2016年10月31日月曜日

地元から旅へ

筆記試験発表から週末をはさみ、模擬面接講座への応募が一気にピークを迎えた。とにかく次々とメールが入り、処理能力が追いつかない。
メールを処理して模擬面接時間に割り当て、HPのデータを更新し、その合間にいろんなメール等に対応し、RCCMの添削をやって、NPO関連の相談に乗っていると、頭がぐるぐる回り出す。
こういうときはノマドに限る。自宅にいるとPC環境は整っているので楽は楽なのだが、すぐにストレスから逃げようとしてギターを弾きだしたり掃除を始めたり料理を作り始めたりして、結局はかどらない。喫茶店やファミレスにいれば、まさかギター演奏も掃除も料理もできないから、多少のPC環境の不便さがあっても仕事ははかどる。

今日1日で3箇所の会場のレンタル枠を増やした。
毎年のことなのだが、会議室賃料をケチって最低限のスペックで募集を始め、募集枠を溢れてはあわてて追加枠を作るということを繰り返している。成長しないなあ。

夜、荷造りをした。
試行錯誤を重ねて行き着いたコンパクトなワンショルダーバッグに着替え1着とPCなど最低限のもの、さらにはウルトラダウンや折りたたみ傘など密度の濃い荷物を詰め込んで、身軽にさっそうと旅をするのもいいのだが、宅急便を駆使して「もうひとつの荷物」をたびに同道させるというのもいいものだなあと思うようになってきた。
たとえば2泊3日程度で1箇所に旅するとしよう。着替えなどは宅急便でホテルに送り、旅の終わりに洗濯物と化して自宅に送る。そうすればバッグの中には衣類は不要であるから、もうひとつ小さなバッグでも行動できたりする。これは便利だ。
ということで、今回はジャケット、カッターシャツ、アンダーウェア、洗剤(笑)などを入れた宅急便箱を旅の要所要所で送っていくことにした。その分身軽になるしね。

イベントやらいろんなことでバタバタした10月は、例年そうなのだけれど、猛烈な密度の濃さの中を、あっという間に過ぎていった。
そして旅の11月がやってくる。模擬面接に次ぐ模擬面接だから頭がフル回転で、また全国のSUKIYAKI塾を渡り歩くから密度の濃い毎日を過ごすという点では10月と同じなのだが、あれもこれもといった落ち着きの無さはない。ひたすら技術士の頭で、しかし酒にまみれて1ヶ月を過ごす。
トシとともにきつくなってきているのだけどね。^o^

2016年10月30日日曜日

鯖サミット

土日の2日間開催されるはずであった「鯖サミット」が日曜日だけ開催された。昨日は強風で中止になったのだ。
私は運営にはまったく関わっていないが、その一環として開催された「蹴-1グランプリ」のPAとして手伝いに行ってきた。とにかく地域おこしなのである。高野ブーががんばって開催にこぎ着けたのである。だから裏方として手伝う。年を食った者の務めである。

2年前に買ったPAを使ってMCとBGMの音響を担当。机をひとつあてがってもらえたので、PAしながらレッツノートで次々と入ってくる模擬面接応募の処理とRCCM添削を進めた。

蹴-1グランプリというのが何かぜんぜん知らずに来たけれど、つまりはPK対抗戦である。
午前中が小学生の部、午後が中学生以上の部で、小学生たちはハロウィンということでなかなか楽しい仮装で出場していた。

さばとらななちゃんと高野ブー委員長。今日はいい天気で客足も順調。本当によかったなブー。

食事用テントも満席で鯖づくしの店にも列ができ、盛況である。天気は大きいなあということと、食べ物イベントは間違いないということを実感した。
15時すぎ、蹴-1グランプリも終わって撤収。それなりに役に立てて嬉しかったし、自分の仕事も進んで、充実した1日だった。

