2019年10月6日日曜日

シイの実を食す

昨日に続いてドングリネタ。
女房が校長をやっている雲浜小学校(我が地元の小学校)で廃品回収のあと、8月末の奉仕作業で出た伐採した枝木の切断作業をPTAでやるというので、軽トラとチェーンソーを持って手伝いに行った。
PTAの皆さんと楽しく作業ができたのだが、枝木満載になった軽トラは月曜日にクリーンセンターに持っていくため学校に置いたままにして、歩いて帰宅することにした。
校門を出て、さあどの道から帰ろうかと思ったとき、小浜神社の中を通って帰ることを思いついた。小学校時代に何度下校中に遊びに行ったかわからないようなところだ。
何といっても小浜神社の中にはシイの木が2本ある。
1本は「嘉門の井戸」と言われる底なし井戸の伝承がある井戸の近く、もう1本は「八助稲荷」という、キツネが飛脚に化けて小浜藩の役に立っていたという伝説のある稲荷のそばにある。井戸の方はあまりたくさん実が落ちないのだが、その代わり実が大きい。稲荷の方はたくさん実が落ちるのだが実は小ぶりである。
それは私が小学生のころの話なのだが、今でもその2本のシイの木は現存していて、毎年実を落とす。実の数も大きさも、小学生の頃のままである。
私は小学生のころから実が大きい井戸の方の木でシイの実を拾うのが好きだったので、今日もそちらに直行した。

実がたくさん落ちていた。いつも宮司さんが掃除をされるので、落ち葉とともに集められている。ちょっと土がついた実を拾い集めて、ポケットに入れていく。
小学生のころと同じことを、もうすぐ59歳のじいじがやっているのはアヤシイ光景だよなと思いつつ、楽しくてしょうがない。
おそらく今は、神社で缶蹴りなどして遊ぶ子も、シイの実を拾う子もいないのだろうが、そんなことおかまいなしにシイの木は黙々と実を付け、落とす。

スダジイの実は、こういった殻に包まれている。ドングリは、実の形よりも殻で見分けるのがわかりやすい。
食べられるスダジイ。実が大きくてドングリ細工にいいマテバシイ。小ぶりだけどとにかくたくさん取れるコナラ。まん丸なクヌギ。あまりお目にかからないけど小さくて丸いアラカシやシラカシ。このあたりが子供のころ覚えたドングリだ。
ちなみに、もう15年以上まえのことだが、ドングリ食に挑戦したこともある。(こちら
それはさておき、拾った実をつまみ食いしながら帰宅。子供のころも、こうしてポケットに入れたシイの実を時々食べながら遊んだものだ。シイはアクがないから、生のままでも食べられる。

帰宅後、まずは拾ってきたシイの実をバケツやボウルの水の中に放り込む。虫が食ったりして食べられない実は浮かぶのですぐわかる。写真ではわかりにくいが、1粒だけ浮いている。さすが子供のころに養った目は健在で、ちゃんと食べられる実ばかりを集めている。

これをフライパンで乾煎りする。カラカラとやっていると、殻が割れてくる。実の色が変る前に火から下ろす。
これをポリポリやっていると、何ともほのかな甘みが美味しい。生のままより、こうして熱を加えたほうが断然うまい。といっても、今のいろんな食べ物の味に比べればホントにほのかな甘みしかないのだけれど。
まあともかく、久しぶりにシイの実が食べられて実に嬉しかったということです。

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