2024年8月31日土曜日

とんがれとんがれ

これを何だと思いますか?

実はこれ、西津橋の橋台橋脚基礎に打ってあった80年以上前の松杭の先端である。
きっちりとんがったノコギリ挽きのものもあれば、なんとなくとんがらせただけという感じのチョウナがけのものもあって、その品質の揃ってなさに笑ってしまう。でもこれが80年以上、大型車もばんばん通る橋台橋脚を支えてきたのだからなあ。土木の妙というやつか。

午後、ずいぶん涼しいので海岸通りを徘徊していたら、マテバシイの実がずいぶん大きくなってきた。もう9月だものな。

台風が来る(かもしれない。たぶん来ないけど)というので、マリーナは浮桟橋を外して備えている。でも波は静かだ。^o^;
ちなみにこれは午後2時半。ちょっと前まではこんな時間に歩いたら倒れるんじゃないかというくらい暑かったのにね。

夜、百里会の皆さんと食事をしながら与左衛門の今後について協議。
何年もかかって多くに人に利用していただけるところになってきたので、これが百里会の活動に役立ててもらえれば。

2024年8月30日金曜日

いい天気…

本当なら台風がとっくにやってきて通り過ぎているはずなのだが、まだまだ南のほうでもたもたしている。

いや、普通にいい天気なのだが。豪雨災害で大変な苦労をされている地域の方々には申し訳ないのだが、実際こんなのだ。

鈴も呆れて寝てしまった。って、いつものように私のパジャマの上で寝ているだけなのだが。


2024年8月29日木曜日

何なんこいつ

台風は九州に上陸したのだが、が迷走気味というか、上陸してから一気にスピードアップして日本列島を駆け抜けるのがいつもなのに、何なのだこのスローペースは。

今はこうなのだが、明日になったらきっと変わっているような気がする。27日に帰って来られるだろうかと心配していたのは一体何だったのであろうか。
なんとそれから1週間近く後の9月2日の東京行きが、果たして新幹線が動いているだろうかと心配しなければならなくなってきた。
あ、そうだった。私は9月2日に、朝8時の小浜を出て新幹線を乗り継いで福井に行き、RCCM試験を受けて、その足で大宮まで新幹線に乗って、そこから湘南新宿ラインで新宿に行くのである。結構タイトなスケジュールで、ダイヤの乱れは1時間以内でないと困るのである。

えー、嘘だろう。我が完璧な予定はもろくも崩れ去ろうとしているのであろうか。

2024年8月28日水曜日

嬉しい利用が増えた

朝7時頃に一度起きたのだけれど、自宅の安心感からか二度寝してしまい、起きたらなんと9時半だった。
のそのそと朝食を食べて上根来へ。沖縄に行っている間に2組利用者があったので片付けに。

残暑の与左衛門。ちょっと掃除をして、あちこち営繕しようと思ってサイズを測ったりしていたら1時間以上たっていた。

自由帳を置いてあるのだが、以前は鯖街道を歩くを山歩きの人ばかりだったのに、ファミリーで利用していただくことが増え、子供の書き込みが見られるようになったのは嬉しいことだな。こういうのがあるとやめられなくなっちゃうよね。

2024年8月27日火曜日

結局予定通り帰宅

今日は帰るだけである…のだが、台風10号の影響で果たして帰ることができるのだろうかと危ぶまれる中の帰路である。

石垣島の朝はいい天気。なんとかベッドから這い出して、離島ターミナルまで歩いて行く。

朝食はターミナル内の食堂で八重山そば。しみじみと美味い。
そしてターミナル前からバスで石垣島空港へ。スタバでチャイティーラテ・アイス・トールという私のスタバスタンダードオーダーを頼んで、ほっと一息つきつつPCを取り出し、しばらく添削。
おもむろに2階に上がって混み出す前に保安検査場を通り、待合室で今度はスマホでウロウロしながら添削。アヤシイ親父だろうなと思いつつ。

