2014年9月30日火曜日

キャラバン隊長でした

「つながれボランティアの輪」推進運動キャラバンというものに参加してきた。ボランティア活動への思いをたすきリレーするという企画で、5年目だという。(よくわかっていない^^;)
これは3日に分けて県内17市町を回るのだが、今日は嶺南地方6市町を回るとのことだ。
私は今年、「福井県ボランティアセンター運営委員会委員」というものになっている(よくわかっていない^^;)ので、今日の「キャラバン隊長」を務めることになったのだ。(よくわかっていない^^;)

まあとにかく、午前9時までに敦賀駅まで移動しなければならないので、久々に朝6時半過ぎの電車で敦賀まで行くことにした。本当はもう1本後の電車でもいいのだが、通学生で混んでも嫌なのでたまに早起きすることにした。

午前6時過ぎの大手通りはがらーんとしていて、すれ違う人は少ない。早くから仕事をしている人、ウォーキングやランニングしている人、この時間から活動している人はみなそれなりにしっかりした理由があって活動しているのだなあと、こんな時間に外に出るのが本当に久しぶりなぐーたらおやじは思いながら駅まで自転車をこいだ。
敦賀駅まで移動して、駅前の喫茶店でモーニングを食べながら添削して(おお、久々の早起き活動だ)、9時過ぎから福井県社協のみなさんと一緒に行動。
何をするかというとセレモニーをする。このイベントの主旨メッセージを私が朗読し、各市町代表の「つながり隊長」がボランティア活動への思いを述べ、一つ前の市町の隊長からたすきを引き継ぐ。そしてボランティア活動のマスコットキャラである「ランティー君」のご当地デザイン発表をして、メッセージの書かれた旗を飾って、みんなで記念写真を撮る。よくわからないって?私もよくわからないのだからいいじゃないか。

こんな感じの記念写真ですね。これはスタート地点の敦賀市でのものだ。右端がランティー君。
て、県社協さんの車に同乗して次の市町へ移動する。今日は敦賀市→美浜町→若狭町→小浜市→おおい町→高浜町の6自治体を回る。

美浜町に着いたら、ご当地キャラの「へしこちゃん」がお出迎え。ちょうど隣の消防署を見学に来ていた保育園児に見つかって、臨時ふれあい。子どもたちは楽しそうだった。

最終地点の高浜町でもご土地キャラの「赤ふん坊や」がお出迎え。
まあとにかく、なんだかよくわからないなりに1日かけて隊長を務めてまいりました。きりっ。
でもまあ感じたのは、社協組織、そして福祉系ボランティア活動の層の厚さである。
社協は全国どこでも福祉の中心になっているとともに、福祉を窓口にしてまちづくりにも取り組んでいるし、災害があると災害ボランティアセンターの中心になって動いている。
それは組織をしっかり作ってきたということもあるのだろうけれど、皆さんそれぞれの思いがちゃんとあって、仕事だから、あるいはつきあいだからとにかく「こなす」みたいなことをやっていないということ、つまり意識の高さ・思いの強さが保たれているから、仕事の質が落ちず、社会からの信頼を失わないのだと思う。

小浜市社協にて

2014年9月29日月曜日

多様性ということ

先日、ちょっと思い立って片付け物をしていたのだが、大学時代のいろんな本やノート、写真などが出てきて、完全に片付け計画は頓挫し、さらにはその日の別の予定も先延ばしとなってしまった。まったく片付け物というのは、中身を確認したりしてはいけないと再認識した。

その中に面白いものが出てきた。「地向斜造山論」の講義テキストとノートである。
地球の海洋や大陸、さらに様々な岩石はどのように作られたのか、そのメカニズムとして、私が小さいころは「地向斜」という学説が信じられていた。というか教科書で習った。
それを否定し、今では主流となっている-というか、もはや世間一般には事実として扱われている-のが「プレートテクトニクス」である。
「太平洋プレート」とか「フィリピン海プレート」って聞いたことあるでしょう。地球の地殻は数多くの「板」(プレート)に分かれており、それらはマントル対流に乗って水平に移動している。そしてプレート同士がぶつかり合うと、一方が潜り込んで海溝となる、一方が乗り上げて山脈や弧状列島(日本のような)になるというものだ。

2つのプレートは強く押し付けられているので海洋プレートが大陸プレートを引きずり込むが、ある程度以上プレートが「しなる」と一気に跳ね返り「プレート型地震」を起こす。このとき海底が盛り上がるから津波が起こる。東日本大震災は典型的なプレート地震だ。
さらに2つのプレートがこすれあって膨大な摩擦熱が発生し、岩石が溶けてマグマとなり火山となる。だからプレート衝突部には火山が多い。
このようにプレートテクトニクスは日本列島の形や地形、様々な災害の発生メカニズムまですっきりと説明してくれる。
この学説が誕生したのは1950年代らしいが、広まったのは70年前後あるいは70年代に入ってからだと思う。
私は1973年(中学1年生のとき)にこの学説を知った。あまりのわかりやすさにコーフンし、竹内均氏の本をむさぼるように読み、学校で友達に吹聴したり説明したりした。今思うと、同級生に地殻の断面図を書いてプレートテクトニクスの説明をしている中学校1年生なんてかなりキモチワルイようにも思うし、同級生はさぞ迷惑だったろうと思うが、本人は目をキラキラ輝かせていたことだろう。

ちょうど映画「日本沈没」が上映され、同級生と連れ立って見に行ったら、なんと竹内均氏が出演し、私が書いていたのとほとんど同じような断面図でプレートテクトニクスを説明していた。私が教室で休み時間のたびに話していた内容と同じだったものだから、同級生は「おお、オマエ大したもんじゃないか」という意味で(きっとそうだったと思うのだが)、入れ代わり立ち代わり私の頭をベシベシ叩いた。周りの人たちがびっくりしていたのは言うまでもない。

脱線した。
で、まあそのプレートテクトニクスに出会って地質学(というか本当は地球物理学だと思うけど)の面白さに参ってしまった私は、当然のように地質学を志し、大学は地質学科を選んだ。そのときの本やノートが片付けの最中に出てきたわけである。

さて、私は夢をいっぱい持って大学に入り、最初の新入生歓迎コンパで大学教授にプレートテクトニクスの話をせがんだ。その先生は構造地質学の教授でM先生といった。
同級生がこれを読んでいるとしたら、間違いなく「よりによってなんてバカなことを」と思ったであろう。特に先生の直弟子であったくりろうさんなどは狂気の沙汰と思うであろう。
M先生は反プレート派だったのである。
殴られはしなかったが、たしか「オメーらみてーなヒヨッコがなあ」とクダを巻かれ、酔った頭で「あれ?ずっと信じてたのは間違い?」と混乱した記憶がある。