2016年10月29日土曜日

ダム

今年発足した「ふくい技術士交流会」の現場見学会として建設中の河内川ダムに行ってきた。隣町である。
平成になってすぐのころ、この付替県道の地質調査でここに日参していた。
今は瀟洒なホテルになった「やまびこ」がまだ木造の旅館だか民宿だかわからなかったころ、ここにボーリング屋さんに泊まってもらって、現場状況を聞きに行ったついでに飲んだりしていた。深夜まで飲むと空き部屋に泊まっていけと言っていただいたりしたこともあった。こんなに素晴らしい自然に囲まれた村がダムに沈むことが悲しくて夜明けに涙したこともあった。
それから数年して、いよいよ工事が(といってもダム本体工ではなく付替道路が)始まり、仕事で「やまびこ」に行ったとき、女将さんが「とりいさぁん、とうとう始まったぁ~」と悲しそうに言っていたのが忘れられない。その女将さんも今は亡い。

建設JV事務所でまずは説明を聴く。プレミアがついているというダムカードをいただいた。なんとも不思議なブームがあるようだが、ここのT所長がそうであるように、全国津々浦々のダムで、やってきたヲタク相手に少しでもダム事業というものを理解してもらおうと涙ぐましい努力をしている技術者がいるのだろうなと思う。

福井県で3番目になるというダム本堤はコンクリート打設が続いていた。こういうスケールのでっかい土木工事を見ると、やはり血湧き肉躍る。

半径80m超のタワークレーンが河内のそらにそびえ立つ。その背景、山の植生の色が途中で変わっているのがおわかりだろうか。下の方は薄い色であまり高い木がない。これはサーチャージ水位より下で、20年ほど前に一度伐採されている範囲だ。そしてそこに生えてきたのは大部分がアブラギリで、今ちょうど葉っぱが黄色くなりかけているので黄緑色に見えたりするのだ。

このダムの計画は昭和50年代に持ち上がったのだという。「やまびこ」の女将さんが嫁に来たころにはもうその話があったのだけれど、私が仕事で日参していたころに娘さんが結婚し、その時点ではまだ調査設計段階だった。福井県の事務所も「建設準備事務所」だった。
それから5~6年たったころか、涙の閉村式があって「やまびこ」も移転して鉄筋コンクリート造のピンクのビルになり、それでもずっと付替県道さえ中途半端に部分開通状態が続き、ダム湖畔のホテルになるはずだった「やまびこ」も山の中にぽつんと建つホテルであり続けた。
そして女将さんはとうとうダムどころか本堤コンクリートの一部すら見ることなく逝き、これまでの帳尻を合わせようとするかのように急ピッチで工事は進んでいる。
そうなった理由はいろいろあるし、それが人間社会でもあるのだけれど、日に日に高くなっていくダム本堤を女将さんは空から見ているのかなあと思った。

2016年10月28日金曜日

11月の旅を思う

昨日はしがら組みや木曜会と重なってしまって、口頭試験対応はほぼスルーしていた。
例年悲喜こもごもの中での合格発表なのだが、今年は「この人はぜひ!」という人があまり合格しておらず、ちょっと寂しい日になってしまった。
それでも口頭試験の模擬面接にはどんどん募集が入り、早い時期の東京の枠などはもう残り少なくなってしまった。
ああ今年もあの濃密な時間を過ごすのだなあと、楽しみでもあり、げんなりもする。

短い時間の中でほとんど初見の小論文を中心に模擬面接をするのだが、やはり的確な(痛いところをぐさりと突く)質問をしなければならない。だけどそのあと、それではどのようにまとめ、説明したらいいかを一緒に考え、できれば最後は自信を持って帰ってもらわねばならない。受講生を凹ませるだけの模擬面接は絶対にしない。それがこの活動を始めてからずっと変わらない方針だ。
だけどそれを実行しようとすると、頭はいつもフル回転になる。少しの時間なら大丈夫だが、トシとともに持続時間が短くなっていく。頭の中のハードディスクがぎいぎい音を立てて止まりそうになるときがある。
だから模擬面接スケジュールを全部終えて会議室を出ると、もうタマシイが半分くらい抜けているような気分になる。
SUKIYAKI塾セミナーのときはそのまま懇親会に突入するからリフレッシュできるのだが、一人でやっているときはツラい。
あるときは居酒屋に入り、あるときはコンビニおでんとワンカップで不健康きわまりない深夜の一人宴会をし、あるときは深夜の大浴場で半分沈んでいた。
ぼーっとした頭でホテルに戻るときの光景が、どうにかすると体中の穴からエクトプラズムが抜けていきそうな虚脱感の記憶と重なっている。
巣鴨駅前の夜景、神田の雑踏、人通りが少なくなった栄の歩道、夜の新大阪駅、屋台の並ぶ天神…そういった光景を一人で眺め、11月の夜気にぶるりと体を震わせて、とぼとぼとホテルに帰っていく私の背中が見えるようだ。^^;

