2015年5月13日水曜日

どなん

一夜明け、与那国島はからっと晴れ上がっていた…なんてことは決してなく、今日もどよんと曇っていた。なんでだろう。おじさんぜんぜんわかんない。

今日は島の西側へ。空港の西にあるダンヌ浜。基本的に島の周囲は断崖絶壁なので、浜がある場所は限られていて、全部「○○浜」と名付けられているようだ。

久部良(くぶら)バリ。砂岩の中にある幅3mほどの割れ目だが、かつて琉球政府によって人頭税が敷かれていたころ、人べらしのために妊婦を集めてここを飛ばせたという伝説がある。養える人の数が限られている離島ならではの悲しい伝説である。

久部良バリのあたりを見回すと、砂岩の上に不整合で石灰岩が乗っているのがわかる。基本的に砂岩や泥岩といった堆積岩で、それをずっと後の時代の石灰岩が覆っているというのがこの島の基本的な地質なのだろう。

砂岩を見ると、生痕化石らしいものがたくさんある。地質屋の血がざわざわと騒ぐが、とにかく先を急ぐ。

海岸近くはどこでもこのアダンが覆っている。道沿いもずーっとアダン。半端ない密集度である。
たしかゆめたくさんから聞いた話だったと思うが、これが密生しているところを測量するのは大変な仕事らしい。そりゃそうだろう。私だったら直ちに火炎放射器を持ってくるかもしれない。

なんだか食べられそうな気がするアダンの実だが、まったく食べられないらしい。密集しているわ、トゲだらけだわ、食べられないわ、どうしようもないのである。でも、確か新芽かどこかを天ぷらにして食べる。何度が食べたことがあるけれど、こんなものを食べる島の人たちの知恵もすごい。

こんな丘もある。日本で一番西にある島の西側であるという付加価値はすごいのだ。

久部良集落。小学校・中学校もある、日本最西端の集落である。ということは、ここに日本最西端の家もあるわけで、ということは、その家の中で一番西の部屋にいる人は、日本最西端で寝ている人ということになるんだろうなあ。その人はそのことを認識しているのだろうか。

ナーマ浜。波静かで、夕方になると地域の人が泳ぎに来たりするらしい。今日は浜釣りをしているおじさんが一人だけ。
浜の後ろには金比羅拝所がある。そう、ここは漁師の町なのだ。「Dr.コトー」でも漁協その他いろいろロケがされたらしい。ちなみにカジキ漁が有名だ。

日本最西端の西崎に向かうと、アスファルトがぼこぼこになっていた。すわ、地すべりかと思って車を降りたが、これはたぶん路盤材の流出だろう。

日本最西端の碑。今回はとりあえずこれを見ようと思って与那国島に来たようなものだから、目的は果たせたわけだ。

西崎の先端。正真正銘の日本最西端である。最北端の宗谷岬、現状行ける最東端の納沙布岬は行ったから、あとは波照間の「日本最南端の碑」だな。

西崎の先には…おお、水平線の上にうっすらと台湾が!