当時は長年の地向斜理論の牙城を、プレート理論が一気に突き崩しつつある真っ最中で、地質学会は両者の対立が先鋭化していた時期だった。
4年後、新潟大学に入ってみると、なんと指導教官が「新潟大学は反プレートの牙城だかんな」と言うではないか。幸いにして私の専攻は岩石学鉱物学だったから、先生とケンカしたりすることはなかったのだが、おおむね年配の教授陣が反プレート、若手の助教授・講師あたり(当時はそういう呼び方だった)がプレートで、まあそこは大人だから同じ大学でケンカすることはなかったけど、学生の我々はけっこう気を使ったものだった。
一度だけプレート派の急先鋒である他大学の教授が講演に来てプレート理論を説明し、「これが理解できない人はお亡くなりになったほうがいいんじゃないか」と言って、私は「どひゃー」と思い、会場は苦笑失笑が静かに広がったことがあったが、そんな中でも教官の皆さんはそれなりに和気あいあいとやっていた。(ように見えた)
本音が出るのは酒の席(それも一方の側の人しかいない席)で、学生はいずれの側の席にも同席したりするから、両方の立場の人からいろいろ拝聴した。
やっぱり大学教官といえども「アンチキショー」と思っているようで、論理的思考力がかなり酒に吹き飛ばされてしまっているから、「いや、それは学説には関係ないでしょう」と思うような人格攻撃的発言もあった。当時はまだパソコン黎明期に近くインターネットなどあり得なかったが、当時ネットがあったらけっこうバトルになってたんだろうなと思う。学生の中にSNSでバラしちゃう奴がいて、とんでもない藪蛇になるなんてこともあったかもしれない。
ただ、学生はどちらの立場にも巻き込まれることなくやっていた。一方の教官の信じる学説にのっとった研究を科せされる者もいたかもしれないけど、それはまあ「学生のお仕事」として割り切っていたように思う。

こういう学説対立というのはいつの時代にもあったのだろうけれど、やはりネット社会の前後で対立の仕方や人の立ち位置も変わってきているように思う。
たとえば地球温暖化は、ここ10年のうちでクローズアップされ、ここでもCO2(というか温暖化ガス)主因論と、そうではないとする学説が対立している。双方が自説を主張し相手を批判し、ときにはエスカレートして感情的になったりするのはプレートvs地向斜と同じだが、インターネット時代独特の現象も見られるようだ。
インターネット時代では入手できる情報量が膨大だから、自説に都合のいい情報だけを恣意的に集めれば、「これが理解できない人はお亡くなりになったほうがいい」と思えるくらいに完璧でばっちり整合した理論武装ができる。そりゃそうだ。都合の悪い情報は全部ふるい落としているんだから、どこからどうみても自説が正しいとしか思えないだろう。中には温暖化そのものがない、さらには異常気象ですらないと言う人もいるらしいが、もう自分にとって都合のいい情報だけをセレクトするとこうなっちゃうんだろうね。
それがさらにエスカレートすると「陰謀説」なんでのまで出てくる。もうほとんどパラノイアの世界だが、AかBかで中庸というものを許容しないから、反対論者は悪意を持っているに違いないと思うようになるらしく、まあ恐ろしく単純な構図にしてしまうようだ。若い人だけでなく、ネット以前の社会で育ったはずの我々世代にもこういった超シンプル化思考人間がいるのには苦笑を禁じ得ないが、まあそれだけネットの力は大きいということだろう。

あの時代にネットがあったら、もしかすると教官でも学生でも、自説に都合のいい情報だけを恣意的に集めて「ほらこんなに証拠がある」みたいな単純思考に陥り、反対学説側の人間を攻撃したり、陰謀説を唱え始めたりする人が出ていたかもしれない。
しかしそいういうことは幸いにしてなく、全然違う学説を教える先生方に囲まれて、我々は両方勉強した記憶がある。
その後、地質学の世界では1980年代までプレート説の受け入れを拒み、高校地学などの教科書にも地向斜が書いてあったらしい。確認はしていないが。
とすると、高校で習うことと、テレビなんかで学者が解説していることが違うわけで、まあ大半の生徒にはどーでもいいことだったろうけれど、私がそのときに高校生くらいだったら「???」となっていたことだろう。

ノートなどと一緒に出てきた当時の写真を見れば、我々学生のヘアスタイルもファッションも時代を感じさせる。なにせもう30年以上前の話なのだ。M先生はもちろんとっくに退官され、その直弟子だった先生も先年退官された。
ヒヨッコの我々はプレートも反プレートもよくはわからなかったように思うけれど、いろんな学説があるのだということは学んだ(というか経験した)と思う。たとえ真実は一つだとしても、それを直接確かめられない限り、それはどんなに真実らしく見えても学説なのだ。
現代はネット社会の中で、そういった多様性を受け入れる思考が難しくなっているように思う。
膨大な情報から恣意的に自分に都合のいい情報だけを選んで、「ほらみろ、これだけ証拠があるんだ」というのはたやすい。というか楽である。
でもそうすると「正しいもの」と「間違っているもの」に世の中を単純化・極端化して考えてしまいがちだし、下手をするとそれが「正義」と「悪」にさえなってしまいかねない。陰謀説など最も安直な結論でしかないのだが、ネット社会ではそれだけ思考停止してしまいやすいということなのだろう。
そう思うと、もしかしからあの時期に実に大切なことを教えてもらったのかもしれないなと思うのである。

2014年9月28日日曜日

おじさんは思う

いい天気になった日曜日、地区民体育大会。一昨年は雨で中止、昨年は18号台風被災地への配慮から中止だったので、3年ぶりになる。

実はこの地区民大会では、こおじのいる上竹原・関区と我が雲浜一丁目区が交互に優勝していて、なかなかいいライバル関係にある。
今年は高得点競技である綱引きで直接対決を制したのが奏功して、4年ぶり(というか2大会ぶり)に優勝できた。

ひとつだけ強く強く印象に残ったことがある。
「水運び競争」といって、バケツに入った水を湯呑で汲んで、一升瓶に入れていって、どのチームが最初に満タンになるかを競うリレーがあるのだが、ずっとあれは高齢者というか、まあ60歳以上の方々にやっていただく競技だと思っていた。
それに今年出場した。そうか、オレって中年から初老に差し掛かってるんだと痛感した。^^;

終了後、打ち上げ。久々に地区のみんなと楽しく飲んで気持ちよかった。
小学校以前のころから知っている子らが大人になって、自分の人生を作って行っているのを見たり、今度高校を出る子がNPOで付き合っている組織に就職することを知ったりして、おじさんは嬉しかった。
…やっぱり初老なんだな。でも地区の子どもたちの成長を現在進行形で見届けられることって幸せじゃないかなと思う。

2014年9月27日土曜日

懐かしのもやしそば

特に予定のない休日だったので、電車で舞鶴へ行ってきた。まあ気晴らしですね。
ちょうどそろそろ髪を切らないといかんなと思っていたので、まずカットのみ千円という散髪屋に行った。
小浜は田舎なのでフツーの散髪屋さんばかりで市場原理も働いておらず、1カットで4千円くらいするのだが、私は散髪には価値観がないので4千円は到底出す気にはなれず、外に用事があるときに散髪している。
すっきりして少し散歩したりしていたら、もう20年ほど前に仕事で毎日舞鶴に行っていたときいつも昼食を食べていた「みなづる」という中華料理屋さんがまだあって、営業中だった(五条通りのJR手前にある)。ちょうど腹が空いていたので迷わず入店。

当時の記憶そのままのご主人はもう60歳を越えているだろうけれど、あのころとあまり変わっていない気がした。
当時ハマっていた「もやしそば」をオーダー。当時の思い出が一気によみがえる味だった。

さらにウロウロし、合間には添削もして、気が済んだので再び電車で帰路に着いた。
休日のまだ夕方まで時間がある電車はガラガラで、私の乗った2両目は無人君だった。

帰宅してのんびりしていると御嶽山の噴火のニュース。災害というのは本当に思わぬ時にやってくるものだが、まんまと登山シーズンの登山日和の昼食時(頂上で一区切りつけやすい時間)に噴火しなくても…
NHKをずっと見ていたら、ずっこけるような画像が東京方面から送られてきた。

相変わらずのヘンな短パンのおじさんが写っていた。東京はいろんなファッションの人がいるだろうから、捕まらないんだろうな。^^;

2014年9月26日金曜日

心平らかな?