昨日のしがら組みの足場撤去後写真を先生が送ってくれた。今は青竹が目立つが、ほんの半年もするといい具合に侘びてきて、何十年も前からそこにあるかのような、里山の一部として馴染んでくるはずだ。


2016年10月27日木曜日

しがら組は小浜を飛び出した

今日は筆記試験発表である。早朝からがんがんメール。なんとかできるだけ返信したいのだが、今日は朝から忙しい。今日は「しがら組み」実習の日でもあるのだ。
例年、若狭東高校の実習授業の中で製作している伝統工法しがら組み、今年は上根来ではなく隣町である若狭町の熊川での実施となった。
熊川は鯖街道の宿場町「熊川宿」として栄え、宿場町の町並みをよく残しているとして、重伝建に指定されたまちで、年間40万人が訪れているとのことである。
地元には保存会があり、行政や周辺企業も積極的にバックアップしている。私も文化財総合把握事業以来、多くの人と関わっている。

現場は鹿食害で下草がなくなり、土砂流出が続く竹林伐採跡斜面。設置箇所がブロック積擁壁の天端になるので、地元の業者さんが高校生のために足場を組んでくださった。なんたる厚遇。

杭は、過年度にすでに打ってあり、竹も切っていただいていた。なんたる厚遇。10人の高校生と一緒に竹を編み込んでいく。予想以上に時間がかかったが、例年以上にいいしがら組みができたと思う。

終了後、地元の方々と記念撮影。高校生の中に、町内で一緒に祭りをやっている子と、会社の元部下の子がいた。何とも感慨深いものである。

この場所は、熊川宿の玄関口として駐車場があるところなので、鉄やコンクリートの土留め壁は避けたいとの地元以降でしがら組みの設置依頼があったものだ。そのニーズには応えられたのではないかなと思う。

予想以上にしがら組みに時間がかかったので、急いで帰宅。今日の夜は木曜会で、持ち寄りパーティーなのだ。筆記試験結果報告メールへの返信や口頭試験応募対応をしつつ、卵10個を使って、がんばってフーチャンプルーをどっさり作った。

今日の木曜会は、はまかぜプラザで。持ち寄り食材は、丹後寿司(鯖の押し寿司)、焼き肉、山形と仙台の芋煮、フーチャンプルー、マーケットで買ってきた揚げ物類。

宮城県名取市出身のアイザワちゃんが作ってくれた芋煮。右が山形風で醤油味、左のでっかいほうが仙台風で味噌味。どちらも最高に美味い。「今度仙台に行くけど、これはどこで食えるのであるか」と聞いたら、国分町あたりではちょっと無理で、ブンヨコあたりじゃないかと言われた。

  • どうやら今度の仙台では、一人でディープなチャレンジを敢行することになりそうである。

2016年10月26日水曜日

はるか銀を想う

昼間はシャツ1枚で歩いている人がいるほどの好天だったが、夕方からは雨で、おいおいと思うほど激しく降った。
いつものように、あれやこれやとバタバタした1日だったが、夜、雨上がりの夜空(幸いなことに車は壊れなかった。けっこうポンコツだが、まだまだイカレちまわない)を眺めながら買い物に出かけたが、涼しすぎるくらい涼しくて気持ちよかった。

でもaoさん情報によれば、石垣島はきのうは30度超えだったらしい。今日はおじこさん夫妻が「銀」で楽しんでいるはずだ。
そういえば那覇ではNHさんの歓迎会をやっているというウワサも耳にした。
秋が深まり、日に日に上着が分厚くなっていくと、沖縄がどんどん羨ましくなってくる。

そして明日はいよいよ筆記発表だ。例年、朝からいっぱいメールをいただく。例年、それらの対応で忙殺されるのだが、申し訳ないことに明日はしがら組実習で朝から外に出る。そして夕方帰宅したらすぐにあれこれ準備をして、夜は木曜会である。すいませんが、明日はあまり対応できません。その分明後日対応しますから許してね。

