今日からお盆である。
私の住んでいるあたりでは、お盆1日目は墓参りと「お迎え」をする。
墓参りは午前中。我が家では「下草」といってヘダラ(ヒサカキ)をお墓に供える。花は飾らない。これは我が家の習わしだが、花を飾る家も多い。女房の実家も我が家と同じ浄土真宗だが、ここでは花を供える。
昔はお坊さんが家を回ってお経をあげてくれたが、近ごろはそういうことをしない。墓参りに行ったときに本堂に入って「上」(お金)を供えてなむなむするだけである。お坊さんはそこには同席しない。だから「お経をもらう」ことはしない。
このあたりはお寺あるおいは宗派によって違うみたいで、お坊さんが檀家を回るところもあるようだ。女房の実家では集落の人がみんなお寺に集まってお経をもらうらしい。
夕方になると近くの浜に行って線香の束を置き、ここにご先祖様が乗るので家に持って帰って仏壇に供えるという習慣がある。浜に行くのは「海」だからかもしれないが、浄土の方角である西に向いているからではないかなと思う。
仏壇の前に家族がそろって正信偈をあげて1日目のお盆行事は終わりである。
我が家(浄土真宗)はおそらくかなり簡素化されているほうではないかと思うが、こういったお盆行事などもかなり宗派や地域によって違うのだろうなと思う。
自分の家や地域のやり方が常識(というか全国共通)だと思っていると大間違いである。
これに似ているのは正月のお雑煮だな。このブログでも何度か書いたと思うが、東京のお雑煮をみてびっくりぎょうてんだった記憶がある。味噌ではなくすまし汁、丸餅ではなく角餅、餅以外にもあれやこれやと具が入っていて、「江戸っ子のくせになんとも野暮な」と思ったものだが、まあとにかく同じ「お雑煮」といっても全然違うのだなあと感じ入ったものだった。
日本という国は、もはや昭和前期の生活さえ残っていないのではないかと思うくらい生活様式が変わったけれど、盆や正月などの行事、あるいは祭礼などに文明開化以前の習慣を色濃く残している。文明開化以降、地域色は食生活にせよ言葉にせよ急激に「標準化」されていったわけだが(そうしないと国としてひとまとまりにはならないから当然ではあるが)、盆行事や正月行事など地域色がしっかり残っているものがあるのは何とも嬉しいことだ。
高度成長経済でイケイケドンドンのころは、そういった「昔の暮らし」は疎ましくもあり、捨てられていったものも多いことだろうが、今はそういったものを「守る気持ち」で見つめることができるようになってきたのではなかろうか。
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