ありがたいことに、定刻に出発。といっても那覇までなのだが。機内はけっこうガラガラ。

白保のサンゴ礁を見下ろしつつ石垣島を後にした。考えてみれば、毎年2回も来ているなんて、私は幸福だな。

宮古島の上を通過。池間島がはっきりと見える。またゆっくり行きたいな。
那覇空港に到着し、時間があるのでカードラウンジでけっこうしっかり仕事。
久々の空港食堂でちゃんぽんを食べて(観光客向けになったとみえて「沖縄ちゃんぽん」というメニュー名になっていた)、早めに保安検査場を通過して、ありがたいことに30分以内の遅れで伊丹空港行きの便に乗れた。いやもう、そもそも飛ばなかったらどうしようと思っていたのだから、10分や20分遅れたって全然ありがたいんですよ。

伊丹空港には7時前に到着。おそらく台風を迂回するコースを取ったので結局30分以上遅れたけれど、今日は余裕があるので大丈夫。リムジンバスで新大阪駅へ。

風の影響はないのだけれど雨の影響で静岡あたりで新幹線が止まっていたようだ。
これまた新幹線には乗らないので、結構我がことではなく冷静に見られる。
手書きで英語の説明もつくようになったのだなあ。QRコードも。

構内の浪速そばで夕食。皇欄にしようか迷ったのだけどね。親子丼とミニそばで満腹。
これまたありがたいことにサンダーバードは定刻に発車。安心感で、新大阪構内のコンビニで買ったチューハイなど飲みながら、爆睡していた。以前だったら敦賀を通過して福井、さらには最悪の場合は金沢まで連れて行かれたところだが、今は敦賀が執着なので思う様寝られる。

小浜線の終電は、明らかな無人君。4人掛けを全部占領して、誰もいないのをいいことに結構大きな声で口述添削などして、それでもまた半分近くぐっすりと寝入ってしまって、終点の小浜駅に到着。降りる時に初めて気がついたのだが、いつのまにか1人だけ乗客が増えていた。つまり小浜駅で降りた乗客は2人だったわけだ。
まあともかく台風が近づく中、予定通りの時間に帰って来られたのはありがたいことだ。

2024年8月26日月曜日

石垣でフィナーレ

朝ちょっと早く目が覚めたので、ちょっと散歩。海岸に出て、パイナガマビーチまで行ってホテルに戻る、1時間弱のコース。なのに汗だく。

朝のパイナガマビーチには早くも観光客の嬌声が響いていた。

沖のほうに目をやれば伊良部島大橋が見える。考えてみれば宮古島でまだ行っていないところへレンタカーを駆ってがしがしと行っていた時期はもう終わっていて、そろそろ1日のんびり過ごすような時期に来ているのかなと思った。来年また来れたらそういう時間を取ってみようかな。

昼前の飛行機で石垣島へ…という予定だったのだが、1時間近く遅れ、石垣島で牛そばの昼食を食べようと目論んでいたのだが、宮古島空港の保安検査場通過後のプラスチックカップの宮古そばとポー玉の昼食になった。ToT

宮古島を出発。実はこの2回ほど、行きたいところは行き尽くしたような気分になっていたのだが、本当の意味でゆっくり行きたいなと思った。

30分ほど飛んだらもう石垣島である。いつも見る白保の珊瑚礁。前にも書いたかもしれないが、この珊瑚礁を埋め立てて飛行場を作ろうという当初計画だったのである。結局、向こうにまっすぐ伸びる滑走路が陸上に作られたけどね。
石垣島ではいつもお世話になっている大知企画の知念社長に来ていただき、セミナー会場である大知企画の会議室に直行。

少し時間があったので、スバヤク屋上に登って西の方を撮影。ちょっと雲が多いが西表島の山々が見える。そしてその手前に小浜島、さらにその手前に一段と緑濃く竹富島。

左に目をやれば、竹富島の左(アングル左)に黒島。石西礁湖の島々が一望できる。
RCCMの講義(受講生13人!)、そのあと希望者に個人指導。いったんホテルにチェックインして、歩いて懇親会場へ。さらに二次会も行って、ホテルに戻れば日付が変わっていましたとさ。*o*

