2018年12月31日月曜日

今年もお世話になりました

大晦日なので、例年のように今年のまとめを。

【1月】
前年12月に父を亡くし、忌中の静かな新年。ひこそう全国大会も中止した。
福井市周辺ではかつてない大雪だが、小浜はむしろ少雪。

昨年の娘に続き、息子が結婚。我が家にとって大きな大きな区切りとなった。

【2月】
2月といえば冬まっただ中、例年であればどこにも行かず雪室作りに精を出す時期なのだが、今年は北海道、広島、山形~大阪、そして金沢へセミナーの旅。

零下10度の中、半袖のSUKIYAKI塾北海道メンバー。
ぼうず総長はもはやウォーキングデッドと化している。
山形では大変お世話になりました。
雪室作業には全然参加できなかった。申し訳ない。

【3月】
四国、東京、大阪と出願セミナーツアー。
四国は、これまでの活動が実を結び、受講生が激増した。
東京は合格者を交えてのセミナーを開催後、
会場を貸し切って、大人数での合格者祝賀会。
大阪も合格者祝賀会をかねて開催。
例によって遊馬の小ネタと寝落ち炸裂。
久々に野焼きで縄文土笛・土鈴作り。

【4月】
九州→大阪→東京→東北→徳島→名古屋→島根→鳥取→熊本→徳島→沖縄→金沢とめまぐるしく移動しつつ出願セミナー。

秋田ではみんなでジャイアンを励ました。^^
久々の熊本。皆さんに再開できたことが嬉しい。

【5月】
今年は喪中なので祭礼にはカメラ係として裏方参加のあと、名古屋→東京→北海道→大分→東京→仙台→東京→徳島と筆記紙面セミナーツアー。

久々の知床ツアーだが、知床さんの御厳父が永眠され、道外講師のみでツアー。
知床→札幌→帯広→釧路と大移動。思い出深いツアーだった。
下旬に小浜に戻り、ハウジング&コミュニティ財団の交流会in小浜のバックアップ。不手際も多々ありましたが、お世話になりました。

上根来では、取り壊しが決まった上根来小学校の前で、上根来元住民のみなさんが記念撮影。12月に久々に行ったらもう跡形もなく取り壊された後だった。

【6月】
再び筆記セミナーツアー。名古屋→大阪→名古屋→小浜→四国→小浜→沖縄と、行ったり来たり。

遊馬とじんじんの絡みは定番になってきた。
沖縄ではずっと雨模様だったが、最終日の宮古島ツアーで好天に恵まれた。

【7月】
セミナーも終わり、小浜でじっくりとあれこれ。

雪室の残雪を、夏祭り会場である駅前通りに持って行き、
子どもたちに雪遊びをプレゼント。雪室酒の試飲会も開催。

【8月】
月初めに鳥取・島根にRCCMセミナーで赴いたあとは、小浜でいろんなことを。
数年ぶり(?)の段ボールハウス。

恒例行事の親子化石教室。

久しぶりに女房のアンサンブルにパーカッション参加。

ガムテープ太鼓やストロー笛の日用品楽器作り。

【9月】
上旬に襲来した台風21号のかつてない暴風雨被害(塩をかぶった鉄道施設が発火したなども含む)や北海道胆振東部地震に伴う北海道ブラックアウトなど、かつてないタイプの災害が多発した。
高知→沖縄の一次試験・RCCMセミナーツアー。暴風雨吹き荒れた台風21号通過直後だったが、無事行くことができた。

台風21号直後に高知→沖縄の一次試験・RCCMツアー。
行けるのか?と危ぶまれたが、幸い天候に恵まれ無事終了。
宮古島ではすごろくさんも合流して楽しく飲んだ。

【10月】
初旬に大分にRCCMセミナーツアーに行った以外は小浜で生活。

福井県で国体・障スポ大会が開催された。一応実行委員の
端くれなので障スポの開会式に出席したが、超早起きでまいった。
去年は雨で散々だった「やさしさいっぱい!まちなか
夢通り」も好天に恵まれ、にぎやかに開催された。
長年の懸案だった車庫の道具・荷物類を、
棚を作って片付けた。車庫が広々とした。

