被告は無罪を主張。ところが、被告本人の発言と弁護人の話が整合していないように思う。
被告は足を叩いただけで殺してもいないし放火もしていないと言うのだが、弁護人は妄想性障害を理由に責任能力がないことによる極刑回避を求めていたと思う。
これってどうなのかね。被告が「足を叩いただけ」とか「放火もしていない」と言うのを弁護人はどうフォロー・説明していたのだろうか。話を合わせられなかったということなのだろうか。
まあそれはそれとして強く印象に残ったのが「妄想性障害」という言葉だ。偏執(パラノイア)が病気に至ったものらしい。
思い込みの強い人、やたらと黒幕やら陰謀やらを登場させたがる人、被害妄想的なことを言う人…こんな人は身の回りにきっと1人や2人はいるでしょう。
これが極端になるとちょっと人付き合いに支障をきたしてくるけれど、まあこの程度なら「変わった人」とか「偏屈」なんて言われながらも、まだ世間とはつながっていられる。
さらにひどくなると、周南市の話みたいに「集落の奴らはオレに嫌がらせをする」みたいな現実と乖離した話になってくるのだが、ここでもまだパラノイアどまりで、その思い込んでいること以外は日常生活が送れるらしい。(診察は受けたほうがいいらしいが)
で、日常生活にも支障が出てくると妄想性障害なのだそうだ。
自分に害をなしている(と思い込んでいる)人たちを監視してばかりいたり、自分を愛している(と思い込んでいる)人の家のまわりをうろついてばかりいたりして、生活に支障をきたすわけですな。
たとえば自分にとって耳が痛いような話を聞いたときに、
①「自分にも当てはまることはあるかもしれないな。気をつけないと」…健全
②「これは自分のことを言っているのかもしれないな」…ちょっとヤバイ状態
③「自分のことを言っているのだ」…パラノイア
ということかなと思うわけですね。でも③は社会の中に意外と多く潜んでいるような気がする。
時事ネタは久しぶりだなあ。身の回りのことばかり書いてたからなあ。
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