2013年1月18日金曜日

次へ、という気持ち

息子がこの春から千葉県のとある市役所に就職する。ここまで長かったなあという感慨以上に、親の後をチョコチョコついてきていたあの小さな男の子が、進路も新しい住居も自分で決めて、精神的には親の庇護を必要としなくなっていることに頼もしさと寂しさと月日の流れを感じた。
娘も高校時代に決断した進路を貫いて今遠い地で大学生をやっているが、悩んだり笑ったりがんばったりくじけたりしながら、いまだモラトリアムの中で一人の独立した自分を作ろうとしている。

子どもたちが確かに成長しつつある中、自分はというと、この2年ほどNPO活動でも若い人にいかにしてのびのびとやってもらうかに心を砕いている。自分がやりたいことをやるのではなく、いかにして若い人たちのやりたいことを実現するかを考えている。

SUKIYAKI塾もそうかもしれないなあ。こちらは必ずしも「若手」というわけではないのだけれど、とにかく私が一人で、というか自分の思いだけを「燃料」にして、たとえ一人ででもやっていけばいいやと思って始めたことが、本当に大きく大きく広がっている。私一人では絶対にできなかったし思い付きもしなかったことがいくつも実現している。
そしてそれを「まかせ切っていこう」とする自分がいるわけですね。それぞれの人たちの思いや個性を発揮してもらうことが一番大事に思えて、オピニオンリーダーではなく「呼ばれたら行くというだけの講師」になろうとしている。
べったりじゃなく、でも投げ出すのでもなく、本当に距離感が難しいんだけれど。

これって世代交代ってやつなのかな?少なくともSUKIYAKI塾はおっさんの集合体みたいなところがあるから(なんだか加齢とともに活動の中での「飲むこと」のウェイトが重くなっていくような気がする)世代交代とはちょっと違うのかもしれないけれど、それでも若い技術者が入ってくれるととても嬉しいから、それを期待しているのではないかと思う。
表面に出てくるような部分では何の意識もしていないのに、何かが自分をそうさせているようだ。深層心理ってやつかな?
面白いものだなあと思う。

今日は警察協助員会の新年会でありました。会場はまたしても阿納の民宿(ひこそうとは別の店)。毎週ふぐ食ってヒレ酒飲んでるこの贅沢よ。
でもさすがは小浜、舟盛のコリコリ刺身(ヒラメまるごと~)にてっさに唐揚に煮魚に茶碗蒸しにぷりぷりのカキに蟹鍋に雑炊で〆て6,000円ポッキリっす。ちなみにひこそうもてっさ・てっちり・ふぐ唐揚・煮魚・茶碗蒸し・カキ・雑炊で同じ値段で~す。ヒレ酒とかは別になるけどね。
いやあ、楽しく飲みました。

2013年1月17日木曜日

787もアブナイ仲間入りか

再び冬型になり、朝からぼたん雪がぶわーっと降っている。

我が家の裏庭もみるみる雪景色。まいったなあ、また朝から雪かきだあ。
福井県では「雪みち情報ネットふくい」というサイトで県内道路の積雪状況が確認できる。

小浜。雪が激しく 降っている。
うーん、こりゃあ積もるぞお。

敦賀。あれ?いい天気じゃないか。

福井。雨しか降ってないぞ?山も白くないし。

大野。福井県内一番の豪雪地だ。
てか、よく晴れてるし。山も青いし。

大野の山奥のほう。県境に向かう国道。
道路に新しい積雪なし。降雪もないぞ。
降っているのは、小浜のあたりと北部海岸だけでした。

昨日はすごくいい天気だったのだが、まあ冬はしかたがない。
雪の中をボランティアセンターまで出かけ、地元CATVの収録。子どもたちに伝えることというのがテーマだったのだが、ちょっと消化不良気味。自分のなかで「ああそうか、オレってこういう思いでやってたんだ」みたいな「整理」ができると気持ちいいんだけど、そうはならなかった。つまり言葉にすることで自分で自分の整理ができる段階ではまだないんだな。ということは、「まだまだ」なんだ。まだ「やってみて、考えて、またやってみる」の第1段階くらいのレベルなんだろう。よおし、もっとやってやってやりまくるぞ。
収録の前後に時間があったので少し集中して本の原稿を書きすすめられた。今日はなかなか進んだものの、やはり「毎日クリティカルパス」状態には変わりない。うーむ、がんばらなくては。

鳴り物入りで華々しくデビューしたボーイング787が何かおかしい。
バッテリー発火が相次いでいる。これまでなかったことが一斉に起こるということは、おそらく何かの劣化だろうと思ったが、変色して液漏れとか、内部が溶けているとか、何かバッテリー周りに致命的な設計ミスがあって、驚異的に劣化が進んでいるようだ。
ANAもJALも運行を見合わせるらしいし、アメリカ当局や国交省も運行停止を命じたとか。これは大いなる信頼喪失だ。