2024年8月25日日曜日

宮古島の時間は本当にいい

ホテルの朝食時間開始とともに朝食を掻き込んでモノレールで那覇空港へ。
朝8時の琉球エアコミューターのカーゴコンビで宮古島に出発。

宮古島に到着。こちらも曇天だ。でもまあ雨が降ってないだけよしとしよう。

宮古空港に到着。さっきまで雨が降っていたようだ。
いつもはみゃーくさんが来てくれているのだが、今日は所用で本島に行っているため、同じ会社のSさんが来てくれた。さらに前乗りしてやる気満々の多摩ちゃん。
午前中RCCM講義。受講生は当初予定は昨日の那覇の2倍だったのだが、結局那覇と同じ。うちなータイムというか、まあ気にすまい。

昼食は宮古そば。沖縄そばと何が違うのかというと、たぶん麺が平たくなくて(でも本島でも名護そばは平たくないというけど)、三枚肉だけでなくかまぼこが入っている…んじゃないかなあ。
午後から個人指導。何人にしたのかは書きたくない。^^;

終了後、いったんホテルにチェックイン。いつの間にか青空が広がっていた。
私は宮古島の、この山のない風景と白い低いRCの建物が広がる風景が好きだ。
なんと言うかな、きっとストレスはないだろうなと思うような風景なのだ。実際に宮古島に住んでいる人はストレスがなくはないだろうけど、それでも外から来た人間にはいいなと思わせるのだ。

西里通りで夕食。私と多摩ちゃん、Sさんとヤザワさん。肩の力を抜きまくり、美味しいものを気楽に食べて、ふらふらとホテルに戻る時間が好きだ。

2024年8月24日土曜日

雨を巧みに避けて

今日は那覇でRCCMセミナー。これまでだったらちょっと早めのホテルを出て歩いて、いちぎん食堂なりハイウェイ食堂で朝ごはんを食べるのだけれど、なんてことだどちらも閉店したと聞く。そうするといきなり朝食のあてがなくなるので、ホテルで朝食。美味しいんだけどね。

ホテルの窓から街を眺めれば、雲が怪しい。傘を持ってこなかったことに今更気づく。
なんてことだ。自分が雨男だということを忘れるなんて。

とにかくモノレールになって壺川からおもろまちへ。新都心公園を見下ろしつつ、パラパラと雨が降ってきた。
それでも幸運なことに、セミナー会場までの道のりと、セミナー後のセミナー会場から懇親会場までの道のりでは、若干パラパラと雨が降ってくる程度で何とかしのいだ。
午前中RCCM、午後一次試験。受講生の数は言いたくない。今後の課題だな。

とにかく今日はご苦労様でした。ということで、懇親会。写真なし。誰か写真撮っている人、写真キボンヌ。
だし巻きだか卵焼きだかよくわからないものにフーチバが入っている。これ、けっこう美味い。

ちょっと飲み過ぎちゃったかなと思いつつホテルに戻り、ふわふわした気分で外を眺めたら、ホテルのプールが何だらライトアップされていた。もう二桁以上泊まっているが、あそこ行ったことないな。

2024年8月23日金曜日

夏休みの沖縄は混んでいる

久々の旅に出た。小浜駅から小浜線で敦賀へ、サンダーバードに乗り換えて新大阪へ、そして伊丹空港から空路という、いつものパターン。今回の行き先は沖縄である。

特にトラブルなく伊丹空港から離陸。機内はほぼ満席で、子供連れが多い。夏休みだからな。

那覇空港に到着後、最近モノレールが混んでいるというからタクシーに乗るかなと思ったが、この状況だったのでスバヤクあきらめてモノレールで壺川へ。いつもの東急ステイにチェックインして、すぐに前夜祭会場へ。

