2012年2月24日金曜日

自分をとりまく花びら

相変わらずバタバタで過ごしている。年度末に向かってNPOもあれこれと会議などが増えてくるのだが、今日はどの団体の会議だっけ?とわからなくなってしまうことも珍しくなくなってくる。

21日の鯖江での講演で使ったスライドのひとつ。私というものを真ん中に置いて、自分の関わっている所属している)組織を書いてみたものだ。地域団体、歴史文化系団体を細分するともっと細かくなるけれど、まあ8つ以上は表現しにくくなるのでこの程度にしておいた。マインドマップにしてもいいだろう。
たくさんあるなあとも思うけれど、どれがどの団体の活動だときちんと区切れるものでもないし、思わぬつながりになったりもする。だから、自分で自分の所属や受け持ち範囲を限定してしまうのはもったいない話だと思う。
自分の感性や仲間を信じてふらふらとそこいらじゅうに首を突っ込んでいると、無駄は多いし回り道にも多々なるけれど、いろいろと面白い刺激があるし、これまでの自分にない発想が出てくるので実に面白いものだ。

ところでこういうことができるのは、APEC-semiのマンツーマン講座・企業団体から依頼されてのセミナー講義・書籍の3つで自分自身の経済基盤を支えているからだ。
これがあるからこそ採算度外視でセミナーツアーができたり、合格事例集のオンライン販売収益を講師派遣事業や東北支援事業の原資にできたり、そして何よりNPO活動に躊躇なく労力や時間を割いて飛び込んでいけるわけで、これは本当にありがたいことだ。

思い起こせば、最初はネットだけでの受験支援だったのが、いろんな要望もあって、face to faceの効果も考えて、実費を受講料としてシェアする方式でセミナーをやったのが2008年だったろうか。これでセミナーに関して自信をつけた。
同じタイミングで「WACおばま」が活動資金を自力で獲得せざるを得なくなったため、セミナー活動を徐々に本格化させるとともに本も出した。
ところがOBAMAフィーバーや「つばき回廊」その他いろんなことがあって、NPO活動に本腰を入れたくなる一方で、仕事との両立が難しくなってきた。詳細は書けないが、「これまでのやり方」を続けることができなくなったのだ。
そこで、企業団体からのセミナー講師の声掛けをいただき始めていたこと、出版がそこそこ順調だったことから、2009年の春に思い切って 「自分でないとできないこと」、つまりマンツーマン講座、セミナー講師、書籍を個人事業化した。この決断は苦しかったなあ。

おかげでAPEC-semiとしての個人事業は無論、NPO活動がかなり柔軟にというか自由にやれるようになった。小浜には、私が髭を生やしはじめたころからNPOの活動レベルを上げたことを知っている人もいるだろう。
そしてその結果、セミナーにも時間をかけられるようになって地方ツアーが可能となり、北海道から沖縄まで足を延ばし、そこでの感動が技術者派遣事業につながっている。
SUKIYAKI塾の皆さんは、夏までの筆記試験セミナーのころの私には髭がなく、秋以降の私は髭おじさんになっていたことをご記憶のはずだ。あれはたまたま髭をそる時間が取れなかったことがきっかけではあるが、私なりの「生まれ変わり」でもあったのですよ。
2009年7月沖縄ツアー。私には髭がない。たくくも若い。^^;
そして技術者派遣事業をやりたい!という思いは、そのための原資を確保しなければという思いにつながり、合格答案を提供してもらっての実例集オンライン販売につながる。おかげで翌年(2010年)に技術者派遣は実現できた。
実際に技術者派遣をやってみると、人と人とのつながりがまた広がり、知床さんとバイアさんは沖縄にハマるわ、高知の「木の人」と沖縄の「水の人」は知床で不思議行動をとるわ、ヴォルクさんは沖縄のうら若き女性と仲良くなるわ、いずれも斜め上方向と言えなくもないけれど望外の効果があったわけですね。^o^;
なじみすぎです。^o^;
観光地の行動としては意味不明です。
北海道代表、満面の笑みです。
そして私も全国で友を得ることができた。私がこれまでの人生で得た一番の宝のひとつだと思う。
今年も全国の友に会いに行くのが本当に楽しみだ。私が一歩を踏み出した3年前、こんな広がりは想像できていなかった。