【11月】
上根来でのしがら組み作業のあと、例年通りの口頭試験セミナーツアーに出発。仙台→いったん小浜帰着→北海道→東京→大分→福岡→大阪→名古屋→四国(全国大会)→沖縄と移動。筆記試験合格率が例年になく低かったため受講生が少なく、オフ日をはじめとして時間的余裕がかなり多い旅で、あわただしくなくてむしろありがたかった。

松山での全国大会には30名を越える人たちが全国から参加。
博多を加えて10支部ができたSUKIYAKI塾。これからもよろしく。

【12月】
大阪→東京→名古屋の口頭試験模擬面接ツアー、やはり受講生が少ないものだから、オフ日をまとめて伊豆諸島ツアーを敢行したものの、風雨により八丈島に行っただけであえなく中断。

八丈島の絶景ポイント…らしいのだが、荒れた海と低い雲を見に行ったようなもの。

着いたときから帰路につくまでずっと強風。向こうの八丈富士は一度も見えなかった。
こんな散々な伊豆諸島ツアーだったが、考えてみれば、今年「初めて行ったところ」はこの八丈島が唯一だった。すでに47都道府県全部に行っているので、あとはこういった離島とか、そういったところしか未踏の地が残っていないのだが、これからも機会があれば行きたいなあと思う。

今年もSUKIYAKI塾や地元の人たちなど、多くの人たちのおかげで楽しく過ごすことができました。本当にありがとうございました。

2018年12月30日日曜日

いい小旅行だった

娘夫婦にホテルまで迎えに来てもらって、水戸駅で土産(干し芋と納豆^^)を買い、茨城町の「森の家庭料理レストラン」なるところに連れて行ってもらった。
JAの直売所もあるのだが、ネギもゴボウもびっくりするくらい太いし、大根も馬鹿でかいし、マッシュルームに至っては大ぶりのシイタケよりでかい。関東って野菜が巨大化するのか?ともかく物珍しさもあって、女房が段ボール1箱買い込んでいた。うーむ、我が家の正月は関東野菜祭りになりそうだ。

レストランは地元産品を使ったバイキングなのだが、ふと気が付くと我が皿は、3種類のパスタ・バゲット・揚げパン・チャーハンといった、恐怖の炭水化物オンパレードになっていた。^o^;
娘夫婦と別れ、水戸から品川まで「ひたち」で移動して、品川で軽く食事をとって、新幹線から北陸本線、小浜線を経由して夜10時過ぎに帰宅。
母を一人にしておけないので、昨日から息子夫婦が早めの帰省をしてくれていて、息子が駅まで迎えに来てくれた。
年末のあわただしい小旅行だったけれど、2人の子供がそれぞれ家庭を持ち、生活を築いているのをみると、やはりほっとする。変な言い方かもしれないが、安心して老いていけるというのかな。

2018年12月29日土曜日

関東はやはり晴れ

1泊2日で娘のところに出かけた。

少しだけ雪が積もっているけれど、小浜線・北陸本線とも影響なしとのことで、無事出発。

小浜線沿いでは若狭町のあたりが一番雪が多いが、徐行運転もなく、無事に敦賀に到着。「しらさぎ」に乗り換えて米原へ。さらに新幹線もほぼ定刻通りに米原駅を出発。
ところがここから名古屋までの区間が一部徐行運転をしていて、名古屋で15~20分遅れ。

名古屋を過ぎたらもうずっと冬晴れ。富士山も雲が絡まりつつもくっきり見えた。
このあたりまではせいぜい20分程度の遅れだったのが、新横浜あたりから先は、先行列車の遅れがどんどん影響して、品川駅には50分遅れで到着。
ここから常磐線で娘のところへ。

娘夫婦とおちあって、何やらおしゃれな喫茶店に連れて行ってもらった。副将軍とかいう、特別なコーヒーらしい。ただ悲しいことにわが馬鹿舌ではよくわからなかったのでした。^^;

