先日、会社で事務員さんからWordだったかExcelだったかのことで質問され、その人のパソコンで説明していたときのこと。
何気なしにコピペをショートカットキーでやったところ
「いま何やったんですか?」
と心底驚かれてしまった。
Ctrlキー+Zでやり直し
Ctrlキー+Xでカット
Ctrlキー+Cでコピー
Ctrlキー+Vでペースト
このあたりはソフトにかかわらず一定で、かつCtrlキーと組み合わせるキーがキーボード左下に一列に並んでいて覚えやすく使いやすい(左手だけでCtrlキーと機能キーがまとめて押せる)ので、体に染みついている。
何の気なしに日ごろ使っていることだが、それを驚かれてしまったので、他人はどうしているのかなと観察してみると、WordやExcelのメニューから選択して使っている人が多いことがわかってきた。
つまり、キーボードからいったん手を放してマウスをつかみ、画面上のほうのメニューから目的の機能を選んで使っているのだ。ついでにいうと、カット/コピーの範囲指定もマウスでドラッグしている。(私はShiftキー+カーソル移動だ。また「すべて選択」はCtrlキー+A)
「そんなの好みだろう」と思うかもしれないが、何度も繰り返すと結構時間差が出てくる。
またたとえば印刷するにも、「デフォルトのプリンタに全部印刷する」のならプリンタアイコンをワンクリックでおしまいなのだが、わざわざメニューの中から印刷を選んで印刷設定画面を出し、「OK」で印刷という手間をかける人もいる。
で、聞いてみるとショートカットキーを使わないのは「知らないから」、ワンクリックでいいものをわざわざメニューから選択して手間をかけるのは「その方法しか知らないから」とか「最初に覚えた手順をなんとなくそのまま使っている」という理由が多かった。
まあショートカットキーはそもそも知らない人が多いと思うのだが、ワンクリックアイコンなどのステップ省略は、単なる慣れという面も多分にあって、これは何か強い動機や強制がないと変えられない(変えなくてもいいと思う)ようだ。
まあその程度の効率化でどの程度の時間短縮になるかというと、これは甚だ怪しいから、「慣れた方法でいい」というのが正解かもしれない。
そういえば、パワーポイントでスライドショーを始めるときに、F5キーを押せばいいのにわざわざメニューからスライドショーを選んでプルダウンメニューから「開始」を選択するという手間をかける人がよくいて、「なんであんな不必要な手間をかけるんだろう」と思っていたのだが、あれだって1回あたり何秒も差がつくものではない。
「慣れ」がさらに進むと「体が覚えている」というやつになる。
私はレッツノートやバイオPのキーボードに慣れているので、行頭・行末移動はFn+カーソル左右、RollUp/DownはFn+カーソル上下に自然と指が動くし、DelキーはEnterキーの真上の端っこにあるものと指が思っている。
だからテンキーつきのデスクトップ用キーボードでも
こんなのを使っている。RollUpするのにFnキーとカーソル↑の2つを同時押しするので無駄といえば無駄なのだが、体がそう覚えてしまっているのでしかたがない。
だから普通のキーボード、たとえば
こんなのだが、これが使えない。アルファベットやショートカットキーは順調に使えるのだが、行頭行末やRollUpなどはキーを探さないとできない。「Home」キーが存在していることを体が忘れていて、頭も半ば忘れているのだ。
それならまだしも、バックスペースキーとF12キーの間の狭い何もない空間を器用にバンと叩いたりする。体はDelキーを叩いたつもりである。特にノっているときはこれが甚だよくない。変な場所や変なキーを押してしまって「あれ?」となって思考が中断してしまうのだ。
似たようなのに車があって、私の車はシフトレバーが運転席の横、父の車はハンドルの根元についているから、たまーに父の車を運転すると左手がシフトチェンジをしようとしてむなしく宙を泳ぐ。
ウィンカーを出したつもりがワイパーが動き出したりね。ハンドルのまわりにいっぱいレバーが出てるから、もうわからんようになるんよ。^^;
2012年2月29日水曜日
2012年2月28日火曜日
鯖の刺身に思う
午後から「歴史と文化を守る市民の会」の理事会→総会→講演会と夕方まで。
講演は若狭坊。言葉の選び方と話し方はとてもわかりやすい。でも、私と同じ「ビョーキ」を彼は持っている。しゃべりながら連想ゲーム的に頭に浮かんだ「関連知識」を口にしないといられないのです。知っていること全部話したい!病といいます。^o^;
だから私もいつも講義が「しゃべりっぱなし」になるんですね。いつも人から「あんなにしゃべりっぱなしで疲れるでしょう」と言われるが、そんなに疲れない。ぜんぶ吐き出した爽快感がむしろ残る。でも聞いている人は疲れるのではないだろうかといつも気にかかる。
ただ、今回若狭坊の話を聞いて思ったのだが、関心が話にきちんと向いている限り、別に疲れないことがわかった。
まあともかく、小浜には歴史が好きな人がたくさんいるんだなあということが再認識できた。
あと、旭座の保存活用に実に前向きな人が多くいることがわかったのも力強い。
終了後、よしきと「赤ちょうちん」へ。鯖の刺身を久々に食べました。コリコリで実に美味い。これもまた贅沢な話だなあと思う。
刺身にすると美味い鯖が取れる小浜だが、近海物の鯖は昔に比べて激減している。乱獲、海流の関係、温暖化、産卵場所の攪乱、水質変化などなど原因はいろいろ考えられるし、複合的なものかもしれない。とにかく海の中のことって陸上に比べて本当にわかりにくいのだ。
ウナギやアナゴ、さらにはエチゼンクラゲの産卵孵化成長の場所や過程にしても、ようやくわかりはじめていたばかりだ。
そんなだから陸上の牧畜に相当する養殖もなかなか簡単にはいかず、昔ながらの狩猟生活が主体を占め(とはいっても、養殖の割合が低いのは日本が飛びぬけているようだが)、食料資源保護や計画的食料調達に影を落とす。
小浜は飢饉の記録がない。租庸調の時代から「御食国」と言われて都に食料を提供しても(持っていかれても)なお食うに困らない。暖流と寒流が会合し、四季を通じて海産物が取れる。北の海の魚も南の海の魚も取れる。山も近く、そして高い山がないから山の幸も豊富に得られる。
本当に恵まれた自然である。400年ほど前に直下型地震で被害を受けたのと、もう少し頻繁に川の増水で水害の被害を受けているくらいで、プレート型の周期的な地震にも、プレート境界に発生源を持つ大津波にも無縁だ。
さらに都会に発展することがなかったから、昔の建築物や風習をよく残し、故に戦争では空襲を受けてもいない。
まあこんな恵まれた地域だから人間も穏やか(言い換えればのんき)である。
でもね、こんな小浜でも自然は少しずつよくない方向に変化していると思うよ。
地下水はたぶん涵養量が減っている。森林荒廃が原因だ。雲城水などの名水も徐々に枯渇しつつあると思う。
山が荒れてきているから、豪雨時には崩れやすくなっているし、濁水が出やすいから川や海の生態系にはいい影響が出るはずがない。水産資源もいい方向には向かっていないだろうし、イサザの遡上も減っているはずだ。
シカが植物を食べまくっているから生態系は単純化していると思うし、昆虫類にはモロに影響が出るだろう。ということは虫を捕食している動物は減るはずだ。もちろん治水上も悪い。
こういった、なかなか知覚しにくいゆっくりと進行する「病巣」に対する感度が悪いのがこの町の欠点だと私は思う。
かつて雲城水の減少を原因を冬季の融雪散水に限定して決め付けるのを見て深く失望したが、目の前の「わかりやすい」もののみを受け入れて、遅行性の病巣を理解しようとしない欠点がある。
癌と同じで、顕在化したときには手遅れだったり、回復するにはものすごくお金や労力や時間がかかるようになっていたりするんだよね。
我々の持っている大切なもの、恵まれた自然と分厚く積み重なった歴史文化、これをもっとも効率的に維持していくアセットマネジメントが、今の小浜には必要なんだろうなと思う。
講演は若狭坊。言葉の選び方と話し方はとてもわかりやすい。でも、私と同じ「ビョーキ」を彼は持っている。しゃべりながら連想ゲーム的に頭に浮かんだ「関連知識」を口にしないといられないのです。知っていること全部話したい!病といいます。^o^;
だから私もいつも講義が「しゃべりっぱなし」になるんですね。いつも人から「あんなにしゃべりっぱなしで疲れるでしょう」と言われるが、そんなに疲れない。ぜんぶ吐き出した爽快感がむしろ残る。でも聞いている人は疲れるのではないだろうかといつも気にかかる。
ただ、今回若狭坊の話を聞いて思ったのだが、関心が話にきちんと向いている限り、別に疲れないことがわかった。
まあともかく、小浜には歴史が好きな人がたくさんいるんだなあということが再認識できた。
あと、旭座の保存活用に実に前向きな人が多くいることがわかったのも力強い。
終了後、よしきと「赤ちょうちん」へ。鯖の刺身を久々に食べました。コリコリで実に美味い。これもまた贅沢な話だなあと思う。
刺身にすると美味い鯖が取れる小浜だが、近海物の鯖は昔に比べて激減している。乱獲、海流の関係、温暖化、産卵場所の攪乱、水質変化などなど原因はいろいろ考えられるし、複合的なものかもしれない。とにかく海の中のことって陸上に比べて本当にわかりにくいのだ。
ウナギやアナゴ、さらにはエチゼンクラゲの産卵孵化成長の場所や過程にしても、ようやくわかりはじめていたばかりだ。
そんなだから陸上の牧畜に相当する養殖もなかなか簡単にはいかず、昔ながらの狩猟生活が主体を占め(とはいっても、養殖の割合が低いのは日本が飛びぬけているようだが)、食料資源保護や計画的食料調達に影を落とす。
小浜は飢饉の記録がない。租庸調の時代から「御食国」と言われて都に食料を提供しても(持っていかれても)なお食うに困らない。暖流と寒流が会合し、四季を通じて海産物が取れる。北の海の魚も南の海の魚も取れる。山も近く、そして高い山がないから山の幸も豊富に得られる。
本当に恵まれた自然である。400年ほど前に直下型地震で被害を受けたのと、もう少し頻繁に川の増水で水害の被害を受けているくらいで、プレート型の周期的な地震にも、プレート境界に発生源を持つ大津波にも無縁だ。
さらに都会に発展することがなかったから、昔の建築物や風習をよく残し、故に戦争では空襲を受けてもいない。
まあこんな恵まれた地域だから人間も穏やか(言い換えればのんき)である。
でもね、こんな小浜でも自然は少しずつよくない方向に変化していると思うよ。
地下水はたぶん涵養量が減っている。森林荒廃が原因だ。雲城水などの名水も徐々に枯渇しつつあると思う。
山が荒れてきているから、豪雨時には崩れやすくなっているし、濁水が出やすいから川や海の生態系にはいい影響が出るはずがない。水産資源もいい方向には向かっていないだろうし、イサザの遡上も減っているはずだ。
シカが植物を食べまくっているから生態系は単純化していると思うし、昆虫類にはモロに影響が出るだろう。ということは虫を捕食している動物は減るはずだ。もちろん治水上も悪い。
こういった、なかなか知覚しにくいゆっくりと進行する「病巣」に対する感度が悪いのがこの町の欠点だと私は思う。
かつて雲城水の減少を原因を冬季の融雪散水に限定して決め付けるのを見て深く失望したが、目の前の「わかりやすい」もののみを受け入れて、遅行性の病巣を理解しようとしない欠点がある。
癌と同じで、顕在化したときには手遅れだったり、回復するにはものすごくお金や労力や時間がかかるようになっていたりするんだよね。
我々の持っている大切なもの、恵まれた自然と分厚く積み重なった歴史文化、これをもっとも効率的に維持していくアセットマネジメントが、今の小浜には必要なんだろうなと思う。
2012年2月27日月曜日
好きな風景
ちょっとしたことがあって、Picasaにアップしていた写真の中から気に入ったものを選んでいた。
たとえばこういう写真を私は選んだ。
やっぱ自然、それも木が好きなんだなあと再認識した。
そして自分が選んだ写真を撮ったときのことを思い出すと、いずれも
「去りがたい」
「動きたくない」
「もっとここにいたい」
と思っていた。
柏の森では、わざわざコーヒーをテラスで飲んで時間を作った。
上根来のこのポイントではいつも車を止める。
ガジュマルは確か名護市で大きなのを見たが、もう少し眺めていたいなあと思った。
知床一湖はいつも「ここで半日ぼけっとしていたい」と思う。(昨年11月の初雪の時は除く)
本当に「ずっとここにいてもいい」状況になったらどうするのかは自分でもわからない。落ち着きのない私のことだから、5分くらいでもぞもぞしだすかもしれないし、本当に半日動かなくなるかもしれない。でもそういう状況になりたいなあといつも思っている。実際になれそうなときはいつも「それどころじゃない」スケジュールに追われているのだけどね。^^;
たとえばこういう写真を私は選んだ。
昨年の7月に行った帯広の「柏の森」。 機会をくれたOPさんには感謝感謝だ。 |
昨年11月2日の上根来集落入り口の風景。 緑から赤までいろんな色があるのがいいよね。 |
昨年5月の沖縄のグスク。えーと1か所目です。 初めて行った時からガジュマルがすごく好きだ。 |
昨年5月の知床一湖から見た知床連山。 こういうときもあったのだと、自分で驚く。 |
そして自分が選んだ写真を撮ったときのことを思い出すと、いずれも
