大阪まで日帰りで行ってきた。
大阪産業大学の梅田サテライトで「環境サロン」というのがあって、震災と原子力、震災と住環境問題について講話があるというので聞いてみようという気になったのだ。まあとにかく腰を軽くしようと思って。
主催は環境技術学会だが、いつも集まっているのか受講生もなんだか顔見知りばかりのようで、こりゃあ場違いなところに部外者が(それも遠方から)来ちゃったかなーと思っているところへ講師が遅刻するとのこと。時間の連絡がちゃんとしていなかったらしい。うーむ。
で、講師が来るまでに間に主催者と思われる人(大学の先生らしい)がつなぎの話をされるのだが、これがまたあさっての方向に大きく流れてしまって、もうどうしましょうと思っていると講師が到着した。ああよかった。
某原子炉実験所の人が講義してくれたのだが、放射性同位元素、放射線、被ばくと丁寧に説明していってくれる。
私は原子力放射線は専門外だから大変ありがたいのだが、これがまあ細かい細かい。グレイからシーベルトへの換算式における係数をひとつひとつ細かく説明する。
科学者なんだなあと思う。正確に表現しないといやなのか、イメージが独り歩きするリスクを考えているのか知らないが、とにかく素人には難しすぎる。
説明を丁寧にすれば理解はできるだろう。でも説明するものの数が多すぎると、個々の理解はできてもそれらを組み合わせた全体は理解できない。案の定、さっそく睡眠に入る人もいる。
でまあ、スタートが遅い上に話が長く、時間はどんどん過ぎていく。30分遅れでスタートしたが、当初終了予定時刻の30分後になったも終わる気配もないどころか本題に入る前の「専門用語説明」に終始している。
放射線やその被ばくとがん発生に関する正しい理解を促したいのは、科学者なら当然の思いだと思う。それらの理解不足がセンセーショナルに扱われて、ヒステリックな言動を取る人やメディアが出るのを目の当たりにすると、専門研究者・技術者としてはイライラすることだろう。
講師は原爆による被ばくと福島での被ばくを比較したのが、こういうナーバスな問題だから正しい知識と理解を持ってもらわないと誤解されちゃいかんと思うのだろうな。
結果、確かにしっかり聞けばしっかり理解できるのだが、一般人が日常的に聞くであろう「数字・単位・計算・データといったものの定義や考え方や関係の説明」の量を大きく上回る情報を聴いて理解できれば、という条件がつく。
それでも(苦労に苦労を重ねて正しく理解したとしても)なお理性的に考えてくれない人はいっぱいいる。怖いとかいった感情の問題でバイアスがかかってしまっている人(たとえば車を運転するくせに飛行機に乗れない人みたいなもの)、最初から結論を持ってしまっている人(思い込みがあると人の言うことなど最初から聞かないから、説明するだけ無駄。実はこのタイプで困るのが科学者・技術者で、自分で論理的に正しいと思っているから一番たちが悪い)などだ。
まあともかく、結果的にスタートの遅れ以上に遅れて講師交代。
1枚目のスライド、
「巨大災害は、社会改革(世直し・軸ずらし)を伴う復興が欠かせない」
「その時代や社会が持っていた社会的矛盾を前倒しする形で顕在化させるので、復興の中で、その社会的矛盾を改革することが欠かせない」
という2つの言葉には感銘を受けた。そのとおりだと思う。
リアス式海岸だから小浜と同じで物理的に大きなまちは作れない。だから都市インフラはぜい弱だし人口も少ないからマンパワーも少なく商圏も狭くて商売もしにくい。そして少子高齢化も進んでいる。おそらく被災地も似たような環境だろう。そこには日本の「地方」が持っている矛盾があったに違いない。それが一気に顕在化してしまった。
遠野まごころネットの斎藤さんが言っておられた地域コミュニティの問題を思い出した。
地域ごと仮設住宅に入れたところは地域コミュニティが残っている。ちりぢりに避難した人が集まった仮設jはこれがない(ゼロから作らないといけない)。さびしいとか生気がなくなるといったことは無論だが、ニーズの拾い集めに差が出るので仮設間格差が生まれている。
地域コミュニティの喪失というカタストロフが日本中をじわじわと覆っている。それが一気にやってきたのが被災地だともいえるだろう。だから被災地での地域コミュニティ再生の取り組みは、地域コミュニティに関わろうという気がある人、行政やまちづくりの技術者やNPOなどはこぞって学び、できれば体験すべきではなかろうか。
講師のスライド「今回は、自治体の再建、コミュニティの再建、地域経済の再建を優先する」…そうだなと思う。そして「自治体」と「コミュニティ」の間にあるものが地域自治、小浜でいうといきいきまちづくりの会だ。やっぱり「いきまち」はただのイベントグループや公民館外郭団体ではいかん。
「新しい公共」に関わったおかげで地域コミュニティについて勉強できて、その問題が被災地でより顕在化していることを教えてもらい、小浜でもちょうど上根来という「限界の限界集落」の活性化に関わって…という最近の自分には、講師の一言一言が深いところにぐんと入ってくる。今日は来てよかった。
お二人のお話のあとパネルディスカッションがあるが、終了時間が遅れるのは目に見えているので申し訳ないが途中退席。
地下鉄で日本橋でんでんタウンに行き(好きだなあ^^;)「今度行ったら買おう」と思っていた小物をいくつか買った。
土曜日の夕方、なかなかの人手。コンテナにジャンク品を入れて「型番だけで判断できない人はお呼びじゃないよ」的な中古ショップの猥雑感が好きなので、ついつい時間いっぱいウロウロしてしまう。
ヲタロードあたり。前も紹介したと思うが、ここはホコテンではない。だけど当たり前のように人は道路の真ん中を歩く。これも何とも好きな光景だ。
なんばから高速バスで小浜に帰った。
今日はほんのちょっとした「脱出」だったようにも思う。SUKIYAKI塾はあちこちで動いており、自分自身もレンタルサーバがいっぱいになったのを機にAPEC-semiのページをリニューアルしようとしており、そして「新しい公共」が佳境に(魔境に?)入っているので、とにかくThings To Doに満ち溢れているのだ。
ガラガラのバスの中でリクライニングシートをいっぱいに倒してぼんやり夜空を眺めていた。
2~3年前、東京かどこかから飛行機で帰ってきたときも同じような感じだったなあと思い出す。月が出ていて、バスをずっと追いかけてきていた。カーブするたびにバスを追い越して行ったり後ろに置いて行かれたり。
そんな月を眺めながら、大きく変化しつつある自分の人生を思い、これからのワクワク感と不安感がないまぜになって、なんだか涙が流れそうになったことだった。
でも結局なるようになるわけですね。ケ・セラ・セラだ。いいこともそうじゃないことも、うまくいくことも失敗することもあるわけで、それを楽しみにしたり怖がったりするのは当然なことだけど、そうしつつも動かずにいるよりましだと思うから、前に進むんだな、結局。
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