今日もいい天気で暖かい。
今朝は寝坊したので8時半ごろから歩き始めたが、上っ張りを持って行くか迷った。今日は女房の妹が泊まりに来ているので、ちょっとフンパツして寿司屋でコース。ワタリガニやバイガイをつまみにビールを飲み、グジの塩焼きで日本酒を飲み、絶品の寿司をたっぷり食った。こういうちゃんとした料理をたまに食うのはいいことだね。
今日もいい天気で暖かい。
今朝は寝坊したので8時半ごろから歩き始めたが、上っ張りを持って行くか迷った。夜はずいぶん涼しくなってきて、猫たちは暖気のたまる高いところや猫ドームの中などで寝るようになってきた。
夏用の猫ドームだが、コタツが敷いてある。効果はてきめんで、潜り込んでぬくぬくしている。午後の北川堤防から多田ヶ岳方面を望む。すっかり刈り取りの終わった田んぼとうろこ雲。まさに10月の風景だなあ。川の方を見ると河川敷にサギが集まっていた。やがてカモが渡ってくるが、それまではサギとカワウくらいかな。夕方から社内試験対策講座。終了後、一人で餃子の王将で遅い夕食。倉吉に行ったときもいつもそうなのだが、王将といえばビール&ギョーザ&ニラレバの定番メニュー。ワンパターンで新鮮味はないが安定安心。疲れてゆっくりしたい時は冒険がない方がいい。ここ数日は雨の心配はなさそうで、10月らしい天気が続くらしい。
…のだが、6時台はこんなどんよりした天気であった。パーカーを着て家を出たが途中で脱いだ。本っっっ当に久々に上根来へ。
ロシアがウクライナを侵略しようが、1ドル146円になろうが、何も変わらない与左衛門。そういえば、奉仕作業か雪室作業でもなければ、ここで一日過ごすこともなくなったな。
何やかや言いながら、年を追う毎に忙しくなってゆっくり流れる時間の中にいられなくなっているのかもしれないな。もういいトシなんだから落ち着かないとなあ。
ありがたいことに今日はいい天気であった。
昨日は雨でぜんぜん歩けず、一日の歩数が4,400歩程度という、おそらく今年最低値を更新したので、さすがに今日は歩きたかったのである。って、わしゃ犬か。
今日は一日中雨。ちょうどいいので家に引きこもってデスクワークに精を出した。
RCCM 試験が折り返しを過ぎ、来月からは技術士口頭試験対策とセミナーツアーになる。あ、その前に一次試験対策関係かな。
ところで全然関係のない話だが、あちこち徘徊していると気になるのが柿である。
せっかく奈良に来たので朝の散策。盆地だからか、小浜より寒く感じる。
朝6時過ぎの猿沢の池。散策している人がたくさんいる。若干遠慮しつつ徘徊添削。奈良公園。ちょうとシカの角切の時期だった。道路にも普通にシカがうろうろしている。朝、海岸通りを歩こうと思ったが北風が寒いので大学山に変更。
アケビが落ちていた。色づいた実はすでに中身はなかった。青い実はまだ割れていない。猿か何かが取ったのだろうな。アケビ、ずいぶん長いこと食ってないなあ。9月のアクティビティのレポートが来た。
旅らしい旅は高知に行っただけだが、その途中に伊丹空港や新大阪、高槻などに行って京都に泊まっているから、それらがカバーされていて、RCCM受験に行った福知山もカバーされている。朝は曇っていて、さらに気温は18度しかなくて、長袖ジャージを羽織って歩きに出た。途中で熱くなってきたのでTシャツ1枚になったけれど。
10時過ぎに宅急便を出しに車で出たら雨が降ってきて、けっこう肌寒かったので、これはもう今日は外は歩けないなとあきらめてデスクワークにいそしんでいたのだが、午後4時を回ってから晴れていることに気がついた。
慌てて外にでてみると、秋の高い高い空が広がっているではないか。うわー、大損こいたと思ったね。晴耕雨読ならぬ晴歩雨読を日々の習いとしている私としては、晴れているのに家の中に閉じこもっていたというのは痛恨事なのである。この間買ったSurface Duo2、けっこう気に入っている。この手のガジェットはなかなか「満を持して」購入して使い倒すのは難しく、買ってみてから積極的に使うか、もうぜんぜん使わず死蔵して、機会があれば誰かにあげてしまうかしかないのだが、今回はけっこうヒット。
まず形(閉じたときの形)がいい。近年のフォルダブルフォンや2画面スマホは、閉じたときにスリムで開くと正方形みたいなものが多いのだが、Duoは最初から幅広で携帯電話とは思えない形。ちなみにスマホリングは縦でも横でも持てるように開いたときの真ん中に近いところに貼り付けた。今日は、小浜にある「ショベル」という会社の研修会に参加して、30分ほどいつものようにあることないことしゃべって、終了後は懇親会BBQで2日連続酔っ払い。
そんな中、アントニオ猪木死去の報に接した。ショックであった。
最近の状況から、こういう日は遠くはないと思ってはいたものの。
ジョン・レノンはもう40年以上前に死んだ。そしてアントニオ猪木も亡くなった。
これで私が憧れていた人はいなくなった。
「偉いなあ」と思うようないわゆる偉人とか現実的な目標とかではなく、空の星の如く見上げて憧れる人は誰にもいるものだと思っているのだけれど、それがなくなってしまった喪失感。
自分自身が老いることを実感するのと並行して、そういった憧れもなくなってしまうことは、やはり喪失というのだろうな。