2016年10月25日火曜日

今日もうろちょろと

電車で敦賀へ。お付き合い、というか動員がかかったイベントに主席するためである。
正直、くだらないと思う。でも行く。お付き合いだからだ。そのことには、まるで意味がないわけではないと、この年になってようやく納得できるようになってきた。
もちろん、ちょっとでも何か用事が別にあったら行かない。でもちょうどそういうものがない日だったので、電車の中や喫茶店などでPC仕事もできるから、ある意味ちょうどよかった。

おかげで、口頭試験セミナーテキストの仕事がはかどった。
電車や喫茶店などの「他にすることがない空間」は、いよいよもって仕事がはかどる場になってきているのだ。特に、電車でほんの1時間の距離であっても、「プチ非日常」で気分もリフレッシュできる。これで電源が確保できれば本当に言うことなしなのだが。

筆記試験合格発表まで2日となった。明後日は朝から忙しくなることはわかっている。でもこんな日に限って朝からしがら組みの実習、夜は木曜会である。
でもまあ、なるようになるでしょ。

2016年10月24日月曜日

日本遺産、はじまるよ~

BS-TBSで「日本遺産」という番組が始まるのだが、その第1回放送のしょっぱなに鯖街道が紹介される。

あまたある日本遺産の先陣を切って、というのも、鯖街道の魅力ももちろんながら、若狭坊の長年の努力の表れなのだろうな。やはり彼は大した男なのである。シラフでいる間は。
夕方、助太郎のトイレ玄関に「お手洗い」プレートだけ付けてきた。あとは開館日・時間の案内などの説明も作らないといけないな。27日に東高校のアブラギリ実習でまた行くから、何とかそれまでに作っておきたいなあ。

夜、「うちとみ冬の市」(漁師鍋)の会議。一発イベントではない、先につながるイベントというものをこれまでにないほど強く考えている。これも何とかがんばりたい。

2016年10月23日日曜日

今日が始まり

上根来の休憩所「助太郎」がオープンした。

入り口や縁側の戸も新しくなり、ベンチも据えられた。

「助太郎」はこの家の大家さんの屋号である。K介作のレーザー刻印看板がいいね。

朝一番に百里会の皆さんが集合し、鯖街道沿いにベンチや看板を設置。私たち数人は残って助太郎の会場設営など。

展示内容その1。文化庁の補助金なので展示は必須。若狭坊が頑張ってくれて、シンプルだけれど歴史も今の活動も学べ、かつ山歩きマップ等も手に入れられる、無駄のない内容になっている。

鯖街道の紹介資料。私も急遽自宅からモニターとPCを持参し、若狭坊にもらったドローン空撮動画を再生したが、気づかなかった人のほうが多かったようだ。^^;

11時、区長さんの挨拶で開演。といっても、挨拶と乾杯だけで、あとは食事と歓談のみ。

上根来では祝いの席に必ず出ていたというぼたもちとぬた。ぼたもちは甘すぎず柔らかく実に美味かったし、ぬたも辛子がびしっと効いていて最高だった。

そして焼き鯖。 小浜らしい、山里らしい、上根来に暮らした地域の人たちの息づかいが感じられそうなメニューだった。

百里会の皆さん、上根来や遠敷谷のいろんな方々、 そしてもちろん大家さん、多くの人が歓談して時間を過ごした。

宴が終わり、みんな引き上げたあとの助太郎。上根来での活動を始めて5年、ここまで来たなあと思い、しかし一瞬後には、これを活かして維持していかなければ何の意味もない、消えゆく前の一瞬の輝きだったなあと後に思われてしまう、「いい夢見させてもらったよ」になってしまう、そんなことになってはいけない、これからが大事だと身震いした。
そう、今日が始まりなのだ。