夕食はなぜか茨城なのにカツオの叩きなど高知料理を扱う店で、あんこう鍋がうまかった。

ホテル前のイルミネーションが奇麗だったのだが、寒さも半端ない。おそらく0度前後ではなかろうか。この乾燥した身を切るような寒さは、やはり関東だなあと思った。

2018年12月28日金曜日

バタバタと誕生日は過ぎる

誕生日です。58歳になりました。58すよ58。もう60歳目の前ですよ。
母と我々夫婦の3人家族だと、別に何も祝い事等はなし。まして明日から娘のところに1泊2日で行くので、おせち料理の材料買い出しやら年賀状やらで今日は慌ただしく過ぎていった。

今日は冬型が強まり、雪も降った。多田ヶ岳は雪化粧したが、下界は草地がうっすら雪をかぶった程度で、道路に雪はなく、JRの乱れもなし。このままいってくれたら明日は娘の所に予定通り出発できるのだが。

夜、年賀状を印刷。といっても、私が印刷したのは親戚関係5枚だけだ。
一昨年、断捨離を敢行して年賀状と決別したのだが、「断捨離しましたので年賀状はもう出しません」と言うわけにはいかない「お付き合い」が5件だけ残ったというわけである。
昨年はたまたま喪中で年賀状を出さなくてもよかったので、今年が「お付き合い復活」になるわけだけれど、さてさて何枚来ることやら。
私と一緒に断捨離したはずの女房は、「やっぱり年賀状出す」と言い出したものの、その住所録データが入ったPCがぶっ壊れ、途方に暮れている。
ちなみに私は住所録および宛名書きはフリーの「はがき作家」を使い、裏書きはWordで住所氏名等だけ書いたひな形を作っておいた上に、ネットからダウンロードしたフリー素材を貼り付けるだけなので、5枚程度の年賀状印刷は裏書き文書作成も含めて30分もかからずにできる。住所録データも裏書きデータもOneDriveにあるから、PCを替えても問題ないもんね。

こちらは「雪道情報ネットふくい」から取った、11:50の小浜駅前カメラ画像。昼前はこのように市街地でも雪化粧していた。

そしてこちらは夜22:50の画像。雪はもう全部解けている。気温は小浜市遠敷で1.4℃。天気予報ではマイナスにはならずにすみそうだ。

2018年12月27日木曜日

雪目前

予報ほどではないが、天気は崩れてきた。何より寒い。

昼食は久々に「がじゅまろ」へ。「がじゅまる」ではなく「がじゅまろ」。元々はガジュマルから店の名前を取ったのだが、マスターの思いがあって「ろ」にしたらしい。
今日は数量限定の照り焼き肉を食った。いつもうまい。

今日はSkype模擬面接が2人。これで今年はさすがに終わりだ。(ただし年明けにまだ3人残っている)
メールも掲示板も静かになった。まだ明日まではウィークデーだけれど、「年末進行」が終わってすでに「年末」に入っているということだろう。
我が家も喪が明けたので、今年は正月を祝う。正月飾りもひととおり買った。


明後日から明明後日にかけて娘のところに行く予定でおり、老母を一人にしておけないので息子が入れ替わりで帰省してくれることになっているのだが、予定通りにお互いが移動できるか、予断を許さない天気模様になってきた。
てか、このままでは正月早々(あるいは年末に)雪かきか?という状況だ。
…ということで、とりあえずスコップ、スノープッシャー、スノーダンプの一式を玄関脇にスタンバイし、車にもスコップ、スノーブラシ、脱出板を積んだ。

2018年12月26日水曜日

ネクタイいらねー

今日の必須タスクである服の整理をしたのだが、結局2時間以上かかってしまった。^^;
今年はちょっとがんばって、これまで放置していたネクタイとベルトを整理した。
そもそも私はネクタイをしない。というか、背広も着ない。
ネクタイをするのはほとんどが結婚式か葬式で、ということはネクタイは白と黒だけでいいし、服は礼服だから背広はほぼいらない。
背広を着るのは警察協助員会の総会等の機会くらいだから、年に1回か2回。だから白黒以外のネクタイもそのときだけあればいいので、おそらく1本で十分なはずだ。

