2024年2月29日木曜日

回天

今日は移動日である。宿は岡山に取った。
山口湯田温泉から新山口へ、そこから岡山に直行すると、当たり前の話だが午前中に余裕でついてしまう。
こりゃどこかに寄って行かなきゃなということで、選んだのは徳山の回天記念館である。
そう、あの人間魚雷・回天である。

徳山駅から船で大津島へ。船着場から10分か15分くらい歩いて山を少し登ると回天記念館がある。
玄関口に続く石畳の両脇には戦死あるいは殉職した若者たちの名を刻んだプレートが埋め込まれている。

玄関脇には回天のレプリカ。酸素魚雷を改造して人間が操縦できるようにしたものだが、なにせ魚雷の改造型なので、停止も後退もできない。ただひたすら前進して体当たりするのみの兵器である。
館内の写真はない。亡くなっていった若者たちの写真と戦争の中での兵器が生まれ使われていた経緯などが展示されているのだが、一生に一度だけでも来れて良かったと思う。

研修室を覗いたら千羽鶴がたくさん模様をなして飾られていた。こういうところで子供達が平和教育を受けるのは本当にいいことだと思う。

訓練のために回天を整備工場から訓練基地まで運ぶトンネル跡。トロッコレールの跡が残っている。

訓練基地跡。おりしも雨が降り続き冷たい風が吹いてくる中、徐々に普及していくばかりの戦争遺産が物悲しすぎる。
天気が良ければ島内散策をするところなのだが、とにかく風雨が強くまた寒いので、船着場で1時間以上待って、ようやく帰りのフェリーに乗船。
とにかく寒く腹も減ったので、徳山港に着いてすぐにラーメンを食って、再び新幹線こだまで岡山へ。
駅で土産を買うついでに駅弁と酒を買ってホテルへ。コンビニ飯よりは少しはマシな部屋駅弁飲みでありました。

2024年2月28日水曜日

山口へ

朝7時半の電車で出発。さすがに学生だらけである。
敦賀駅からサンダーバード、新大阪駅からさくらで新山口駅へ。ここで降りるのは初めてだ。
午後、企業セミナー。終了後は美味しい居酒屋で懇親会、さらに落ち着いた素敵なバーでボウモアを飲みながら二次会。楽しい時間を過ごさせていただいた。ありがとうございました。

油断したなぁと思ったのは写真を撮ってなかったこと。懇親会場に向かう途中で町風景を少し取っただけで、後になって見直してみると温泉街風景でもなんでもない。^⁠_⁠^;⁠)

2024年2月27日火曜日

再び我が家で一泊

今日はいったん小浜に戻る。最初の予定では金沢から大阪まで移動して一泊し、明日の朝ゆっくり出て山口に向かう予定だったのだが、急遽小浜で会議が入ったため、いったん戻ることにした。
会議は「おばま環境市民推進委員会」といって、小浜市の環境政策について市民の意見を反映させるためのものである。その会長が、これまで衛生工学部門の技術士の人が務めていたのだが、ちょっと健康を損ねられて高齢でもあることからやめたいということになり、環境部門の技術士だからということで私にお鉢が回ってきたわけである。
この手の市民会議ものは、私はいつも NPO として参加していたし、最近は歴史と文化を守る市民の会の会長を務めたりして、エンジニアの側面が全くなかったのだが、今回初めて「学識経験者」などというごつい肩書きをもらって、ケツの当たりがこそばゆいなと思いながら椅子に座っていた。参加者も知り合いが多いわけだが「あいつが?学識経験者?」みたいな顔をしているものも…ねえ。^⁠_⁠^;⁠)
まぁともかく最近はやたらとそういう会長というような役が回ってくるのだが、やっぱりそれは年の功というものなのだろうな。そういう役回りが来るような年になったということだ。だったら年相応で生まれ育ったふるさとに恩返しをせねばなるまい。

また明日しても我が家で一泊したらまた旅が始まるんだなと思って帰宅すると、仕事部屋に伊織と鈴がいて、なんとなくご苦労さんと言ってくれたような気がした。絶対そんなことないのは分かっているけれど。