「去りがたい」
「動きたくない」
「もっとここにいたい」
と思っていた。
柏の森では、わざわざコーヒーをテラスで飲んで時間を作った。
上根来のこのポイントではいつも車を止める。
ガジュマルは確か名護市で大きなのを見たが、もう少し眺めていたいなあと思った。
知床一湖はいつも「ここで半日ぼけっとしていたい」と思う。(昨年11月の初雪の時は除く)
本当に「ずっとここにいてもいい」状況になったらどうするのかは自分でもわからない。落ち着きのない私のことだから、5分くらいでもぞもぞしだすかもしれないし、本当に半日動かなくなるかもしれない。でもそういう状況になりたいなあといつも思っている。実際になれそうなときはいつも「それどころじゃない」スケジュールに追われているのだけどね。^^;
2012年2月26日日曜日
ショットノート
新しい公共の一連の講座のラスト、認定NPO法人に関する寄付税制優遇等の講座を開催。
他の講座と明らかに人数も熱気も違う。やはりお金でみんな苦労しているんだなあと思う。
ところで最近、キングジムのショットノートを使っている。ノートをスマホで撮影すると、ノート四隅のマーカーを目印に台形補正してノート紙面を画像として保存でき、さらに「No.}と「DATE」欄にデジタル数字みたいにして日付等を書くとOCRして日付と連番をデータ化してくれる、専用ノートとソフトのセットだ。
今は雑誌「トレンディ」の付録を使っているが、なかなか気に入っている。
講習会やシンポでコレハ!と思った内容のメモ、人の話その他もろもろのソースから見聞きしたことからヒントを得て発想がわーっと広がったときのメモなど、「今書き留めたい!」もののメモに重宝している。スキャンではなくてスマホのカメラ、そして台形補正というのがいいよね。日付も入るし。
私の場合、ぼんやりとでも「!」とでも、頭に浮かんだことを記録しておかないと、そのあと別のことを考えるともう先に考えていたことが思い出せなくなっている。とくにぼんやり考えていることはダメだ。
いつもPCを持ち歩いていて、さっと出してレジュームしてエバーノートに打ち込むということもできるのだが、そこまでは面倒な場合とか、それができないこともあるので、やはり手書きメモの選択肢は常に持っておきたい。
スマホにもメモやエバーノートは入っているが、スマホやタブレットで思考のスピードに遅れず書き留めるのは至難の業というより無理だ。
ということで、ショットノートとジェットストリームの多色ボールペン(回転式の細いやつ)のセットを、バッグかポケットに常備している。
そしてスマホで撮影したら、エバーノートにエクスポート。ここが重要である。スマホで入力しようがPCで入力しようがショットノートに書こうが、とにかくエバーノートに全部入っているというポケット一つ原則ですね。
最近、震災と地域コミュニティのことについて話を聴く機会が何度かあって、これが上根来プロジェクトなどとつながって、なんというか視界が開けたような新しい視野が得られたような気になっているので、地域コミュニティのことを考えていることが多い。
こうなると、ぼんやり考えているときも発想が浮かびやすくなるし、見るもの聞くものからヒントを得やすくなるので、何か思いついたり頭の中が整理されたりすることがしょっちゅうになる。それを放っておくとどんどん消えていくから、とにかく目の前にあるナニカに記録していく。
とにかく楽しい時期なのだが、ここでメモ帳に書いておいて、あとでそれを見ながらPCで入力して…というのはまずもってうまくいかない。思いついたとき・整理できたときは「書き留めたい!」と思って行動しても、「あとで書き写す」などといった単純作業は気が乗らないのだ。
だから書き留めるのはワンチャンス。思い浮かんだときだけ。書き込み先がスマホでもPCでも紙でも、全部エバーノートに集積。つまり整理はできるだけシンプルに一つのポケットに。これが大事なのだと思っている。
夕方、帰宅してから女房と外で食事。といっても飲んでたんだけど、まあたまにはこういうのもいい。
他の講座と明らかに人数も熱気も違う。やはりお金でみんな苦労しているんだなあと思う。
ところで最近、キングジムのショットノートを使っている。ノートをスマホで撮影すると、ノート四隅のマーカーを目印に台形補正してノート紙面を画像として保存でき、さらに「No.}と「DATE」欄にデジタル数字みたいにして日付等を書くとOCRして日付と連番をデータ化してくれる、専用ノートとソフトのセットだ。
今は雑誌「トレンディ」の付録を使っているが、なかなか気に入っている。
講習会やシンポでコレハ!と思った内容のメモ、人の話その他もろもろのソースから見聞きしたことからヒントを得て発想がわーっと広がったときのメモなど、「今書き留めたい!」もののメモに重宝している。スキャンではなくてスマホのカメラ、そして台形補正というのがいいよね。日付も入るし。
私の場合、ぼんやりとでも「!」とでも、頭に浮かんだことを記録しておかないと、そのあと別のことを考えるともう先に考えていたことが思い出せなくなっている。とくにぼんやり考えていることはダメだ。
いつもPCを持ち歩いていて、さっと出してレジュームしてエバーノートに打ち込むということもできるのだが、そこまでは面倒な場合とか、それができないこともあるので、やはり手書きメモの選択肢は常に持っておきたい。
スマホにもメモやエバーノートは入っているが、スマホやタブレットで思考のスピードに遅れず書き留めるのは至難の業というより無理だ。
ということで、ショットノートとジェットストリームの多色ボールペン(回転式の細いやつ)のセットを、バッグかポケットに常備している。
そしてスマホで撮影したら、エバーノートにエクスポート。ここが重要である。スマホで入力しようがPCで入力しようがショットノートに書こうが、とにかくエバーノートに全部入っているというポケット一つ原則ですね。
最近、震災と地域コミュニティのことについて話を聴く機会が何度かあって、これが上根来プロジェクトなどとつながって、なんというか視界が開けたような新しい視野が得られたような気になっているので、地域コミュニティのことを考えていることが多い。
こうなると、ぼんやり考えているときも発想が浮かびやすくなるし、見るもの聞くものからヒントを得やすくなるので、何か思いついたり頭の中が整理されたりすることがしょっちゅうになる。それを放っておくとどんどん消えていくから、とにかく目の前にあるナニカに記録していく。
とにかく楽しい時期なのだが、ここでメモ帳に書いておいて、あとでそれを見ながらPCで入力して…というのはまずもってうまくいかない。思いついたとき・整理できたときは「書き留めたい!」と思って行動しても、「あとで書き写す」などといった単純作業は気が乗らないのだ。
だから書き留めるのはワンチャンス。思い浮かんだときだけ。書き込み先がスマホでもPCでも紙でも、全部エバーノートに集積。つまり整理はできるだけシンプルに一つのポケットに。これが大事なのだと思っている。
夕方、帰宅してから女房と外で食事。といっても飲んでたんだけど、まあたまにはこういうのもいい。
2012年2月25日土曜日
大阪へプチ脱出
大阪まで日帰りで行ってきた。
大阪産業大学の梅田サテライトで「環境サロン」というのがあって、震災と原子力、震災と住環境問題について講話があるというので聞いてみようという気になったのだ。まあとにかく腰を軽くしようと思って。
主催は環境技術学会だが、いつも集まっているのか受講生もなんだか顔見知りばかりのようで、こりゃあ場違いなところに部外者が(それも遠方から)来ちゃったかなーと思っているところへ講師が遅刻するとのこと。時間の連絡がちゃんとしていなかったらしい。うーむ。
で、講師が来るまでに間に主催者と思われる人(大学の先生らしい)がつなぎの話をされるのだが、これがまたあさっての方向に大きく流れてしまって、もうどうしましょうと思っていると講師が到着した。ああよかった。
某原子炉実験所の人が講義してくれたのだが、放射性同位元素、放射線、被ばくと丁寧に説明していってくれる。
私は原子力放射線は専門外だから大変ありがたいのだが、これがまあ細かい細かい。グレイからシーベルトへの換算式における係数をひとつひとつ細かく説明する。
科学者なんだなあと思う。正確に表現しないといやなのか、イメージが独り歩きするリスクを考えているのか知らないが、とにかく素人には難しすぎる。
説明を丁寧にすれば理解はできるだろう。でも説明するものの数が多すぎると、個々の理解はできてもそれらを組み合わせた全体は理解できない。案の定、さっそく睡眠に入る人もいる。
でまあ、スタートが遅い上に話が長く、時間はどんどん過ぎていく。30分遅れでスタートしたが、当初終了予定時刻の30分後になったも終わる気配もないどころか本題に入る前の「専門用語説明」に終始している。
放射線やその被ばくとがん発生に関する正しい理解を促したいのは、科学者なら当然の思いだと思う。それらの理解不足がセンセーショナルに扱われて、ヒステリックな言動を取る人やメディアが出るのを目の当たりにすると、専門研究者・技術者としてはイライラすることだろう。
講師は原爆による被ばくと福島での被ばくを比較したのが、こういうナーバスな問題だから正しい知識と理解を持ってもらわないと誤解されちゃいかんと思うのだろうな。
結果、確かにしっかり聞けばしっかり理解できるのだが、一般人が日常的に聞くであろう「数字・単位・計算・データといったものの定義や考え方や関係の説明」の量を大きく上回る情報を聴いて理解できれば、という条件がつく。
それでも(苦労に苦労を重ねて正しく理解したとしても)なお理性的に考えてくれない人はいっぱいいる。怖いとかいった感情の問題でバイアスがかかってしまっている人(たとえば車を運転するくせに飛行機に乗れない人みたいなもの)、最初から結論を持ってしまっている人(思い込みがあると人の言うことなど最初から聞かないから、説明するだけ無駄。実はこのタイプで困るのが科学者・技術者で、自分で論理的に正しいと思っているから一番たちが悪い)などだ。
まあともかく、結果的にスタートの遅れ以上に遅れて講師交代。
1枚目のスライド、
「巨大災害は、社会改革(世直し・軸ずらし)を伴う復興が欠かせない」
「その時代や社会が持っていた社会的矛盾を前倒しする形で顕在化させるので、復興の中で、その社会的矛盾を改革することが欠かせない」
という2つの言葉には感銘を受けた。そのとおりだと思う。
リアス式海岸だから小浜と同じで物理的に大きなまちは作れない。だから都市インフラはぜい弱だし人口も少ないからマンパワーも少なく商圏も狭くて商売もしにくい。そして少子高齢化も進んでいる。おそらく被災地も似たような環境だろう。そこには日本の「地方」が持っている矛盾があったに違いない。それが一気に顕在化してしまった。
遠野まごころネットの斎藤さんが言っておられた地域コミュニティの問題を思い出した。
地域ごと仮設住宅に入れたところは地域コミュニティが残っている。ちりぢりに避難した人が集まった仮設jはこれがない(ゼロから作らないといけない)。さびしいとか生気がなくなるといったことは無論だが、ニーズの拾い集めに差が出るので仮設間格差が生まれている。
地域コミュニティの喪失というカタストロフが日本中をじわじわと覆っている。それが一気にやってきたのが被災地だともいえるだろう。だから被災地での地域コミュニティ再生の取り組みは、地域コミュニティに関わろうという気がある人、行政やまちづくりの技術者やNPOなどはこぞって学び、できれば体験すべきではなかろうか。
講師のスライド「今回は、自治体の再建、コミュニティの再建、地域経済の再建を優先する」…そうだなと思う。そして「自治体」と「コミュニティ」の間にあるものが地域自治、小浜でいうといきいきまちづくりの会だ。やっぱり「いきまち」はただのイベントグループや公民館外郭団体ではいかん。
「新しい公共」に関わったおかげで地域コミュニティについて勉強できて、その問題が被災地でより顕在化していることを教えてもらい、小浜でもちょうど上根来という「限界の限界集落」の活性化に関わって…という最近の自分には、講師の一言一言が深いところにぐんと入ってくる。今日は来てよかった。
お二人のお話のあとパネルディスカッションがあるが、終了時間が遅れるのは目に見えているので申し訳ないが途中退席。
地下鉄で日本橋でんでんタウンに行き(好きだなあ^^;)「今度行ったら買おう」と思っていた小物をいくつか買った。
土曜日の夕方、なかなかの人手。コンテナにジャンク品を入れて「型番だけで判断できない人はお呼びじゃないよ」的な中古ショップの猥雑感が好きなので、ついつい時間いっぱいウロウロしてしまう。
ヲタロードあたり。前も紹介したと思うが、ここはホコテンではない。だけど当たり前のように人は道路の真ん中を歩く。これも何とも好きな光景だ。
なんばから高速バスで小浜に帰った。
今日はほんのちょっとした「脱出」だったようにも思う。SUKIYAKI塾はあちこちで動いており、自分自身もレンタルサーバがいっぱいになったのを機にAPEC-semiのページをリニューアルしようとしており、そして「新しい公共」が佳境に(魔境に?)入っているので、とにかくThings To Doに満ち溢れているのだ。
ガラガラのバスの中でリクライニングシートをいっぱいに倒してぼんやり夜空を眺めていた。
