いつものように夜明け前の海岸を歩いていると、妙なものが海上に見える。
えらく小さなボート(?)に乗ってパドルを漕いでいく人がいる。カヤックかな、でも妙に短いし平たいなと思っていると。今日はちょっと時間が早いので、まだ太陽は顔を見せていない。ずいぶん涼しくなったといってもまだまだ暑く、汗びっしょりというほどではないけど、そこそこに汗をかいた。
いつものように夜明け前の海岸を歩いていると、妙なものが海上に見える。
えらく小さなボート(?)に乗ってパドルを漕いでいく人がいる。カヤックかな、でも妙に短いし平たいなと思っていると。今日はちょうどいい時間に徘徊開始。
夾竹桃咲く道を進むほどに明るくなってきて、ちょうど松林の横を歩く頃に夜が明ける。今日は会社で多摩ちゃん講師のシモベとして働かねばならないので、朝ちょっと早めに徘徊して気合いを入れた。^o^;
今日はちょっとだけ遅め。
マリーナのあたりで夜が明けてきた。この時間にもう釣りに出かける人たちがやる気満々で岸壁に出てきている。見えれば車は大阪ナンバー。何時に出てきたんだ?ワンパターンの夜明け徘徊だが、当たり前ながら毎朝時間が少しずつ異なる。
今日はちょっと早めだったせいか、まだ夜が明けきっていない。西の空が朝焼けを反射してあかね色である。いつもの海岸通りを歩いていて、ふと街路樹の花がきれいに咲いているのに気づいた。
毎日ここを通るのに気がつかなかったというのは驚きで、まったく人間は視界に入っていても意識しなかったら見えていないのだなあと痛感。というか、添削と海の景色に夢中で、回りを見回す心の余裕がなかったのだなあと反省。今年に入ってNextMobileというデータ通信サービスに契約してモバイルルーターを持ち歩いている。
3000円台の定額料金で容量無制限で通信できるので大変ありがたいなと、ソフトバンクの回線を使っているため上根来でも通信できるので私にとっては大変都合がよく、使い始めて1ヶ月経つか経たないかの間に WiFi 常時接続が当たり前状態の思考回路になってしまった。^o^;
ところがあろうことかそのNextMobileを運営するグッドライフという会社が早くも容量無制限プランを止めるという発表を行ったようだ。
考えてみればそのようなプランを提示すればテラバイト単位で使いまくるユーザーが出てくるのは火を見るより明らかなわけで、それが予想できなかったというのはあまりにも見通しが甘いとしか言いようがない。
まあになるようにしかならないのだが、結局MVNOというのは最後はあてにならないという結論になってしまうのだろうか。それはそれで残念な気もするし、takeさんに勧めてしまっただけに、申し訳ないなあ。
我が家の寝室は北向きと東向き窓があって、お盆を過ぎると時には網戸のままで寝るとちょっと肌寒いくらいになるのだが、今年もようやく夏布団をかけないと寒いと思うくらいになった。
外では虫の声が日増しに賑やかになって行く。季節はちゃんと進んでいるのだ。
最近は毎日日の出の前に起きて1時間以上歩き、朝食後も1時間ほど外仕事をして、集中してデスクワークをやり、昼にはそばなどちゃちゃっと作って豪快にすすり、それからスカッと昼寝をしてまたデスクワークをしたり外へ用事をしに出たりして、夕食後も今度は女房と歩いて、早めに風呂に入ってあまり夜更かしもせずにスカッと寝ていて、それはそれで生産性の高い充実した日々を送っていると言えるのだろうけれど、 やっぱりそれは潤いがない。
長年かけて積み上げてきた生産性の高さを自分でも感じながら満足して頭をフル回転させながら仕事をする時間も快感なのだけれど、ゆったり流れる時間を感じながら生産性などどうでもいいやと思いつつぼーっとしたりバカ話に興じたりする時間も快感で、きっとこれがなければギスギスした人生になってしまうのだろうな。
たぶん私はあちこちで無意識のうちにそういう時間を作っているのだろうと思う。それがきっとメリハリになって、我が老化しつつある脳味噌にエネルギーをくれている(ドーピングに近いような気もするが)のだろうと思う。
今日はアウトドアではなくインドアの工作に精を出した。
クロマキースクリーンを自作してみた。この何かというと、Zoomなどの Web 会議で背景を緑一食にするためのスクリーンである。我が家には、家と物置小屋に挟まれた中庭のような4m×3m程度の狭い空間がある。何に使っているわけでもなく、庭木も植えてあるわけでもなく、ただ草ぼうぼうの状態になっていて、年に1回か2回草刈りをする。
これが面倒なので、除草シートで覆った。昨日の夕方、日が陰ってからバラスが撒いてあったのを集めて猫車で別の所に運ぶ作業を1時間ほどしておいて、今日、早朝徘徊を終えて母の食事を作り、自分も朝食を食ってから2時間ほどかけてシートを敷設した。柘植が生えていたのだけぽつんと残した。
