりたいとずっと思ってきたので。

大野教会。出津をベースにしていたド・ロ神父が出張してくる教会だったらしいが、地元産の石を布積みした、それはそれは粗末な教会である。
それでもおそらく床は高床式にしてあり、日本ならではの湿気に対応して長持ちする建物を建てるなど、ド・ロ神父のマルチぶりがいかんなく発揮されていると思う。
ちなみにここだけは結晶片岩ではなく玄武岩を使って布積みしてある。板状節理をうまく使ったのだろうな。

外海は石積みのまちとしても知られている。この石垣は、下の方は何を使っているのかよくわからないが野面積みで(これは新しい時代のものじゃないかな)、その上は結晶片岩の布積み。布積みの長所は接地面が広いので摩擦が大きくなってしっかりする一方で、せん断面が通ってしまうので、どこかですべると大きな破壊に繋がりうるところだが、ここはよく見ると隅石部分を逆勾配で(つまり受け盤になるように)積んで、すべりにくくしてある。誰の知恵なのだろうか。これもド・ロ様か?

なんとも満たされた気分でホテルにチェックインして夕食まで少し散策。
坂のまち・長崎の夜景はきれいだ。

祈念坂を下りてホテルに戻る。長崎に限らないが、どの土地も数日程度滞在しないと数分の一すら理解できないなあと実感。

ホテルのすぐ横に大浦天主堂がある。長崎にぽっとやってきていきなり見れば「きれいな建物だな」程度なのだろうが、潜伏キリシタンのことを肌で感じつつ学んでから見ると、「ああ、これがあの外海からやってきた(どれだけ遠いかは実感している)信者が信仰を打ち明けた信徒発見の地なのだという思いがこみ上げてきて、なんだか涙が出そうになってくる。まさしく天地の差があるのだなと改めて学んだ。

どこかの土地に行って、自分が持っている知識やノウハウを伝えて、その土地の仲間達とわいわいと飲み語らうのは本当に充実しているし、人生の喜び以外の何者でもないと思うのだけれど、こういう深く学び考える一日も人生の喜び以外の何者でもないと心から思える。

2 件のコメント:

  1. 久しぶりにThe APEC的な内容ですね
    読み応えありました (*^-^*)

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  2. ありがとうございます。いや、本当に感動し勉強になった一日でした。旅はこうでなくちゃね。

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