2~3年前、東京かどこかから飛行機で帰ってきたときも同じような感じだったなあと思い出す。月が出ていて、バスをずっと追いかけてきていた。カーブするたびにバスを追い越して行ったり後ろに置いて行かれたり。
そんな月を眺めながら、大きく変化しつつある自分の人生を思い、これからのワクワク感と不安感がないまぜになって、なんだか涙が流れそうになったことだった。
でも結局なるようになるわけですね。ケ・セラ・セラだ。いいこともそうじゃないことも、うまくいくことも失敗することもあるわけで、それを楽しみにしたり怖がったりするのは当然なことだけど、そうしつつも動かずにいるよりましだと思うから、前に進むんだな、結局。
大阪産業大学の梅田サテライトで「環境サロン」というのがあって、震災と原子力、震災と住環境問題について講話があるというので聞いてみようという気になったのだ。まあとにかく腰を軽くしようと思って。
主催は環境技術学会だが、いつも集まっているのか受講生もなんだか顔見知りばかりのようで、こりゃあ場違いなところに部外者が(それも遠方から)来ちゃったかなーと思っているところへ講師が遅刻するとのこと。時間の連絡がちゃんとしていなかったらしい。うーむ。
で、講師が来るまでに間に主催者と思われる人(大学の先生らしい)がつなぎの話をされるのだが、これがまたあさっての方向に大きく流れてしまって、もうどうしましょうと思っていると講師が到着した。ああよかった。
某原子炉実験所の人が講義してくれたのだが、放射性同位元素、放射線、被ばくと丁寧に説明していってくれる。
私は原子力放射線は専門外だから大変ありがたいのだが、これがまあ細かい細かい。グレイからシーベルトへの換算式における係数をひとつひとつ細かく説明する。
科学者なんだなあと思う。正確に表現しないといやなのか、イメージが独り歩きするリスクを考えているのか知らないが、とにかく素人には難しすぎる。
説明を丁寧にすれば理解はできるだろう。でも説明するものの数が多すぎると、個々の理解はできてもそれらを組み合わせた全体は理解できない。案の定、さっそく睡眠に入る人もいる。
でまあ、スタートが遅い上に話が長く、時間はどんどん過ぎていく。30分遅れでスタートしたが、当初終了予定時刻の30分後になったも終わる気配もないどころか本題に入る前の「専門用語説明」に終始している。
放射線やその被ばくとがん発生に関する正しい理解を促したいのは、科学者なら当然の思いだと思う。それらの理解不足がセンセーショナルに扱われて、ヒステリックな言動を取る人やメディアが出るのを目の当たりにすると、専門研究者・技術者としてはイライラすることだろう。
講師は原爆による被ばくと福島での被ばくを比較したのが、こういうナーバスな問題だから正しい知識と理解を持ってもらわないと誤解されちゃいかんと思うのだろうな。
結果、確かにしっかり聞けばしっかり理解できるのだが、一般人が日常的に聞くであろう「数字・単位・計算・データといったものの定義や考え方や関係の説明」の量を大きく上回る情報を聴いて理解できれば、という条件がつく。
それでも(苦労に苦労を重ねて正しく理解したとしても)なお理性的に考えてくれない人はいっぱいいる。怖いとかいった感情の問題でバイアスがかかってしまっている人(たとえば車を運転するくせに飛行機に乗れない人みたいなもの)、最初から結論を持ってしまっている人(思い込みがあると人の言うことなど最初から聞かないから、説明するだけ無駄。実はこのタイプで困るのが科学者・技術者で、自分で論理的に正しいと思っているから一番たちが悪い)などだ。
まあともかく、結果的にスタートの遅れ以上に遅れて講師交代。
1枚目のスライド、
「巨大災害は、社会改革(世直し・軸ずらし)を伴う復興が欠かせない」
「その時代や社会が持っていた社会的矛盾を前倒しする形で顕在化させるので、復興の中で、その社会的矛盾を改革することが欠かせない」
という2つの言葉には感銘を受けた。そのとおりだと思う。
リアス式海岸だから小浜と同じで物理的に大きなまちは作れない。だから都市インフラはぜい弱だし人口も少ないからマンパワーも少なく商圏も狭くて商売もしにくい。そして少子高齢化も進んでいる。おそらく被災地も似たような環境だろう。そこには日本の「地方」が持っている矛盾があったに違いない。それが一気に顕在化してしまった。
遠野まごころネットの斎藤さんが言っておられた地域コミュニティの問題を思い出した。
地域ごと仮設住宅に入れたところは地域コミュニティが残っている。ちりぢりに避難した人が集まった仮設jはこれがない(ゼロから作らないといけない)。さびしいとか生気がなくなるといったことは無論だが、ニーズの拾い集めに差が出るので仮設間格差が生まれている。
地域コミュニティの喪失というカタストロフが日本中をじわじわと覆っている。それが一気にやってきたのが被災地だともいえるだろう。だから被災地での地域コミュニティ再生の取り組みは、地域コミュニティに関わろうという気がある人、行政やまちづくりの技術者やNPOなどはこぞって学び、できれば体験すべきではなかろうか。
講師のスライド「今回は、自治体の再建、コミュニティの再建、地域経済の再建を優先する」…そうだなと思う。そして「自治体」と「コミュニティ」の間にあるものが地域自治、小浜でいうといきいきまちづくりの会だ。やっぱり「いきまち」はただのイベントグループや公民館外郭団体ではいかん。
「新しい公共」に関わったおかげで地域コミュニティについて勉強できて、その問題が被災地でより顕在化していることを教えてもらい、小浜でもちょうど上根来という「限界の限界集落」の活性化に関わって…という最近の自分には、講師の一言一言が深いところにぐんと入ってくる。今日は来てよかった。
お二人のお話のあとパネルディスカッションがあるが、終了時間が遅れるのは目に見えているので申し訳ないが途中退席。
地下鉄で日本橋でんでんタウンに行き(好きだなあ^^;)「今度行ったら買おう」と思っていた小物をいくつか買った。
土曜日の夕方、なかなかの人手。コンテナにジャンク品を入れて「型番だけで判断できない人はお呼びじゃないよ」的な中古ショップの猥雑感が好きなので、ついつい時間いっぱいウロウロしてしまう。
ヲタロードあたり。前も紹介したと思うが、ここはホコテンではない。だけど当たり前のように人は道路の真ん中を歩く。これも何とも好きな光景だ。
なんばから高速バスで小浜に帰った。
今日はほんのちょっとした「脱出」だったようにも思う。SUKIYAKI塾はあちこちで動いており、自分自身もレンタルサーバがいっぱいになったのを機にAPEC-semiのページをリニューアルしようとしており、そして「新しい公共」が佳境に(魔境に?)入っているので、とにかくThings To Doに満ち溢れているのだ。
ガラガラのバスの中でリクライニングシートをいっぱいに倒してぼんやり夜空を眺めていた。
2~3年前、東京かどこかから飛行機で帰ってきたときも同じような感じだったなあと思い出す。月が出ていて、バスをずっと追いかけてきていた。カーブするたびにバスを追い越して行ったり後ろに置いて行かれたり。
そんな月を眺めながら、大きく変化しつつある自分の人生を思い、これからのワクワク感と不安感がないまぜになって、なんだか涙が流れそうになったことだった。
でも結局なるようになるわけですね。ケ・セラ・セラだ。いいこともそうじゃないことも、うまくいくことも失敗することもあるわけで、それを楽しみにしたり怖がったりするのは当然なことだけど、そうしつつも動かずにいるよりましだと思うから、前に進むんだな、結局。
2012年2月24日金曜日
自分をとりまく花びら
相変わらずバタバタで過ごしている。年度末に向かってNPOもあれこれと会議などが増えてくるのだが、今日はどの団体の会議だっけ?とわからなくなってしまうことも珍しくなくなってくる。
21日の鯖江での講演で使ったスライドのひとつ。私というものを真ん中に置いて、自分の関わっている所属している)組織を書いてみたものだ。地域団体、歴史文化系団体を細分するともっと細かくなるけれど、まあ8つ以上は表現しにくくなるのでこの程度にしておいた。マインドマップにしてもいいだろう。
たくさんあるなあとも思うけれど、どれがどの団体の活動だときちんと区切れるものでもないし、思わぬつながりになったりもする。だから、自分で自分の所属や受け持ち範囲を限定してしまうのはもったいない話だと思う。
自分の感性や仲間を信じてふらふらとそこいらじゅうに首を突っ込んでいると、無駄は多いし回り道にも多々なるけれど、いろいろと面白い刺激があるし、これまでの自分にない発想が出てくるので実に面白いものだ。
ところでこういうことができるのは、APEC-semiのマンツーマン講座・企業団体から依頼されてのセミナー講義・書籍の3つで自分自身の経済基盤を支えているからだ。
これがあるからこそ採算度外視でセミナーツアーができたり、合格事例集のオンライン販売収益を講師派遣事業や東北支援事業の原資にできたり、そして何よりNPO活動に躊躇なく労力や時間を割いて飛び込んでいけるわけで、これは本当にありがたいことだ。
思い起こせば、最初はネットだけでの受験支援だったのが、いろんな要望もあって、face to faceの効果も考えて、実費を受講料としてシェアする方式でセミナーをやったのが2008年だったろうか。これでセミナーに関して自信をつけた。
同じタイミングで「WACおばま」が活動資金を自力で獲得せざるを得なくなったため、セミナー活動を徐々に本格化させるとともに本も出した。
ところがOBAMAフィーバーや「つばき回廊」その他いろんなことがあって、NPO活動に本腰を入れたくなる一方で、仕事との両立が難しくなってきた。詳細は書けないが、「これまでのやり方」を続けることができなくなったのだ。
そこで、企業団体からのセミナー講師の声掛けをいただき始めていたこと、出版がそこそこ順調だったことから、2009年の春に思い切って 「自分でないとできないこと」、つまりマンツーマン講座、セミナー講師、書籍を個人事業化した。この決断は苦しかったなあ。
おかげでAPEC-semiとしての個人事業は無論、NPO活動がかなり柔軟にというか自由にやれるようになった。小浜には、私が髭を生やしはじめたころからNPOの活動レベルを上げたことを知っている人もいるだろう。
そしてその結果、セミナーにも時間をかけられるようになって地方ツアーが可能となり、北海道から沖縄まで足を延ばし、そこでの感動が技術者派遣事業につながっている。
SUKIYAKI塾の皆さんは、夏までの筆記試験セミナーのころの私には髭がなく、秋以降の私は髭おじさんになっていたことをご記憶のはずだ。あれはたまたま髭をそる時間が取れなかったことがきっかけではあるが、私なりの「生まれ変わり」でもあったのですよ。
そして技術者派遣事業をやりたい!という思いは、そのための原資を確保しなければという思いにつながり、合格答案を提供してもらっての実例集オンライン販売につながる。おかげで翌年(2010年)に技術者派遣は実現できた。
実際に技術者派遣をやってみると、人と人とのつながりがまた広がり、知床さんとバイアさんは沖縄にハマるわ、高知の「木の人」と沖縄の「水の人」は知床で不思議行動をとるわ、ヴォルクさんは沖縄のうら若き女性と仲良くなるわ、いずれも斜め上方向と言えなくもないけれど望外の効果があったわけですね。^o^;
そして私も全国で友を得ることができた。私がこれまでの人生で得た一番の宝のひとつだと思う。
今年も全国の友に会いに行くのが本当に楽しみだ。私が一歩を踏み出した3年前、こんな広がりは想像できていなかった。
お金の話をすれば、最初から「お金を得るための手段」と割り切って、というか目的から入ったのは技術者派遣事業の原資である合格答案実例集(オンライン販売)くらいのもので、その他は結果として収入を得ることができるようになったものだ。
そしてそれがAPEC-semiやNPO活動に割ける時間を作ってくれ、いろんな活動を支え、活動の広がりにつながった。これらは大部分が営利事業活動ではないわけだが、きっとお金は結果としてついてくるのではないかなあと思う。
余談になるが、昔、私のHPで合格論文を掲載していたころ、突然「合格論文例を有料化しよう」と言ってきたトンデモナイおじさんがいて、ただもう魂消て怒るのも忘れてしまったことがある。
他人の個人HPコンテンツを有料化しようなんて、もはや自分の物も他人の物も区別がついていないわけだが、人間、「お金第一」「まず金がほしい」という状態になってしまっているとこうなっちゃったりするのかもしれないなあと思う。それは腹が立つとかいうことではなくて哀しいことだ。
それはともかく、幸いにして今、私はこういう状況の中にいる。数多くの活動に関わることができるから、それらをつないだ活動を考え付いたりすることができるようになるし、複眼的にもなれるのではないかという気がする。
こういうことがやれる状態にあるということ、これは間違いなく好機だと思うし、これは生かしたいと思うのだが、特に関わっていることのうちいくつか(多く)は、いずれビジネスとして成立するようにしたいと思っている。
それがAPEC-semiや書籍のように「自分でないとできない」ものなら別だが、そうでないものは、ある程度進めたあとはその事業主体に任せて自分はサポートに回るようにしていければいいなあと思う。まあそれが中間支援NPOというものだけどね。
今年もやりまっせ!
