六斎念仏は仏教行事と結びついた民俗芸能で、ウィキペディアを見ると若狭地方は大きく取り上げられている。
若狭地方(美浜町・旧三方町を含む、旧若狭国)はなかなかユニークな民俗芸能分布があり、東の美浜町・旧三方町を中心とする地域では王の舞が、小浜から旧上中町を中心とする地域では棒振り大太鼓と六斎念仏が、さらに西の方になると神楽が、主たる民俗芸能になっている。
六斎念仏も棒振り大太鼓も太鼓を叩くが、かたや仏事かたや神事で、芸能内容も当然ながらぜんぜん違う。しかし南川流域では棒振り大太鼓が六斎念仏と混じっているなと思われるような演技内容もあって、非常に興味深い。
まあそれはともかく、旭座の運営側に混じったのは、移転改築以来初めてのことで、こうして2階から満席になった真新しい芝居小屋を見るとなんとも感慨深いものがある。
ぜひここで芝居小屋会議の人たちと芝居小屋の活用のあり方について論じてみたいものだ。若狭坊がいつかやってくれると信じる。
京都から着物を着てお越しいただいた柿本先生の基調講演。こういった民俗芸能の中に切り込んでいく話は大変好きなのだが、「太鼓叩き」の私としては、曲の構成・フレーズや所作などにもっと切り込んでみたいところだ。また民俗芸能は仏事や神事と不可分なのだが、それゆえに祭りなどのイベントの進行や役割分担にもいろいろと見るべき所がある。そのあたりも興味のあるところだ。
基調講演の後、若狭地方の4地区が続けて各地区の六斎を演じた。六斎念仏4連発はきついなあと思っていたが、なるほど続けてみると違いがわかって大変いい。これは三宅地区。
奈胡地区。ここは六斎演技地区としてはぽつんと離れているが、それだけがんばって守ってきたということなのだろう。ここだけ浴衣なのはこれも興味深い。
棒振り大太鼓の影響では?と思われる黄色いかんばんを着た奥窪谷。いわゆる三役が出てきておどけた演技をするあたりも棒振り大太鼓との関係がうかがわれる。口名田・中名田地区では棒振り大太鼓の子ども演技の名前が「ホテ」など西津・小浜地区には見られないものであったり、棒振り大太鼓の由来が丹波地方からの伝承であるとする(六斎念仏と混同されている?)など、棒振り大太鼓伝承地区の中でもユニークなので、ともかく興味深いのだ。
そして京都の壬生六斎。柿本先生が六斎念仏を念仏六斎と芸能六斎に分類して若狭地方は念仏六斎だとおっしゃっておられたが、これを見て納得。これはもう念仏というか仏事はどこにもない。赤熊を被った棒振りが出てくるわ、2人獅子がアクロバティックに軽業を演じるわ(高浜町高野の獅子を思い出した)、若狭の六斎に感じる「祈り」はどこにもない。けなしているわけではなくて、これは別の芸能だと強く感じた。ルーツは同じなのだろうけれど、ここまで別物になるんだなあと感心した。
でもまあお客さんは満足してくれたようだし、入りもよかったし、若狭地方の六斎演技地区も互いの演技を見られて刺激になったと思うし、いい企画だったと思う。
終了後、さっと帰ろうかなと思ったけれど(何といっても父が入院中であるうえに今日は女房の誕生日なのである!)、土曜日出勤で椅子を片付けている市役所職員の姿を見ていたら、思わず手伝わずにはいられなかった。いつも思うが、市役所職員さんはご苦労さんだ。
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