「さぞ腹が立っているでしょう」的なメールもあちこちからいただいたのだが、不思議とそれはない。
意見の相違がかなりあるようだし、事実誤認やら誤解(それは私に対してだけでなく)も数多くあるようだが、そういったものがあって困るのは、ビジネスであれプライベートであれ何らかの付き合いがある場合であって、そうでなければ特に実害はない。
自分にとって不都合な何かの隠し事があって、それが暴かれているといったものでもないし。まあ風評被害というものもあるかもしれないけれど。
ただ不幸なことだなとは思う。自分が絡んでいようがどうであろうが、他人を憎んだり妬んだり貶めようとしたりすることは不幸なことには違いない。
そうは思うのだが、ではお前はどうするんだと言われると、何もしないとしか言いようがない。何ら付き合いもなく実害もない人との溝を埋めようとあれこれする時間もパワーもなく、そんな暇があったらやりたいことに時間とパワーを使いたい。だって生産的じゃないもの。
で、まあそういったことはさっさと忘れて(もちろん反省すべき点はしないといかんが)、本来書こうと思っていたことを書く。
先日の同志社大学の学生諸君のワークは大変参考になったのだが、どこかを観光地(というか人が来てくれるところ。昔ながらの物見遊山観光より体験型・着地型・滞在型観光をイメージしている)に育てて行こうとするとき、必要なアイテムみたいなものがあるんだなあと、遅まきながら整理できた。
- 「ぽい」もの
たとえば田舎の里地だったら、宿や休憩所は古民家で、夏なら井戸水で冷やしたトマトとかセミとか、まあとにかく来訪者のイメージ通りのアイテム。「いかにも」というまあ肯定的な捉え方もあるし、下手をすると「ベタベタ」になる。でもまあ、あえてベタベタを並べるのもいいかもしれない。
考えてみれば、たとえば「夏休みの里の古民家」なんていうと、やはり「いかにも」なことをいろいろイメージし、それを期待してくるわけだから、それに沿うということはサービスといえるのだろうな。 - 快適性
とはいえ、今の世の中、みんな快適な暮らしをしているわけだから、たとえば古民家だからといってトイレが昔ながらの臭いくみ取り式&板張り&木製和式であったりすると、これはちょっと辛いということになる。風呂も1日ならドラム缶風呂でいいだろうが、毎日となるとちょっと辛いし、特に女性にはきついかなと思う。
そういったサービスはやっぱり必要なのだけれど、それはそれ自体がお金を生むものではないから、余裕がないとそこに投資できない→快適性が低い→来てくれないという悪循環になりやすい。
でも清潔な暮らしに慣れた現代人には必須のアイテムなのだ。考えてみれば、上根来でゲストハウスをやろうと本気で思ったのか、トイレが水洗式で風呂に新しいシャワーがあったからだ。 - 呼び物
これはどこまで必須なのか疑問もなくはないが、ばくぜんと里地里山ですよというのではなく、「これ」がある里山、というような魅力的な1アイテムがあるとやっぱり強いんだろうなと思う。
それはナントカ仏像みたいなものでもいいだろうし、食べ物でもいいだろうし、「このワインは誰それがこんな歴史の末に…」みたいなストーリーでもいいだろう。また「夜は真っ暗」とか「降るような星が見える」とか「携帯電話も通じない」といったものでもいいかもしれない。とにかく「そこに行かないとない・体験できない」ものだ。
ただ、そういうものに固執しすぎて、「それさえあれば」みたいにやってしまって失敗した例は枚挙にいとまがないだろうし、繰り返しになるが本当に必須なのかちょっと疑問でもある。まして滞在型なんてのを念頭に置くのなら、1アイテムだけで終始するわけもなかろう。
とまあ、非常にぼんやりはしているのだが、そういった整理ができたことは、やっぱり感謝せねばならないなと思う。
私も結構やられるんですよね。
返信削除ブログの非公開コメントで(笑)
実害はないにしても気分は・・・です。
そろそろブログもストップしようかと悩み中(^^ゞ
おやー、若狭坊、そんなに引きずるタイプ?いいじゃん、他に憂さ晴らしができない人に協力したと思えば。がんばって行こう!
返信削除沈黙の応援&賛同者はたくさんいます。
返信削除そんな方々は発信を楽しみにしています。
がんばって発信しつづけて下さい♡
ありがとうございます。
返信削除土曜日楽しみにしています。