2016年10月22日土曜日

いろいろ蘇る日々

一昨日の地下水の話の続き、軟水(雲城水)と硬水(エビアンとコントレックス)の味比べイベントが食文化館であり、顔を出してきた。

京大の先生の講義の後、昆布と鰹節で出汁を取ってみたが、硬水は昆布を入れて沸騰させていくと泡ぶくぶくで驚き、出汁が濁っていてびっくり。へえ、味わうまでもなく一目瞭然なんだなあ。
ご飯を炊けば色がついて味付けご飯みたいになるし。面白いもんだ、
ところで硬度の話を聞いているうちに、そういえば私の応用理学部門の技術士経験論文は地下水だったなあと思い出した。
 (水みちエリア) 硝酸性窒素は通常の値、pHは6~7、硬度は低い
 (水みちでないエリア) 硝酸性窒素が以上に低い、pHは8くらい、硬度は高い
つまり水みちでないエリアは、周囲の地山から浸出したミネラル濃度が高く、また地下水があまり流れないので酸素が不足して窒素が硝酸還元反応を起こして硝酸性窒素が少なくなりアンモニア態窒素が多くなるので、pHも高くなるわけですね。
ということで、硝酸性窒素やpHや硬度で水みちと水みち以外がゾーニングでき、施工に伴う濁りが希釈されたり拡散されたりする程度が変わってくるから、地下水汚濁がある程度予測できるという話だった。
うーん、懐かしいなあ。昨日といい今日といい、なんだか懐かしい記憶が呼び起こされることが多いなあ。

のんびり歩いて帰宅する途中の公園でタブレット添削。こういうのんびりした時間の中での添削もまたいいものだ。

2016年10月21日金曜日

蘇る馬鹿な時代

今日は福井県立大学永平寺キャンパスで1年生の「フィールド演習」の講義である。フィールド演習というくらいだから屋外で何かやるのかと思ったら、それも含んだ演習なのだけれど、そのうち外部講師の講演を聴くというカリキュラム部分らしい。
講義は9時からなので、8時半に大学で担当の大泉先生と待ち合わせ。って、永平寺キャンパスって福井北ICの近くだから。小浜から100km以上あるから。
ということで、朝7時前に出発。テリオス君で高速道路を走るのは辛いので、女房のアクアを借りてびゅんびゅん走り、途中時間が余りそうだったのでPAで添削して調整し、約束時間ジャストに大学に入った。

1年生といったら18歳か19歳。下の娘が25歳だから、それより6つも下だ。ひええ。
大学の授業だから1コマ90分。技術士としての講演なので、技術士制度の話から始まってSUKIYAKI塾、NPOと果てしなく脱線して、まあとにかく仕事とプライベートだけじゃなく広がりのある人生を送ると楽しいよ的な話に強引に持って行った。^o^;
これから大学生活を送ったり就職したりしていく子どもたちへの話だと思ったので、そういったことへのメッセージも多く話したが、そういったことを口にしているうちに、大学時代のメンタルが蘇ってくるから人間というものは面白い。
大学1年生(1979年のことである)の10月、つまり後期。自分は何をしていただろう。大学生活の中で、一番授業に身が入っていなかった時期なのは間違いない。なにせ一般教養の大部分が「未修」になったのだから。今思うとよく4年で卒業できたものだ。
確か10月に大学祭があったんじゃなかったっけ。軽音楽サークルにいたので、そこで開催したダンパクラブでウェイターやったり演奏したりして、寝不足で飲んだくれて徹マンやって、終わった後24時間以上寝たようなお馬鹿な記憶がある。他にも馬鹿な所行は数知れず、一番馬鹿な時期だったような気がする。どこまでが常識的でどこまでが許される馬鹿で…みたいな境界が、どうも私はかなり馬鹿側にズレているような気がいつもしているのだけれど、もしかするとあの頃に馬鹿の基礎を作ったのかもしれない。
それに比べれば今日の学生諸君は、ずっとずっと真面目な子が多かったな。子どもから大人へ、という精神の成長が一番大きな時期だと思うから、のびのび育ってほしい。

終了後、すぐに敦賀へ。早めの昼飯を「はやし」で食って腹一杯になり、出席すべきイベント会場へ行って喫茶店でコーヒーを飲みながら添削をしている途中でふと日程確認したら、なんてことだイベントは25日だった。どこかで今日だと勘違いして頭にすり込んでしまったようだ。
ということで、時間をおおいに無駄にして、小浜にすごすごと帰って行った私でありました。
…やっぱりいまだに馬鹿だな。

