2021年7月24日土曜日

会津堪能

5時過ぎ起床。夏だけの早起き癖だが、せっかくなので早朝の会津若松のまちを歩くことにした。もちろん徘徊添削しながらであるが。

早朝の会津若松市。ウォーキングをしている人たちとすれ違うが、7割くらいの人はマスクをしていない。十分にソーシャルディスタンスは取れているのだから当然のことで、常識的な人が多いことにほっとする。マスク警察もいないようだから安心だ。

造り酒屋がある。こういうの、いいなあ。

鶴ヶ城。正式には若松城というらしいが、戊辰戦争の舞台である。本来は赤瓦であるらしいのだが、朝焼けのせいか色がよくわからない。本丸の中には早朝から市民がたくさん集まって憩いの場になっているようだ。

石垣は凝灰岩。笏谷石だろうか?細工がしやすい石だから切込接もあちこちにあって、ぴったり組み合わさっている。せん断面が通っているように見えるのが気になる。福井城を思い出した。

帰路、「神明通り商店街」というアーケード街があった。どんな商店があるのかなと興味深く見ながら歩く。

何やら「妖怪市」というのを開くらしい。コロナ禍の中だか影響は小さいらしく、マスクをしている人もあまりいなくて、平和なまちだなあと嬉しくなる。

9時すぎから喜多方市の金川寺八百比丘尼のメンバーである五十嵐さんに案内してもらって周遊。これは猪苗代湖からつながっている洞門だそうで、まあつまり導水トンネルだが、白虎隊がここを通って最期の地に集結したらしい。

さざえ堂という面白い建物にご案内いただいた。3層の建物だが、階段ではなくらせん状のスロープで上る。下りは別ルートのスロープで、まあつまり立体駐車場の上りと下りが別ルートになったスロープですね。江戸時代に非常に珍しいので国指定の重文になっているらしいが、土足で入れるのにはたまげた。

白虎隊自刃の地。近くに隊士の墓碑が並んでいた。

鶴ヶ城を望むこの地で自刃して果てたとのことである…が、お城はどこだ?

何か方向の案内板のようなものは…と見回すと、近くに「白虎隊士石像が望んでいる方向が鶴ヶ城です」とあった。って、そんなアバウトな…

しばらく見ていたのだが、どうやら画面中央やや右の細長いアンテナ塔のようなものの向こうが鶴ヶ城らしい。

実は私は今回が会津若松に来るのは3回目なのだが、これまで猪苗代湖も磐梯山も見たことがない…と言ったら、じゃあ見に行きましょうということで猪苗代湖を望む丘陵地へご案内いただいた。
日本で4番目にでかい湖だとか。1番は琵琶湖で、2番はたしか霞ヶ浦、してみると3番はサロマ湖あたりか?

磐梯山は雲の中であったが、よく見ると雲の間からほんの少し山頂付近が覗いている。


喜多方市の金川寺に立ち寄って、絶品の喜多方ラーメンを食って、県立博物館へ。
企画展のテーマは「あはひのクニ、あやかしのクニ~ふくしま・東北の妖怪・幽霊・怪異~」。
この一角に金川寺の八百比丘尼資料が展示されている。八百比丘尼妖怪扱いかよと思うかもしれないが、私はしっくりきた。あの世とこの世、彼岸の此岸の境界あたりのぼんやりしたゾーンには不思議なことが起こるものだという感覚、これが日本独特のものなのか、形を変えて世界共通で、つまり人類共通のものなのかはわからないが、夜に真っ暗な闇があった時代に、その闇の中には人知の及ばない、この世にあらざるものがいる、あの世とこの世の境界があいまいになるということを信じる感性というのはけっこう好きである。死とか寿命とか病とか、人知の及ばざることが我が身や近しい人たちに降りかかる人生を送る中で、古今東西人間は救いを求め続けてきたわけだが、そういった思いの息づかいのようなものが、八百年(あるいは∞)生きた尼僧という伝説あるいは伝承の中に感じられるではないか。

夕暮れ時になった。かなり晴れてきたが、それでも磐梯山は姿を見せてはくれない。
夕食は今日も郷土料理と酒を堪能した。
金川寺ご住職と五十嵐さんに心からの御礼を。本当にありがとうございました。
フロにも入らずベッドに倒れ込んで熟睡した。

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