2016年1月7日木曜日

飯盒

私は「ご飯食い」である。おかずの量に比してご飯をたくさん食べる。
たとえばお皿に目玉焼きとソーセージ3本、刻みキャベツが乗った、まあ普通は朝食で食べる程度のおかずがあるとする。
若いころはこれでご飯は2杯、中学生のころなら3杯は食べた。今はそもそも食べる量が減っているから1杯で十分だが、それでも味が濃いなあと感じる。ご飯茶碗1杯なら、おかずは目玉焼きと刻みキャベツだけで十分だ。いや、漬け物と味噌汁だけでもいい。
ずっとそう育ってきた(つまり父もご飯食いだった)から、我が家の炊飯量は多かった。私が中高生のころは、6人家族(男は私と父だけ)で毎日1升2合炊いていたはずだ。私は中学生のころは夕食で4合か5合くらいは食っていたと思う。
そんな食生活をしていたので、食堂で普通の定食なんかを頼むと、おかずが多すぎて困る。若いころはご飯をお代わりしたが、今はもういらないから、いつも困る。
じゃあおかずを残せばいいじゃないかと思うかもしれないが、それはできない。そういう世代なのだ。結果、味が濃いなあと思いつつも全部平らげる。だから温泉旅館での朝食などは大騒ぎだ。
野沢温泉の朝食。美味かったが量的にはなかなかキツかった。
なお、私はパンをあまり食べない。自宅では朝食はまずもってご飯だし、ホテルなどで朝食がパンだったときはお腹が頼りなくて困る。食った気がしないというか。
夕食になるとさらにそうで、パンの夕食などは全く考えられない。ご飯、最低でも麺類がないとダメである。

ところでこの「ご飯食い」、日本人の食生活の本来の(というか、かつての)姿であるらしい。
米が主食であることは今も変らないのだが、基本的に米だけからエネルギーを取っていたようである。
おかずは文字通り「おかず」であり、主役ではない。薄味のご飯を飽きずに食べるための味付けみたいなもので、だからご飯と味噌汁のほかは濃いめの味付けの少量のおかず、漬け物や「ご飯の友」系のもので十分だったようだ。
戦前の軍隊では1人あたり1食2合、1日6合だったという。
2合っていったら茶碗4杯分ですよ。すげえなあ。今でもそれくらい食ってるのかな。閉鎖社会だからけっこう残っていたりして。
外で食べるときは1合おにぎり(でかいなあ)を2個で、それに香の物がちょっと付いているだけだったらしい。まあおにぎりも塩むすびだったらしいから、それだけでもよかったのかもしれない。
米は炭水化物だからすぐにエネルギーに変るので、その場その場の力を出すにはまったく問題ない食材だ。白米はビタミンが不足して脚気のもとになるから、かつて玄米で補っていたビタミンを味噌汁などの大豆で補うようになったとも聞いたが、まあエネルギー源としては十分だ。
で、1食2合だからその2人分の4合を炊けるために作られたのが飯盒で、2人1組で炊爨し、1人の飯盒で飯を炊き、もう1人の飯盒で汁を作ったらしい。で、外蓋に飯、内蓋に汁やおかずを入れて食ったということで、あの形も背嚢にくくりつけやすい形だそうだし、非常に機能的な調理道具だったようだ。

…てなことを、車庫の中を少し整理してときに出てきた飯盒を見て考えたのである。この飯盒は4合炊きではなく2合か3合炊きだと思ったけれど。
最近使ってないなあ、またどこかで使おうかなと思った。炊きたての飯盒飯はうまいんだよね。うまく炊くとちょうどいいオコゲもできるし。

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