2019年6月4日火曜日

思い出の島

目覚まし時計がセットしてなくて(スイッチがきちんと切り替わっていなかった)、予定より15分遅れて起床。それでも起きられてよかったと思いつつ、バタバタと準備。
8:30徳島駅前発の高速バスで神戸三宮へ、ここからリムジンバスで伊丹空港へ。大阪~徳島間を行ったり来たりしてるなあ。^o^;

13:10に伊丹空港を離陸。ちょっと雲が多いが晴れている。

これはどこだろうか、ゴルフ場だらけの丘陵地。私はゴルフをやらないせいもあって、なんじゃこりゃあ、見苦しいなあと思う。

中国山地を斜め横断して日本海へ。鳥取市だと思う。砂丘と湖山池が見える。かなり霞がかかっている

ひたすら添削していてはっと見ると、霞の向こうに隠岐道後が見えた。
いいおっさんのくせに胸がいっぱいになってしまった。もう仕事はできそうもないのでPCはしまい込んで、ずっと島を見ていた。
なぜか「帰ってきたぞ」と思った。
私が隠岐道後に滞在していたのはトータルで100日か150日くらいだろうか。数日から20日くらいの単位で島根大学の臨海実験場に泊まって、毎日地質踏査をしていた。
飲み屋に行くこともなかったし、お店で行ったのは食料買い出しのマーケットと、色鉛筆その他絵を買う文房具屋くらいのものだろうか。とにかく山ばかりの日々だった。
そんな単調な地質調査漬けの日々だったからか、松江市よりも隠岐道後のほうが「地質学をやっていた自分」の思いが深いようだ。
あれからもう35年にもなるのに胸がいっぱいになってしまった。

隠岐空港は「世界ジオパーク空港」というらしい。ああそうだったな。地質で有名になったのは嬉しい。

タクシー代がもったいないと思いつつも、今日はここだけは、と思って島根大学の臨海実験場へ行ってみた。同じ建物だった。当時の職員さんは当然もうおられないけれど、今の職員さんと少し話ができた。当時常駐しておられた先生ももう退官されて、家だけ残っているらしい。

裏手に回ってみると、昔と同じ突堤があった。ここで何度も泳いだり、伝馬船を漕いだりしたっけ。
タクシーを待たせてはいけないので早々に帰ったが、なつかしさがこみ上げてきた。
ホテルは西郷の中心街から1kmほどのところなので、のんびり歩いて夕食を食べにいった。歩行者などなく、車もあまり通らないので、堂々と口述添削しつつ歩いた。

当時はなかった大きな立派な橋があった。見ると平成5年竣工とある。私が道後にいたのは大学3年から大学院1年まで(2年のときはほとんど来ていない)ので、1980年から1984年ごろだ。1993年竣工のこの橋は、それから10年あまり後にできたわけですな。

トンネルも1988年だった。ということは、当時は島の東側に行くときは別の道を通ってたんだなあ。うーん、そのあたりはぜんぜん思い出せん。

西郷の中心街。静かなものだ。小さなお店や事務所、食堂や居酒屋。

寿司屋に入ったら団体が入るということで大忙し。ビールと刺身だけですぐに出たが、その刺身がなかなかすごい。貝類が特に美味かった。

ぜんぜん足りないのでお好み焼き屋さんに入った。ラーメンを食べようと思っていたのだが、変更してお好み焼きに。そば入りのすごいボリュームで、腹一杯になった。

またのんびりと添削しつつホテルに戻った。トンネルを抜けて橋にさしかかるところで「はっ」として足を止めた。大満寺山だ。確か標高は600m台だったと思う。隠岐の最高峰だ。いつも見ていた光景だ。
しばし動けず。この島は思い出が多すぎる。

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