成人の日なのだが、今年成人を迎える人たちが生まれた年に流行っていたのが「たまごっち」だと聞いて驚いた。たまごっちってもっともっと以前のものだと思っていた。
「10年一昔」というが、20年なのだから「二昔」だ。
去年10月に28歳になった息子は昭和63年の生まれだからほとんど「三昔」。バブルってそのころの話だったんだなあ。それからこの国はずっと右下がりか横ばいだ。ファミコンが流行っていたけれど、携帯電話はまだなかった。
その10年前は私が高校生だった。ロッキード事件のころだったように思う。我が家には電話機が1台だけで、そのカールコードを目一杯のばして家族に聞かれないようにして彼女と電話で話したものだった。
その10年前は小学校に入学する前だ。白黒テレビで「ウルトラQ」を見て、カネゴンが怖くてトイレに行けなかった思い出がある。
SUKIYAKI塾とNPOの活動が両方とも大きく広がっていって仕事と両立できなくなり、一大決心をしてAPEC-semiを始めたのが2009年だからほぼ8年前、だからほとんど一昔前になるわけだ。
そりゃあ私が老いを感じ、当時まだ高校生だった娘が結婚しようかという年になるはずだわなあ。
そういうことに今改めて感慨を深くしているあたり、私が「若いつもりでいた」ことの証左なのだろう。確かに気持ちは若い。それは自覚しているし、周りの人もそう感じているのではないかなと思う。
中高生のころ、体が成長していたころ、体の成長に心の成長が追いついてないなと思っていた。だから心のほうに「もっと大人になれ」と思っていた。
今はどうなのかな。体が「もう落ち着こうぜ」と言ってるのに心がまだ落ち着けない、そんなところだろうか。でも今はまだ心のほうに「もっと落ち着け」とは思わない。むしろ体のほうに「もっとがんばれ」と思ってしまう。困ったものだなあ。^^;
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