今日は昨日より好天で快晴である。
陽光の中、ジャケットを脱いで歩けるくらいに暖かい。まだ2月なのに。お水送りもまだなのに。2023年2月27日月曜日
春うらら
全国的に妙に気温が高く、2月というのに春爛漫。小浜もいい天気だ。
午前中に溜まっていたデスクワークをこなし、遅い午前中に海岸通りを徘徊。本当にいい天気で、ジャケットはいらないくらいだ。
帰り道、護松園でゆっくりコーヒーを飲みつつ、完成した庭園に見入る。石材は地元のものが大部分だけれど、その中でも左手の大きな石は混在岩(オリストストローム)で、実に面白い。また、よく見ると片岩では?というものも混じっていた。
帰り道、護松園でゆっくりコーヒーを飲みつつ、完成した庭園に見入る。石材は地元のものが大部分だけれど、その中でも左手の大きな石は混在岩(オリストストローム)で、実に面白い。また、よく見ると片岩では?というものも混じっていた。
紅梅が満開であった。紅梅といえばガラスの仮面はどうなるのだろうか。
2023年2月26日日曜日
けっこうギリギリ旅程
今日はもう帰るだけ。朝少し徘徊したあと朝食をとり、ホテルから少し歩いて長崎空港行きリムジンバスに乗車。ほぼ満員。本当にこの連休はどこも人出が多かったようだ。
ラウンジから大村市街を望む。長崎空港はもう10年ぶりくらいではないかと思う。新大阪駅でも駅弁を買うのが精一杯で、思えばちょっとでも遅れたら予定のサンダーバードに乗れない、かなり危なっかしい旅程を組んでいた。コロナ禍で旅が少なくなってカンが鈍ったのかなあ。
ともあれ順調に敦賀駅に到着し、ここからは車で帰宅。
久々に(でもないが)ニャンズと対面して癒やされました。
2023年2月25日土曜日
ド・ロ様
今日は女房も合流して世界遺産「潜伏キリシタン」のバスツアーである。こうれは沖縄の久高島でも思ったことだが、「気軽に入れるわけではない場所に入る」とか「ワンランク上の理解」ためには、自分一人での旅ではやはり限界があるのだよね。
で、最初はいきなり1LDKサイズの小屋みたいなところに行ったら、「これ、もっとセキュリティのしっかりした博物館に展示しなくちゃ」と思えるような貴重なものがずらりと並び、世界遺産登録の時に中心的な活躍をしたであろう人の口から潜伏キリシタンの歴史をそれはそれはわかりやすく教えていただいた。何このツアー、すごいんじゃない?ふと見ると、「町ぐるみ博物館」の看板が。「エコミュゼ」とは「エコミュージアム」、「ある一定の文化圏を構成する地域の人びとの生活と、その自然、文化および社会環境の発展過程を史的に研究し、それらの遺産を現地において保存、育成、展示することによって、当該地域社会の発展に寄与することを目的とする野外博物館」と定義づけられている。
ああ、これって小浜市で本当にやるべきことじゃないのか。
1865年3月17日の正午過ぎ、大浦天主堂を訪れた外海(そとめ)の一団が、自分たちはキリシタンであると信仰を告白した出来事で、世界のキリスト教の歴史においても奇跡と称されている。
そりゃそうだろう。200年以上の長きにわたって、教会も神父も聖書もなくキリシタンであり続けるなど誰が想像できようか。教会どころかこんな岩陰で信教を続けてきたのである。私はキリシタンではないが、それでも人の心の強さ、信じることの強さに圧倒されたのだから、キリシタンにとっては奇跡以外の何者でもなかろう。
そして横を見ればエコミュゼ。高齢者にはちょっとキツイ坂を上らねば枯松神社に行けないので、篠竹(細い真竹かな?)で作った杖が置いてある。小浜に戻ったら、愛宕神社の登り口にこれを作ったらどうかななどと考えていた。
ここからは、ひたすらド・ロ神父に圧倒される時間。明治維新の年(まだキリスト教は解禁されていない)に、おそらく布教のために意気高く世界の端っこの極東にやってきたのだと思うが、あまりに貧しい暮らしを目の当たりにして、社会福祉を強力に推し進めた神父である。貴族の次男で、今の価値にして10億円くらい持ってきたらしいが、それをことごとく地域のために使っている。
漁師町で夫を海難事故で亡くした未亡人が一番生活が苦しいことから、紡績やパスタ・そうめんといった地場産業を創出し、あまつさえそのための工作機械などを自ら設計したりヨーロッパから質の良い機械類を取り寄せたりしたらしい。
宗教に全てを捧げるとそうなるのかもしれないが(私にはそのあたりのメンタリティは理解できないが)、自分のためにではなく他人のためを優先したのだろうなと思うと、さらにそれを真っ先に一番弱い未亡人のためにやったのだと思うと心が震えた。
「弱いものが泣くような世の中はだめだ」と「あなたが喜んでくれて私は嬉しい」の二つが私の行動原則なので(そのことを最近数年ではっきり意識したので)、ものすごく共鳴してしまったのだ。
出津教会堂。これもド・ロ神父の監修。貴族なのに建築も土木も、さらに織布・製麺などなど、何でもできるスーパーマンだったようだ。これも憧れるなあ。私は「ワイズマン」になりたいとずっと思ってきたので。ただの物知りじゃなく、「知恵」のある、世の中で役に立つことをいっぱい知っている人間になりたいとずっと思ってきたので。
それでもおそらく床は高床式にしてあり、日本ならではの湿気に対応して長持ちする建物を建てるなど、ド・ロ神父のマルチぶりがいかんなく発揮されていると思う。
ちなみにここだけは結晶片岩ではなく玄武岩を使って布積みしてある。板状節理をうまく使ったのだろうな。
外海は石積みのまちとしても知られている。この石垣は、下の方は何を使っているのかよくわからないが野面積みで(これは新しい時代のものじゃないかな)、その上は結晶片岩の布積み。布積みの長所は接地面が広いので摩擦が大きくなってしっかりする一方で、せん断面が通ってしまうので、どこかですべると大きな破壊に繋がりうるところだが、ここはよく見ると隅石部分を逆勾配で(つまり受け盤になるように)積んで、すべりにくくしてある。誰の知恵なのだろうか。これもド・ロ様か?