2024年2月26日月曜日

脱・コンビニ飯

今日は午後から金沢市役所でセミナー。午前中は時間に余裕があるので、ちょっと遅くまで寝ていて、さらにデスクワークをしていたら、もう10時近くなった。

ホテルの窓から外を覗けばいい天気である。ではどこかの喫茶店ででも軽く朝食をを食べて、金沢城方面に歩きに行こうか。

あいにく金沢城はほとんど公開エリアがない状態で、雪吊りが目を楽しませてくれるだけにちょっと残念。

実は能登地震で石垣があちこちで崩れていることが原因らしい。これなどはちょうど隅石のところが崩れていて、熊本地震では逆に隅石だけが崩れずに残ったりしていて、小浜城などもとにかく隅石はしっかりしていて、崩れるとすると野面積みのところだろうなと思っていたので、これはちょっと以外。
聞くところによると明治以降に結構積み直していて、そこで、石積みの技術継承がなされていなかったという話である。そういえばこの崩れている隅石も結構小さな石が使ってあるし、しっかりと算木積みされているわけでもなさそうに思う。

なおもうろうろしていると、改めて電線地中化が進んだまち並みが多いことに驚かされる。新幹線開業を見据えてまちづくりを進めてきた金沢市の取り組みが今のにぎわいを産んでいることを痛感する。新幹線開業時にまだまち並みが整っていないようなところが同じような美味しい思いをしようと思うのはちょっと都合が良すぎる。

午後、金沢市セミナー。
そして終了後、懇親会。7日目にして、ついにコンビニ飯以外の夕食を食べた。コンビニ飯と居酒屋飯とどちらが健康的かなどという議論もあるかもしれないけれど、結構バランスよく食べた気がする。その上深夜までお付き合いいただき、金沢市の皆さんには感謝感謝である。
そして結構酔っ払って帰っても、部屋の洗濯機に一式放り込めば寝ることができるのもまたありがたい。

2024年2月25日日曜日

脅威、コンビニ飯男

今日は高松から金沢へ一気に移動する。というか、山形に行って高松に行って金沢に行くって、順番としてもう少しうまくできなかったかなという気もする。^⁠_⁠^;⁠)

高松駅からマリンライナーで岡山へ。この櫛形ホームはいつもなんだか心が浮き立つ。別に私は鉄ではないのだが。

雨模様の中、瀬戸大橋を渡る。結構音が大きいのをこれ幸いと、車中では口述添削に精を出す。

岡山から新幹線で京都へ、京都からサンダーバードで金沢へ。金沢駅は相変わらず混んでいる。
まだ時間は早いから金沢の街をブラブラしようかと思ったのだが、寒くて天気も良くないので早めにホテルにチェックイン。
そしてそして、なんと6夜連続のコンビニ飯となった。今日は東急ステイに泊まるから、洗濯も部屋でできてしまうのでチェックインしたが最後、部屋から一歩も出なかった。

2024年2月24日土曜日

高松でもコンビニ飯

今日は香川県建設技術センター主催のセミナー。今回の旅は官公庁ばかりだ。

「ことでん]で会場に向かう。瓦町駅は駅ビルに多くのテナントが入って賑わっていて、市電の駅とは思えない規模だった。

今日のセミナーは1日がかりで、昼食はさすがは高松、近くのセルフのうどん屋さんである。
このダシの効いた薄い色のスープが抜群にうまいんだよな。あと半熟ゆで卵の天ぷらがうまい。
セミナー終了後、ホテルに戻り、どうしようかなとかなり迷ったのだけれど、結局またしてもコンビニ飯。
これで5夜連続である。何かの病気にならなければいいが。

2024年2月23日金曜日

色とりどりの城

昨日に続いて今日は移動日。名古屋から新幹線で岡山へ。岡山からマリンライナーで高松へ。

高松に来たらやっぱりこれだろうということでうどん。ただ、本当は製麺所のセルフのうどんがうまいのだけれど。
ホテルまで歩いて行きがてら。高松城址(玉藻公園)に寄っていくことにした。多分10年ぶりくらいじゃないかな。

この城は一方を海に面し、残り3歩を海から海水を引き入れた。堀で囲んでいる日本三大水城の1つである。ちなみにあと2つは今治城と中津城で残念ながら小浜城は入っていない。お堀では黒鯛が釣れることもあるそうだ。

しかし、私が興味深いのは石垣である。野面積みで隅石はしっかり算木積み。それはいいのだが、目を引くのは石材のバリエーションが色々あって、色も色々あるところだ。隅石は花崗岩類(花崗岩盤というより花崗閃緑岩かな)を使ってあることが多いようだが、他に香川県らしい。玄武岩類や変成岩かなと思うものも混じっていて、色とりどりなこともあって、なんとなく寄せ集め感もある。

石材のサイズも面白い。大中小ではなく、大と小だけみたいな感じ。
そしてどの石も丸い。隅石はさすがにノミが入っているが、後は海に近い周辺からある程度円磨された石を集めたのだろうか。