原因究明と改善をしっかりやらないといけないわけだが、ここで下手をすると787は「ボンバルディア」のようになってしまう。
ボンバルディアは一時期事故が相次いだ。そのあとこれといった事故は起きていないようにも思うし、それはもう何年にもなるようにも思うのだが、今でも自分の乗る飛行機を見て「げっ、ボンバルディア」と引いてしまう。そんなことを言うと「そうだよね」という人もいるけれど、「あまり気にしない」という人もいる。「ボンバルディアって何?」という人もいるけど^^;。マイナスイメージは消えつつあるのかな?
まあどちらにしても「事故がしょっちゅう起こる飛行機」は、なにせ空を飛ぶ乗り物だけに「事故がしょっちゅう起こる電車」とは比べ物にならないほど恐ろしいから、「直りましたから安心して乗ってください」とはなかなかいかないんだろうなあ。
「シンドラー」もそうだな。エレベーターと壁にはさまれて死ぬなんて想像するだに恐ろしいし。シンドラーは日本ではもう1台も売れていなくて、既存のものの保守管理だけしかやっていないらしいが、まあ仕方がないのだろうなと思う。エレベーターに乗ろうと思ったとき「このエレベーター、シンドラーですよ」と言われたら使うのをやめる人って多そうだものなあ。

2013年1月16日水曜日

体罰

ちょっと今夜はマジメな話。

学校での体罰の話がかまびすしいのだけれど、体罰がいい・悪いの議論ばかりで、どこから体罰なのかの議論がない(あるのかもしれないが、私の耳には入らない程度に小さい扱い・声なのだろう)ことが気になる。
たとえば授業時間になったのに教室に入らず、校内を徘徊したり校舎の周りでウロウロしている生徒がいる。
先生が彼らを囲んで説得している。
いっさい手を触れることもできない。
肩に手を置いただけで「体罰だ!」と騒がれる。
いじめと似たところがあって、体罰も主観的なものだとされる。「君がいじめたつもりがなくても、彼がいじめられたと感じたのなら、それはいじめだ」と同じように。
それはその通りなのかもしれないけれど、授業を受けようとしない子供たちを「触らないように気をつけながら説得する」って、そりゃあ大変だと思うよ。

そんな中、生徒が先生の言葉に耳を傾けてくれるようにする方法があると、私は思っている。自分のここ数年の経験から感じているというだけなのだけれど、必ず成功するとは限らないものの、それなりに勝率はいいようだ。
それは、「真心を伝える」という、あまりに理想論的で抽象的なことだ。
子供の心を開かせようと、あの手この手で先生は苦労する。
しかし「何をしたか」はあまり問題ではなく、先生がそういったことを通じて、どれくらいその子のことを心配しているかが伝わるかどうかが問題で、それは本当に「もうどうしようもない」と思ったときに「それしかできない」と思うくらい切羽詰った中で初めて伝わりだす。そんな例をそれなりに見てきた。

ということは、授業時間になったのに教室に入らない子を強制的に入るようにしたり、あるいは強制的に排除したりすることができればいいのではなく、むしろそういう子をどうしようもなくて、悩んで悩んで、その先にもう先生としての見栄とか立場とかを捨てかけたような状態の中で子供たちに心が伝わっていくということがいいのだろうか。
もしかするとそうなのかもしれないが、それでは先生はあまりにしんどい。今の先生たちのストレスたるや。

「体罰はダメ」
それはその通りだろう。でもそれは「どんなものが体罰というのか」をしっかりと定義付けなければ、先生たちをますます追い込んでいくことになりかねないと思う。
大部分は一生懸命やっているのに、不祥事や事件が起こると十把一からげで「あんなやつらはどうなってもいい」みたいな扱いをされる。そのくせ何かあると「がんばれよ。それがお前らの務めじゃないか」みたいに言われる。それがどんなに腹立たしく悔しいことか、土木業界の人間はよく知っているのではないだろうか。今はきっと発電業界の人がそう感じている。

自分以外の人間を尊重しない。
自分と考えが違うことを敵視する。

そんな心根で考えるから、何もかも「ダメ」みたいに突き放してしまうのではなかろうか。
そして突き放すということは思考停止に至る。
そりゃあ、世の中を「自分と自分以外のバカ」とか「自分の考えに賛成の人間と反対の人間」みたいに単純に分けてしまえるのなら、もう思考する必要はないから楽なのだろうけれど、それでは誰も幸せにはなれないように思うのだ。
心遣いのない世の中、「異質なものへの理解と慣用」がない世の中は寒々しい。