21日の鯖江での講演で使ったスライドのひとつ。私というものを真ん中に置いて、自分の関わっている所属している)組織を書いてみたものだ。地域団体、歴史文化系団体を細分するともっと細かくなるけれど、まあ8つ以上は表現しにくくなるのでこの程度にしておいた。マインドマップにしてもいいだろう。
たくさんあるなあとも思うけれど、どれがどの団体の活動だときちんと区切れるものでもないし、思わぬつながりになったりもする。だから、自分で自分の所属や受け持ち範囲を限定してしまうのはもったいない話だと思う。
自分の感性や仲間を信じてふらふらとそこいらじゅうに首を突っ込んでいると、無駄は多いし回り道にも多々なるけれど、いろいろと面白い刺激があるし、これまでの自分にない発想が出てくるので実に面白いものだ。
ところでこういうことができるのは、APEC-semiのマンツーマン講座・企業団体から依頼されてのセミナー講義・書籍の3つで自分自身の経済基盤を支えているからだ。
これがあるからこそ採算度外視でセミナーツアーができたり、合格事例集のオンライン販売収益を講師派遣事業や東北支援事業の原資にできたり、そして何よりNPO活動に躊躇なく労力や時間を割いて飛び込んでいけるわけで、これは本当にありがたいことだ。
思い起こせば、最初はネットだけでの受験支援だったのが、いろんな要望もあって、face to faceの効果も考えて、実費を受講料としてシェアする方式でセミナーをやったのが2008年だったろうか。これでセミナーに関して自信をつけた。
同じタイミングで「WACおばま」が活動資金を自力で獲得せざるを得なくなったため、セミナー活動を徐々に本格化させるとともに本も出した。
ところがOBAMAフィーバーや「つばき回廊」その他いろんなことがあって、NPO活動に本腰を入れたくなる一方で、仕事との両立が難しくなってきた。詳細は書けないが、「これまでのやり方」を続けることができなくなったのだ。
そこで、企業団体からのセミナー講師の声掛けをいただき始めていたこと、出版がそこそこ順調だったことから、2009年の春に思い切って 「自分でないとできないこと」、つまりマンツーマン講座、セミナー講師、書籍を個人事業化した。この決断は苦しかったなあ。
おかげでAPEC-semiとしての個人事業は無論、NPO活動がかなり柔軟にというか自由にやれるようになった。小浜には、私が髭を生やしはじめたころからNPOの活動レベルを上げたことを知っている人もいるだろう。
そしてその結果、セミナーにも時間をかけられるようになって地方ツアーが可能となり、北海道から沖縄まで足を延ばし、そこでの感動が技術者派遣事業につながっている。
SUKIYAKI塾の皆さんは、夏までの筆記試験セミナーのころの私には髭がなく、秋以降の私は髭おじさんになっていたことをご記憶のはずだ。あれはたまたま髭をそる時間が取れなかったことがきっかけではあるが、私なりの「生まれ変わり」でもあったのですよ。
2009年7月沖縄ツアー。私には髭がない。たくくも若い。^^; |
実際に技術者派遣をやってみると、人と人とのつながりがまた広がり、知床さんとバイアさんは沖縄にハマるわ、高知の「木の人」と沖縄の「水の人」は知床で不思議行動をとるわ、ヴォルクさんは沖縄のうら若き女性と仲良くなるわ、いずれも斜め上方向と言えなくもないけれど望外の効果があったわけですね。^o^;
なじみすぎです。^o^; |
観光地の行動としては意味不明です。 |
北海道代表、満面の笑みです。 |
今年も全国の友に会いに行くのが本当に楽しみだ。私が一歩を踏み出した3年前、こんな広がりは想像できていなかった。
お金の話をすれば、最初から「お金を得るための手段」と割り切って、というか目的から入ったのは技術者派遣事業の原資である合格答案実例集(オンライン販売)くらいのもので、その他は結果として収入を得ることができるようになったものだ。
そしてそれがAPEC-semiやNPO活動に割ける時間を作ってくれ、いろんな活動を支え、活動の広がりにつながった。これらは大部分が営利事業活動ではないわけだが、きっとお金は結果としてついてくるのではないかなあと思う。
余談になるが、昔、私のHPで合格論文を掲載していたころ、突然「合格論文例を有料化しよう」と言ってきたトンデモナイおじさんがいて、ただもう魂消て怒るのも忘れてしまったことがある。
他人の個人HPコンテンツを有料化しようなんて、もはや自分の物も他人の物も区別がついていないわけだが、人間、「お金第一」「まず金がほしい」という状態になってしまっているとこうなっちゃったりするのかもしれないなあと思う。それは腹が立つとかいうことではなくて哀しいことだ。
それはともかく、幸いにして今、私はこういう状況の中にいる。数多くの活動に関わることができるから、それらをつないだ活動を考え付いたりすることができるようになるし、複眼的にもなれるのではないかという気がする。
鹿肉事業の中で知床世界遺産さんを小浜に招いた。 普通ならつながらない全然別の事業がつながった。 ヨシキ&ナオキという意味不明のコンビも誕生した。 そして昨年11月の小浜軍団知床訪問につながった。 |
エゾジカとニホンジカの食べ比べ。2010年3月。 |
今思うと、いろんなことといろんな人がうまくかみ合った。 |
それがAPEC-semiや書籍のように「自分でないとできない」ものなら別だが、そうでないものは、ある程度進めたあとはその事業主体に任せて自分はサポートに回るようにしていければいいなあと思う。まあそれが中間支援NPOというものだけどね。
今年もやりまっせ!
2012年2月23日木曜日
トンカツとソース
今日は第4木曜、「木曜会」である。
「濱の湯」の「濱亭」で「風呂であったまってビールを飲もう」ということで集まった。
…のだが皆さん忙しいのか集まり極めて悪し。残念だがまあしゃあない。
この「濱亭」はいろいろ工夫をしていて、小浜ではなかなか食べられないものも出してくれる。
今月は「カツ」もの特集になっている。
ボルガライス。福井県越前市のB級グルメで、ここ数年モーレツに売り出している。
どんなものかというと、オムライス(薄焼き卵バージョン)の上にトンカツが乗り、そこに甘辛いソース(福井版のソースカツ丼に使われているもの)がかかっている。
福井版ソースカツ丼は市販のトンカツソースをもう少し甘くした感じで、他地域のソースカツ丼とは一風変わっていて面白いのだが、それをオムライスと組み合わせるあたりはいかにもB級グルメ的でさらに面白い。
金沢カレー。カレーライスにトンカツを乗せ、まあつまりカツカレーなのだが、そのトンカツにソースがかけてある。カレーでなくソースをかけることで、濃厚さが出ている。…らしい。私は食べてないのでわからない。今度金沢でSUKIYAKI塾北陸を開催したいと思っているので、その時に食べられるといいなあ。
しかし福井と金沢、トンカツとソースを使った地域料理があるのは面白いことだと思う。
「濱の湯」の「濱亭」で「風呂であったまってビールを飲もう」ということで集まった。
…のだが皆さん忙しいのか集まり極めて悪し。残念だがまあしゃあない。
この「濱亭」はいろいろ工夫をしていて、小浜ではなかなか食べられないものも出してくれる。
今月は「カツ」もの特集になっている。
ボルガライス。福井県越前市のB級グルメで、ここ数年モーレツに売り出している。
どんなものかというと、オムライス(薄焼き卵バージョン)の上にトンカツが乗り、そこに甘辛いソース(福井版のソースカツ丼に使われているもの)がかかっている。
福井版ソースカツ丼は市販のトンカツソースをもう少し甘くした感じで、他地域のソースカツ丼とは一風変わっていて面白いのだが、それをオムライスと組み合わせるあたりはいかにもB級グルメ的でさらに面白い。
金沢カレー。カレーライスにトンカツを乗せ、まあつまりカツカレーなのだが、そのトンカツにソースがかけてある。カレーでなくソースをかけることで、濃厚さが出ている。…らしい。私は食べてないのでわからない。今度金沢でSUKIYAKI塾北陸を開催したいと思っているので、その時に食べられるといいなあ。
しかし福井と金沢、トンカツとソースを使った地域料理があるのは面白いことだと思う。
2012年2月22日水曜日
ZumoDrive Shutdown
よく飲んだよなあと思いつつもぞもぞとホテルで起床。
9時前にホテルを出る。鯖江の町は霧に包まれていた。空気がピンとして、深酒した翌朝の体に冷たい空気が気持ちがいい。
ホテルの近くから福井鉄道に乗って武生駅へ。
鯖江駅まで10分ほど歩いてJRに乗れば乗り換えなしで200円ほど安く敦賀駅まで直行できるのだが、福井鉄道に乗りたくて回り道した。このこじんまりした鉄道、けっこう好きなのだ。
。2両の小さな車両に乗客は私のほかに3人。ごとごととのんびり進み、武生に到着。
武生駅横のショッピングセンターで朝のコーヒーを飲む。「今ならクロワッサンが3つつきます」と言われて喜んでいただく。うすくシロップを塗ったほかほかの小さなクロワッサンを食べつつコーヒーを飲む。これで250円。今日は朝からいろいろと気分がいい。
JR各停で30分で敦賀駅へ。ファミレスで食事をすませ、午後からファシリテーションの講習、講座の段取りで来ていたよしきの車で小浜へ帰り、ささっと夕食をとり、地元中学校の学校評議員会に出席。相変わらずあれやこれやと落ち着きのない1日である。
ところでZumoDriveが終了するらしい。
スラッシュ・ドット・ジャパンに次のような記事があったのだ。(こちら)
======================
昨年 Motorola に買収された Zector から ZumoDrive 終了のお知らせが届いた (ZumoDrive Shutdown FAQ) 。
データの引き上げ用にダウンロードツールが用意されている。データおよびアカウント情報は、2012年5月1日以降完全に削除される。普通のファイルシステムとしてマウントしながらオンデマンドでダウンロードできる点が素晴らしいサービスだったが、ここ数年は何の動きもなく一部では存続が疑われていた。今後は MotoCast に注力するとのこと。
2011年9月以降に作成したファイルが同期されていないというツイートもあるため、ファイルを確保する必要のある方は急いでほしい。また、オンラインストレージの乗換先におすすめがあればぜひ紹介されたい。
======================
私は同期がリアルタイムでない(ひどいときは1日以上遅れる)ため、DropBoxに乗り換えた。ZumoDriveはすでにウンインストールしてあるのだが、クラウド上にはまだ12GBほどのデータが残っていて、それは有料プランの期限切れとなる3月20日すぎまで残り、その後は1GBのみとなるのだが、それも5月にはきれいさっぱり消滅するわけだ。
…乗り換えてよかった。
なお、今はDropBoxとは別にSkyDriveにデータバンク的に固定的なデータをアップしてあるのだが、フォルダごとアップしようとすると仮想ドライブ化ソフトをインストールする必要があって、でもそうするとそれが常駐してメモリは食うわ、時々なにやらメッセージを出してうるさいわ、どうも面倒くさい。
PC本体のストレージは消費せずクラウドのみで、仮想ドライブ化できるサービス・アプリってほかにないのかなあ…
9時前にホテルを出る。鯖江の町は霧に包まれていた。空気がピンとして、深酒した翌朝の体に冷たい空気が気持ちがいい。
ホテルの近くから福井鉄道に乗って武生駅へ。
鯖江駅まで10分ほど歩いてJRに乗れば乗り換えなしで200円ほど安く敦賀駅まで直行できるのだが、福井鉄道に乗りたくて回り道した。このこじんまりした鉄道、けっこう好きなのだ。
。2両の小さな車両に乗客は私のほかに3人。ごとごととのんびり進み、武生に到着。
武生駅横のショッピングセンターで朝のコーヒーを飲む。「今ならクロワッサンが3つつきます」と言われて喜んでいただく。うすくシロップを塗ったほかほかの小さなクロワッサンを食べつつコーヒーを飲む。これで250円。今日は朝からいろいろと気分がいい。
JR各停で30分で敦賀駅へ。ファミレスで食事をすませ、午後からファシリテーションの講習、講座の段取りで来ていたよしきの車で小浜へ帰り、ささっと夕食をとり、地元中学校の学校評議員会に出席。相変わらずあれやこれやと落ち着きのない1日である。
ところでZumoDriveが終了するらしい。
スラッシュ・ドット・ジャパンに次のような記事があったのだ。(こちら)
======================
昨年 Motorola に買収された Zector から ZumoDrive 終了のお知らせが届いた (ZumoDrive Shutdown FAQ) 。
データの引き上げ用にダウンロードツールが用意されている。データおよびアカウント情報は、2012年5月1日以降完全に削除される。普通のファイルシステムとしてマウントしながらオンデマンドでダウンロードできる点が素晴らしいサービスだったが、ここ数年は何の動きもなく一部では存続が疑われていた。今後は MotoCast に注力するとのこと。
2011年9月以降に作成したファイルが同期されていないというツイートもあるため、ファイルを確保する必要のある方は急いでほしい。また、オンラインストレージの乗換先におすすめがあればぜひ紹介されたい。
======================
私は同期がリアルタイムでない(ひどいときは1日以上遅れる)ため、DropBoxに乗り換えた。ZumoDriveはすでにウンインストールしてあるのだが、クラウド上にはまだ12GBほどのデータが残っていて、それは有料プランの期限切れとなる3月20日すぎまで残り、その後は1GBのみとなるのだが、それも5月にはきれいさっぱり消滅するわけだ。
…乗り換えてよかった。