坂のまち・長崎の夜景はきれいだ。
ホテルのすぐ横に大浦天主堂がある。長崎にぽっとやってきていきなり見れば「きれいな建物だな」程度なのだろうが、潜伏キリシタンのことを肌で感じつつ学んでから見ると、「ああ、これがあの外海からやってきた(どれだけ遠いかは実感している)信者が信仰を打ち明けた信徒発見の地なのだという思いがこみ上げてきて、なんだか涙が出そうになってくる。まさしく天地の差があるのだなと改めて学んだ。
どこかの土地に行って、自分が持っている知識やノウハウを伝えて、その土地の仲間達とわいわいと飲み語らうのは本当に充実しているし、人生の喜び以外の何者でもないと思うのだけれど、こういう深く学び考える一日も人生の喜び以外の何者でもないと心から思える。
2023年2月24日金曜日
長崎の濃密な日
博多から長崎へ。せっかくなので長崎新幹線とやらに乗ってみようじゃないか。
朝食は博多駅でかしわうどん。博多ラーメンも好きだが、これも好きだ。長崎駅前は工事真っ盛りであった。北陸新幹線も富山駅あたりはそうであったが、開業に間に合わずに工事が続いていると、わっと訪れた観光客を興ざめさせてしまう。富山はまだ一部工事中くらいだったが、これはちょっとどうかと思う。開業1年前の福井駅より前の段階という気がする。
こういう看板も勇ましいが…やはりこういうのを見て歩くと、開業時には全て(駅舎の一部を除いて)出来上がっていた金沢駅はすごいなあと思う。金沢市の繁栄は、新幹線さえ来れば打ち出の小槌のように儲けがやってくるといったものではなく、開業に照準を合わせてまちづくりができた者が勝つということを教えてくれている。そのことを福井県はしっかり認識できているならばいいのだが。
レストランがあったので、昼食にトルコライスを。とんかつにケチャップとデミソースをかけて、サフランライスとともにいただくという、まあ我が国のあちこちにある「妙なヨーロッパ風の名前のついた洋食」シリーズのひとつだな。福井のボルガライス、佐賀のシシリアンライス、根室のエスカロップなどなど。しかしこのトシになって、まさかライスの上に旗が立っているランチを食うことになろうとは。^o^;
出島の護岸や石積みアーチ橋は安山岩や砂岩・礫岩を使っているらしい。
出島の南側、中華街側には土木遺産である出嶋橋が架かっている。1890年に別のところに架橋されたものを1910年に移設したとのことで、我が区の初期のピン接合プラットトラス橋である。橋脚のない鋼橋はソソルものがありますねえ。
残りの6棟はほぼ全部が古写真展示場。さすがにネタ切れ感はあるものの、ひとかたまりになっている地の利を活かして(おそらく補助金も活用しつつ)、できるだけ自活して保存していこうという地域の人たちの心意気が伝わる場所だった。
7棟のひとつで入館料を支払う。100円である。デジタル軍艦島の1/18である。こればかりは300円くらい取ってもいいんじゃないかと思った。
東山手地区が今後も保存活用していかれることを切に願う。
一番上から、「坂のまち・長崎」を見渡す。このアップダウンの多さは、ウォーキングの運動効果はすごいなあと思うとともに、電動アシストでない限り自転車はあり得ないよなあと思った。そういえば自転車をついぞ見かけなかった。
ちょうど途中に山王神社二の鳥居があった。奇跡的に鳥居の半分だけが立ったまま残ったという。ちなみに倒れた部分は横手に保存されていた。
やっぱり現地に行ってナンボだなあと改めて感じ入った、密度の高い日でありました。
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