ということで、ネクタイをカーゴにしまい込んだ。おそらく捨てても全く問題ないはずだが、ちょっと気が引けたので、今回はカーゴ格納にとどめた。
で、クローゼットに吊しておくネクタイは数本にした。これも2~3本でも十分すぎるはずだが、まあそこまでがんばらなくてもいいだろうと思って7~8本にした。
ただ、しまい込むものと吊しておくもののセレクトはちょっと迷った。ネクタイをしないものだから、ネクタイの「柄」というものにまったく無関心で、いま世間では何がはやりなのか全然わからないのだ。結局面倒になって適当に選んだが…
ネクタイってそもそも今の時代にいるのかなあと思ったりもする。ウォームビズとかいうしさ。

夜、沖縄から飲み会の頼りだ届いた。ゆんたさんが一級ビオトープ管理士に合格したので、そのお祝いとのこと。すごろくさん・NHさんの両巨頭が、なぜか日本酒でお祝いしているようだ。いやー、本当におめでとうございます。

今日から3日間、夜はSkype模擬面接が入っている。なんといっても総監は1月だからねえ。
模擬面接は、年末でちょっと動きが鈍った頭のいいカンフル剤になる。
ただ、模擬面接→終わってスッキリ風呂→風呂上がりにビール→そのまま泡盛…という堕落コースに必ず入っていってしまうんだけどね。^o^;

2018年12月25日火曜日

以外と服持ちです

2日続けて好天。天気予報によれば、おそらく今年最後の晴天ではないかと思われる。

それでも冬枯れの田んぼは寒々しい。山も落葉樹は葉が落ちて、緑を残すのはスギやヒノキの植林とアカマツ程度。それでも山肌がすっかり見渡せるようにはならないのが小浜の山だ。
昨日と今日で外回りの年末清掃を終了。後はぼちぼちと屋内の掃除だ。
女房からは服の始末(減量)を厳命されている。私は決しておしゃれではない。自分でもそう思うし、回りは倍してそう思っているであろう。なのになんでこんなに服が多くなるのだろうかというと、それなりの頻度で買っているからである。
多いのは、カッターシャツとジャケット、そしてズボン(これをパンツと呼ぶのはどうしても抵抗がある)類である。まあつまりセミナーに着ていくような服なのだが、ジャケットは、旅先でクリーニングしたいけれどジャケットなしで1日過ごすのは辛いなあというときに、ユニクロなどで安いのを買っちゃったりしている。カッターシャツも、ホテルのランドリーやクリーニングサービスを使う時間が旅程上取れないときに買っちゃったりしている。
こういうことをするとジャケットやカッターシャツが増えて、小さいバッグでは持ち運べなくなるので、まとめて次のホテルや自宅に送ったりしている。
こうしてジャケットやカッターシャツが増えてしまう。ズボン類が多いのは、セミナー用、普段用、アウトドア作業用があって、それぞれ予備も含めて数本あるからで、これも確かに多いっちゃ多いが、それなりに使っている。
そういうことなので、これを減らせといわれると難しい。結局、7割くらいに減量するのが精一杯で、それも翌年には元に戻っているという繰り返しである。
勤め先に行く平日と家にいる休日だけであれば服も少なくていいのだが。

2018年12月24日月曜日

我がイブはいかに変遷したか

世間ではクリスマスイブらしい。
しかし、老母と我々夫婦2人のみの我が家には関係ない世界である。
午前中は外回り、午後は屋内の年末掃除。
夕食も子どもたちがいたころはチーズフォンデュなんぞという洒落た食い物を摂取したりもしていたが、今夜はローストチキンとポタージュスープ、ジャガイモ茹でたのにチーズがかかっている程度で、あとはフツーの晩飯。
食後、女房と2人でPLANT-2まで車を飛ばして買物。仕事部屋用のテレビ(安くなったねえ)などとともに、正月用品も少し購入。
そして帰宅後はイブなのにSkype。
息子夫婦・娘夫婦はそれなりにイブらしいことをしているのだろうけれど。

