技術士試験の話になるけど、技術者倫理で「公衆」「インフォームドコンセント」という大切なキーワードがある。一次試験の適性科目でも出題される、基礎的な知識なのだけれど、技術者倫理では公衆とは「広く世の中の人々」とかそういう意味ではなく、専門職技術者以外の人たちをいう。
専門家じゃないから専門的知識がないため、リスクとか危険、あるいは効果などを的確に判断できない人たち、ということで、そうすると専門家の話に従うしかなくなる。
我々技術者は自分の専門分野においてはいいことも悪いことも専門技術力によって的確に判断できるから、必要以上に怖がったり過小評価したりすることはない。(はずだ。そうあるために日夜研鑽を怠っていないはずなのだから)
ところが我々が病院に行くと、医学の専門知識はないから医者の見立てに従う以外にない。つまり自分の専門分野では専門家でも、専門分野以外では公衆なわけですね。
で、インフォームドコンセントである。
医者の見立てに盲従するのではなく、いいこと悪いこと、できるだけ情報を提供してもらって、自分で考えて自分でどうするか決める、そうしないと納得できないしそうあるべきだろう。これがインフォームドコンセント、「よく知らされた上での同意を与える」ことである。
よく技術者倫理の引き合いに出されるスペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故は、燃料輸送系統のゴムパッキンが寒さで柔軟性を失い、燃料が漏洩して爆発するリスクがあるということをエンジニアは知っていた。しかしそのことは乗組員には知らされていなかった。それを知っていた上でなお「その危険を冒しても打ち上げてほしい」と決断していれば、インフォームドコンセントは成り立っていたが、それが実現していなかったのだ。
なんでこんなことを突然書くかというと、豊洲市場の地下水の件である。ベンゼンがどうのシアンがどうのとかまびすしい。TVのワイドショーを見ると、例によって「不安をあおる」という手垢の付いた視聴率稼ぎ手法を懲りもせず繰り出している。有識者顔したコメンテーターも、一言一言の後ろに個人的意見が透けて見える。自分の意見に都合のいい情報は倍にして、都合の悪い情報はないことにして話をしようとする。政治が絡むとすぐこうなるからなあ。
環境測定の専門家が意見を求められることもきっとあるんじゃないかと思う。インフォームドコンセントを付与する、という立場で答えてほしいなあと思う。もっとも話を聞いているマスコミが、自分の番組に都合のいい部分だけを抜き出してしまうかもしれないけれど。
なんだかよくわからんが、たくくは東京に居残り佐平次を決め込んでいるようで、今日はバイア宅で飲んでいたようだ。
他人の家に上がり込んで飲むなんぞ、いい度胸である。あ、でもバイア宅に上がり込んで飲むどころかメシは食うわ、ギターやらピアノやらを弾いて大騒ぎした野郎もいたな。私だけど。^o^;
悔しいので風呂上がりにオリオンビール夏いちばんを飲んだ。飲み終わってから、フーチャンプルーあたりをつまみに作ればよかったと思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