今日はちょっと長くなります。
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宮崎駿が「テレビ、ゲーム、携帯が子供たちから力を奪っている。火のおこし方、ナイフの使い方を教えるべき」という主旨のことを語っている記事があった。(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1595701.html)
私はGoogleリーダーでニュースを拾っているが、その中に「痛いニュース」というのも登録してあって、ニュースに対する突込みが何とも笑えるので息抜き代わりに見ている。その中にあった記事だ。
この記事に対するコメントがいっぱい付いているのだが、いかにもだなあと思う「匿名性の影から放つ不必要に罵倒するコメント」が並ぶ中を透かして見ると、「火起こしなんて何の役に立つんだ」「戦前の人でもできんぞ」「ナイフなんか持ち歩いたら捕まるわ」みたいなものが案の定多い中に、「同意」というコメントも目に付く。また、「デジタルを嫌わなければ同意」みたいなコメントもあった。
まあこういう議論を見ていると「火起こし」「ナイフ」という「例えば」が「例えば」だと理解できない人が多いんだなあと改めて認識するのだけれど、まあそういう「外で自分の力で何かができる能力」とか「自然を体で理解していること」みたいな能力は確かに必要だと思う。
「テレビ、ゲーム、携帯が子供たちから力を奪っている」というのが、デジタルと野生力みたいなものを相容れないものとして前者を否定しているのか、デジタルに時間を費やす分だけ野生力が減っているという意味なのか、これは記事からは読み取れないのだけれど、私は両者は相容れないものだとは思わない。
少なくとも私は火起こしもできるしナイフの使い方もけっこう自信がある。これはあくまで「たとえば」なのだけれど、野生力みたいなロビンソンクルーソー的な状況で生きる力としては、釣りを除いて平均以上に持っているという自負がある。(子どものころ、護岸をごみだらけにする傍若無人な釣り人を見てきたからだろうか、どうも釣りが好きになれない)
でも、そのためにデジタルと相反的選択をしたかというと、そんなことはない。実感として、デジタルとアナログが共存している。
火起こしもナイフも体で覚えなければならないものだけれど、そこにはやはりロジックがある。火起こしは、回す棒とそれを受ける板の硬さが重要で、柔らかい材質の板に対して、やや硬い棒を回す。棒は芯の部分が柔らかいほうがいい。
棒と板をこすりあわせて摩擦が激しくなると、板も棒も削られて焦げた木くずが出る。この焦げた木くずが、板に切り込んだV字状の溝にたまって熱がこもり、やがて火種ができるのだが、板のほうが柔らかくないと木くずがうまく出ない。また棒が硬すぎると板との接触面が円滑になりすぎて摩擦があまり起こらなくなる。さらに棒の芯が硬いと、棒が鉛筆をけずったみたいにとんがってきて、板の中にもぐりこんでしまって木くずがうまく溝に落ちない。
だから私は板には杉を、棒には篠竹を使うのだが、これは経験とロジックが合わさって到達した結論だ。
火種を炎にするためにはガマの穂とススキの穂を使うが、火種を大きくするために使うガマの穂は、要は脂のしみこんだ細かい繊維があればいいので、脱脂前の綿でもいい。火種を炎にするのに使うススキの穂は、今度は脂のない、ガマの穂より少し粗い繊維がいいので、麻ヒモをほぐしたものなどでもいい。こういう「応用」はロジックがあればこそだと思う。ロジックなしの経験だけだと、代用品は思いつかないからね。
さらにいえば、カリウムの触媒作用を利用するとさらに簡単に火がつくから、たとえばガマの穂でもススキの穂でも麻でも脱脂綿でもティッシュでもいいから、カリウム溶液をしみこませて乾かせば、最初の火種から一気に炎に持っていけるはずだ。カリウム溶液の代表例は灰汁だし、これを応用したのが江戸時代の火打石だ。(ガマの穂を灰汁で煮ることで、カリウムがたっぷり付くので、ひとつまみのガマの穂に、石と鉄を打ち合わせて出る火花を落とすだけで火種となる。リンを使うとさらに効果的で、摩擦だけで一気に炎になる。つまりマッチだ)
もちろん本当に火を起こすためには棒の回し方や息の吹きかけ方など、理屈抜きに身に着けないといけないものがある。経験というかトレーニングが必要なわけだが、これが「いかにたくさん外で遊んだか」みたいなものになるわけですね。
ナイフだって、てこの原理を理解していると早くうまく使えるようになる。もちろん力のかけかたや上手な研ぎ方を会得するためにはトレーニングが必要だ。
いっぽうデジタルもロジックだけの世界ではない。
ゲームでもアニメでも、心を打つ魅力がないと受け入れられない。それはテレビドラマもそうだし、本もそうだ。心が感動し、想像力やら歓喜やら憐憫やら怒りやら、とにかく心のいろんなスイッチを次々と押してくれるコンテンツは多くの人に受け入れられる。つまりヒットする。