かと思うといきなり切込接的なところもあって、本当に同時期に作ったのかと思うような石垣だった。
ということで、珍しいものを見たなと満足してホテルへ。
今日でとうとう四夜連続のコンビニ飯夕食になった。

2024年2月22日木曜日

今日もコンビニ飯だ

朝起きてホテルの窓から外を眺めると…

いやいや、もうこれは完全に雪景色じゃないですか。どっさり積もっている。

ホテルをチェックアウトして駅まで歩いて行く。昨日薄っすらと雪化粧をしていた公園は雪に埋もれていた。でも、おかげでバスが少し遅れたのか、予定より早いバスで空港に向かうことができた。
山形空港から再びフジドリームエアラインで小牧空港へ。
小牧空港で昼食。きしめんと味噌カツだぎゃあ。知床以来、少し胃袋が大きくなってしまったのか、麺類と丼のセットを食べても平気になってしまった。これはいかん。

栄でバスを降りて、上前津に向かい、アーケード街をウロウロして、納屋橋のいつものビーズホテルにチェックイン。1人居酒屋しに行こうかなと思ったのだが、結局今日もコンビニ飯。これで3日連続だぞ。

2024年2月21日水曜日

寒い日はコンビニ飯

朝起きてホテルの部屋から外を見ると…

あれ?雪がうっすら積もってるんじゃないの?雪も降ってるし。

ホテルから駅に向かう道を歩いていると、公園がうっすらと雪化粧していた。寒いはずだ。
駅からタクシーで山形県庁に向かい、今日は山形県庁でセミナー3連発。一次試験、二次試験、総監試験のフルセットである。
さすがに疲れて、ホテルに向かうタクシーにコンビニで一旦止まってもらって、酒と食い物を買い込んでホテルへ。洗濯をしつつ風呂に入り、まだ夜の6時台だというのに、部屋でコンビニ夕食。実は昨日の夕食も似たようなものだった(お土産を売っているコンビニで買ってきた弁当を食べたから、完全コンビニ飯とは言えないのだが)。
何の気がねなく部屋で好きなだけ食べて飲んで、酔っ払ったらそのままベッドに転がり込めばいいので楽は楽なのだが、せっかく山形に来て玉こんにゃく一つ食べずに終わるというのもなあ。

2024年2月20日火曜日

名古屋から山形へ

小浜線で敦賀へ、そして「しらさぎ」で名古屋へ。北陸新幹線が敦賀まで開業しても、このルートは変わらずも残るので、これからも使うことになるのだろう。そうじゃないと困るのだが。

名古屋駅に着いたらそのままホームの立ち食いきしめんで昼食。

真っ黒な八丁味噌の味噌きしめん。初めて食べてみたけど、やっぱりきしめんは醤油味の方がいいね。

名古屋駅前からバスで小牧空港へ。ここの待合室は空港とは思えないような風景で、結構好きである。

時間が来ると渡り廊下を歩いて飛行機へ。フジドリームエアラインで向かったのは山形空港である。

空港からバスで山形駅へ。とりあえず駅ビルの中で土産を買って送り、外に出たらもう夕闇が迫っていた。結構寒いぞ。

2024年2月19日月曜日

一泊だけ帰宅

昨夜は女満別空港から羽田空港トランジットで伊丹空港に到着したものの、当日中に帰宅することはできず京都に一泊、午前中の電車で小浜に戻ってきた。
…ら、駅前に若狭坊がいる。文化祭保存活用委員会のためにお越しいただいた西村先生を出迎えに来たようで、その電車に私も一緒に乗っていたものだから、「一緒に昼ご飯食べに行きます?」と誘ってくれた。決してうんざりした顔は見せない彼は人格者である。
午後、文化祭保存活用委員会。そのまま飲み会。
結局帰宅したのは夜更けであった。
私は今日我が家に一泊だけして、明日からまた旅に出るのである。自分の家に「一泊」って。