2013年1月15日火曜日

さあ、がんばろう

今年度最後の模擬面接が終わった。「まだやってたの?」と思うかもしれないが、この週末が最後の集中的試験日なのだ。
そしてそれは、今年度のAPEC-semiの終了も意味する。いやあ、たくさんやったなあ。
出願講座の添削回数は延べ395回、筆記講座は1,149回、体験論文は474回だった。
口頭試験模擬面接は220人あまりになる。

そして終わるよりも前に次年度APEC-semiもスタートしている。今夜中にも新経歴票・小論文の書き方アドバイスを受講生に送らねばならない。
バタバタと忙しいけれど、2012年度が終わったということで、新年度受験対策に頭を切り替えて集中できるので、その点ではありがたい。

そして何より「9時からskype」がなくなるので、夕飯時から酒が飲めるのがウレシイ。(結局そこかい!)

受講生の皆さん、がんばりましょう!

2013年1月14日月曜日

いよいよスタートです

まもなく2013年度のAPEC-semiマンツーマン講座募集を開始する。
本の原稿のほうも、着実にというか、少しずつというか、まあ進んでいる。
さあ、これから始まるなあというワクワク感、また昼も夜も添削とセミナーの日々だなあというある種の覚悟、試験内容がまだまだ不明確なので手探りでやっていかないといけないなあという不安感(まあこれはこれでまた別のワクワク感ともいえるが)、これまでの資料を流用できずにいっぱい作り直さないといけないなあという面倒くささ感、いろんなものがないまぜになった不思議な感触である。

とにかく気持ちが引き締まっているときがチャンス、今日のうちに集中して原稿を進めよう…と思っていると、こんなときに限って洗濯機が壊れてしまった。
ナイスタイミングで市内の量販店が在庫処分市をやっているので女房と一緒に買いに行ったら、ついでの用事もいろいろあって、結局午後はつぶれてしまった。
夜になってからさあ今度こそ集中…と思っているのだが、週末は口頭試験終了報告や再現記録が届けられたりして、そちらも見ないわけにはいかないから、やっぱりなかなか集中できない。
明日からはAPEC-semiマンツーマン講座の事務処理も始まるし、うーむ、このままではいかん。そのうちまた自主カンヅメだなこりゃ。^o^;

夕食は沖縄で買ってきた沖縄そばを女房が作ってくれた。ソーキそばです。技術士沖縄そば部門・ゆめたく講師のお眼鏡にはかなうでしょうか。

東京は雪だそうで、なんかすごい写真がアップされたりしている。今日が口頭試験の人は大変だなあ。道玄坂上れるだろうか。まあマークシティの中を通っていけばいいんだろうけど、そもそも電車は動いているのだろうか。講師も来なかったりして。^^;
小浜の今日は雨~曇りで、風が強い。なんとか雪が降らずにいてくれるといいのだが…

まあともかく、また時間とのタタカイが始まるのだなあ。

2013年1月13日日曜日

また慌しさの中へ

朝から昨夜の騒ぎの後始末を若干して(笑)、お魚センターで買い物をして、道の駅へ。
ちょうどイベント日で、1年ほど前に高知の平山へ一緒に行ったさとるが古代米のもちつきをやっていた。ふるまいの行列に、いつのまにやらすーさんが並んでいたが、残念ながら2人前で品切れであった。^^;

さとると談笑。SUKIYAKI塾を媒介に、技術士・技術者の枠に
限定されず、人と人とのつながりが広がるのがまた嬉しい。
鯖のダシのラーメン、鯖くんせいのピザなど不思議食品を試食し、おみやげも買って、妙通寺へ。

冬ならではの美しさを見せる国宝三重塔。本堂でガイドしてくれたのは、これまた1年前に平山へ行ったあこ君。どこもかしこも身内ばっかりなのだ。^o^
手打そば「よしだ」で昼食を食べ、みんなと別れた。
食事のたびに腹いっぱいになり(これはどこに行っても同じだな^^;)、いっぱい飲んで話して騒いで、ハプニングもあり、腹の底から笑い、楽しい2日間でした。
皆さん、本当によく小浜にお越しくださいました。また来てください。

みんなと別れてふっと独りになると、なんとも寂しいものだ。
早々に帰宅してNPOの補助申請書を仕上げて郵送し、さらに2月の講演会講師への連絡、明日アップロードするサイトの更新、春に出す本の原稿執筆とあわただしく過ごし、さらに夜は区の新年会。これで3日連続飲んでいるわけだが…
「ひこそう大会」のような非日常的なイベントの後は、こうやってバタバタと過ごすに限る。しんみりするヒマなんてないくらいに。