鯖江で会議があるので朝から(といっても9時すぎから)移動開始。
自宅を自転車で出て、15分ほどかけて小浜駅へ。
切符を買って10時前の電車(小浜線)で敦賀へ。
ほとんど誰も乗っていないので、向い合せ席で
足を投げ出してPC仕事。いつものことだけど。
稲刈りが終わった田んぼが広がって、
のんびりゆったりした気分になってくる。
ゆったりとした気分の中で敦賀到着。待ち時間30分ほどで北陸本線の電車に乗り換えて武生へ。
南今庄駅にて。れんげが一面に広がっている。
いよいよのどかな気分になってくるのであった。
武生駅に正午到着。少し歩いて福井鉄道福武線の越前武生駅へ。
いわゆるチンチン電車サイズのかわいい車両。
収容人数の多いシート配置だが乗っているのは数人。
ガトゴトとなんとものどかに走る電車に乗ること15分ほど、水落という無人駅で下りた。
水落駅。のどかな風景である。
ここから、てくてく10分ほど歩いていくと、今日の会議がある鯖江警察署に着く。時間はたっぷりあるので、静かな宅地をのんびり歩く。
少し歩くとナゾの石垣があった。城跡?と思ったが石の
大きさ・形がおかしいしモルタル充填してあるし…??
警察の手前にあった「めん房つるつる」で昼食。落ち着いたいい店である。
越前おろしそばときのこのカキアゲ。
なんとも豊かな気持ちでいただいた。
会議は2時開始、2時50分終了。内容は報告と質疑のみ。小浜から3時間かけて来て会議50分。椅子からずり落ちそうになるが、今日は心平らかなので気にしないのだ。ひくひく。
施設見学などしてから、再びのんびり歩いて駅に戻った。
おばちゃんが2人ベンチでおしゃべりしていた。
ぽかぽか陽気で本当にのどかな風景だった。
ここまではのどかでよかったのだ。ここまでは。

15:30到着予定の電車が来ない。越前武生駅でのJRへの乗り継ぎ時間がなくなるじゃないか。せわしなくバタバタするのはイヤだなあと待っていたのだが、結局15分遅れでようやく電車がやってきた。おいおい、もうギリギリじゃないか。
乗ってみると小学生であふれている。うーむ、これが元凶か?
さらに電車が発車しない。単線なので次の逆方向の電車をやりすごそうとしているのだ。ここでさらに遅れる。
ところが遅れていることのアナウンスも何もない。JRだったら「これこれこういうわけで何分遅れています。申し訳ない」的なアナウンスが当たり前だが、何もない。ワンマン電車なので運転手はしゃべっているどころじゃないんだろうなと思っていたのだが、駅に着いても運転手は普段通りという感じで対応している。
これってもしかして遅れたんじゃなくて、私が時刻を間違えているだけのか?という気がしてくる。でもホームで確認したもんなあ。
結局なんとJR発車時刻3分前に越前武生駅到着。あたふたと改札へ。改札で
「電車おくれましたよね?」
と聞いたら一瞬キョトンとしたあと
「ああ、10分ほど遅れました」
10分じゃねーよ!てか、それが何か?みたいなのは何なんだよ!てか、こちらから聞くまで何のアナウンスもなく何もなかったようにしてんじゃねーよ!
…いかんいかん、今日は心平らかなんだった。気にしない気にしない。ひくひく。
なーんて言ってる場合じゃない。あと3分しかないではないか。
福井鉄道の越前武生駅からJR武生駅まで300mほどを速足で(走る気力はない)急ぐ。
まあ間に合わなくてもしかたがないかなと思っていたのだが、武生駅の改札に着いたまさにそのとき、乗るべき電車がホームに入ってきた。しかも階段を渡って向こう側である。
こうなるとさすがに走らないと間に合わない。てか、走れば間に合う!
数年ぶりに(いや、もっとか?)階段を一段飛ばしで駆け上がり、なんとか間に合った。

ぜいぜいぜい、いやー、参った。まったく何なんだ福井鉄道。
いやいや、今日は心平らかに…気を取り直して添削しつつ帰路に着く。
なんだか疲れたなあ…ぐー…いかん、寝てしまった。もうすぐ敦賀じゃないか。
小浜線に乗り換えて今度こそしっかり添削を…

いかん、また寝てしまった。げげ、もうすぐ小浜じゃないか。何もしてないぞ。
いやー、ホントに参った。いやいや、今日は心平らかに…^^;

2014年9月25日木曜日

今日の日はさようなら

昼過ぎにタウポ小の一行は小浜を離れた。ショートステイであっても別れはやはり涙だ。もう7年ほども前、泣きじゃくりながら敦賀駅で別れたルイのことを思い出した。
10年以上の長きにわたり続いてきた小浜市とオーストラリアもしくはニュージーランドの学校との交流は今年で終わりだという。大変惜しい話だ。

夜、木曜会。異動で福井に帰るY記者の送別会を兼ねる。

来年には結婚も控えているそうで、みんなでお祝い。
別れというのは、どちらかが死んでしまう別れ以外は、「別の道」の「別」だから、その多くは寂しくはあっても前向きなものだ。ケンカ別れでもしていない限り、また会うことがあれば「やあ」と言える。
たくさんの別れとたくさんの出会いがあってこその人生なのだな。

2014年9月24日水曜日

いつか彼の国へ

ニュージーランドから来ているビルとトレーシーを囲んで懇親会。二次会はカラオケを思いっきり歌いました。だって私とビルはBrown Brothersだから。
1枚の写真も撮ってません。ずっと歌って話してたから。
彼らが小浜に来るのは今回が最後で、それはとても悲しいことだけれど、でもたくさんの貴重な出会いと楽しい時間をくれたことに心から感謝をして、何年か先にはぜひニュージーランドを訪問したいと約束した。私が10歳のころ、世界の国々の中で「ここに行きたい」と最初に思った国へ。

2014年9月23日火曜日

ショッピング三昧とか

今日は休日なので、トレーシーと女房と3人で三田のアウトレットモールに行ってきた。

休日なのでにぎわっていた…のだろうと思うが、数年に一度くらいしか行かないので、比較しようがない。
私は基本的にブランドショップに興味がないので、荷物持ちをしつつ待ち時間にタブレットで添削しつつ過ごした。唯一イオンモールでギター用のシールドケーブルとピックとカポを買った。
小浜との間はほとんど高速道路で往復したが、出発から帰宅まで8時間が経過していた。^o^;
帰りにマーケットで惣菜を買い込んで家飲みした。
まあこういう日もまたいいよな。頭が溶けてしまったような気がするけど。

2014年9月22日月曜日

ツラの変遷

まったくもって久しぶりにDVDで映画なんぞ見て、さらに野菜スープとチキンとパスタなんつー、いつもならあり得ない夕食メニューであった。
生活習慣が異なるゲストがいると、こちらの生活習慣も少し変わるものである。