お金の話をすれば、最初から「お金を得るための手段」と割り切って、というか目的から入ったのは技術者派遣事業の原資である合格答案実例集(オンライン販売)くらいのもので、その他は結果として収入を得ることができるようになったものだ。
そしてそれがAPEC-semiやNPO活動に割ける時間を作ってくれ、いろんな活動を支え、活動の広がりにつながった。これらは大部分が営利事業活動ではないわけだが、きっとお金は結果としてついてくるのではないかなあと思う。
余談になるが、昔、私のHPで合格論文を掲載していたころ、突然「合格論文例を有料化しよう」と言ってきたトンデモナイおじさんがいて、ただもう魂消て怒るのも忘れてしまったことがある。
他人の個人HPコンテンツを有料化しようなんて、もはや自分の物も他人の物も区別がついていないわけだが、人間、「お金第一」「まず金がほしい」という状態になってしまっているとこうなっちゃったりするのかもしれないなあと思う。それは腹が立つとかいうことではなくて哀しいことだ。

それはともかく、幸いにして今、私はこういう状況の中にいる。数多くの活動に関わることができるから、それらをつないだ活動を考え付いたりすることができるようになるし、複眼的にもなれるのではないかという気がする。

鹿肉事業の中で知床世界遺産さんを小浜に招いた。
普通ならつながらない全然別の事業がつながった。
ヨシキ&ナオキという意味不明のコンビも誕生した。
そして昨年11月の小浜軍団知床訪問につながった。
エゾジカとニホンジカの食べ比べ。2010年3月。
今思うと、いろんなことといろんな人がうまくかみ合った。
こういうことがやれる状態にあるということ、これは間違いなく好機だと思うし、これは生かしたいと思うのだが、特に関わっていることのうちいくつか(多く)は、いずれビジネスとして成立するようにしたいと思っている。
それがAPEC-semiや書籍のように「自分でないとできない」ものなら別だが、そうでないものは、ある程度進めたあとはその事業主体に任せて自分はサポートに回るようにしていければいいなあと思う。まあそれが中間支援NPOというものだけどね。
今年もやりまっせ!

8 件のコメント:

  1. こんにちは。omochです。
    APECさんの生い立ち?が理解できました(笑)

    昨日、日経Tech-onというサイトで「プロボノ」という言葉が紹介されてました。
    wikiにもあるのですが、ボランティアの上位概念というか組織化というか・・なんとなくAPECさんを思い浮かべました。

    ではでは

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  2. わはは、言われてみると本当に身の上話になってますね。^^;
    少なくとも行政、私企業(というか営利活動)、NPOの区切りみたいな概念はどんどんなくなっていますね。互いの立場を尊重することは忘れないようにしていますが、枠というか仕切りには縛られなくなっています。

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  3. カチナノリ2012年2月25日 21:20

    カチナノリです。私とAPECさんの心の変遷はすごく近く感じます。ちょうど大阪でセミナー始めた頃に私が口頭試験でお世話になり、その後少しずつ関わり始め、今やこの支援活動が私のロードマップそのものになっています。この5年ぐらい、震災復興も含め徹底して色んな活動したいと思っています。仕事やめてから、ではたぶん遅いんですよね。ぜひ、あのトマトさんやお寺さんとも交流したいですね。女房もお寺大好きなので、よかった。
    高知と小浜がまた何かできたらいいですね。

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  4. 敬服します。
    APECさんのほんの一部でも支えていることを誇りに思います。

    万感の思いを込めて。

    ともともでした。

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  5. カチナノリさん、ぜひぜひ地域おこしの交流をしましょう。先達としてアドバイスとヒントをいただければと思います。
    トマト君もお寺君も元気いっぱいですから、楽しみにしていてください。

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  6. ともともさん、SUKIYAKI塾名古屋の立ち上げ起案と企画、本当に感謝しています。
    何といっても小浜と名古屋は近いのですから、どんどん一緒にやりましょう。SUKIYAKI塾北陸にもぜひ!

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  7. 満面の笑みのヴォルクです(^^;)

    派遣交流もオールジャパンな活動になってきましたね。

    今年もたくさんの方々との出会い、そしてつながり。楽しみです(^^)/

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  8. ヴォルクさん、今度は札幌市電の懇親会、ぜひよろしく!^o^

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