2016年10月20日木曜日

一歩一歩

AM、佐賀県の「レインボー七つの島連絡会議」の皆さんを上根来と若狭東高校にご案内。
上根来の助太郎(休憩所)は最後の仕上げに入っていた。日曜日が楽しみだ。
皆さんをお送りして、その足で「地球環境を考える自治体サミット」へ。

福井県立大学の田原先生の基調講演を聴くことができた。その後、松崎小浜市長が小浜市の取り組みを、若狭高校の小坂先生がアマモマーメイドの取り組みをそれぞれ紹介し、最後に私が上根来としがら組みの取り組みを紹介してオチを作った。^^;

終了後、懇親会。いろんな自治体の方々の相互懇談の場だが、田原先生・小坂先生と私は講演・発表者ということでご相伴にあずかった。
酔い醒ましに歩いて帰宅することにし、途中モスバーガーでコーヒーを飲みながらタブレット添削。なぜか小浜にいるときは酔いが浅い。無意識のうちにあまり飲まないようにしてるんだろうな。

今日改めて思ったのだが、アマモマーメイドプロジェクトなんかはもうずいぶん長い間取り組んでいるから、成果も分厚いものになっている。上根来はまだ日が浅いけれど、マンネリに陥らず一歩一歩やっていかないといけないな。

2016年10月19日水曜日

友あり、唐津より来たる

佐賀県からはるばるNPO法人「レインボー七つの島連絡会議」の皆さんが小浜まで来てくださった。アブラギリの視察とのことで、何ら成果を出せていない活動に面映ゆい限りだが、ともかくお越しいただけることはありがたい。

小浜駅までお迎えに行ったのだが、見ると駅舎の中に売店が復活しているではないか。

「つみきハウス」という社会福祉法人が経営してくれている。ありがたい。ぜひがんばってください。これからせっせとここで買おう。

6時前にレインボー七つの島連絡会議の皆さん到着。チェックイン後、すぐに「秀」へ。楽しい時間を過ごさせていただいた。
こういった刺激はやはりたびたびもらわないといけないな。
佐賀県といえば佐賀市以外に行ったことがない私だが、今度はぜひ唐津のほうにも足を運びたいなあ。

2016年10月18日火曜日

セイタカ

秋真っ盛り、田んぼの刈り取りも終わり、スズメが飛び回っている。

出てを見れば尾花が盛りだが、それ以上にセイタカアワダチソウが幅をきかせている。
考えてみれば、セイタカの勢力拡大が話題になってからもう10年か15年以上になるだろう。でもたかだか10年や15年でこれだけ勢力拡大したのはオソロシイことだ。
以前、上中町(当時)の河内ダム予定地の奥で道路脇に1株だけセイタカが咲いているのを見て、こんなところにまでと驚き、ああこれでもう数年後にはこのあたり真っ黄色だなあと思ったものである。
黄色い三角の花が乱れ咲く様子は見苦しいものでは決してないし、なんの知識も持たずに見れば鮮やかな黄色に彩られた土手はきれいですらある。
孟宗竹だって外来種なんだから、まあいいかと思わなくもない。
ただ、こういう光景を見ていると、「がんばれススキ」と思ってしまう。ススキはやはり月見の必須アイテムだし、火起こしでも活躍するしね。セイタカが何かに使えるといいのだけれど。

夜、ボランティアセンターの連絡会。出席前にちょっと海岸に行ってみた。波静かな小浜湾に面して数件だけどホテルが並ぶ海岸夜景は、きらびやかではないけれど悪くない。

2016年10月17日月曜日

再び炭焼き

懸案だった上根来での炭焼きがいつの間にやら進んでいた。週末がいい天気だったので、栄太郎師匠が炭焼きを開始していたのだ。

もう着火には成功しており、窯の口はほぼふさいであり、炭焼きはすでに本番に進んでいた。

失敗した前回とは違い、順調に煙も上がっていた。これから数日おいて、煙の色が青く変わってから完全に土で入り口と煙突を塞ぐのだそうだ。
炭焼き序盤部分を体験できなかったのは残念ではあるが、曲がりなりにも前回ある程度体験しているので、完全に遮断する部分をぜひまた体験させていただくことにする。ただし私は地球環境サミットと県立大での講演連チャンと重なるので、参加できそうにもない。ToT