なお、今はDropBoxとは別にSkyDriveにデータバンク的に固定的なデータをアップしてあるのだが、フォルダごとアップしようとすると仮想ドライブ化ソフトをインストールする必要があって、でもそうするとそれが常駐してメモリは食うわ、時々なにやらメッセージを出してうるさいわ、どうも面倒くさい。
PC本体のストレージは消費せずクラウドのみで、仮想ドライブ化できるサービス・アプリってほかにないのかなあ…
2012年2月21日火曜日
聴いて話して
よしきと朝車で出発して福井へ。午後、福井でファシリテーター講習。いつものことながらいろいろと勉強になる。
日常の雑事や仕事、NPOその他でバタバタしていると講習会などは「またの機会に」とかいって縁遠くなりがちだし、まあ多少時間があったとしても会場まで出かけていくのはおっくうなものだが、行ったら行っただけのことはあるものだ。
特に考えながら聴くのはいいことで、講師のいろんな話が自分の中のいろんな事柄の整理のきっかけになってくれる。
そのあとに続いて「遠野まごころネット」の斉藤氏の話。遠野被災地支援ボランティアネットワークだが、支援団体のサポートを受けた地域住民の復興に向けた活動に感動。「とにかくみんな被災者」で全体的な支援の段階、個々の事情に応じた個々のサポートが必要な段階、そして地域コミュニティや地域経済を自らが作っていく段階、それらはラップしながらも時間とともに確実に進んでいることがすごい。それはある程度大きな自然災害だと常にあるパターンなのかもしれないが、あれほどの災害でもそれがちゃんと現れることがすごいと思う。これといってサポートしていない人間がエラソーに言って申し訳ないけれど。
終了後、鯖江NPOセンターに移動して、「伝えるコツ」などとまたまたエラソーに銘打って1時間半ほどの講演。こういうときは私とてパワポを使うのだけれど、中身はというといつものわーっとぶっ放しの漫談。すまんすまん。
終了後、ホテルにチェックインしてから懇親会。気のおけない少人数での飲み会、SUKIYAKI塾の懇親会、どれも好きなのだけれど、NPOの飲み会というのもまた素晴らしい。
たらふく飲んでホテルに戻ったら1時を過ぎていた。*o*
人の話を聴いて、自分の話をして、疲れたけど充実した日でした。写真も撮ってないけど。^o^;
日常の雑事や仕事、NPOその他でバタバタしていると講習会などは「またの機会に」とかいって縁遠くなりがちだし、まあ多少時間があったとしても会場まで出かけていくのはおっくうなものだが、行ったら行っただけのことはあるものだ。
特に考えながら聴くのはいいことで、講師のいろんな話が自分の中のいろんな事柄の整理のきっかけになってくれる。
そのあとに続いて「遠野まごころネット」の斉藤氏の話。遠野被災地支援ボランティアネットワークだが、支援団体のサポートを受けた地域住民の復興に向けた活動に感動。「とにかくみんな被災者」で全体的な支援の段階、個々の事情に応じた個々のサポートが必要な段階、そして地域コミュニティや地域経済を自らが作っていく段階、それらはラップしながらも時間とともに確実に進んでいることがすごい。それはある程度大きな自然災害だと常にあるパターンなのかもしれないが、あれほどの災害でもそれがちゃんと現れることがすごいと思う。これといってサポートしていない人間がエラソーに言って申し訳ないけれど。
終了後、鯖江NPOセンターに移動して、「伝えるコツ」などとまたまたエラソーに銘打って1時間半ほどの講演。こういうときは私とてパワポを使うのだけれど、中身はというといつものわーっとぶっ放しの漫談。すまんすまん。
終了後、ホテルにチェックインしてから懇親会。気のおけない少人数での飲み会、SUKIYAKI塾の懇親会、どれも好きなのだけれど、NPOの飲み会というのもまた素晴らしい。
たらふく飲んでホテルに戻ったら1時を過ぎていた。*o*
人の話を聴いて、自分の話をして、疲れたけど充実した日でした。写真も撮ってないけど。^o^;
2012年2月20日月曜日
緑の小人
久々のいい天気で、昨夜から腫れ上がっていた。そう、痛風で足が…って違う!晴れあがっていた。
その結果、今朝は放射冷却でキンキン冷えていた。気温-3.4度。鼻で笑う知床世界遺産さんの大きな鼻息が聞こえてきそうだが、小浜では滅多にない気温である。水たまりが凍っているばかりか、全部凍ってしまったので氷の下に空気の層ができて白くなっているところもある。こんなの本当に久しぶりだ。
それでも時間とともに暖かくなって、うららかな陽気の午後。市役所で会議があったが、いい天気なので今年2度目の自転車で。手入れが悪いのか体がなまったのか(おそらく、いや間違いなく後者)ペダルが重いぞぉと思いつつ、それでも冷たい風を気持ちよく受けて走った。
南向きの土手の斜面は雪も解け、何やらあれこれ生え始めている。何かイイモノは生えていないかなあと、思わず土手を少し降りて探してしまった。
ん、待てよ。「何かイイモノ」…?そうだそうだと思い出して我が家の裏庭へ。
やはり出ていましたフキノトウ。けっこう大きくなってきているが、まだ葉は開いていない。一足早い春の息吹をありがたく頂戴する。
フキノトウの天ぷら。サクッと食べると緑の味。思わず目を閉じ「はぁ~」と恍惚となる。
大変おいしゅうございました。
その結果、今朝は放射冷却でキンキン冷えていた。気温-3.4度。鼻で笑う知床世界遺産さんの大きな鼻息が聞こえてきそうだが、小浜では滅多にない気温である。水たまりが凍っているばかりか、全部凍ってしまったので氷の下に空気の層ができて白くなっているところもある。こんなの本当に久しぶりだ。
それでも時間とともに暖かくなって、うららかな陽気の午後。市役所で会議があったが、いい天気なので今年2度目の自転車で。手入れが悪いのか体がなまったのか(おそらく、いや間違いなく後者)ペダルが重いぞぉと思いつつ、それでも冷たい風を気持ちよく受けて走った。
南向きの土手の斜面は雪も解け、何やらあれこれ生え始めている。何かイイモノは生えていないかなあと、思わず土手を少し降りて探してしまった。
ん、待てよ。「何かイイモノ」…?そうだそうだと思い出して我が家の裏庭へ。
やはり出ていましたフキノトウ。けっこう大きくなってきているが、まだ葉は開いていない。一足早い春の息吹をありがたく頂戴する。
フキノトウの天ぷら。サクッと食べると緑の味。思わず目を閉じ「はぁ~」と恍惚となる。
大変おいしゅうございました。
2012年2月19日日曜日
この顔で大学生って…
区の老人会の依頼で、ミニ映画会みたいなものをやった。
開会前の場つなぎに植木等主演「日本一のホラ吹き男」を少し流したのだが、1964年のこの映画、いやあ「あの時代」の空気が全編に流れていた。ちょっとしたシーンに「時代」を感じるのである。
アキレス健を切って病院でふてくされる植木等は当たり前のように寝たばこをする。コーチも咎めはしない。
故郷に戻った植木等が道路わきに寝転んでいるとに郵便配達員が自転車で手紙を持ってくる。オリンピック出場ができなくなったという知らせだ。これを見てやる気が失せた植木等は「家まで乗っけってってくれ」と言う。郵便局員は自転車の荷台に植木等を乗せて二人乗りで走り去る。
先日、野良犬を見た。正確には首輪をしていない犬を見た。それも市街地の真ん中で、信号待ちをしていた。
信号待ちはともかく、野良犬なんて久しぶりに見た。賢そうな顔をしていた。
野良猫はそこかしこにいて、小ずるくたくましく生きているが、野良犬はめったに見ない。でかいから野良の状態での存在を許されないのかもしれない。
私が小さいころ(1960年代)にはそこいらじゅうに野良犬がいた。からかった挙句に逆襲されて泣きながら家に帰ったこともある。
私が小学生低学年のころ、いわゆるひとつの「頭の弱い浮浪者」がいた。小判のおもちゃをくれるというので何の気なしに受け取ったら、しばらく誰も遊んでくれなくなった。^o^;
子どもたちは彼をはやし立て、やーいやーいとからかった。彼は怒ったような気もするし悲しそうにしていたきもする。
これは前にも書いたと思うが、高校教師であった私の父はスーパーカブの荷台に籠を乗せ、そこに私を放り込んで走っていた。
野蛮だと思うだろうか。行儀が悪い奴らだと思うだろうか。
40年~45年ほど前の話である。「そんなに昔」と思うかもしれないが、当時成人していた人が現在60~65歳。何世代も過ぎたわけではない。その時代の日本はそういう社会だった。
地方の田舎の話だから都会はもっと…と思うかもしれないが、その東京で作られた映画が寝たばこと二人乗りが当たり前の世界を描いている。
だから何だ、と思うかもしれないが、半世紀に満たない程度の以前にはそういう社会に住んでいた我々が、同じ道を少しあとから歩んできているアジアの人たちを馬鹿にしたり蔑んだりするのは、思い上がりも甚だしいというか、どの口が言うんだという気になるという話である。
どうも近年、日本人は異質なものを理解しようとしない「偏狭の毒」が回り始めているような気がしてならない。無論これは外国に対してだけではない。他人に対して全般にである。
多少偏っていてもそれなりに論理的であればまだいいのだが…
しかし植木等、この映画では大学生の役を演じていた。…ちょっと無理があるだろう…
開会前の場つなぎに植木等主演「日本一のホラ吹き男」を少し流したのだが、1964年のこの映画、いやあ「あの時代」の空気が全編に流れていた。ちょっとしたシーンに「時代」を感じるのである。
アキレス健を切って病院でふてくされる植木等は当たり前のように寝たばこをする。コーチも咎めはしない。
故郷に戻った植木等が道路わきに寝転んでいるとに郵便配達員が自転車で手紙を持ってくる。オリンピック出場ができなくなったという知らせだ。これを見てやる気が失せた植木等は「家まで乗っけってってくれ」と言う。郵便局員は自転車の荷台に植木等を乗せて二人乗りで走り去る。
先日、野良犬を見た。正確には首輪をしていない犬を見た。それも市街地の真ん中で、信号待ちをしていた。
信号待ちはともかく、野良犬なんて久しぶりに見た。賢そうな顔をしていた。
野良猫はそこかしこにいて、小ずるくたくましく生きているが、野良犬はめったに見ない。でかいから野良の状態での存在を許されないのかもしれない。
私が小さいころ(1960年代)にはそこいらじゅうに野良犬がいた。からかった挙句に逆襲されて泣きながら家に帰ったこともある。
私が小学生低学年のころ、いわゆるひとつの「頭の弱い浮浪者」がいた。小判のおもちゃをくれるというので何の気なしに受け取ったら、しばらく誰も遊んでくれなくなった。^o^;
子どもたちは彼をはやし立て、やーいやーいとからかった。彼は怒ったような気もするし悲しそうにしていたきもする。
これは前にも書いたと思うが、高校教師であった私の父はスーパーカブの荷台に籠を乗せ、そこに私を放り込んで走っていた。
野蛮だと思うだろうか。行儀が悪い奴らだと思うだろうか。
40年~45年ほど前の話である。「そんなに昔」と思うかもしれないが、当時成人していた人が現在60~65歳。何世代も過ぎたわけではない。その時代の日本はそういう社会だった。
地方の田舎の話だから都会はもっと…と思うかもしれないが、その東京で作られた映画が寝たばこと二人乗りが当たり前の世界を描いている。
だから何だ、と思うかもしれないが、半世紀に満たない程度の以前にはそういう社会に住んでいた我々が、同じ道を少しあとから歩んできているアジアの人たちを馬鹿にしたり蔑んだりするのは、思い上がりも甚だしいというか、どの口が言うんだという気になるという話である。
どうも近年、日本人は異質なものを理解しようとしない「偏狭の毒」が回り始めているような気がしてならない。無論これは外国に対してだけではない。他人に対して全般にである。
多少偏っていてもそれなりに論理的であればまだいいのだが…
しかし植木等、この映画では大学生の役を演じていた。…ちょっと無理があるだろう…
2012年2月18日土曜日
寄付の文化
今日は福井で「新しい公共」のファンドレイジング(寄付)の講座。しかしなんで福井に行くたびに(あるいは週末のたびに)冬型になるかなあ。
それはともかく、NPO(広義のNPO。NPO法人だけではないので念のため)の収入源は
①会費
②補助金
③事業収入
④寄付
の4つがバランスよく組み合わせられているのが理想的だ。
NPOが発足してすぐは収入源がないので①が主体だったりする。
やがて実績を積んだり申請が上手になってきたりすると②がモノを言うようになる。この段階だと、②が取れるかどうかが活動の浮沈を握っている状態になる。
③はそもそもNPOに対する事業委託がないといけない。徐々に増えてはきたが、自治体規模が小さいほど(あるいは考え方が旧態依然としているほど)遅々として進まない。
現状では、何かの公共施設の指定管理というのが関の山かなあ。例外は社会福祉系の子供一時預かりや高齢者デイサービスなんかのNPOで、これらはしっかりと安定した事業収入を得て、コミュニティビジネスを成立させているものが多い。
で、④なのだがこれは日本の文化の特色ともいえるものがあって、とにかく進まない。
日本全体の募金額は1,000億円程度だが、アメリカは2,000億ドルほどらしい。
2,000億ドルって、日本の全消費税収のほぼ2倍。単純に計算して日本は一人あたり830円ほど、アメリカは5,000円強。
寄付を「ものもらい」だという人もいる。人の金をあてにするなと。だから寄付行為はそれに加担する「よくない行い」だというわけだ。
そもそも寄付行為は偽善とか自己満足にすぎないと言う人もいる。私に言わせれば、それはそれ以外の理由付けで理解ができないというだけのことで、つまりそう言っている本人が偽善や自己満足以外の理由では利他的行為ができない人だということを示しているにすぎないと思うのだけれどね。
まあともかくいろんな考え方が寄付行為を押しとどめている。
でもそれって世界中に普遍的な考え方だと思いますか?