2013年1月12日土曜日

全国大会inひこそう

午前中、敦賀で福井県から口頭試験に挑むUさんの模擬面接。

急なことで会議室の確保もできなかったため、 ショッピングセンターのフードコートの一角で模擬面接。外から見るとそれなりに笑える絵面になっている。^^;
13時過ぎ、SUKIYAKI塾の皆さんと合流して、名古屋からともとも・クレヨン・sunrise・すー、大阪からべっこ王子、四国からカチナノリ、そして北陸から(福井から)Um・おつ・山(以上、敬称略^^)に私を加えて、計10人の集団を構成。
そば処「はやし」でソースかつ丼&そばの大盛りサイズ(はやしではこれが普通サイズ)を食べて満腹したあと、車で小浜へ。

我が家に到着して一休みし、泡盛リキュール古酒などを飲んだあと(涙)、前庭でロケットストーブや火起こしで遊ぶおじさん連中でした。3月にはロケットストーブ作りなどのイベントもやるので、また来てね。

その後、濱の湯で入浴し、ひこそうへ。女房とみつこも合流して総勢12人の大宴会となりました。

ヒレ酒が相変わらず美味く、てっさ・てっちり・唐揚げのふぐづくしに刺身・煮魚・茶わん蒸しも加わって、もうお腹一杯の面々でした。

ちょっと(どころじゃないか?)ハプニングもあったけど、まあうまい料理とうまい酒に満足した一夜でありました。

2013年1月11日金曜日

美味い酒

先月ロケットストーブ試作品をつくったのだが、どうやらスイッチを押しちゃったかな~という人間が若干1名。

ペール缶製のロケットストーブバージョンアップ版を作ってしまった。基本構造は同じだが、2段が実にして(接合部は数点溶接)、頂上部を煮炊き用(笑)に使えるようにしてある。

頂上部は穴があいていて、網を載せたり鉄板を乗せたりして多用途に使えるようだ。
うーぬ、これは3月のロケットストーブ製作大会が楽しみだわいと思ったら嬉しくなってしまい、そのまま3人で「筋斗雲」に飲みに行ってしまった。^o^;
やはり「あんなこともしたい、こんなこともやってみよう」という会話は酒を美味くするなあ。ひっく。

2013年1月10日木曜日

忙しいときこそノマド

また寒波である。じんじんと寒いなあと思って目覚めると、うっすらと雪が積もっている。

この写真、細かめの雪がさあーっと降っているんだけど、わかるだろうか。

正月早々だが、ちょっといろんな「締め切り」が重なってピンチになっている。「納期」と言わずに「締め切り」と言うのがまたどうなのよ、とも思うのだけど、そちらのほうが表現として妥当なので仕方がない。

目前に迫っているのがNPOの補助金申請の締め切りで、15日必着である。週末にがんばって…と思っていたら、土曜日はSUKIYAKI塾ひこそう大会、日曜日は区の新年会であった。うーむ…
それと同じくらい目前なのが新年度APEC-semi募集開始と、それに合わせたホームページ更新で、目標を14日に置いているのだが、これは数日程度遅れるかもしれない。
そして月末が本の脱稿。これもピンチである。だって2冊同時進行なのだ。
そして来月早々には2月10日のSUKIYAKI塾大阪のセミナーテキストを出すよう、べっこ王子さんから厳命を受けている。なんといっても「王子」だから、言いつけを守らないとヤバイのだ。(^_^;)

ところが人間は弱いもので、こういう状況になると現実逃避をはじめる。
遊びたくなる。ギターでもぼーっと弾いたり、自転車でどこかに行ったり、いっそ麻雀でもしたり。
怠けたくなる。酒を飲んでぐだーっとしたり、コタツでうたた寝したり、マンガを読んだり。
別のことをしたくなる。掃除をしたくなったり、買い物に行きたくなったり。

こういうときはノマドがいい。
いい天気だと自転車で、天気が悪いと車で、ボディバッグにバイオを入れて出かける。買い物ついでにファミレスや喫茶店で申請書や原稿なんかを書くわけだ。気晴らしと仕事を兼ねた一石二鳥だと思っている。

そして寒い時期は何より「濱の湯」に行きたくなってしまうんだなあ。

今日は思いとどまってまじめに過ごしたけどね。^^;

2013年1月9日水曜日

麻雀放浪記

ツアー中にブックオフであれこれ本を買ったのだが、ダントツで面白かったのは阿佐田哲也・「麻雀放浪記」全3巻だった。
漫画「哲也」の原典だけにいつもエピソードや登場人物を対比させて読んでしまっていたのだが、最後のところにきて戦後日本の近代化・先進国化に抗った人物物語だったんだなあと気づいた。

戦後の焼け跡では浮浪者も博打打ちも当たり前、博打だけで食べている、2つ名を持つバイニンもゴロゴロしていて、彼らは社会の中に居場所を持っている。麻雀の最中に死んでしまったバイニンの身ぐるみ剥いで素っ裸にしたあげく、明け方に輪タクで家の前まで運んでドブに放り込むというトンでもない敬意の払い方。それを言葉なしに理解しあうアウトロー達。