なーんてうっそぴょーん。台湾は滅多に見られなくて、見られるときはこんな感じに、予想を超えてでっかく見えるらしい。

久部良から島の南岸を東に進む。「南牧場線」を行くと、道路上を何か歩いてくる。あわてて車を止めてよく見ると…

馬である。ヨナグニウマだ。静かにあわてる様子もなく車の横をカッポカッポと歩いて行く。そういえばこの馬は蹄がとても堅くて、蹄鉄がいらないらしい。

栗毛もいる。日本で最も固有種の純粋さを保った馬らしい。とにかくおとなしい。

やれやれと思っていると、また何かやってきた。今度は馬よりずんぐりしているが…

牛である。どうもこのあたり、牛と馬が一緒になって牧草を食べ歩いているようなのだ。これも平気で車の横を通り過ぎていく。

南牧場線は、海岸を見下ろしながら延々と続く。「Dr.コトー」ではタイトルバックでコトー先生が自転車をこいでいた路線らしい。

カタブル浜。どの浜もサンゴのかけらがいっぱい。そしてどの浜もとにかく自然だ。

昨日も来た比川の集落。与那国島にはこの比川と久部良、そして昨日行った役場のある祖納の3集落しかない。

ふと思い立って山の中を走る道路を行ってみようと道を折れると、またまた道路の真ん中に何かいる…

ヤギである。困ったことになかなかよけてくれないので、おそるおそる横をすり抜ける。

島の最高峰・宇良部岳(231m)の麓にあるアヤミハビル館。

アヤミハビルとは和名ヨナグニサンの俗称で、世界最大級の蛾らしい。他の昆虫と比べるとでかさがわかる。羽を広げると30cmhどもあるらしい。
昔は装飾用などで乱獲され、1匹いくらで売買されていたため、みんなこぞって捕っていたらしい。子どもは繭を捕ってきて、出てくる蛾の大きさを競って遊んでいたとか。
昭和50年代には一時絶滅したのではないかとまでいわれていたところ、保全対策に乗り出したのが功を奏して復活し、今では生息地が保全されているらしい。沖縄県の天然記念物だ。

隣に何やらひっそりした施設があるので行ってみると、「児童生徒交流センター」なる建物。おそらく長期休暇の時にここで合宿したりするのだろうが、まあ明らかにオーバースペックの建物ではある。与那国島にはこういった何に使うのかよくわからない公共施設がけっこうある。
ところで、玄関の横に何かいるのだが…

ヤギである。それも親子。施設の回りを歩いてみると、少なくとも親子3組がのんびり草を食んでいた。面白いことにいずれも子ヤギは2頭。親ヤギはヒモで繋がれているが、子ヤギは親のそばを離れないからだろう、放し飼いになっていた。
なんで交流センターの回りにヤギが?と考えて、ふと思い至ったのだけれど、これは除草係なのではあるまいか。長めのヒモで繋いでおけば、そのヒモの届く範囲の草はあらかた食ってくれるから、草取りをしなくていい。どうせ滅多に使わない施設だから、年間の大半はここにつないでおけばいいから、施設を管理している教育委員会も、牧草がほしい飼い主も大助かりで協定を結んで…なーんて考えすぎだろうけれど、さもありなんと思わせる光景だった。

歩いて行くと、道に寝ていた親ヤギがすまんすまんといいながら立ち上がって歩き出すと、すかさず子ヤギが寄ってきておっぱいを一所懸命飲んでいた。
まあとにかくなんともゆっくりした時間が流れていた。
そういえばアヤミハビル館の事務員さんも、呼ばないと出てこなかったしな。

祖納集落の手前にあるティンダハナタへ。石灰岩キャップロックの直下にあって、祖納集落が一望できるらしい。遊歩道を行くと、クワズイモやガジュマルが生い茂る、なんともいい感じの道だった。

祖納集落全景。(グーグルのフォトだかPicasaだかは、パノラマ写真的に撮影すると、勝手につなげてパノラマにしてくれるんだね)
赤瓦が残る集落ということだったがどうやらそれは昔の話で、今はぽつりぽつりとしか赤瓦屋根の家は見られない。
ここでレンタカーを返す予定時刻の1時間前。うんうん予定通りだへへへと薄笑いを浮かべつつ、昨日最初に行ったナンダ浜に車を止めて浜に出る。

祖納の食料品店で買った上原のかまぼこ(いわゆるさつま揚げです)を食べながら、オリオンビール(ノンアル)をぐびりと飲む。くえーっ!と言うほど美味かった。かまぼこは練るときの塩だけで十分味が深い。油ぎとぎとだけど、これがオリオンビールに合うんだな。昨日も東崎で食べたんだけど、これはもう絶対ビールに合うと確信したわけですね。だから今日は、この旅の最後に浜に座ってもう一度かまぼこ食べながら、今度はさんぴん茶ではなくノンアルでもいいからビールを飲むんだと決めていたのである。

石段に腰を下ろして、こーんな景色をぼーっと眺めながら、かまぼこ食ってノンアルビール飲んで30分以上過ごしてたんですよ。へへへ、いいでしょう。おそらく今回の旅で一番贅沢な時間だったと思う。

レンタカーを返して与那国空港へ。こじんまりした質素な空港です。
レンタカーの返却は、キズの確認もせず、「忘れ物ないですねー」といいながらドアをバタンバタンと開けただけだった。まったくもう、なんくるないさー^o^