まてよ、と思って昨年のイブの記録を見てみた。毎日ブログを書いていると、オンラインで日記がずーっと残っている状態になっているので、こういうときは便利だ。

昨年は、掃除をしたあとにローストチキンとパンプキンスープの夕食で、悲しいくらいほぼ同じ。

一昨年は、チキンとワインの夕食で、RCCM更新作業をやっていたりして、やはりさみしい内容だ。

3年前は、しゃぶしゃぶを食って、翌日のクリスマスコンサート用の機材を積み込んだりしている。まあどっちにしろ、大したイベントは何もない。

4年前は、免許更新に行って、雪室の会議に出ている。イブに会議って。それの出席率がいいという逆にさみしい話であった。さらに会議後に女房と浜照で飯を食っている。ちょっと変わったイブだったということだな。

5年前は、大阪で模擬面接をまだやっていて、その後帰宅して女房と浜照で飯を食っている。うーむ…

6年前は、時ならぬ大雪で30cmもどんと積もってしまった。こういう年もあったんだなあ。

7年前は、やはりうっすら積もったようだが、イブに何をやったのかという記録がない。どうでもいいものだったのだろうな。

8年前は…まったくイブに触れていない。本当にどうでもいいものだったことがわかる。

うーん、こうしてみると変遷があるなあ。ひとつ言えることは、近年は12月24日といえばもう口頭試験対策は一段落しているということだし、落ち着いて自宅にいるということだ。だからローストチキンを食っただのという、まあしょーもない話題すらブログに書くようになったということだ。
今はやはり、連れ合いに先立たれてからめっきり気弱になってしまった老母と、仕事が忙しい中を老母の世話をしてくれる女房のことを思えば、いつまでも旅の空を気ままにただようわけにはいかないし、しょっちゅう飲み会に出歩くわけにもいかない。…そうだ、考えてみれば、忘年会というものにほとんど縁がなくなった。今日はあそこの忘年会、明日はあそこの…みたいにしていた時代が懐かしくすらある。

2018年12月23日日曜日

寒くなってきた

朝、久々にコメダ珈琲でモーニングを食べた。ジェミニ君で口頭試験問答の添削。

ツアーから帰ってきてからも、風邪で外出を控えていたこともあって行っていなかったから、1か月ぶりくらいか?
ゆったり1時間くらい過ごしてから隣のケーズデンキでちょっと買い物をして、ついでに100均でも買い物をして帰宅。
それにしても、日を追うごとに寒くなってくる。天気も悪くなってきた。鉛色の雲が重たく垂れこめ、冷たい雨が降る、冬の天気だ。

どうも天気はどんどん悪くなっていくようで、27日からはとうとう雪も混じりそうな雲行きだ。29日に娘夫婦に会いに茨城に行く予定なんだが、困ったなあ。
この季節は風呂がありがたい。数年前は「濱の湯」に日参していて、下手をすると1日に2回行ったりしていたのだが、ここ2年(いや、3年か?)とんと行っていない。家風呂ばかりだ。
自宅の小さな浴槽だとすぐに湯がぬるくなっていくので、大浴場のぽかぽか湯はありがたいのだが、風呂フタの上にタブレットをおいて本を読んだりするのは、やはり家風呂でしかできない。我が家の風呂は追い炊き機能もあるから、ぬるくなってきたら追い炊きすればいいのだ。
実は旅先でも大浴場に入らなくなってきていて、ドーミーインに泊まりながら大浴場に行かないなんてことも最近多くなってきている。そういえば沖縄の定宿であるルートインでも、今年は大浴場に一度も入らずに終わったし、大分のコモドホテルでもそうだった。代わりに部屋風呂にタブレットを持ち込んで読書三昧だった。
何かこういうサイクルみたいなのがあるのかもしれないな。
…久々に濱の湯にも行ってみようかな。