でいごの会のメンバーに加え、やえもんさんも前夜祭参加。与論島での仕事の合間に週末だけ那覇に来て家族と合流して与論島に遊びに行って、自分だけ与論島に残ってまた月曜日から仕事の続きをするという、なんとも鮮やかな段取りを立てているようだ。
というか、やえもんさんはやえもんさんでたくくやすごろくさんとの飲み会だと思ってきたら私がいたのであれれとなったようだけどね。
まあとにかく「ああ、沖縄に来たな」と思う楽しい時間である。

2024年8月22日木曜日

久々に土木の話

今日は地蔵盆のための竹を切りに行ったり、夕方は県土木事務所の勉強会でナニゴトかほざいたりして、まあ多少忙しく過ごした。
若いころに一緒に仕事をした県職員さんが課長さんになっていたりして、また資格試験の話ではなく、地元の地質や土木の話をしたりして、我が脳味噌に多少とも新鮮な刺激をいただいたかなと思ってありがたい。

夕食後に浜へ。今日も夕焼けが綺麗だ。
さて、明日からは沖縄だ。

2024年8月21日水曜日

気ままなもんだな

今日は添削も多く、また週末の沖縄でのセミナー準備もあって、それなりに忙しかった。

一段落したので、夕食後、海岸通りを徘徊。この海岸は西向きなので、日没後に行くのが一番いい。
このとき7時前。もうツバメのねぐらは静まりかえっているな。
音楽を聴きながら、添削をしながら歩いているうちに真っ暗になるのでネックライトを点けて、今度は足下に気をつけながら徘徊添削。
そして帰宅するとそれなりに汗をかいているのですぐに風呂。PixelFoldをそのまま持ち込んで電子ブックを読んだりして長風呂。そして風呂上りにビールを飲みながらデスクワークをして、気が向けばそのままチューハイ飲んで、眠くなったら就寝。
気ままなもんだな。

2024年8月20日火曜日

今日は病院通い

午前中は病院へ。実は9月に入院して手術する。
深刻な話ではない。40代に蓄膿になったのだが、これが長年の付き合いになってしまっている。1年のうちほとんどは意識することもないのだが、たま~に痛くなって、そのたびにクリニックに行って薬をもらう。でも症状は楽になるのだが、副鼻腔のウミがなくならない。
で、そのうちクリニックの先生が「いっそ手術する?」と言うので、「それで蓄膿と縁が切れるならいいっすよ」と答えたら小浜病院に紹介状を書いてくれて、それで調べたら副鼻腔と鼻を結ぶ通路が狭いのでウミが抜けないらしく、手術するのがいいという結果になったわけだ。
で、今日はいろんな検査をして説明を受けていろんな書類をもらった。

バスで行ったので、帰りは歩き。けっこう暑いけれど、それでもお盆を過ぎたらかなり過ごしやすくなった。

夜、夕食後に徘徊に出たら、ちょっとびっくりすぐくらい大きな月が昇ってきていた。

2024年8月19日月曜日

プチ旅

さすがにこのトシになると髪の毛も伸びるのが遅くなると見えて、散髪は1.5~2ヶ月に1回程度になる。
小浜市内の散髪屋は全部グルになっていて4千円も取るので、もう10年以上行っていない。
行くのは舞鶴(東舞鶴駅前のラポールの中にあるカットコムズ)か敦賀(アルプラザの近くのプラージュ)のどちらか。
今日は小浜駅から電車で往復する。電車賃が余計にかかるが、それを足しても小浜市内の散髪屋より安い。
なんやかやしていたら時間の都合で敦賀行きの便のほうが都合がいいということで、プラージュに行くことにした。

散髪してすっきりしたらちょうど昼時だったので、アーケード街を添削しつつ歩いたついでに「敦賀ラーメン」なるものを食べることにした。
味としては和歌山ラーメンかな。あっさり系なんだけどちょっと脂もあって。
こうして敦賀や舞鶴に片道1時間前後の電車の旅をして、電車の中で音楽を聴いたり添削したり電子ブックを読んだりして、着いた先では散髪ついでにまち歩きを楽しんだりといった、なかなかに贅沢な時間を過ごす日がたま~にある。