今日は写真ネタがないので、昨日飛行機から撮った写真を載せておく。全面凍った屈斜路湖。

同じく阿寒湖。もう10年ほど前にここで泊まったなあ。

襟裳岬。いつか時間がたっぷりある時に行ってみたいものだ。きっと何もないのだけれど。

2024年2月18日日曜日

14年ぶりの流氷

ホテルで飯を食っていると朝風呂に行った知床さんが「流氷がなくなっている」と言うではないか。

いやいやそれは困る、何のために来たのかわからなくなってしまうではないかと、とりあえずオーロラ号に乗船。

船は港を出たものの、本当に流氷がない。カケラがちらほらと漂っているだけである。

それでもデッキに群がり、流氷のかけらに「おー」などと声を上げる純朴な皆さん。

それでも知床半島の方に少し走ると流氷ゾーンに突入、バリバリと音を立てて流氷を満喫した。

網走の「月」で寿司を満腹になるまでまた食べて、とにかく空腹を覚えることがない知床の旅を終え、女満別空港まで送ってもらって帰路に着いた。

2024年2月17日土曜日

知床満腹旅情

ホテルをチェックアウトし、本町から御堂筋線、北急、モノレールを乗り継いで伊丹空港へ。
伊丹空港から羽田トランジットで向かった先は女満別空港である。
2年前のひこそうに八百比丘尼などで一緒に活動したT山さんが家族一同で参加されたのだが、そこに知床さんも参加していて、流氷を是非見に行きたいという話で盛り上がり、二年越しで実現したのだ。

T山さん家族は夕方に到着するので、とりあえず昼食。しじみラーメンである。

…と思ったら豚丼がテーブルにどーんとやってきた。
私「え、ラーメンも食べるんだけど]
知床さん「いや、ミニですから」
…困った。会話が成立していない(⁠・⁠o⁠・⁠;⁠)
豚丼はやっぱりうまいので、全部食べてしまった。お腹パンパンである。

近くの「メルヘンの丘」。足跡一つない美しい光景ではあるけれど、見ているオヤジ2人が美しくない。

空は快晴というわけではないのだけれど空気は澄んでいて、知床連山が一望できる。右の方に見えているのが羅臼岳だが、そこから知床峠に向かっての嶺々がくっきりと見える。こんなことは滅多にない。またしても知床の奇跡が起こったのだ。
近くに酪農施設があるというので、色々とお土産を買いに行った。車に戻ると、知床さんからどら焼きを渡された。
「え?さっきどんぶりとラーメン食ったよね」
「おやつですから」
彼はいつも知床の食材が美味しすぎて太ってしまうんだと言っているけれど、それは違うと思うぞ。

海が眺められる北浜駅から流氷を見ようと行ったら、大勢の人がいる。ちょうど列車がやってきた。老若男女混合の撮り鉄集団か?

と思ったら、押し合いへし合いしながら列車の中に入って行った。乗り鉄集団だったのか?未だに謎である。

展望台から海を眺めると、流氷のない海水が見えるゾーンがあるではないか。最近の暖かさで流氷が動いてしまったらしい。うーむ、明日は大丈夫だろうか。
やがてT山さんご一家も到着し、網走のホテルにチェックインして、近くのハイカラな(知床さんチョイスとは思えない)イタリアンの店で夕食。

ホテルに戻ると和風ツインにこのような光景が広がっていた。そうだった、今日は知床さんとツインで泊まるんだった。再びモーホーな夜がやってきたのである。

2024年2月16日金曜日

今日も大阪

午前中いっぱいかけて、本町から堂島まで歩いて移動。すぐの距離なのだが、わざとジグザグで歩いたりしつつ添削しながら時間をかけて歩いた。
午後は企業セミナー。富山でもそうだったのだが、出願対策と筆記試験対策をまとめて3〜4時間程度でやるのはなかなかヘビーだ。

終了後、再び本町まで歩いて帰った。今日はカツ丼。
ホテルは東急ステイなので、部屋で洗濯しながら風呂に入って、風呂上がりの酒を飲んでスカッと寝た。

2024年2月15日木曜日

そして大阪へ

今日は移動日。今月は1日おきか2日おきに講義があって、その間に一旦帰宅するのも慌ただしいので移動日を取っている。体よりも気持ちというか脳みそが休まるので、これくらいのペースがいいな。

新大阪駅に到着して、御堂筋線から中央線、堺筋線を乗り継いででんでんタウンへ。天気がちょっと悪いのだが暖かいし、こういうところをぶらぶらしていると気持ちをリフレッシュできる。

心斎橋を経てホテルのある本町まで、車や一通りの多くない道を選んで添削しながら歩いた。いつもながらこうやって添削すると頭がさえる。体を動かすと脳が活性化するのかな。言葉が湧いてくるし、文章にリズムがついているのがわかる。
考えてみたら講義の時もそうだな。椅子に座って話しているとノリが悪いというか、活気がないなと自分でも思う。やっぱり立ち上がってウロウロしながらしゃべるのが一番だ。終わったあと足が棒になっているけれど、講師としての役割を果たせたなという満足感が違う。

本町で夕食。これしかないでしょう自由軒のインディアンカレー。