物置で探し物をしていたら、子どものころに読んだ本がしまってあって、その中に「海底2万里」という物語があった。「海底2万マイル」という表題になっていることもあるが、SFの父と飛ばれたジュール・ヴェルヌの手によるノーチラス号の物語である。蒸気船の時代にハイパワー電池潜水艦を創作したのだからすごい。
読みだすと止まらなくなること請け合いなので、心を鬼にして読むのをやめたが、小学生のころは潜水艦モノが花盛りだったなあと思いだした。
サブマリン707
青の6号
海底科学作戦(原潜シービュー号)
海底大戦争(スティングレイ)
さらりと出てくる。ちなみに一番好きだったのは青の6号とシービュー号が甲乙つけがたい。
また、ロボットものも花盛りだった。
鉄腕アトム
鉄人28号
マグマ大使
ジャイアントロボ
がんばれロボコン(ロボットコンテストではない)
私は1960年生まれなので、まさに高度経済成長の中を育った。
だからだろうけれど、科学技術の進歩というものを信奉といってもいいほど国民が信じていた時代でもあって、SFもの、特撮ものは花盛りであった。
ウルトラマンが放映されたのは幼稚園の年長のときである。その直前に放映されていたウルトラQは怖くて、タイトル画面の「どんっ、きゅううう~!」という音だけでもう泣きそうになっていたが、ウルトラマンはかじりつくように見ていた。
同じ時期にマグマ大使も放映されていたし、翌年にはジャイアントロボの放映もあり、ゴジラ映画も毎年あったから、もうロボットとか特撮ヒーローとか怪獣ものの中に埋もれるように育ったのだった。
…などと懐かしく思い出していると、オソロシイ思い出がよみがえった。
小学生の1年か2年(たぶん1年?)のことである。遠足で小浜公園へ行った。昼休みに弁当を食って、休憩時間になった。当時はウルトラマンものが全盛期だったから、「ウルトラマンごっこをしよう」と誰かが言った。
「ウルトラマンやる!」
と間髪入れず私は叫んだ。なんといっても主役である。早い者勝ちなのだ。
ところが、誰かが慌てず騒がず
「僕、バルタン星人」
と言った。すると次々に
「僕もバルタン星人」
「僕も」
「僕も」
と声があがり、バルタン星人だらけになった。実際のドラマに忠実であることは「ごっこ」のルールであったが、バルタン星人は「宇宙忍者」であり、分身の術を使うので、何人バルタン星人がいてもいいのである。
ボーゼンとする私をよそに、やがてウルトラマン1人対バルタン星人20人以上という恐ろしい配役が決まってしまった。
こうなるといかな正義のヒーローとはいえ、多勢に無勢である。私は泣きそうになった。何が怖いといって、たった一人のウルトラマン(私)を取り囲んで20人以上のバルタン星人が手をハサミにして「ふぉっふぉっふぉっ」とユニゾンで言いながら迫ってくるのである。
泣きそうになりながらも手をクロスさせて
「びぃぃー」
と言いながらスペシウム光線を放った。もう必死である。今でも思い出すが、右端から左端に向かって放射状に放った。たぶん「びぃぃー」の声は裏返っていたと思う。
幸いなことに全員「ごっこ」のルールは厳守してくれて、20人以上のバルタン星人は断末魔の「ふぉっふぉっふぉっ」を叫びつつ、次々と倒れていった。それは正義のヒーローの勝利というよりもはや虐殺に近いものであった。あまりに怖かったので、終わった後に空を仰ぎ見て両手を広げ「じょわっ」と叫んで飛び上がる約束も忘れていてみんなに非難された。なぜなら、みんなでウルトラマンの歌を歌うという〆ができなくなったからである。
引率の先生が「あんたら、なにやっとんの」と呆れ笑いをしていた。
素朴だったんだなあ、と苦笑いをしつつ探し物を続け、そういえば朝起きたらカネゴンになっている夢を見て泣いたこともあったなあと思い出した。^o^;
…下らぬ話ですまん。
懐かしく、最後まで読ませていただきました。
返信削除バルタン星人は、二回目登場した時にはスペシウム光線が効かなかったですね^_^
おー、そうでしたね。でもそんなことになったらきっと私はパニックになっていたでしょう。^o^;
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