2024年8月18日日曜日

鈴は仕事部屋が好き

日曜日だが、とりたててスケジュールはない。まあつまりデスクワーク。添削や資料作りといった、いつもと同じルーティンをマイペースでこなす。

夜、今日も街頭パトロールに出て帰宅してみれば、仕事部屋で鈴が寝ていた。

ちなみに引きで見るとこういう光景。鈴は明るくても平気なのか、よくここで寝ていて、デスクワークを合間にふと見上げると鈴の足が見えていることが多い。ちなみに伊織はあまり仕事部屋では寝ず、たまに来てもキャットタワーで寝る。

2024年8月17日土曜日

今日も気ままに

今日も気ままに生活して、それでも添削や各種資料作りはけっこうがんばった。
今は、自分のペースで自分の時間配分で仕事ができること、精神的に我慢するということ(言いたいことを言わずにぐっと飲み込んで黙ること)がなくなったということが精神衛生上はとても良い。ただ技術士試験前の添削依頼ピーク時、あるいは練習問題の作成依頼が重なった時などは、けっこうストレスフルなのだけれど、今はずいぶん楽だ。

夜、街頭パトロールから帰ったら、ニャンズが仲良くソファで寝ていた。
こうして見ると、やっぱ双生児だな。ちなみに手前が鈴で奥が伊織。伊織のほうが背中が黒っぽいし、伊織のほうが顔が細い。まあ見分けが付かないことも多いんだけど。


2024年8月16日金曜日

猫と変わらない

久々の早朝ウォーク。実は夜中の2時ごろに目が覚めて、もう一度寝ようとしても寝付けないものだから、だったらもう起きてりゃいいやと少しデスクワークをしたあと、外に出たのである。午前4時過ぎにクルマで出てすき家で超早い朝食を食べ、いったん帰宅して歩きに出た。

午前5時前。さすがにこの時間は涼しい。曇り空だからいっそう涼しい。
帰宅して再度デスクワークをしているうちに眠くなったので、本能に逆らわずに寝た。
おそらく午前8時ごろに寝て、11時すぎに起きた。昼食を食べに出て、帰宅後少しデスクワークをしていたらまた眠くなったので寝た。起きたら夕方。猫と変わらない生活だなあ。

今日は女房が大阪の姪っ子の結婚祝いで不在なので、こんなヤクザな晩メシになった。肉とタマネギとピーマンを炒めただけのおかずにビール。それでも腹一杯になったからこれでいいのだ。

2024年8月15日木曜日

静かな送り日

今日はお盆の送り日。特別なことは何もしない。夕方になったら正信偈を上げて、また、線香の束を持って浜へ行く。

それをこうやって浜の砂に刺す。今度は持って帰らないので、竹の筒から出して線香だけを砂に刺して、手を合わせて拝んだらそのままにして帰る。

あちこちで同じようなことをしている家族がいる。もう少し暗くなると花火をする家族もいる。
昔は果物その他のお供え物を持ってきて海へ投げ入れたものだが、今は集積所に持って行ってお供えする。
今年もお盆が静かに終わった。

2024年8月14日水曜日

ツバメのねぐら

お盆のさなかだが上根来で与左衛門を利用しておられる方もいるので、頃合いを見計らって片付けに行く。

さすがの上根来も真夏は結構暑い。さすがに扇風機だけで過ごしてもらうのは心を苦しく、最近は冷風扇も置いている。以前は熱交換した温風をダクトから排気するものだけだったが、今年は水の気化熱を使って冷気を送り出すものも追加した。

ちょっと早めに夕食を終えて、日没直後を狙って浜へ。海岸沿いの吉原にツバメのねぐらがあって、日没直後に群れをなして飛び回るのを見に行った。なかなか壮観であった。