まあ実際にこれから引き継いで言ってくれるべき人材が体験すればいいことなんだけどね。頼んだよ、たけし。

2016年10月16日日曜日

リニューアルまちなか夢通り

曇りのち雨の予報だったが、予想に反して快晴の朝であった。
第10回の「やさしさいっぱい!まちなか夢通り」。10年目にしてはまかぜ通りではなくまちの駅で開催。

オープニングは定番の聖ルカ幼稚園。第1回は幼稚園バスをカブトムシにデコレーションしたものであった。

フリーマーケット(バザーと言ったほうがいいのかもしれない)はやはり人気。

まちの駅の広場はちょっと狭いかなあと思っていたのだが、やってみるとちょうどいいにぎわい密度になって、いい雰囲気だ。

食べ物を出す団体も増えて、来訪者が昼食を食べるにも不足のない感じになった。

これも定番の小浜第二中学校ブラスバンド。さらにこのあとよさこいでフィナーレ。
はじめての会場変更であれこれ段取り状の反省点もあるし、狭い会場であればこそできそうな新しいアイデアもあるが、とにかくリニューアル第1回は順調に終わった。
このイベントの原点は、赤い羽根共同募金の活動でもあるということ、あくまでまちなかのにぎわいの一助になることを考えているということ、そして数多くの目的型ボランティア団体が連携したり出会ったりする場であるということだ。これだけはイベントの形態がどう変わろうが忘れてはなるまい。見た目が同じだけど理念・魂が抜けてしまったイベントよりも、形がどう変わろうと根幹の部分は微動だにしないイベントにしたいものだ。

2016年10月15日土曜日

日本晴の土曜日

これ以上ないほどの秋晴れ。明日のまちなか夢どおりを今日やっておけばよかったと思うほどだ。ああもったいない。

まちなか夢通り会場となるまちの駅も、明るい陽光に包まれてぽかぽかと温かい。

帰宅後、あまりの暖かさに散歩したくなって浜へ。同じようなことを考える人は多いと見えて、海岸は散歩する人や釣りをする親子などでけっこうにぎやかだった。

傾きかけた太陽はなお海をぎらぎらと照らし、元気いっぱいである。こんな日に海岸でぼーっとしていたいものだ。
帰宅して、こんないい天気にもったいないと思いつつも部屋にこもってパワポ作り。県立大学のほうはようやくできたのだが、小浜市のほう、20日の地球環境を考える自治体サミット(返す返すも大仰な名前だなあ)のパワポ作りがまだ終わっていないのだ。

日本遺産の関係で上根来にドローンを飛ばしたということを聞いて、若狭坊から動画をもらってきてあったのだが、ここから少し切り出してパワポに貼り付けた。山の中、いや山奥の小集落らしいいい動画だった。これはそこから切り出した静止画。いいアングルでしょう。

作業に倦んだので再び外へ。おおむねパワポができたのだが、小浜市の場合は持ち時間10分なのでかなり絞り込まねばならない。いつも口の中でぶつぶつシミュレーションしてパワポの中身をシェイプアップしていくのだが、今日は海岸通を散歩しながらにした。海岸はちょうど西向きなので、夕日がきれいなのだ。
何もない海の真っ只中に落ちていく夕日もきれいだけど、半島がシルエットで浮かび上がるリアス式海岸ならではの日没もきれいでしょう。

だいたい中身が固まったなと思う頃、日はもう落ちていた。
夜、内外海公民館で会議。イベント内容がずいぶん煮詰まってきた。こちらもいいイベントになって、先につながっていけばいいなあ。

2016年10月14日金曜日

徘徊しているのではない

スマートウォッチに万歩計などという余計なものが付いていて、これが「今日の目標は1万歩ですが、あなたはまだ2千歩です。もっとがんばらなきゃ」みたいなことをすぐ言いやがるんで、なんともうっとおしい。

