5時過ぎ起床。夏だけの早起き癖だが、せっかくなので早朝の会津若松のまちを歩くことにした。もちろん徘徊添削しながらであるが。
早朝の会津若松市。ウォーキングをしている人たちとすれ違うが、7割くらいの人はマスクをしていない。十分にソーシャルディスタンスは取れているのだから当然のことで、常識的な人が多いことにほっとする。マスク警察もいないようだから安心だ。9時すぎから喜多方市の金川寺八百比丘尼のメンバーである五十嵐さんに案内してもらって周遊。これは猪苗代湖からつながっている洞門だそうで、まあつまり導水トンネルだが、白虎隊がここを通って最期の地に集結したらしい。
さざえ堂という面白い建物にご案内いただいた。3層の建物だが、階段ではなくらせん状のスロープで上る。下りは別ルートのスロープで、まあつまり立体駐車場の上りと下りが別ルートになったスロープですね。江戸時代に非常に珍しいので国指定の重文になっているらしいが、土足で入れるのにはたまげた。
日本で4番目にでかい湖だとか。1番は琵琶湖で、2番はたしか霞ヶ浦、してみると3番はサロマ湖あたりか?
この一角に金川寺の八百比丘尼資料が展示されている。八百比丘尼妖怪扱いかよと思うかもしれないが、私はしっくりきた。あの世とこの世、彼岸の此岸の境界あたりのぼんやりしたゾーンには不思議なことが起こるものだという感覚、これが日本独特のものなのか、形を変えて世界共通で、つまり人類共通のものなのかはわからないが、夜に真っ暗な闇があった時代に、その闇の中には人知の及ばない、この世にあらざるものがいる、あの世とこの世の境界があいまいになるということを信じる感性というのはけっこう好きである。死とか寿命とか病とか、人知の及ばざることが我が身や近しい人たちに降りかかる人生を送る中で、古今東西人間は救いを求め続けてきたわけだが、そういった思いの息づかいのようなものが、八百年(あるいは∞)生きた尼僧という伝説あるいは伝承の中に感じられるではないか。
夕食は今日も郷土料理と酒を堪能した。
金川寺ご住職と五十嵐さんに心からの御礼を。本当にありがとうございました。
フロにも入らずベッドに倒れ込んで熟睡した。
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