作業をしていたら隣家のおばちゃんが声をかけてきた。
「働き方改革やね」
「…?」(意味がわからないので、とりあえずニコニコしておく)
「草が生えては刈っての繰り返しやもんねえ」
「…はい。そうですねぇ」
なるほど、これってイニシャルコストをかけてメンテフリーにしたということになるんだろうな。
確かに面倒な草刈りからは解放されそうだ。すでに我が家の裏手のスペースも除草シートをかけてあるのだが、こちらは駐車スペースにもなるので、いずれは何かで舗装しなきゃだな。
前庭はさすがにシートをかけるわけにはいかないので、こちらはこまめに草むしりをするしかないのだが、それでも中庭と裏手がメンテフリーになったのはありがたい。
いつものように朝の海岸を添削しつつ徘徊。毎朝1人か2人歩きながら添削してます。
ちなみに毎朝この道を歩いています。ほぼ北に向かう道で、右手が山、左手が海。右の方から明るくなってくる。そして内外海半島が照らされる。朝食を作らねばならないので、6時半前に川西の会館のあたりまで戻ってくるのだが、毎朝ラジオ体操に子どもたちが集まってくる。
ラジオから「新しい朝が来た。希望の朝だ…」という歌が流れる。私が小学生の頃の同じだったから、もう少なくとも半世紀は同じ歌が同じ時刻に流れ続けているのだ。すげえなあ。
今でもラジオ体操第一だったら踊れるからなあ。多分第二もできる。
よく見ると、子どもに混じってお年寄りも体操している。もし子どものどちらかが同居していたら、あと6年か7年もすると、じいじは孫と一緒に体操しているのだろうな。
その孫達の成長は、スマホで毎日のように見ることができる。
日の出の風景が日々変化するように、孫たちもまさに日進月歩で成長している。
そう思うと、同じことをルーチンで繰り返していることがちょっともどかしくもなってくる。何か「昨日までとは違うこと」を新しくやりたいなあ。
だんだん日の出の時間が遅くなってきて、歩きながら日の出を見ることが多くなってきた。
横を見れば、夕闇に浮かぶ小浜のウォーターフロントの風景があった。この風景は結構好きだ。波静かな海に迫る海岸通りの灯りと、その後ろに浮かび上がる万葉集にも読まれた後瀬山の風景が、この磯辺で悠久の昔から紡がれた数多くの物語を語っているようで、若い頃から好きだった。
なーんて風流してみたりしたが、相変わらず暑い。野暮用を済ませて帰宅するとき、どれほど車をそのあたりに乗り捨てて(翌日まで駐車していても全然平気なところはいくらでもある)一杯引っかけて帰ろうかと思ったくらいである。
それでも夜ベッドに入ると、外から虫の声がちゃんと聞こえるようになってきた。エアコンなしでも十分涼しく寝られるようになったし。
毎年思っていることだが、季節はちゃんと進むのである。コロナがどうのと世の中がひっくり返っていても、平然と毎朝上る朝日のように、季節も平然と、粛々と進んでいるのである。
届け物があって宮川に行ってきたのだが、ひまわりが咲いていた。
今はもう閉校になった旧宮川小学校の裏手に、ちょっと小ぶりなひまわりが。去年はあまり咲かなかったらしいが、今年はきれいに咲いたとのことだ。お盆明けの日曜日、帰省していた人たちも帰ったとみえて、朝から浜で釣りをしている人も少なくなった。
猛暑でもあるし、ちょうど添削もたまっているので、今日はどこにも行かずにひたすらデスクワークをしてたのだが、寄る年波には勝てず、ある程度やると猛烈に飽きてくる。というか目もかすんでくる。どうにもならないので机のすぐ横にあるソファに寝っ転がる。スマホ少しいじる。私眠くなる。私寝る。
このサイクルを今日は3回ほど繰り返してしまった。^o^;
夕食直後はまだ暑いので、8時過ぎくらいから歩こうかなと思っていたのだが、女房が半沢直樹をなんとしても観るというので7時半ごろから1時間ほど夜の徘徊。夜でも暑いので私汗かく。汗かいたので風呂入る。風呂上りにビール飲む。私眠くなる。私寝る。
うーむ、トータル睡眠時間はかなり長くなっているようだ。
お盆の送り日。上の妹一家が福井市から半日だけ帰省して帰り、夕方に正信偈をあげたあと浜に行ってご先祖様を送ってお盆は終了。今年は本当に簡素だったが、こんなお盆でもいいと思う。
夜、久々によしきと飲もうということになり、歩いて市役所横の「はっさく」へ。ちょうど日没を過ぎた頃だったが、まだまだ暑い。今年のお盆は猛暑のようで、夜か早朝でないと徘徊できない。いや、無理すれば歩くくらいはできるが添削など論外である。
東側は山があるので、太陽が出るのは少し遅めだ。「朝雲映ゆる」で始まる母校・若狭高校の校歌を口ずさんだり。 今日からお盆である。仏壇の飾り付けをして、墓参りをして、夕方になったらご先祖様をお迎えに行って…子供のころからずっと同じように続くお盆行事だ。