しかし最終巻のころになるとバイニンは絶滅寸前。インチキ会社に入るも結局は社長に刃向かい、最後は麻雀の世界に入ってきた暴力、そして堅気から細々と稼ぐシステムのどちらからもはじき出されて、やっとできた愛する女性すら捨てて、最後は浮浪者として地下街で寝起きし、チンチロリン(第一巻の冒頭と同じチンチロリン)ばかりしている。
それでもなお「糞面白くもない社会」よりも「博打ばかりしている」ことを望む。ヤクザに不条理この上ない方法で全財産を取られて、弱いから負けた、当たり前だと納得する。
だけど信念を持ってアウトローをやっているのかというと、どうもそうでもなく、サラリーマンになった同級生に「臭い」と言われて劣等感にさいなまれたりする。
結局、自分の思うように生きているという反面、それは時代の流れに取り残されているだけだったりするのだろう。

と、ここまで書いて無法松を思い出した。

自動車が現れて人力車が消えていく中で、車夫以外の生き方ができなかった松五郎。誰もが忘れてしまった太鼓が叩けるし、「なんば走り」で徒競走の一等になれるけれど、それらは全部世の中に必要なものではなくなってしまっている松五郎。間違いなく「ワイズマン」だったはずなのに、運悪くそれらが全部時代遅れになってしまった松五郎。好きな女性を思いつつも「わしは汚い」と苦悩する松五郎。結局酒に溺れて雪の朝に行き倒れて死んでしまう。

なんてバカな生き方だろうと苛立ったり呆れたりしつつ、ある種の憧れを感じてしまうのは、もし本当に己の才覚だけで誰にも頼らず自由に生きていけたらいいだろうなあという憧れの現れなんだろうな、きっと。
で、阿佐田哲也のギャンブル本を何冊か注文してしまったワタシなのでありました。^o^;

2013年1月8日火曜日

ラーメンのこと

カップヌードルというものがあるでしょう。
まあ「カップヌードル」は商標なのだけれど、あんな感じのタテに長い即席めんですね。
このタテナガ形状のノーマルラーメンとしては、
●カップヌードル
●金ちゃんヌードル
●カップスター
が「三強」であると私は長らく思っている。
だからどうしたということはないのだが、この3つはノーマルラーメンだけにあまり飽きることなく食べられ、さらには時々ものすごく「食いたい!」と思わせるナニカを持っていると思うのである。

この中では私は金ちゃんヌードルが意外と好きである。カップヌードルに比べるとややあっさり系だが、麺がしっかりしていて食べ応えがある。
ペラペラツルツルの容器がまたいい。

それ以外ではチリトマトヌードルが好きで、これはたぶん25年ほど前にデビューして、そのあと一時店頭から姿を消していた時期があったのではないかと思う。それとも小浜で売られていなかっただけなのかな。好きなヌードルだったので、見られなくなってさびしい思いをしていたのだが、最近はいつでも食べられて嬉しいのである。
それ以外のカップラーメンはまず食べない。シーフードとかカレーとかあるけれど、食指が動かない。

焼きそばはやはりUFOにとどめをさすけれど、ペヤングも捨てがたいし、一平ちゃんのマヨネーズどばどばジャンキーさも好きだ。というかカップ焼きそばはソース味で似通っているので、商品にこだわりはないのである。

袋ラーメンはサッポロ一番、ワンタンメン、チャルメラ、出前一丁、チキンラーメンあたりをなんとなくローテーションしている。サッポロ一番は塩がメインだが、味噌もなかなかうまい。ワンタンメンとチキンラーメン以外のときは白菜をきざんで入れることがおおいな。チャルメラや出前一丁にはネギも入れたいところだし、味噌ラーメンのときは白菜、ネギ、卵とたくさん入れたくなる。
そういえば昔「本中華」というラーメンが好きだったのだけれど、あれはもうないんだろうなあ。
ちぢれ麺がやたらとコシがあった。
スープもうまくてラーメンライスにぴったり。

袋焼きそばは日清焼きそば以外は考えられない。
学生時代はここに何でも投入していた。卵などは当たり前、山で取ってきた山菜を炒めて入れたり、納豆をぶちこんで、もはやヌードルというよりオブジェみたいにして食べたり。(もはやすすれない。マンジュウを食べるように食いちぎっていく)

ラーメン屋のラーメンはというと、新大阪駅「皇蘭」のラーメン(しょうゆラーメン)あたりが一番好きな味だな。新大阪に行くととりあえず食べているし。
なぜかいつもチャーハンとセットで頼んでしまう。

忘れられない味といえば、5月にハジメさんと行った宗谷岬の「間宮堂」で食べた帆立ラーメン。あれはしみじみうまかった。
このスープが絶品です。寒い中で本当にうまかった。
北海道はやはりラーメンがうまくて、2009年に初めて知床に行ったときの女満別空港近くの「一心」のラーメンもまた忘れられない。そういえばあれから食ってないなあ。
アスパラが太いのに柔らかくて感動した。

そういえばラーメンじゃないけど、沖縄そばも大好きである。一番好きなのはやっぱり守礼そばかな。
軟骨ソーキそばが一番好きです。

うーむ、書いていたらラーメン食べたくなってきた。小浜では「こく亭」か「8番ラーメン」が好きである。8番ラーメンの塩野菜ラーメン、久しぶりに食べに行こう。

2013年1月7日月曜日

3月旅行はヤバい?