今年もRCCMの更新があるので少し準備していたのだが、古い携帯証が出てきてびっくりした。

一番左が40歳そこそこのころ、2番目が47歳か48歳ごろ、3番目が50歳ごろ、4番目がほぼ今の我がツラである。
いったいアナタの人生に何があったんですかと声をかけてやりたくなってしまった。まあひどいもんだ。
ここ1か月以上髭を手入れしていないもんだから、熱帯雨林みたいになってきた。そのうえ散髪もサボっているので、まあホームレスには見えないまでも、まじめな小市民には見えなくなってきた。小浜のような狭い町ではけっこう目立つようで、時々振り返られてしまう。

顔はもちろん年を取るし、太ったりもするから、それでずいぶん風貌が変わったとは思うけれど、私の場合はそれに劣らず髭とかヘアスタイル、そして服装なども含めて、トータルな印象が大きく変わったんだろうなと思う。あ、身近につきあっている人にとっては行動も含めての印象になるかな。
同じように、顔かたちだけじゃなくトータルとして変貌を遂げている人って、けっこういると思うよ。

2014年9月21日日曜日

南半球より友来る

午前中、小浜小学校で「レッツゴーのちせチャレンジ隊」の「アウトドアクッキング」。
火起こし体験でたき火を作り、焼きバナナと焼きマシュマロを食べるのだが、もう10年以上毎年やっている。3年ほど前からは私個人の講師協力ではなく、警察協助員会の行事にしていて、協助員会としても貴重なふれあい活動になっていると思うし、行事としてもスタッフ人数が増えて子どもたちとのふれあい密度も上がっていると思っている。

火起こし中。いつも子どもたちだけでは無理なので、
大人との協働作業になっている。今年は休日の開催
であったこともあり、保護者がたくさん参加してくれた。
焚火で焼きバナナを作る。バナナにアルミホイルを巻いた
だけのものを熾火に入れて5分ほど。皮手でつかんでみて
フニャフニャになったらできあがり。酸味と甘みがうまい。
焼きマシュマロはバーベキューの定番。ちょっと遠火で
じっくりあぶり、少しだけ色がついたころが食べごろだ。
活動風景。いい天気でよかった。
去年は災害ボランティア活動の合間だったのでバタバタだった記憶があるが、今年は例年になく段取り良く活動が進み、昼前に全部片付けられた。
帰宅して片付け、女房とキッチンラグーでランチして、家の掃除に精を出した。
夕方、ニュージーランドのタウポ小学校一行が到着。ビルもトレーシーも1年ぶり。
トレーシーを我が家に迎え、焼き肉で夕食のあと、あれこれ雑談。前回彼女がステイしたのは2年前だが、その後のいろんなことを話した。南半球に友がいることは嬉しいことだなあ。

2014年9月20日土曜日

便利なグッズとワクワク感

今日は旭座の片付けに行ってきた。3年間あれこれやってきたけど、やっと区切りがついた。誰よりも会長のばたやんにご苦労様でしたと言いたい。本当にご苦労様でした。
移転新築の後がまたあれこれ大変だと思うけど、また一緒にがんばりましょう。

話は変わるが(というか今日の本題だが)、小浜唯一の家電量販店は「100満ボルト」という店だ。福井市に本社がある会社だが、2年前にこの店名に名古屋手羽先の会の面々は爆笑していた。
それはまあどうでもいいが、先日、1日に2回もここに行って買い物をする羽目になった。
1回目はスマホのハンズフリー用Bluetoothヘッドセットを買いに。3,000円程度だった。
2回目は女房と電子レンジとオーブンが一緒になっていて、だけど茶碗蒸しもできる、ヨクワカラナイモノを買いに。その時になんだかイキオイがついて、Bluetoothスピーカーを買った。
ヨクワカラナイ電子レンジオーブン蒸し器はともかくとして、Bluetoothって便利なんだなあと今さらながら思った。

スピーカーは小さいが結構パワフルだし、ヘッドセットはいい音だ。女房はカラオケをすると言っている。血迷ったか?

これまではマウスやキーボードくらいしかつないでいなかったが、電話がかかってくればワンタッチで出られるし、音楽をかければ勝手にスピーカーから音が出るし、実に便利である。
そういえば最近、新聞も本もタブレットで購入して読んでいるし、今さらながらモバイル開眼というところであろうか。

あ、そうそう、100満ボルトでiPhone6なるものの店頭展示をしていたが、ありゃ完全に「どこかで見たAndroidスマホ」でしかないね。
画面をでかくしただの、NFCだのカメラ機能アップだの、Androidがこれまで通ってきた道を遅ればせながらなぞっているだけで、かつてのフロンティア精神はどこに行ったのだろうと思った。日本でしかシェアトップになれないのもうなづける。世界シェアはもう20%もないのだから。
かつては日本メーカーもフロンティアのワクワク感を味あわせてくれたはずだ。代表例はソニーのウォークマンだろう。単一電池パックをベルトにつけなければならなかろうがなんだろうが、「カセットデッキを持ち歩ける」ことの革新性にワクワクしたものだ。
そのソニーも大赤字の一人負け。このまま行くと、愛用しているXperiaもVaioと同じく切り捨てられちゃうんじゃなかろうな。

最近はウェアラブル端末なるものがかまびすしいが、「おおっ」と思うようなワクワク感がないのはなぜだろう。私が年を取ったのか?
これまで「おおっ」と思ったのには何があるかな。
ウォークマンとマッキントッシュの2つは鮮明に覚えているけど、それ以外はぱっと思い浮かばない。
これからまたあのワクワク感を体験できる機会はあるだろうか。

2014年9月19日金曜日

Mull of kintyre

スコットランドの独立はひとまずなくなった。スコットランドの住民投票は(実質的にはどうかは知らないが)ラストチャンスではなかったろうから、今後もスコットランドとイングランドの微妙な関係は続くのだろうが、それが緊張感をもっていい方向に進むのであればいいことだなと思う。
しかし彼らの(スコットランドだけでなく、欧米の人達の)地元に対する愛、誇りはすごいなあと思う。
我々だって故郷を愛しているし誇りにも思っているが、彼らほどのことはできるだろうか。
それは他への無配慮や独善につながる危うさも持っているけれど、自分の人生におけるアイデンティティの基礎にもなり得ると思うので、何となくうらやましくもある。
明後日はニュージーランドからトレーシーが来るから、ニュージーランドの地元愛についても聞いてみようかな。

ところでスコットランドと言えば何だろう。
スコッチウィスキーというあたりが多数派ではなかろうかと思う。
タータンチェック、バグパイプなんてのもある。タータンチェックといえば私なんぞはベイシティローラーズを思い出したりする。おお、明日は土曜日の夜だ。^o^;
ネス湖もスコットランドだ。スコットランドの中でも北部のハイランドにある。

私は実はスコットランドというと思いだすのは「Mull of kintyre」(キンタイア岬)である。ポールマッカートニーが1977年に歌ったスコティッシュワルツの名曲だ。
サビが「もーろきんたーん」と聞こえて、当時高校2年の私はオタオタしてしまったものだ。
この歌のわーっと風景が広がっていく感じが好きで、そして途中からぶわーっと入ってくるバグパイプの音が好きで、さらにそのバグパイプというのは当時興味を持っていた循環呼吸で演奏するのだと知って、まあともかくそのきんたん、もとい、キンタイア岬というものを見てみたいなあと思っていたものである。