2018年12月22日土曜日

電動工具にあこがれて

1年間、それなりにまあがんばった、がんばったともいえる、がんばったのかもしれない、もしかしたらがんばった自分へのプチご褒美を買いました。

これです。あ、見にくいな。たぶんわからないな。

マキタのインパクトドライバです。それも限定色のオーセンティックレッド。

「何それ?」と思ったアナタ。
「ナントカレッドが何なの?」と思ったアナタ。
そして何より「そんなものがご褒美なの?」と思ったアナタ。
工作道具は、なかんずく電動工具は、男の子の永遠のあこがれでしょうよ。

振り返れば小学校5年生になったとき、それまで禁じられていた「肥後守」(注:折りたたみナイフのことです)が解禁となり、なにやら一人前と認められたような気がして、学校からの帰り道、まっすぐ帰れば10分とかからぬ道を1時間以上かけて、道ばたのススキだのイタドリだのをスパッと切る快感に身もだえ、落ちていたきーだん(竹を原料に箸を作る時に出る切れっ端。町の方では「ぺっちん」とも言うらしい)を削ってとんがらせることに夢中になっていたものだった。

中学生になると、ここに「電気」などというオソロシイものが加わってきて、さらにナイフだけでなく学校の技術家庭科で買った大工道具(といってもノコギリ、トンカチ、カンナ、ノミ、キリくらいのものだが)が加わり、「動くモノ」を作るようになる。
木ぎれを削って作ったモーターボート(と本人は思っている)に、なけなしの小遣いをはたいて買ったモーターに手製の木製スクリューを取り付け、浜へ行って波打ち際でいざ出港!とモーターを回したものの、(後で考えれば)離岸流の小さいのに乗って沖に向かって一直線、ボーゼンとボートが海に消えていくのを見守った。

…話が長くなりそうなので中略…

でまあ、今は上根来という絶好の遊び場であれこれやったり、自宅でも日曜大工的なことをやったりしているわけなのだが、そこで使っている電動工具がホームセンターで少しずつ買い足したものだった。
その結果、最近不満が2つあった。
  1. 大部分が100V電動工具で、電源のないところでは使えない。
  2. パワーが弱い。
ということで、共通のバッテリーを使うパワーのある充電式工具がずっと欲しかったのだ。
共通のバッテリーを使うというのは、同じメーカーでそろえればよろしい。
日本のメーカーとしては、マキタ、日立、リョービなどがあり、海外メーカーとしてはBLACK+DECKERなどがある。
日立は最近外資に身売りしたものの、買い手が付かない状態らしい。リョービは京セラが買収した(日立のHiKOKIも京セラが買うというウワサもある)。
ということもあって、マキタにした。なんとっても国内シェア1位、世界シェア4位の電動工具メーカーである。
ただ高いんだよね。ちょとしたものなら、本体だけで3万~4万くらいする。

その中で、今回はベースとなるインパクトドライバ+バッテリー(18V)2個+充電器+ケースのセットを買った。これで5万円ですよアナタ。
マキタといえば緑が少し入ったような青がイメージカラーなのだが、今回はあえて限定食のオーセンティックレッドにした。渋いでしょう。玄人っぽいでしょう。^o^
これまでのドライバドリルが10.8Vだったから、かなりパワーアップした。試しにちょっと回してみたが、「ギャン!」と音を立てて回るイキオイというものがまるで違う。
そしてこのバッテリーを使う電動工具が何十種類とあるので、今後買い足していこうと思う。とりあえずは丸ノコやディスクグラインダーかな。

日曜大工で使うものとしては贅沢すぎると思う。プロの大工さん用の工具だからね。
でも欲しかったのである。あこがれていたのである。
数万円のノートパソコンを使いながらレッツノートにあこがれるようなものだ。わかりにくいけど。
5万円以下のトムソン・トーマスのエレキギターを弾きながらフェンダーやギブソンにあこがれるようなものだ。もっとわかりにくいけど。

まあとにかく、どこかで使う機会はないかなとうずうずしている私なのでありました。^o^;

