両親ももう80歳をこえ、これから何かしてやれる機会がどれだけあるかわからないということに愚かにも去年やっと気が付いた。
そこで6月の仙台セミナーの時に両親と女房、うまくすると子供も一緒に松島へ行こうと思っていたのだが、東日本大震災でこれを断念。
かわりに7月に釧路に行こうと思ったが、親戚に不幸があり断念。
そこで今回の沖縄となった。これも本当は5月のセミナーに合わせて…と思っていたのだが、考えてみればその時期は沖縄は梅雨。道理で青い空と青い海をほとんど見られていないはずだ。私のせいではなく、時期が悪いのだ!!!
…いかん、興奮してしまった。えーと、なんだっけ。ああそうそう、そういうことで4月に沖縄行を計画したわけでした。
せっかくだから出願書類作成のセミナーみたいなものを…とも思ったのだが、ド平日なので断念。今回はただ観光のためだけに沖縄行となったのである。
3度目の正直、今度こそは…と思っていたら北朝鮮のミサイルで今回も危ういか?とヒヤリとしたものの、幸いに決行とあいなった。
とまあ、今回は観光とはいえ、私としてはそれなりに力が入っているのである。
まず力を入れたのが飛行機。狭いエコノミーでは辛かろうとプレミアムチケットを取った。清水の舞台から飛び降りる思いである。
やはり快適だなあと思いつつバイオを取り出し、さてさて、いつものようにコーヒーでも飲みながら添削を…と思っていたらCAさんが「お食事はどうなさいますか?」と怪訝な顔で尋ねるではないか。
うーむ、エコノミー一筋男にはそういう発想がなかった。
これがまたきれいな京料理のお弁当でおいしい。しかしこれで満腹になってしまい、<ミッションA:那覇空港に着いたらすぐに守礼そばで沖縄そば!>はあえなく消え去ってしまったのであった。^o^;
那覇空港でレンタカーを調達。はじめて運転する沖縄の道。自分で運転してはじめて琉球石灰岩の入った白っぽいアスファルトを実感した。グアムのときもそうだったが、自分で運転しないと気がつかないものなのだ。
まずは母のリクエストでもあるひめゆりの塔へ。ちょうど修学旅行とバッティング。若狭高校も修学旅行は沖縄だけれど、平和教育は絶対になくしてはいかんなと再認識。
がじゅまるに囲まれて立つ慰霊碑の横にはきれいな資料館。
平和祈念資料館でもそうだったけれど、沖縄のこういった資料館はしばしば明確な「相手」に対する明確な「NO」を感じさせる。ひめゆり資料館入口の「私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません」という言葉は強烈に突き刺さった。
ここで早くも両親に疲れが出てきたので平和祈念資料館を断念して知念岬公園へ。
どーだどーだ見たか見たか。青い海と青い(ちょっと雲が多いけど)空。やはり4月に来て正解だったのだ。というか今回のツアーは私は完全に晴れ男と化しているのだ。
両親の存在を忘れてしばし見入る。
自然であること、それが広いこと、絶えず動いていること(今回は波ですね)、複雑な(フラクタルな)ものがあること(今回はサンゴ礁の中の入り組んだ色、つまり水深分布)、これらが揃うと私は見入ってしまうらしい。知床一湖もそうだった。
近くのトイレに行こうとしてふとみると、生活リズムを守ろうという啓発カンバンがあった。「帰宅はおとな午前0時までに」って…「望ましい生活リズムを」って…沖縄の人はやっぱおおらかなのか?
夕方ホテルにチェックイン。「ナハテラス」というリゾートホテルで、まあはっきりと分不相応だが今回はいいのだ。
ホテルの窓から市街を臨む。 夕方5時だがまだまだ昼間。 |
うーむ、全般に力入りすぎか?
まあタクシーの窓から国際通りのにぎわいは楽しんでもらったと思っているのだが…
明日も沖縄観光は続く…のだが、添削ちょっとヤバイんだけど…ーー;
父が生きていて、母がまだ自転車を漕げた時に、
返信削除小旅行を計画しました。
新大阪で合流。広島で途中下車して原爆ドームと厳島。
夜行に乗せて白鳥温泉と指宿温泉。
帰りも寝台の強行軍。
いちばん感謝されたのが、知覧の特攻祈念館でした。
今でも「知覧はよかった」と話題になります。
やっぱり家族旅行はいいですね。いつも一緒にいる家族でも思い出作りは大事ですね。今回のことで痛感しました。
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