ということでネットで探してみると、ありましたありました。便利な世の中になったものだなあ。
このいかにも木の生えていなさそうな風景がイギリスぽいというか、いかにもゴルフ発祥の地だなあという感じで、そういえばこれって根室岬や宗谷岬にも似ている。

まあそれはともかく、広い風景があって、誇りを持てる歴史文化があって、いいところなんだろうなと思う。
うーん、また「キッチンラグー」にボウモア飲みに行きたくなったな。

2014年9月18日木曜日

秋の深まり

午後からオバマージャン。去年もお世話になったところで、1年ぶりだ。

今日は男性の参加が多くて嬉しかった。もともと、こういったふれあいサロンには男性の参加が少ないので、男性参加を促すことを狙いのひとつとして始めた活動(というかゲーム)なので、これはとても嬉しい。
皆さん楽しんでくれたようでなによりだった。

終了後、セットを社協に返したりしてあれこれやったあと、加斗で先日出たキクラゲの榾木の移動作業。…と思って現地到着したらもうたけしとあこちゃんで移動済みだった。
まだまだ数は少ないけど、少しでも前に進めたらいいなと思う。
2人と現場で少しダベっていたら肌寒くなってきた。
なんだか冷えてしまって、久々に熱燗を飲みながらの夕食。
夜、買い物に自転車で出た時は長袖のジャケットを羽織って出たけれど、それでちょうどいいくらい涼しかった。
秋がどんどん深まっていく。

2014年9月17日水曜日

やめられない止まらない

11月に入るとまたセミナーツアーに出るから、あと1か月半ほどの間にこちらのことはある程度片付けておかねばならない。
ということで、あれこれ段取りをしたりしていたら、けっこう疲れてしまった。体よりも精神が疲れるんだね。今日は別に嫌な思いはぜんぜんしなかったけれど、気を遣ったりいろいろしたからね。こんなワタシでも気を遣うんですよ。

こういうときは飯も食わずに酒を飲んでいいかげんなつまみを食ってやさぐれるに限る。^o^;
何かつまみは…と思ってごそごそやったら、私にとっての必殺のつまみ、「いかり豆」が出てきた。昨夜の酒宴でなくなったものと思っていたら残っていた。ありがたや。

おやつとしてもつまみとしても、これがあれば他のものには目もくれない。そして止まらない。1袋全部なくなるまで食べつくしてしまう。
私は塩味でパリポリ食えるものが好きなので、たとえばロミーナとかハッピーターンなども好きなのだが、いかり豆の前では物の数ではない。
近所のマーケットに行くと、ついつい買ってしまう。それもたいてい2袋買う。そうするとたいていの場合、1袋は食べるが1袋は買ったことを忘れてしまい、棚の中に入ったままになる。それを時折思わぬ発見みたいに見つけては宝を掘り当てたようなラッキー感に満たされるので、自分で自分にそういう仕掛けをしているのだ。(たぶん)

つまみやおやつの好みは人それぞれだが、大学時代に一緒のアパートだった同級生の中に、風呂上りに羊羹を1本食べるというやつがいた。私は当時、羊羹はおそらく1センチ以上食べられなかったので、びっくり人間を見るような思いで彼が甘いものをぱくぱく食べるのを見ていたものだ。
幸いなことにSUKIYAKI塾の中には酒席で私に羊羹を進める人はいないので、私はどこに行っても幸福感をもって食べさせていただいている。
もちろん十二分に飲み食いしたあとはもう入らなくなるけど、これまであちこち行って「これは降参!」というものってなかったように思う。
…あれ?ほんとかな?
くさやだって食べたし、ひ~じゃ~だってたくくには負けるけどすごろくさんには勝つ自信がある。何のこっちゃ。ホヤは大好きだし、わけのしんのすだってわらすぼだって平気だし。
まあ正直に白状すると、ピータンは苦手だけど、SUKIYAKI塾でそんなの出たことないもんね。
私が食べられなかったものってあったっけ?もしあったら教えてください。

2014年9月16日火曜日

ナンダカヨクワカラナイ夜

ちょっと相談事というか企み事があって、若狭坊を呼び出したら、もれなくみつこがついてきた。
そして、なにやらともともさんがアヤシイ写真やショートメールを送ってきていることが判明した。うーむ、ともともさん、やっぱりみつこに惚れているか。
私もうっかり11月のSUKIYAKI塾全国大会in北海道の話をしてしまって「行きたーい」と言われてしまった。もし実現したら、知床さんよろしくお願いします。^^;

一次会のあと、なぜか我が家で二次会。「漁師の力水」「立山」といった日本酒、泡盛(どなん含む)、青酎をズラリ並べ、盛大に酒盛りをしてしまった。
結局今日の相談事は伝わったのか伝わらなかったのかよくわからないままに終わった。^o^;

2014年9月15日月曜日

また買ったのかよ

またタブレットを買っちゃった。てへ。
といっても今回は私ではなく女房が使うのに買ったのだけどね。
私はタブレットは7インチが好きなのだが、女房は大き目の画面がいいというので、Xperia z2 tabuletを買った。でかくて軽くて薄い。
ドコモショップでiPad Airと比べたが、Xperiaのほうが画面が少し大きいにもかかわらず薄くて軽い。防水防塵だから風呂で読書したりできるし、さすがソニーで音もいい。

我が家のスマホ・タブレットを並べてみるとこんな感じ。
右からXeria z2 tablet、私のSH-06F、女房が前に使っていたスマホ(5インチ)、今使っているXperia z1 f(4.3インチ)、私のXperia SX(3.7インチくらいかな)。こうしてみるとXperiaとAQUOSだけだね。

スマホだけ並べてみるとこんな感じで、今は5インチ未満のスマホはあまりないから、かなり小さい。特にSXは以前のiPhone4と同じサイズだから、現行機種に比べると特に小さい。「よく字が読めるね」と言われることも多い。まあほとんどが電話とメールで、それもメールの返信はPCですることのほうが多いから、あまり不都合はない。
タブレットはビュアーに近い。新聞(日経電子版)、本(電子ブック)、メール(読むだけ)、添削原稿なんかを読んでいる。
ごくまれに添削の文書入力をしたりもするが、PCでの入力に比べると死ぬほど遅いので、よほどのことがない限りしない。メール返信もできるだけPCでやる。
タブレット&BlueToothキーボードという組み合わせもありだが、それならバイオPをバッグに入れれば対して変わらないので、3つも4つももっているキーボードは全部遊んでいる。

こうしてみると、PCとタブレットとスマホを持ち歩く私は、昔の「パソコンと携帯電話」の時代からあまり変わりばえしていないなと思う。タブレットだけで全部すませてPCなど持ち歩かない(もしくは持っていない)人がいるけど、私にはとても無理だ。まあ私も添削や文書作成なんかがないとき(つまりメールを観たり本を読んだりするだけのとき)はPCなしで出かけることもあるから、趣味オンリーならタブレットだけでも大丈夫かなと思うけど。

