2023年2月24日金曜日

長崎の濃密な日

博多から長崎へ。せっかくなので長崎新幹線とやらに乗ってみようじゃないか。

朝食は博多駅でかしわうどん。博多ラーメンも好きだが、これも好きだ。

武雄温泉駅までは「リレーかもめ」。コンパートメントがあった。

そして武雄温泉から長崎まで少しの間だけど新幹線「かもめ」。いつか博多駅まで延伸したらまた乗ってみたいな。

長崎駅前は工事真っ盛りであった。北陸新幹線も富山駅あたりはそうであったが、開業に間に合わずに工事が続いていると、わっと訪れた観光客を興ざめさせてしまう。富山はまだ一部工事中くらいだったが、これはちょっとどうかと思う。開業1年前の福井駅より前の段階という気がする。

こういう看板も勇ましいが…やはりこういうのを見て歩くと、開業時には全て(駅舎の一部を除いて)出来上がっていた金沢駅はすごいなあと思う。金沢市の繁栄は、新幹線さえ来れば打ち出の小槌のように儲けがやってくるといったものではなく、開業に照準を合わせてまちづくりができた者が勝つということを教えてくれている。そのことを福井県はしっかり認識できているならばいいのだが。

少し歩いて出島へ。ここに来なかったら長崎に来た意味がなかろうと思う。

出島はけっこうテーマパーク的になっていて、まずは観光地化して、その後でじっくり文化財として調査研究を進めていっているという感じを受けた。

レストランがあったので、昼食にトルコライスを。とんかつにケチャップとデミソースをかけて、サフランライスとともにいただくという、まあ我が国のあちこちにある「妙なヨーロッパ風の名前のついた洋食」シリーズのひとつだな。福井のボルガライス、佐賀のシシリアンライス、根室のエスカロップなどなど。しかしこのトシになって、まさかライスの上に旗が立っているランチを食うことになろうとは。^o^;

発掘された様々な石材が展示されていた…というか、立ち入り禁止になっていたし。
出島の護岸や石積みアーチ橋は安山岩や砂岩・礫岩を使っているらしい。

護岸は、最初は布積みにしていたが、徐々に野面積みになっていったとのこと。だんだんやっつけ仕事化したのかな。

基本的には捨石護岸である。こういうのを見ていると、杭が木杭であること(しかし木杭は水中にありさえすれば腐食もしないので十分土木の本設材として使えるのだ)以外は今の工法と変わらないなあと感じ入った。

出島の南側、中華街側には土木遺産である出嶋橋が架かっている。1890年に別のところに架橋されたものを1910年に移設したとのことで、我が区の初期のピン接合プラットトラス橋である。橋脚のない鋼橋はソソルものがありますねえ。

オランダ坂を上って東山手伝統的建造物群保存地区へ。南山手はグラバー園や大浦天主堂などがあってメジャーだが、東山手も重伝建指定なのである。私としてはなぜかマイナーがほうが気になるのである。

そして東山手地区のメインといえるのがこの東山手洋風住宅群。昔の社宅あるいは賃貸住宅とのことだが、グラバー邸や大浦天主堂に比べたらはるかにマイナーというか小粒なところがいいじゃないですか。

7棟あるのだが、そのうちひとつは町並み保存センター&カフェ。いつかこういうのやってみたいなあと思う62歳なのでありました。

残りの6棟はほぼ全部が古写真展示場。さすがにネタ切れ感はあるものの、ひとかたまりになっている地の利を活かして(おそらく補助金も活用しつつ)、できるだけ自活して保存していこうという地域の人たちの心意気が伝わる場所だった。
7棟のひとつで入館料を支払う。100円である。デジタル軍艦島の1/18である。こればかりは300円くらい取ってもいいんじゃないかと思った。
東山手地区が今後も保存活用していかれることを切に願う。

再び谷地に降りて、今度は南山手地区へ。「斜めに上るエレベーター」という人生初体験をした。

一番上から、「坂のまち・長崎」を見渡す。このアップダウンの多さは、ウォーキングの運動効果はすごいなあと思うとともに、電動アシストでない限り自転車はあり得ないよなあと思った。そういえば自転車をついぞ見かけなかった。

グラバー邸。建築意匠という点でも、また往時の文化を知る上でも大したものではあるのだが、私には東山手地区のほうが魅力的だった。

電鉄を乗り継いで原爆資料館へ。さらに近くの爆心地へ。やはり広島と長崎、そして沖縄に行ったならば、最初にこういったところに行かねばならないと私は思う。

こういうところに来ると気持ちがピリッとして、背筋が伸びる気がする。

ここは刑務所の後だったのだが、爆心地直近で職員も服役者も全員死亡したとのこと。当時の刑務所は一箇所から全部が見渡せるように放射状の配置だったのだが、それが一目瞭然の風景である。

時間があるので、平和公園からホテルまで歩いて行くことにした。3kmほどである。
ちょうど途中に山王神社二の鳥居があった。奇跡的に鳥居の半分だけが立ったまま残ったという。ちなみに倒れた部分は横手に保存されていた。

神社に上ると、千羽鶴とビン詰めの鶴。小学校の平和教育のようだ。こういうことが絶えずに続けられていることに感銘を受けた。こういうものは観光HPでは紹介されないから、現地に行って初めて気がつくものだ。
やっぱり現地に行ってナンボだなあと改めて感じ入った、密度の高い日でありました。

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