空港では係員同士がおしゃべり。乗客らしい人は親子1組くらい。
空港の食堂で昼食に八重山そば。なんだか薄かったけど、こーれーぐーすー入れて美味しく食べたさー。

私は飛行機に乗るときはかなり早めに空港について、カードラウンジで仕事をした後にフライト1時間前を目処に保安検査場を通り、待合室で仕事をして過ごす。なぜならフライト30分前なんかだと保安検査場が混んで、イライラしてしまうからだ。
でも与那国空港は、そもそも30分前じゃないと(というか、乗る飛行機が到着しないと)保安検査場が開かないさー。^o^

空港の待合室は一つだけの搭乗口と、田舎の駅の待合室みたいなシンプルさ。石垣島空港も以前はこうだったなあ。

小さな水槽と「ミニミニとしょかん」、フォトギャラリー。まったくもうどうしましょうというくらい素朴な手作り空間。

帰りの飛行機も行きと同じプロペラ機。というか、同じヒコーキが石垣島と行ったり来たりしているようだ。
事前搭乗案内は形だけ。だって見りゃわかるからね。優先搭乗も一声かけて誰も立ち上がらなければ10秒ほどで「みなさんどうぞ」に以降。
搭乗口を通過したあとは、玄関から外に出て、てくてく歩いて飛行機へ。乗客9名。CAさん入れて10名。

飛行機に乗り、滑走路を動き出したとき、なんてことだこの島に来て初めてくっきりと晴れた。
「いま晴れんのかーーーーい」という私のツッコミとともに飛行機は離陸した。
離陸したけれど、運悪く私の座席は左側で離陸も東向き。与那国空港は島の北岸に平行に作ってあるから、海しか見えず、どなんに別れを告げることができなかった。

30分ほどのフライトで新石垣島空港に到着。なんてことだこちらもよく晴れている。でもトランジットは1時間。会社が違うので一度出口から出て、すぐにまた保安検査場へ。外にはぜんぜん出られない。もう「晴れた日の川平湾」なんてずっと見ることはないんだろうな。
搭乗口で添削をしつつ出発を待つが、15:20東京行きの飛行機が検査が長引いてなかなか出ない。先延ばしのアナウンスが2回繰り返されたとき、「あいまいなこと言ってんじゃねーよ。はっきりしろはっきり!」と怒鳴るオヤジの声。続いて「そーだそーだ」とオヤジの声。
いやだねえ東京の人間は。こんな南の島に来てまでカリカリしなくてもいいのにねえ。東京に行くのが急にいやになってきた。

結局30分遅れで離陸。石垣島の広々とした光景が眼下に広がる。

でもそれもすぐに雲の中に隠れていった。さあ、またしばらく沖縄とはお別れだ。

石垣島から羽田へは、ほとんど太平洋の上をずーっと飛んでいくし、眼下には雲が広がっているから特にやることもなし。ひたすら添削して行く。
18:40羽田着。京急で蒲田へ。明日の知床行きまでの1泊だけだからここで十分なのだ。

蒲田の駅からホテルまでの間を歩きながら、ほんの6時間前までいた与那国島との落差の大きさに驚く。何一つ共通点などないような気さえしてきた。
歩いているのは同じニンゲンなんだけど、ここにいるのは石垣島空港で怒鳴ってたオヤジと同類のいつもカリカリニンゲンなんだよね。
なんだか街にいるのが面倒くさくなって、コンビニで酒とつまみを買ってホテルの部屋でテキトーに夕食を済ませた。
まあとにかく、沖縄本島、さらに石垣島と、どんどんなんくるないさー的になっていくのだけれど、与那国島はさらに上を行っていた。

そんな島でも、島を二分して争ったことがあった。決着はついたのだけれど、今でも争いは残っているようだ。

そしてそれはもう着工されて、6月中に敷地造成が竣工するという、超スピード事業らしい。まあ国家プロジェクトだからね。
私はこのことにあれこれ口出しする資格はないけれど、おそらく大部分の島民は、島民同士で争うということが一番いやなのではないかなと感じた。
あちこちに牛や馬やヤギがいて、道に糞がぼとぼと落ちている、果てしなく魅力的で、でも1日あればもう何もすることがなくなって、かまぼこでも食べながら海をぼーっと見ているくらいしかなくなる、果てしなく魅力的な島だった。

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