先日、ちょっと思い立って片付け物をしていたのだが、大学時代のいろんな本やノート、写真などが出てきて、完全に片付け計画は頓挫し、さらにはその日の別の予定も先延ばしとなってしまった。まったく片付け物というのは、中身を確認したりしてはいけないと再認識した。
その中に面白いものが出てきた。「地向斜造山論」の講義テキストとノートである。
地球の海洋や大陸、さらに様々な岩石はどのように作られたのか、そのメカニズムとして、私が小さいころは「地向斜」という学説が信じられていた。というか教科書で習った。
それを否定し、今では主流となっている-というか、もはや世間一般には事実として扱われている-のが「プレートテクトニクス」である。
「太平洋プレート」とか「フィリピン海プレート」って聞いたことあるでしょう。地球の地殻は数多くの「板」(プレート)に分かれており、それらはマントル対流に乗って水平に移動している。そしてプレート同士がぶつかり合うと、一方が潜り込んで海溝となる、一方が乗り上げて山脈や弧状列島(日本のような)になるというものだ。
2つのプレートは強く押し付けられているので海洋プレートが大陸プレートを引きずり込むが、ある程度以上プレートが「しなる」と一気に跳ね返り「プレート型地震」を起こす。このとき海底が盛り上がるから津波が起こる。東日本大震災は典型的なプレート地震だ。
さらに2つのプレートがこすれあって膨大な摩擦熱が発生し、岩石が溶けてマグマとなり火山となる。だからプレート衝突部には火山が多い。
このようにプレートテクトニクスは日本列島の形や地形、様々な災害の発生メカニズムまですっきりと説明してくれる。
この学説が誕生したのは1950年代らしいが、広まったのは70年前後あるいは70年代に入ってからだと思う。
私は1973年(中学1年生のとき)にこの学説を知った。あまりのわかりやすさにコーフンし、竹内均氏の本をむさぼるように読み、学校で友達に吹聴したり説明したりした。今思うと、同級生に地殻の断面図を書いてプレートテクトニクスの説明をしている中学校1年生なんてかなりキモチワルイようにも思うし、同級生はさぞ迷惑だったろうと思うが、本人は目をキラキラ輝かせていたことだろう。
ちょうど映画「日本沈没」が上映され、同級生と連れ立って見に行ったら、なんと竹内均氏が出演し、私が書いていたのとほとんど同じような断面図でプレートテクトニクスを説明していた。私が教室で休み時間のたびに話していた内容と同じだったものだから、同級生は「おお、オマエ大したもんじゃないか」という意味で(きっとそうだったと思うのだが)、入れ代わり立ち代わり私の頭をベシベシ叩いた。周りの人たちがびっくりしていたのは言うまでもない。
脱線した。
で、まあそのプレートテクトニクスに出会って地質学(というか本当は地球物理学だと思うけど)の面白さに参ってしまった私は、当然のように地質学を志し、大学は地質学科を選んだ。そのときの本やノートが片付けの最中に出てきたわけである。
さて、私は夢をいっぱい持って大学に入り、最初の新入生歓迎コンパで大学教授にプレートテクトニクスの話をせがんだ。その先生は構造地質学の教授でM先生といった。
同級生がこれを読んでいるとしたら、間違いなく「よりによってなんてバカなことを」と思ったであろう。特に先生の直弟子であったくりろうさんなどは狂気の沙汰と思うであろう。
M先生は反プレート派だったのである。
殴られはしなかったが、たしか「オメーらみてーなヒヨッコがなあ」とクダを巻かれ、酔った頭で「あれ?ずっと信じてたのは間違い?」と混乱した記憶がある。
当時は長年の地向斜理論の牙城を、プレート理論が一気に突き崩しつつある真っ最中で、地質学会は両者の対立が先鋭化していた時期だった。
4年後、新潟大学に入ってみると、なんと指導教官が「新潟大学は反プレートの牙城だかんな」と言うではないか。幸いにして私の専攻は岩石学鉱物学だったから、先生とケンカしたりすることはなかったのだが、おおむね年配の教授陣が反プレート、若手の助教授・講師あたり(当時はそういう呼び方だった)がプレートで、まあそこは大人だから同じ大学でケンカすることはなかったけど、学生の我々はけっこう気を使ったものだった。
一度だけプレート派の急先鋒である他大学の教授が講演に来てプレート理論を説明し、「これが理解できない人はお亡くなりになったほうがいいんじゃないか」と言って、私は「どひゃー」と思い、会場は苦笑失笑が静かに広がったことがあったが、そんな中でも教官の皆さんはそれなりに和気あいあいとやっていた。(ように見えた)
