漫画「哲也」の原典だけにいつもエピソードや登場人物を対比させて読んでしまっていたのだが、最後のところにきて戦後日本の近代化・先進国化に抗った人物物語だったんだなあと気づいた。
しかし最終巻のころになるとバイニンは絶滅寸前。インチキ会社に入るも結局は社長に刃向かい、最後は麻雀の世界に入ってきた暴力、そして堅気から細々と稼ぐシステムのどちらからもはじき出されて、やっとできた愛する女性すら捨てて、最後は浮浪者として地下街で寝起きし、チンチロリン(第一巻の冒頭と同じチンチロリン)ばかりしている。
それでもなお「糞面白くもない社会」よりも「博打ばかりしている」ことを望む。ヤクザに不条理この上ない方法で全財産を取られて、弱いから負けた、当たり前だと納得する。
だけど信念を持ってアウトローをやっているのかというと、どうもそうでもなく、サラリーマンになった同級生に「臭い」と言われて劣等感にさいなまれたりする。
結局、自分の思うように生きているという反面、それは時代の流れに取り残されているだけだったりするのだろう。
と、ここまで書いて無法松を思い出した。
なんてバカな生き方だろうと苛立ったり呆れたりしつつ、ある種の憧れを感じてしまうのは、もし本当に己の才覚だけで誰にも頼らず自由に生きていけたらいいだろうなあという憧れの現れなんだろうな、きっと。
で、阿佐田哲也のギャンブル本を何冊か注文してしまったワタシなのでありました。^o^;
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