3連休最終日は明通寺プロジェクトの現地作業。小水力発電を目的としたNPO「若狭くらしに水舎」の活動だ。
作業人数は予想外の2人。これは困ったなあ、俺も作業しないとどうにもならんぞと思いつつ、腕は相変わらず痛いが腰はもう大丈夫かな?と恐る恐る作業開始。
やったことは極めて単純というか肉体労働というか「発電」なのにこんなので大丈夫か的なことで、大きな転石の隙間に横と上から穴を掘って水みちとし、ここに塩ビをぶちこむだけ。
まあこれは試験的作業なので午後からもう少し大きい塩ビに差し替えたが、基本的にはこういうすごく単純かつ不安定な取水施設である。当然ながら出水すると取水口が埋没するし壊れるかもしれないし、そもそも日常的な目詰まりの問題もおおいにあるだろうけれど、そのあたりは「様子を見ながら考える」につきる。
午後から作業員4人になって2箇所で取水施設のための作業。
バールとスコップと手で土砂を掘り、転石を動かし、石を積んで流路を作ったり塩ビを被覆したりという、典型的手作業。河床の石を選んで手で積み、噛み合わせを確認しては向きを変えたり石を変えたり、隙間に小さな石をくさびに打ち込んだり、まあ昔の棚田なんかの石積みを人力作業で積み上げた作業をちょっと経験したような、極めてプリミティブな作業体験でありました。
トラックが横付けできる現場でお金もあったら、トラックに発電機積んできてブレーカーで割ったり、達磨ポンプで転流してドライワークでモルタル使って遮水性の高い石積みにしたり、いっそのこと頭首工構造にしたり、まあいろいろできるのだろうけれど、今回は人手で時間をかけて脆いもの・メンテが必要なものを作った。
これってしがら組みに似ているなあと思った。当然効率はよくないし、ライフサイクル的にも脆弱なもので、「現代的」ではない。
土木技術者の自分にとって、機械化することによって人の負担を減らして頑丈なものを省力的に短時間で作るという土木の考え方は「当たり前」だったけれど、それはプロじゃないとできなくて、かつ単位面積あたりのお金もかかるものだ。
一般市民にはそのような土木スキルはないし何より時間がない。社会の分業化が進んでいるから、みんな自分の仕事に専業になっている。
結果、みんなから預かった税金を使ってプロがしっかりしたものを作る。
対して、しがら組みは素人施工だ。自然素材で人力で脆弱で長持ちしないものを作る。それでも私はこれも土木だと思う。今の土木とはまったく違う土木だ。
そのほうがいいとか、それがNPOだとか、そんな非現実的ドリーマー的なことを言うつもりはさらさらないが、そういったことが意味を持つ部分、役立つ部分もあるのではないか(ここでも「あるはずだ」などとは言わない)と思ってやっている。
…なーんてムズカシイことを書いたが、現実には「うおりゃー」と石を動かし、「そこの石割ってまえー」とバールでどつき、まあそんなもんですわ。^o^;
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