2018年12月21日金曜日

ちょっと買物

遅まきながらRCCM登録更新書類を作り始めた。
書類だけはずっと前に(もう9月中に)入手していたのだが、まだまだ余裕があるわいと放っておいたのだ。まあ実際11月はずっと口頭試験ツアーでそれどころではなかったしね。
で、やり始めてみれば、「登記されていないことの証明書」のように郵送往復一週間なんてものもあることを思い出してバタバタと書類を作ったり、まあこれまで何度となく繰り返してきたバタバタを、性懲りもなくまた繰り返しているという状態である。

まあでも、今年も私なりによくがんばったな。
…などと思いながら夜中に泡盛を飲んでいると、なんだか気分が盛り上がってきて、ふと気がつくと「自分へのプチごほうび」を買ってしまっていることがよくある。あ、いや、ほぼ毎年ある。
ということで、今年も買っちゃいました。
あ、パソコンとかタブレットとか、そういうガジェット方面ではないですよ。
でも何年も前から欲しかったものです。

2018年12月20日木曜日

泡盛はコーヒーに合う

私は沖縄の泡盛が好きで、沖縄に行ったときはもちろん、自宅でも愛飲している。

今はこれ、「忠孝」を愛飲している。Amazonで買えるので、なくなりそうになると次の1本を一升瓶で買っている。3年古酒と書いてあり、確かに美味い。この忠孝酒造はいろいろと挑戦的で応援してもいる所だ。
自宅近くのマーケットでも「炎」という泡盛が買えるんだけど、やっぱり泡盛は忠孝がいいなあ。
その分、沖縄に行ったときは忠孝以外を飲む。久米仙、菊の露あたりかな。石垣島に行ったら請福か八重泉、宮古ではニコニコ太郎。^o^

で、忠孝の話なんだけれど、これをどうやって飲んでいるかというと、水割りかコーヒー割りが多い。
コーヒー割りというのは、ブラックコーヒー(缶コーヒー)で割るのである。これ、けっこう美味くて飲みやすい。石垣島の「銀」で教えてもらったんだけど、お勧めですよ。
ただ、ついつい飲み過ぎちゃうのが難点かな。^^;

このコーヒー割り、泡盛でしかやってみたことがない。麦焼酎くらいだったら合わなくもなさそうな気がするので、今度一度やってみよう。

2018年12月19日水曜日

さらば上根来小学校

ずいぶん体調の良くなってきたので(まだ鼻声全開だけれど)、土産物配りもかねて、久々に外に出た。

久々の外食、やっぱり好物のカツ丼に限る。小浜市内では、やまと庵のカツ丼が一番私の好みだ。

腹一杯になったあと、上根来へ。与左衛門の冬支度などをずっとしてなかったのだ。

冬晴れの上根来。助太郎をはじめ、どの家も雪囲いをして冬支度が完了している。

与左衛門もちゃんと雪囲いが終わっていた。あこちゃんがやってくれていたようだ。ここのところ、毎年やってもらっていて申し訳ない。
雪囲いの下にはもう雪が少し積もっていた。先週、東京にいたころのものだろうか。
ブレーカーを切り、水道管が破裂しないように外にある水抜きバルブを開け、給水栓も閉めて冬支度になるのだが、さすがはあこちゃん、全部完璧にしてくれていた。

ふと見ると、ナツメの木の一番上に、今年採らなかったナツメの実が枝に付いたまましなびていた。あんな美味い実をなぜ鳥も猿も食べないのか不思議だが、とにかくもったいない。来年はあそこまで採ってやろう。

帰り道、ふと見ると上根来小学校がなくなっていた。今年上半期のうちにも取り壊すと聞いていて、なかなか壊さないなあと思っていたのだが、さすがに年内には実行したようだ。
思えば上根来での活動の当初はここを拠点にしようと考えて、何とか再活用できないかとあれこれ考えたり、参考のためにと高知まで行ったりしていたのだった。
雨漏りもひどくなって、もういつ倒壊してもおかしくない荒れ果てた状態になっていたけれど、こうしてなくなってしまうとやはりさみしく、しばらくぼんやりと跡地を眺めていた。そんな頭の片隅には、「このスペース、いろんな活用ができるんじゃないか」という思いもあったのだけれど。