2014年9月14日日曜日

腰がぎぎぎと

年寄りの冷や水であった。
…この言い方はおかしいな。いくらなんでも。
年甲斐もなく無理をしすぎたようだ。
2日続けて上根来で収集ネット張り作業。杭をカケヤで打ち込み、斜面をよじ登りつつロープを張り、ネットを結束バンドで取り付けていく。
斜面を覆うアブラギリ。この中で2日間作業した。
けっこうがんばってネットを張った。
さらに今日はアブラギリの実を拾った。予想以上に実が落ちていて、これはもしかしたら大部分がもう落ちてしまっているのではないかと思ったので、殻が腐ってしまうまえにできるだけ拾ってこうと思ったのだ。とりあえず今日は土嚢袋3袋。
畜産団地のコンクリート土間にブルーシートを敷き、ここに種を広げて乾かす。
夕方帰宅し、着替えて自転車で駅まで行き、警察協助員の街頭パト。数km程度をゆっくり歩く。

まあこういうことを2日間続けたのだが、かなり疲れた。特に腰かな。かがむときに「ぎぎぎ」といってるような気がする。
日頃運動していないからなあ。まああえていえば自転車によく乗っているくらいか。
私くらいのトシになるといじましく歩いたり走ったりしている人もいるようだが、私はぐーたらなのでしていない。だから慣れない肉体労働をするとこうなるんだろう。
まあ筋肉痛は、日ごろ動かさない部位を動かした証だと思うことにするか。

2014年9月13日土曜日

体を動かすことはいいことだ

午前中から上根来でアブラギリの収集ネット張り。

昨年張って雪に備えて外していたものの再展張、そして少し新しいネットも設置。10月末くらいにまた東高の子どもたちと一緒に収集かな。楽しみだ。

途中何度か雨が降ったが、アブラギリの葉っぱがよく茂っていてぜんぜん雨があたらない。まあこれが日光を遮って林床の貧弱さにもなるのだけど。
写真にしてみると一面緑の中で体を動かして、すっごく健康的なイメージになるのだけど、現実にはトシを感じつつ、何度もすべったりころんだりしつつ、作業ズボンのケツを泥だらけにしながらの作業でありました。

ところで今年はアブラギリの実が落ちるのが早い。ネット張りが遅きに失したか?と思うくらいによく熟した黒い実が落ちていて、木によってはもうあらかた落ちてしまったかという状態。まあそれならそれで地面に落ちたものを拾えばいいのだけどね。

今日は自然児的な若者3人がゲストハウス宿泊。ありがとう。これからもどんどん利用してほしい。
本当は彼らとたっぷりコミュニケーションを持ちたいのだけれど、おじさん用事があるので泣く泣く山を下り、警察協助員のベストをもって自転車で小浜駅へ。

今日は放生会に合わせた街頭パトロール。昨年は2日目に台風がきて祭りどころじゃなくなったのだが、今年は天候に恵まれた祭りになりそうだ。駅前には山車が出ていた。
ところが今年は人出がぜんぜん少ない。天気はそれほど悪くはない。先週「うまいもんすごろく」があって、イベント疲れしているのかな。
ずいぶん物足りないと言っては叱られるけど、非常に平和な夜回りを終えて自転車で帰宅。屋台でちょっと買ってきたものをつまみに女房とビールなど飲み、なぜか女房のバイオリンに合わせてギターで伴奏し、風呂にゆっくり浸かって気持ちよく就寝。
今日は半日山仕事をして、それから夜回りでたっぷり歩いた。やっぱり体を動かすことはいいことには違いないなあと痛感した。

2014年9月12日金曜日

ちょこんとキクラゲ

M先生から嬉しい知らせ。
アブラギリに植菌したキクラゲがようやく発生したとのこと。


ち、ちっちぇ~!でもようやくの発生。大変嬉しい…のだが、待てよ、木の切断面じゃなく、側面に穴を開けて駒打ちをしたんだが…^^;
アブラギリの皮は堅いらしいので側面からは出にくく、そのかわり何といっても桐だから中はスカスカ、そこに菌が回って切り口から発生したってことか?ということは、一昨年にやったような輪切り挟み込みのほうがいいということかな?

まあともかく、一歩前進である。試行錯誤と学習を繰り返しているという感じですね。
このキノコをきちんと活用したいなあ。

2014年9月11日木曜日

電車かクルマか

小浜は文化的には関西なんだけど行政的には福井県だから、どうしても福井市にあれこれ行かなければならない。
それは嫌ではないのだけれど(ただ冬はやっぱり北陸方面に行くのはあまり気が進まないのは確かだけど)、やっぱり2時間以上かかるのは心理的バリアになる。
たとえば福井市あたりの人は、福井県民は水族館に行きたくなったら越前松島水族館に行くもんだと思っているかもしれないが、神戸の須磨水族館のほうがずっと近い。
飛行機は小松空港に行くと思うかもしれないが、そんなことしているより伊丹空港がずっと近い(小浜から車で2時間ほどだ)。

ところが、舞鶴若狭道が全線開通して福井はぐっと近くなった。1時間ちょっとで福井インターに着いてしまう。1時間近い短縮になった。
福井市には今月と来月1回ずつ行く予定がある。
以前は文句なく電車で行っていた。奮発して特急に乗れば2時間弱だが、鈍行で行くと乗継次第で2時間では行けないことも多い。でも車で行っても2時間近くかかるし、何より電車だとPC仕事をしたり読書をしたりできるのが魅力だった。
ところが車だと1時間ちょっとで着いてしまうということになってくると、電車の優位性が揺らいでくる。

特に今月と来月の2回は、最寄駅から一工夫したりちょっと長く歩いたりしないと行けないところで会議がある。
そうすると、いくら電車内で仕事や読書ができても、会場到達に苦労するのなら、車でさっと直行したほうがいいかなと思ってしまうのだ。特に高速道路開通で時間短縮されると、そちらの魅力に抗しがたくなってきてしまう。

たとえば今月の会議は警察協助員会の会議で、鯖江警察署というところで開かれる。
今の予定では、9時半に自宅を自転車で出て、小浜駅10時前の電車で敦賀駅まで、そこで北陸本線の鈍行に乗り換える。そして武生駅で降りて、福武鉄道という路面電車みたいなのに乗り換えて15分ほどで着く水落という、おそらく無人駅ではないかと思うが、ここで降りる。そこから1km歩くとようやく目的地だ。乗継時間もあるし、昼食時間も取ったりして、結局到着は1時半くらいになる。自宅から4時間ですな。
おそらく自宅から自家用車で行けば1時間半ほど、昼食時間をとっても2時間くらいだろう。

来月は福井県自治会館というところに行く。9月と同じく9時半に自宅を自転車で出て、小浜駅10時前、敦賀駅で乗り換える。今度は福井県までそのまま行って降りるのだが、そこで路線バスに乗って20分ほどで目的地だ。もし天気がよければ福井駅観光案内所のレンタサイクルで行くつもりでいる。これも3時間以上かかるが、クルマなら2時間弱、きっと1時間半くらいだろう。

こうなってくると、さすがに迷う。
もちろんこれは、クルマの「速さ」と電車の「中でいろいろやれること」の、どちらの便利さを取るかというような問題ではなく、なんかエコだのなんだのとかまびすしい社会のくせに、いざ公共交通機関や自転車だけで移動しようとすると、不便さで持ってそれを妨げるかのようなことになるところが癪なので、あえて逆らっているみたいなところがあるのだけどね。

