夕方の早い時間にトレーシーを学校に迎えに行って帰宅。彼女は何か料理を作りたいとのことで、近くのマーケットに出かけたので、私は今度はグレゴリーを迎えに家を出た。
大阪からの高速バスに乗ってグレゴリーが妹さんと一緒に小浜にやってきた。3回目だが、相変わらず楽しい男である。
こういう小浜を愛してくれて毎年やってくることをいとわない人がいることに感謝。
なんとかこれからも毎年呼べるように、そして彼の活動が実を結ぶようにしたいものだ。
帰宅すると女房も帰っていて、あれこれ話しながら夕食。そのまま10時過ぎまであれこれと話。
これまでニュージーランドというものは身近な国ではなかったけれど、いろんな話をするとやはり理解が深まるものだ。実際に行けばさらに肌で理解できるのだろうけれど。
中国では反日デモが吹き荒れているけれど、中国の若者と接したことが全くない人には脅威であるとともに腹が立つことだろう。彼らがどんな情報を得ていてどんな情報を知らずにいて、どんな教育を受けてきたかをきちんと理解すればまた見る目も変わってくるだろうに。
人間は最初から視野が広くなれないから、経験や勉強が必要だ。そしてそれは本人の努力だけではできない。経済的事情や家庭的事情、さらに社会的事情が大きく左右する。
トレーシーとの昨夜の話でもそうだったが、外国の人と話すと、少数民族問題がどの国にもあるのだということを感じることが多い。
なかんずくアメリカやニュージーランドのように保護政策を掲げる国が持っている問題~たとえば結果的に怠惰な生活を提供してしまっているとかマイノリティが過去に持っていた権利の話など~は根深いと思うのだが、こういう問題を問題として認識して取り組んでいるのが、アングロサクソン国家(そして旧英連邦)なのが興味深い。ただ、これらの国だけが先住民族権利宣言に反対したりしているのも確かなのだけれど。
日本を含め、少数民族問題を大きな問題としてとらえていない(あるいはとらえる必要がない)国も多い。アイヌに関して言えば、その文化を守り、そして観光資源として地域活力の源泉としようとしているのは確かなのだけれど、それって(地域文化を守り、観光などの地域活性化資源としようとすることって)、日本中どこでもやっているよね。
まあともかく、経験をたくさんして学んで視野を広げることって本当に大事だなと再認識の日々である。それがないと視野の狭い偏った独りよがりな人間になってしまう。それだけはごめんだ。
世界中をバリアを感じることなく動き回るグレゴリーのような人間にとっては、そんな話は「は?」というほどの低いレベルの話なんだろうけどね。^^