私の場合、10mで13歩である。大学が地質学科で、実習の最初に歩測をやり、以後は卒論・修士論文と山を歩き回り歩測をずっとやってきたから、かなり正確である。いや、今はもう体のバネがずいぶんなくなったからそうでもないかな。
まあとにかく10mで13歩だから、1万歩歩いたら7.7kmほどになる。げげ、ウォークイベントでもなけりゃそんなに歩かんだろう、と思っていたら、日曜日の「食のまつり」であっさりクリアした。エコステーションにずっといただけなのだが、細々と歩いていたのかなあ。立ちん坊だったから、きっとちょっとした体の向きを変える動作だけでも数歩カウントされたりしているのだろう。とすると、セミナー講義のときなんかもずっと立ち話をしているから、それなりの歩数になるんだろうか。今度の口頭セミナーで試してみよう。

今日はかなり涼しくもなり、雨の心配もなく、歩数がぜんぜん少ないのを見て確かにあまり動いてないなあなどと思ったものだから、20日の活動発表のストーリー決めを兼ねて歩いてみた。
10分の発表時間なので、ストップウォッチ機能で時間を測定しつつ、口の中でブツブツと発表のシミュレーションをしつつ歩き回るという、連れ合いがいたらまずもってできないウォーキングである。

小浜の人はわかると思うが、湾岸のホテルゾーンである。まあつまり小浜公園あたりを歩いていたのですよ。

さらにずっと歩いていって、南川の上から。講演や書籍執筆のときにストーリーをまとめたり、試験前にあれこれ暗記したり、まあとにかく頭を冴えた状態にして頭脳労働に没頭したいとき、よく歩いたものだ。
それが時間が惜しくなって、ちょっと歩いては立ち止まったり座ったりしてPCだのタブレットだのに記録するようになってきたので、歩くのではなくて電車の座席や喫茶店などで頭脳労働をするようになった。
だから元来歩くのは好きで、高校生のころなど3時間も4時間も歩いたりしていた。(夜中に徘徊していた)
今でもツアーに出るとけっこう歩く。東京ではよく神田に泊まるが、雨が降ってなければ八重洲口から歩く。名古屋では大須や栄あたりまでなら歩く。大阪では恵美須町~なんばあたりをいつも歩くかな。広島でも平和大通りのドーミーインから広島駅まではよく歩くし、最近よく泊まる銀山町まではいつも歩く。札幌は札幌駅~狸小路は歩く。福岡でも祇園から天神まではたいてい歩く。沖縄では…あまり歩かないかなあ。あ、いつも泊まる前島のルートインから牧志のマックスバリュまでは時々歩くな。
でもまあ全部大した距離ではないか。さすがに旅先では時間ももったいないしね。

帰宅してみると、1万歩を超えていた。どう考えても8km近く歩いたりはしていない。5kmは歩いたかな、6kmもありかなとは思うが、7.7kmはオーバーだ。やはりちょっとした足踏みとか、いろんなものがカウントされるのだろうな。
しかしまったく、これまでなかったツールが入ってくると、やっぱり気になってしまう。レコーディングダイエットなんかもこういうものなのかもしれないが、なんだか思う壺にはまってしまったようで、ちょっと悔しい。

2016年10月13日木曜日

風呂キーボード

長風呂を楽しみつつ添削をするのがけっこう好きなのだが、これまでは
 ①タブレットと耐水ノート、シャーペンを持ち込む。
 ②タブレットだけを持ち込んで、バーチャルキーボードで入力する。
の2パターンだった。
このほど、3パターン目が登場した。
 ③タブレットと防水キーボードを持ち込んで入力する。
である。

シリコンキーボードである。充電端子のキャップがなかったので、ゴムで自作した。
アホである。
自分でもわかっている。
でも、けっこう楽しみながらやっている。

ちなみに、このシリコンキーボードを折りたたみキーボードに替えると、コメダ珈琲にモーニングを食いに行く時にボディバッグに入れていくセットになる。
アンドロイドのEvernoteはPC版に比べて機能がずいぶん制限されているのだけれど、慣れればこんなものだ。何度かバージョンアップして、ずいぶん使いやすくもなったしね。

ちなみに、なぜかコメダに行くときはこのアンドロイドタブレットのみ、ココスに行くときはタブレットPC(8インチ。キーボードもセットにする)とアンドロイドタブレットのセットを持って行く。なぜか使い分けているのであります。