家族旅行で沖縄に向かう飛行機の中での話。

私は飛行機はたいていANAに乗っているのだが、「翼の王国」という雑誌が座席ポケットに置いてある。自由に持ち帰れるのだが、荷物を増やすのがイヤなので持ち帰ったことはない。

この中に「今年の運勢」なるものがあった。私はねずみ年なのでそこを見ると、こんなことが書いてある。


「人間関係が広がる一年。新しく得た人脈が、仕事面にもいい影響を与えそうです。」

おお、嬉しいではないか。SUKIYAKI塾やNPOのおかげで人間関係はたっぷり広がっているのだが、さらに広がるのか?

「健康面では、耳と腎臓が弱点。特に耳は、突発性難聴のような急な病気の心配があります。」

ふうむ、耳と腎臓とな。目でも肝臓でもなく、また尿酸値でもなく。
耳は確かにメニエル持ちなので気をつけているのだが、腎臓かあ。

「家庭面では、家族にいえない秘密ができたり、逆に家族の秘密を知ってしまったりというようなことが。」

ナンダナンダコレハ。うーむ、私は秘密を持ってしまうのだろうか。

「要注意月は3月と6月。3月は移動中の怪我や、交通機関のトラブルによる足止めの暗示があるので気をつけて。」

ふうむ、いずれもセミナーツアーをそれなりにやるからなあ。3月は北海道に行くから、滑って転ぶとか?
交通機関トラブルなあ。やっぱヒコーキがこわいなあ。女満別でJALがエンジントラブルで欠航した前例もあるし。

「6月は勇み足が心配。相手のあることは、あわてないでゆっくり対応を。」

ん?どういう意味だ?NPOなんかの事業企画進行のことかなあ。

「向こうが自滅するのを待っているぐらいでちょうどいいでしょう。」

自滅って。いったいどんなことだ?マージャンか?

「運気がいいのは、2月、11月。2月は心が浮き立つような出会いがあり、幸せの新しい形に気がつくようなことが。」

おお、これはすごい。何かステキな出会いでもあるのであろうか。そうか、これが家族にいえない秘密になるのか?

「5月は旅行運が吉。飛行機で行くような遠い場所ならどこでも幸運ですが、特に東、または東南の方向がおすすめです。」

おお、5月はセミナーツアー最盛期だが、飛行機で行くような遠い場所といえばやはり北海道と沖縄だな。東ということは北海道か。もしかすると今度こそ「知床の夕日」が見られるとか?(希望、小っちゃ!)

そういえば沖縄行きでは、ポケモンジェットに乗りました。
といっても中にいる分にはぜーんぜん関係なかったけど。

2013年1月6日日曜日

日帰りのはずが

模擬面接のため福井へ日帰りで行った。正月ボケというか沖縄遊びボケの頭を切り替えてピシッとさせるのにちょうどいい。
小浜から鈍行列車を乗り継いで福井へ。我々が沖縄へ行っている間に寒波が来たようで、どこも積雪がある。

小浜市内はこんな感じ。週末には大阪からべっこ王子さんが車で来ることになっているけど、大丈夫だろうか。まあ慣れてるだろうから大丈夫だろうな。
敦賀で乗り換え、北陸トンネルを越えるとやはり雪がどっと多くなった。真冬になって「正しい冬型」になると、やはり北陸に入っていくほど雪が多くなる。先月の時ならぬ大雪のように、冬のはじめや冬のおわりごろには中途半端な変な冬型になって、北陸よりも小浜や山陰のほうに雪が降る。(小浜は気候や植物生態地理学的には山陰なのだ)

