2017年1月20日金曜日

貧困格差

大阪府のアンケートで、「経済的に困窮している家庭ほど子供の学習意欲が低い」ということがわかったというニュースがあった。
・経済的に最も困窮している区分の家庭では、学校以外の勉強時間が30分未満という割合が3割を超え、子供の学習意欲が低い
・経済的に困窮している家庭ほど、子供の帰宅時に保護者が家にいないことが多い
・大阪府は「経済的困窮が子供のやる気や学習態度に影響している」と分析している
・特に困窮度が高いのは母子家庭で、年収200万円未満の割合が35%にのぼる
・(大阪府母子寡婦福祉連合会・鉄崎智嘉子名誉理事長の話として)「お母さんがものすごく厳しい生活をしている。就労して(月収)20万円に届く収入を得ている人はほとんどいない。ダブル、トリプルの仕事をしている。時間がないということは、子供と一緒に家庭にいることができない」

そのとおりだと思う。これは大阪府に限った話ではぜんぜんない。
リーマンショックの後、母子家庭の経済事情が一気に厳しくなった。多くの企業では、経営が苦しくなってくるとまずパートさんとか下支え的な職務の人から人員整理されていってしまうからだ。
昼も夜も働かないと食べられなくなってしまう。だから昼も夜も働いて、お母さんはクタクタである。
お母さんに子どもが「おなかがすいた」と言ったら、千円札を握った手が布団の中から出てきたそうだ。それしかできないのである。もうクタクタなのである。
そのお金を持ってコンビニにいっておにぎりを買って飢えをしのぐ。この飽食の時代にである。
お母さんが子どもに愛情を注ぎ、家庭学習も含めて子どもと時間を共有する…無理である。

中には母子家庭になった原因が父親のDVという子もいる。小さいころから、どうしたら暴力を振るわれずにすむか、どうしたら自分や母親の身を守れるかを第一に考えざるを得ない生活を送ってきている。
そして母親との生活が始まってみれば、生活のために母親は必死で、愛情を注ぐ余裕などない。どうやったら食っていけるか、それが母子の最重要課題となる。
どうやったら身を守れるか。
どうやったら食っていけるか。
そんな心配などしたことがない子と、そればかり考えてきた子。
これが相対的貧困だと私は思う。
貧困には絶対的貧困と相対的貧困がある。
いわゆる最貧国といわれる国に生まれ育つ子。私が以前支援していたマラウィのジョウェロがそうだ。

葉っぱを布でくるんでひもで縛ったものをサッカーボール代わりにして遊ぶのが好きな子。でも彼の友人も似たような境遇だ。みんな同じように貧しい。
日本にいて、ジョウェロにない生活ができる。電気がいつでも使え、テレビが観られてネットが使えてコンビニに行けてスマホが持てて…でも、周りの人にできることが経済的理由でできない。コンビニでの買い物やファストフード店での飲食があまりできなかったり、他の人が買えるものが買えなかったり、他の人が受けられるサービスが受けられなかったり。相対的貧困。これはキツい。「自分だけ」なのだから。
そういう実感があり、家庭学習時間が短く、夜に「早く寝なさい」と言われず(だってお母さんは夜も働いているから)、朝に「早く起きなさい」と言われず(だってお母さんはクタクタで寝ているから)、それできちんと学校に行けるだろうか。授業についていけるだろうか。授業の大半が理解できない中で(同級生は理解できているのに)我慢して教室にじっとしていることが、中学生にどこまでできるだろうか。
学校に行かなくなってくれば、夜型の生活に歯止めはきかなくなる。心は満たされずあれすさみ、夜の町に出てみれば、中学生の冒険心というかちょっと道から外れてみたい気持ちを思いとどまらせる「大人の監視」がない。誰も見ていないときに、どこまで自分の行動を律することができるだろうか。中学生に。

警察協助員などということをやって、街頭補導だのということをやっているのだけれど、そんなことを考えれば考えるほど、夜の町を歩いて気になった子どもたちに声をかけるなんてことがいったいどれだけ効果があるんだろう、もっとやるべきことがあるのではないか、それが何なのかを実はだいたいわかっているくせに実行に移さない自分はずるいのではないか、そういう自責の念がいつもあるのは正直なところだ。
「馬鹿と言われようがなんと言われようがそういったことに突き進む」ということを私はしていない。
フツーの人に比べればかなり「馬鹿と言われようがなんと言われようがそういったことに突き進む」ことをしているのは自分でもわかっているのだが、それがぜんぜん中途半端なのもわかっていて、いつも自己嫌悪なのですよ。

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