2016年8月18日木曜日

桃花笑春風

日中はまだまだ暑いが、それでも盛夏はもう過ぎたことがはっきりわかる程度に涼しくなった。
夜はもっと確かに秋が近いことを感じられる。
何より虫の声が日々増えている。朴念仁の私にはひとつひとつの虫の声は聞き分けられないが、10匹やそこらの声ではないことはわかる。
我が家の家の周りにあるささやかな草むらや隣家の畑の中から、毎年変わらず虫の声が聞こえる。
桃花笑春風。
人間社会はあれやこれやいろいろあるけれど、毎年春になれば桃の花が咲き、春風の中で微笑んでいるようではないか、という意味だが、転じて、桃の花が春風に微笑むような安らかな時がきっと来るから、それまでがんばろうという意味になったという。先月、若狭東高校の生徒達におじさんの精一杯の思いを込めて送った言葉だ。

秋はまたやってきつつある。虫たちは本能の命ずるままに精一杯の力を振り絞って鳴いている。
そもそも何割が鳴くことのできる成虫になったのかは知らないが、そんなことは関係なく、成虫になれた感慨などなく、とにかく今を一生懸命に生きている。
もののあはれというのは、泡沫のような命をはかなむものではなく、その泡沫の時を一生懸命に生き抜くこさまに感じ入った言葉なのかもしれないなあと思う。

今日は介護予防の会議であった。まったく畑違いの私は、9割近く理解できぬままに出席しているのだが、それでも様々な状態に合せて今日を生き抜き明日を生き抜くための支援制度がこうやって作られていくんだなあと感じ、その現場にわけがわからぬままにも居合わせていられることは幸運だなあと思う。
人間の命はまこと泡沫、私だって泡沫の人生であることには変わりない。
介護予防事業であれ、SUKIYAKI塾であれ、NPOであれ、その泡沫の人生を送っている者同士が連携したり助け合ったりしようとして、がさごそ動き回っている、まこと「もののあはれ」であることには何ら違いはないのではないだろうか。
ならば自分にできることを、「お付き合い」ではなく日々考え実行することが、自分がやるべきことなのだろうと思う。

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