いったいに福井市のような地方都市は、参加者が自家用車で来ることを前提に会議を企画するようで、すでに書いた会議の例などはまだましなほうで、バスが朝夕1本ずつしかなくタクシーだと片道1,000円では行けないようなところを平気で会場にしたりする。
私は福井市では駅前観光案内所レンタサイクルを愛用しているが、福井市の人にそれを言っても「そんなのあったんだ」みたいにまるで関心のない反応が返ってくることがしばしばだ。無料なのにね。
また、バス路線なんかも調べて公共交通機関だけで何とか行けないかとあれこれ算段したりするのだが、「変わってるね」「何でそんなことするの」みたいな反応が返ってくることが多い。
ちょっと悪口を言ってしまえば、そういう街でコンパクトシティなんてどだい無理なんじゃない?とも思ってしまう。
まあとにかく、そういう「クルマ大前提」にけっこう逆らってきたのだが、自家用車移動の利便性がぐっと向上すると、ヨロメイテしまうのですよ。

2014年9月10日水曜日

へしこ危機一髪

観光局のAさんから「去年のへしこが腐ってるみたいだから、一緒に見てくれ」と一斉メールが入った。
2013年3月5日にみんなでへしこを漬けた。へしこ博士ことK先生指導の「究極のへしこ」で、道の駅のへしこハウスに保存して熟成させ、12月の第2回アブラギリシンポジウムで葉寿司にしたのだが、最終的に10本弱樽の底に残っていた。
これをちょっと覗いたら腐敗臭がするというのである。どうもAさん、一人で開けるのはコワイらしい。意外とカワイイのである。
私とAさんのほかにたけし、あこちゃん、へしこ博士、M先生が集合。

おそるおそる開けてみると糠と重石が見える。へしこ糠のいい匂いとともに、確かに腐敗臭というかウ○コの匂いがする。

よく見ると石の表面にショウジョウバエらしき卵がいっぱいあり、さらにウジもわいている。
ひえええと思ったが、これはよくあることらしい。へしこを漬けていると香り酵素が出てくるらしいのだが、これがハエの大好物で、ちょっとした隙間から入ってきて卵を産むらしい。
ウジは香り酵素をせっせと食べ、ウ○コと同じ臭い成分を排出するので、腐敗臭みたいになってしまうらしい。
これは表面だけで、その下は酸素のない乳酸発酵領域なのでウジは入り込めず、表面を取り除いたあとはいい発酵臭だけが残り、肝心のへしこは無事。8本残っていたが、この際全部出してしまって、1本は試食、残りは真空パックして葉寿司開発用に保存した。
…と普通ならここで解散なのだが、「へしこ食べたい」ということになって、例の居酒屋「秀」に「持ち込むから料理してくれ」とかなり無茶なお願いをしてみると、即答で「ええよ」。さすがは秀ちゃん。

へしこ刺身。チーズを挟んだものと大根を挟んだもの。さすがは究極のへしこ、やっぱり美味い。
さらに秀には黒ホッピーが置いてあるので、結局真夜中近くまで飲んでしまった。^o^;
2年物のへしこ、堪能しました。

2014年9月9日火曜日

悲しい事件だ

埼玉県の川越市で、全盲の女子生徒が蹴られて怪我をしたらしい。白杖に誰かが接触して転んだ気配がした直後に膝の裏を強く蹴られたらしい。
こういう事件を耳にすると本当に腹が立つ。
盲導犬を刺した事件もあったし、ベビーカーを押して電車に乗る母親が冷たい態度を取られて外出できなくなってしまうなどの話も本当に情けないと思う。

福島第1原発事故のあと、山梨県で福島から避難してきた家族の子供が保育園で入園拒否されたり、公園で遊ばせないようにという声が上がったりしたということもあった。
あれも本当に嫌な話で、それ以来私は山梨県に足を踏み入れる気も、山梨県産をうたったものを買う気も起きなくなっている。甲州ワインは好きだったので残念なのだが。

弱いものが泣くような世の中はダメだ。
他人、特にお年寄りや小さい子どもといった人達を気遣い、助けたいと思う心は人間として当たり前に備わっている心らしいが、それがいろんなボランティア活動の原動力になっている。
「何かしたい」という気持ちは誰もが持っているのだけれど、それを実行に移す部分に気おくれや気恥ずかしさや多忙などの様々なハードルがあって、「何かしたいとは思うけれど、実行に移せていない」人が非常に多くなっているのだという。大きな災害があったあとに義援金がどっと集まったりするのは、そのハードルがぐっと低くなった状態であるらしい。

まあとにかく、強い者が多くを得て弱い者を顧みないのであれば、それは獣の社会だ。
人間社会であるからこそ、弱い者を虐げるようなニュースは人々を悲しませ憤らせる。
盲導犬を刺した事件では、住民が懸賞金を寄付したいと申し出たらしい。懸賞金は寄付をもとにはできないらしく持ち帰ったとのことだが、憤りが形になったのだろう。
全盲の女子生徒が怪我をしたのが川越で、懸賞金寄付を申し出た人が同じ埼玉県の川口市の人だというのは皮肉な話だが、そもそも盲導犬が刺されたのは埼玉県内なので、「埼玉県、どうなっちゃってるの?」という感じだ。
みんなイライラしているのだろうか。
それって、東京で電車に乗ると時々感じる、あのとげとげしい雰囲気と同じものなのだろうか。
もう少しゆるゆるやったらいいのになあ。

2014年9月8日月曜日

今年の総監試験

今年の総監記述式試験は確かにこれまでと変化したようだ。

平成21年度から25年度まではずっと「想定外」「変更」といったものがテーマだった。
21年度はサプライチェーンをなどの複雑さから起こる想定外の事態をどうしたら最小化できるか。
22年度は周辺環境の長期的な変化による事業へ影響への柔軟な対応。
23年度は稀有な外部要因変化による事業への影響の最小化。
24年度は外部環境や要求事項の変化への、採算性・自組織影響・顧客や社会要求への対応などがバランスした対応。
25年度はメンテナンス性のよいものを作るという新たなニーズへの対応。

これらに共通して対応するために(22年度はちょっと外れるかもしれないが)、「3つのインプット」を整理して最重要管理目標を定め、その非達成リスクの顕在化を防止するという考え方をずっと提唱してきたのだが、これは単独プロジェクトに対するものだった。期間的にもそんなに長くないから、教育などは中長期的視野での教育(スキルアップなど)は最初から除外してシンプルに考えるようにしていた。

しかし今年度の試験問題を読み、出題傾向が単独プロジェクト遂行から中長期的な事業最適化(それも社会的な最適化)にシフトしていて、例年は口頭試験で取り上げられていたようなテーマになってきたなあと感じた。
実は今年のAPEC-semiマンツーマン講座で出した練習問題の6問目がそういった中長期的視野での問題だった。ただし出題テーマは全く異なるもので、私の練習問題は経営者の視点での組織最適化だったが、筆記試験の出題は行政の視点でのインフラ最適化だった。このあたりが来年度以降を考えるうえでのヒントになるのだろうな。
とにかく、来年度からは、上記のような3つのインプットから始まる単独プロジェクト最適化と、社会および組織の最適化を考えた中長期的視野でのマネジメントの2つを取り組まないといけないと思った。うーむ、総監はますます重たい資格になってきたなあ。