福井駅前にも雪が積もっているが、福井の人たちにとってはこんなもの序の口だろう。
駅前に出ると、北陸らしい冷気がぐいっと体の中に入ってくる。
東京あたりだと「耳がもげそうな」くらい肌に痛い寒風が山のほうからびゅうっと吹いてくる。木枯らしだ。でも日向は暖かく陽射しも強く、屋内で日に当たるとじりじりと暑いくらいだ。日向と日陰の寒暖の差が激しい。
しかし北陸や山陰では、湿気をたっぷり含んだ寒風がぶわあーっと吹いてくる。それもたいていは雪や冷たい雨が混じっている。そもそも晴れていないから日向などないのだが、たまに晴れ間がのぞいても暖かくはない。湿った冷気がずーんとあたりを覆っているかんじだ。
空の鉛色が色移りしたように町も山も田畑もコントラストの低いぼんやりじっとりした世界になる。
「裏日本」とはよく言ったもので、日向の明るい「表」とは別世界の、ひんやりと湿って薄暗い「裏庭」のイメージそのままの世界である。しかし私はそこで生まれ育ったからだろう、明るすぎてコントラストの強すぎる表日本の冬は苦手というか落ち着かない。静電気に悩まされるせいもあるけどね。

昼食は必殺・ソースカツ丼&おろしそば。福井に来たならこれを食べねば。
ソースカツ丼はところどころの地域にあるようだが、福井のソースカツ丼はソースが甘辛いので飽きやすいのだが、時々食べるとなかなかに美味い。そばは文句なく美味い。

腹いっぱいになったので、のんびり歩いて市電「福武鉄道」の駅へ。
駅(というか停留所)では、冬らしい厚手のジャンパーを着てじっと電車の到着を待っている一団がいた。
これを見ていたら、ふいに新潟の冬の夜の光景が思い出された。
私は大学院生活の2年間を新潟で過ごしたのだが、真冬の夜、停留所でひとかたまりになってバスを待っている一団がいた。雪まじりの強風の中、誰も身じろぎもせずバスを待っている。
やがて車もまばらな通りの向こうのほうに、バスがのそのそやってきて手前のバス停に止まるのが見えた。
ところがそこからバスがなかなか動かない。何か乗降客とのトラブルでもあるのか、あるいは雪だまりにはまり込んでしまったのだろうか。どこかのおじさんが「んー?」と低く小さくつぶやいた。海のほうから風に混じって吹き付けてくる雪が防寒着に積もってくる。何度も雪をはたきながら5分もかかっただろうか、やっとバスのヘッドライトがぐらっと動いた。
誰かがほうっと息を吐き出した。誰かが「ああ、やっとずった」と言った。新潟弁で「動いた」を「ずった」と言うのだろうか。
真冬の日本海から吹き付ける雪まじりの風の中、ひとかたまりになってバスを待っている一団は、なんだか南極のペンギンが体を寄せ合って集まっているようにも見えた。
真冬の新潟では日中の最高気温が零下ということもよくあった。小浜は逆に最低気温がたまに零下になる程度だけれど、寒さの質は同じようなもので、昼も夜もあまり動く気になれない。このあたりもしんと静まり返った「裏庭」のかんじだな。
私はこういう静かに声をひそめているような冬がけっこう好きなんだけどね。

市電で移動し、おつさんの会社へ。ここの会議室をお借りして、3人の模擬面接。終了後すぐに福井駅まで送ってもらって敦賀までJRで移動し、DANさんと食事。
寒い冬の夜は友と語らいつつ、うまい肴で熱燗を飲むのが一番だ。
ところが杯を重ねるうちに調子が出てきて、とうとう「じゃるじゃる」へ繰り出してしまった。フォークギターが置いてあり、フォーク命のマスターがいる。
ここでギターを弾きながらわいわいやっているうちに、なんてことだ終電が(といっても10時すぎなのだが)終わってしまった。
しかたがないので急遽敦賀宿泊。正月休みの後の日曜日だからホテルはガラガラで、駅の近くの部屋が簡単にとれた。

DANさんの奥さんが迎えに来てくれたが、途中で降ろしてもらって夜の屋台で〆のラーメン。街灯の光に雪が浮かび上がるさまを眺めながら、ホテルまでふわふわと歩いていった。
うーむ、どこが「頭を切り替えてピシッと」なんだろうか。^o^;

2013年1月5日土曜日

沖縄家族旅行3日目

酒がまだちょっと残っているなあと思いつつ起床。最後の1日である。

海を見ると、昨日より1時間早いせいか、潮が引いている。東シナ海もけっこう干満の差があるのだなあ。

ホテルをチェックアウトして首里城へ。守礼門が改修中だった。

城壁の一部が復元されて、まっさら色の石垣ができ上がっていた。沖縄のいろんな史跡・遺構は、けっこう放置というかあまり手が入らずに風化の進みつつあるものも多いと感じるので、首里城が着々と復元されていくのを見ると嬉しくなる。
私は沖縄の城跡はけっこう好きなので、また時間を作ってレンタカーか何かでゆっくり回りたいなあと思った。

レンタカーを牧志で返して、公設市場で昼食。正月繁忙期でなかなか活気があった。

 夜光貝の刺身とバターソテー、イラブチャーの刺身とあんかけ、アバサーのから揚げと味噌汁、テビチ、スクガラス豆腐で昼食。これで沖縄のものはひととおり食べたんじゃないかな。

