2011年11月2日水曜日

別の時間が流れるところ

とにかく夢中で1日が過ぎていく。
これはきっといいことなのだが、忙しくなるとどんどん夜型に移行するのが私の悪い癖だ。
ここ数日は3時前後の就寝が続いている。
ツアーに出ると夜だけ(ちょっと余計に予定を入れても午後から)働けばいいから、もっと夜型が進みそうなものだが、その夜に面接をしたりすると本当にぐだーっと疲れて、もうぶっ倒れて寝るか、あるいは酒を飲んでぐだーっとするかなので、結局その後の時間に仕事ができないからけっこうキチンキチンとした生活になったりする。
朝型にあこがれるのだけれど、まずもって私には無理だ。早朝の光や空気に出会うと途端に「いかん。寝なくちゃ」という気分になる。わしゃドラキュラか。

でもね、本当にあこがれるのですよ。
自然の中で日の出とともに自然に起きて、体を適度に動かして頭に無理をかけないで、体を動かすから自然と腹が減って、ダイエットだのメタボだのとこしゃくなことを言わずにうまいうまいとメシが食えて、日が暮れると自然と眠くなって寝るという生活ですね。
上根来あたりにきっとそういう生活があって、仙人もそういう生活を(極端に)していたのだろうなあ。
もちろんいろんなリスクもあるわけだけどね。異常気象の時のリスクとか老後とか病気になった時とか。でもあこがれるものは仕方がない。

小浜に住んでいて、いざという時(何が「いざ」なのかわからないけれど)だけ都会に出ていくみたいな今の生活も、「田舎生活」には変わりがないように思うけれど、ネットというものは田舎でも都会でも関係なしに忙しい暮らしをもたらしたんだなあと自分を振り返ってそう思う。
だから携帯電波の飛ばない上根来にあこがれるのかな。

とりあえず来年5月までの期間ですが、小浜に来ていただければ、携帯の届かない、電気はあるけれど水は汲んでこないといけなくて、トイレはあるけれど旧式で、焚き火で料理するしかなくて(さすがに火起こしはしなくていいけど)、しじゅう鹿の鳴き声がして、もし寝ようと思えば寝袋しかなくて、全く違う時間が流れているところに案内できます。



時々薪をくべながら焚き火を眺めつつ話をしたり酒を飲んだりするのはいい気分でっせ。

で、今日は上根来に薪を取りに行ってきた。5日の火起こしイベントで薪が足りないような懸念があったので、仙人の薪を少しいただいた。
山の家をすぎ、集落に差し掛かると、もう紅葉シーズンに入っていた。
一面真っ赤に染まる紅葉も素敵だが、色とりどりの紅葉もまた趣があってよい。
時間がなかったので大急ぎで運搬だけしたが、本当は秋の風景を眺めつつ鹿の声を聞きつつ焚き火で沸かしたお湯でコーヒーを入れて…というひとときを過ごしたかったにゃあ。
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の。

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