寄付といえば先日、厚労省の文書偽造事件で無罪が確定した村木元局長が、国からの損害賠償金の大部分を、犯罪を起こした障害者らを支援する社会福祉法人に寄付するというニュースを目にした。寄付金の額は約3,000万円。
これについてもあれこれ言う輩はきっといるだろう。本当に日本は寄付というものについては賛否両論というか様々な考え方があるのだ。
でも、自分の常識感覚や文化尺度で他人や他国の文化を一方的に評価することは偏狭だ。常識感覚も文化尺度も理屈より少し深いところの感覚だから、生理的に反応してしまいがちだけれど、それにストレートに従ってしまって「異質なものへの理解と寛容」を持たないという姿勢には危うさ・愚かさを感じずにはいられない。
でもまあひとつだけ確信していることは、個人の寄付行為は個人の価値観に基づいた行為なのだから、他人があれこれいう性質のものではないということだ。寄付をする側が「オレいい人」みたいな気持ちになりたいから寄付するとしても、それで誰かが喜んだり助かったりするのならそれでいいじゃないかということですね。
ただし、対価としてではないお金の付与が、受け取った側の堕落を誘うのではないかという論については、たとえばアメリカインディアンやアボリジニなどのネイティブに対する補助の抱える問題などを思うと、耳を傾け一考する余地があるのではないかと思う。
でも、そういうことがあったとしてもそれは寄付というものの本質的な問題点ではないと思うし、ましてそういう理由ではなくただ気分的に好かないというだけの理由で(かつそれを正当化できそうな言葉に置き換えて)批判する輩に対しては一顧だにする必要はないと思っている。
NPOに話を戻すと、事業収入を中心に事業を案敵的に継続し、時に補助金でステップアップという形がとれるNPOが増えるといいなあと思っている。
会費は個人寄付の積み上げみたいなものだから寄付と同様に考え、さらにその中で法人寄付が増えるといいと思うが、まあこれは根深いハードルがあるから焦らずに(というかあてにせずに)。
それはともかく、NPO(広義のNPO。NPO法人だけではないので念のため)の収入源は
①会費
②補助金
③事業収入
④寄付
の4つがバランスよく組み合わせられているのが理想的だ。
NPOが発足してすぐは収入源がないので①が主体だったりする。
やがて実績を積んだり申請が上手になってきたりすると②がモノを言うようになる。この段階だと、②が取れるかどうかが活動の浮沈を握っている状態になる。
③はそもそもNPOに対する事業委託がないといけない。徐々に増えてはきたが、自治体規模が小さいほど(あるいは考え方が旧態依然としているほど)遅々として進まない。
現状では、何かの公共施設の指定管理というのが関の山かなあ。例外は社会福祉系の子供一時預かりや高齢者デイサービスなんかのNPOで、これらはしっかりと安定した事業収入を得て、コミュニティビジネスを成立させているものが多い。
で、④なのだがこれは日本の文化の特色ともいえるものがあって、とにかく進まない。
日本全体の募金額は1,000億円程度だが、アメリカは2,000億ドルほどらしい。
2,000億ドルって、日本の全消費税収のほぼ2倍。単純に計算して日本は一人あたり830円ほど、アメリカは5,000円強。
多ければいいってもんじゃないけど、これだけ違うと経済情勢とかそういったものじゃなくて、そもそもの考え方・文化が違うとしか言いようがない。
まあおそらく個人の寄付額以上に法人の寄付額がぜんぜん違うのだろう。でも法人の寄付だって人間が決めているのだから個々人の考え方の積み上げの結果だ。
日本人って妙にシャイというか、寄付行為を恥ずかしがって隠したり言い訳したりするよね。そういう恥ずかしいみたいな気持ちがブレーキになって、ちょっとした街角募金でも避ける人は少なくない。なんでだろう。
寄付を「余ったカネをあてがうもの」みたいに考える人もいる。生活が楽になった場合にその「余剰金」を寄付すればいい、つまり支出優先度はずっと低い。だから寄付行為は金に余裕があることをひけらかすことになるし、法人がそれをやれば「もっと優先度の高いことがあるだろう」と出資者から突き上げられる。まあおそらく個人の寄付額以上に法人の寄付額がぜんぜん違うのだろう。でも法人の寄付だって人間が決めているのだから個々人の考え方の積み上げの結果だ。
日本人って妙にシャイというか、寄付行為を恥ずかしがって隠したり言い訳したりするよね。そういう恥ずかしいみたいな気持ちがブレーキになって、ちょっとした街角募金でも避ける人は少なくない。なんでだろう。
寄付を「ものもらい」だという人もいる。人の金をあてにするなと。だから寄付行為はそれに加担する「よくない行い」だというわけだ。
そもそも寄付行為は偽善とか自己満足にすぎないと言う人もいる。私に言わせれば、それはそれ以外の理由付けで理解ができないというだけのことで、つまりそう言っている本人が偽善や自己満足以外の理由では利他的行為ができない人だということを示しているにすぎないと思うのだけれどね。
まあともかくいろんな考え方が寄付行為を押しとどめている。
でもそれって世界中に普遍的な考え方だと思いますか?
寄付といえば先日、厚労省の文書偽造事件で無罪が確定した村木元局長が、国からの損害賠償金の大部分を、犯罪を起こした障害者らを支援する社会福祉法人に寄付するというニュースを目にした。寄付金の額は約3,000万円。
これについてもあれこれ言う輩はきっといるだろう。本当に日本は寄付というものについては賛否両論というか様々な考え方があるのだ。
でも、自分の常識感覚や文化尺度で他人や他国の文化を一方的に評価することは偏狭だ。常識感覚も文化尺度も理屈より少し深いところの感覚だから、生理的に反応してしまいがちだけれど、それにストレートに従ってしまって「異質なものへの理解と寛容」を持たないという姿勢には危うさ・愚かさを感じずにはいられない。
NPO法が改定され、寄付を受けやすくなっている。認定NPO法人へのハードルが低くなったのだ。
これによってNPOに寄付をしたときの税制優遇が受けやすくなったのだけれど、そもそも寄付文化がない中では絵に描いた餅というか意味なし芳一というか…
この国にもいつか寄付文化が育つのか、あるいはそもそもそういう文化構造ではないのか、どうなんだろうね。
でもまあひとつだけ確信していることは、個人の寄付行為は個人の価値観に基づいた行為なのだから、他人があれこれいう性質のものではないということだ。寄付をする側が「オレいい人」みたいな気持ちになりたいから寄付するとしても、それで誰かが喜んだり助かったりするのならそれでいいじゃないかということですね。
ただし、対価としてではないお金の付与が、受け取った側の堕落を誘うのではないかという論については、たとえばアメリカインディアンやアボリジニなどのネイティブに対する補助の抱える問題などを思うと、耳を傾け一考する余地があるのではないかと思う。
でも、そういうことがあったとしてもそれは寄付というものの本質的な問題点ではないと思うし、ましてそういう理由ではなくただ気分的に好かないというだけの理由で(かつそれを正当化できそうな言葉に置き換えて)批判する輩に対しては一顧だにする必要はないと思っている。
NPOに話を戻すと、事業収入を中心に事業を案敵的に継続し、時に補助金でステップアップという形がとれるNPOが増えるといいなあと思っている。
会費は個人寄付の積み上げみたいなものだから寄付と同様に考え、さらにその中で法人寄付が増えるといいと思うが、まあこれは根深いハードルがあるから焦らずに(というかあてにせずに)。
2012年2月17日金曜日
本のタイトル
また冬将軍がやってきた。(この「将軍」というのも厳しい寒さをよく表現した言葉だね)
本格的に降り出したなあ…と思ったら1時間程度でこの有様。6時ごろいったん雨になって、なんとか積もらずにいけるか?と思っていたのだが、さっきから窓にパラパラと粉雪が降りかかる音がする…
午後11時の国道27号のライブカメラ。うっすらと積もっている。明日の朝はどうなっているだろうか。
明日はまた福井へ行かねばならない。「新しい公共」はおおいに前のめりに取り組みたくはあるのだけれど、冬に北陸に向かって行くのだけは気が重い。もう何度このブログで愚痴ったことやら。^^;
さて、最近本のネタばかりで申し訳ないのだが…
本屋でビジネス書籍、新書のコーナーを見ていると、まあよくぞこれほどと思うくらい考え抜かれたタイトルが並んでいる。
はっきりと「あの本が書いたい」と思って本屋に来る人は少ないだろうけれど、ぼんやりとでも「こんな本がほしい」という目的はあるだろうから、複数の選択肢の中から選んでもらうためには「オッ」と思って手に取ってもらわないといけない。タイトル命である。
見ていると、インパクトがやはり最重視されているようで、言葉が強いタイトルが多い。
「絶対に」「間違いのない」「100%」「秘伝」「究極」「とっておき」なんてのもあるが、これらは胡散臭さもつきまとう。
「~したいときに読む本」なんてのは「~したい」と思っている人はとりあえず手に取ってくれそうだから、ターゲットを絞り込んでいるけれど固いタイトルだろう。
「なぜ~なのか?」などと問いかけてくる本もあるし、「遊ばない社員はいらない!」なんて逆説的案言い回しで「えっ?」と思わせようとするのもある。
まさにあの手この手だが、だいたい共通しているのは、何のことを書いた本かが一目瞭然に伝わるようになっていることだ。
「投資信託のしくみ」だったら投資信託の仕組みについて書いてある。もうそのものズバリだから、目的をもって買いに来た人にはストレートに伝わる。
「100円ノート整理術」だったら、100円のノートを使って情報整理をすることについて何かアイデア提案が書いてあるんだろうな、とたいていの人は理解できる。まさか100円ノートをほうき代わりに使って部屋の掃除をすることが書いてあるとは思うまい。
いわゆる実用書はこれが王道だ。
手前味噌ながら、拙著「RCCM合格法」なんかはまさにこれだ。
RCCMという資格を知らない人には何のアピールにもならない。というかそんな人に買ってもらっても意味がない。しかしRCCM資格を取ろうと思う人にはストレートにアピールする。
さらにネタばらしをすると、RCCM資格取得の本が他に出ていないことを知っていたので、「RCCM」の文字ができるだけ大きくなるように字数の少ないタイトルにして、本屋やDMで目につきやすくしたという狙いもある。まして感じではなくアルファベットだからいっそう大きくなるし。
対して「技術士受験を応援する 第二次試験合格法 出願・筆記試験編」なんて思いっきり長い。本屋でタイトルで選ばれることをあまり意識していない。まあ実際、本屋で比較検討してチョイスされていることはあまりないようだし。
いずれにせよ、資格取得本なんて典型的な「目的をもって本屋に来る人」向けの本なんだから、インパクトよりも内容が明確に伝わることがよほど大事なのだろう。
もう少しターゲットが広いというか、数多くの類似図書の中から選んでもらおうとすると、少しひねったタイトルが多くなる。
キャッチコピーというかキーワードというか「必殺技」があると強い。「断捨離」などは有名になったし強い言葉だから、その具体的内容は知らなくても「きっと目ウロコ本ではないか」と思わせる。
この「自分が考えたシステムに名前を付ける」のはかなり有効だ。
「『超』○○法」などもそうだが、専売特許にもなる。たとえ以前からあった方法を少し整理改良しただけのものであったとしても、「名前がつく」とぜんぜん印象が変わるのだ。またしても手前味噌ながら「骨子法」もそうかもしれない。
さらにターゲットが広いエッセイや随筆、小説になってくると、もう意味不明のものも少なくない。
「バカの壁」なんて、タイトルを一瞥しただけでは何について書いてあるのかぜんぜん意味不明だもんね。
私が愛読している椎名誠エッセイなんて、タイトルは単なる言葉遊びで、中身を伝えようとは考えていないとしか思えない。「はるさきのへび」とか「ぶっかけめしの午後」なんてねえ。
ああそうだ、まったく同じ内容の文庫本をタイトルだけ変えて出すのはやめてほしい。出版社が変わっているのかもしれないが、こっちは別の本だと思って買ってしまうではないか。
ちなみに最近で一番「おおっ!」と思ったタイトルは「ビールを飲んで痛風を治す!」だった。爆笑。
本格的に降り出したなあ…と思ったら1時間程度でこの有様。6時ごろいったん雨になって、なんとか積もらずにいけるか?と思っていたのだが、さっきから窓にパラパラと粉雪が降りかかる音がする…
午後11時の国道27号のライブカメラ。うっすらと積もっている。明日の朝はどうなっているだろうか。
明日はまた福井へ行かねばならない。「新しい公共」はおおいに前のめりに取り組みたくはあるのだけれど、冬に北陸に向かって行くのだけは気が重い。もう何度このブログで愚痴ったことやら。^^;
さて、最近本のネタばかりで申し訳ないのだが…
本屋でビジネス書籍、新書のコーナーを見ていると、まあよくぞこれほどと思うくらい考え抜かれたタイトルが並んでいる。
はっきりと「あの本が書いたい」と思って本屋に来る人は少ないだろうけれど、ぼんやりとでも「こんな本がほしい」という目的はあるだろうから、複数の選択肢の中から選んでもらうためには「オッ」と思って手に取ってもらわないといけない。タイトル命である。
見ていると、インパクトがやはり最重視されているようで、言葉が強いタイトルが多い。
「絶対に」「間違いのない」「100%」「秘伝」「究極」「とっておき」なんてのもあるが、これらは胡散臭さもつきまとう。
「~したいときに読む本」なんてのは「~したい」と思っている人はとりあえず手に取ってくれそうだから、ターゲットを絞り込んでいるけれど固いタイトルだろう。
「なぜ~なのか?」などと問いかけてくる本もあるし、「遊ばない社員はいらない!」なんて逆説的案言い回しで「えっ?」と思わせようとするのもある。
まさにあの手この手だが、だいたい共通しているのは、何のことを書いた本かが一目瞭然に伝わるようになっていることだ。
「投資信託のしくみ」だったら投資信託の仕組みについて書いてある。もうそのものズバリだから、目的をもって買いに来た人にはストレートに伝わる。