牧志から空港まではモノレールで移動。最後まで曇り時々小雨の天気であった。
まあ運が悪いときはしかたがないね。まさか我々が来る前の2日や帰った後の6日がいい天気だなんてことはないだろう。
那覇空港→大阪伊丹空港→バスで新大阪駅→特急サンダーバードで敦賀→普通電車で小浜という行程で帰宅。息子と娘は羽田空港へ飛び、そこからそれぞれのアパートへ帰った。

敦賀駅では雪が積もっていた。沖縄もけっこう寒く、薄手のダウンをずっと着ていたが、やっぱり福井県はきっちり冬でした。
4月に両親、今回女房子供を連れて行ったので、鳥居家6人は全員この1年の間に沖縄に行ったことになる。
女房は大変気に入ったようで、次はぜひ暑い季節のいい天気のときに来たいと行っていた。前者は可能だろうが、後者はあまり自信がない。^o^;
子供たちは高校生のときに修学旅行で来ているのだが、今回もまた楽しかったようで何よりだ。
次は5月だな。うーん、きっとまた梅雨時期だな。まあ仕方ないけど。

2013年1月4日金曜日

沖縄家族旅行2日目

ホテルの部屋が高層階だけあって、朝からエネラルドグリーンの海と青い空が…広がってねーし。

ホテル裏手の浜はプライベートビーチみたいになっていて、夏はきっとにぎわうんだろうなあ。
今日は午前中女房と娘はスキューバダイビングを楽しむ予定だったが、悪天候の上海が荒れているとのことで中止し、北のほうに向かった。女房はパイナップルパークへ行きたいといい、息子は美ら海水族館へ行きたいというのだ。
途中、「ブセナリゾート」に立ち寄って海中展望塔というのへ行った。

ここは「リゾート」という名前がまだ生きているところなのであった。ホテルあり、プライベートビーチやらプールやらテニスコートやら…なんだか懐かしい気分になった。

海は冬の日本海かと思うほど荒れていた。こりゃあダイビングは無理だわ。

海中展望塔から熱帯魚を見る。餌付けされているとみえて魚は多い。私としてはあまり興味のある世界ではないのだけどね。

パイナップルパークへ行く途中、名護市の「ひんぶんがじゅまる」に立ち寄った。

名護市役所を見上げて写真を取りまくる鳥居家一同。ここをじっくり見たのは初めてだ。

昼食は以前にも来た「宮里食堂」で。私はいつものソーキそば。

息子はスパゲッティ。沖縄ではトーストがセットになっているのが常識だという。なんでも米軍基地でスパゲッティにラスクが付いているのをまねたのが始まりだとか。

美ら海水族館。2年半ぶりになる。入り口のあたりに小さいこの遊び場ができていた。

家島がよく見える。ここにも行ってみたいなあ。家島全体は石灰岩だが真ん中に屹立する「タッチュウ」はチャートらしい。面白い取り合わせなのだ。

ちょうどエサやりの時間に合わせて回ることができた。熱帯魚が群れるさまはなかなかキレイ。

ジンベエザメのエサやり。立ち泳ぎしてがばーっと水を吸い込むさまは迫力だ。

高速道路を一気に南下し、牧志にレンタカーを止めて国際通りへ。いつものミージャでがばっとお土産を買って(4人分だものね)、息子が「ステーキを食べたい」というのでステーキ88へ。しかし泡盛古酒「今帰仁」と島らっきょう、海ぶどう、もずく天ぷらなんぞを頼んで、まるで居酒屋のような状態になってしまった。^o^;

メインディッシュは、息子がステーキ、娘が石垣牛ハンバーグ、女房が石垣牛握り、私がタコライス。でもさすがステーキハウスだけにタコライスが美味いのだ。
ここでたくくからTELが入る。飲んでいるとのこと。国際通りでおちあった。家族は酒を飲んでいない息子がレンタカーを運転して一足先にホテルに戻ることにして、私一人で二次会へ。春に両親と来たときもそうだったけど、いつもこうなる。^o^

どのあたりで飲んだのかよく覚えていないけれど、たくく・たくく友人・ふくちゃんと4人でたっぷり飲んだ。
たくく、正月からご機嫌で飲みまくり、酔っ払ってコップを右に倒し、あわてて直すと今度は左に倒し、もうボロボロでした。

 いつもは「そば家」で〆るけれど、今回は「すばやー」という別の店。なんかこんな名前の店が多いねえ。

えーと、これは宮古そばだったかな。平打ち麺じゃない細めの麺。肉は麺の中に潜っている。
しこたま飲んで食べて、大満足でホテルにたどり着いたら、もう午前2時でした。わはは。