本音が出るのは酒の席(それも一方の側の人しかいない席)で、学生はいずれの側の席にも同席したりするから、両方の立場の人からいろいろ拝聴した。
やっぱり大学教官といえども「アンチキショー」と思っているようで、論理的思考力がかなり酒に吹き飛ばされてしまっているから、「いや、それは学説には関係ないでしょう」と思うような人格攻撃的発言もあった。当時はまだパソコン黎明期に近くインターネットなどあり得なかったが、当時ネットがあったらけっこうバトルになってたんだろうなと思う。学生の中にSNSでバラしちゃう奴がいて、とんでもない藪蛇になるなんてこともあったかもしれない。
ただ、学生はどちらの立場にも巻き込まれることなくやっていた。一方の教官の信じる学説にのっとった研究を科せされる者もいたかもしれないけど、それはまあ「学生のお仕事」として割り切っていたように思う。
こういう学説対立というのはいつの時代にもあったのだろうけれど、やはりネット社会の前後で対立の仕方や人の立ち位置も変わってきているように思う。
たとえば地球温暖化は、ここ10年のうちでクローズアップされ、ここでもCO2(というか温暖化ガス)主因論と、そうではないとする学説が対立している。双方が自説を主張し相手を批判し、ときにはエスカレートして感情的になったりするのはプレートvs地向斜と同じだが、インターネット時代独特の現象も見られるようだ。
インターネット時代では入手できる情報量が膨大だから、自説に都合のいい情報だけを恣意的に集めれば、「これが理解できない人はお亡くなりになったほうがいい」と思えるくらいに完璧でばっちり整合した理論武装ができる。そりゃそうだ。都合の悪い情報は全部ふるい落としているんだから、どこからどうみても自説が正しいとしか思えないだろう。中には温暖化そのものがない、さらには異常気象ですらないと言う人もいるらしいが、もう自分にとって都合のいい情報だけをセレクトするとこうなっちゃうんだろうね。
それがさらにエスカレートすると「陰謀説」なんでのまで出てくる。もうほとんどパラノイアの世界だが、AかBかで中庸というものを許容しないから、反対論者は悪意を持っているに違いないと思うようになるらしく、まあ恐ろしく単純な構図にしてしまうようだ。若い人だけでなく、ネット以前の社会で育ったはずの我々世代にもこういった超シンプル化思考人間がいるのには苦笑を禁じ得ないが、まあそれだけネットの力は大きいということだろう。
あの時代にネットがあったら、もしかすると教官でも学生でも、自説に都合のいい情報だけを恣意的に集めて「ほらこんなに証拠がある」みたいな単純思考に陥り、反対学説側の人間を攻撃したり、陰謀説を唱え始めたりする人が出ていたかもしれない。
しかしそいういうことは幸いにしてなく、全然違う学説を教える先生方に囲まれて、我々は両方勉強した記憶がある。
その後、地質学の世界では1980年代までプレート説の受け入れを拒み、高校地学などの教科書にも地向斜が書いてあったらしい。確認はしていないが。
とすると、高校で習うことと、テレビなんかで学者が解説していることが違うわけで、まあ大半の生徒にはどーでもいいことだったろうけれど、私がそのときに高校生くらいだったら「???」となっていたことだろう。
ノートなどと一緒に出てきた当時の写真を見れば、我々学生のヘアスタイルもファッションも時代を感じさせる。なにせもう30年以上前の話なのだ。M先生はもちろんとっくに退官され、その直弟子だった先生も先年退官された。
ヒヨッコの我々はプレートも反プレートもよくはわからなかったように思うけれど、いろんな学説があるのだということは学んだ(というか経験した)と思う。たとえ真実は一つだとしても、それを直接確かめられない限り、それはどんなに真実らしく見えても学説なのだ。
現代はネット社会の中で、そういった多様性を受け入れる思考が難しくなっているように思う。
膨大な情報から恣意的に自分に都合のいい情報だけを選んで、「ほらみろ、これだけ証拠があるんだ」というのはたやすい。というか楽である。
でもそうすると「正しいもの」と「間違っているもの」に世の中を単純化・極端化して考えてしまいがちだし、下手をするとそれが「正義」と「悪」にさえなってしまいかねない。陰謀説など最も安直な結論でしかないのだが、ネット社会ではそれだけ思考停止してしまいやすいということなのだろう。
そう思うと、もしかしからあの時期に実に大切なことを教えてもらったのかもしれないなと思うのである。