「100円ノート整理術」だったら、100円のノートを使って情報整理をすることについて何かアイデア提案が書いてあるんだろうな、とたいていの人は理解できる。まさか100円ノートをほうき代わりに使って部屋の掃除をすることが書いてあるとは思うまい。
いわゆる実用書はこれが王道だ。
手前味噌ながら、拙著「RCCM合格法」なんかはまさにこれだ。
RCCMという資格を知らない人には何のアピールにもならない。というかそんな人に買ってもらっても意味がない。しかしRCCM資格を取ろうと思う人にはストレートにアピールする。
さらにネタばらしをすると、RCCM資格取得の本が他に出ていないことを知っていたので、「RCCM」の文字ができるだけ大きくなるように字数の少ないタイトルにして、本屋やDMで目につきやすくしたという狙いもある。まして感じではなくアルファベットだからいっそう大きくなるし。
対して「技術士受験を応援する 第二次試験合格法 出願・筆記試験編」なんて思いっきり長い。本屋でタイトルで選ばれることをあまり意識していない。まあ実際、本屋で比較検討してチョイスされていることはあまりないようだし。
いずれにせよ、資格取得本なんて典型的な「目的をもって本屋に来る人」向けの本なんだから、インパクトよりも内容が明確に伝わることがよほど大事なのだろう。
もう少しターゲットが広いというか、数多くの類似図書の中から選んでもらおうとすると、少しひねったタイトルが多くなる。
キャッチコピーというかキーワードというか「必殺技」があると強い。「断捨離」などは有名になったし強い言葉だから、その具体的内容は知らなくても「きっと目ウロコ本ではないか」と思わせる。
この「自分が考えたシステムに名前を付ける」のはかなり有効だ。
「『超』○○法」などもそうだが、専売特許にもなる。たとえ以前からあった方法を少し整理改良しただけのものであったとしても、「名前がつく」とぜんぜん印象が変わるのだ。またしても手前味噌ながら「骨子法」もそうかもしれない。
さらにターゲットが広いエッセイや随筆、小説になってくると、もう意味不明のものも少なくない。
「バカの壁」なんて、タイトルを一瞥しただけでは何について書いてあるのかぜんぜん意味不明だもんね。
私が愛読している椎名誠エッセイなんて、タイトルは単なる言葉遊びで、中身を伝えようとは考えていないとしか思えない。「はるさきのへび」とか「ぶっかけめしの午後」なんてねえ。
ああそうだ、まったく同じ内容の文庫本をタイトルだけ変えて出すのはやめてほしい。出版社が変わっているのかもしれないが、こっちは別の本だと思って買ってしまうではないか。
ちなみに最近で一番「おおっ!」と思ったタイトルは「ビールを飲んで痛風を治す!」だった。爆笑。
2012年2月16日木曜日
安全文化
倉敷のシールドトンネル事故だが、ノーズダウンではないかというニュースが流れている。
電源供給に不具合が起こり停電でジャッキが縮んだままになって、シールドマシンの先端部が支えきれなくなって軟弱地盤上に「乗っかって」「前に倒れこみ」、結果として上部にできた隙間から土砂と海水が一気に流入したというのだ。
私は専門外なので「そういうこともあるのか」としか言いようがないのだが、
「電源供給がうまくいかなくなったときにフェールセーフやフェールソフトが機能せず、カタストロフに至った」
って、それって福島第一原発と同じではなかろうか。
「電源が失われる」というリスクをどのように見積もっていたのだろうか。素人ではないのだから、当然それはゼロではないことくらいはわかっていたはずだ。
同時にリスクなのだからどこかで許容しないといけない。そうしないと最後は隕石が落ちてきて直撃するリスクにまで対処しないといけなくなってしまう。
その「線引き」はコストとの綱引きになるのだが、そこでどのような経営判断がなされていたのだろうか。
そのことを処罰とは別にしてしっかりと掘り下げ把握し分析しないといけないのではないかと思う。
それをしないと企業は「ほとぼりがさめる」のを待つようになってしまう。そしてまた同じ事故が繰り返されてしまう。
コロンビア号空中分解事故を受けた調査で、NASAに欠けていたものとして「安全文化」という言葉が使われた。
飾りでもお題目でも見せ掛けでもない、しっかりと抜き差しならぬほどに根を下ろしたものとして「文化」という言葉が使われたものと私は自分勝手に解釈しているのだが、洋の東西を問わず「のど元過ぎれば」という弱さはあるのだなあと思ったものだった。
今回の事故が信楽と同じことを尼崎で繰り返した企業のような低劣なものではないことを祈るばかりだが、そのためにはリスクをどの程度に見積もっており、その解析の妥当性、そして社会の受容性を妥協なく評価することが大切だと思う。
…という話は古今東西何度も何度も言われ続けてきたことなのだろうけれど。
ここで問題です。エンボス加工した上の写真、何と何でしょう。真っ先に正解した人には今度会ったとき一杯おごるね。^o^
電源供給に不具合が起こり停電でジャッキが縮んだままになって、シールドマシンの先端部が支えきれなくなって軟弱地盤上に「乗っかって」「前に倒れこみ」、結果として上部にできた隙間から土砂と海水が一気に流入したというのだ。
私は専門外なので「そういうこともあるのか」としか言いようがないのだが、
「電源供給がうまくいかなくなったときにフェールセーフやフェールソフトが機能せず、カタストロフに至った」
って、それって福島第一原発と同じではなかろうか。
「電源が失われる」というリスクをどのように見積もっていたのだろうか。素人ではないのだから、当然それはゼロではないことくらいはわかっていたはずだ。
同時にリスクなのだからどこかで許容しないといけない。そうしないと最後は隕石が落ちてきて直撃するリスクにまで対処しないといけなくなってしまう。
その「線引き」はコストとの綱引きになるのだが、そこでどのような経営判断がなされていたのだろうか。
そのことを処罰とは別にしてしっかりと掘り下げ把握し分析しないといけないのではないかと思う。
それをしないと企業は「ほとぼりがさめる」のを待つようになってしまう。そしてまた同じ事故が繰り返されてしまう。
コロンビア号空中分解事故を受けた調査で、NASAに欠けていたものとして「安全文化」という言葉が使われた。
飾りでもお題目でも見せ掛けでもない、しっかりと抜き差しならぬほどに根を下ろしたものとして「文化」という言葉が使われたものと私は自分勝手に解釈しているのだが、洋の東西を問わず「のど元過ぎれば」という弱さはあるのだなあと思ったものだった。
今回の事故が信楽と同じことを尼崎で繰り返した企業のような低劣なものではないことを祈るばかりだが、そのためにはリスクをどの程度に見積もっており、その解析の妥当性、そして社会の受容性を妥協なく評価することが大切だと思う。
…という話は古今東西何度も何度も言われ続けてきたことなのだろうけれど。
ここで問題です。エンボス加工した上の写真、何と何でしょう。真っ先に正解した人には今度会ったとき一杯おごるね。^o^
2012年2月15日水曜日
自分の書斎
年末に本棚を少~しだけ整理した。整理というより、何か面白い・懐かしい本はないかと探していたといったほうがいいかもしれない。
そんな中に、ずっと前に古本屋で買った山根一眞氏の「スーパー書斎の仕事術」があった。
この本が出たのは1985(昭和60)年。私が社会人になった年である。
NECがPC-9801F2という、はじめてフロッピーディスクを搭載した16ビットパソコンを世に出した年であり、そしてそのマシンはN88-BASICでプログラムが組めなければただの箱であった。私が入った会社でも日本語ワープロ専用機がデスクトップマシンとしてどでーんと座り、フロッピーディスクの辞書をカッタンなどと音をさせて読み込んでは文節単位で変換していた時代だ。
そんなデジタル時代のまだ入り口をくぐりきっていない頃に出版されたこの本は、「個人情報整理の古典」などとよく言われる。それは「袋ファイル」という今の時代にも十分通用する個人データベースシステムを提唱したからだ。
袋ファイルというのは何のことはない、角2封筒(A4サイズが入るサイズ)の頭を切り詰め折り返しのない袋状にして、その中に書類でも写真でも放り込んでおくというものだ。そして封筒の端っこに分類ワードを書いて整理する。
山根氏はアイウエオ順に、かつ定尺の枠を設けてきちんと書いて分類しているが、このあたりはその後いろんな方法が提唱されている。たとえば野口悠紀雄氏は枠など使わずざっとテーマを書き、これを時間順に並べる方法を提案していて、それはそれで機能的でもあった。
私もこれには大いに感化されて袋ファイルシステムをさっそく導入したものだ。
もっとも社会人になって数年で、会社と自宅の往復しかしておらず社会活動もしていないような者には袋ファイルで分類しなければならないような書類が自宅にあふれているはずもなく、新聞の切り抜きを集めたりして無理に分類整理していた。つまり典型的な形から入ったというか手段が目的化していたわけですね。
会社ではそこそこに仕事やいろんな情報があるから、そこそこに意味を成し、10年後にはある程度機能的な整理システムになっていた。私の場合はアイウエオ順でも時間順でもなく、5つほどの大分類ごとに小テーマで分類したものが一番合っていたようだった。
自宅の袋ファイルも社会活動をするようになってからは増え続け、いつの間にかそこそこの量になっていた。といっても200袋もなかったとは思うが。
それを2年か3年前、全部スキャンして電子化し、ほぼすべて捨ててしまった。スキャナ(ScanSnap)とエバーノートの導入が決め手であった。
袋ファイルに記入する分類名がエバーノートのノート名であり、さらにスキャンした書類の内容もOCRされているのでそれも含めて検索対象になるから、これはまったく袋ファイルの機能をほぼ網羅しているといえるものだ。ただしスキャンすればいいというものではないもの、たとえばCDとか有印文書、なんらかのブツそのもの(旅行に行った時のオミヤゲなど)については、それも封筒に放り込んでおけばよかったので、それについては電子化でカバーしきれない。でもまあそんなものは少しだけだ。
とはいえ、今でもこの「古典」を読むのは楽しい。「今風」に裁断して自炊し、リーダーに収め、最近空き時間に読んでいるのだが、今の時代にそのまま適用できる整理術はほとんどないものの、「自分の身の回りを機能的にしていく工夫」を読んでいるのが楽しいのだ。
マンションの隣が空いたのでこれを借りて、本棚を置いてホームセンターで買ってきた板やらアングルやらで機能的な書棚にしたり事務作業と思考作業に合わせたレイアウトを考えたり、つまりは「自分の城」を作りこんでいく過程は、読んでいてワクワクする。「自分の書斎」ってのはやはり夢ですからねえ。
考えてみれば私はいまだにそれを持っていない。自宅仕事部屋(変形8畳間)は女房と共有である。まあ事実上大部分をわが物にはしているし、2人が同時に作業をしていることもあまりないのでストレスにはなっていないけれど。
スキャナ&エバーノートのおかげで「書類」は横置きにしたカラーボックス1つに十分収まっているし、何よりもクラウドのおかげでPC1台とWiFiルータ、あとはせいぜいギャラタブがあれば、ファミレスやホテルで大部分の仕事はできるようになった。だから着替えの心配さえなければボディバッグ1つでノマドができる。着替えを含めてもせいぜいデイパック1つあれば十分だ。
私はいつの間にかあんなに憧れていた「書斎」が特になくてもいいと思える生活スタイル・仕事スタイルになっているのだなあと、「古典」を読みながら再認識した次第である。
そんな中に、ずっと前に古本屋で買った山根一眞氏の「スーパー書斎の仕事術」があった。
この本が出たのは1985(昭和60)年。私が社会人になった年である。
NECがPC-9801F2という、はじめてフロッピーディスクを搭載した16ビットパソコンを世に出した年であり、そしてそのマシンはN88-BASICでプログラムが組めなければただの箱であった。私が入った会社でも日本語ワープロ専用機がデスクトップマシンとしてどでーんと座り、フロッピーディスクの辞書をカッタンなどと音をさせて読み込んでは文節単位で変換していた時代だ。
そんなデジタル時代のまだ入り口をくぐりきっていない頃に出版されたこの本は、「個人情報整理の古典」などとよく言われる。それは「袋ファイル」という今の時代にも十分通用する個人データベースシステムを提唱したからだ。
袋ファイルというのは何のことはない、角2封筒(A4サイズが入るサイズ)の頭を切り詰め折り返しのない袋状にして、その中に書類でも写真でも放り込んでおくというものだ。そして封筒の端っこに分類ワードを書いて整理する。
山根氏はアイウエオ順に、かつ定尺の枠を設けてきちんと書いて分類しているが、このあたりはその後いろんな方法が提唱されている。たとえば野口悠紀雄氏は枠など使わずざっとテーマを書き、これを時間順に並べる方法を提案していて、それはそれで機能的でもあった。
私もこれには大いに感化されて袋ファイルシステムをさっそく導入したものだ。
もっとも社会人になって数年で、会社と自宅の往復しかしておらず社会活動もしていないような者には袋ファイルで分類しなければならないような書類が自宅にあふれているはずもなく、新聞の切り抜きを集めたりして無理に分類整理していた。つまり典型的な形から入ったというか手段が目的化していたわけですね。
会社ではそこそこに仕事やいろんな情報があるから、そこそこに意味を成し、10年後にはある程度機能的な整理システムになっていた。私の場合はアイウエオ順でも時間順でもなく、5つほどの大分類ごとに小テーマで分類したものが一番合っていたようだった。
自宅の袋ファイルも社会活動をするようになってからは増え続け、いつの間にかそこそこの量になっていた。といっても200袋もなかったとは思うが。
それを2年か3年前、全部スキャンして電子化し、ほぼすべて捨ててしまった。スキャナ(ScanSnap)とエバーノートの導入が決め手であった。
袋ファイルに記入する分類名がエバーノートのノート名であり、さらにスキャンした書類の内容もOCRされているのでそれも含めて検索対象になるから、これはまったく袋ファイルの機能をほぼ網羅しているといえるものだ。ただしスキャンすればいいというものではないもの、たとえばCDとか有印文書、なんらかのブツそのもの(旅行に行った時のオミヤゲなど)については、それも封筒に放り込んでおけばよかったので、それについては電子化でカバーしきれない。でもまあそんなものは少しだけだ。