違いがあるとすれば、メディアの違いだけではなかろうか。
ゲームの中毒性がいわれることがあるが、それは「本の虫」とどう違うのか。パソコンやネットにハマりすぎると「廃人」になる、つまり社会不適合を起こすというけれど、ナイフにハマりすぎるとどうか。サバイバル生活にハマりすぎると社会不適合を起こさないのか。
それはバランスのよい生活をするという基本的な教育を親ができていないというだけのことではないのか。
リセットできるゲームに逃避するというけれど、それは「実生活は辛く悲しいけれど、本の中では私は王女様」というメルメンとどう違うのか。
ケータイという手軽なコミュニケーションツールを使って延々とおしゃべりしているのは、道端で延々とおしゃべりするオバサンや娘たちとどう違うのか。
目にもとまらぬ速さでソロバンの玉を弾いて脳みそフル回転で計算を解いていく人と、「どんな計算処理をしたらいいのか」というイメージをアルゴリズムにするりと置き換えながら、考えていることを言葉にするようにしてキーボードからソースコードを打ち込んでいく人と、どう違うのか。(わかりにくいか^^;)
もちろん違いはあると思う。程度の差とか刺激量の差とか、「テレビは部屋を明るくして離れて見てね」とか。でもそれは本質的な違いだろうか。メディアの特性の違いだけではないだろうか。
まあつまり何が言いたいかというと、デジタルを楽しんだり活用したりすることも、火起こしやナイフ加工みたいな思いっきりアナログなツールを使いこなすことも、全部人間がやっていることで、そこにはロジックとトレーニング(形式知と暗黙知といってもいいかな)が必要なんだから、それらは相容れないものではないんじゃないかということだ。パソコンもナイフも生身の人間にはできないことを実現してくれるツールである点は同じだとうことだ。
なんか
「デジタルは便利だけどあまりのめり込んじゃいけないよ、アナログは不便だけど使えなきゃいけないよ」
「デジタルは人間の能力を低下させてアナログは強化するよ」
みたいな価値観が蔓延しているようであまり面白くないのである。
私は今こうやって文章を書いているが、デジタルゆえの良さも間違いなくある。紙と鉛筆だと修正や切り張りが簡単にはできないから、「考えながら書く」のではなく「考えて文章にしてから書く」ほうに流れるけれど、パソコンだと考えると同時に打ち込んで、また考えながら修正して切り張りして・・・・ということができるから、「考えること」に関してはずっと自由になったと思う。
アウトドア活動にしても、ネットでいろんな情報が手に入るから、最初のハードルが低くなって、いろんなことに挑戦できるようになったと思う。
プログラミングするときは、「何をしたいのか」という目的をいかにして実現するかが命題なのだが、最初に「こうしたらいいんじゃね?」という「見通し」がなんとなく見える。カンといってもいいかもしれないし洞察力といってもいいかもしれない。
この「こうしたらいいんじゃね?」ということをまず考えること、そしてそれが的を射ていること、瞬間的にズバリ見通すことは、仕事でもプライベートでも、どんなときでも必要な能力だろうなと思う。
こういう人間の芯のところにある能力、デジタル・アナログ関係なく鍛えるべき能力というのは確かにあって、そのためにパソコンのようなデジタルツールも、ナイフのようなアナログツールも使いこなすべきなんじゃないかなあと思うのである。
で、私は火起こしもナイフも得意で、デジタルも不得意ではないのだけれど、じゃあ私が「まともな、ちゃんとした人間」なのか?と言われるとこれが一番自信がない。^o^;
でも面白い人生だなあとは思う。
ものづくりの世界にはCNCという世界があります
返信削除電子計算機数値制御とでも訳すのでしょう
要はフライス盤や旋盤に制御用のモーターと基盤をくっつけてそれを外部のコンピューターで制御するというものです
フライス盤と旋盤はおもいっきりアナログです
経験によって積みあがる物です
ヤトイと呼ばれるジグ類の構築、完成にまで至る段取りなどは実際に手を使って形にすることが出来ないときついです
コンピューターも経験ですが、経験がプログラムという形で残りますので経験値を得るのは実務よりは簡単です
ただ両方ともロジカルなんですよね
段取りのつけ方はとてもプログラミングに似ています
ただ、手作業の最後の最後は・・・・とても数値化できない話です
それがアナログということなんでしょうね
土木屋がなぜ旋盤を語れるか?
・・・・・土木屋のくせに旋盤をなぜか趣味で引いています
おかげで技術士が受かりません・・・・・
なるほど、ものづくりは本当に「最後は職人」でしょうね。
返信削除そのあたりに「国産品は長持ち」の所以があるのかも。
けどですねえ
返信削除手送りの旋盤やフライスも面白いですよお
今まで造ったことがないものが作れるのは快感です
そして別分野を趣味を通して知ることが出来ます
土木屋もものづくり
それを実感します