2014年9月7日日曜日

読書

暦の上では秋に入った。例年は秋とは名ばかりの残暑にげんなりという時期なのだが、今年はもうはっきり涼しい。最高気温が30度に達しない日が続き、雨ばかりのバカ夏はさっさと退散してしまったようだ。

よく「読書の秋」というが、最近読書をするようになった。7月に買ったタブレット(アクオスパッド)の性能がよくて快適なので、家の中でも外でも常に持ち歩いているうちに、電子書籍を購入する癖がついたのだ。日経新聞も電子版のみ読むようになった。
私はソニーのReaderを持っていることもあって、電子書籍はソニーのReaderストアばかりで買っている。定期購読(自動ダウンロード)しているのは「週刊アスキー」で、あとはPCや電化製品、グッズ関係の月刊雑誌を時々購入。あとは最近浅田次郎をよく買っている。幕末当たりの侍絡みの小説での文章が好きで、またエッセイでもちょっと時代がかった、しかしユーモアのある文章が好きだ。ストーリーよりも文章が好きという感じで、それはたとえば椎名誠とか岸本葉子とか、好きな作家と共通しているところもある。
椎名誠のエッセイも自炊したPDFをどっさり入れてあって、時々頭休めに読んでいる。
風呂の中やベッドなどで長い時間読んでいることもあって、これは今が添削に追われまくっている時期でもセミナーツアーでわっせわっせと移動している時期でもないからだろうと思う。そういう意味では平穏な時期なのだ。
新聞は日経電子版を読んでいる。
これは週刊アスキー。毎週水曜日
に自動ダウンロードされる。つまり
定期購読をしているわけですね。
マンガもダウンロード購入している。
これは「味いちもんめ」。なかなかに
面白く、今は金沢が舞台での展開。
それはともかく、「そういえば、読書週間がいつのまにかなくなったいたなあ」と思い至った。
人の読書量というものが平均的にどのくらいで、読書家というのはどのくらいの本を読んでいるのかは知らないが、わが人生を振り返ってみると、本をよく読んでいる時期とそうでない時期の波が激しいことに気がついた。
まあ読書というものは「趣味は読書」なんていうように、余暇行為だから、時間に余裕がない時期は読書もあまりできないことが多い。私が最近本を読むのも余暇時間があることの証左だろう。

ただ、読書は人の文章力や表現力を鍛えることは間違いないと思うので、忙しくて本を読んでいない時期というのは好ましくない時期なのだろうなと思う。
特に技術者としては、また技術士試験のような論理的に何かを主張したり説明したりする文章を書く試験に挑む受験生としては、論理的な文章を書けることは必須の能力だ。
文章力というかまあつまり国語力なのだが、これが劣る論文・答案は、はっきり見劣りするし、何よりロジックがちゃんと伝わらない。でもそれは長年の読書や文章作成経験の積み重ねだから、試験対策の短い期間でどうなるものでもない。受験指導で一番困るパターンである。
一番多いのは助詞の使い方がおかしい例かな。あと主語がない、あるいは複数ある、さらには文章がねじれているなどがある。
これらは文章だが、ロジックの問題もあって、因果関係がおかしくなっていたり、根拠と結論が別の話になっていたり、こちらはある意味文章がおかしいことより致命的になりやすい。

ではどんな本を読むといいのかというと、これは私もよくわからないのだが、論理的な文章が書けるようになるためには、やはり倫理的な文章を読むといいのだろうなと思う。
複雑な論理などは小説やエッセイなどには不向きだから、学術論文みたいなものになってくるのかもしれないが、今度は正確を期するために読みやすさが多少犠牲になっている。まあつまり斜め読みができないとか、わかりにくいとか、いっそ読んでいて面白くないとかですね。
やっぱりいわゆる論説なのかな。掲示板も役に立つかなあとも思う。
まあとにかく、「わかりやすくて説得力のある文章」が書ける能力って大事だと思う。

2014年9月6日土曜日

たとえ蜂に刺されても

今日はけっこう行事がある。まず朝一番から、環境美化デーの草取り。

1時間半、食文化館周辺の草刈りをするだけなのだが、雑談などもしながら、みんあで汗を流す。
こういう時間もまたいいものだなあと思いつつ、邪魔な竹をぐいっと動かして草を刈り…うわっ、いててて!

なんと竹の隙間に蜂の巣があって、薬指を刺されてしまった。朝から何てことだ。まあスズメバチでなくてよかったが、久々に蜂毒のじくじく痛を思いっきり味わってしまった。
うえーん、痛いよおと泣きつつも、次の予定があるので、エアコンの冷風で指を冷やしつつ車で移動。10時からは災害ボランティア研修会である。

まずは講義を聞く。「ボイランティアとは何か」といった非常に基礎的なところから久々にきちんと聴講し、自分でもちょっと忘れていたことを思い出したりした。

講義後は、災害ボランティアセンター立ち上げ実習。まずは総務というか事務所。Tセンター長、素晴らしい解説で実習を進める。

続いて屋外でボランティア受付実習。見ているとなんだか去年を思い出した。無我夢中の一週間だったなあ。
でも、たとえば広島で同じように災害ボランティアセンターを運営している方たちは、一週間くらいでは到底終わりそうもない中での運営になっているはずだ。それがどれだけ大変なことか、去年の体験がなければ想像できなかったろう。まったく、世の中は「やってみなければわからない」ことばかりである。机上論でわかったような気になることの愚かさを再認識した。やっぱりやってみなければ何事もわからないのである。

終了後、コンビニで昼飯を買って、一路上根来へ。

米袋に満杯の炭が届けられていた。カシを中心とした広葉樹の炭である。マングローブの炭とは比べ物にならない。これが大袋満杯×6袋で1万円ポッキリ。信じられないような値段だが、上根来で炭焼きを再開されたKさんパパの作である。
炭やマキを作り、ゲストハウス宿泊を提供し、アブラギリで桐油や葉寿司を作り、雪室食材を出荷する。、そういった、いろんな人がそれぞれに取り組む様々な小さな産業が集まって上根来という里山を保っていけたら、どんなに素晴らしいだろう。歩みは本当に遅いけれど、少しずつ進んでいる実感が、だんだん持ててきている。
その喜びとともに、無責任に投げ出すことだけはすまいという思いも年々強くなっている。

森林組合が新しい作業道を作り始めていた。この道ができたら、また何かやれるかもしれない。そう思うとワクワクする。
ゲストハウスの営繕でたっぷり汗をかき、ゲストハウスの風呂にざばーっと浸かってむふーんと唸り、着替えてさっぱりして山を下りた。

夜は婚活イベントである。プライバシーにかかわることなので詳細は一切書けないが、おじさんとしてはいろいろと興味深く感動する体験だった。この中から交際をスタートして、ゴールインにいたるカップルが現れますように。
そんな気持ちでいつのまにやらけっこう呑んでいたおじさんは、帰宅後もコーフンさめやらずギターなぞ弾いていると、これも運動会打ち上げの飲み会から帰ってきた女房が部屋に入ってきて、そのまましばらく生ギターカラオケなぞ楽しみつつ夜は更けて行ったのでありました。
蜂に刺されたところも痛みはなくなり(だってギター弾けてるんだもんね)、なんかいろいろあったけど、密度の濃い、楽しい1日だったなあと思うのであります。