とはいえ、今でもこの「古典」を読むのは楽しい。「今風」に裁断して自炊し、リーダーに収め、最近空き時間に読んでいるのだが、今の時代にそのまま適用できる整理術はほとんどないものの、「自分の身の回りを機能的にしていく工夫」を読んでいるのが楽しいのだ。
マンションの隣が空いたのでこれを借りて、本棚を置いてホームセンターで買ってきた板やらアングルやらで機能的な書棚にしたり事務作業と思考作業に合わせたレイアウトを考えたり、つまりは「自分の城」を作りこんでいく過程は、読んでいてワクワクする。「自分の書斎」ってのはやはり夢ですからねえ。
考えてみれば私はいまだにそれを持っていない。自宅仕事部屋(変形8畳間)は女房と共有である。まあ事実上大部分をわが物にはしているし、2人が同時に作業をしていることもあまりないのでストレスにはなっていないけれど。
スキャナ&エバーノートのおかげで「書類」は横置きにしたカラーボックス1つに十分収まっているし、何よりもクラウドのおかげでPC1台とWiFiルータ、あとはせいぜいギャラタブがあれば、ファミレスやホテルで大部分の仕事はできるようになった。だから着替えの心配さえなければボディバッグ1つでノマドができる。着替えを含めてもせいぜいデイパック1つあれば十分だ。
私はいつの間にかあんなに憧れていた「書斎」が特になくてもいいと思える生活スタイル・仕事スタイルになっているのだなあと、「古典」を読みながら再認識した次第である。
2012年2月14日火曜日
しあわせって何だっけ
立松和平「知床に生きる」(新潮新書)は、大船頭・大瀬初三郎へのインタビューを中心に知床の番屋で生きる漁師の姿を描いていて、好きな本である。
おそらく日本中の地方で、斜里のように小浜のように、一次産業や二次産業がまだまだ主力で三次産業は萌芽期にあるような社会の中で、まだあか抜けない粗野な部分もいっぱい残した、だけど心優しい純朴な人たちが、健康な体を何よりの資本にしてひたすらに働いていたのだろう。
「きっとまた読みたくなるな」と思う本は読み終わってから「自炊」でPDFにし、エバーノートとリーダーに入れているのだが、結局読まずに死蔵している本も多い中、比較的、短いインターバルで再読している。
この本も一昨年の口頭試験セミナーツアー中に購入して気に入ったので、その後自炊したものだ。なお、昨年末に電子書籍版も発売されている。
この本も一昨年の口頭試験セミナーツアー中に購入して気に入ったので、その後自炊したものだ。なお、昨年末に電子書籍版も発売されている。
この本の中に、昭和40年代ごろ、サケ・マスが漁獲量は少なくとも値段が高く(国外産がまだ入ってきていないのだろう)、漁師がたっぷり稼いでいた時代、斜里町には魚の加工場が10か所以上、ビートのデンプン工場が4件、映画館も4件あって、斜里の黄金時代であったというくだりがある。
私はいつも斜里町では道の駅でおみやげを買うくらいで、宇登呂に向けてさっと通過していたので斜里町のまちなかをほとんど知らないのだけれど、今はどうなんだろう。
ともあれ、こういう話を聞くと、自分の幼いころの記憶とともにこの時代が思い出される。昭和40年代ということは私も小学生で記憶がちょっとセピアになりつつも比較的鮮明なワンシーンもたくさん残っている。
大阪万博(昭和45年)のころで、高度成長期のピークだった。都会と地方の格差はいまだに大きく、それは食べ物という日用品の最たる部分にも表れていたけれど、カラーテレビをはじめとする3Cがいよいよ普及しつつあり、右肩上がりの最盛期であったように思う。
もちろん今とは比べ物にならないくらいすべての面において未成熟な社会だったけれど、一生懸命働くとそのぶん豊かになれる、きわめてシンプルな社会のつくりの中で、愚直に、快活に、そして前向きにみんな働いていた。私は小学生だから働いてはいないが、子どもの目にそういう印象が残っている。
昭和30年代?の小浜市の街角 |
朝早く起きて工場へ行き、クリエイティブではないかもしれないがストレスもあまりたまらない、どちらかというと単純な作業に従事して、夕方になると家族団らんなりイッパイなりの楽しみがあって1日はきちんとリセットされ、週末はきちんと休んでちょっといい服を着て映画を見に行く。これが繰り返されて、少しずつ家の中にモノが増えていったり子どもが成長していく。日単位の楽しみ、一週間単位の楽しみ、そしてもっと長いスパンの喜びを楽しむ「昭和のくらし」だ。ああそうだ、「三丁目の夕日」の暮らしといってもいいかもしれないな。
今の時代は日単位の楽しみ、一週間単位の楽しみはあっても、もっと長いスパンの喜びが期待できないというか、長いスパンになればなるほど不安のほうが大きくなってきたりするところがきっとつらいんだろうな。
家も家電も情報通信環境も、さらには食べ物のバリエーションも一日の労働の後の楽しみの選択肢も、当時と比べると格段に豊かになったけれど、この子が大きくなったときに暮らしていける社会なんだろうかとか、自分の老後は守られるんだろうかとか、「未来には希望より不安のほうが大きくある」暮らしというのは、「幸福」ではないのかもしれない。
だけど人はみんな幸福になりたいから、何も考えずにいても幸福になれると思っている時代ならともかく、今の時代は各自各様に「幸福って何だろう」と考える。自分にとって、あるいは家族にとって、社会にとって。
「ああ、みんないろいろ考えているんだなあ」と思うのは、ちょっとした雑談や飲み話の中である。自分が何か考えていることに話題が及ぶと誰しも自分の考えや思いを口にするものだが、その頻度が多くなったと感じる。
エネルギー問題に関することでさえそうだ。若狭地方にはいっぱい原発があり、立地自治体であろうとなかろうと、原発やその関連産業で働く人が大変多い。自分の友人や知っている人が原発関連産業で働いていると、あんな大事故があってさえなかなか話題に出しにくいものだが、最近ははっきりエネルギーに関する議論というか雑談も増えた。誰しも憂いたり悩んだり気にしたりしているんだなあと思う。世の中には「自分の仕事や自分の儲けがなくなるから脱原発に反対している身勝手な奴ら」なんて十把ひとからげに単純化してしまう頭の構造がシンプルかつひとりよがりな輩もたまにはいるけどね。まあそうしないとモノゴトが理解できないんだろう。
それはともかく、「エネルギー問題はどっちへ進むべきか」などというテーマは、みんなそれぞれに考え・意見・答えを持っているだろう(その早期実現性はともかくとして)。たとえば「早い遅いはともかく、方向としては脱原発に進み、だけど化石燃料に依存するのもよくないから、技術的に、また社会経済的に可能なかぎり再生可能エネルギーにシフトし化石燃料依存は必要最小限にする」といったことを言えば、その方向性自体に反対する人は多くはないだろう。
しかし経済的な閉塞問題は「どうしたらいいのかねえ」という人が多い。これもつらいところだ。
自分なりに「こうしたらいいんじゃないか」と思っていれば、少しでもそちらに進むように行動できる。何かを購入したり、生活の一部をそちらの方向に変えたり、あるいは選挙で意思表示したりだ。
でも自分なりの意見も持てない(考えていないのではなく、複雑すぎたり納得できる提案が見当たらなかったりして、考えてもわからない)と、何をしたらいいのかもわからないから立ち尽くしてしまう。未来に不安を感じつつ立ち尽くしてしまって動けない。人も社会もそうなっているかのようだ。
でも、経済的な豊かさと幸福度は必ずしも比例しないということはみんなわかってるんじゃないのかな。だからブータン国王に熱い視線を送ったりしたんじゃないだろうか。
ヨーロッパのどこかを訪ねるテレビ番組で、石造りのまちなみの中で夕暮れを楽しんだり夜を楽しんだりする人たちが紹介されていた。分厚い歴史の中で、歴史や国や文化に誇りを持って、ライフスタイルに確信を持って悠然と暮らしているんだなあと思った。これも幸福なことではないかと思うけどね。
ちなみに私はポン酢しょうゆよりフツーのしょうゆのほうが好きだ。(このオチわかりますか?)
2012年2月13日月曜日
郷土食で腹いっぱい^o^
昼食に「濱の四季」のバイキング。今月限定で、けっこう人気のようだ。
いつもはテーブルが並んでいる空間に料理がずらっと並べられている。一見ホテルのバイキングと大差ないように思うかもしれないが、小浜周辺の旬の食材を使い、郷土色豊かな料理が数多く並んでいる。
木製の大皿にいろいろと少しずつ取っていただく。上(時計の12時あたり)から時計回りに、
いつもはテーブルが並んでいる空間に料理がずらっと並べられている。一見ホテルのバイキングと大差ないように思うかもしれないが、小浜周辺の旬の食材を使い、郷土色豊かな料理が数多く並んでいる。
木製の大皿にいろいろと少しずつ取っていただく。上(時計の12時あたり)から時計回りに、
- 今年豊漁のぶりのアラの大根煮つけ
- ネギとしめ鯖のぬた。 特産の谷田部ネギのぬたは私の好物だ。
- その左にごぼうのごまあえ
- 右側のちょっと黄色みがかったのはウコンのポテトサラダ
- コンニャクやアゲの煮物
- 煮豆
- キャベツと鶏のサラダ
- その上、揚げ大根
- その左、オカラ
- その左、回鍋肉
- 一番左、小鯵の南蛮漬け
- その上、天然塩をかけていただく旬の野菜の天ぷら(谷田部ネギがうまい)
- ど真ん中、里芋のコロッケ
- その右、中華飯とタクアン
- 右側の小鉢、大根とにんじんのなます
- 左側の小鉢、アボカドの和え物
- 左端のグラス、りんご酢
いずれも地元食材で手間をかけ、なによりも薄味でおいしい。これだけ手間暇かかる料理を少しずつ多種類いただけるのは大変な贅沢だと思う。なんというか体の中の毒素が浄化されるようですな。
あまりに美味いので、さらに小鉢のラーメンとうどん、焼きたてほくほくのカレイの一夜干し、酢豚、パスタ、小さな焼きおにぎり、デザートにバナナヨーグルトに水ようかん、かぼちゃの水ようかん、シフォンケーキ、クッキー、豆乳プリンなども食べてしまった。
全部一口サイズばかりだが、それでもおなかいっぱいになった。
これで腹ごなしに濱の湯でひとっ風呂なんていうともう至福の時だが、あれこれあったので今日は断念。
このバイキングは今月いっぱいやっているから、また来よう。
2012年2月12日日曜日
眠れる森の美男
昨夜はゆっくり読書しようと床に入ったものの、9時半すぎには他愛もなく寝てしまった。
夜中に1度か2度トイレで目覚めたもののすぐまた寝て、結局朝7時半までぐっすり。こんなに寝たのは久しぶりだ。
にもかかわらずバスに乗ったらまたすぐに寝てしまい、姫路から神戸までずっと夢の中であった。
神戸ではまずカワサキワールドへ。この危機の時代にこういうところへくると、今の日本はやはりものづくりという基盤の上に立っていることを再認識させてくれる。
0系新幹線のレトロな運転席で子どもが目を輝かせてレバーをいじっていた。そうなんだよなあ。子どもって機械好きだもんなあ。NPOとして子どもの琴線に触れるようなものをもっともっと提供したいなあと、寝すぎてぼんやりした頭でぼんやりと思う。
昼食は南京町。かなりベタベタな旅行ではある。
自由行動だったので一人で気ままにふらふら歩くも、どうもラーメンや饅頭方面に手が伸びない。
結局中華街なのにベトナム料理の店でフォーと春巻きとパパイヤサラダという何しに来たんだオマエ的昼食をとってしまった。でも店の前を通ったときにビビビッと食べたいと思ったんだもん。ベトナム料理は全般的に好きで、グアムに行った時もなぜかベトナム料理の店に行った。パクチーもけっこう好きなのである。
2時半ごろ神戸を発ち、5時には小浜に着いた。でもその間、またしても半分以上寝ていたのである。昨夜の夕食でナニカを盛られたか?
そうそう、今日ひょんなことでFaceBookアカウントを取得して会員になったが、SNSに興味がないことと、なんだかいろんな情報が入ってきてうざったかったので、即日アカウント削除した。
…こんな俺って変?
なんというか、ネットの上に友達がいっぱいいて軽くつながっているという感じ、知っている人の動向が短いスパンでわかるというのは悪くはないのだが、ほんのちょっとしたことがワイワイと入ってくるのはちょっと距離が近すぎる気がするのだ。
まあ今のところの私にはちょっと合わないということで。
夜中に1度か2度トイレで目覚めたもののすぐまた寝て、結局朝7時半までぐっすり。こんなに寝たのは久しぶりだ。
にもかかわらずバスに乗ったらまたすぐに寝てしまい、姫路から神戸までずっと夢の中であった。
神戸ではまずカワサキワールドへ。この危機の時代にこういうところへくると、今の日本はやはりものづくりという基盤の上に立っていることを再認識させてくれる。
0系新幹線のレトロな運転席で子どもが目を輝かせてレバーをいじっていた。そうなんだよなあ。子どもって機械好きだもんなあ。NPOとして子どもの琴線に触れるようなものをもっともっと提供したいなあと、寝すぎてぼんやりした頭でぼんやりと思う。
昼食は南京町。かなりベタベタな旅行ではある。
自由行動だったので一人で気ままにふらふら歩くも、どうもラーメンや饅頭方面に手が伸びない。
結局中華街なのにベトナム料理の店でフォーと春巻きとパパイヤサラダという何しに来たんだオマエ的昼食をとってしまった。でも店の前を通ったときにビビビッと食べたいと思ったんだもん。ベトナム料理は全般的に好きで、グアムに行った時もなぜかベトナム料理の店に行った。パクチーもけっこう好きなのである。
2時半ごろ神戸を発ち、5時には小浜に着いた。でもその間、またしても半分以上寝ていたのである。昨夜の夕食でナニカを盛られたか?
そうそう、今日ひょんなことでFaceBookアカウントを取得して会員になったが、SNSに興味がないことと、なんだかいろんな情報が入ってきてうざったかったので、即日アカウント削除した。
…こんな俺って変?
なんというか、ネットの上に友達がいっぱいいて軽くつながっているという感じ、知っている人の動向が短いスパンでわかるというのは悪くはないのだが、ほんのちょっとしたことがワイワイと入ってくるのはちょっと距離が近すぎる気がするのだ。
まあ今のところの私にはちょっと合わないということで。
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