2014年2月5日水曜日

付加価値

なんとかいうクラシックの作曲者が作ったとされる曲の多くがゴーストライター作だったというニュースが流れている。
思い出したのがずいぶん前にあった旧石器捏造事件だ。あらかじめ用意した石器をこっそり埋めて「発掘した」と嘘をついていたのだが、あれは歴史の教科書さえ書き換える騒ぎになった。
そこで気になったのが、ゴーストライターが書いた曲はどうなるんだろうということである。捏造石器は何の価値もないが、曲そのものは誰が書いたものであろうと、楽曲としての価値は本来変わらないはずなので。
しかし現実社会では作者が誰かによって価値が変わることはよくある。絵画にしても陶器にしても、「誰それ作」と認定されたとたんにどかーんと価値が上がる。芸術って、いいものはいいしよくないものはよくないのが本来なんだろうなとは思うんだけれどね。

NPOのほうで地域活性化に関していろいろやっていると、「ストーリー」の力を思い知る。
先日から始めた「雪室」も新潟のほうでは付加価値となって、商品が2割程度高く売れるらしい。我々が雪室を始めたのも「付加価値」を付けたいからだ。
もちろん「そのもののよさ」は絶対必要だ。食品にしても本当に美味ければそこそこ売れる。ただ、ストーリーなどで付加価値が付くともっと売れる。味そのものは変わらなくても、ネーミングとかストーリーで「売れるかどうか」は大きく変わる。
つまり魅力(商品価値)=本来持っている価値+付加価値なんですよね。もともと何もないところに無理やりストーリーだけでっちあげても底が割れる。
今度のゴーストラーターの楽曲はどうなのだろう。本来の価値があるのなら、いずれそこそこに聞かれることになるのだろうけれど、ストーリーに依存していたのならもう忘れられるんだろうな。

ところで、付加価値を付けたいと思うとき、やはりメディアの力は大きい。我々も取材をしてほしいと思うことがよくある。こんな小さい町でもCATVに取り上げられるとそれなりに反響がある。
ただメディアの質は明らかに低下しているなあと思う。先日のSTAP細胞のニュースでも、研究成果そっちのけで女性研究者のキャラクターばかり報道する、まさにマスゴミと言うべき報道も多い。
付加価値はほしい、だけどマスゴミにおもねるのはいやだ、とまあ身勝手といえば身勝手だけれど、なかなか難しいものであります。

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